Monthly Archives: January 2011


じわじわと値を上げてきたガソリンがここに来て、ついに50ペソの大台に乗った。2008年の後半、投機マネーによる原油価格の高騰以来の高値だ。そのためか、最近タクシーに乗ると2回に一回くらいは割り増しを要求される。メーターどおりまともに料金を受け取っていたのでは、一銭の実入りにもならないといったところだろう。 そんな状況で、6年半ぶりにタクシー料金の値上げが発表された。1月末から順次メーターを調整して行って、全国3万5千台のタクシーのメーター調整は5月までかかるそうだ。メーターが調整されていないタクシーは旧料金を支払えばよいそうだが、そうもいかないだろう。 値上げ幅は、初乗り(500m)が30ペソから40ペソに、追加料金(250m毎)が2.5ペソから3.5ペソにだ。ちなみにジープニーの初乗り料金は7ペソから8ペソになる。その場合、タクシーの収支はどうなるのだろう。2008年11月のブログで行なった試算に基づいて再度計算してみた。なお、LPG車も大分走っているので、すべてのデータが共通として比較表に加えてみた。 仮定条件 ・一日の走行距離の平均:250km ・平均乗客数:35人 ・バウンダリー(車の使用料):1050ペソ(16時間) ・初乗り料金(500m):30ペソ、値上げ後40ペソ、500m以降 2.5ペソ、値上げ後3.5ペソ/250m ・燃費:7.5km/L ガソリン代が40ペソと50ペソ、それにLPG(30ペソ)の場合の収支比較だ。 ガソリン代         40ペソ     50ペソ   LPG30.5ペソ (1)経費 ガソリン代(33L)     1320ペソ      1650ペソ    1000ペソ […]

6年半ぶりにタクシー料金が値上げ 2011年1月30日


  先日、私のブログのファンである日本人から、きっと役に立つと「40歳からの元気食「何を食べないか」10分間体内革命」という本をいただいた。その本に書いてあることは、簡単に言えば、「健康に生きるために日本人は日本食の原点に回帰せよ」という主張だ。私が、糖尿病の体験で気がついたこととほぼ同じ主張なので、勇気付けられる思いがした。 昭和の前半、30年代くらいまでは、食事といえば、ご飯に納豆、漬物に鮭の切り身、それに味噌汁というのが定番だった。それが、パン食や乳製品がもてはや され、日本人の体がおかしくなってしまったという。だから、パンや牛乳そしてソフト・ドリンクや缶コーヒーで育った50歳くらいまでの人の多くはアトピー や花粉症、それに糖尿病などの持病で悩まされている。  それに比べて、ご飯と味噌汁で育った 60歳台以上のお年よりは日本を最長寿国に押し上げるくらいに元気で、アトピーや花粉症も糞くらえだ。これは急激に進んだ食の欧米化により、日本人が本来 摂るべき栄養が摂れず、体の免疫機能など不調をきたして、健康を維持する力を失っているというのだ。菓子パンのようなパンや缶コーヒー、食卓の主役にのし 上がった肉料理、そして野菜サラダにかけられるドレッシングやマヨネーズなどに含まれる大量の砂糖や脂肪によりカロリー過多となり、ご飯や芋などに含まれ る植物繊維などが不足して便秘や下痢を引き起こしている。しかもダイエットのためにご飯を食べないなどというのは愚の骨頂だという。ご飯こそが主食といわ れるくらい大事なエネルギー源であると同時に栄養素なのだ。   最近はドリンクの自動販売機にソフトドリンク、特にコーラがほとんど姿を消して、お茶などが主流となってきているのは、結構なことだ。また、駅前にはおに ぎりやさんやそば屋さんが繁昌していることは、日本人がみずから食の改悪に気がついて、本来の日本食に回帰しつつある証拠なのだという。 (先日、日本を訪問した折に撮影した自販機には、いわゆるソフト・ドリンクと呼ばれるものはほとんどなかった)   […]

