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2023年4月23日追記 フィリピン政府は、これまでフィリピンへ入国する際に登録が必要だった「eTravel」を、本年4月15日以降、出国する際にも登録を必要とする運用に変更すると発表しました。本年5月1以降、紙の出入国カードは廃止されます。日本大使館【領事班からのお知らせ】2023.04.14参照 2023年3月5日追記 領事窓口業務における来館予約制の終了について 令和5年(2023年)3月13日(月)以降、領事窓口業務(旅券、証明、戸籍・国籍等)における来館予約制を終了します。在フィリピン日本国大使館では、令和2年(2020年)3月17日にフィリピン政府によってルソン全域において「強化されたコミュニティー隔離措置」が実施されたことを受けて、領事サービス利用者の皆様の新型コロナウイルス感染予防を目的として、来館予約制を実施してきましたが、この取扱いを令和5年(2023年)3月13日(月)以降、終了します。日本大使館情報(2023年2月27日)参照 巷は、すでにコロナ規制は皆無といった状況になっているが、相変わらず役所がコロナ規制に胡坐をかいて、庶民に不便なアポイントメント制を敷いている。それも2週間先でないとアポイントが取れないなど、どうにもならない状況だが、日本大使館が先駆けてアポイントメント制をやめて、パンデミック前のサービスを開始したことは大変喜ばしいことだ。これを機にフィリピンの役所もアポイントメント制を早期に廃止してほしいものだ。 2022年12月03日追記フィリピン政府は、これまでフィリピンへ入国する際に登録する必要があった「eARRIVAL CARD」を、12月2日午前0時01分から「eTravel」に変更したことを発表しました。 なお、「eTravel」登録にかかる概要は以下のとおりです。(1)フィリピンに渡航する全ての渡航者は、航空機への搭乗前に「eTravel」に登録する必要がある。(2)登録は、フィリピン到着前の3日(または72時間)以内に行うことができる。(3)登録後、出力されたQRコードのスクリーンショットを保存、ダウンロード、または印刷の上、航空機への搭乗前、及びフィリピン到着時に提示する必要がある。(4)登録は無料であり、オンライン決済は一切必要ない。登録時に支払いを要求する偽・詐欺サイト、団体には注意する。(5)フィリピン到着時、出力・提示したQRコードが緑色の場合は、面接や書類の提出は必要ない。赤色の場合には検疫官から入国規則に適しているかなどを確認され、適していない場合には、検疫(到着日を初日として5日間)を受ける必要がある。また、5日目にRT-PCR検査を受けることとなる。  ○eTravel:https://etravel.gov.ph/ 日本大使館「感染症情報(2022.12.02)」参照 2022年11月05日追記:11月2日、フィリピン政府は、ワクチンを接種していない海外からの渡航者の入国制限を解除する等、新たな入国規則を発表しました。ワクチン未接種の到着後の検疫隔離は入国時の抗原検査で陽性となったもののみに限定されることになりました。日本大使館「感染症情報(2022.11.03)」参照 一方、これまで「MySOS」を通じて実施してきた日本へ入国する際の「ファストトラック」(検疫手続)は、11月1日(日本時間)以降、「Visit Japan Web」上での運用を開始することとなります。日本大使館「感染症情報(2022.11.02)」参照 2022年10月22日追記:フィリピン検疫局(Bureau […]

お知らせ 2023.04.23



3年前、パンデミックが始まるころ、SRRV発行が中断され、その後、発行は復活したものの、50歳以上の退職者のみへの発行となっている。ID更新は3年毎であったものが、一年毎となり、さらに出国にはトラベルパスが必要となり、パンデミックによる入国禁止と相まってSRRVのメリットは吹き飛んでしまった。 そのため、新規申請者は激減している一方、取消申請が急増してPRAがてんてこ舞いしている。SRRV保有者が減って、ビザ預託金が減少し、さらに年会費が減るということは、PRAとしてはその存続にかかわる危機的状況とさえいえる。 そのため、SRRVの魅力を復活することが至上命令となるが、その第一弾がID更新の期限の延長だ。第二弾として期待されるのが、トラベルパスの廃止だろう。従来、SRRVのメリットは、出入国が自由で、フィリピン滞在義務はなく、単に3年毎のID更新/年会費の支払いだけでSRRVを維持することができた。35歳から50歳未満の退職者の申請については、上院議員から「35歳で退職者とは一体何なんだ」という単純明快な疑問が発せられているので難しいかもしれない。 IDカードの2年更新の条件としては、2年分の年会費を前払いすること、預託金が住宅の長期賃貸あるいはコンドミニアム購入等の投資に転用されていないことが条件となっているが、これらは従来と変わりはない。因みに2011年5月以前にSRRVを取得した退職者は年会費を支払う必要もなく、フィリピンにいてもいなくても一生涯フィリピン滞在が保証されるという夢のビザだったが、早期にその地位を回復することを願ってやまない。 下記はPRA 発行のお知らせの本文だ。 ADOVISORY PRA May 232 2023

ID更新が本日より2年間有効となりました 2023年6月1日   Recently updated !


