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2021年6月15日追記:6月14日フィリピン政府(IATF)は、16日から30日までの全国の防疫区分を、首都圏はGCQ(制限緩和)に変更/延長し、一部の州と市町を一段階厳しいMECQに指定しました。緊急大使館情報(2021.06.15)参照。さらに各防疫区分における規制の詳細を発令しました。緊急大使館情報(2021.06.15-2)参照。 全国の感染者数は相変わらず6000人を超える高止まりの傾向で、新規感染の主役は地方に拡大されつつあり、ワクチン接種が遅々として進まない中、まだまだ予断を許さない状況となっています。 一方、6月10日、ワクチンを接種完了した者の入国ならびに移動(高齢者)について6月16日からの取り扱いについて発令しました。緊急大使館情報(2021.06.11)参照。高齢者の移動についてはIATF決議118-A号の規定の範囲内となっており、そこではGCQに指定された区域からMGCQに指定された区域への移動であって、一般的な外出を許可するものではないので注意が必要です。IATF決議118-A号(抜粋)参照 2021年6月8日追記、6月11日改訂: 6月3日、フィリピン政府(IATF)は、SRRV保有者のフィリピン入国に当たって、EED(Entry Exemption Document、入国制限免除書類)の入管への提示を不要とすることを発令しました。これにより退職ビザ保有者も他の長期ビザ保有者と同等の条件でフィリピン出入国が可能になったわけです。面倒な検疫隔離措置は継続されるものの、EEDの取得は至難の業であり、実質的に入国制限が継続していたのですが、それが不要になって、昨年3月の封鎖以来の念願がかなったことになります。緊急大使館情報(2021.06.05.)IATF通達119(抜粋)参照。 PRAからは、6月7日に通達とPRA長官の挨拶文がEメールで各退職者に通知されましたが、それによると、フィリピン出国に当たっては、従来通りトラベルパスをPRAから取得する必要があるようです。PRA通達No.01-06-2021(EED)、PRA長官挨拶状、PRA通達NO. 02-02-2021(トラベルパス)参照。 さらに、6月8日、入管より、ACR Iカード(外国人登録証)が未発行の場合でも、入国が可能との発表がありましたが、これは、入管が直接発行している、クオータビザ、婚姻ビザ(13a)、9gビザなどの話であって、SRRV保有者は、もともとACRを免除されているので、関係のない話で、無視して結構です。緊急大使館情報(2021.06.09)参照 2021年6月1日追記:5月31日、フィリピン政府は、首都圏の隔離規制を、6月15日までGCQのままに据え置くと発令しました。緊急大使館情報(2021.06.01)参照。現状の感染状況に目だった改善がなく、全国で6000人/日以上の感染者が発生している状況で、規制緩和の声は上がっていないようです。なお、地域によっては、一段階厳しいMECQに指定されています。 2021年5月14日追記:5月13日、フィリピン政府は、首都圏の隔離規制をMECQから、5月31日まで一段階ゆるいGCQに変更すると発令しました。緊急大使館情報(2021.05.14-2)参照。4月4日に発令されたECQからMECQを経てようやくもとへ戻ったわけですが、これで多少の庶民の生活が戻ってくることになりますが、対面授業の禁止(現在は夏休み中)、高齢、若年者の外出禁止、レストラン、映画館等の制限つき営業などは継続されます。緊急大使館情報(2021.05.14-3)参照。しかし、その後の隔離規制はひとえに感染の状況になるわけですが、さらにMGCQへの緩和が期待されます。 同じく、5月13日、PRAは50歳以上の退職者に限ってSRRVの発効を5月17日より再開する旨の通達を発行しました。緊急大使館情報(2021.05.14-1)、PRA UPDATE(2021.05.13)、PRA通達NO.01-05-21(1)、同(2)参照。SRRVは昨年の10月以来、発行が停止されていたのですが、半年振りの再開となります。ただし、50歳未満は将来どうなるのか、今回の措置は臨時の措置なのか、など明らかにされていません。さらに特に規則の詳細については何も触れられていないので、現状、従来の規則がそのまま踏襲されるものと判断されます。また、申請書類一式を事前にE-メールで送付してレビューを受けて、申請時の混乱を防止するよう強く求めています。 […]

