shiga


  EDSA通りを北に向かいオルテガス・アベニューを左に折れてしばらく行くとグリーンヒルに出る。この付近には中国人のお金持ちが多く住んでおり、先ごろ無くなったコーリー・アキノの通夜もこの付近にあるラサール大学で行なわれた。ここにあるのがグリーンヒルズ・ショッピング・センターだ。ここはSMやロビンソンなどの通常のモールと違い、デビソリアやバクラランにあるような無数の1坪ショップの集合体だ。したがってあたかもデビソリアやバクラランにいるような掘り出し物を探す気分を味わえる。それに冷房が効いたビルの中なので、快適なショッピングが楽しめる穴場だ。観光の本には詳しく紹介されていないので、日本人はほとんどみかけない。   「きんぷら」という意味のわからない店名の日本食レストラン付近で車を降りて中へ入ると、バッグ、ポロシャツや靴を売る一坪ショップの群れに圧倒される。しかも、そのほとんどが、シャネル、ルイビトン、バーバリー、コーチ、ディーゼル、アディダス、ポロ、などのコピー商品だ。それらの商品はほとんどが 1000円~3000円程度で売っているのだ。一つ一つの店は一坪以下だが、店内所狭しと商品が積み上げてあるので、恐ろしいほどの数だ。本物だとしたら天文学的な価格になるだろう。    バッグ売り場の横に広がっているのが宝飾品の店で、200店くらいはありそうだ。主にミンダナオで採れる天然真珠で作ったネックレスなどを売っているが、赤珊瑚のネックレスもなかなか良い。こっちの方は本物で高価なものとなると数十万円するものもある。しかし、天然真珠のネックレスでも1000円以下で買えるから、おみやげなどにもってこいだ。バッグや宝飾品にしても、向こうの言い値で買ってはいけない。半値位から交渉を始めるのが良い。なかなかうんといわなかったら、2個買うから半値にしろとか、帰るふりをするとかすると大抵OKとなる。   退職者の方がネックレスを2本買ったが、1000ペソ程度の売り上げに、今日最初の客で縁起が良いと、うれしそうな顔をしてくれた売り子は、ミンダナオ出身。この辺を歩いているとスカーフで頭をくるんでいる売り子が多いが、彼らはモスリム(イスラム教徒)だ。ちなみに彼女はクリスチャンだそう。     バッグ売り場に混ざって、時計売り場がある。よく見るとほとんどがなじみの深いローレックスなどのブランド品(のコピー商品)だ。価格は1000ペソ程度からで、品質の高いAAA(トリプルA)などとなると、2000ペソ程度に値段は張るが、品質も本物に負けないくらいできが良いらしい。値段交渉のコツはバッグや宝飾品と同じ半値からはじめることだ。    ローレックスの他にはカルチェ、ブルガリなどが定番だが、この日はバセロン・コンスタンチンを見つけた。オーディマ・ピゲやパティック・フィリップと並ぶ世界一の高級時計ということで、若いころあこがれていたものだ。30年以上前で200~300万円していたやつだが、交渉の結果、2個で3,800ペソ (7600円)で買うことができた。一個3800円なら普通の時計が買えてしまうが、眺めているだけでもとても美しい時計だ。ペア・ウオッチなので1個は日本の妻にプレゼントするつもりだ。下の写真の時計の文字盤に小さな文字でくっきりと「VACHERON […]

