Daily Archives: August 23, 2009


  退職者の依頼でいくつかのマカティのコンドミアムを調査した。相場など昨今のコンドミニアム事情の把握の参考になれば幸いだ。ただし、今回はフィリピン、マニラ、そしてマカティの中心と、住居費がもっとも高いところの紹介であって、マカティの中心を外れれば、半値あるいはそれ以下で充分安全な住居を確保できる。さらに、地方に行けば、そのまた半値でも住居の確保は可能だ。   グリーンベルトに隣接するレガスピ・ビレッジはグロリエッタ・ショッピングモールやグリーンベルトのレストラン街に近く、都会派には絶好の環境を提供している。特にアヤラ・コーポレーションが開発している超高級コンドミニアム、レジデンス・グリーンベルト三棟(写真下)の完成が間近となり、ここに住むことがステイタスにもなりつつある。  レガスピ・ビレッジのBSAタワーはシャングリラ・ホテルやグロリエッタを眼下に臨み、すばらしい眺望だ。フル・ファーニッシュ(家具つき)1ベッドルーム69m2(駐車場無し)で、6.9 百万ペソ、平米10万ペソになる。築10年近い物件なので、新築なら13~4万ペソ/m2はするだろう。   同じくレガスピ・ビレッジのグリーンベルト・パーク・プレイス。1ベッドルーム、42m2(駐車場付)、築3年、セミ・ファーニッシュ(一部家具付)、 5.5百万ペソ、平米13万ペソ/m2だ。この狭さで550万ペソをするとは驚きだった、一昔前なら、せいぜい半分の300万ペソは行かなかったと思う。どうもアヤラのレジデンスが相場を引き上げてしまったのだろう。ちなみにレジデンスは完成時で17~8万ペソ/m2するというから一昔前の倍以上だ。   レガスピ・ビレッジから北へ少し行ったところがサルセド・ビレッジだ。こちらはショッピングモールやグリーンベルトから少々離れており、オフィスビルが多いエリアで居住という点ではレガスピ・ビレッジが優れている。   ザ・ピークのペントハウスは、2ベッドルーム、100m2と大きめで、フル・ファーニッシュで8百万ペソ、平米8万ペソだ。築20年ということで、この値段なのだろうが、この地区のコンドミニアムは120平米前後で大体8百万ペソ程度だった(ただし、家具なし)。こっちの不動産価格はあまり高騰していないようだ。   マカティの中心街の外周を走るパソンタモ通り、パサイロードあるいはブエンディア通り沿いに新しいコンドミニアムが建設されていることは、前にも紹介した。数年前に完成した、パソンタモとブエンディアの交差点に近い、オリエンタル・ガーデンのペントハウスを見学したが、大きくて高額なために売れ残っているようだ。すでに夜になっていたが、その夜景の美しさに驚嘆した。  このペントハウスには40m2程度のテラスがついており、ガーデニングも楽しめる。メゾネットになっていて、1階はリビング、ダイニング、台所の供用部分、2階がファミリールームやベッドルームのプライベイトゾーンになっている。2ベッドルーム、200m2、フル・ファーニッシュ、17.5百万ペソ、約9万ペソ/m2だ。マカティの中心街をはずれるだけ安めのようだ。日本であれば、数億する物件であろうが、それが3500万円という日本のざらにあるマンション程度のお金で買えるとあって、退職者は深いため息をついていた。 […]

コンドミニアム事情(マカティ)2009年8月23


 マニラの南、約50kmに位置するタガイタイは、マニラから車で約1時間という近距離にありながら、風光明媚で冷涼な気候により、マニラッ子のピクニックあるいは別荘のメッカとして休日は渋滞が起こるほどの人気観光スポットだ。五つ星のタアルビスタ・ホテルは最近増設を完了し、タアル湖を望む絶好の位置に客室を設けている。タアル湖を囲む外輪山の上にあることから、フルーツや牛肉の名産地で、通り沿いには産地直売の売店が列をなしている。特にパイナップルは季節になると只みたいな値段で売られている。  マホガニー・マーケットはそんな直売所を集めたところで、果物、野菜、肉、乾物、日用品雑貨、トロトロ・レストランなどが所狭しと並んでおり、リゾートにいながらにしてフィリピンを味わうことが出来る。マホガニーマーケットへ行くには、タガイタイのメインロードを進み、タアル・ビスタ・ホテルを過ぎたところで、向こうからこちらに向って二股になっているところがある、そこを戻るように右折して、しばらく行くと左側にある。ちょっとわかりにくいので人に聞きながらいくとよいだろう。   牧畜が盛んでないフィリピンでタガイタイは唯一とも言える牛肉の産地で、その日屠殺したばかりの牛肉が市場で売られている。上から吊るされた牛肉を必要なだけカットして売ってくれるのだが、気の弱い女性にはちょっときついかもしれない。ただし、ここの牛肉はテンダロインといっても、歯ではなかなか噛み切れないので、ステーキには向いていないと思う。この日は殺したばかりの牛肉がまだぴくぴくと動いているのに出っくわしたので、動画で撮影してみた。  マホガニーマーケットの目玉は牛肉以外には新鮮で格安な果物だ。日本では見たことの無い果物が所狭しと並んでいるので、色々試してほしい。また、マーケットの端っこでは果物の苗木や花木がいろいろ売っている。庭のある家に住んでいる方は手入れさえ怠らなければ熱帯の完熟もぎたて果物をエンジョイできるだろう。もちろん温室など必要ない。ここは熱帯なのだ。蘭の花なども簡単に栽培できる。しかも一本100~200ペソと大変安い。  ご存知の方も多いかと思うが、世界最大の果物はジャックフルーツ(ランカ)だ。左下の写真は特大のランカで、優に40~50kgはあろう。隣のパイナップルと比べてほしい。右の写真が輪切りにしたもので種の周りの柔らかいぬっぺりした実を食べる。少々匂うが、ドリアンより大分ましだ。このランカは極めて栽培が容易で日本の柿のように裏庭に苗を植えておけば、4~5年で立派な実がつく。子供の体重ほどもある立派な奴が実ることもある。ちなみに私の農場には 10本以上のランカの木が植えてあるので、数年後には巨大なランカの実が一年中楽しめるだろう。 

