Monthly Archives: December 2010


フィリピン退職庁が12月15日(水)にクリスマスパーティを開催するので、SRRV持っている退職者はふるって参加して欲しい。バギオ、アンヘレス (クラーク・スービック)、ダバオ、セブでも行なわれるが、12月20日開催予定のセブ以外ではすでに終了している。今年は25周年ということもあって創立記念パーティのように盛大なパーティとなるものと予測される。今年は300ペソ相当のクリスマスギフトを持参するよう義務付けられており、ギフトの交換会が行なわれるそうだ。 会場はフィリピン国家警察(PNP)の総本部があるキャンプ・クラミ内のMulti-Purpose Centerなので、入場にあたってはPRAのロゴを印刷して車のフロントガラスに掲示する必要がある。 PNPのキャンプ・クラミといえば、私の相棒の亭主が働いているので、大変なじみの深いところだ。EDSA通りをケソン市方向に進み、オルティガスのビル群、EDSA革命記念碑を通り過ぎると右側に広大な国軍基地キャンプ・アギナルドがある。そして、その向側にあるのがキャンプ・クラミだ。EDSA通りからは入れないので、キャンプ・アギナルドの先、サントラン通り(ボニーセラノ通り)を左折して裏から中に入る。内部は国家警察の建物などが建ち並ぶ普通の街で、多くの警察関係の人が居住している。ちなみに前PRA会長のゼネラル・アグリパイ、現PRA副長官のゼネラル・リンガットなどの出身母体でもある。

PRAクリスマスパーティのお知らせ 2010年12月13日


最近ある退職者の方から、フィリピンのGDPはベトナムに抜かれ、そしてカンボジアにも抜かれつつあると話していた。戦後、東南アジアの雄であったフィリピンがマルコスの腐敗政治にうつつを抜かしている間にタイ、マレーシアそしてインドネシアの後塵を拝しているとは聞いていたが、まさかベトナムやカンボジアまでに、とは意外だった。  しかし、地方はまだしもマニラ首都圏、特にマカティの建設ラッシュは目を見張るものがある。マカティだけでも20件程度の大型コンドミニアム建設プロジェクトが動いている。一体これだけのコンドミニアム・ユニットを誰が買うのか、まさに庶民の購買意欲が沸騰しているとも言える。ちなみにこれらのコンドミニアム・ユニットは25~50平米と小型で価格も2~5Mペソ (400万~1000万円)と中間層が手が届く範囲に設定され、かつての富裕層向けの大型コンドミニアム・ユニットは影を潜めている。 (小売業界の雄、SMが建設中のコンドミニアム群JAZZ、マカティの好立地に一大コミュニティを出現させようとしている。JAZZの完成模型、まさに住居、ショッピング、レジャーが一体となった街を形成しようとている。SMはこのほかにもマニラ首都圏に10件近いプロジェクトを遂行中だ)    確かにリーマン・ショック以降、フィリピン経済を牽引していた海外投資が冷え込み、既存の日系会社の駐在員も激減し、マカティのカラオケでは閑古鳥が鳴いていた。従来の主要産業であった、バナナ、パイナップル、ココナツなどの農産物の輸出では一国の経済を維持することはできない。そうなるとフィリピンは不況の真っ只中にいるはずだ。  しかし、ここで忘れてはならないのがフィリピン最大の産業OFW(Oversea Filipino Worker、海外出稼ぎ労働者))の存在だ。国民の1割が海外に暮らし、彼らのフィリピンへの送金は軽く年間1兆円を超え、フィリピンの国家予算に匹敵する。この金額は公式な送金だけであって、裏銀行経由の送金も加えるとその倍になるという。          (マカティ、ロックウエルとインターナショナル・スクール跡地のコンドミニアム・プロジェクト。ここにも高層ビル群が出現しつつある)  仮に3兆円の外貨が毎年流入するとすると、約9千万人の国民がが暮らすフィリピンでは、一人頭、3万3千円となる。子供も含めて一家族が5人とすると、年間17万円、月々1万4千円(約7千ペソ)の収入となり、フィリピンではこの金額で家族の生計が成り立つ。すなわちOFWの海外送金は国民全部を養っていける金額に達しているのだ。もちろん、これらは国民に平均して配られるわけではないので、貧困層の一掃というわけには行かないが、家族から一人のOFWを出せば、その家族は安泰で中間層の仲間入りをして、コンドミニアムユニットの購買層にもなるのだ。 (完成が間近いマニラ高架鉄道(LRT)環状線とルソン南高速道路の2階建て高速道路(スカイウエイ))  果たしてフィリピンのGDPには、このOFWの海外送金は考慮されているのだろうか。これらはフィリピン国内での生産の結果ではないから、この国のGDPにカウントすることは出来ないだろう。だから、フィリピンではGDP=購買力、ではないのだ。仮にフィリピン国内の経済が破綻してもフィリピンはOFWの送金で国民全部が生き延びていける。そのの収入がGDPに全く反映されていないことになる。  遠くはアジア通貨危機、そして最近はリーマン・ショックで、フィリピン経済はほとんど打撃を受けなかった。何故?とフィリピン人に聞いたら、「フィリピンはずーっと不況で、リーマンだろうが何だろうが、これ以上不況にはならない。それにフィリピン人は貧しさに慣れているから、食べるものが半分になっても、家族で分け合って生きて行けるのよ」と力強い回答だった。一方、これが飽食と他力本願に慣れきった日本人だったらどう反応するのだろうか。 […]