糖尿病体験記(その3)2011年1月29日



2014年2月1日追記 3年前、コンドミニアムの建設ラッシュについて報告した。これらは投資マネーの流入によるもので、実需を伴わないバブルの兆候ではないかと警鐘をならした。そして3年たった今、それらのプロジェクトが完成し、入居開始となっているが、賃貸用の空室が大半を占めているようだ。一方、コンドミニアム建設の槌音は相変わらず衰えないが、空き地のまま着工を見合わせているプロジェクトも目立ってきている。かつて隆盛をほこった販売エージェントも売れ行きが鈍化し苦戦しているようだ。 2014年1月11日のマニラ新聞の一面では、「不動産投資評価で躍進」と題し、アジア太平洋域内23都市の不動産投資・開発の見通しに関する報告で、マ ニラ首都圏は東京、上海、ジャカルタに続く4位となり、前年の12位から大きく順位を上げた、と報じていた。さらに、コンドミニアムや商業用施設では域内一 位、オフィス物件では2位にランクされたそうだ。一方では小見出しで「バブル予兆裏付け」とも位置づけていた。 今は、こんな風にはやし立てられているが、皆が皆、儲かるといい始めたらもはやピークで、あとは下るしかないのが、バブルというやつだ。販売エージェントは相変わらず、いいことだけを並べ立てているが、尻に火がつき始めていることは、百も承知の上だろう。フィリピンあるいはマニラに暮らしているものにとって、現在のコンドミニアムの相場がいかにきちがいじみているか、火も見るよりもあきらかなのだから。 完成間近のSMDC開発の巨大プロジェクトJAZZ、マカティ最大の商業、コンドの複合プロジェクトだ 以下、2011年1月28日記載 今マニラは、まさにコンドミニアムの建設ラッシュだ。マカティだけでも数えられるだけで20件、計画中のものまで入れれば30件はくだらないだろう。したがって、マニラ全体では100件を下らないだろうと予測される。作るからには売れる見込みがあるわけで、この旺盛な需要は一体どこから来るのだろうか。一昨年の9月のマニラの北、マリキナを中心とした洪水に懲りて、冠水の心配の無いコンドミニアムに需要が集中しているという理由だけでは説明がつかない。海外出稼ぎフィリピーノ(OFW)が買っているというが、それにしても限度があるだろう。 (高層化から取り残された感のあったパサイロード付近は今、高層コンドミニアムの建設ラッシュ。写真に写っている高層ビルのすべてが建設中のコンドミニアムだ) (スカイ・ウエイから眺めたマカティ市。ここ十数年の間に見違えるように高層化したが、右側にとりわけ目だっているのがアヤラが開発した最高級コンドミニアム、ザ・レジデンス・グリーンベルトだ) (マカティの北の新興都市、ボニファシオ・グローバルシティは、かつての国軍の基地が民間に払い下げられ、ここ10年で出来上がった近代都市だ。右の写真はボニファシオの中心街マーケットマーケットの前にアヤラが開発中のコンドミニアム群のセレンデラで、数十棟のコンドミニアムが建ち並ぶ) アヤラ、フィル・インベスト、メガ・ワールド、シティ・ランド、フェデラル・ランドなど老舗のデベロッパー以外に、デパート・チェーンのSMやロビンソン、建設会社最大手のDMCI、果ては食品業界の巨人サンミゲルなどもこのコンドミニアムの開発に乗り出している。まさに作れば売れる、売れるから作るの様相を呈しており、儲かりそうだというので、猫も杓子もコンドミニアムの開発に乗り出しているようだ。   (パソンタモとパサイロードの交差点近くに開発中のBEACONのユニットは25~50平米と小型で、価格は10万ペソ/m2程度。一棟目の骨組みが完成した時点で、すべて売れきれ、現在は2棟目を販売中だ) […]

マニラではコンドミニアム・プロジェクトが目白押し 2011年1月28日(2014年2月1日改定)


