shiga


SRRV(退職ビザ)のEED(入国制限免除証明書)の提出義務が6月早々解除されて、晴れて、日本訪問あるいは帰国するSRRV 保有者が一気に増加している。これで、入国制限がかかっていいるのは、9a(ツーリストビザ)だけとなった。先日、フィリピン入国に当たって準備について報告したが、今回は、日本入国の体験記を福井淳一さんの協力を得て掲載することができた。 出国前の事前準備:フィリピン出発前に、準備するものは、航空券、Travel Pass(SRRV保有者のみ)、厚生労働省・検疫所指定の陰性証明書、スマホ、アプリダウンロード、質問票(ネット上)、誓約書(事前準備もしくは機内、日本の空港にて)、日本の空港から自宅までの交通手段確保、日本国内連絡先(電話番号)、緊急連絡先(電話番号)。 TRAVEL PASS:PRAが発効するTravel Passは、一週間前となっているが、予定が確定したら早めに手配するのが安心だ。https://ssrvm.pra.gov.ph/ 陰性証明:陰性証明の要件は、厚生省のサイト参照。陰性証明の準備はジャパンヘルプデスクに依頼するのが安心。日本政府の情報を常にアップデートしているので間違いがない。 日本のフォーマットに訳した陰性証明が必要なので。陰性証明の記載漏れで入国できない事例がある。実際に入国してから、72時間以内の陰性証明かをチェックされた。ジャパンヘルプデスクは、陰性証明を取る時間も考えて検査時期を教えてくれる。フライト時間を伝えて、ベストのタイミングを提案してくれる。私の場合は7月3日なので、6月30日の午後はどうですかと提案してくれた。出国してから72時間以内で、遅すぎず早すぎずベストだった。私の時は、マカティメディカルとセントルークスでの検査のみ対応していた。 質問表:厚労省のサイト(2)から最新情報を常にチェックすること。厚労省のサイトに質問表があるので、出国前に回答すること。回答し終えるとQRコードが出るので、それを携帯のカメラでスクリーンショットを取っておくこと。PALのカウンターと入国の際にQRコードを見せる必要がある アプリ:スマホを準備して所定のアプリをインストールしておくこと。厚労省が必要なアプリを指示しているのでチェックしてダウンロード。入国後でも出来るが、事前にダウンロードしえおくとスムーズにプロセスが進む。PALの場合は、出国の際にアプリをダウンロードしているかをチェックされた。 日本入国:関空から入国。到着した人が少なかったから検査や手続き、10カ所くらいのチェックポイントがあったが、意外と早かった。到着してからホテルに着くまで3時間位。入管に着くまでに2時間位(検査結果があるためだろうと推察する)。唾液のPCR検査があり、唾液が出ない人には鼻での検査で、無料だった。 誓約書:チェックポイントで立ったり座ったりを繰り返すから、手荷物を少なくすること。クリアファイルを数枚と、それを入れておく手さげ袋があると便利。手提げ袋があるとクリアファイルの出し入れに便利。手にクリアファイルを持っているとけっこう大変。クリアファイルには提出用の各種書類を入れておく。その他、誓約書の提出等があるが、妻が対応して簡単に済んだ。 検疫隔離:3日間のホテル隔離が義務付けられている。ホテルは日本政府が手配するので、どこのホテルに連れていかれるのかはその時になるまで分からない。私たちの場合は、関空近くの日航ホテルで、空港から専用のバスで行き、全て無料だった(フィリピンとは大違いで感激)。ホテルは快適。食事も良し。カップが限られているので食器用洗剤とスポンジ、暖かい飲み物、キッチンペーパーがあると良い。ちなみに酒は厳禁、食べ物は結構充実していた。 自主隔離:三日間のホテル隔離後の11日間の自主隔離(合計で2週間)は、1日1回メールの返信、現在地を報告する〝今ここ(アプリ)〟連絡が1日2~3回、3日に一回くらいテレビ電話がかかってくる。テレビ電話では背景と家族を見せるように要求される。近所の散歩や食材の調達は認められているが、遠出をすると滞在場所から離れているのがばれてしまう。結構チェックは厳しい印象。それでも自由はある(フィリピンよりも(笑))。自主隔離は、自宅でも可能だが、滞在先を事前に報告する必要がある。空港からの交通手段は、公共交通機関が使えないので、ハイヤーをホテル隔離期間中に予約し。これは有料で、日航ホテルに直接ハイヤーに来てもらい、帰宅した。 ワクチン接種:日本政府は、海外在住の日本人で、現地でのコロナ・ワクチン接種に不安を持っている日本人に対して、3日間のホテル隔離後、空港でワクチン接種のサービスを行なっているので、該当・希望者は緊急大使館情報(2021.07.17)を参照してほしい。