フィリピン経済の底力 2010年12月21日



国会で人工避妊の是非が論議されている。ピルなどの人工的避妊薬を許すべきかという論議だが、アロヨ前大統領の時も、またラモス元大統領のときも大論戦 が繰り広げられた。フィリピンでは堕胎は胎児の殺人としてみなされ法的に許可されていない。一方、避妊は宗教上の理由で嫌われる。だから恋人や夫婦はおお らかにセックスをしてその結果子供が出来る。売春などの結果できることも多々ある(最近はコンドームの普及で避妊と感染予防が徹底してきてはいるようだ が)。出来れば生むしかない、その結果、巷には子供があふれている。 政府は子沢山は貧困の元凶として、人口調整の必要性を必死に説く。しかし、フィリピーノの子供好きと宗教の厚い壁に阻まれて人工避妊法(ピル)の解禁に こぎつけることができない。聖職者は人工避妊を堕胎とみなして反対している。一方、フィリピーノは例えどんなに貧しくてもたくさんの子供達に囲まれて生活 するのが、何よりも幸せなのだ。そして強い家族の絆で生き抜いていくことが出来るのだ。 元来人類は避妊のことなど考えなくても人口の爆発的増加などはなかった。疫病や飢饉で自然調整がされるので、人々は子孫の繁栄のために子作りに励んでき た。しかし現代医学の発展で子供が簡単に死ななくなった。さらに食料の大量生産と国家間の調整で局所的飢饉が減った。だから今までどおり子作りに励んでい たら人口が増加しすぎて、貧困や飢餓の状況をつくり出すというわけだ。  しかし、先 進諸国では人口の減少に歯止めがかからず、国家的問題になっている。逆ピラミッドの人口構成では年金や健康保険などお年寄りが現役組に頼るという構図が成 り立たない。国家が破滅するシナリオだ。だからフィリピーノから子育てという幸せを取り上げ、先進諸国の後を追うことが果たして正解なのか多いに疑問のあるところだ。   ラモス大統領の時代に、私の秘書にこの避妊論争について質問をした。彼女はやはり、コンドームも含めて人工的避妊には否定的で、生理カレンダーで×日を […]