ショッピングの穴場、グリーンヒル訪問 2009年8月28日


  先ごろ、フレンドシップ・ツアーの岩崎さんのメール・マガジンで紹介された「蘇州点心」というエルミタ、マビニ通りの中華料理屋で食事をする機会があった。つくりは地味でレストランというよりも食堂といった感じで、中国のどこにでもありそうな庶民の食事どころだ。となりは京風ラーメンという店で、日本人のたまり場のようで、次回試してみたいと思う。「蘇州点心」の場所はカラオケボックスMusic21の向かいだからわかりやすい。   確か岩崎さんのメール・マガジンには白身魚のお粥にマーボー豆腐をぶっかけて、酢漬けキュウリを食べるのが通と書いてあったと思う。それと全く同じものを注文してみた。味はあっさりしていて、軽い昼食にぴったりだ。他にもメニューは色々ある、ちょくちょくたずねて色々試してみたいと思う。なにしろ3人で食べてたったの700ペソ足らず。飲み物も入れての値段だから、たびたび来ても負担にならない。   メニューは写真付でわかりやすい。また、ほとんどの料理が100ペソ程度で、200ペソを超える料理はほとんど無い。(画像をクリックして拡大してみてください)

蘇州点心(マビニ通り)2009年8月25日



  フィリピンでは家のオーナーが材料を調達して、工事を請け負った工務店あるいは直庸の親方に材料を支給して家の建設をすることが多い。あるいはコンクリートなどの躯体工事は材料込みで発注し、設備及び内装などの仕上げ材料はオーナーが支給して、工事だけを請け負わせることもある。このほうがオーナーの好みを反映できて理屈にかなっていると思う。したがって、フィリピンでは日本のDIYなどとは比べものにならないほど設備や建設資材を売る大きなショップが、全国いたるところにあり、業者もそのような店から資材を調達する。  このようなショップをハードウエア・ショップと呼ぶが、オーナーはほとんど中国人で、チャイナ・タウンには建設資材や工具を売る店が軒を連ねる通りがあり(Theodora Alonzo St. 英雄Jose Rizalの母親の名前をとっている)、格安で買うことができる。ハードウエア・ショップで財をなした中国人も多く、地方の都市で目抜き通りに大きな店を構えているのは、ほとんどが中国人が経営するハードウエア・ショップだ。   マカティ市パソンタモ通りのマカティ・スクエアの近く、ウオルター・マートをちょっと南に下ったところにウイルコンというショップがある。間口と奥行きが100m位ある大きな店で、ほとんどありとあらゆる建設資材がおいてある。  入り口付近は床のタイルとトイレ設備が並び、タイルとともに天然石の床材もあるが、60cm角で1000円程度と安い。ほとんどが中国からの輸入品で、タイルもフィリピン産のものより、中国産のものが安いようだ。  最近はフィリピンでもウオシュレットが普及しつつあり、TOTOのウオシュレットも、果たして買う人がいるのかと思うくらいの高価格で売られている(10 万~15万円程度)。ジャグジも多く、こっちは10万円程度からと安いが、これら豪華な浴槽を見るとフィリピンのお金持ちの私生活を伺うことができる。   店の奥に入っていくとドアや壁材、照明等が並ぶ。さらにその奥は蛇口やシャワーなどの水周りの器具、ペイントなども山のように並んでいる。昨今のマンションブームを見ても、これら住宅建設資材の需要は留まることを知らないようだ。

