
10月某日、独立行政法人 防災科学技術研究所の方からコンタクトがあった。このブログの台風の記事を見てのことだった。台風16号オンドイおよび17 号ペペンはフィリピンルソン地域に甚大な被害をもたらしたが、日本としてきちんと調査を行い災害の被害、原因などを見極め、将来の支援のよりどころとするというのが目的だ。現地調査はバギオとマニラのバイ湖(ラグナ湖)北方を中心に行い、その他、MMDA(Metro ManilaDevelopment Authrity)、DCC(Disaster Cordinating Council)などの管轄官庁やADB(アジア開発銀行)、JAICAなどのヒアリングならびに資料収集を行なった。 11月26日、防災科研の一行はマニラ空港に到着すると、その足でバギオに向った。バギオに通じるケノン・ロードにさしかかったころはすでに暗かった。このケノン・ロードの被害がバギオへの物資の補給路を立ち、災害の被害を助長したのだ。ケノン・ロードの被害状況は帰りに調査したが、この1000メートル以上の高低差がある道路を昇りきると、そこにはバギオ市が広がっている。まさに天空の都市といえる大都市だ。この都市にいたる道はケノン・ロードとマルコス・ハイウエイしかなく、それが絶たれると空輸しか物資を補給する術がない。食料はそれで何とかなったとしてもガソリンや飲み水の補給ができず、一時、市民の生活は脅威にさらされた。 バギオには平地がほとんどない。したがって家や道路は急斜面に這うように作られている。市の建築許可を得ないで建設されている家屋も多く、それらが今回の台風で地すべりとともに泥流に流されるなど大きな被害を被ったのだ。 この付近は湖のそこのような地形になっていて排水暗渠でさばききれない水が流れ込んで一気に冠水した。水位はたちまちの内に上がって、10m程度まで達したそうで、当然周囲の家は水に沈んでしまった。その時の状況をバランガイ・キャップテンから説明を受けた。この地域の被害は充分な排水路を建設していない市の怠慢あるいは予算不足が原因と思われる。しかし、100年に1回といわれる大雨にインフラがついていくことができなかった、という見方も出来る。 街のあちらこちらに地すべりのあとが見える。これらはこれら山間部を切り開いて道路や住宅地を開発したためではあろうが、こんな山間部にこのような巨大な都市を建設したこと事態に無理があったという印象をぬぐいきれない。フィリピンで涼しさを味わえる唯一の地域ということで人気を集め、観光のメッカとなり、さらにここに住むことがステータスともなって、ブームになったものだ。しかし、軽井沢のように単なる別荘地帯として留まっていれば、このような大きな問題ともならなかっただろう。 […]