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        グリーン・ヒルのショッピング・センターが過激に完全復活を果たした。もしかしたらと思って、2週間ぶりにグリーン・ヒルを訪問してみたら、見事に元通 りどころか、もっと店が増えていたのだ。完全復活を果たしたその辺のいきさつは知らないが、まずはめでたいことだ。相棒が、「何日かすれば元に戻るわよ」 と言ってたが、あれだけ完全に消えてしまったものが、まさか元に戻るとは思わなかった。まさに奇跡の復活だ。 特に時計売り場は以前の数倍に増えていた。バッグを売っていた店が時計も取り扱い始めたのだ。これだけのロレックスや他のブランドの時計の時価総額はいく らになるのだろう。この小さなショーケースに大きなロレックス専門店の一軒分の商品はあるだろう。ショーケースの前には「レプリカ」という表示があり、コ ピーであることを示すことで、当局との折り合いがついたようだ。  衣類売り場も以前より充実しているようだ。バンコック・ドレス3着で1000ペソなどユニークな売り方をする店もあり、なかなか楽しめる買い物の穴場だ。ただ、デビソリアやバクラランよりも多少高めだが、冷房の利いたモールの中にあるので家賃も高いのだろう。 2階の携帯電話の売り場も盛況だ。無数ともいえる数の店がひしめき合う。はやりのアップルやサムソンのスマートフォンの中古品を格安で売っている。なんで これだけのI フォンの中古品が出回るのか不思議だ。にせものもあるようだから注意が必要だ。ここでは日本から持って来た携帯もあっという間にローカル仕様の携帯に作り 変えてくれる。すなわち、新しいシムに入れ替えてスマートやグローブのプリペイド・カードで使えるようになってしまうのだ。 真珠のネックレス等を売る百軒以上の装飾店も健在だが客足は今一だ。そして事件は客でごった返すバッグ売り場の横で起こった。  写真を撮るに夢中になっている間に、なんとこの私がスリに会い、財布をポシェットから抜かれてしまったのだ。幸い伸縮自在の携帯ストラップにつないでおい たカメラや携帯、鍵などは無事だったが、現金、キャッシュカード(円とペソ)、名刺入れ等が取られてしまった。銀行残高といっても数万円で、現金も2千ペ […]

グリーン・ヒルが復活(ただし、スリにご用心) 2010年8月29日


ここのところ毎日のようにデング熱流行に関する記事が流れている。8月14日までに感染者は全国で5万人を突破したそうだ。  蚊が媒体する病気としてはマラリヤが有名だが、これはジャングルに限られ、都会で感染することはなく、話題になることも無い。一方のデング熱はここ10年くらいの間に多くの人が感染するようになった。こっちは熱帯しま蚊が媒体し、都会で繁殖し、しかも昼間に活動するという厄介な蚊だ。政府や大使館も、蚊が生息できる環境、すなわちプールや池、古タイヤや缶などの水たまりを消毒あるいはなくすこと、など原始的な方法が有効と奨励している。  デング熱にかかると、高熱、頭痛、関節痛、筋肉痛さらに吐き気、血圧の上昇と低下などマラリヤ以上の苦しみで、死亡する場合もある。回復には数週間要するが、体験者によると死ぬほどの苦しみだという。現状ではデング熱に対する予防ワクチンもなく、蚊に刺されないことが唯一の予防法だそうだ。幸いにも人から人への感染はしないので、劇的な感染の広がりはありえない。  昨夜、私の部屋のコンセントにおかしなものが装着されていた。相棒のはからいで電気蚊取り器をセットしたようだ。少し、変なにおいがしたが、この時期、我慢するしかない。  

