Daily Archives: January 27, 2011


        ロングステイ先をお探しのご夫婦をスービックに案内した。スービックの記事は何度も書いているので、今回出会うことが出来たスービックの自然に着目して紹介する。  その目玉が、フィリピン・オオコーモリだ。正確にはフルーツ・コーモリの一種でジャイアント・フライング・フォックスあるいはゴールデン・クラウン・フライング・フォックスというそうで、世界最大級のコーモリだそうだ。日中は暑いので木にぶら下がって羽根で仰ぎながら暑さを凌いで、夜にフルーツを食べに餌場に向うらしい。スービックには各種コーモリが合計2万5千羽もいるらしい。 ズービックから戻る途中、飛行場の手前でLegenda SuitesあるいはSt. Therese Chappel に向かって右に入ってしばらく行くと、その辺一体はBat Kingdumと呼ばれるコーモリの繁殖地域だ。探すまでもなく道路の左側一帯の木々に数え切れないほどのコーモリがぶら下がっている。遠くから見てもトンビか鷹くらいの大きさはある、これまで見たことも無いまさに大型のコーモリの群だ。しかも半端な数ではない。全員車の外に出て呆れるように眺めていたが、動物園以外でこんな大量のコーモリを見るのは誰にとっても初体験だ。  スービックは広大なジャンブルを背景にして、全面は海という天然の要塞港だ。全面の海といくつかの入り口の道路さえ管理すれば簡単にセキュリティを維持できる。しかもオロンガポ市との間は運河(堀)で仕切られていて、4箇所しか出入口がない。その他の出入り口はジャングルを切り開いて出来ている3箇所の入り口だけだ。それらは24時間厳重なセキュリティ・チェックが行なわれている。 スービックは東京23区と同じ広さというが実際、平地は少なくて、ほとんどがジャングルとジャングルの合間に切り開らかれた住宅地だ。だから、オーシャンパーク、あるいはズービックに向う途中必ずと言っていいほど野生のサルに遭遇する。 フィリピンの都市の周辺にはもはや自然のジャングルは存在しない。ほとんどの山は椰子の木を植えるか禿山となってしまっている。スービックは自然のジャングルが体験できる貴重な地域なのだ。 オーシャン・アドベンチャー・パークあるいはカマヤン・ビーチの駐車場で岸壁から海の中を覗いて見るとそこには熱帯魚が悠々と泳いでいる。さんご礁の美しい魚達とは比べようも無いが、比較的大型の魚がおり、絶好の釣り場と思える。しかし、残念ながらここでは釣りは禁止されている。   

スービックの自然 2011年1月27日


       クラークからバスで帰る際、昼食を食べ損なって、アヤラ・バス・ステーションの近くの吉野家で牛丼を食べた。ドーシットホテルの前のパーク・スクエアの一階、SMに面したところにある吉野家はすでに数年前から営業している。1~2度入ってみたことはあるが、日本の牛丼とは似てもにつかず、おまけに緑色の変なドリンクが気味が悪く、長いこと足が遠ざかっていた。 ためしに入ってみたのだが、メニューが大幅に変わっていたのに気がついた。うどん、天ぷら、カツ丼、チキン丼、弁当、そしておまけにシュウマイや餃子まである。まさに、和食ファースト・フードの典型的なメニューとなっている。当然のことながら牛丼の並みを頼んだが、85ペソは場所柄リーゾナブルといえるだろう。もう何十年も「吉野家の牛丼」を食べていないのでなんともいえないが、まあまあといった感じだった。しかし、紅生姜が意外とおいしかった。 フィリピンで日本食といえば天ぷらに餃子は欠かせない。そしてフィリピン人のチキン好きは格別だ。だから牛丼一本では客は来ない。生き残りをかけてメニューを変更したものと思うが、吉野家の意地としては忸怩(ジクジ)たるものがあったろう。これだけのメニューがあれば、競合相手の「東京東京」や「テリヤキボーイ」にも伍していけるかもしれない。少なくとも、ファーストフォードの巨人、ジョルビー、マクド、KFCやチョーキンと比べても遜色はない。 夜近所を散歩していたら吉野家の垂れ幕に出会った。かなり遠いところにも出前しているようだ。メニューは無いので、看板の写真を掲載したが、見にくいので拡大してみて欲しい。  

吉野家の譲歩 2011年1月27日



 マニラは乾季の真っ只中で、過しやすい気候が続いている。日本は寒くてどうしようもないという情報が伝わってくるが、マニラは暑くなく、寒くなく、エアコンを忘れる丁度良い気温だ。    先日、いつもの食後の散歩に出ていたら、強い雨が2時間ほど降り続いて雨宿りをする羽目になった。小降りになったので外に出てみると、近所の道路は冠水して車が水しぶきをあげて走っていた。    道路が冠水すると、車はまだしも、バイクやスナックを売り歩いている手押し車はかわいそうだ。びしょびしょにぬれながら通り過ぎていく。   雨季であれば、こんな光景は日常茶飯事だが、ひさし振りの強雨にマニラの弱点が思い起こされた。  