住宅建設資材を買うならウィルコン 2009年8月25日


  この日朝方、強い雨が降ったために、マニラの道路はいたるところで冠水した。チャイナタウンにむかう途中にあるイントラムロス、あるいはリザール・パーク周辺の道路は川のようになってしまった。我々4人を乗せた勇気あるタクシー・ドライバーはこの水をものともせず、目的地に向ってひた走った。途中で若干の床上浸水もあったが、なんとかチャイナタウンにたどりつくことができた。   チャイナタウンは正式にはビノンド地区を中心とし、ブラック・ナザレで有名なキアポ、フィリピンの問屋街デビソリアなどを含む地域一体を指している。要は中国人が多く住み、商業の中心として機能してきた地域だ。  ビノンド地区の象徴はビノンド教会だ。ここを出発点として教会の左手裏へ回る道がチャイナタウンを横断するオンピン通りだ。チャイニーズ・ニュー・イアーでは獅子が舞い、爆竹が鳴り響いた通りで、漢方薬を売る店や中国の飾り物を売る店が並ぶ。オンピン通りの終点はサンタクルス教会だ。その辺は金ショップが建ち並び、中国人あるいは華僑は世界共通の通貨、金を財として好むことをうかがわせる。  サンタ・クルス教会の裏手に回るとLRT1(高架鉄道)のカリエド駅がある。そこから、キアポ教会へむかうカリエド通りが見ものだ。果物、野菜、雑貨、洋品などを売る屋台が軒を連ねる。この日は雨で水が出ているため、残念ながら道路にはほとんど屋台が出ていなかった。  キアポ教会はブラック・ナザレと呼ばれる黒いキリスト像を祭り、庶民の信仰を集めている。1月9日のフィエスタには100万人の熱心な信者が集まり、パレードするブラックナザレのご神体に触れ、ご利益に預かろうとする人々が殺到する。この日は同行したマッサージ嬢にモデルとなってもらった。   キアポ教会の至近距離にパレンケ(マーケット)がる。ごく普通のウエット・マーケットだがその名がキンタ・マーケットとといい、以前にもどこかで紹介したことがあるが、昭和60年ごろはやった名曲「金太の大冒険」に出てきそうな名前だ(「金太負けるな、金太負けるな、キンタマ蹴るな」ではじまる駄洒落の歌だ)。  キアポ教会から歩いてほんの5分ほどのところなのだが水が出ていて歩けない。しかしその辺のところは心得ていて、パジャック(サイドカー付自転車)に載ってたどりつくことができた。料金は20ペソでかなり高い。泥水の中では子供が遊んでいた。   オンピン通りに戻って、川沿い(と言ってもどぶ川だが)の屋台風の中華レストランで食事を取った。テレビでも紹介された穴場なのだが、4人で6皿、飲み物も取って、全部で690ペソ、1400円という値段に同行した日本人はびっくりしていた。それでいてとてもおいしくて料もたっぷりなのだ。一方、喧騒の街、チャイナタウンでも高層化の波が押し寄せている。

洪水のチャイナタウン・キアポ探検 2009年8月24日



  退職者の依頼でいくつかのマカティのコンドミアムを調査した。相場など昨今のコンドミニアム事情の把握の参考になれば幸いだ。ただし、今回はフィリピン、マニラ、そしてマカティの中心と、住居費がもっとも高いところの紹介であって、マカティの中心を外れれば、半値あるいはそれ以下で充分安全な住居を確保できる。さらに、地方に行けば、そのまた半値でも住居の確保は可能だ。   グリーンベルトに隣接するレガスピ・ビレッジはグロリエッタ・ショッピングモールやグリーンベルトのレストラン街に近く、都会派には絶好の環境を提供している。特にアヤラ・コーポレーションが開発している超高級コンドミニアム、レジデンス・グリーンベルト三棟(写真下)の完成が間近となり、ここに住むことがステイタスにもなりつつある。  レガスピ・ビレッジのBSAタワーはシャングリラ・ホテルやグロリエッタを眼下に臨み、すばらしい眺望だ。フル・ファーニッシュ(家具つき)1ベッドルーム69m2(駐車場無し)で、6.9 百万ペソ、平米10万ペソになる。築10年近い物件なので、新築なら13~4万ペソ/m2はするだろう。   同じくレガスピ・ビレッジのグリーンベルト・パーク・プレイス。1ベッドルーム、42m2(駐車場付)、築3年、セミ・ファーニッシュ(一部家具付)、 5.5百万ペソ、平米13万ペソ/m2だ。この狭さで550万ペソをするとは驚きだった、一昔前なら、せいぜい半分の300万ペソは行かなかったと思う。どうもアヤラのレジデンスが相場を引き上げてしまったのだろう。ちなみにレジデンスは完成時で17~8万ペソ/m2するというから一昔前の倍以上だ。   レガスピ・ビレッジから北へ少し行ったところがサルセド・ビレッジだ。こちらはショッピングモールやグリーンベルトから少々離れており、オフィスビルが多いエリアで居住という点ではレガスピ・ビレッジが優れている。   ザ・ピークのペントハウスは、2ベッドルーム、100m2と大きめで、フル・ファーニッシュで8百万ペソ、平米8万ペソだ。築20年ということで、この値段なのだろうが、この地区のコンドミニアムは120平米前後で大体8百万ペソ程度だった(ただし、家具なし)。こっちの不動産価格はあまり高騰していないようだ。   マカティの中心街の外周を走るパソンタモ通り、パサイロードあるいはブエンディア通り沿いに新しいコンドミニアムが建設されていることは、前にも紹介した。数年前に完成した、パソンタモとブエンディアの交差点に近い、オリエンタル・ガーデンのペントハウスを見学したが、大きくて高額なために売れ残っているようだ。すでに夜になっていたが、その夜景の美しさに驚嘆した。  このペントハウスには40m2程度のテラスがついており、ガーデニングも楽しめる。メゾネットになっていて、1階はリビング、ダイニング、台所の供用部分、2階がファミリールームやベッドルームのプライベイトゾーンになっている。2ベッドルーム、200m2、フル・ファーニッシュ、17.5百万ペソ、約9万ペソ/m2だ。マカティの中心街をはずれるだけ安めのようだ。日本であれば、数億する物件であろうが、それが3500万円という日本のざらにあるマンション程度のお金で買えるとあって、退職者は深いため息をついていた。 […]