デング熱が大流行 2010年8月26日



パサイ・シティのバクラランと云えば、庶民の買い物どころで有名だ。また、オルティガスの先にあるグリーンヒルも穴場中の穴場としていつも人でごった返している。その両方が姿を消してしまったのだ。  バクラランはバクララン教会の脇の通りからLRTのバクララン駅まで道路いっぱいに衣類や靴・鞄を売る屋台が軒を連ねており、信じられない値段で売っていた。コピーブランド商品もごちゃ混ぜになっていた。  それが最近、訪問してみたら、きれいさっぱりなくなっていた。この道路がこんなに広かったんだとあらためて認識したくらいだ。それでも生活の糧を奪われた人たちが屋台の代わりに商品を担いで、いつでも逃げられるようにしている。警察が来るとあわてて路地に逃げ込んでいた。庶民のしたたかさを感じるが、哀れにもなる。何も彼らは警察に追われるような悪いことをしているわけでもなく、ただ必死に生きようとしているだけなのだ。  LRTの高架下の屋台も固定の屋根や屋台は撤去され、車輪のついた移動式の屋台が出ている。これもいつでも移動して逃げられるようにしているのだろう。バクラランはこれら屋台だけではなくて、道の両側のビルの中には一坪程度の店が数千軒がひしめく問屋街だ。だから街の機能は変わりなく、平日でも多くの人が買い物をしている。しかし、何かバクラランらしさをなくしてしまって、面白みが無い。 一方、グリーンヒルは元々ビルの中に一坪ショップがひしめいて、バッグ、衣類、時計、携帯などのコピーブランドや装飾品・民芸品・パソコンなどを売っていたのだが、本物(装飾品、民芸品、パソコンなど)を売る店を除いてすべて一掃されてしまったのだ。 こちらは徹底していて、バクラランのようにこそこそと商品を担いで売っている人もいない。なんともはや寂しい限りだ。ここでの商売を糧として生きていた人はどうしているのだろう。あの山のような商品はどこへ行ってしまったのだろう。  ここでコピー商品を買い求める人々が、それがなくなったからといって、本物のルイビトンやシャネルのバッグを買うはずも無い。アキノ新政権は一体庶民の味方なのだろうか。大手ブランドの利益にも寄与するはずもないコピーブランドの一掃を行い、多くの庶民の生活の糧を奪い、さらに庶民の買い物の楽しみを奪うという、なんとも意味のないパーフォーマンスだ。  私の相棒のジェーンは、「すぐに元に戻るわよ」と気楽なことを云ってたが、私としても「ショッピングの穴場」として、ご家族を案内したのに、面目が丸つぶれだった。          唯一もとのグリーンヒルらしさを保っていたのが、装飾品売り場だ。数百軒もあろうかというショップは格安の真珠を中心とする装飾品を売っている。モスリム (回教徒)が多いが、このモスリム姉妹の写真を撮るために、1000ペソの大枚をはたいてネックレスを買うはめになってしまった。同行した8歳のお嬢さんにお母さんがことのいきさつを説明していたが、理解できなかったらしい。男心を知るにはもうちょっと時間がかかりそうだ。

また一つマニラ名物の灯が消えた(その4)2010年8月15日


8月23日の昼前、PRA(退職庁)に退職者のビザ申請に同行すると、PRA職員がテレビにかじりついている。一体何事が起こったのかと聞いてみると、人質 (Hostage)事件だという。テレビはタガログ語で、道路の真中に止まったバスの画像を写すだけだから何のことやらさっぱりわからない。ことの詳細は 翌日のマニラ新聞で知った。  この事件は、国家警察の元警部(キャップテン)が、恐喝事件に関与した疑いで受けた懲戒免職の処分に不満を 持ち、その撤回を求め、中国人観光客25人を乗せた観光バスを乗っ取ったものだ。この警部はその前年、優秀な警官として表彰されたばっかりの警官の鏡だっ た。それが、部下が行なった恐喝のために詰め腹を切らされた。しかもその事件は裁判で却下されたにも関わらず、最終的にオンブズマンにより有罪とされ、退職を間近に控えた彼は、職ばかりでなく退職金も年金も、将来享受すべきすべての利益まで失ってしまったのだ。警官にはそれを不服として申し立てる手立てがない、そして思い余って今回の事件を起してしまったという。 だからと言って、観光客を巻き込んでの人質事件は最悪の選択だ。オンブズマ ンに不服があるなら、そこに直接抗議すればいいのだ。多くの人が、フィリピンのイメージを改善し、観光客や企業の投資を誘致してきた努力が、この事件で水 泡に帰すことになりかねない。当方も盛んに「退職者の老後の生活をフィリピンで」と言ってきたのに、それらの努力をお釈迦にするようなとんでもない事件 だ。相棒のジェーンも「これでフィリピンのイメージが10年前にさかのぼってしまう」と、ポツリとこぼしていた。 そもそもフィリピン人は我慢強く、弱いものはいつも泣き寝入りしてしまうのだ。だからこのような突飛な行動に出て世間を騒がせることは極めてまれだ。私も20年以上フィリピンに関わってきて、初めてこのような事件を耳にした。かつて軍の将校が人質をとってホテルに立て込む事件があったが、人質に危害が加えられること は皆無だった。これらは茶番とも思えるような政府との交渉で解決されてきたが、今回は最悪の事態を迎えるという極めて異例な幕切れだった。  犯人が人質と共にバスに閉じこもっている間、犯人は人質に対してとても親切だったそうだ。しかし、警部の弟が説得工作に乗り出し、それが逆に兄をあおるような 行動に出て、事態が急変した。犯人に対する政府の対応も犯人の主張に対してけんもほろほろで、弟が兄に「こんな政府からのレターは紙くず同様だ」と告げた そうだ。さらに、メディアや警官が弟を取り囲んであたかも暴力を振るっているような報道が、車内の犯人にも筒抜けになっていたのだ。その結果、兄が激昂し態度が急変した。メディアの中継で犯人は車内から外の状況を的確に把握している一方、警察は車内の状況がわからない。こんな状況が事件の解決を難しくし […]