季節はずれの雨で道路が冠水 2011年1月27日


     先日、訪問中の日本人と銀行に数百万ペソという大金を下ろしに出かけた。大金を下ろして銀行を出た途端に強盗におそわれるという事件が発生したこともあるので、この日はカーネルに護衛に付き添ってもらうなど、慎重を期した。出かける段になって車に乗ると運転役のボボイの子供、タムタムが乗っているのに気がついた。まさかと思ったが、ボボイはかいがいしく後ろの3列目の座席を用意してタムタムを同行させようとしている。びっくりしたが、姉のジェーンもカーネルも黙っている。一方、自分の息子のキアンを連れて行ったのではいざという時足手まといになるからと、ジェーンは、連れて行って欲しいと涙を流して見つめるキアンを置いていったのにだ。注:タムタムは弟が出来て母親が面倒見切れないので現在、ボボイと一緒にマニラに出て来て我々のところに居候している。     同行した日本人も私も狐に包まれたように黙っていた。フィリピンでは人の子供にとやかく言うのはご法度だ。しかしボボイは平気な顔をしている。後から聞いたその日本人のコメントは、「もし賊に襲われたとしたら、子供の存在が我々を窮地に陥れる可能性もある。銃をしたためて同行したカーネルも難しい局面に追い込まれるであろう。何故ボボイは子供を連れて行ったのか、そして何故皆はタムタムが一緒に行くことを止めなかったのか」だった。もっともなことなのだが、当のボボイは一体何を考えているのだろう。私としてはタムタムに関しては一言も二言もあるのだが、親とその姉のジェーンがいる前で、子供を車から降ろせとはなかなか言いがたいところがある。  以前、私が私が所属していた会社のフィリピン子会社を経営していたころ、私の右腕とも言えるアドミのトップの子供が事務所に遊びに来ていた。それを駐在日本人の一人が守衛を使って、子供を事務所の外に出した。その報告を受けて、親の心境いかなるものかと慮って、その日本人に、「彼女は私の部下なのだから、そんな実力行使に出る前に、私に言ってくれ」と、文句を言ったことがある。そうしたら彼は「私が何か悪いことをしましたか」と食ってかかってきた。案の定、数年後、人づてに耳にした彼女の感想は「こんな屈辱を受けたのは生涯で初めてだ」ということだ。だからフィリピーノの子供の扱いはとても微妙で難しい。ちなみにレストランで子供が大騒ぎをしていて、それを他人が咎めたりすると、その親に食ってかかられる。フィリピンでは子供は天使で何をしても許され、それを他人が咎めるなんてありえないことなのだ。 (台湾シャブシャブのTiantianで「Beatiful Eyes」とせがまれて思いっきり目をつぶっておどけるキアンと初めて口にするデザートに顔をしかめるキアン。はえかけの可愛い小さな歯が見える)  後から聞いたボボイの言い訳は「その日、出かける目的を知らなかった。単に税務署に行くのかと思った」ということだそうだ。しかし、カーネルや顧客の日本人が出かけるときに、それがどんな目的であろうが、何の断りも無しに子供を連れて行くこと自体、我々には理解しがたいところだ。決して悪気も何も無いのだろうが、何故こんな非常識な行動に出るのだろうかと疑問に思う。一方、このことが問題になってボボイはタムタムに関して、こんな時どう取り扱っていいのかわからなくなってしまったようだ。  この問題は事務所で子供を遊ばせるのを私が非常に嫌がっているのに、ボボイは私の目を盗んで事務所のパソコンで遊ばせているという現象にも現れている。私は1階の事務所は、2階から上の居住エリアとは区分して、子供達が立ち入るところではないと宣言している。しかし、彼は私がいない間なら問題ないだろうと考え、私が帰ってくるとタムタムをつれてそそくさと事務所を出て行くのだ。彼にはその辺の区別がどうしても出来ないようだ。  私がフィリピンに駐在しはじめたころ、日本人のマネージメントとフィリピン人の社員と、どうやって協調していったらよいか、当地の有名な心理学者を招いてセミナーを実施したことがある。その内容は拙著「金なし、コネなし...」の第9章「日比文化交流、覚えておきたいフィリピーノ気質」のネタになっているものだが、その講義録は広く頒布され「フィリピーノとうまくやるために」と題して、フィリピン駐在日本人の古典的ノウハウ冊子となっている。その時、心理学者は「フィリピーノは公私の区別が出来ない」と教えてくれた。というか、どうもフィリピーノは公私の区別という概念を持ち合わせていないようなのだ。心理学者曰く「もし、公用の車を貸与して、私用には使ってはいけないと言っても、それを守らせることは不可能だ。だから車を与えたら公私とも自由に使ってよい。ただし、ガソリンは公用の分しか払わないとして、月々5千ペソまでなどとするのが良い。守れない規則を作って、それで規則違反ととがめてみても、いたずらに社内に軋轢を生むだけだ。」  だからボボイにとって、私用でタガイタイに遊びに行くからタムタムを連れて行っても良い、しかし今日は公用だからタムタムを連れて行ってはいけない、ということは理解できないことのようなのだ。それでも客や姉に咎められたのだから、やってはならないことなのだと認識はしたようだが、それを自分で判断することに多いに不安があるようだ。だから私は姉を通じて、「その都度、客あるいは私に了解を求めるように」とアドバイスした。 (食卓の上でしこを踏んではしゃぐキアン。勢い余って転げてもかまわずはしゃぎまわる。6ヶ月目の写真で朝青龍と称されたが、いよいよしこを踏んで暴れまわるようになった。)  それから数日して、かの日本人を皆で空港に送った。その時、姉のジェーンは日本人にタムタムを連れて行っていいかと聞いていた。我々にすれば良いに決まっているのに、彼らには判断しがたいところがあるのだ。この辺はとやかく言ってみても、文化・慣習・風習の違いだから仕方がないのだろう。フィリピーノに公私の区別はなく、まさに公私一体なのだ。 (新しいベッドが来て、自分の姿が背もたれに写っているのにいたく興味を示すキアン。何事にも興味深々で10ヶ月目の赤ちゃんとはとても信じがたい。)

フィリピーノは公私一体 2011年1月27日