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最近、ある退職者の方から、「2023年1月15日に退職ビザを取り消しを申請したのだが、4月16日に完了するとPRAに告げられたが、4月末になっても完了せず、帰国するめどが立たず、ひどい目にあっている。」との連絡があった。「PRAを再三、つついてはいるのだが、PRAの担当者は、申請が多くて、遅れていると、言い訳するだけで、らちが明かない。」とのことだ。 その方が、日本大使館に相談しても、「同じような相談が何件かあり、対応に苦慮している、フィリピン退職庁のリタイアメントビザは解約手続きにトラブルが生じる可能性がありお勧めできない、このまま手続きが滞るようなら、代理人や弁護士による交渉を検討してはどうか。」と匙を投げられた格好になってしまったそうだ。さらに、大使館は、「SRRVのビザの取消手続きがこれほど時間を要するのは、フィリピンイミグレーションではなく、PRAの手続きが意図的?に滞っているためではないか」ともコメントしていたそうだ。 退職ビザ申請の代行サービスを生業としている、私にとって、この情報は聞き捨てならないものだ。大使館のコメントに関しても無責任も甚だしい。確かに退職ビザの取り消しに時間がかかっているのは間違いない事実で、パンデミック前は2か月程度でパスポートが戻ってきていたが、パンデミック中は3~4ヶ月かかるのが常態化していた。パンデミックの規制による、業務時間の短縮、非効率化にまして、取消申請の増加が拍車をかけているようだ。しかし、時間がかかることを見越して、申請時にそれなりの対応をしておけば、例え、思惑通りに手続きが終わらなくても慌てる必要はない。 コロナのパンデミックで、退職ビザの発行停止、外国人の入国禁止などの措置で、退職ビザの新規申請が途絶えて、私のビジネスも風前の灯だった(2022年2月の入国緩和以来復活しているものの、いまだ出足は鈍い)。それを辛うじて支えてくれたのが、退職ビザの取り消しの代行サービスだった。したがって、これだけはパンデミック中も途絶えることなく継続していたが、顧客の様々な状況を踏まえて、いかに取消し申請を滞りなく進めるかが知恵の絞りどころだった。取消申請にまつわる問題の主なものは下記のようなものだ。 ・日本在住で、しかもパンデミックでフィリピンを訪問することはできない ・海外出張等でパスポートを長期に預けることはできない ・退職ビザのシールが貼ってある古いパスポートをなくしてしまった ・ビザ預託金の証書をなくしてしまった、あるいは、どこの銀行にビザ預託金が預けてあるのかわからない ・速やかに日本に帰りたいので早急に取消手続きを終わらせたい、 などなど、問題が無い方は返って少数派だ。 これらの問題を踏まえていかに作戦を練るかが、私の仕事だ。練り上げたストーリーに沿って申請書類を準備して、署名、公証、アポスティーユ(外務省認証、日本で署名した場合)を取得してもらって申請すれば、後は「果報は寝て待ての」諺に沿ってゆったりと待つだけになる。 退職ビザの取消申請は添付のSERVICE REQUEST FORMに必要事項を記入して、退職ビザシールの貼ってあるパスポート原本とPRA IDカード原本を添えて申し込むだけでOKで、きわめてシンプルだ。Affidavit of […]

退職ビザ取消申請について 2023年5月7日



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インターナショナルスクールマニラと言えば、泣く子も黙る名門中の名門学校(幼小中高一貫)であるばかりか、その月謝の高さで名をとどろかせている。幼稚園が7900ドル/年、小学校が12,460ドル、中学校が13,600ドル、高校が14,460~16,160ドルと言った具合で、毎年、100万円から200万円の月謝がかかるという、けしからん学校なのだ。 それがどういうはずみか、このハイスクールに、キアンを奨学生/特待生として授業料免除で入学させようとパパ・カーネルとママ・ジェーンが画策していたのだ。この学校のセキュリティーのチーフと知り合いだそうで、誘われたというのだが、何か情実があるのかと聞いたら全く公正な受験だという。それでは、子供を象に挑戦させるようなあまりに無謀な試みでキアンが可愛そうだ。 まず書類審査では、学校の成績がすべての科目で80点以上であること、日本でいえばオール4以上といったところだろうか。これには辛うじてパスしており、可能性は無きにしもあらずだった。書類提出後、一週間ほどして書類審査にパスしたという連絡をもらって、両親は大喜びだったが、当のキアンもホッとしたようで、これに落ちたら、ママ・ジェーンの雷が落ちることは間違いない。 そして、2月11日が入学試験日だ。目次を見ると、入学試験と言ってもペーパーテストばかりではなくて、グループ討論やプレゼンテーションなどが盛り込まれた人間としての総合力を問うものだった。私も微力ながら協力しようと、テストの目次を吟味して、30秒のプレゼンテーションにはピアノ演奏を披露すること勧めた。ペーパーテストは算数と英語だけなので、キアンの苦手な分数の足し算、引き算、掛け算、そして割り算を復習させた。 そして試験当日がやってきた。朝の7時集合、朝食が振舞われるとのことで、朝6時に出発するというお触れが出た。キアンの晴れの舞台に私の存在が重要と駆り出されたのだが、私は早々と朝食をとって、皆の出発準備が整ったのは6時半、遅れるのではない方やきもきさせられた。土曜の朝なので車はほとんど走っておらず、6時39分に出発して7時ちょうどに到着した。 会場に行ってみると、ほとんどの受験生がすでに到着して、受付を待っていた。27人の受験生といっても、皆つき添いが複数いて100人近い人が集まっていた。ISMの中には初めて踏み入ったが、その施設の充実ぶりに肝をつぶした。 まずは朝食なのだが、私にとって2回目の朝食で血糖値が上がるのではないかと心配だった。そしてオリエンテーションの会場へ。会場には7名の先輩奨学生も参加しており彼らも入学試験の催しに参加して、合格生を決める一票を投じるそうだ。父兄の参加はここまでで、これから6時間、受験生と先生と先輩の入学試験が始まる。 それで思い出したのが、プレゼンテーションのピアノ演奏のために電子ピアノのキーボードを車に積んだままだったのだ。パパ・カーネルが知り合いに頼んでキアンに届くようアレンジしてまずは一安心。そして、昼食をとって、午後から、クッキーとココ、それにヤヤも伴ってキアンを迎えに行った。 キアンを迎えて、開口一番、「どうだったと」、聞くと、キアンは嬉しそうに「楽しかった」とこたえた。特に、ピアノ演奏が受けて、機会を見つけて数回にわたって披露したらしい。そのたびに、校長先生や先輩、そして受験生から拍手喝さいがわいたそうだ。テストの方は英語は得意なのでやさしかったそうだが、算数は、私がやらせた分数の復習がドンピシャリだったとのこと。その他、グループアクティビティでもリーダーシップを発揮して、皆の注目をあびたとのこと。 27人から5名の選抜と聞いて、可能性は、5%程度かと、キアンと話をしていたが、ピアノの演奏に校長先生がいたく、印象付けられていたと聞いて一気に50%程度の確立に跳ね上がった気がした。ピアノについては苦節7年、週2回、教室に通わせて、毎回付き添って膨大な時間と費用を費やしたかいがあったというものだ(特に稽古のあとのご褒美の食事代)。算数もコロナパンデミック中、毎日、家庭教師をやったかいがあった。 キアンから、ありがとう、と繰り返し言われたのは光栄の至りで、この上ない喜びだった。両親からも久しぶりの感謝の意を示してもらった。しかし、この受験は始まったばかりで、これにパスしたとしても家庭訪問、インタビューがあり、道のりは遠い。しかし、もしこれに受かったとしたら、キアンにとって、初めてのチャレンジであり、この成功体験は、彼のこれからの人生にとって貴重なものになるだろう。まさに芸が身を助ける、一芸に秀でたがゆえの金字塔だ。 一方、これに受からなかったとしても、これからの人生におけるチャレンジの良い糧となるだろう。両親には、これに失敗したからと言って責めてはいけない、この経験をバネに、さらにチャレンジを続けるよう励まさなければならないと、諭した。 今回の受験にはピアノの存在が大きなウエイトを占めた。たまたま、ピアノのアンドレ先生には本物のピアノを買い与える時が来たと、強く勧められていたそうで、エドサのシャングリラ・プラザの地下にあるLyricという店を紹介されていた。 その店を探し当てて行ってみると店の前には中古のピアノが大量に並んでいる。価格は中古とは言え、アップライトの75000ペソから15万ペソ、さらにグランドピアノの60万ペソと私にとっては、目の玉がが飛び出るような価格だ。しかし、高いものはそれなり良いようで、どんどんと高いもに目が行ってしまう。しかし、懐具合と相談して、どんな決定をするのか見ものだ。私としては、お鉢が回ってこないように、少々、距離を置いて見守ることにした。「キアンのピアノ演奏の動画」ちょっと時間がかかりますが見てやってください。 そのあと、フードプラザでピザのおやつタイム、私にとって、この日、4回目の食事で血糖値が気にかかってならなかった。