お知らせ 2021.06.15



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年明け、感染状況が落ち着いてきて、外国人の入国が緩和され、2021年2月16日より基本的に有効なビザを保有している外国人の入国が可能となった。マニラ首都圏のコロナ隔離措置もGCQからMGCQへと緩和されるものと期待され、いよいよ庶民の生活が戻ってくるものと胸がふくらんだ。ちなみにフィリピンのコロナ隔離措置は4段階に分類され、一番厳しいのがECQ(Enhanced Community Quarantine)で、以下 MECQ(Modified CQ)、GCQ(General CQ)、 MGCQ(Modified CQ)でMGCQにいたって、かなり自由な行動が可能となる。ちなみに上から3番目のGCQあたりが、日本の緊急事態宣言に相当し、一番厳しいECQにいたると、いわゆる封鎖(ロックダウン)であり、ほとんどすべての経済、社会活動が停止され、庶民は自宅に軟禁、街はゴーストタウンと化す。 しかし、結局、いまだ時期尚早ということで、3月1日からのコロナ隔離措置はGCQが維持されることになったが、昨年の3月15日から始まったコロナ隔離措置(ECQ=封鎖、ロックダウン)以来、一周年を迎えることとなった。ところが3月後半になって、首都圏を中心に新規感染者が急増してフィリピン全体で毎日1万人を超える状況となり、3月22日、一部例外を除いてフィリピン人を含む外国からの入国を一ヶ月間禁止、さらに4月4日から11日までの一週間、首都圏はECQが発令された。まさに、一年前の封鎖(ロックダウン)に逆戻りしてしまったわけだが、欧米ではワクチンの接種され始めた状況で、規制緩和の期待が大きかっただけに、庶民の落胆は大きいものがあった。しかし、ドテルテ大統領の強力な指導力のたまものか、暴動のような社会不安には至らなかった。 このままでは経済、庶民生活がなりたたず、コロナ感染による死亡よりも餓死者のほうが多くなるという経済界の圧力のせいか、その後、4月12日からはMECQへと一段階、緩和され、5月1日からはフィリピン人はもとより外国人の入国も有効なビザを保有している限り可能となった(ただし、SRRVと9aビザおいては外務省からの入国許可書-EEDが必要)。感染者数も減少傾向を見せており、ワクチン接種も開始されたので、コロナ規制もMECQからGCQさらにはMGCQへ緩和され(その後、5月15日からGCQに緩和された)、外国人の入国も、従来のようにビザ無しで自由に行き来できるようになることが期待されるところだ。しかし、インド変異種の拡大も報じられているので、まだまだ予断は許されない。 封鎖一周年などと浮かれていた3月20日過ぎ、首都圏の感染が急拡大していたおり、同居人のママ・ジェーンから陽性だったと告げられた。我が家では唯一彼女が買い物などの外出可能で、他の者はこの一年、クリニック以外は外出できない、まさに自宅軟禁状態だった。ウイルスの感染源は彼女か、あるいは郵便物か食材等の配達人のいずれかだ。直後、私は具合が悪くなり、キアン(10才)は高熱、二人のメイドのうち一人は2週間ほど入院するはめになった。検査の結果は、国家警察幹部のご主人が陰性だった他は、全員陽性、ただしクッキー(4才)とココ(1才)の幼児二人と二十歳のメイドは無症状だった。キアンの高熱は一日で下がり、ジェーンもほとんど無症状だったが、市役所の指示にしたがって一週間ほど部屋にこもって自主隔離をした。ジェーンが隔離で、メイド一人が入院で家事戦線を離脱、残されたメイド一人が幼児二人と寝たきりの私の世話、そして家事全般をこなさなければならないという、まさに、ジェーンの戦線復帰までの一週間は家事崩壊の危機だった。 問題は、高齢者の私なのだが、熱はないが、トイレに行くだけで息が切れて、横になっていても呼吸が今一難しい、まさに肺炎の症状だ。嗅覚や味覚は正常だが、食欲がなく、上向きでベッドに横たわっているしか術がない。医者には往診してもらったのだが、取りあえず自宅で療養して重症化するようだったら入院するよう告げられた。しかし、マニラの主要病院のベッドは満杯で、数十人の順番待ちがあり、入院することさえままならない、まさに医療崩壊の状態のようだ。さらに、なんとか入院できたとしても保険制度がお粗末なフィリピンでは、症状により入院費は数十万ペソから数百万ペソの自己負担で、コロナよりも返って恐ろしい。 幸い3週間程度で症状も治まって、検査も陰性となった。しかし、家の階段の上り下りも息が切れ、ほとんど体力がなくなっている。いわゆるコロナ後遺症で、この状態が回復するには数ヶ月かかるそうだが、さらに2週間養生して、一日、1~2時間の在宅執務が可能となとなった。しかし、コロナ後遺症で血栓が出来やすくなっており、無理をすると脳梗塞や心筋梗塞などの致命傷になりかねないと、経験者の退職者からアドバイスを受けた。血栓の原因となるのは、長時間椅子に座っての執務なので、最長一時間程度に限定する必要があるそうだ。しかし、体力が回復するにつれ、つい執務をしたくなるのを、思いとどめて、休む/怠けるというのも辛いところではある。ちなみに、この一ヶ月あまりで10kgほど痩せてガリガリになってしまった。 5月に入って外国人への無料ワクチン接種も可能と報じられた直後に、市役所からワクチン接種の案内メッセージが携帯に届いた。場所と時間が指定されていて、その時刻に行って見ると、多くの高齢者が並んでいたが、一時間半程度で接種をすませた。日本のように予約もへったくれもない、事前の登録と身分証明書を提示するだけのファースト・カム・ファースト・サービスだ。日本もフィリピンのように、予約など、いっそ無くしてしまえば、予約殺到の混乱も起きないはずだ。また、心配していた外国人であることも関係なかったが、もっとも、外国人であろうがなかろうが、同じく感染源になるのだから除外するとしたら、まさに本末転倒というものだ。 接種会場にはマカティ市では「2万人が接種済み」という横断幕が掲げられていたが、接種を進めることが市の最重要課題となっているようで、職員は皆、熱心だった。ジェーンによると、私が受けたワクチンはロシア製のスプートニクで数日前に届いたばかりのものだそうだ。効果が50%程度といわれている中国製でなくてほっとしたが、因みに接種に当たって、当方がワクチンを選択する権利はない。 […]