マホガニーマーケット(タガイタイ)2009年8月23日



 日本大使館の帰り、退職者の方を案内してイントラムロスを訪問した。イントラムロスはスペイン統治時代の面影を残す情緒溢れる街だ。城壁に囲まれた中は自由に出入りができ、マニラ大聖堂、サンアガスティン教会、カーサ・マニラなどの歴史的建物や、出入国管理局、マプア大学などがあり、現役の街として機能している。道路もいたるところに石畳が残っている。   イントラムロスの中心に位置するサン・アガスティン教会はフィリピン最古の教会の一つで、バロック様式の教会群として、世界遺産にも登録されている。内部は何度か訪れたことはあったが、教会の右手に併設されている博物館を見物するのは初めてだった。内部は意外と広大で、礼拝堂の中ばかりか、2階のパイプオルガン、各種資料館など、なかなか興味深い。特に2階から眺める礼拝堂は迫力満点だ。   サン・アガスティン教会の隣はカーサ・マニラ博物館で、スペイン統治時代の特権階級の住宅がそのまま残っている。当時の生活をうかがわせる食堂や台所、トイレや風呂など興味深い。もともと、いくつかの住宅が中庭をはさんで隣接しているようで、おみやげ物屋や、レストランもある。時にはこの中庭で結婚式の披露宴をやることもある。ヨーロッパ建築ではこの中庭がとてもすばらしい。プライバシーを守りながら屋外の空気を味わえる、今の日本の家ではありえない構造だ。ちなみにカーサとは家を意味して、カサ・ブランカとは白い家という意味だ。現在、単にカーサというと置屋を意味するらしい。

歴史地区イントラムロス訪問 2009年8月23日


 8月5日午前11時半、マニラ大聖堂を出発したコーリーの棺はロハスボリバード通り、サウス・ルソン・エクスプレス・ウエイを通過して、21km離れたスーカットの墓地に向った。沿道には20万人あるいは30万人ともいわれる人々が小雨の中を見送った。また、全局ぶっ続けで行なわれたテレビ中継を見ていた人は数百万あるいは数千万人に及んだと推定される。   日本ではあまり見かけなくなったが、フィリピンでは霊柩車を先頭に身内や知り合いの人が歩いて墓地へ向うのが習慣だ。マニラ大聖堂からマニラ・メモリアル・パークへの21kmの道のりを数多くの人が歩いた。高速道路へ入れば歩く人々はいなくなるだろうと主催者は見込んでいたそうだが、人の列は絶えることなく、ゆっくりとした行列は8時間後、ようやく墓地へ到着した。一方、エストラーダ前大統領を初めとする多くの次期大統領候補者は車で行列に参加し、車中から手を振り、コーリー人気にあやかろうとしていた。  棺につきそって直立不動の姿勢を続けた軍人は8時間の間、微動だにしなかった。喉の渇きは顔を流れる雨のしずくで癒し、硬直する足の筋肉は指を動かして凌いだという。「耐える」という軍人魂を失っていない軍人もいるようだ。   3~4時間で到着するであろうと見込まれた棺をスーカットで待つ人々は雨の中で4~5時間待つはめになった。さらに墓地では多数の軍人や警官が整列して棺を待ち続けた。アキノ一家はアロヨ大統領の、国葬という申し出を断ったが、国葬以上の国葬といわれた葬儀はアキノ元大統領に対する国民の愛着と畏敬の念を印象付けた。   マニラ・メモリアル・パークには故ベニグノ・アキノ元上院議員が眠っている。コーリーは夫の脇に埋葬されたが、1983年マルコス元大統領に夫を暗殺されて以来、大統領という激務を経て26年ぶりに最愛の夫とすごすことになったのだ。これはフィリピン近代史を飾る英雄の死ともいえ、このような葬儀が行なわれることは2度と無いだろう。  クリス・アキノは会見で、ベニグノ、コーリー・アキノの遺志の正統な継承者は兄のベニグノ・アキノ上院議員と自分だと宣言したそうだ。近い将来、この二人が政権をになうことは、今回のコーリーの死に対する圧倒的な国民の哀悼の意を見ても当然の成り行きだと思う。

巨星逝く、コーリーアキノの死(その3)2009年8月23日