キアンがインターナショナル・スクール・マニラ(ISM)の奨学生に挑戦 2023年2月11日


数年前から、メールマガジンで生理学教授からハンモックで寝るのが健康にすこぶる良いとの情報を得ていた。しかし、私の知っているハンモックは数百ペソで買えるチャチなもので子供のお遊び用でしかなく、大人が寝るには役に立つとは思えなかった。しかも、ハンモックを吊るす二本の木ないし柱が必要で、そう簡単に取り付ける場所を見つけることはできない、よしんば室内で使うことなどありえない。 しかし、楽天のオンラインショッピングでVIVERE(ビブレ)のハンモックの広告を見つけて、これなら使えそうだという確信を持った。19800円という価格は安いとは言えないが(現在の価格は22,800円)、寝具だと思えば、リーゾナブルだ。しかもスタンドがついていて、室内でも使えそうだ。それでフィリピンで買えないものか、ショッピーやラザダのオンラインショッピングで探してみたが、安物しか掲載されていない。パンデミックの最中、オンラインで買えないとなると手に入れられそうにないので、とりあえずあきらめた。 パンデミックの最中、マニラで家中のものがコロナに感染して、一段落した後、ワクチン接種は開始されたものの、当面、街には住めないとの結論に達しタガイタイに疎開した。タガイタイの住居はリゾート地の住居のせいか、ベランダが広くパイナップル畑を臨む、ハンモックでくつろぐには絶好のシチュエーションだ。金帰月来のパパ・カーネルにとっても絶好のくつろぎを与えるし、子供達も大喜びに違いない。そんな理由を唱えてママ・ジェーンを説得してゴーサインをもらった。 ジェーンに配達の手筈を話と、マニラからタガイタイの輸送にトラックをチャーターしなければならないと反論を唱え始めた。それで下の写真を見つけて、女性が肩に抱えられる程度の荷物ということで何とか納得してもらった。この年頃の女性は何かと異を唱えて人の行動を否定しようとするものだ。 それでフィリピン在住の息子(次男)に頼んで具体的に購入の手続きを進めることにした。まず、アマゾンのオンラインショッピングでは「フィリピンお届け」とはなっているものの、品切れで在庫無し。フィリピンのオンラインショッピングで正規品を見つけたが45600ペソと、楽天の5倍という法外な価格がついており、パス。さらに海外の訳の分からぬ出店者が2500ペソ程度の送料でフィリピンに届けてもらえるとあったが、金だけ払って物がこないというリスクから、パス。 こうなると、楽天の正規販売店で購入して、もう一人の息子(3男)に送ってもらうしかないとの結論に至った。しかし、息子がさらにオンラインで購入した商品を海外に搬送してくれるサービスをやっているところ(転送コム、tenso株式会社)を見つけて、年末のかき入れ時で忙しい息子(3男)の手を煩わせることなく済んだ。因みに転送コムは輸送にDHLを使うということなので商品以上の費用がかかるのではないかと危ぶまれたが、転送コムの手数料5000円を含めて15,831円とまあまあのレベルだった。因みにDHL でパスポートを日本に送ると地域によっては、3000ペソ(7500円)近く取られるから、15kgに荷物の搬送料金としては安いとさえ言える。 因みに発送先住所は息子のACR(外国人登録証)に記載された住所に限定されるそうなのだが、息子は、当方の住所を登録しているのが、幸いだった。しかし、当方はタガイタイに疎開中で普段、この住所を留守にしている。そのためマニラに行くスケジュールにあわせて発注のタイミングを調整しなければならない。しかし、搬送に有する期間は2日から7日とあって、狙いが定まらない。それで、えいやっと土日を含めて4~5日とにらんで発注日を決めた。しかし発注してから、発送準備に土日を除く2日間と告げられ、2~3日で到着しないと不在になってしまう恐れが出てきた。 しかしDHLからは、発送手続きから2日後の当方の予定日(水曜)に到着との連絡があって、さすがDHLと胸を撫でおろした。しかし、予定日の水曜日に待てど暮らせど届かない。オンラインで追跡してみると、その日の朝から、通関に留まっていて、結局、予定から2日後の金曜に配達された。幸い、ママ・ジェーンとパパ・カーネルの都合でマニラ滞在が週明けまでと変更されたので、指定された住所には滞在するので事なきを得た。きっと、通関職員はクリスマスパーティで全員が職場を留守にしていたに違いない。 しかし、金曜の配達予告当日、突如としてママ・ジェーンがロックウエルで小籠包を食べに行くと言い出したのだ。