人質事件で中国観光客が8人死亡 2010年8月24日



日本では消費税引き上げの議論が活発だ。いくら国民の負担増になるとはいえ、政府としては財源を確保しなければ何もできない。借金だけに頼っていてはいつしか破綻して破産宣告をして借金を帳消しにしてもらうなどの処置を取らなければならない。そうなると国債に投資していた金融機関や個人も連鎖して破綻、まさに日本沈没だ。日本はなんともいえない難しい選択をせまられている。  フィリピンではアキノ新大統領が就任するまでの半年間にアロヨ政権は大半の国家予算を使い果たし、新政権の政策に使える予算は年間予算の10%しか残っていないとアロヨ政権を非難している。しかし、アキノ大統領は増税や新税の創設をしないと宣言しているので、安易なVAT(付加価値税、消費税)をあげることは出来ない。賄賂や汚職をなくして、とるべき税金をとりさえすれば財源は確保できるという主張だ。ちなみにフィリピンのVATは12%と先進国並みの重税だ。また、フィリピンで所得税などの税金をまともに払っている企業は皆無だという。税務署が賄賂を見返りに積極的に脱税を勧めるというお国柄なのだ。しかし、現在は新政権の様子見で税務署も沈黙を守っているようだ。       (街中50m毎にあるといわれるコンビニエントストアの元祖、サリサリ・ストア(何でもあるという意味)。日常の生活に必要な品物は何でも売っており、タバコなどは1本づつ、携帯のロードまで10ペソ単位でばら売りをして庶民の生活を支える)     そして、新政権が打ち出したのが、国民の40%が従事しているという零細自営業者への課税だ。現状、課税を免除されているサリサリ、トロトロなどの零細小売業、さらにマーケットの小売商、挙句の果てにトライシクルやパジャックにも所得税を課そうというのである。20ペソ以上の売り上げには領収書を発行して所得課税の基礎にしようというのだが、領収書の発行の手間や税金の計算だけでも大変な手間だ。 (ウエットマーケットあるいはパランケと呼ばれる公設市場は市町村の中心部に位置して、一坪程度の無数の小売商が建ち並び、肉や魚、野菜や果物、乾物などあらゆる食材を最も安く求めることができる、庶民の台所だ) (また、古都ビガンの街では広場に露天商を集めたバザールを開いて商品を格安で売っており、まさに庶民の買い物どころとなっている)  サリサリやパランケの売り上げは1日せいぜい数千ペソで、仕入れ、人件費、家賃などを引いたら、利益はせいぜい数百ペソ程度だ。メトロマニラの最低賃金約400ペソだが、それに届くかどうかといったところだ。それに領収書発行の手間や所得税を払ったら、利益はなくなってしまうと、店主は猛反発しているそうだ。街角のトロトロにしても同様だ。 (トロトロとは指し示すという意味で、調理済みの料理を指でさして注文することから来ている)、1食50~100ペソ程度で食べられて、これもまた、庶民の味方だ。ちゃんと店を構えたレストランとなると100ぺソ以上300ペソ程度もかかってしまう。それにVATもかかる )  一番可哀想なのはトライシクルやパジャックのドライバーだ。例え一日の収入が半分でも車両のオーナーにはバウンダリーと言われる定額の車両賃貸料を支払わなければならないので、学校の休みなど客の少ないときは持ち出しになることもある。そんな彼らから所得税をとろうなどという発想は貧困ということを体験したことのない富裕層出身のアキノ大統領だからこそできるのだろう。与党の下院議員も猛反発しているそうだ、こんなことをしたら、次回の選挙で当選するはずがない。これら貧困層はなんといっても国民の40%を占める大票田なのだ。  地方に行くと交通機関はジープニー、トライシクル(3輪オートバイ)、パジャック(3輪自転車)に限定されるといって過言ではない。街の角々には客待ちのトライシクルやパジャックが列をなしている。彼らの収入は、トライシクルで1トリップ往復で100ペソ程度、一日数回の往復で300~500ペソ程度、車両の使用料150ペソを支払うと200~300ペソ程度の手取りだ。これに対しパジャックは一回5~10ペソで一日の収入は100ペソ程度、自転車の使用料、25ペソを支払うと、一日100ペソに満たない手取りだ (こんな過酷な労働を強いる商売でも長い列をなして客待ちをしなければならないほど供給過剰で厳しい情勢になっている。金を稼ぐのが難しければ使う人も少ないという景気の悪循環だ)  