コンドミニアム事情(マカティ)2009年8月23


 マニラの南、約50kmに位置するタガイタイは、マニラから車で約1時間という近距離にありながら、風光明媚で冷涼な気候により、マニラッ子のピクニックあるいは別荘のメッカとして休日は渋滞が起こるほどの人気観光スポットだ。五つ星のタアルビスタ・ホテルは最近増設を完了し、タアル湖を望む絶好の位置に客室を設けている。タアル湖を囲む外輪山の上にあることから、フルーツや牛肉の名産地で、通り沿いには産地直売の売店が列をなしている。特にパイナップルは季節になると只みたいな値段で売られている。  マホガニー・マーケットはそんな直売所を集めたところで、果物、野菜、肉、乾物、日用品雑貨、トロトロ・レストランなどが所狭しと並んでおり、リゾートにいながらにしてフィリピンを味わうことが出来る。マホガニーマーケットへ行くには、タガイタイのメインロードを進み、タアル・ビスタ・ホテルを過ぎたところで、向こうからこちらに向って二股になっているところがある、そこを戻るように右折して、しばらく行くと左側にある。ちょっとわかりにくいので人に聞きながらいくとよいだろう。   牧畜が盛んでないフィリピンでタガイタイは唯一とも言える牛肉の産地で、その日屠殺したばかりの牛肉が市場で売られている。上から吊るされた牛肉を必要なだけカットして売ってくれるのだが、気の弱い女性にはちょっときついかもしれない。ただし、ここの牛肉はテンダロインといっても、歯ではなかなか噛み切れないので、ステーキには向いていないと思う。この日は殺したばかりの牛肉がまだぴくぴくと動いているのに出っくわしたので、動画で撮影してみた。  マホガニーマーケットの目玉は牛肉以外には新鮮で格安な果物だ。日本では見たことの無い果物が所狭しと並んでいるので、色々試してほしい。また、マーケットの端っこでは果物の苗木や花木がいろいろ売っている。庭のある家に住んでいる方は手入れさえ怠らなければ熱帯の完熟もぎたて果物をエンジョイできるだろう。もちろん温室など必要ない。ここは熱帯なのだ。蘭の花なども簡単に栽培できる。しかも一本100~200ペソと大変安い。  ご存知の方も多いかと思うが、世界最大の果物はジャックフルーツ(ランカ)だ。左下の写真は特大のランカで、優に40~50kgはあろう。隣のパイナップルと比べてほしい。右の写真が輪切りにしたもので種の周りの柔らかいぬっぺりした実を食べる。少々匂うが、ドリアンより大分ましだ。このランカは極めて栽培が容易で日本の柿のように裏庭に苗を植えておけば、4~5年で立派な実がつく。子供の体重ほどもある立派な奴が実ることもある。ちなみに私の農場には 10本以上のランカの木が植えてあるので、数年後には巨大なランカの実が一年中楽しめるだろう。 