久しぶりの外食は行きたいし、荷物は来るし、どうすべきか躊躇したが、DHLは再配達をきちんとしてくれるので食事に同行すことにした。そして帰宅直後に荷物が配達され、しかも心配していた税金は只。まさに薄氷を踏む思いの連続で念願のハンモックを手に入れることが出来た。組み立てはタガイタイに戻ってからの仕事となるが子供たちの喜ぶ顔が楽しみだ。 また、これで、家族の労をねぎらわすことなく、すべてオンラインで日本の通販から買い物をするという道筋ができたことになる。インターネット通の息子に感謝だ。因みに転送先住所は次回からは」好きな場所を選ぶことが出来るらしい。 さて、タガイタイに持ち帰るのが一苦労、相変わらず車は子供たちと荷物でいっぱいで、翌日パパ・カーネルに持ってきたもらうことになった。それで、早速と思うのだが、ママ・ジェーンはベランダの掃除が先とじらす。そして部屋で待っていて、ふと外に出てみると、パパ・カーネルとキアンが組み立ててしまっている。確かにパパ・カーネルへのクリスマス・プレゼントという触れ込みだから、仕方がない。設置場所は、外は寒いので室内ということになったようだ。 早速、子供たちは大はしゃぎで我先に乗ってみるが、揺れるのでどうにも安心できない。自分でも試してみると、横に移動してもひっくり返って落ちることは無くて、極めて安定している。クッキーやココも助けなしで乗り降りできて、全く問題なさそうだ。早く、ベランダに置いて景色を楽しみながら、くつろいでみたい。いつか、農場のベランダに設置してマヨン火山を眺めながら、昼寝するのが夢だ。

待望のビブレ・ハンモックが届いた 2022年12月28日



PRA関係のアポイントと日本から調達したハンモックの受け取りのために疎開先タガイタイから一族一同、マカティにやってきた。しかし、役所はクリスマスパーティやら多忙で、タガイタイへの帰還は翌週に延期された。一方、子供たちはクリスマス休暇に突入していて、オンラインスクールも休みで退屈していた。 そんな折、ママ・ジェーンが突如として、ロックウエルのDIN TAI FUNGに小籠包を食べに行こうと言い出した。私としては、日本の楽天に注文した待望のハンモックが2日遅れで届くとDHLから通知があったので、家にいなければならなかった。しかし、DHLなら、EMSと違って不在だからといってほったらかしにされる心配もないので、久しぶりの外食、しかも小籠包を楽しむために皆と出かけることにした。 小籠包はBGC(ボニファシオ・グローバル・シティ)で何度か味わったのだが、店の名前(DIN TAI FUNG)というのは忘れていた。それで、ロックウエルに到着したら、小籠包(ショーロンパオ)とバカの一つ覚えで聞きまくって無事にたどり着くことが出来た。店の雰囲気は小ぶりではあるものの、一目でそれとわかる店構えだった。 メニューはBCGと同じで特に目新しいものではないが、久しぶりなので料理を選ぶのが楽しかった。要はシュウマイが中心の台湾の点心料理なので、子供たちにとってはとっつきやすい、特にココは珍しさに目を輝かせていた。 食事が終わって、クリスマスのパンダの飾りつけのある広場で、ジェーンが勘定を終えるのを待っていたがいつまで待っても現れない。そうこうしている間に、ココが他の子が持っているミニカーを入れたプラスティックの筒が欲しいと言ってわめき始めた。私にしきりに訴えるのだが、私にはなんで涙まで出してわめいているのかわからない。 ようやくママ・ジェーンが戻ってきて、一しきり写真を撮ってからおもちゃ屋(TOYSRUS)に向かった。キアンになぜ遅くなったのか聞くと、そこに飾ってあったポルシェ・マカンの抽選会に行って来たのだという。値段を聞かれたので一千万円は堅いだろうと話すと、ジェーンは、当たったらすぐに売っぱらって現金にして有効に使うと豪語する。さらにどこかロックウエルのレストランで食べたいところはないかとまで、聞いてきた。突然ロックウエルの小籠包と言い出したのが、これで解せた。ポルシェ・マカンの抽選が目当てだったのだ。 クリスマスシーズンとあって、おもちゃ屋は人で溢れていた。目当てのミニカーの筒を見つけると、1480ペソもする、これは当然、私の出番となる。ココは、それだけはあきたらず、他のおもちゃを見つけて、それも欲しいと泣き叫ぶ。おもちゃ屋の前で座り込みのストライキを始めるのは、まさに古今東西共通の現象のようだ。 帰宅後、しばらくして、キアンがダダのハンモックが届いたと言うので外へ出ると15㎏の荷物を抱えて配達人が待っていた。まさにグッドタイミングだった。このハンモックは次回のブログで詳細を紹介するが、今回のマニラ行きの最大の目的でもあったので、ホッと胸をなでおろした。