フィリピン版消費課税の嵐 2010年7月25日


先月末、荘厳な就任式を行なって大統領の座についたベニグノ・アキノ3世、ノイノイ・アキノ大統領は連日、旧アロヨ政権の不正を追求する姿勢を示し、絵に描いたような正義漢振りを発揮している。国民の支持率も高いようだが、フィリピンでは政治的腐敗あるいは汚職がまかり通っているだけに、正義を発揮するのにわかりやすくて容易なようだ。日本は政治・経済そのものが閉塞状態にあり、正義を貫いても何の成果も挙げれないが、その点フィリピンは単純だ。しか し、その正義の先にあるもの、要は国民生活に何の改善が見られず、アキノ大統領の自己満足だけに終わってしまったら、国民の支持は地に落ちるだろう。 ところで、アキノ大統領に二つの悩みがある。一つは彼がヘビースモーカーで、周囲が勧める禁煙を実行できるかどうか。そしてもう一つはマニラ名物のワンワン(自動車サイレン)の不使用を宣言したことだ。フィリピンでは政府高官や軍・警察の幹部は自家用車にサイレンを取り付けて、渋滞を逆走したり、信号を 無視して走ることが日常的に行なわれている。しかも、本物の白バイが観光バスを先導して走っているのをよく目するが、これは警察官のアルバイトで、私用に サイレンや公務上の権力を乱用しているのだ。。アキノ大統領はそれが権力者の横暴であるとして、自ら交通ルールを守って移動することを宣言したのだ。   そのため、自動車部品の販売店が集まっているバナウエの店頭からサイレンが消え、車からサイレンを取り外す注文が殺到した。政府高官や軍・警察の幹部はそ れぞれ数台保有する自家用車にもサイレンを取り付けており、さらに民間人も自家用車にサイレンを取り付けて不正に使用している輩が少なからずいたのだ。 一方、アキノ大統領は公式な会議に遅れることが常態化した。ご承知の通り、マニラの交通混雑は地獄のようで、いつ目的地に到着するかは神頼みだ。アキノ大 統領の到着を待つ関係者はたまったものではない。アキノ大統領がサイレンを使うのは合法であり、超多忙な大統領が公務を全うするためには必要なことだと、 取り巻きが主張しても、アキノ大統領にとって一ヶ月あまりで公約を翻すことはいかにも屈辱的で国民の信頼を裏切ることにならないとも限らないと、慎重なよ うだ。一方、世論は、いつまできれいごとを言っておれるものかと、少々冷ややかな目で見ている。 話は違うが、我が相棒の赤ちゃんも公園 デビューを果たして1ヶ月あまり、父親に抱かれて、あるいはベビーカーで外に出るのが大好きだ。悩みなのは両親で、夜が明けると5時前から外出をおねだり して騒がしい赤ちゃんにゆっくり寝ていられない。国家警察の幹部という多忙な毎日を過ごすカーネルも赤ちゃんのリクエストに答えないわけには行かず、早朝 […]