        ロングステイ先をお探しのご夫婦をスービックに案内した。スービックの記事は何度も書いているので、今回出会うことが出来たスービックの自然に着目して紹介する。  その目玉が、フィリピン・オオコーモリだ。正確にはフルーツ・コーモリの一種でジャイアント・フライング・フォックスあるいはゴールデン・クラウン・フライング・フォックスというそうで、世界最大級のコーモリだそうだ。日中は暑いので木にぶら下がって羽根で仰ぎながら暑さを凌いで、夜にフルーツを食べに餌場に向うらしい。スービックには各種コーモリが合計2万5千羽もいるらしい。 ズービックから戻る途中、飛行場の手前でLegenda SuitesあるいはSt. Therese Chappel に向かって右に入ってしばらく行くと、その辺一体はBat Kingdumと呼ばれるコーモリの繁殖地域だ。探すまでもなく道路の左側一帯の木々に数え切れないほどのコーモリがぶら下がっている。遠くから見てもトンビか鷹くらいの大きさはある、これまで見たことも無いまさに大型のコーモリの群だ。しかも半端な数ではない。全員車の外に出て呆れるように眺めていたが、動物園以外でこんな大量のコーモリを見るのは誰にとっても初体験だ。  スービックは広大なジャンブルを背景にして、全面は海という天然の要塞港だ。全面の海といくつかの入り口の道路さえ管理すれば簡単にセキュリティを維持できる。しかもオロンガポ市との間は運河(堀)で仕切られていて、4箇所しか出入口がない。その他の出入り口はジャングルを切り開いて出来ている3箇所の入り口だけだ。それらは24時間厳重なセキュリティ・チェックが行なわれている。 スービックは東京23区と同じ広さというが実際、平地は少なくて、ほとんどがジャングルとジャングルの合間に切り開らかれた住宅地だ。だから、オーシャンパーク、あるいはズービックに向う途中必ずと言っていいほど野生のサルに遭遇する。 フィリピンの都市の周辺にはもはや自然のジャングルは存在しない。ほとんどの山は椰子の木を植えるか禿山となってしまっている。スービックは自然のジャングルが体験できる貴重な地域なのだ。 オーシャン・アドベンチャー・パークあるいはカマヤン・ビーチの駐車場で岸壁から海の中を覗いて見るとそこには熱帯魚が悠々と泳いでいる。さんご礁の美しい魚達とは比べようも無いが、比較的大型の魚がおり、絶好の釣り場と思える。しかし、残念ながらここでは釣りは禁止されている。   

スービックの自然 2011年1月27日



       クラークからバスで帰る際、昼食を食べ損なって、アヤラ・バス・ステーションの近くの吉野家で牛丼を食べた。ドーシットホテルの前のパーク・スクエアの一階、SMに面したところにある吉野家はすでに数年前から営業している。1~2度入ってみたことはあるが、日本の牛丼とは似てもにつかず、おまけに緑色の変なドリンクが気味が悪く、長いこと足が遠ざかっていた。 ためしに入ってみたのだが、メニューが大幅に変わっていたのに気がついた。うどん、天ぷら、カツ丼、チキン丼、弁当、そしておまけにシュウマイや餃子まである。まさに、和食ファースト・フードの典型的なメニューとなっている。当然のことながら牛丼の並みを頼んだが、85ペソは場所柄リーゾナブルといえるだろう。もう何十年も「吉野家の牛丼」を食べていないのでなんともいえないが、まあまあといった感じだった。しかし、紅生姜が意外とおいしかった。 フィリピンで日本食といえば天ぷらに餃子は欠かせない。そしてフィリピン人のチキン好きは格別だ。だから牛丼一本では客は来ない。生き残りをかけてメニューを変更したものと思うが、吉野家の意地としては忸怩(ジクジ)たるものがあったろう。これだけのメニューがあれば、競合相手の「東京東京」や「テリヤキボーイ」にも伍していけるかもしれない。少なくとも、ファーストフォードの巨人、ジョルビー、マクド、KFCやチョーキンと比べても遜色はない。 夜近所を散歩していたら吉野家の垂れ幕に出会った。かなり遠いところにも出前しているようだ。メニューは無いので、看板の写真を掲載したが、見にくいので拡大してみて欲しい。  