ロックウエルはクリスマス商戦たけなわ 2022年12月16日


ココのおしゃべりが遅いことを心配して幼児のテラピーに通わせて以来、ママ・ジェーンが、ヤヤとココ、それにクッキーを連れて毎週、火曜と木曜の昼過ぎに出かけ始めて数か月になる。最近は、なんとか、おしゃべりとまでは行かないものの、ダダ、ダダ、と言ってうるさいくらいになってきている。しかし、午後の2時ごろ出かけると夜の7時あるいは8時まで戻って来ないので、キアンと私はタガイタイの疎開先で鬼のいぬまの洗濯にいそしんでいる。 そんな折、マニラに所用があって出かけて行くついでにココのテラピーに同行することになった。テラピーの場所は、タガイタイではなくて、サンタロサのロビンソンモールであり、その後、近くのSM City サンタロサにあるキッズーナに寄って遊んでくるのが日課になっていることを知った。 ロビンソンにはダイソーがあって、免許証の更新でお世話になったりしたが、SM City サンタロサには度肝を抜かれた。まだできて間もないと思われるが、オルテガスのSM メガ・モールあるいはマニラ湾に面したモール・オブ・エイシアに引けを取らないほどの巨大なモールなのだ。サンタロサと言ってもショッピングモールが集中するヌバリからは遠く、SLEXを挟んで反対側の草原のど真ん中に建設されたという感じなのだ。こんな場所に人が集まるのだろうから思うが、それがSMのやり方で、SMの進出で街が出来てしまうのだ。 中に入ると、広大なエリアにはまだまだ空きスペースが多いもののユニクロなどが出店しており、レストラン街には名の知れたレストランが軒を連ねている。その奥まった2階に日本のイオンが経営するキッズーナ(KIDZOOONA)がある。キッズーナはかつて、マカティ・パソンタモ通りのウオルターマートにもあって、キアンが幼少のころお世話になった。しかし、規模の観点でここのキッズーナは圧倒的なのだ。 入場料は子供一人、240ペソ/一時間、340ペソ/2時間、440ペソ/3時間、で子供一人につき、大人一人の付き添いが無料だ。それで、2時間コースで入場したのだが、私とキアンにとっては長すぎる時間だった。しかし、適齢期のクッキーとココにとってはあったという間の2時間だったようだ。これで、タガイタイによる遅く帰ってくるのが解せた。

SM City サンタロサ キッズーナで遊ぶ 2022年12月11日



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一旦途切れてしまった運転免許証を苦労して再発行してもらってから、10年経過して、2回目の更新の時期がやってきた。前回は、マカティのLTO(Land Transportation Office)で更新したが、タガイタイに疎開中の身にとって、わざわざ出かけて行くのは厄介なことだ。 それが、サンタロサのロビンソン・モールにあるココの幼児教育の教室の隣にLTOの免許更新センターがあることに気がついた。聞いてみるとマカティ在住でもそこで更新ができるらしい。ただし、事前にLTOのホームページにアクセスして、オンラインのテストを受けて、その結果を提出しなければならないとのことで、ちょっとたじろいた。 LTOのオンラインテストについては、フィリピンの交通規制のルールなどが主体で、我々には手ごわい問題が多い、したがって誰かフィリピン人に問題を読んでもらって回答をアドバイスしてもらうのがいいだろう。日本人にとっては問題を読んで理解するだけでタイムオーバーになってしまいそうだ。60点以上が合格点なので、ある程度いい加減に答えても何とかなるだろう。私はキアンの手助けで事なきをえて、無事に76点の合格点を取ることが出来た。添付オンラインテスト結果参照。 翌週、ココのテラピーに同行して、勇んで更新を申し込んだら、期限の来年の誕生日まで2ヶ月以上あるので、受け付けてくれないと言う。ママ・ジェーンがねじ込んでくれたが、システムが自動的にはじいてしまうからどうにもならないという。どこでも免許更新ができるということは、すべての免許情報がデータ化され、システムでつながっているらしいが、便利であると同時に融通が利かなくなっているようだ。しかし、この時はかなりの待ち人がいるので、かなりの時間がかかりそうで、翌週ないし翌々週は人がいない時を狙って更新しようともくろんだ。 おかげでこのロビンソンモールをたびたび訪問することになったが、かなり古びており、空きスペースも多い。近くに巨大なSMが出来たために客を全部持って行かれてしまったのだろう。スーパーを覗いてみても客はまばらにしかいない。2階以上に店はなく、テナント料が安いせいか、郵便局、SSS(国民年金)、PhiliHealth(健康保険)、透析センター、それに免許更新センターなどの役所が多く入っている。 翌週、行ってみると、待ち人は少なくチャンスだ。受付の人が手招きして呼んでくれて、例のテスト結果と古い免許証を提出して、600ペソを支払う。次はクリニックの受付で質問票に記入して、血圧の計測、中に入って視力の検査、待ち人は全くいないので、実にさっさと終わる。しかも、キアンがそばにいて、通訳してくれるので、安心だ。キアンは、お父さん?と質問されて、ロロ(おじいさん)と答えて納得してもらっていたが、私はとっさに友達と答えてしまった。 次に隣のLTOの窓口で、585ペソを支払って、サインと指紋と顔写真を撮って、おしまい。5分も待たずに新しい免許証が渡されておしまい、都合、30分もかからなかった。さすが、役所なのでタガログ語でまくしたてられて焦ったが、キアンの通訳で事なきをえた。因みにキアンは、英語、タガログ語、それにビコラノ語を理解するが、話すのは英語だけだ。 ロビンソンには申し訳ないが、場末のせいか、人もおらず、待たずにすむというのがなんともありがたい。しかも一階にはダイソーの100円ショップがあって、ちょっとほしいものが何でも買えるので大いに重宝させてもらっている。