コロナに感染してしまいました 2021年5月13日掲載、6月7日、13日追記


東日本大震災から明日で10年を経ようとして、日本のTVは、その話題で持ちきりだ。一方、マニラ・コロナ封鎖は15日で一年を迎えようとしている。この封鎖で開店休業となって時間をもてあまし、キアンの算数の家庭教師をかって出た。あれから一年近い歳月、ほとんど毎日一時間ほどのレッスンで、ようやくキアンがオンラインテストで満点を取って結果を出してくれたのだ。キアンの喜びようは尋常ではなかったが、それよりも、私自身、よくここまで我慢してやってきたものだと、自分を褒めてやりたくなるほどの感激だった。今年に入ってから、コロナ/PRA/SRRV関連以外にブログのトピックになるような話題はなくて、すっかりご無沙汰していたのだが、ようやく筆を執る気になるニュースだった。参照ブログ「封鎖中はキアンの家庭教師に再就職 2020年4月25日」 昨年、キアンの算数レッスンを開始した当初、九九が完璧でないこと、一桁の+-に指を使うことなど、小学校低学年での算数学習の基礎がなっていないことに気がついた。これは、3年前に私自身が教えることをギブアップしてしまって、家庭教師に任せてしまったのが原因だ。今更、後悔しても始まらないし、もはや手遅れだが、いまや四則演算は計算機がやってくれる時代なのでおおきなハンディになることもないだろう。 4年生の教科書が学校においてあって、封鎖で取りに行けないので、Beastというオンライン算数問題集でレッスンをはじめた。4年生の復習を主に行なったのだが、オンラインなのと、式や計算を紙に書いてやる習慣が不十分なので、暗算で出来ないと、すぐにギブアップして、思いつくままに適当に回答してしまう。キアンは、学校の試験は四択(a,b,c,d)だから、でたらめに選んでも25%は正解となることを知っているのだ。 そこでしつこくしつけたのが、まずは式を紙に書け、そして計算の手順を書いて、回答を導け、決して暗算を頼りにするな、である。一桁の四則演算も暗算でろくすっぽ出来ないくせに、文章問題を暗算でこなすなんて10年早い。また3桁以上の計算になると、きちんと紙に書いて計算できないので、位取りが混乱してしまって、正解を導くことができない。 ここ数ヶ月はキアンが大きらいという分数に挑戦した。足し算引き算に必要な通分や計算結果の約分、私自身、算数に関わる英語がわからないので、その概念を教えるのに苦労した。教科書には詳しく概念を教えてあるのだろうが、その教科書がないので、どうにもならない。 そして分数の掛け算・割り算に進むと、何故、割り算は分母と分子をひっくり返して掛け算をすれば良いのか、なかなか覚えてくれない。その時はテクニックとして覚えても、次の問題に移ると、掛け算も割り算も同じになってしまう。私としても、これは繰り返して叩き込まなければならないと覚悟して臨むのだが、つい、アホかと声を荒げてしまう。 そうなるとキアンは萎縮してしまって、ちんぷんかんぷんになってしまう。これを脳みそという言葉の連想からみそスープと名づけ、脳みそがみそスープになると、キアンは思考が停止してしまうだ。 キアンの勉強の敵はクッキーだ。遠慮という言葉を知らないクッキーは算数レッスン中でも平気で、キアンの邪魔をする。時には、私がキアンが算数のレッスンを行なうことを拒否する。強引にやったとしても周囲で大騒ぎするのでキアンの脳はみそスープになって意味がない。 ママ・ジェーンは「クッキーがいたくらいで気が散って勉強ができないなんてことは許されない」と精神論を唱えて、クッキーの邪魔立てを放任した。最近は、さすがにクッキーの邪魔立てがどんなものか、身を持って知ることになり、キアンがオンラインスクールや算数レッスンでしているときは邪魔をしないようにクッキーを注意するが、それにさえ歯向かうクッキーなのだ。 そんなわけで、家庭内で孤立気味のクッキーはパパカーネルが帰宅してハグをしようとすると、「ウイルスがいるから、まずはシャワーを浴びて来い」と怒鳴る。さすがカーネルは冷静にクッキーに従うが、私ならはったおしているところだ。 一方、1歳と4ヶ月目を迎えたココは、部屋をヨチヨチと走り回って、周囲の喝采を浴びる人気者だ。私の部屋を訪れるのが大好きで、ひとしきり私の周りのものを投げ散らかして遊んでゆく。しかし、それにクッキーが加わると、わざと叫び声を挙げたり、他人が嫌がることをやる、典型的な嫌われ者役で、私の顔はしかめっ面のままだ。それに対して、クッキーは”I don’t like your […]

コロナ封鎖下、苦節一年、キアンの快挙 2021年3月10日



2月末、マニラ首都圏は現状の封鎖措置(GCQ)が3月末まで延長されることが発令された。誠に残念ではあるもののワクチン接種も開始されていない状況ではやむなしとの声が多数だ。これで、めでたく(?)封鎖措置も一周年となり、高齢者と子供達にとっての外出禁止措置による自宅軟禁状態が2年目を迎えることになった。 一方、2月4日に発令され政府通達(IATF No. 98)による「外国人の入国緩和措置」については、いつもながらとは言え不明瞭な記述で大いなる混乱を呼び起こし、その後、PRAは、その対応に追われることになる。以下、通達の原文そのままを掲載する。 B. 1. Beginning February 16, 2021, the following shall be included/added […]