日本入国体験記2021年7月18日


6月3日、SRRV保有者のフィリピン入国に際して、従来要求されてきたフィリピン外務省発行のEED(Entry Exemption Document、入国制限免除書類)の事前取得が不要となった。EEDはPRA/DTI(観光省)経由でDFA(外務省)より、発行されるもので、ビジネス上のよんどころない事情、あるいは人道上の理由がある場合に発行されるものとされている。しかし、私自身、それが発行されたという話は耳にすることはなく、実質的にSRRV保有者の入国制限を継続する以外のなにものでもなかった。 いよいよSRRV保有者の入国が可能となったことで、にわかにビザ以外の入国のための要件がどうなのか取り沙汰され始めたので、経験者にヒアリングして整理してみた。 現在、空港で30日間有効の入国ビザ(9a)は発行されていないので、事前にいずれかのビザを取得している場合のみ、入国が可能。なお、期限切れのビザやACR-Iカードについては、救済措置があるので要注意。 事前準備としては、パスポート(有効なVisaスタンプの押されているもの)、ACR-Iカード(SRRVの場合はPRA会員カード)、航空券。ここまでは当たり前だが、他にPCR検査の予約と隔離ホテルの予約が必要だ。 ただし、9a(ツーリストビザ)の場合はフィリピン外務省(DFA)発行のEED(Entry Exemption Document、入国制限免除書類)を入国時に提示する必要がある。 また、SRRV保有者でフィリピン在住者はフィリピン出国前にPRAからトラベルパスの取得が必要で、フィリピン再入国後、3日以内にPRAに報告する義務がある。 下記のフィリピン大使館のホームページに各種ビザ保有者に関しての必要事項が記載されているが、SRRV保有者は、”lX”を参照して欲しい。https://tokyo.philembassy.net/ja/01announcements/advisory-visa-requirements-for-foreign-nationals-allowed-to-enter-the-philippines-while-under-community-quarantine/ PCR検査予約の登録について、フィリピン航空を利用する場合は、このサイトにアクセスする。 フィリピン航空以外は、ここにアクセスしてください。 登録後にQRコードが送られて来るが、マニラの隔離ホテルでPCRテストを受けるために必要。 また、マニラ空港で、PCRテスト費用4000ペソを現金かクレジット/デビットカードで支払う必要がある。 […]