運転免許証の更新をしました 2022年11月19日


11月15日はパパ・カーネルの誕生日で、はつはな亭で誕生会を行うことになった。そのため、タガイタイから日曜の内に家族全員がマカティに出てきて、その日に備えた。 はつはな亭はマカティスクエアのヘラルドスイートホテルの二階にあるが、かつてキアンを連れてしょっちゅう昼飯を食べに行ったところだ。ちょっとはずれのマービンプラザにあるテッペン日本食材店の隣の樹海とともに、数ある日本レストランの中でも一番お気に入りのレストランだ。 8月に入って、コロナの規制も緩和されてきたので、タガイタイで日本食を探し回って、試しに行ってみた。しかし、どこも高いはまずいは量が少ないの三拍子で満足できなかった。そこで、このはつはな亭に行ってみたいと常々おもったいたのだが、ちなみに樹海はすでに閉店したとの情報を得ていた。  誕生会で、子供達も入れて8人で、はつはな亭自慢の個室を予約した。3年近く来なかったが、店構えはかつてと全く同じで、ホテルの入り口には大きなサンタさんが構えている。ママ・ジェーンは相変わらず写真撮影に忙しくていくら待っても店の中に現れない。 その間、メニューをもらって、キアンがいつも注文していたエビフライ定食を探したが、見当たらない。料理の値段は以前とさほど変わらないのがうれしかったが、ウエイトレスに聞いたら、定食メニューは昼間だけで、夜は単品だけだそうだ。そういえば、キアンと通ったときはいつもお稽古帰りの昼だった。ここのランチ定食は品数も豊富で、漬物、茶わん蒸しからソバまでついて、まるで懐石料理のようなのだが、残念だった。 パパ・カーネルもやってきてさて注文の段になって、刺身と寿司の盛り合わせに、新メニューのラーメン二つ、それにエビフライとエビ天ぷらとアドバイスした。ママ・ジェーンは、カーネルには、肉はだめ、焼き物もだめ、寿司は嫌だと、刺身しか注文するものは無くなってしまった。それで刺身二盛と巻きずしを注文することにした。 私としてはあこがれの刺身盛合せを注文してそれで満足だったが、エビフライ一辺倒のキアンが刺身や寿司にも手を出したのには驚いた。彼は、もはやハイスクールの12歳、最近、野菜も食べられるようになって、やっと幼児期を脱した感がある。 食事が一段落するとクッキーとココの幼児組が畳の部屋を走り回り、大騒ぎとなった。かつてキアンも走り回ったり、テーブルの下の掘り抜きに潜り込んだりして大騒ぎだったが、さすがのハイスクール一年生、落ち着いていた。 さて、まだ、7時半となると、このままでは帰るわけにはいかない。そろそろクリスマスで、恒例のアヤラトライアングルの電飾ショーを見に行こうということになり、まさに3年ぶりの電飾ショーにくりだした。 果たして恒例の電飾ショーはコロナ明けということで開催しているのかどうか、定かではないが、期待して行ってみると、確かに電飾が見える。期待して行ってみると、かつての規模からは程遠く、人の出もまばらだ。聞いてみるとこんなものだというので、帰ろうとすると、車で待っていたママ・ジェーンがこれからショーが始まると追い返されてしまった。 戻ってきて聞いてみると、今度はショータイムがもうすぐ始まるという。それで待つこと、15分、いよいよアナウンスがあって、始まりそうだった。そうするとあっちこっちで煙が出始めて、周りが良く見えず、クッキーの手をしっかりつかんで身構える。 まずは、壁にアニメの人形が映し出され踊っており、いわゆる電飾は、ちょっとだったが、レーザー光線らしきものが煙を照らして、7色の光の壁が揺れ動くという今までにはない趣向で、なかなか見ごたえのあるショーだった。 そのころになると人でも多くなり、中には音楽に合わせて踊りだす人もいた。コロナ過で3年近く、家に閉じこもっていた人々にとって、やはりこのような催し物が必要なんだとつくづく思った。 ちょっと時間がかかるがアヤラトライアングル電飾ショーの動画を参照してほしい。