PRAの正念場そして退職者の試練 2021年3月6日


年末のコロナをめぐる動きはめまぐるしいものがあった。12月17日には、「その日以降に出国した9Gビザ(就労ビザ)保持者は、再入国が許される」という通達が発令された。すでに入国が許可されていたSIRV(投資家ビザ)、47a2(Pezaビザ)、9d(業務査証)等の業務関係のビザの総仕上げといったものだったが、「その日以降に出国したものに限る」という、なんとも解せない条件付で、現在、9gビザで再入国を心待ちにしている外国人にはなんとも不公平な決定だった。しかし、次はSRRVそして9a(ツーリストビザ)の番だと、いよいよ外国人の入国禁止措置が解除されるときが近いと期待させるものだった。 フィリピンの感染者数は全国で1000人/日を割り始めて、徐々に収束の兆しを見せているものの、ヨーロッパをはじめとする世界の感染者は第一波をはるかに上回る感染者数となっており、再封鎖という処置をとり始めている。日本の感染者数もうなぎのぼりで、至近では、ついに6000人を超え、フィリピンの6倍という数値になった。そのため、再度、緊急事態宣言が発出される見込みとなっている。 そんな状況で、9gビザ保持者の入国緩和措置から2週間もたたない12月29日には、日本、アメリカを含む主要な国々(20カ国、その後28カ国に増加)発/経由の一切の外国人の入国を禁止するという、一気に最悪の封鎖ともいえる規制が発令された。これは、イギリスに端を発するコロナウイルスの変異株の発生に対する水際対策だが、日本でも、ほぼ同様の規制が実施されている。さらに同日、首都圏の現状の規制(GCQ)を1月31日まで継続するという決定がなされ、ついに2年越しの自宅軟禁となってしまった。いつまでコロナと付き合わなければならないのか、気が重くなるが、ワクチンの接種も始まっているので、早期に、コロナを封じ込めるところまで到って欲しいものだ。 そんなおり、24日(木)のクリスマスイブから27日(日)までパパ・カーネルの休みが取れるので、一同タガイタイに疎開することになった。誰もいなくなったマニラの家に私一人がすごすことも出来ないので、車の中だけに留まって外に出ないという条件で同行させてもらうことになった。私にとってみれば、タガイタイに行っても、違いは、せいぜいビリッジの中の散歩ができるだけで、テレビもパソコンもないので、時間をもてあまして、やることはキアンとのトランプ遊びしかなく、気は進まないが、しぶしぶと言ったところではある。タガイタイ訪問がようやく実現した 2020年11月23日 クリスマスイブは、キアン念願のバーベキューで、急遽出署していたパパ・カーネルも戻って来て、それなりのクリスマスイブとなった。問題は、クリスマスのあと、正月明けまでタガイタイに滞在するとママ・ジェーンが言い始めたことだ。クリスマスの4連休のあと、28(月)、29日(火)の2日間を挟んで30日(水)から翌年の3日(日)で5連休となる。役所は、ほとんどの職員がクリスマスの4連休と年末年始の5連休をつなげて11連休をとってしまうので、機能していない。したがって、あえてマニラに戻る必要性はないと言う訳だ。 当方としては、携帯で最小限のコミュニケーションを取れるものの、やりかけの仕事もあって、そう簡単に「はい」と言うわけにはいかない。しかし、時節柄、急ぎの仕事もさほどなくて、調整可能と踏んだ。しかし、さらに一週間タガイタイに滞在するとしてもどうやってすごすのかが問題だ。一方、知らぬ間に小さなテレビを持ってきてあったので、インターネットTVの機器をマニラから持ってきて、日本のテレビを見れるようにするという条件で、OKとした。インターネットTVを設置しました 2020年11月2日 どうやってインターネットTVの機器を持ってくるかが問題で、同行したボボイ(ママ・ジェーンの弟)に運転してもらって、マニラに取りに行くことを考えていた。しかし、それに対してはジェーンからコメントが入った。年末年始はパパ・カーネルは多忙なため不在だ、そして、私がボボイと車を使って半日留守にしたら、車も男手も無しで、女・子供だけでは、不安だというのだ。一方、パパ・カーネルはマニラの首都圏警察署にいるので、彼ないし彼のボディガードが機器を取りに行ってくれるということで落着した。 また、新年早々のイベントである、1月4日(月)に到着予定のボルテスVの受取に立ち会えない恐れもあるので、対面のメイドさんにも受け取りを依頼した。3日間の滞在が10日を越えるとなると、何かと段取りが大変なのだ。ボルテスV(ファイブ)の話題 2020年11月28日 子供達の日々の楽しみは、マニラでは出来なかった散歩だ。天気が良いと、さすがに暑いので、早朝か日が陰る夕方が絶好だ。曇り空ならいつでもいいのだが、涼しいを通り越して寒いと感じることさえある。因みにエアコンはマスターベッドルームにあるだけだが、夜間、エアコンが欲しいと感じたことはない。ただし、なんとなく湿っぽさを感じることが多い。 散歩の楽しみは、意匠をこった豪邸や塀際の花々を眺めることだ。このビレッジには有名人も多く別荘を持っているそうで、目を見張るような豪邸が建ち並んでいる。夜になるとクリスマス・イルミネーションが美しいだろうが、子連れで夜遊びは憚れるところだ。 因みにビリッジは、丘陵地帯にあるので、坂が多い。キアンの体重は50kgに達してしまっているので、帰りに急坂に通りかかると、ぜいぜいと息を切らし始め、音を上げて、後ろから押してくれとせがむ。私としても、一昨年の肺炎での入院以来、激しい運動が苦手になっており、さらにここ9ヶ月を超える自宅軟禁で体がなまっており、ほんの30分程度の散歩でも息があがるという、ていたらく。お互い様なので、私はキアンに手を引いてくれとせがむ。 無事にインタネットTVの機器を手に入れて、日本のTV(NHK、BS、民放)が現在と過去の番組が見放題となり、これで時間がつぶせると喜んだ。しかし、それを邪魔する敵が現れた。うまく映らないのでキアンの助けを頼んだのが間違いで、キアンは、機器の使い方をいろいろトライしてユーチューブを見つけだして、チャンネル権を奪われてしまったのだ。 そして、さらに現れた敵がクッキーだ。客が来るからということで、ゲスト・ルームを追われて、地下にある部屋(斜面に建てられているので地下といっても前面にはパイナップル畑が広がっている)に移ったのだが、そこにGlobe […]