人口抑制法の是非 2010年12月20日


フィリピンは混血国家だ。だから、西洋系やら、東洋系、インド系、さらに原住民系まで、各種各様の顔をしている。だからほとんどの日本人男性の好みのタイプの女性が存在する。また文化風習も、古来マレーと中国、そして近代ではスペインとアメリカの影響を強く受け、独特な文化を形成している。しかし、フィリピーノとしてはそれら世界の文化が一つに融合しているのだ。だからフィリピーノの行動や発想を単純なものさしで計ることはできない。 (キャンパスを歩いている学生を見ても同じ人種とはとても信じがたい) (セブパシフィックのスチュワーデスは美人が多い) 日本の航空業界で、かつてスチュワーデスは女性のあこがれの職業だった。しかし今はなり手がいないのか、ほとんどの新人は外国人だ。しかしフィリピンでは未だに憧れの的だ。だから飛行機に乗る時は美人のスチュアーデスに出会うのが楽しみとなっている。 (バギオの観光地ではお土産の他に売り子をからかうのも楽しい) アメリカ・スタイルの遊び場のゴーゴー・クラブに行ってみると、何で、と思うような女性がたくさん踊っている。また、白人が連れて歩いている女性を見ると、どうもいただけないごめん相が多い。クラブのダンサーに聞いてみても、白人の好みは理解に苦しむと言っている。ちょっと可愛らしいダンサーに聞いてみると、白人には見向きもされないという。どうも白人は我々東洋人とは異なった美的感覚を持っているようだ。 (グリーンヒルの装飾品売り場の売り子。モスリムが多いが顔つきは色々だ) 自分の目で見ると美人かそうでないかは、一瞬の内に判断できる。ところが、何故美人なのかと問われてみても説明ができない。とにかく美人は美人なのだ。学生時代にダンスパーティに参加していて、壁にいる美人を誘いたいから、友達に、一緒にいるもう一人の女を誘って、美人を一人きりにしてくれと頼んだ。そうすると件の友達はさっさと美人を連れて行ってしまった。どうもその友達と私では美人の判断基準が違うようだった。 (レセプションはどこでも可愛い子を置いている)  そうなるとどうも美人の絶対基準は無いのではないかと思えてくる。要は自分好みかどうかであって、誰が見ても美人という絶対的なものはないのではないか。フォトジェニックという言葉があるが、写真写りの良い女性と悪い女性がいる。あるいは若い女性は一般的に写真写りが良い。実物よりはるかに可愛く写ることがよくあるが、一方ちょっとした加減で正視に耐えない場合もある。要は美人かどうか、好みかどうかなどというものは大変主観的なもので、ちょっとした加減で大きく変わるものなのだ。 (クラークにあるカフェと近所のレストランののウエイトレス) しかしながら、良くもてる子とそうでない子がいるから、より多くの人に好まれる顔というのがあるのだろう。またブスだけど好みだ、という場合がある。だから好み=美人というわけでもなく、より多くの人から好まれる人が美人なのだと言えそうだ。すなわち、好みとはピラミッドの斜面の一方向のようなもので、上に行くほど狭くなる。そして裾野は広い。山の高さを美人度とすると、頂上にあたる女性は超美人で万人の好みだが、程度が下がって裾野に近い子は反対側の斜面が好みの人にとってはとんでもない、ということになる。だからいつの世でも美人は、美人投票で決定し、一定の規格を満たしているから美人であると判定するという話は聞いたことがない。それではどんな顔がより多くの人に好まれるのかということになるが、それは美人が好まれる、としか言いようが無い。 (マカティのカラオケには時たまオヤッと思う可愛い子がいる)

美人の定義とは何か 2010年12月20日



マカティのど真ん中、アヤラ・トライアングルのアヤラ・タワーの横で、毎晩、クリスマスの電飾ショーが行なわれている。夕方6時から8時まで、30分後 とに10分間程度、公園の木々に取り付けた数百万個の電球が点灯される。点灯と言っても、音楽にあわせてそれぞれの木の電飾がついたり消えたり点滅するの で、見るものを圧倒させる。さすがにアヤラのやることは違う。 アヤラといえば、フィリピン一の財閥で、マカティ市そのものがアヤラ一族の開発物件だった。それが現在ではフィリピンそして首都圏メトロ・マニラの押しも 押されぬ中心となり、世界に名をとどろかせている。さらに高級住宅街の代名詞のようなアヤラ・アラバン・ビレッジもアヤラの開発物件だ。マカティはもとも とカンコン(空芯菜)の生い茂るただの湿地帯で、戦後マルコスの時代、1960年代に開発が開始され、1980年代にはすでに経済の中心の地位を獲得し た。 アヤラ・トライ・アングルはマカティを横切るマカティ・アベニュー、アヤラ・アベニュー、パセオ・デ・ロハスの3つの大通りに囲まれた地域で、そこに 建っているのはアヤラタワーとフィリピン証券取引所のみで、そのほかのエリアは公園となっている。ちなみに、この3つの通りはもともと滑走路だったそう で、だからおかしな3角形を形成しているのだ。公園の中にはネルソン・タワーという小さな建物があるが、それは管制塔だったそうだ。  これだけの電球をコントロールするためにはかなり高度なコンピューターシステムと作動システムを駆使しているものと思うが、なかなかやるもんだと感心した。  