はつはな亭とアヤラトライアングルの電飾ショー 2022年11月18日



NHK BSプレミアムの毎週火曜の夜の番組、ヒューマニエンスで最近「言葉」と「文字」という興味深いテーマを連続で取り上げていた。要は「言葉が人間の思考を育み、文字が人間の文明を育んで人間と動物の違いを生み出し、現在の繁栄をもららした」というのである。ホモサピエンスが発生して20万年、言葉により、人間の思考が大いに発達し、道具を作り、効率の良い狩猟や耕作を行って、地球を征服した。一方、文字は、ピラミッドの時代から5千年程度の時間しか経っていないのだが、その間に人類はそれまでとは比べられない速度で高度な文明を築き上げた。 言葉は十数万年の時を経ているためか、子供は2~3歳でかなり流ちょうに話すことが出来るようになる。そして言葉を覚えて、思考力がついて、人間として成長してくのだ。一方、文字については、幼稚園ないし小学校で、子供たちは「いろは」ないし「ABC」を徹底的に叩き込まないと覚えることができない。これは文字を覚えるというDNAがないので、脳に無理やり押し込まないとだめで言葉の様に自然に覚えるというわけにはいかないのだ。 文字が生まれて5千年というが、庶民にまで文字が普及したのは、ここ数百年にすぎない。要は、人間は文字などなくても立派に生きていくことが出来たのだ。文字はつい最近まで権力者に独占され、庶民は読み書きができなかった。言葉と文字の違いは、言葉は、その人が死ねば、すべて消えてしまうが、文字は時空を超えて、広範囲にそして長期間、情報を伝達することが出来る外部記憶装置として、積み重ねが可能で、文明を構築する重要なツールとなった。 ヒューマニエンスで次に取り上げてもらいたいのが、「数字」だ。子供たちにとって、数字は、多分文字よりも難解で、たったの0から9しかないのに、小学校、中学、そして高校と延々と学ばなけれならず、誰しも途中で投げ出してしまう。日本の大学受験でも、数学ある場合は、志望校/学科から真っ先に外してしまう人が多い。フィリピンにおいては、小学校低学年でギブアップして長い生涯を数字から逃げ回って暮らす人が大半だろう。しかし、この数字こそが、現在の超文明ともいえるコンピューターの世界での要なのだ。ちなみにコンピューターは0と1しか扱っていないのだが、その威力は誰しもスマホで思い知っており、スマホ無しでは一時も過ごすことが出来なくなっている。 この言語、そして文字、さらに数字まつわる人類史を目の当たりにさせてくれるのが子供達だ。我が家の女戦士クッキーは最近6歳になって、小学一年生で、オンライン授業を受けているのだが、3歳のころから母親、顔負けの言い争いができる子で、我が家のボスに上り詰めるのも時間の問題と思われた。しかし、パンデミックで幼稚園が閉鎖されてり、オンラインの家庭教師を雇っていたものの、文字の学習が滞っていた。しかも、クッキーは小学校に入学してから、6歳の誕生日を迎えたので、多分、一年、早く入学したらしい。しかもろくすっぽ幼稚園の授業を受けていないから、算数の授業に全くついていけない。優秀で飛び級というならまだしも、年齢をごまかして、一年、早く入学するなんてことは百害あって一利なしだ。 さらに数字となると、ちんぷんかんぷんで私に白羽の矢が飛んできた。しかし、数えることさえらくすっぽできない子供に、1たす1は2といくら唱えてもらちがあかない。まして、引き算や二けたの数字なんて夢のまた夢だ。私は幼児に数の概念を教え込むというノウハウは持ち合わせていないが、このままでは、文字はなんとか覚えたとしても数字に関してはご多分にもれず、九九もろくすっぽできない普通のフィリピン人ンなってしまいそうだ。 いくら教科書の一桁足し算や引き算を繰り返しても数の概念が無いのだから、馬の耳に念仏だ。そこで、たまたま置いてあったFireman Ladder(すごろくの一種)という遊びに目をつけた。サイコロを二つ使って出た目だけ進む。階段のところで止まると、上にあがれて、棒に止まると滑る落ちてしまう。これを大いに気にいったクッキーは、毎日やりたいやりたいとねだる。数百回も繰り返しただろうか、数というものがなんなのか、そして1から6の足し算はすらすらできるようになった。子供が知識を蓄えるには遊びが一番で、楽しいから覚える、いやいや、やらされたのでは、何の足しにもならないどころか逆効果だ。 しかし、オンラインスクールの方は、二けたの足し算や引き算に進んでいて、すごろくでは12までの数字しか出てこないから、クッキーは相変わらずちんぷんかんぷんだ。そして、コインを使って、買い物ゲームをすることにしたが、一ペソが10個で10ペソ、10ペソコインが5個で50ペソ、10個で100ペソ、さらに10ペソコインが5個と1ペソコインが3個で、53ペソとなるというようなことがクッキーには、どうしても理解できない。このままでは将来、お金が数えられない大人に育ってしまうと危惧される。 オンラインスクールといえば、二桁の足し算にバンバンと先へ進んでいるようだが、ママ・ジェーンはオンラインに後れを取らないように強制的に答えさせようとする。クッキーとしては、いくら怒鳴られてもわからないものはわからないから、対応のしようもない。挙句の果てには、ひっぱだいたりしていたが、まさに愚の骨頂で、クッキーは数字がトラウマになって、算数というだけで、逃げ回るようになるのは必定だ。その結果、自ら算数を教えることをギブアップしたようで、それ以来、口をはさむのやめて、兄のキアンに任せてしまった。 文字の方はどうなんだとキアンに聞くと、数字に比べてはましで、そこそこ上達はしているらしいが、ちょっと長い単語は読ませると、口でもごもご言ってごまかしているらしい。あれだけ流ちょうにしゃべれるのにと、変に感心するが、言葉の十数万年の歴史と文字の数百年の歴史の差なのだろう。一方、数字に至っては、フィリピンではまだまだ庶民レベルでは使いこなしているとはいいがたい気がする。しかし、今では計算機というものがあるから、なんとか辻褄を合わせることが出来ているようだ。キアンに至っては、幼稚園からの公文から始まって、パンデミックの3年間私がじっくり仕込んだので、なんとか追っついているようだが、クッキーについては、なるようにしかならないのだろう。 2019年11月生まれで、パンデミックの最中に育ったココは、つい最近まで、外出ということを知らず、家に閉じ込められていた。今日、3歳の誕生日を迎えるココ(Bernard 3rd、因みにキアンはBernard Jr.で実に親子3人が同じ名前なのだ)は、いまだに言葉を使ってしゃべるというには、ほど遠い。ようやく、周囲の人間をダダとかヤヤとか呼べるようになったところで、半年くらい前から、異常ではないかと、幼児の会話教室に週2回通わせられている。そのおかげで「what […]