また一つマニラ名物の灯が消えた(その3)2010年7月24日



著書「金なし、コネなし、フィリピン暮らし」でも一押しと進めている「ミスユニバーサル(MU)」が危機的状況に陥っている。先の選挙で当選したトリニダッド(Peewee Trinidad)パサイ市長の指示で、MU名物のオール・ザ・ウエイ(全裸ショー)が禁止されたため、客足が激減し、いつも満員の席が3分の一程度しか埋まっていないのだ。例えオール・ザ・ウエイでなくて、ツー・ピースでも大差ないとも思うのだが、それではゴーゴークラブとの差別化ができず、やはり見ごたえのあるショーがないと客がこないようだ。 なじみのフロアー・マネージャーの案内で楽屋に入ってみると着替え中の見覚えのある子達がしきりにテーブルに呼んで欲しいと声をかけてくる。彼女達はテーブルに呼ばれて注文してもらったドリンク一杯に付、何がしかのコミッションをもらうのだが、これが収入の主体だ。テイクアウト(お持ち帰り)の名誉に預かるのはそうざらにあることではない。 8月19日追記  しばらく振りに、覗いてみたら、女の子達は超シースルーのツーピースをつけて踊っていた。急きょ特注したのだろう。ほとんどスケスケでしかも肌色の下着のようなものだから、黒や茶色の部分もはっきり見えて、かえってセクシーに感じる。結局、この辺が市当局との折り合いだったのだろう。しかし、客足は多少戻ったものの、女の子の数は半分程度に減っていて、フィナーレではいつも女の子が舞台から溢れるほどいたのに、たったの5~6人に減って寂しいことこの上ない。  8月29日追記 MUのことが気になって10日振りに覗いてみた。しばらくショーを見ていたが、相変わらずのシースルーでお茶を濁している。10時過ぎになって、ソロ・ダンサーが突如としてブラを取って出てきた。目を凝らしてみてもシースルーのブラはつけていない。ゲストと同席していた女の子に聞いてみたら、ソロ・ダンサーはオール・ザ・ウエイが許されているという(私は財布をすられてしまい、スッカラカンなので女の子のリクエストを自粛)。数分後、ダンサーが誇らしげに下も取って、バタンバタンといつもの大また開きのダンスを始めた。周囲を見渡してみると、いつの間にかほとんどの席は客で埋まり、皆満足げだ。この影には店のオーナーと当局との熾烈なネゴと袖の下が動いたのだろう。いずれにせよ、MUの復活はめでたいことだ。  9月28日追記  9月23日、久しぶりにゲストの案内でMUを覗いてみた。店に入るやいなやダンサーのオールザウエイが目に飛び込んできたが、これはいつものことだ。いや、たしかダンサーはシースルーの下着のはずだった。それがこの日は、全く元に戻っていたのだ。ダンサー達も窮屈なシースルーの下着無しに伸び伸びと踊りを楽しんでいるようにも見えたが、錯覚だろうか。特にこの日は2年ぶりになじみの子が戻ってきており、久しぶりのオールザウエイとともに懐かしさにふけった夜だった。いずれにせよ、MUの完全復活はめでたい。 一方、ゴーゴークラブ8軒が固まっている、エドサ通り、ヘリテージホテルのはす向かいのEDSA Intenational Entertaiment Complex(通称エドコン)も客足が激減している。ちょっとのぞいてみると、腕をつかんで中へ引き込まれてしまう位だ。先日、日本人のたっての依頼で覗いてみたが、中は客一人に対して数十人の女性といった割合だった。こんな調子ではいつまで続けられるのか心配になってくる。  日本人専用のカラオケ・クラブも長いこと閑古鳥が鳴いていた。ほとんどの店は「飲み放題500ペソぽっきり」という謳い文句で客を呼んでいるが、それでも大きな店に数組の客しかいないこともしばしばだった。しかし、最近満員に近い状態のときもあるので、客足が戻ってきたのかという気もしないでもない。新聞の広告もカラオケクラブの広告で一杯だが、いつまでこのバトルが続くのか、淘汰の時が来るのか要注意だ。 ちなみにNTTホテル経営のカラオケ・クラブ「スバル2」がパソンタモのリトル東京の向かいにオープンした。「スバル1」も見ごたえのあるショータイムなどを企画して健在だが、果たして勝算があるのか、カラオケ市場が上向くとの読みなのか、気になるところだ。  […]