アヤラ・トライアングルの電飾がきれい 2010年12月19日


 12月ともなると街はクリスマスの飾りで埋め尽くされる。すべての事務所、レストラン、ホテル、各家庭のロビーはクリスマスツリーが飾られる。 フィリピンで最高級ホテルの名をほしいままにしているシャングリラ・ホテルさぞかし豪勢であろうとわざわざ取材にでかけたが、案外平凡だった。 クリスマス・ツリーの他には、日本ではあまり見られないキリスト生誕の様子をモチーフにしたものが飾られる。そもそもクリスマスはイエス・キリストの生誕を祝うものだが、日本ではそんなことは気にかけないだろうが、クリスチャンの国フィリピンではちゃんと原則を守っている。 高級デパートで有名なルスタンのショーウインドーはクリスマスの装飾で飾られていた。さすがルスタンのやることはセンスがある。 さらに道路も装飾の対象だ。道路や広場に植えられたココナツの木などに電飾を施して、クリスマス気分を盛り上げている。 アンヘレスのゴーゴークラブ街もクリスマスを間近に控えて、お店の飾りつけが派手になってきている。しかし、客の入りは12月に入って減っているらしい。  アヤラアベニュー沿いにビル全体をクリスマス・ランタンに模した飾り付けを発見。ビルのオーナーのこだわりと伺える。 リトル東京の居酒屋ではウエイトレスにサンタの服を着せている。 

クリスマスの飾りつけあれこれ 2010年12月19日



先日ビザを取得してお帰りになったKさんは、タイのパタヤに5年在住のロングステイのベテランだ。Kさ んによると退職後のロングステイ先としてはフィリピンに軍配があがるとのうれしいコメントをいただいた。ちなみにフィリピン退職庁としては日本人のロング ステイ先としてマレーシア、タイそしてフィリピンと続くと認識している。そういう点でタイはフィリピンの競合相手なのだ。 Kさんの観察によると、  1. 物価:フィリピン:タイ=1.0:1.5 でフィリピンに軍配(1バーツ=1.5ペソだが、物価タイでは大体1バーツのものがフィリピンでは1ペソで買える)  2. ホテル:1.5:1.0 でタイに軍配  3. 日本食、日本食材:少なくともパタヤに関する限りはその豊富さと安さでフィリピンに軍配  4. 空気汚染:マニラとバンコックの比較ではタイに軍配  5. 治安:セキュリティガードがタイにはいないから、それだけタイが安全らしい  6.言語:タイには英語も日本語も話せる人があまりいないからフィリピンに軍配  7. 美人度:圧倒的にフィリピン軍配  そういう訳で4勝3敗でフィリピンの勝ち。このほか、永住ビザの取りやすさ、公用語が英語、日本に近い、など、フィリピンが勝っている点がまだまだあるから、結論的にフィリピン優位は揺らがないだろう。  土曜にアンヘレスに案内したさい、Kさんは2回感激した。その一つは和食レストランYUFUINの安さだ。特に刺身定食(280ペソ)の質と量にに、こんなことはタイではありえないと感激していた。 夜の部になってKさ んは再び感激した。それはクラブ・アトランティスの圧倒的な量と安さだ。ここは300人程度の女の子が働いているというが、その数は半端ではない。下の写 […]