マホガニーマーケット(タガイタイ)2009年8月23日



 日本大使館の帰り、退職者の方を案内してイントラムロスを訪問した。イントラムロスはスペイン統治時代の面影を残す情緒溢れる街だ。城壁に囲まれた中は自由に出入りができ、マニラ大聖堂、サンアガスティン教会、カーサ・マニラなどの歴史的建物や、出入国管理局、マプア大学などがあり、現役の街として機能している。道路もいたるところに石畳が残っている。   イントラムロスの中心に位置するサン・アガスティン教会はフィリピン最古の教会の一つで、バロック様式の教会群として、世界遺産にも登録されている。内部は何度か訪れたことはあったが、教会の右手に併設されている博物館を見物するのは初めてだった。内部は意外と広大で、礼拝堂の中ばかりか、2階のパイプオルガン、各種資料館など、なかなか興味深い。特に2階から眺める礼拝堂は迫力満点だ。   サン・アガスティン教会の隣はカーサ・マニラ博物館で、スペイン統治時代の特権階級の住宅がそのまま残っている。当時の生活をうかがわせる食堂や台所、トイレや風呂など興味深い。もともと、いくつかの住宅が中庭をはさんで隣接しているようで、おみやげ物屋や、レストランもある。時にはこの中庭で結婚式の披露宴をやることもある。ヨーロッパ建築ではこの中庭がとてもすばらしい。プライバシーを守りながら屋外の空気を味わえる、今の日本の家ではありえない構造だ。ちなみにカーサとは家を意味して、カサ・ブランカとは白い家という意味だ。現在、単にカーサというと置屋を意味するらしい。

歴史地区イントラムロス訪問 2009年8月23日


 8月5日午前11時半、マニラ大聖堂を出発したコーリーの棺はロハスボリバード通り、サウス・ルソン・エクスプレス・ウエイを通過して、21km離れたスーカットの墓地に向った。沿道には20万人あるいは30万人ともいわれる人々が小雨の中を見送った。また、全局ぶっ続けで行なわれたテレビ中継を見ていた人は数百万あるいは数千万人に及んだと推定される。   日本ではあまり見かけなくなったが、フィリピンでは霊柩車を先頭に身内や知り合いの人が歩いて墓地へ向うのが習慣だ。マニラ大聖堂からマニラ・メモリアル・パークへの21kmの道のりを数多くの人が歩いた。高速道路へ入れば歩く人々はいなくなるだろうと主催者は見込んでいたそうだが、人の列は絶えることなく、ゆっくりとした行列は8時間後、ようやく墓地へ到着した。一方、エストラーダ前大統領を初めとする多くの次期大統領候補者は車で行列に参加し、車中から手を振り、コーリー人気にあやかろうとしていた。  棺につきそって直立不動の姿勢を続けた軍人は8時間の間、微動だにしなかった。喉の渇きは顔を流れる雨のしずくで癒し、硬直する足の筋肉は指を動かして凌いだという。「耐える」という軍人魂を失っていない軍人もいるようだ。   3~4時間で到着するであろうと見込まれた棺をスーカットで待つ人々は雨の中で4~5時間待つはめになった。さらに墓地では多数の軍人や警官が整列して棺を待ち続けた。アキノ一家はアロヨ大統領の、国葬という申し出を断ったが、国葬以上の国葬といわれた葬儀はアキノ元大統領に対する国民の愛着と畏敬の念を印象付けた。   マニラ・メモリアル・パークには故ベニグノ・アキノ元上院議員が眠っている。コーリーは夫の脇に埋葬されたが、1983年マルコス元大統領に夫を暗殺されて以来、大統領という激務を経て26年ぶりに最愛の夫とすごすことになったのだ。これはフィリピン近代史を飾る英雄の死ともいえ、このような葬儀が行なわれることは2度と無いだろう。  クリス・アキノは会見で、ベニグノ、コーリー・アキノの遺志の正統な継承者は兄のベニグノ・アキノ上院議員と自分だと宣言したそうだ。近い将来、この二人が政権をになうことは、今回のコーリーの死に対する圧倒的な国民の哀悼の意を見ても当然の成り行きだと思う。