また一つマニラ名物の灯が消えた(その2) 2010年7月23日


  5月の選挙で無事再選を果たしたリム・マニラ市長のやったことは、なんとマニラ名物とも言えるほど有名になったLAカフェの閉店だ。エルミタのデルピ ラール通りにひときわ目立つ看板を掲げるLAカフェは出会いを求める男女で24時間ごった返していた。フィリピンに観光に来る日本人でも知らない人はいな いくらいの超有名店で、フィリピン在住の日本人の間でも閉店を惜しむ声がささやかれている。 LAカフェの内部に入るとそこには白人や韓国人そして日本人と、ほぼ100%が外国人だ。そして一目でそれとわかる客を物色して媚を売るフィリピーナ だ。しかし、たくさんいるウエイトレスのほうがはるかに可愛らしく、申し訳ないが食指が動くような子はめったにいない。内部はとても広く、2階や隣の建物にまで拡張されていて、2階にはライブバンドもはいっていた(上の写真を撮った日は世界的にヒットした「アナック」を歌ったフレディー・アギラーのライブ)。  普通のナイトクラブなどとは違って、女性も客として入店していて、ドリンクをおごってくれる男性客をひたすら待ち続けている。ドリンクにありついたら、早速交渉だ。ママさんや店が商売に関わっているわけではないから、その手のお店の3分の1から半分くらいで話はつくようだ。現在、入り口にはCLOSEDと掲示され、ガードは近いうちに再開するとは言っていた。 近 くにある同系のアマゾニア、バタフライなどはそのまま開店中だが、量と質の面でLAカフェとは比べ物にならない。LAが閉店したのだから客と女性がこっち へ流れても不思議ではないのだが、アマゾニアは従来どおり閑散としていて、目を覆いたくなるようなしおれた花ばかりが目に付いた。 ところでリム市長といえば、1990年代初頭、当時ツーリスト・ベルトとも呼ばれマニラ歓楽街の顔のようになっていたデルピラール通りのゴーゴークラブを一 網打尽にした悪名高い市長だ。市長は3期9年が限度だから、一旦上院議員となったリムは、前々回の統一選挙で再びマニラ市長に返り咲いた。そして、初めに やったことが、マニラ湾沿いの観光名所となっていたベイウォークの店を一掃したことだ。 これらの店は、レストランやバラエティーショーを見せるもので、決 していかがわしいものではない。かえってマニラ湾沿いの遊歩道に人を集め、安心して夜歩きが出来ると評判の観光名所だった。それを付近の住民が夜中までう […]