クリスマス、年末年始は、タガイタイに疎開2021年1月7日



台風19号ロリーにより甚大な被害を被った農場の片付けと樹木や屋根の修復も一段落してきた。しかし、上流側の洪水の元凶となった水路の道路横断部の修復については、難工事であり、手がついていない。農場を横断している水路自体はさほどの規模ではないのだが、台風で水かさが増すと、信じ難い大量かつ巨大な流木が流れてくる。道路の下に埋められている3本の既存のパイプカルバートでは手に負えず、いとも簡単に詰まってしまい、上流は洪水と化してしまうのだ。以下の写真により、状況の把握ができたものの、既存の道路横断部の構造が不明なので、いかにするべきか逡巡しているところだ。 修復の方法としては、下記の2案が考えられるが、現地の状況を十分把握して決定する必要があり、次の台風シーズンまでの宿題として残すことにした。 ①道路横断部の既存のパイプ・カルバートを全てを撤去して、3mx3m程度の断面を持つボックス・カルバートを建設する。その場合、パイプと道路の間が土か砂利で埋め戻されているのであれば問題ないが、コンクリートで埋め戻されている可能性があり、撤去費用が膨大になる恐れがある。 ②3本のパイプのうち、上の2本のパイプは道路を支える役割を持たせて残しておいて、下のパイプをはつって、さらにその下に掘り込んで、2mx2m程度ののボックス・カルバートを建設する。この場合、既存の橋の部分を2本のパイプと共に残すため、トンネル工事になってしまう。その場合、道路と2本のパイプの間の埋め戻しが土か砂利だとすると工事中に崩落する恐れがあり、事故のリスクがあり、上記の①案を採用しなければならなくなる。

台風襲来 その2 水路の道路横断部の修復計画 2020年11月28日


ボルテスVときいてもわかる人は、あまりいないと思う。977年から78年にかけてTV放送されたロボットが主役の子供向け番組なのだが、フィリピンでは、このフィギュアがいまだに人気商品なのだ。 1989年、私がフィリピンに駐在したとき、フィリピン人社員が、日本語研修で、はじめてボルテスVの主題歌の意味を知ったと感激して、私の前で合唱してくれた。そのころ彼らは20代なので、11年前にボルテスVが放映されていたころは10代でTVにかじりついて楽しんでいた世代で、意味もわからず主題歌を暗記して唄っていたのだ。私としては、マジンガーゼットやガンダムは知っていたが、ボルテスVなどはきいたこともなかった。 それから30年経過した現在、数ヶ月前にパパ・カーネルからボスの55歳の誕生祝にボルテスVのフィギュアが手に入らないかと頼まれた。しかも、首都圏警察署長にプレゼントするのだから、フィリピンではなくて日本で買った純正品で、来週までにと期限を切られてギブアップした。ボスは、いかなる誕生日プレゼントの受取も遠慮するが、ボルテスVだけは別だと宣言していたらしい。 カーネル自身も当時、8歳の少年だったので、ボルテスVの思い出は共有しているはずだ(そのころ家にTVがあればの話だが)。そのため今月、カーネルの51歳の誕生日にそのボルテスVのフィギュアを贈ろうかと考えた。息子が、12月早々に新発売される6万数千円のバンダイ製のフィギュアを発見してくれて、しかも、フィリピンにまで配達してくれるという。多分、こんな高額なフィギュアを今になって新発売するということは、フィリピン市場では、特に未だ、よほどの人気があるのに違いない。注文してみると、本体は55,777円、送料は11,400円で目論見どおりなのだが、税金が22,168円というのは予定外だった。合計で、89,345円とは、もはや玩具の範疇ではない。 放映から43年経過した今、そのころ10代だった少年は50代となり、社会を牽引する要職についているはずだ。その一人が首都圏警察のトップであり、今月、フィリピン国家警察の長官についたパパ・カーネルのボス(フィナス長官)だ。フィナス長官が地方の警察署を訪問すると、警察の楽団が通常のマーチではなくて、ボルテスVの主題歌で迎えなければならないそうで、フィナス長官はよほどのボルテスVのファンのようだ。 ドテルテ大統領の右腕として麻薬戦争を指揮した国家警察のデラロサ長官は引退して現在、上院議員となっている。その後をついだアルバヤルデ長官は昔、麻薬ビジネスに関わっていたという疑いで失脚した。そして今年の初めに就任したガンボア長官が定年(55歳)で退任し、今月、カーネルの直属の上司だったフィナス長官がトップに就任した。そのフィナス長官も来年定年で退官するという、めまぐるしく長官人事が変遷している。首都圏警察で序列3位で50歳を超えたカーネルにも、首都圏警察のトップ、そしてフィリピン国家警察のトップへと出世していく機会が大いにあるわけで、かつての直属上司が国家警察のトップという今が、正念場というわけだ。 そのために、このボルテスVのフィギュアがフィナス長官の退官のプレゼントとして大いに役に立ってくれそうなわけだ。先日の台風被害で、その修復に金がかかるので、一旦、誕生日プレゼントは中止としたのだが、上記の事情から、橋の修復を後回しにしてボルテスVのフィギュアを優先することにした。