吉野家の譲歩 2011年1月27日


 マニラは乾季の真っ只中で、過しやすい気候が続いている。日本は寒くてどうしようもないという情報が伝わってくるが、マニラは暑くなく、寒くなく、エアコンを忘れる丁度良い気温だ。    先日、いつもの食後の散歩に出ていたら、強い雨が2時間ほど降り続いて雨宿りをする羽目になった。小降りになったので外に出てみると、近所の道路は冠水して車が水しぶきをあげて走っていた。    道路が冠水すると、車はまだしも、バイクやスナックを売り歩いている手押し車はかわいそうだ。びしょびしょにぬれながら通り過ぎていく。   雨季であれば、こんな光景は日常茶飯事だが、ひさし振りの強雨にマニラの弱点が思い起こされた。  

季節はずれの雨で道路が冠水 2011年1月27日



     先日、訪問中の日本人と銀行に数百万ペソという大金を下ろしに出かけた。大金を下ろして銀行を出た途端に強盗におそわれるという事件が発生したこともあるので、この日はカーネルに護衛に付き添ってもらうなど、慎重を期した。出かける段になって車に乗ると運転役のボボイの子供、タムタムが乗っているのに気がついた。まさかと思ったが、ボボイはかいがいしく後ろの3列目の座席を用意してタムタムを同行させようとしている。びっくりしたが、姉のジェーンもカーネルも黙っている。一方、自分の息子のキアンを連れて行ったのではいざという時足手まといになるからと、ジェーンは、連れて行って欲しいと涙を流して見つめるキアンを置いていったのにだ。注:タムタムは弟が出来て母親が面倒見切れないので現在、ボボイと一緒にマニラに出て来て我々のところに居候している。     同行した日本人も私も狐に包まれたように黙っていた。フィリピンでは人の子供にとやかく言うのはご法度だ。しかしボボイは平気な顔をしている。後から聞いたその日本人のコメントは、「もし賊に襲われたとしたら、子供の存在が我々を窮地に陥れる可能性もある。銃をしたためて同行したカーネルも難しい局面に追い込まれるであろう。何故ボボイは子供を連れて行ったのか、そして何故皆はタムタムが一緒に行くことを止めなかったのか」だった。もっともなことなのだが、当のボボイは一体何を考えているのだろう。私としてはタムタムに関しては一言も二言もあるのだが、親とその姉のジェーンがいる前で、子供を車から降ろせとはなかなか言いがたいところがある。  以前、私が私が所属していた会社のフィリピン子会社を経営していたころ、私の右腕とも言えるアドミのトップの子供が事務所に遊びに来ていた。それを駐在日本人の一人が守衛を使って、子供を事務所の外に出した。その報告を受けて、親の心境いかなるものかと慮って、その日本人に、「彼女は私の部下なのだから、そんな実力行使に出る前に、私に言ってくれ」と、文句を言ったことがある。そうしたら彼は「私が何か悪いことをしましたか」と食ってかかってきた。案の定、数年後、人づてに耳にした彼女の感想は「こんな屈辱を受けたのは生涯で初めてだ」ということだ。だからフィリピーノの子供の扱いはとても微妙で難しい。ちなみにレストランで子供が大騒ぎをしていて、それを他人が咎めたりすると、その親に食ってかかられる。フィリピンでは子供は天使で何をしても許され、それを他人が咎めるなんてありえないことなのだ。 (台湾シャブシャブのTiantianで「Beatiful Eyes」とせがまれて思いっきり目をつぶっておどけるキアンと初めて口にするデザートに顔をしかめるキアン。