フィリピン入国の準備について 2021年7月11日



3
年明け、感染状況が落ち着いてきて、外国人の入国が緩和され、2021年2月16日より基本的に有効なビザを保有している外国人の入国が可能となった。マニラ首都圏のコロナ隔離措置もGCQからMGCQへと緩和されるものと期待され、いよいよ庶民の生活が戻ってくるものと胸がふくらんだ。ちなみにフィリピンのコロナ隔離措置は4段階に分類され、一番厳しいのがECQ(Enhanced Community Quarantine)で、以下 MECQ(Modified CQ)、GCQ(General CQ)、 MGCQ(Modified CQ)でMGCQにいたって、かなり自由な行動が可能となる。ちなみに上から3番目のGCQあたりが、日本の緊急事態宣言に相当し、一番厳しいECQにいたると、いわゆる封鎖(ロックダウン)であり、ほとんどすべての経済、社会活動が停止され、庶民は自宅に軟禁、街はゴーストタウンと化す。 しかし、結局、いまだ時期尚早ということで、3月1日からのコロナ隔離措置はGCQが維持されることになったが、昨年の3月15日から始まったコロナ隔離措置(ECQ=封鎖、ロックダウン)以来、一周年を迎えることとなった。ところが3月後半になって、首都圏を中心に新規感染者が急増してフィリピン全体で毎日1万人を超える状況となり、3月22日、一部例外を除いてフィリピン人を含む外国からの入国を一ヶ月間禁止、さらに4月4日から11日までの一週間、首都圏はECQが発令された。まさに、一年前の封鎖(ロックダウン)に逆戻りしてしまったわけだが、欧米ではワクチンの接種され始めた状況で、規制緩和の期待が大きかっただけに、庶民の落胆は大きいものがあった。しかし、ドテルテ大統領の強力な指導力のたまものか、暴動のような社会不安には至らなかった。 このままでは経済、庶民生活がなりたたず、コロナ感染による死亡よりも餓死者のほうが多くなるという経済界の圧力のせいか、その後、4月12日からはMECQへと一段階、緩和され、5月1日からはフィリピン人はもとより外国人の入国も有効なビザを保有している限り可能となった(ただし、SRRVと9aビザおいては外務省からの入国許可書-EEDが必要)。感染者数も減少傾向を見せており、ワクチン接種も開始されたので、コロナ規制もMECQからGCQさらにはMGCQへ緩和され(その後、5月15日からGCQに緩和された)、外国人の入国も、従来のようにビザ無しで自由に行き来できるようになることが期待されるところだ。しかし、インド変異種の拡大も報じられているので、まだまだ予断は許されない。 封鎖一周年などと浮かれていた3月20日過ぎ、首都圏の感染が急拡大していたおり、同居人のママ・ジェーンから陽性だったと告げられた。我が家では唯一彼女が買い物などの外出可能で、他の者はこの一年、クリニック以外は外出できない、まさに自宅軟禁状態だった。ウイルスの感染源は彼女か、あるいは郵便物か食材等の配達人のいずれかだ。直後、私は具合が悪くなり、キアン(10才)は高熱、二人のメイドのうち一人は2週間ほど入院するはめになった。検査の結果は、国家警察幹部のご主人が陰性だった他は、全員陽性、ただしクッキー(4才)とココ(1才)の幼児二人と二十歳のメイドは無症状だった。キアンの高熱は一日で下がり、ジェーンもほとんど無症状だったが、市役所の指示にしたがって一週間ほど部屋にこもって自主隔離をした。ジェーンが隔離で、メイド一人が入院で家事戦線を離脱、残されたメイド一人が幼児二人と寝たきりの私の世話、そして家事全般をこなさなければならないという、まさに、ジェーンの戦線復帰までの一週間は家事崩壊の危機だった。 問題は、高齢者の私なのだが、熱はないが、トイレに行くだけで息が切れて、横になっていても呼吸が今一難しい、まさに肺炎の症状だ。嗅覚や味覚は正常だが、食欲がなく、上向きでベッドに横たわっているしか術がない。医者には往診してもらったのだが、取りあえず自宅で療養して重症化するようだったら入院するよう告げられた。しかし、マニラの主要病院のベッドは満杯で、数十人の順番待ちがあり、入院することさえままならない、まさに医療崩壊の状態のようだ。さらに、なんとか入院できたとしても保険制度がお粗末なフィリピンでは、症状により入院費は数十万ペソから数百万ペソの自己負担で、コロナよりも返って恐ろしい。 幸い3週間程度で症状も治まって、検査も陰性となった。しかし、家の階段の上り下りも息が切れ、ほとんど体力がなくなっている。いわゆるコロナ後遺症で、この状態が回復するには数ヶ月かかるそうだが、さらに2週間養生して、一日、1~2時間の在宅執務が可能となとなった。しかし、コロナ後遺症で血栓が出来やすくなっており、無理をすると脳梗塞や心筋梗塞などの致命傷になりかねないと、経験者の退職者からアドバイスを受けた。血栓の原因となるのは、長時間椅子に座っての執務なので、最長一時間程度に限定する必要があるそうだ。しかし、体力が回復するにつれ、つい執務をしたくなるのを、思いとどめて、休む/怠けるというのも辛いところではある。ちなみに、この一ヶ月あまりで10kgほど痩せてガリガリになってしまった。 5月に入って外国人への無料ワクチン接種も可能と報じられた直後に、市役所からワクチン接種の案内メッセージが携帯に届いた。場所と時間が指定されていて、その時刻に行って見ると、多くの高齢者が並んでいたが、一時間半程度で接種をすませた。日本のように予約もへったくれもない、事前の登録と身分証明書を提示するだけのファースト・カム・ファースト・サービスだ。日本もフィリピンのように、予約など、いっそ無くしてしまえば、予約殺到の混乱も起きないはずだ。また、心配していた外国人であることも関係なかったが、もっとも、外国人であろうがなかろうが、同じく感染源になるのだから除外するとしたら、まさに本末転倒というものだ。 接種会場にはマカティ市では「2万人が接種済み」という横断幕が掲げられていたが、接種を進めることが市の最重要課題となっているようで、職員は皆、熱心だった。ジェーンによると、私が受けたワクチンはロシア製のスプートニクで数日前に届いたばかりのものだそうだ。効果が50%程度といわれている中国製でなくてほっとしたが、因みに接種に当たって、当方がワクチンを選択する権利はない。 […]