フィリピンとタイとではどっちが住みやすい 2010年12月19日


先日、アンヘレスのクラークの入り口近くにある和食レストランYUFUINで、案内した退職者と食事を取ったところ、その安さにいたく感激していた。タ イのパタヤに長くお住まいのこの方はフィリピンでの物価は大体1バーツが1ペソだという。ちなみに1バーツは約3円、1.5ペソだから、タイの物価はフィ リピンの1.5倍ということになる。    アンヘレスを縦断するマッカーサー・ハイウエイからSMクラーク に向って入って100m位のところ、右側にYUFUINはある。大きな看板が出ていてすぐにわかるが新築のこぎれいなレストランだ。2階は焼き肉専門で、 もともとYUFUINは焼き肉が得意ということだが、定食類も豊富でしかも安い。おまけにウエイトレスもきれいだ。     種類はあまり無いが、ここのランチセットはたったの158ペソで、ファーストフード並みだ。しかし味は本格的で、私がいつも行っているMARUCHANの ランチセット(220ペソ)とそん色ない。相棒の有川さんがアンヘレスに整体出張したときは昼はランチセットから選んで、夕食はすき焼き定食(350ペ ソ)と決めているそうだ。  この日は刺身セット(280ペソ)、から揚げセット(260ペソ)、鮭はらみ塩焼き定食(250ペソ)、カキフライ定食(350ペソ)などを注文したが、 その充実した内容に皆びっくりしていた。また、全部紹介できないが、メニューも豊富だ。特に刺身定食の対費用効果は信じがたいとのコメントだった。  YUFUINの姉妹店として同じ道の少し手前にPink […]

アンヘレスの和食レストランYUFUIN(由布院) 2010年12月16日



恒例のPRAクリスマスパーティが15日、キャンプクラミ(フィリピン国家警察本部)で行なわれた。PRA副長官のゼネラル・リンガットや元PRA会長 のゼネラル・アグリパイが国家警察の出身ということでコネがあったのだろう。会場は広々とした体育館のような場所で、今までの狭苦しい会場と違って伸び伸 びと出来た。  本年度は赤い服がユニフォームでほとんどのPRAスタッフが、以前PRAから配布されたPRAのロゴ入りのポロを着ていた。不肖私も赤いポロで参加した。 会場の後ろでは、お祭りの屋台が出ていて、たくさんのPRAスタッフが楽しんでいたが、招待客の退職者はなじみが無いせいか、あまり参加していなかった。 しかし、今回は食事がたっぷり取れて満足できた。ここ数年のクリスマスパーティは参加人数の割りに食事の用意がお粗末で不評を買っていたが、今回は会場を 安く(只?)借りた分食事にまわすことが出来たのだろう。 300ペソ相当のクリスマスギフトを持参するよう依頼されており、舞台で交換会が行なわれた。輪になってギフトを順に手渡していって、最後に手元に残ったのを受け取るという単純なものだが、司会者が色々言っており、やたら時間がかかった。 最近赴任したGMの挨拶はよく聞こえなかったが、彼の積極的姿勢が伺えた。翌日開催されたマーケッター(代行業者)のクリスマスパーティでは、近々新ルールが適用されることをアナウンスして、退職ビジネス業界の発展を期待させた。 パーティの最後はハイスクールの学生による歌と踊りだったが、学芸会の出し物のようで、厳しい予算で開催していることをうかがわせた。マニラのほかにもセブ、ダバオ、アンヘレス、バギオなどでもパーティを開催しているのでなかなか予算のやりくりが大変なのだろう。 フィリピーノのパーティ好きは定評があり、この時期、毎日のようにパーティを楽しんでいる。また、パーティにはラッフル(くじ引き)やお土産ががつきもの で、抱えきれないようなたくさんの荷物を持って帰るのが楽しみなのだ。さらに社員の出しものも、いつのまにか準備したのだろうというくらい楽しませてくれ る。そういう意味では半数以上の参加者が外部の招待客ということで、少々地味なパーティだったといえる。  