はえかけの可愛い小さな歯が見える)  後から聞いたボボイの言い訳は「その日、出かける目的を知らなかった。単に税務署に行くのかと思った」ということだそうだ。しかし、カーネルや顧客の日本人が出かけるときに、それがどんな目的であろうが、何の断りも無しに子供を連れて行くこと自体、我々には理解しがたいところだ。決して悪気も何も無いのだろうが、何故こんな非常識な行動に出るのだろうかと疑問に思う。一方、このことが問題になってボボイはタムタムに関して、こんな時どう取り扱っていいのかわからなくなってしまったようだ。  この問題は事務所で子供を遊ばせるのを私が非常に嫌がっているのに、ボボイは私の目を盗んで事務所のパソコンで遊ばせているという現象にも現れている。私は1階の事務所は、2階から上の居住エリアとは区分して、子供達が立ち入るところではないと宣言している。しかし、彼は私がいない間なら問題ないだろうと考え、私が帰ってくるとタムタムをつれてそそくさと事務所を出て行くのだ。彼にはその辺の区別がどうしても出来ないようだ。  私がフィリピンに駐在しはじめたころ、日本人のマネージメントとフィリピン人の社員と、どうやって協調していったらよいか、当地の有名な心理学者を招いてセミナーを実施したことがある。その内容は拙著「金なし、コネなし...」の第9章「日比文化交流、覚えておきたいフィリピーノ気質」のネタになっているものだが、その講義録は広く頒布され「フィリピーノとうまくやるために」と題して、フィリピン駐在日本人の古典的ノウハウ冊子となっている。その時、心理学者は「フィリピーノは公私の区別が出来ない」と教えてくれた。というか、どうもフィリピーノは公私の区別という概念を持ち合わせていないようなのだ。心理学者曰く「もし、公用の車を貸与して、私用には使ってはいけないと言っても、それを守らせることは不可能だ。だから車を与えたら公私とも自由に使ってよい。ただし、ガソリンは公用の分しか払わないとして、月々5千ペソまでなどとするのが良い。守れない規則を作って、それで規則違反ととがめてみても、いたずらに社内に軋轢を生むだけだ。」  だからボボイにとって、私用でタガイタイに遊びに行くからタムタムを連れて行っても良い、しかし今日は公用だからタムタムを連れて行ってはいけない、ということは理解できないことのようなのだ。それでも客や姉に咎められたのだから、やってはならないことなのだと認識はしたようだが、それを自分で判断することに多いに不安があるようだ。だから私は姉を通じて、「その都度、客あるいは私に了解を求めるように」とアドバイスした。 (食卓の上でしこを踏んではしゃぐキアン。勢い余って転げてもかまわずはしゃぎまわる。6ヶ月目の写真で朝青龍と称されたが、いよいよしこを踏んで暴れまわるようになった。)  それから数日して、かの日本人を皆で空港に送った。その時、姉のジェーンは日本人にタムタムを連れて行っていいかと聞いていた。我々にすれば良いに決まっているのに、彼らには判断しがたいところがあるのだ。この辺はとやかく言ってみても、文化・慣習・風習の違いだから仕方がないのだろう。フィリピーノに公私の区別はなく、まさに公私一体なのだ。 (新しいベッドが来て、自分の姿が背もたれに写っているのにいたく興味を示すキアン。何事にも興味深々で10ヶ月目の赤ちゃんとはとても信じがたい。)