コロナに感染してしまいました 2021年5月13日掲載、6月7日、13日追記


東日本大震災から明日で10年を経ようとして、日本のTVは、その話題で持ちきりだ。一方、マニラ・コロナ封鎖は15日で一年を迎えようとしている。この封鎖で開店休業となって時間をもてあまし、キアンの算数の家庭教師をかって出た。あれから一年近い歳月、ほとんど毎日一時間ほどのレッスンで、ようやくキアンがオンラインテストで満点を取って結果を出してくれたのだ。キアンの喜びようは尋常ではなかったが、それよりも、私自身、よくここまで我慢してやってきたものだと、自分を褒めてやりたくなるほどの感激だった。今年に入ってから、コロナ/PRA/SRRV関連以外にブログのトピックになるような話題はなくて、すっかりご無沙汰していたのだが、ようやく筆を執る気になるニュースだった。参照ブログ「封鎖中はキアンの家庭教師に再就職 2020年4月25日」 昨年、キアンの算数レッスンを開始した当初、九九が完璧でないこと、一桁の+-に指を使うことなど、小学校低学年での算数学習の基礎がなっていないことに気がついた。これは、3年前に私自身が教えることをギブアップしてしまって、家庭教師に任せてしまったのが原因だ。今更、後悔しても始まらないし、もはや手遅れだが、いまや四則演算は計算機がやってくれる時代なのでおおきなハンディになることもないだろう。 4年生の教科書が学校においてあって、封鎖で取りに行けないので、Beastというオンライン算数問題集でレッスンをはじめた。4年生の復習を主に行なったのだが、オンラインなのと、式や計算を紙に書いてやる習慣が不十分なので、暗算で出来ないと、すぐにギブアップして、思いつくままに適当に回答してしまう。キアンは、学校の試験は四択(a,b,c,d)だから、でたらめに選んでも25%は正解となることを知っているのだ。 そこでしつこくしつけたのが、まずは式を紙に書け、そして計算の手順を書いて、回答を導け、決して暗算を頼りにするな、である。一桁の四則演算も暗算でろくすっぽ出来ないくせに、文章問題を暗算でこなすなんて10年早い。また3桁以上の計算になると、きちんと紙に書いて計算できないので、位取りが混乱してしまって、正解を導くことができない。 ここ数ヶ月はキアンが大きらいという分数に挑戦した。足し算引き算に必要な通分や計算結果の約分、私自身、算数に関わる英語がわからないので、その概念を教えるのに苦労した。教科書には詳しく概念を教えてあるのだろうが、その教科書がないので、どうにもならない。 そして分数の掛け算・割り算に進むと、何故、割り算は分母と分子をひっくり返して掛け算をすれば良いのか、なかなか覚えてくれない。その時はテクニックとして覚えても、次の問題に移ると、掛け算も割り算も同じになってしまう。私としても、これは繰り返して叩き込まなければならないと覚悟して臨むのだが、つい、アホかと声を荒げてしまう。 そうなるとキアンは萎縮してしまって、ちんぷんかんぷんになってしまう。これを脳みそという言葉の連想からみそスープと名づけ、脳みそがみそスープになると、キアンは思考が停止してしまうだ。 キアンの勉強の敵はクッキーだ。遠慮という言葉を知らないクッキーは算数レッスン中でも平気で、キアンの邪魔をする。時には、私がキアンが算数のレッスンを行なうことを拒否する。強引にやったとしても周囲で大騒ぎするのでキアンの脳はみそスープになって意味がない。 ママ・ジェーンは「クッキーがいたくらいで気が散って勉強ができないなんてことは許されない」と精神論を唱えて、クッキーの邪魔立てを放任した。最近は、さすがにクッキーの邪魔立てがどんなものか、身を持って知ることになり、キアンがオンラインスクールや算数レッスンでしているときは邪魔をしないようにクッキーを注意するが、それにさえ歯向かうクッキーなのだ。 そんなわけで、家庭内で孤立気味のクッキーはパパカーネルが帰宅してハグをしようとすると、「ウイルスがいるから、まずはシャワーを浴びて来い」と怒鳴る。さすがカーネルは冷静にクッキーに従うが、私ならはったおしているところだ。 一方、1歳と4ヶ月目を迎えたココは、部屋をヨチヨチと走り回って、周囲の喝采を浴びる人気者だ。私の部屋を訪れるのが大好きで、ひとしきり私の周りのものを投げ散らかして遊んでゆく。しかし、それにクッキーが加わると、わざと叫び声を挙げたり、他人が嫌がることをやる、典型的な嫌われ者役で、私の顔はしかめっ面のままだ。それに対して、クッキーは”I don’t like your […]

コロナ封鎖下、苦節一年、キアンの快挙 2021年3月10日



2月末、マニラ首都圏は現状の封鎖措置(GCQ)が3月末まで延長されることが発令された。誠に残念ではあるもののワクチン接種も開始されていない状況ではやむなしとの声が多数だ。これで、めでたく(?)封鎖措置も一周年となり、高齢者と子供達にとっての外出禁止措置による自宅軟禁状態が2年目を迎えることになった。 一方、2月4日に発令され政府通達(IATF No. 98)による「外国人の入国緩和措置」については、いつもながらとは言え不明瞭な記述で大いなる混乱を呼び起こし、その後、PRAは、その対応に追われることになる。以下、通達の原文そのままを掲載する。 B. 1. Beginning February 16, 2021, the following shall be included/added […]