ボルテスV(ファイブ)の話題 2020年11月28日



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ここの所、観光地への訪問に関するコロナ規制が大分緩和されて来ているが、私のタガイタイ訪問は、お預けとなっていた。毎週、土日は一歳のココとヤヤ、それに私が家で留守番をして、キアンとクッキーはパパ・カーネルとママ・ジェーンの4人でタガイタイのマンション(キアンの呼び方で、豪邸を意味する)に泊りがけで出かけるのが日課になっていた。カーネルとしては、毎週、たった一日だけ家族と過ごせる時間を水入らずで楽しみたいということなのだろう。 そして21日の土曜日がやってくると、キアンから「小言を言わないという条件でタガイタイに招待する」とママ・ジェーンの伝言を持ってきた。無条件での招待ではないので、「キアンが一緒に来て欲しいと望むならば、行ってもいいよ」と返事をした。例え行ったとしても、往復は車に軟禁で、終日、家に閉じこもっていなければならないのであれば、テレビもない状況では、退屈してたまらず、ちょっと乗り気になれない。 しかし、9ヶ月ぶりのタガイタイ・マンションがどうなっているかは興味があった。それにマカティの家にいたとしてもテレビを見ることくらいしかやることがないので、同じことだ(ただし、大相撲の千秋楽を見れないのはちょっと残念ではある)。しかし、新しく来たヤヤもいれて、二人のヤヤと一歳のココが同行すると聞いて、彼らが行ってしまうと家には私しか残らず、食事にも事欠くので、私一人を残すわけにもいかず、条件付招待となったものと悟った。 夜の8時過ぎに出たので、到着は11時近かったが、途中、SLEX(South Luzon Expressway)のスカイウエイ延伸工事の橋桁落下事故で、反対車線は延々と渋滞が続いていた。帰りのことが心配になったが、幸い杞憂で翌日の帰還はスムーズだった。ちなみにこの落下事故でスカイウエイ延伸工事の年内完成が来年にずれ込んでしまうとのこと。 タガイタイに到着してただちに寝たかったのだが、なぜか、同行した二人のメード(ヤヤ)による、片付けが始まって、ベッドにたどりつけない。家の中は、住居のセットアップの品物が、所狭しとおいてあって、私が小言を言わないという条件が飲み込めた。おまけに部屋数は4つあるものの、合計で二つしかベッドがない。要は同行した8人が寝るだけのベッドが整っていないだ。 結局、ベッド台とマットレスを別にして、私は、床に置いたマットレスでキアンと寝ることになった。この年で、床に寝るのは立ち上がるのにかなり苦労するが一晩なら我慢できる。要するに、他人を招待するような準備は、全く整っていないというのが、ここ2ヶ月、私が近寄れなかった理由だったのだ。しかし、ベランダへの戸を開けて寝ると、網戸を通して涼しい風が入ってきて、まさに高地のタガイタイの真髄を感じることができた。 朝食は、パンにミルクのみ、普段の自己流精進料理はない、これは折込済みなのだが、つい、昔に戻って、三切れの食パンとコップ3杯の牛乳を摂ってしまって、昼まで消化できず、胃がもたれてしまった。普段の食事との違いに胃がびっくりしてしまったらしい。 それで、キアンとクッキーを連れて、散歩にでかけたが、別荘地帯なので、すれ違う人もほとんどおらず、ビレッジ内ならばマスクをつけずに歩き回ることができる。しかし、タガイタイの山地を造成したものなので、ところによっては歩くことも容易でないほどの急坂で、息が切れた。30分ほどして戻ってきた時は、かなりの疲労を感じた。8ヶ月も外に出ないで自宅軟禁の状態だったのだから、無理もないことだ。 ママ・ジェーンがランチの材料を調達に行くというので、車の中で待つという条件付で同行した。タガイタイ・ランチ遊園地やマホガニー・マーケットなどの観光スポットを観察することはできなかったが、日曜のせいで、道路はかなりの交通量で、不滅のリゾート・タガイタイの雰囲気があった。 真昼間に外を歩くのは、暑くてちょっと憚れるが、朝夕は涼しくて、これでレストランや遊園地、それに豊富な果物で有名なマーケットを訪れることができるとしたら、マニラから2時間ほどで訪れることが出来るタガイタイは、まさに別荘として、週末を過ごすには理想的だ。 夕方になって事件が起きた。クッキーが手を敷地への入り口の鉄製のドアに挟んでしまったのだ。これは痛いとは思うが、よほど強くドアを締めたのか、いつまでたっても泣き止まない。手を動かすことが出来るので、骨折ないし骨にひびが入っているほどではなさそうだ。泣き声にパパ・カーネルが心配して、慎重に手の様子を調べたが、かなり時間をかけていたが、そこで、お咎めがキアンに落とされた。そばにいて妹にこんな怪我をさせるのはけしからん、ということらしい。 私や二人のヤヤもそばにいたので、責任を感じるが、ママ・ジェーンも加わって、叱責が続く。痛みがとれてきたクッキーはけろっとしているのだが、両親の叱責を受け続けたキアンは、涙をためて、口答えもできず、神妙にしている。責任を一心に背負っているキアンに同情するしかないのだが、どうもクッキーが「キアンのせいで...」とキアンを陥れたらしい。 そんなこともあって、8時過ぎ、ようやく帰宅の途についたが、車は3列席で、前にパパ・カーネルとママ・ジェーン、中列に私とキアンとクッキー、後ろに、ヤヤ二人とココ。私とキアンの間にクッキーが座って、さっさとキアンの膝枕で寝入ってしまった。キアンとしてはうっとうしくて仕方がないのだが、この状況で文句を言うわけにはいかない。 […]