巨星逝く、コーリーアキノの死(その3)2009年8月23日



  8月3日(月)、コラソン・アキノ元大統領(通称コーリー)の棺はグリーンヒルからマカティ中心のパセオ・デ・ロハス通りを経て、イントラムロスのマニラ・カテデラル(マニラ大聖堂)に移された。パセオ・デ・ロハス通りとアヤラ通りの交差点にはコーリーの夫のベニグノ・アキノ元上院議員が暗殺された時の銅像が建っているため、わざわざ迂回したのだ。  葬儀の中継のタイトルは「ありがとう(Salamat)、コーリー」だった。これはアキノ大統領が歴代の大統領の様に私利私欲にとらわれること無しに、心から国を憂い、生涯、正義と信念を貫き通したことに対する国民の声だ。   8月4日(火)のテレビはほとんど1日中、告別式の様子を中継していた。その主役は息子のベニグノ・アキノ上院議員と女優で娘のクリス・アキノだ。また、もう一方の歴史上の人物であるイメルダ・マルコス元大統領夫人も姿を見せていた。軍や警察のゼネラル全員、主だった政治家、国中の名士が弔問したが、一般人はマニラ大聖堂を取り囲み、約5時間待ちだったという。コーリーに別れを告げる人の列は朝まで絶える事がなかった。       弔問に現れるかどうか、現れたらアキノ一家が拒否するのではないかと注目されたアロヨだったが、そのようなこともなく、そそくさと祈りを済ませると、たった7分間で教会を離れた。一国の大統領も英雄の前では小さく見えた(もっとも150cmにも満たない小柄な彼女なのではあるが)。アメリカ大統領のオバマもメッセージを送った。  翌5日(水)棺は、21kmはなれたパラニャケ市スーカットのマニラ・メモリアル・パーク移送され埋葬される。この日は国民の祝日となったが、これはコーリーの埋葬に多くの市民が参列し、1986年、マルコスを追いやったエドサ革命が再現されるのを、アロヨが恐れたという話だ。また彼女自身が埋葬にも参加しなかったのは、コーリーは生前、アロヨ大統領の腐敗政治を糾弾していたが、コーリーへの敬愛と回想が渦巻く中で、自分への憎悪が湧き上がる渦中に飛び込む勇気がなかったのだ。(続く)