PRAの正念場そして退職者の試練 2021年3月6日


年末のコロナをめぐる動きはめまぐるしいものがあった。12月17日には、「その日以降に出国した9Gビザ(就労ビザ)保持者は、再入国が許される」という通達が発令された。すでに入国が許可されていたSIRV(投資家ビザ)、47a2(Pezaビザ)、9d(業務査証)等の業務関係のビザの総仕上げといったものだったが、「その日以降に出国したものに限る」という、なんとも解せない条件付で、現在、9gビザで再入国を心待ちにしている外国人にはなんとも不公平な決定だった。しかし、次はSRRVそして9a(ツーリストビザ)の番だと、いよいよ外国人の入国禁止措置が解除されるときが近いと期待させるものだった。 フィリピンの感染者数は全国で1000人/日を割り始めて、徐々に収束の兆しを見せているものの、ヨーロッパをはじめとする世界の感染者は第一波をはるかに上回る感染者数となっており、再封鎖という処置をとり始めている。日本の感染者数もうなぎのぼりで、至近では、ついに6000人を超え、フィリピンの6倍という数値になった。そのため、再度、緊急事態宣言が発出される見込みとなっている。 そんな状況で、9gビザ保持者の入国緩和措置から2週間もたたない12月29日には、日本、アメリカを含む主要な国々(20カ国、その後28カ国に増加)発/経由の一切の外国人の入国を禁止するという、一気に最悪の封鎖ともいえる規制が発令された。これは、イギリスに端を発するコロナウイルスの変異株の発生に対する水際対策だが、日本でも、ほぼ同様の規制が実施されている。さらに同日、首都圏の現状の規制(GCQ)を1月31日まで継続するという決定がなされ、ついに2年越しの自宅軟禁となってしまった。いつまでコロナと付き合わなければならないのか、気が重くなるが、ワクチンの接種も始まっているので、早期に、コロナを封じ込めるところまで到って欲しいものだ。 そんなおり、24日(木)のクリスマスイブから27日(日)までパパ・カーネルの休みが取れるので、一同タガイタイに疎開することになった。誰もいなくなったマニラの家に私一人がすごすことも出来ないので、車の中だけに留まって外に出ないという条件で同行させてもらうことになった。私にとってみれば、タガイタイに行っても、違いは、せいぜいビリッジの中の散歩ができるだけで、テレビもパソコンもないので、時間をもてあまして、やることはキアンとのトランプ遊びしかなく、気は進まないが、しぶしぶと言ったところではある。タガイタイ訪問がようやく実現した 2020年11月23日 クリスマスイブは、キアン念願のバーベキューで、急遽出署していたパパ・カーネルも戻って来て、それなりのクリスマスイブとなった。問題は、クリスマスのあと、正月明けまでタガイタイに滞在するとママ・ジェーンが言い始めたことだ。クリスマスの4連休のあと、28(月)、29日(火)の2日間を挟んで30日(水)から翌年の3日(日)で5連休となる。役所は、ほとんどの職員がクリスマスの4連休と年末年始の5連休をつなげて11連休をとってしまうので、機能していない。したがって、あえてマニラに戻る必要性はないと言う訳だ。 当方としては、携帯で最小限のコミュニケーションを取れるものの、やりかけの仕事もあって、そう簡単に「はい」と言うわけにはいかない。しかし、時節柄、急ぎの仕事もさほどなくて、調整可能と踏んだ。しかし、さらに一週間タガイタイに滞在するとしてもどうやってすごすのかが問題だ。一方、知らぬ間に小さなテレビを持ってきてあったので、インターネットTVの機器をマニラから持ってきて、日本のテレビを見れるようにするという条件で、OKとした。インターネットTVを設置しました 2020年11月2日 どうやってインターネットTVの機器を持ってくるかが問題で、同行したボボイ(ママ・ジェーンの弟)に運転してもらって、マニラに取りに行くことを考えていた。しかし、それに対してはジェーンからコメントが入った。年末年始はパパ・カーネルは多忙なため不在だ、そして、私がボボイと車を使って半日留守にしたら、車も男手も無しで、女・子供だけでは、不安だというのだ。一方、パパ・カーネルはマニラの首都圏警察署にいるので、彼ないし彼のボディガードが機器を取りに行ってくれるということで落着した。 また、新年早々のイベントである、1月4日(月)に到着予定のボルテスVの受取に立ち会えない恐れもあるので、対面のメイドさんにも受け取りを依頼した。3日間の滞在が10日を越えるとなると、何かと段取りが大変なのだ。ボルテスV(ファイブ)の話題 2020年11月28日 子供達の日々の楽しみは、マニラでは出来なかった散歩だ。天気が良いと、さすがに暑いので、早朝か日が陰る夕方が絶好だ。曇り空ならいつでもいいのだが、涼しいを通り越して寒いと感じることさえある。因みにエアコンはマスターベッドルームにあるだけだが、夜間、エアコンが欲しいと感じたことはない。ただし、なんとなく湿っぽさを感じることが多い。 散歩の楽しみは、意匠をこった豪邸や塀際の花々を眺めることだ。このビレッジには有名人も多く別荘を持っているそうで、目を見張るような豪邸が建ち並んでいる。夜になるとクリスマス・イルミネーションが美しいだろうが、子連れで夜遊びは憚れるところだ。 因みにビリッジは、丘陵地帯にあるので、坂が多い。キアンの体重は50kgに達してしまっているので、帰りに急坂に通りかかると、ぜいぜいと息を切らし始め、音を上げて、後ろから押してくれとせがむ。私としても、一昨年の肺炎での入院以来、激しい運動が苦手になっており、さらにここ9ヶ月を超える自宅軟禁で体がなまっており、ほんの30分程度の散歩でも息があがるという、ていたらく。お互い様なので、私はキアンに手を引いてくれとせがむ。 無事にインタネットTVの機器を手に入れて、日本のTV(NHK、BS、民放)が現在と過去の番組が見放題となり、これで時間がつぶせると喜んだ。しかし、それを邪魔する敵が現れた。うまく映らないのでキアンの助けを頼んだのが間違いで、キアンは、機器の使い方をいろいろトライしてユーチューブを見つけだして、チャンネル権を奪われてしまったのだ。 そして、さらに現れた敵がクッキーだ。客が来るからということで、ゲスト・ルームを追われて、地下にある部屋(斜面に建てられているので地下といっても前面にはパイナップル畑が広がっている)に移ったのだが、そこにGlobe […]