PRAクリスマスパーティ 2010年12月16日


商売がら多くの人と会うせいか、久しぶりに連絡があって、名前を聞いても誰だか見当がつかないことが多々ある。年のせいかとも思うが、10年以上前に社内の人に会いに行くとき、これから会う人の名前が思い出せず、あせったことがある。先日もカラオケで後ろの席に見覚えのある人が座っており、顔は間違いなく知っているが名前もなにもかも思い出せない。その人が声をかけてきて、「元...の...です」と聞いた途端、すべてを思い出した。  何故人は他人の名前を忘れるのか。私は名前がデジタル情報だからではないかと思う。一方顔や景色などの映像、声や匂い、触覚などはアナログ情報だ。ひと目見た顔は忘れない、などと豪語する人がいるように一旦入力されたアナログ情報はそう簡単には忘れない。しかも顔を認識するのに1秒の時間も不要で、一瞬の内に識別できる。さらに同じ人の顔でもうれしいのか、悲しいのか、怒っているのか、複雑な心の内まで識別できる。文字や数字そして名前はデジタル情報なので識別や理解に時間がかかる。これらのデジタル情報を処理するために人類は大脳を発達させたわけだが、未だにこの分野は頭脳にとって苦手のようだ。 (無垢としかいいようなのない赤ちゃんの頭の中は全くのアナログの世界だ。デジタル情報が入ってくるのは幼稚園くらいからだろうか)  動物と人間を比べたとき、アナログ情報を処理するという観点に立つと、そこには人間の優位性はない。例えば、犬の嗅覚は人の数千倍の感度を持ち、夜間の視覚も足元にも及ばない。それぞれの種は生き抜くために必要な能力を磨き、それは人間をはるかに凌ぐ。それぞれの個体に名前などは付け合っていないだろうが、相手あるいは敵を識別する能力に何の疑問を挟む余地はない。一方、人間が動物と差別化できるのはこのデジタル情報の処理能力以外にはないだろう。  しかし、人間にとって数千万年~数億年にわたって動物として培ってきたアナログ情報処理能力と、ここ数万年~数十万年、あるいは、ほんのここ数千年のあいだに氾濫し始めたデジタル情報の処理能力とのあいだには雲泥の差がある。人の脳がデジタル情報をコンピューター並みに処理できるようになるには、まだ、数百万年の月日と数万回の世代交代が必要だろう。そのころ人間は頭でっかちで体の小さい想像上の宇宙人みたいになっていることだろう。 (コンピューターにとっては怒っているのかあるいは悲しいのか、人にとってはいとも簡単なことを判断するのに複雑なプログラムを用意しなければならない。一方、人には生まれたときにすでに脳に組み込まれているのだ。) ところで言葉はアナログ情報なのかそれともデジタル情報なのだろうか。少なくとも文字はデジタル情報なので、文字で書かれた文章はデジタル情報だろう。一方、声で発音された言葉はアナログ情報ではなかろうか。だから、文章の理解と言葉の理解では使用する脳が違うのだろう。だから本に書かれた英語のフレーズ (デジタル情報)をいくら繰り返してみても会話は上達しないのだ。。色々な記憶術という本を読んでみても、要は、名前などのデジタル情報をアナログ情報に関連付けて人の膨大なアナログ情報処理プログラムに乗せて記憶しているだけなのだ。 (クリスマスになると街は花売りなどの少女が、クリスマスの資金集めに働きに出る。クリスマスの喜びを分けてくださいというわけだが、これらの少女の可愛さなど、コンピューターで判断することは到底できないだろう)   人は6歳になったら小学校、中学校、高校そして大学と16年間も長いデジタル情報の学習コースに乗せられる(フィリピンでは6、4、4ないし5の合計 14~15年)。しかし、人間の頭脳の大半を占めるアナログ情報処理は趣味やスポーツの世界、あるいは世間に出てからの丁稚奉公で学習するものだ。実際問題、教室で習うデジタル情報よりも遊びや趣味の世界で身につけた知識の方が世間で役に立ったというのは誰でも経験していることだ。だからデジタル情報だけに耽るお宅は、人間性というものを学ぶことが出来ず、秋葉原の無差別殺人事件のように時には人間社会の反逆児になりかねない。  (アナログ世界に住むキアンは何の憂いも悩みもなくすくすく育っている。おきている間中静かにしていることはなく、常に手や体を動かしている。この運動により、神経細胞が発達し、やがて器用に歩いたり、手を使えるようになるのだ。まるで赤ちゃんはリハビリテーションを楽しんでやっているようだ)  コンピューターの基本は、ONかOFFあるいは0か1の信号が素子に記録してあるだけで、この素子を8個、16個あるいは32個で一つの文字を表現する。そしてこれを百万個集めたのが1メガで、その千倍、10 億個が1ギガのメモリーだ。そして情報をプロセッサーで色々処理するだけだ。コンピューターはもともとデジタル情報を処理するために開発され発展してきたのだから、文字情報などの処理や記憶はすこぶる早い。しかしながら写真などのアナログ情報はデジタル情報すなわち、0と1の情報に変換して一つ一つの点ごとに記憶するというすこぶる稚拙な方法で記憶する。たかが写真1枚記憶するの数メガの記憶容量を必要とする一方、写真一枚をインターネットで送るのにも随分と時間がかかってしまう。   […]

人は何故他人の名前を忘れる 2010年12月11日