巨星逝く、コーリー・アキノの死(その2)2009年8月13日


 先日、空港に出迎えに来てほしいという依頼に対して、「JALなどの外国の飛行機が到着する第1ターミナルは出迎えの人と出会うのがきわめて難しいから、空港タクシーのクーポンタクシーかイエロータクシーを使ってホテルに向うのが最も安全で確実」とアドバイスした。  第1ターミナルはターミナルビルを出ると出迎える人や車、タクシーが通過するので、慣れない到着客はそこで出迎えの人を待ってしまう。しかし一般の出迎えの人は特別な許可を取らないと、そこには入ることは出来ず、さらに道路を渡って直進し左右に分かれた斜路をくだらなければならない。そして初めて道路の向かい側に出迎えの人の群れを見ることができるのだ。名札をかかげるという手もあるがお互いに顔を知らないとほとんど出会う術がない。例え知り合いの出迎えでも携帯で位置を確認しながら、無事に出会うまで大変な労力を要する。その間の到着客の不安感は計り知れないものがあるだろう。   お盆休みのせいか3組のゲストがほとんど同時に訪問された。そのうち2組の方がなんとあろう空港タクシーに被害にあってしまったのだ。上記の通りで「出迎えは難しい、空港タクシーが安全で確実」と言った矢先のことだ。金銭被害のみで、たしかに安全、確実にホテルには到着したのだが、このようなことがあるとフィリピンの印象を台無しにするので、当方としては空港の管理者に手紙を書いて善処してもらおうと思っている。 .  ちなみに私が「空港タクシーが間違いない」とアドバイスしたY.Uさんは、その後フィリピン人の知り合いの都合がついて出迎えてもらえることになった。そうしたら、空港で出迎えの人に会えるまで2時間かかってしまい、往生したそうだ。こんな状況の空の玄関では「フィリピンにいらっしゃい」などといえないので、それも含めて空港に善処してほしいと思う。 .  T.Oさんの場合、フィリピン空港専用の第2ターミナルに到着したが、ターミナルビルを出て、インターナショナルとドメスティックの境界にある空港タクシーの案内所にむかった(現在は別の場所に移動しているが、看板はそのままになっているのでわかりにくい)。そこに行って聞いたら、空港のスタッフ(らしき人)がトランシーバーを使って空港タクシーを呼んでくれた。さらに領収書はあとで運転手が渡すということで乗り込んだが、1350ペソを請求された。たかがマカティまでの距離にしては法外で、通常の空港タークシー(クーポンタクシー)なら、440ペソでいけるはずだ。文句をいうと運転手はレンタカーだから高いのだという。しかし、自分は空港タクシーを使うつもりだったのになにか解せない。しかし、2000円足らずのお金で運転手と喧嘩しておかしなことになっても致し方ないので、おとなしく引き下がって支払った。      領収書には1350ペソと書いてあり、さらにその上に550ペソと上書きしてある。本当の値段はよくわからないが、空港スタッフと運転手がグルになって、空港タクシーを捜している到着客にレンタカーを押し付けて法外な料金を騙し取ったことに間違いない。ちなみに領収書に記載されたレンタカー会社の名前は PACIFIC BLUEだった。彼らがその会社と関係があるかどうか定かではないが、税務署に登録された正式な領収書を使っていた。なおクーポンタクシーはボディに青文字で大きく番号がついているので、すぐにわかる。   このレンタカーにはそれがなかったそうなので、正規のクーポンタクシーではない。また、カウンターで車の番号などを記載した紙(クーポン)をくれるので何かあったら後でクレームできる。もしそれがなくてこのような目にあったら、その場で喧嘩しないで車両番号あるいはプレート番号をメモっておくことが重要だ。なお、クーポンタクシーの案内所には行き先ごとの料金表が置いてあるで確かめておこう。ちなみにクーポンタクシーにはメーターがないので、行き先を告げてクーポンに書かれた料金を運転手に支払うが、行き先がそれと異なると追加の料金を支払わされる。(画面をクリックして拡大して見てください)  K.Sさんの場合、第1ターミナルでイエロータクシーを拾ってホテルに向うまでは良かったが、運転手がホテルを見つけることができない。周辺をぐるぐる回ってやっと見つけるまでにゆうに20~30分はかかってしまった。なんとかとどりついてほっとして、料金を聞いたら、4000ペソだという。日本円で8000円になるが、そんなものかと思って支払ってしまった。  これまたとんでもない話で、いくら迷ったとしてもせいぜい400ペソだ。イエロータクシーなら空港からマカティは200~250ペソでくる。一般のタクシーなら100ペソ程度だ。ちなみにイエロータクシーとはまっ黄色なタクシーで空港専用のタクシー。メーターがついていて実際に走行した距離により料金がチャージされるのでメーターを確認して支払おう。ちなみにプレートナンバーはレンタカーのもので、登録はレンタカーとなっているらしい。料金は普通のタクシーの倍位するが、すべて新車で、運転手のマナーもよく、ずるをするようなことは決してない(と思っていたのだが)。この場合も是非プレートナンバーをメモしておいてほしかった。

空港タクシーよ、お前もか 2009年8月13日