クリスマス、年末年始は、タガイタイに疎開2021年1月7日



台風19号ロリーにより甚大な被害を被った農場の片付けと樹木や屋根の修復も一段落してきた。しかし、上流側の洪水の元凶となった水路の道路横断部の修復については、難工事であり、手がついていない。農場を横断している水路自体はさほどの規模ではないのだが、台風で水かさが増すと、信じ難い大量かつ巨大な流木が流れてくる。道路の下に埋められている3本の既存のパイプカルバートでは手に負えず、いとも簡単に詰まってしまい、上流は洪水と化してしまうのだ。以下の写真により、状況の把握ができたものの、既存の道路横断部の構造が不明なので、いかにするべきか逡巡しているところだ。 修復の方法としては、下記の2案が考えられるが、現地の状況を十分把握して決定する必要があり、次の台風シーズンまでの宿題として残すことにした。 ①道路横断部の既存のパイプ・カルバートを全てを撤去して、3mx3m程度の断面を持つボックス・カルバートを建設する。その場合、パイプと道路の間が土か砂利で埋め戻されているのであれば問題ないが、コンクリートで埋め戻されている可能性があり、撤去費用が膨大になる恐れがある。 ②3本のパイプのうち、上の2本のパイプは道路を支える役割を持たせて残しておいて、下のパイプをはつって、さらにその下に掘り込んで、2mx2m程度ののボックス・カルバートを建設する。この場合、既存の橋の部分を2本のパイプと共に残すため、トンネル工事になってしまう。その場合、道路と2本のパイプの間の埋め戻しが土か砂利だとすると工事中に崩落する恐れがあり、事故のリスクがあり、上記の①案を採用しなければならなくなる。

台風襲来 その2 水路の道路横断部の修復計画 2020年11月28日


ボルテスVときいてもわかる人は、あまりいないと思う。977年から78年にかけてTV放送されたロボットが主役の子供向け番組なのだが、フィリピンでは、このフィギュアがいまだに人気商品なのだ。 1989年、私がフィリピンに駐在したとき、フィリピン人社員が、日本語研修で、はじめてボルテスVの主題歌の意味を知ったと感激して、私の前で合唱してくれた。そのころ彼らは20代なので、11年前にボルテスVが放映されていたころは10代でTVにかじりついて楽しんでいた世代で、意味もわからず主題歌を暗記して唄っていたのだ。私としては、マジンガーゼットやガンダムは知っていたが、ボルテスVなどはきいたこともなかった。 それから30年経過した現在、数ヶ月前にパパ・カーネルからボスの55歳の誕生祝にボルテスVのフィギュアが手に入らないかと頼まれた。しかも、首都圏警察署長にプレゼントするのだから、フィリピンではなくて日本で買った純正品で、来週までにと期限を切られてギブアップした。ボスは、いかなる誕生日プレゼントの受取も遠慮するが、ボルテスVだけは別だと宣言していたらしい。 カーネル自身も当時、8歳の少年だったので、ボルテスVの思い出は共有しているはずだ(そのころ家にTVがあればの話だが)。そのため今月、カーネルの51歳の誕生日にそのボルテスVのフィギュアを贈ろうかと考えた。息子が、12月早々に新発売される6万数千円のバンダイ製のフィギュアを発見してくれて、しかも、フィリピンにまで配達してくれるという。多分、こんな高額なフィギュアを今になって新発売するということは、フィリピン市場では、特に未だ、よほどの人気があるのに違いない。注文してみると、本体は55,777円、送料は11,400円で目論見どおりなのだが、税金が22,168円というのは予定外だった。合計で、89,345円とは、もはや玩具の範疇ではない。 放映から43年経過した今、そのころ10代だった少年は50代となり、社会を牽引する要職についているはずだ。その一人が首都圏警察のトップであり、今月、フィリピン国家警察の長官についたパパ・カーネルのボス(フィナス長官)だ。フィナス長官が地方の警察署を訪問すると、警察の楽団が通常のマーチではなくて、ボルテスVの主題歌で迎えなければならないそうで、フィナス長官はよほどのボルテスVのファンのようだ。 ドテルテ大統領の右腕として麻薬戦争を指揮した国家警察のデラロサ長官は引退して現在、上院議員となっている。その後をついだアルバヤルデ長官は昔、麻薬ビジネスに関わっていたという疑いで失脚した。そして今年の初めに就任したガンボア長官が定年(55歳)で退任し、今月、カーネルの直属の上司だったフィナス長官がトップに就任した。そのフィナス長官も来年定年で退官するという、めまぐるしく長官人事が変遷している。首都圏警察で序列3位で50歳を超えたカーネルにも、首都圏警察のトップ、そしてフィリピン国家警察のトップへと出世していく機会が大いにあるわけで、かつての直属上司が国家警察のトップという今が、正念場というわけだ。 そのために、このボルテスVのフィギュアがフィナス長官の退官のプレゼントとして大いに役に立ってくれそうなわけだ。先日の台風被害で、その修復に金がかかるので、一旦、誕生日プレゼントは中止としたのだが、上記の事情から、橋の修復を後回しにしてボルテスVのフィギュアを優先することにした。