タガイタイ訪問がようやく実現した 2020年11月23日


3月のコロナ・ロックダウン開始以来8ヶ月目を経過し、日本やヨーロッパでは最悪のシナリオとも言えるコロナ感染第3波に突入した。そして、感染終息の見通しが見えないまま、早期のワクチン開発に望みを託すしかなくなっている。一方、ここしばらくはコロナよりもアメリカの大統領選挙が世界の耳目を集めていた。トランプかバイデンか、どちらが勝とうが目の前のコロナを追い払えるわけではないし、トランプの引き際の悪さが目だっただけの選挙戦だった。一方、当方ないしフィリピンにとっては、さらにそれよりも大きな事件がのしかかってきた。それは、3週連続の台風襲来だ。 わが農場のあるルソン島の最南端、ビコール地方はいわゆる台風銀座で、台風の襲来がない年はない。しかし、今年のように3週連続ということは私の知る限り過去になかった。台風18号(キンタ)、19号(ロリー)、そして、22号(ユリシーズ)が10月25日、11月1日、そして11日と立て続けにビコール地方に上陸したのだ。台風18号(キンタ)は名前からして小物で取るに足らなかったが、19号(ロリー)は今年度世界最強のスーパー台風と称され、2006年の台風レミンを髣髴させた「雑記帳 ビコール地方を襲った台風レミンの被害」。さらに、台風22号(ユリシーズ)は雨台風で、2009年首都圏全域を浸水させた台風オンドイに匹敵する洪水を首都圏そしてルソン島北部にもたらし、現在も浸水状況をテレビが報道している「集中豪雨でマニラは水浸し 2009年9月27日」。ドテルテ大統領が両台風の被害を視察して、緊急事態宣言を発令して国家的支援を決定したが、焼け石に水の感はぬぐえない。 台風18号(キンタ)が上陸したのが10月25日(日)、「ビコールにある我が農場の樹木は総崩れになってしまい、すぐさま復旧して次の台風に備えないといけない」との知らせが入った。そのためにまずは先立つものが必要と準備をしていた矢先、次の日曜、11月1日にはスーパー台風、19号(ロリー)が直撃するとの情報だ。農場を直撃した台風ロリーによる被害状況の詳細がわかったのは、一週間後の8日になってからだった。現地では電気、携帯の電波、水などすべてのインフラが機能を停止して、生き延びるのがやっとだったらしい。 農場被害の報告が来たころになると、今度は22号(ユリシーズ)が襲ってくるというので、泣きっ面に蜂、さらにヒアリが噛み付いてくるような状況に恐れをなした。しかし、ユリシーズは幸い北にそれて、農場直撃は免れた。しかし、その分、マニラ首都圏を直撃して、11日夜半、明け方近くまで、強い風と雨が吹き荒れた。その結果、翌日はマニラ北部のマリキナ市一帯の住宅地が2階まで浸水するという、台風オンドイの記憶を呼び起こす洪水被害を引き起こした。さらにルソン島北部のカガヤン山地でも広大な地域が水につかった。我が家はマカティでも少し高いエリアにあるので、全くの被害はなく、インターネットが繋がらない程度だったのは幸いだった。 一方、この時期は、一族の誕生日が目白押しだ。10月26日はクッキー4歳の誕生日、11月9日がココの一歳の誕生日(一歳の誕生日は、フィリピンの子供にとっては、もっとも重要なイベント)だ。さらに11月15日(本日)はパパカーネル51歳と続く。しかし、時節柄、お祝い事は最小限にして、ビコールの農場の支援と復興に資源を集中することとした。もっともコロナの制限で我が家に人を呼んでお祝いするなどというのはもっての他なのだが。 災害支援といえばママ・ジェーンの得意技で、台風レミンとまではいかないまでも、大量の食料と、大量のソーラーバッテリーをデビソリア(チャイナタウンにあるフィリピンの問屋街)で買い求めて支援物資の送付の準備中だ。因みに台風レミンの時は電柱が根こそぎ倒れ、その復旧に半年という期間を要したので、電源は必須アイテムなのだ。

3週連続の台風襲来に悲鳴 2020年11月15日



2020年も、いよいよ11月を迎えてしまい、もうすぐクリスマス、年の瀬ももうすぐだ。しかし、今月も封鎖(GCQ)は継続され、外出禁止(高齢者と未成年)の自宅軟禁が継続することになった。もはや年内の緩和はないものとあきらめてはいるものの、2年越しというのは、いささか長すぎる。かといって緩和されたとしても、感染状況が改善され、ワクチンでも打ってからでないと、自主的隔離を継続する以外に手はないだろう。 一方、今週は、コロナ渦巻く状況で、PRAをめぐって大きな動きがあり、あわただしい一週間だった。最近、上院で、「若い多くの中国人がSRRVを隠れ蓑にしてオンラインカジノ(POGO)で違法に就労している、その辺をPRAは承知しているのか、35歳以上という年齢制限は退職ビザというには若すぎるのではないか」などと厳しく追求され、PRAの上部組織の観光省からは、急遽、SRRVの規則の見直しを迫られた(特に35歳の年齢制限)。 そのため、現状、外国人の入国禁止措置のため、ほとんど申請者がいないこともあって、当面、SRRVの発行を止めて、規則の見直しと状況の調査に乗り出すことになった。そして、PRAは26日(月)から29日(木)まで、種々の業務を停止しして対応に邁進していたようだ(当方としては予定していたID更新が取り消されて割を食っているのだが)。さらに、その一環として、27日には調査票に記入して29日(本日)までに提出するよう求めらた。 本調査票の提出は強制であり、任意ではない。しかし今日、明日中というなんとも急な指示だが、いかにPRAが焦っているかの表れでもある。この狙いは、中国人の不法就労の実態を把握するものと推察され、昨年はAEP(外国人就労許可証)の発行においても中国人の違法就労のおかげで、その発行が大変やっかいなものになってしまったが、最近の中国の横暴な動きになんともいい難いものを感じる。なお、PRA内部の知り合いの話では、新しい規則は既存のSRRV保有者にさかのぼって適用されることはないので、安心してくださいともいわれている。 封鎖(GCQ)の延長は当面、継続されるであろうし、PRA関連の業務もほとんどないし、学校もオンラインで、あえて自宅に留まる理由はない。そのため、規制が緩和されて移動が可能になったらビコール地方の農場ないし今年ジェーン一家が買い求めたタガイタイの別宅に疎開する話が持ち上がっている。疎開にはビコールの農場ではなくて、タガイタイが手ごろだが、今年の2月に買ってコロナ封鎖で訪れることができず、半年間ほっておいたので、そのためのインフラ整備が必要だ。そのため、インターネットとケーブルTVの設置について検討を始めた。 前に、この家に住んでいた日本の方の勧めで、インターネットはPLDT、これはケーブルTVと固定電話がセットで月々3099ペソ、100Mbpsで十分だあろうとのこと。一方、日本のTVはNHK Worldの英語放送のみということなので、別途日本のTVが視聴できるインターネットTVの取り付けを勧められた。調べてみたが、いろいろあって何がなんだかわからない。そこで勧められたのがチャンネルボックスとかいうもので、価格的には一年前払いで1000ペソ/月(3ヶ月6ヶ月前払いもあるが、少々割高になる)、無料お試し視聴が一週間とリーゾナブルで、即決した。私にとってはNHKさえ見れれば十分なのだ。 タガイタイに疎開するのを待たないで、自宅軟禁で時間をもてあましている今こそ、必要だとおもい、早速問い合わせて、とりあえず、マカティに自宅にとりつけることにした。しかし、我が家のGlobe Wifiは3階ではシグナルが弱く、Globe のAt Home Wifiを別途購入してサブに使っているが、それで最低10Mbpsが必要とされる インターネットTVが見れるかどうか不安があった。チャンネルボックスの業者に問い合わせてみても、???だという。いずれはタガイタイで100Mbpsをいれるのだから、多少問題あっても良かろうと取り付けを依頼した。そうしたら、即日にでも取り付けに来るという。さすが日本の業者(聞いてみると実は韓国らしいが)、やることが早い、あるいはよほど暇なのだろうか。後日わかったことだが、PrepaidのAt Home Wifiで問題なのはデータ量に制限があって、例え1ヶ月のプランを申し込んでもデータ量の上限に達すると見れなくなってしまうことだ。一体、上限がどれだけのデータ量か、どれだけ使用するのかわからないので、むやみにTVをつけておくわけにはいかないようだ(一週間使えるものが6日、あるいは4日程度で使えなくなってしまうことあるが、これはどうもデータ量の制限に達したためらしい。一方、PLDTのプランはデータ量の上限が無いのかどうか、確認する必要がある。 […]