また一つマニラ名物の灯が消えた 2010年7月22日



 6月30日(水)は第15代大統領、ベニグノ・アキノ3世(ノイノイ・アキノ)、50歳の大統領就任式で祝日となった。いつも突然の祝日に右往左往させられるのだが、この日ばかりは納得せざるを得ない。リザール公園のキリノ・グランド・スタンドに50万人の庶民が集まった就任式は盛大で、世論はノイノイ・アキノ新大統領の就任を歓迎しているようだ。  母親であるコーリー・アキノ元大統領の死で、にわかに注目されたノイノイだが、選挙運動中はいかにもカリスマ性の欠ける2代目ボンボンの感がぬぐえなかった。しかしながら、この日行なわれた就任演説はタガログ語で、私にはほとんど理解できなかったが、なかなか雰囲気のあるものだった。地位は人を作るというが、まさに大統領の貫禄を示すものだった。スローガンはPANATA sa PAGBABAG(変革の約束)で、アロヨ政権の行なってきたことをすべて否定し、万人のための政治を行なう、というものだ。  就任式に出席した庶民はアキノ一族のシンボルカラーである黄色のシャツを着ている人が目立った。テレビのすべてのチャンネルは生中継を延々と続けていた。こんなことは、コーリーアキノ葬式以来のことで、当面アキノ一族のフィリピン支配が続きそうだ。ちなみにノイノイ・アキノ大統領の従兄弟のダンディン・コファンコはサンミゲルビールやPLDTのオーナーで経済界の重鎮だ。 マラカニヤン宮殿に到着した大統領を待っていたのは軍隊式の荘厳な式典だ。どこかの首相のように1年ごとにころころと代わり、政党内のたらい回しのようなのとはちょっと違う。国民の直接選挙で選ばれた大統領は、よほどのことがない限り、国家元首として今後6年間、国を治めていくのだ。  マラカニヤンには妹で有名女優のクリスアキノなど家族一同が新大統領の到着を待っていた。大統領就任という国家の行事でも、家族が集まって記念写真をとるというのがフィリピン式だ。さらにマラカニヤンでは母親の若きの日の肖像画と対面した。親子2代で国家元首となった思いは、計り知れないものがあるだろう。  アロヨ大統領と面会した両大統領は、お互いに笑顔をかわしていたが、アキノ新大統領はアロヨ大統領の不正を徹底的に暴くと宣言し、昨日、元最高裁長官を委員長に任命して、真実究明委員会を設置したばかりの犬猿の間柄だ。 アキノ新大統領は「汚職なければ貧困なし」をスローガンに掲げて当選した。確かに汚職により政治の方向が曲がってしまい、国民の利益につながらない政治になってしまう、ということは多いにあるだろう。しかし、末端の公務員の汚職は、汚職というより、ちょっとした心づけという面も強く、彼らの生活の糧ともなっている。このような慣習を不正/悪として決め付け、ただひたすら潔癖症的に止めさせようとすると、かえって公務が機能不全に陥ってしまうかも知れない。なぜなら、末端の公務員は、充分に食べていけるだけの給与を国から支給されていないのだ。中には潔癖に一切の心づけも拒否する公務員もいるにはいるが、普通の人にこれを求めても無理な話だ。彼らとしても霞を食べて生きて行けるわけではない。日本の公務員のように、民間と比べて遜色のない給与があってこそ、汚職を悪として追放する基盤ができるのだ。そうでないと、全うな能力を持った人材はすべて民間に流れ、デモシカの役人ばかりになってしまうだろう

ノイノイ・アキノ新大統領の就任式 2010年7月1日


先日、PRAの友人であるロエル・ギリタンよりメールが入った。ロンドンで心臓の手術をしている姪の輸血ために1400ポンドの資金がいる。至急いくらでもいいから送金して欲しいというものだった。cc蘭にはこのメールが多数の人に送られていることが見て取れた。 私としては、先日、1ヶ月もの長期休暇を取ってカナダに旅行してきたばっかりのロエルに、たかだか1400ポンドのお金の融通が出来ないはずはないし、お 金の送り方も面倒くさそう、さらに2~3日前にPRAで彼に会ったばっかりなので、半信半疑で、とりあえずほっておいた。 そして次に入ったのが、次のメールだ。ロエルとは親交のある日本人退職者の方からだ。 “皆さん、お早うございます。お元気でお過ごしでしょうか。当地はやっと雨季に入り、一寸涼しくなりました。 ところで、日本では電話による「振込め詐欺」の被害が多く出ていることを知っていますが、Eメールでも「振込め詐欺」があることをお知らせしたいと思います。 昨朝、あるフィリピン人からEメールが届きました。メールのタイトルは「緊急なお願い」でした。彼は私がフィリピンの永住ビザ゛を取得する際にお世話に なった公務員で、その後、彼をイロイロの拙宅やタイの農園へ招待しりして親交を深めてきました。そのメールの内容は、彼の姪が心臓の手術をロンドンで受け なければならなくなったので、緊急にロンドンへ来た。しかし、輸血や手術の費用が莫大であるので、至急支援をお願いしたいというものでした。そして送金先 や受取人の名前(彼の名前)と住所も併記してあり、CC欄にはたくさんのアドレスが書かれており、それには私の別のアドレスも含まれていましたので、その メールを信頼し、なけなしのお金を近所にある指定の送金屋から送金すると同時に、送金したことをメールで彼に知らせました。 その直後、 彼から電話が掛かりました。彼は「私はロンドンにいない。マニラにいるよ。お金を送らないで!国家警察に事件を知らせる調書を出す。」というものでした。 彼は他の友人からの問合せで「振込め詐欺」に気付き、関係の友人に電話してきたのです。私は急いで送金屋へ行き、送金をキャンセルし、お金を払い戻しても らいましたが、送金手数料(800ペソ)の払い戻しはできませんでした。 […]

フィリピン版振込め詐欺にご注意 2010年6月30日