ボルテスV(ファイブ)の話題 2020年11月28日



1
ここの所、観光地への訪問に関するコロナ規制が大分緩和されて来ているが、私のタガイタイ訪問は、お預けとなっていた。毎週、土日は一歳のココとヤヤ、それに私が家で留守番をして、キアンとクッキーはパパ・カーネルとママ・ジェーンの4人でタガイタイのマンション(キアンの呼び方で、豪邸を意味する)に泊りがけで出かけるのが日課になっていた。カーネルとしては、毎週、たった一日だけ家族と過ごせる時間を水入らずで楽しみたいということなのだろう。 そして21日の土曜日がやってくると、キアンから「小言を言わないという条件でタガイタイに招待する」とママ・ジェーンの伝言を持ってきた。無条件での招待ではないので、「キアンが一緒に来て欲しいと望むならば、行ってもいいよ」と返事をした。例え行ったとしても、往復は車に軟禁で、終日、家に閉じこもっていなければならないのであれば、テレビもない状況では、退屈してたまらず、ちょっと乗り気になれない。 しかし、9ヶ月ぶりのタガイタイ・マンションがどうなっているかは興味があった。それにマカティの家にいたとしてもテレビを見ることくらいしかやることがないので、同じことだ(ただし、大相撲の千秋楽を見れないのはちょっと残念ではある)。しかし、新しく来たヤヤもいれて、二人のヤヤと一歳のココが同行すると聞いて、彼らが行ってしまうと家には私しか残らず、食事にも事欠くので、私一人を残すわけにもいかず、条件付招待となったものと悟った。 夜の8時過ぎに出たので、到着は11時近かったが、途中、SLEX(South Luzon Expressway)のスカイウエイ延伸工事の橋桁落下事故で、反対車線は延々と渋滞が続いていた。帰りのことが心配になったが、幸い杞憂で翌日の帰還はスムーズだった。ちなみにこの落下事故でスカイウエイ延伸工事の年内完成が来年にずれ込んでしまうとのこと。 タガイタイに到着してただちに寝たかったのだが、なぜか、同行した二人のメード(ヤヤ)による、片付けが始まって、ベッドにたどりつけない。家の中は、住居のセットアップの品物が、所狭しとおいてあって、私が小言を言わないという条件が飲み込めた。おまけに部屋数は4つあるものの、合計で二つしかベッドがない。要は同行した8人が寝るだけのベッドが整っていないだ。 結局、ベッド台とマットレスを別にして、私は、床に置いたマットレスでキアンと寝ることになった。この年で、床に寝るのは立ち上がるのにかなり苦労するが一晩なら我慢できる。要するに、他人を招待するような準備は、全く整っていないというのが、ここ2ヶ月、私が近寄れなかった理由だったのだ。しかし、ベランダへの戸を開けて寝ると、網戸を通して涼しい風が入ってきて、まさに高地のタガイタイの真髄を感じることができた。 朝食は、パンにミルクのみ、普段の自己流精進料理はない、これは折込済みなのだが、つい、昔に戻って、三切れの食パンとコップ3杯の牛乳を摂ってしまって、昼まで消化できず、胃がもたれてしまった。普段の食事との違いに胃がびっくりしてしまったらしい。 それで、キアンとクッキーを連れて、散歩にでかけたが、別荘地帯なので、すれ違う人もほとんどおらず、ビレッジ内ならばマスクをつけずに歩き回ることができる。しかし、タガイタイの山地を造成したものなので、ところによっては歩くことも容易でないほどの急坂で、息が切れた。30分ほどして戻ってきた時は、かなりの疲労を感じた。8ヶ月も外に出ないで自宅軟禁の状態だったのだから、無理もないことだ。 ママ・ジェーンがランチの材料を調達に行くというので、車の中で待つという条件付で同行した。タガイタイ・ランチ遊園地やマホガニー・マーケットなどの観光スポットを観察することはできなかったが、日曜のせいで、道路はかなりの交通量で、不滅のリゾート・タガイタイの雰囲気があった。 真昼間に外を歩くのは、暑くてちょっと憚れるが、朝夕は涼しくて、これでレストランや遊園地、それに豊富な果物で有名なマーケットを訪れることができるとしたら、マニラから2時間ほどで訪れることが出来るタガイタイは、まさに別荘として、週末を過ごすには理想的だ。 夕方になって事件が起きた。クッキーが手を敷地への入り口の鉄製のドアに挟んでしまったのだ。これは痛いとは思うが、よほど強くドアを締めたのか、いつまでたっても泣き止まない。手を動かすことが出来るので、骨折ないし骨にひびが入っているほどではなさそうだ。泣き声にパパ・カーネルが心配して、慎重に手の様子を調べたが、かなり時間をかけていたが、そこで、お咎めがキアンに落とされた。そばにいて妹にこんな怪我をさせるのはけしからん、ということらしい。 私や二人のヤヤもそばにいたので、責任を感じるが、ママ・ジェーンも加わって、叱責が続く。痛みがとれてきたクッキーはけろっとしているのだが、両親の叱責を受け続けたキアンは、涙をためて、口答えもできず、神妙にしている。責任を一心に背負っているキアンに同情するしかないのだが、どうもクッキーが「キアンのせいで...」とキアンを陥れたらしい。 そんなこともあって、8時過ぎ、ようやく帰宅の途についたが、車は3列席で、前にパパ・カーネルとママ・ジェーン、中列に私とキアンとクッキー、後ろに、ヤヤ二人とココ。私とキアンの間にクッキーが座って、さっさとキアンの膝枕で寝入ってしまった。キアンとしてはうっとうしくて仕方がないのだが、この状況で文句を言うわけにはいかない。 […]