言葉、文字、数字、そしてクッキーとココの苦行 2022年11月9日


10月29日(土)早朝、目を覚ますと風雨で外が騒がしい。前日、大型台風が近づいているという情報をえて、進路を確かめると、農場のあるビコールとマニラを直撃する見込みだった。しかし、大型とはいえ、広範囲なだけで、中心気圧は990パスカル程度、風速も30m程度で、さほど警戒するに値するものではないと判断された。早速、現在地を調べてみると、幸い、農場(赤マーク)を北に掠めたものの首都圏、そして私が疎開しているタガイタイ(赤マーク)を虎視眈々とうかがっており、29日夜半まで暴風雨が吹き荒れる見込みだった。 早朝、窓の外を眺めるとバナナの木が風前の灯の様相を呈していた。さらに、街灯用のソーラーパネルが風に吹かれてバタバタしていたり、2階のベランダに雨水がたまって、排水管を通して家の天井から雨漏りしている。そこでヤヤ(子守)とキアンが雨の中をずぶぬれになって、パネルを固定したり、ラバーカップで排水管の詰まりを取り除いたり、活躍してくれた。当方は、先日腰を痛めていたせいもあって高嶺の見物をしていたのだが、久々の事件でエキサイトぎみだった。 午後3時ごろには、いよいよ、台風が至近距離まで近づいたが、風雨は特に強くなることもなく、時間さえ立てば終わる問題と思えた。なお、台風通過後のビコールの農場からも連絡があって、バナナが数本倒れただけで、特に被害はないとのことだった。夜になると、停電となり、Wifiがないので、インターネットTVも見れず、相変わらず外は風雨でうるさいが、もはや寝るしかなかった。ちなみにこの停電は、特に送電施設に被害があったわけではなくて、台風通過前ないし通過後、一旦配電を止めて、送電・配電施設に異常がないか確かめて上で、配電を行うという電力会社の安全管理の一環として行われるものだ。動画をアップしたので参照してほしい。 翌朝、台風はすっかりおさまってすでに南シナ海に抜けていた。ルートを調べてみると、台風は、赤マークのタガイタイ直前で進路を北に変えて、北上し、マニラ首都圏を掠めて、再び進路を西に変えて、南シナ海に抜けていた。一方、台風被害は、セブのあるビサヤ地方とダバオのあるミンダナオ島に集中して、マニラ首都圏は、被害と呼べるものはなかったようだ。それでも29日の台風通過中は道路冠水で方々で交通が遮断されたとのことで、パパ・カーネルはタガイタイに来れず、31日にようやくやってきた。 翌朝、いつもの散歩に出てみると、ビレッジ中に木の葉が散乱していたが、被害と呼べるようなものは見当たらなかった。バナナはもともと木ではなくて草の一種なのでこの程度の風で倒れてしまう。しかし、すぐに新しい芽が出て成長するからかまわない。一方、南国の象徴のヤシの木は強風に対しては葉を落として、細い幹をしならせて風速60mにも耐えることができるすぐれものだ。 被害の中心は、ミンダナオとビサヤ地方で、洪水や土砂崩れのために死者48人、避難者36万人と報告されているが、ルソン島においては特に被害の報告は聞こえてこない。タガイタイで被害があるとしたら、土砂崩れだろう。しかし、ここの造成は自然のままの丘陵地形に道路を付けただけで、特に盛り土をして平らにしているわけではないので、その危険性も少ないと思う。その点、バギオは、かなり無理をして造成しているので、大雨による土砂崩れに被害は甚大になる。 台風22号パエンが去ったと思ったら、引き続き、23号(クエニー)発生のニュースが入った。ミンダナオ島の東にあり、さほどの被害をもたらすことは無いとのことだが、日本と違って、フィリピンでは11月、12月が台風シーズンでこれからが本番なのだ。 29日(土)の台風襲来日以来、フィリピンはハロウィンの1日(火)まで4連休となっている。したがって、この台風でいくら雨が降ったとしても休み明けの2日(水)には水は引いているはず、停電になったとしても回復しているとの読みがあった。しかし、過去、2006年の台風レミン、2009年の台風オンドイ、さらに2013年の台風ヨランダ級の台風に襲われると週単位ないし月単位のインフラの機能マヒが発生するので恐ろしい。 私の食卓に欠かせないアッチャーラ(未熟パパイヤの千切りの酢漬け、フィリピンの唯一とも言える漬物)の原料となるパパイヤは、種から育てて、やっとここまで育ったので楽しみにしている。未熟パパイヤは、消化、美肌に効果があり、完熟パパイヤは果物としておいしいし、まさに奇跡のフルーツだ。それがいくらでも只で手に入る日も近いのが、台風で根こそぎやられてしまうのが一番の心配だった。 バナナについては、日本でもブームで、これぞ南国のNO. 1の奇跡のフルーツと言える。パパイヤほど手軽の作れるわけではないが、一旦うえれば、ほっておいても、どんどん増えて、かなり大量の実をつけてくれるので、うれしい限りだ。

台風22号パエン襲来 2022年11月1日