フィリピーノは公私一体 2011年1月27日


             マカティのはずれサウス・スーパー・ハイウエイからZ.Roxas通りをちょっと入ったところに釜飯家(Kamameshi House)がある(ただしZ.Roxas通りは一方通行なのでオカンポ通りから回らなければならないが)。たまたまそばを通って、たまには釜飯もいいか と入ってみたら、意外と本格的な和食レストランだった。 1990年ころにマカティ・アベニューのブルゴスの入り口あたりに釜飯亭(?)というレストランがあった。そのころはラーメン亭か新宿ラーメンくらいし か日本料理レストランはなかったので、たまにここに入って釜飯を食べたものだ。この釜飯家はかなり古いつくりで、ジェーンの話によると彼女の学生時代の1996年ころにはあったというのできっと、マカティ・アベニューの釜飯亭(?)が移転したものに違いない。となるとフィリピンで1、2を争う老舗の和食レストランかも知れない。 .2階にもたくさん席があるが、ほとんど使っていないようで、場所がらかあまり人が入っていない。釜飯は20分くらいかかるというので寿司を注文したら、すぐに来た。しかし、えてしてすいている店にありがちだが、ほかの料理は、とても時間がかかった。  にぎり寿司は、おなかがすいていたので写真もとらずに食べ始めてしまったが、わさびが別になっていて、自分で適量をつけなければならないのが面倒くさい。 客はほとんどフィリピン人なので、わさびが食べられない人が多いのだろう。あまり期待していなかったが、意外と新鮮でおいしい。また、野菜炒めやえびてん ぷらもまあまあいける。しかし、値段もそこそこでマカティ・スクエア近辺の日本料理と比べて遜色ない。 店の名前にもなっている釜飯は、鳥、えび、かに、五目の4種類あって値段は130ペソ~190ペソと手ごろだ。味噌汁がついていないのがちょっと物足りないが、味はまあまあいける。 メニューは豊富で、ほとんどの日本料理を網羅しており、ちょっと穴場的な店だ。しかし、メニューが英語だけで、しかも写真もついていないので、日本人の客のみならずフィリピン人の客にも、なかなか選びにくいのが残念だ。 写真のメニューは細かくて見にくいのでクリックして拡大してみてほしい。その充実ぶりが見て取れるだろう。

釜飯家発見 2011年1月21日



        マニラ・ズーはマニラ、マラテ地区のキリノ・アベニューとマビニ通りの角、ハリソン・プラザのすぐ裏にある。平日でも高校生などそこそこの人出だった。中は動物よりもアイスクリームやおみやげの売り子が目立った。マニラ・ズーの正式な名称は「Manila Zoological and Botanical Garden」という仰々しい名前だ。 入場料は大人40ペソ、4フィート以上の子供20ペソ、先日のオーシャンパークの2フィート以上、一律500ペソとは違って懐も痛くならない。20年ほど前に一度来て以来、久々の訪問だが、中の印象は昔とほとんど一緒だった。  象やカバ、ワニや蛇、サルや鹿、トラやライオンなど一通りの動物はいるものの、施設が古いせいか、肝心の動物は遠く小屋の中で寝ていたり、動物を至近距離で見ることができない。日本の近代的な動物園やオーシャンパークとはかなり違っている。 キアンも遠くにいるのが何なのか認識できずにぼやっとしていることが多かった。  動物園のなかごろに大きな池があって高校生がボートを楽しんでいた。その昔、中学や高校のころ自分が石神井公園などでボート遊びをしたことが思い出される。  キアンの目を引いたのが大きな鳥のケージだった。孔雀などがけたたましい声を出して鳴いて、コウノトリのような大きな鳥が舞っている。そういう動きや音のするものに興味があるようだ。ワニやカバなど動きの無い動物は、それが動物であることさえも認識出来ないだろう。 さほど期待はしていなかったが、まあこんなもんだろうといった印象だ。しかし、午後3時過ぎに家を出て、往復のラッシュを含めて6時前にはマカティの家に戻ることが出来た。だから子供や赤ちゃんをつれてちょっとでっかけるには丁度良いだろう。毎週行ったとしても、40ペソの入場料なら負担にならない。ちなみにジェーンが学生時代は入場料が10ペソだったそうだ。オーシャンパークもいいが、庶民が気楽にいけるマニラ・ズーも残しておいて欲しいと思う。ところでお出かけが大好きなキアンは車の中でも大はしゃぎでご機嫌だった。ママやヤヤがいなくて何の問題もなかった。