タガイタイ訪問がようやく実現した 2020年11月23日


3月のコロナ・ロックダウン開始以来8ヶ月目を経過し、日本やヨーロッパでは最悪のシナリオとも言えるコロナ感染第3波に突入した。そして、感染終息の見通しが見えないまま、早期のワクチン開発に望みを託すしかなくなっている。一方、ここしばらくはコロナよりもアメリカの大統領選挙が世界の耳目を集めていた。トランプかバイデンか、どちらが勝とうが目の前のコロナを追い払えるわけではないし、トランプの引き際の悪さが目だっただけの選挙戦だった。一方、当方ないしフィリピンにとっては、さらにそれよりも大きな事件がのしかかってきた。それは、3週連続の台風襲来だ。 わが農場のあるルソン島の最南端、ビコール地方はいわゆる台風銀座で、台風の襲来がない年はない。しかし、今年のように3週連続ということは私の知る限り過去になかった。台風18号(キンタ)、19号(ロリー)、そして、22号(ユリシーズ)が10月25日、11月1日、そして11日と立て続けにビコール地方に上陸したのだ。台風18号(キンタ)は名前からして小物で取るに足らなかったが、19号(ロリー)は今年度世界最強のスーパー台風と称され、2006年の台風レミンを髣髴させた「雑記帳 ビコール地方を襲った台風レミンの被害」。さらに、台風22号(ユリシーズ)は雨台風で、2009年首都圏全域を浸水させた台風オンドイに匹敵する洪水を首都圏そしてルソン島北部にもたらし、現在も浸水状況をテレビが報道している「集中豪雨でマニラは水浸し 2009年9月27日」。ドテルテ大統領が両台風の被害を視察して、緊急事態宣言を発令して国家的支援を決定したが、焼け石に水の感はぬぐえない。 台風18号(キンタ)が上陸したのが10月25日(日)、「ビコールにある我が農場の樹木は総崩れになってしまい、すぐさま復旧して次の台風に備えないといけない」との知らせが入った。そのためにまずは先立つものが必要と準備をしていた矢先、次の日曜、11月1日にはスーパー台風、19号(ロリー)が直撃するとの情報だ。農場を直撃した台風ロリーによる被害状況の詳細がわかったのは、一週間後の8日になってからだった。現地では電気、携帯の電波、水などすべてのインフラが機能を停止して、生き延びるのがやっとだったらしい。 農場被害の報告が来たころになると、今度は22号(ユリシーズ)が襲ってくるというので、泣きっ面に蜂、さらにヒアリが噛み付いてくるような状況に恐れをなした。しかし、ユリシーズは幸い北にそれて、農場直撃は免れた。しかし、その分、マニラ首都圏を直撃して、11日夜半、明け方近くまで、強い風と雨が吹き荒れた。その結果、翌日はマニラ北部のマリキナ市一帯の住宅地が2階まで浸水するという、台風オンドイの記憶を呼び起こす洪水被害を引き起こした。さらにルソン島北部のカガヤン山地でも広大な地域が水につかった。我が家はマカティでも少し高いエリアにあるので、全くの被害はなく、インターネットが繋がらない程度だったのは幸いだった。 一方、この時期は、一族の誕生日が目白押しだ。10月26日はクッキー4歳の誕生日、11月9日がココの一歳の誕生日(一歳の誕生日は、フィリピンの子供にとっては、もっとも重要なイベント)だ。さらに11月15日(本日)はパパカーネル51歳と続く。しかし、時節柄、お祝い事は最小限にして、ビコールの農場の支援と復興に資源を集中することとした。もっともコロナの制限で我が家に人を呼んでお祝いするなどというのはもっての他なのだが。 災害支援といえばママ・ジェーンの得意技で、台風レミンとまではいかないまでも、大量の食料と、大量のソーラーバッテリーをデビソリア(チャイナタウンにあるフィリピンの問屋街)で買い求めて支援物資の送付の準備中だ。因みに台風レミンの時は電柱が根こそぎ倒れ、その復旧に半年という期間を要したので、電源は必須アイテムなのだ。

3週連続の台風襲来に悲鳴 2020年11月15日