インターネットTVを設置しました 2020年11月2日


コロナの影響で、3月15日の封鎖以来、リトル東京の日本食材店の山崎で豆乳が手に入らなくなってしまった。毎朝の自家製豆乳ヨーグルトのおかげで腹の具合が絶好調だったので、しかたがないから牛乳でヨーグルトを作って食すことにした。どちらかといえばヨーグルトといえば牛乳が本家なのだが、乳製品は、年寄りにはよくないと言うことで遠慮していた。 しかし、それが半年以上続くということは全くの想定外だった。腹の調子はいいのだが、最近、知り合いの生理学の教授から牛乳は癌を育てるという、手厳しいメールマガジンをもらって、これからさらにどれだけコロナ封鎖が続くのか見当もつかないので、思い切って自家製豆乳に挑むことにした。以前、フィリピンに永住を開始した頃(2003年)、自家製の豆腐と納豆を作ろうと挑んだことがあって、豆乳だけは簡単に作れたという覚えがあるので、何とかなるだろうと思っていた。 ママ・ジェーンに大豆とミキサーを買ってもらっていざチャレンジした。レシピは簡単で、大豆を一晩水につけて、それを同程度の水と一緒にミキサーにかけて、さらに10分ほど煮立てて、あとは絞るだけ。残ったのかおからになるわけだ。 子守役のマミーソン(ジェーンの叔母)がかって出て、やってくれたのだが、ミキサーにかけるまでは良かったが、それを火にかけないで、そのまま絞ってしまって、そのあと火にかけるということだ。途中で、違うと言っても、やり方は色々あるのだと強情をはる。おからも生では食するわけにはいかないし、水の量もやたら多くて、出来上がりは、やけに薄味の豆乳なってしまった。 一応、ヨーグルトを作ってみたが、出来上がりは、固形分が分離して半分以上が水になってしまい、ヨーグルトの体をなさなかった。すぐにでも豆乳ヨーグルとを食することが出来ると期待していたのだが、仕方なく牛乳ヨーグルでもうしばらく我慢することにした。  次に自分自身でチャレンジしたのだが、絞る段階で、使った布の目が細かすぎるのか、ミキサーの粉砕が不十分だったのか、豆乳が布を通過してくれない。仕方が無いので、比較的目の細かいステンレス製の料理用の網でこしてみてなんとか豆乳らしきものができた。しかし、豆乳らしい香りも何もない、豆乳らしさのないしろもだった。冷蔵庫に一晩寝かしてみたら、固形分が全く分離してしまっていて廃棄するしかなかった。 こうなると豆そのものがおかしいんじゃないかと疑いの目が向く。また、我が家に料理用の秤がなくて、豆100gに水400ccとレシピに書いてあっても、豆の重さが量れないので、目分量になってしまい、水が多すぎたり、少なすぎたりまちまちになってしまったのも原因と思える。 こうなってくるとママ・ジェーンが名誉にかけて作って見せると登場した。いつもお手伝いしていたメイドも多少ノウハウが出来てきたので、比較的スムーズに進んだ。しかし、出来上がってみると、どうも豆乳と呼べる代物になっていない。ヨーグルトをさ作ってみても固形分が分離して、香りも、豆乳とは似ても似つかない。 作り方がいけないのか豆そのものが問題なのか、大枚を払って豆乳メーカーを買っても豆がだめならどうしようもない。そこで結論としては、ママ・ジェーンの行きつけのキャッシュ・アンド・キャリー(大型スーパーマーケット)で中国食材コーナーで探してみることになった。ただし、くれぐれも甘味料の入っていない豆乳100%の製品を買ってくるように念を押した。 メールマガジンによると、豆乳ヨーグルとは不老長寿の特効薬のようなもので、癌に栄養を補給して大きく育ててしまうという牛乳からおさらば出来るのは、また少々先になりそうだ。

自家製豆乳に挑戦 2020年10月25日