マニラ・ズー(動物園)訪問 2011年1月19日


  訪問中のお客さんがタガイタイに行ったことが無いというので、最近のNAVI(マニラ新聞発行の無料誌)で知った養蜂園の訪問を兼ねてタガイタイに行くことにした。1989年以来、幾度となく訪問したタガイタイだが、何度行ってもそれなりに楽しめる所だ。1995年ごろ、バタンガスに会社の保養所を建設していた関係で、その進捗をチェックに毎週タガイタイを通過して通っていた。そのころは食事といえば「マッシュルーム・バーガー」か「タアルビスタホテル」くらいしか目に付かなかったものだが、今は休日の午後は渋滞が発生し、100軒近くあるであろうレストランはどこも満員という変わりようだ。ちなみに「マッシュルーム・バーガー」はいまでも細々と営業を続けているが、やはり今更寄る気にはなれない。ちなみにマッシュルーム・バーガーとは肉の変わりにマッシュルームを使ったとても健康的なハンバーガーだ。  タガイタイへ行く途中通過するスカイウエイの建設はほとんど完成しているように見える。しかし、スーカットの先の既存の高速道路とスカイウエイの結合点ないしスカイウエイの終点は難工事のようで、梁が乗っただけでまだ床版がなく、完成までにはまだまだ年単位の時間がかかりそうだ。これが出来上がったらマニラの南への旅はすこぶる快適となるだろう。   NAVIに載っていたIlog Maria養蜂園はアギナルド・ハイウエイをタガイタイに向って、シランを過ぎ、しばらく行ったところを左に入る。下の看板が目印だが、将来タバコの農園でもミツバチを飼って蜂蜜を作りたいと思っているので、期待に旨を膨らませて、でこぼこ道を進んだ。 カビテのシラン近辺はコーヒーの栽培で有名だが、養蜂園の途中でコーヒー農園のそばを通り、コーヒーの花と実を観察することが出来た。  養蜂園に近づくと花畑と養蜂箱を見ることができた。花はマリーゴールドでフィリピンでも栽培しやすい花だ。  養蜂園には蜂蜜製品を作る工場と即売所があり、日曜のせいか、多くの人が蜂蜜で作った石鹸やポリプロスなどを買い求めていた。   養蜂箱とその中の様子を見ることができるサンプルがかざってあったが、本物の養蜂箱を覗いてみて係りの人にとがめられてしまった。しかし、そこには蜂はおらず、周囲に蜂が飛んでいない。どうもこれらの養蜂箱は飾りであって、ここではミツバチを飼っていないようだ。もっとも、ここでミツバチを飼っていたら、蜂がたくさんいて、お客さんを刺したりしてどうしようもないだろう。というわけでミツバチの飼育についてノウハウを得ようという期待は空振りに終わった。  タガイタイに向う道は緩やかなのぼりで、サイクリングに絶好だ。数多くのサイクリストがサイクリングを楽しんでいたが、よく見ると60がらみの熟年サイクリストもたくさんいる。私もいずれ昔とった杵柄で再びサイクリングに挑戦しようと思っている。  タガイタイの老舗高級ホテル、タアル・ビスタからの景色はあいにくの空模様で霧にかすれていたが、マホガニー・マーケットは果物を買い求める人で溢れていた。丁度パイナップルがシーズンを迎えていたが、3~4個で100ペソと相変わらず格安だ。名物の牛肉も所狭しと並んでいた。また各種果物の苗木や草花が豊富で、タガイタイの格好のお土産だ。関連ブログ「タガイタイ訪問」参照。  タガイタイを過ぎてちょっと行ったところにRESIDENCE INNというミニ動物園がある。同行したKIANが喜ぶだろうということで、そこのレストランで食事を取ることにした。野外のテーブルからタガイタイの絶景が臨めるので一石3鳥となるとの算段だ。しかしながら、入場料だけで一人当たり199ペソで、5人で1000ペソになってしまうので、しり込みして入るのを止めてしまった。   […]

百?回目のタガイタイ訪問 2011年1月16日