Monthly Archives: May 2013


先日、息子と部屋で話をしていたら、外でドスンと大きな音がした。轟きがないので雷や花火あるいは爆発ではなくて、何かが落下したような音だった。そのことはそれで忘れてしまったのだが、翌日、コンドミニアムの入り口の駐車場に止まっていた車が、ビルの外壁の落下で破壊されていたのを目撃した。もし、そこに誰かいたとしたら即死に間違いない。   片付けられた瓦礫を見ると、厚さが5cm程度あって、かなりの重量だ。鉄筋は入っていなくて、ビルの外壁の化粧モルタルのようだ。しかし、モルタルにしては異常に厚い。 上を見てみると6~7階あたりのべランダの化粧モルタルがはがれて、コンクリートがむき出しになっている。これが何かの拍子に落下したのだ。何のためにこんな分厚い化粧モルタルを施したのかわからないが、こんな余計な事が大きなリスクに結びついている。 他の部分を見てもひび割れが目立ち、地震でも来れば、ほとんどすべての化粧モルタルは剥がれて落下するだろう。そうするとビルの周辺にいた人々の多くが死傷するという大惨事になるのは間違いない。  駐車場にはロープらしきものが張られているが、そのまま駐車し続ける勇気ある人もいる。しかし、危険なのはここだけではなくて、ビルの全周だ。今、私が住んでいるプライムタワーコンドミニアムのタウンハウスは、この奥にあるので、これらのビルの傍を通過しなければならず、常にリスクがつきまとう。  自分のリスクで駐車せよと書いてあるが、まさかコンクリート片の落下を想定したものではなかろう。たまたま一緒にいた建築出身の方は、修復工事は不可能だろうとコメントしていた。ビルの管理組合、あるいはデベロッパーはどう対処するのかわからないが、とりあえず自分に身は自分で守るしかない。  フィリピンではビルの内壁や外壁の多くがブロックを積んで、モルタルで仕上げる構造となっている。だから、ほとんどのビルの外壁には、この化粧モルタルが施されていると考えたほうが良い。そうなると、地震がおきたらビルの中にいて、決して外に出ないことだ。フィリピンの地震はたかが知れているから、構造体そのものが破壊されるということは、ほとんどありえないが、ビルの外はモルタルの破片の雨が降るだろう。  1週間後くらいに、化粧モルタルの撤去作業が行われていた。状況はどの階も同じであろうに剥落した階だけのモルタルを撤去したとしても何の問題解決にはならないであろう、 だから、私は高層ビルが嫌いだ。平屋、あるいは3階ぐらいまでが自分でリスクをコントロールできる範囲で、それ以上になると、そこにいるだけで常にリスクと背中合わせになる。ちなみにこのプライムシティでコンドミニアムを買ったときは、1階は洪水のリスクがある、3階以上は火事で逃げ遅れるリスクがある、階段の傍は泥棒に狙われる、だから2階の真ん中を選んだ。ここなら、火事で逃げるとき窓から飛び降りても足を折るくらいが最大のリスクだろうと考えたのだ。ちなみに終の棲家と考えて建設した農場の家はもちろん平屋だ。

外壁コンクリート片が崩落して車を直撃 2013年5月27日


人類の死因の第一位を占める癌。考えようによっては戦争や災害あるいは原発よりも恐ろしい人類にとって最大の脅威であり敵である。しかし、癌は外部のウイルスや病原菌、あるいは毒物が入り込んで発症するのではなくて、人体の細胞の変異によって発症し、人体そのもののが敵となるために、なんとも対処が難しい存在だ。   最近やっていたNHKスペシャルで、癌の原因が、人間の進化、特に脳の発達と生殖活動に起因するという興味深い話をしていた。すなわち、脳の発達に必要な物質をFASという細胞が作り出し、それが同時にがん細胞の成長に必須の栄養素となるのだそうだ。また、精子の増殖は癌の増殖の仕組みと一緒で、ともに人間が人間たるゆえの特性で、そのために人間は、他の動物に比べてはるかに癌に罹病する確率が高いという。まさに癌は人類が進化したゆえに抱え込んだ体内爆弾=宿命なのだ。 カーネルの姪の結婚式に彼の姉妹や子供達がマニラにやってきた。多くの観客を迎えて踊りを披露して喝采を浴びるKIAN  脳の発達とがん細胞の成長の話は、さておいて、癌と生殖の因果関係は、興味のそそられる話だ。人類とチンパンジーは700万年前、共通の祖先から枝分かれして、独自の進化の道を歩んだ。そのため、人類とチンパンジーのDNAの違いはわずか1%だそうだが、その違いの中に癌をめぐる運命的な相違が隠されている。  チンパンジーのメスは、さかりがつくと、生殖器を膨らませて、オスにアピールする。オスは、それを見極めて、効率的に交尾をする。オスのプロポーズは、メスに食料を分け与えることで、お礼に交尾をさせてもらう。しかし、人間のメスは、したたかな策略を弄し、さかりがついた時に生殖器を膨らませてオスにアピールすることをやめた。そうなると、オスはいつ交尾をしたらよいかわからなくなり、のべつ幕無しにメスに交尾を迫らざるを得なくなった。そうしないと、自分の子孫を残すチャンスがなくなってしまうというわけで、結果的に年がら年中オスはメスに食料を分け与えるはめになったのだ。  農場から息子が4人の連れを伴って戻ってきた。今回は皆にはじめての飛行体験をさせるという豪華なご褒美付だ  それがメスの狙いだったが、メスにも事情があった。2足歩行を行うことにより飛躍的に脳が発達して、知恵を獲得した人類であるが、それがゆえに、産道が狭まって、赤ちゃんは未熟児状態で生まれ、数年間は母親の手厚い保護を受けなければ生き延びることができなくなった。その間、メスは自らが食料を確保することができないから、オスをたぶらかして、自分とそして赤ちゃんの食料を確保する作戦に出たのだ。  子孫を残すために、スケベという宿命を神から授けられたオスは、一日中狩をして、メスに食料を貢がなければんばらないという悲しい運命を背負ってしまった。これが、男女の関係の根源的な本質で、要は、メスが食糧確保のためにオスをスケベにして、そのスケベが癌の増殖の元になってしまったのだ。 息子の歓迎会はピザパーティ。お祝いはいつも自分のためと思っているKIANは大喜びのポーズをとる  ところで、スケベと癌と何の関係があるのだろうか。四六時中セックスをしなければならないオスは、メスを妊娠させるために精子の果てしない増殖に努めなければならなくなった。この果てしない無秩序な増殖こそががん細胞のそれだったのだ。だったら、オスだけが癌にかかるのか、という疑問が生じるが、オスとメスの違いは、それこそ、コンマ1パーセント以下のDNAの相違だから、癌になりやすい資質としてはメスもオスも一緒だ。メスの癌といえば乳がんや子宮ガンが圧倒しているが、これら生殖器に癌が集中するというのも合点がいくところだ。  人類が子孫を残そうとする資質が、癌にかかる確立を高めてきたということは、何か皮肉だが、ものごと、いいとこ取りばかりはできず、そのうらに隠されたリスクも抱え込まなければならないということを示唆している。まさに人類の繁栄は癌になりやすいという代償を持ってなしえたのだ。 ゲームとなるとKIANの出番だ。息子のタブレットに興味深げに挑戦するKIANだ  癌にかかるリスクを増大してまでも進化させてきた男のスケベと女の打算。これこそが恋愛の原動力であり、駆け引きであり、男と女のLove Gameなのだ。日本ではこの男女の関係にいろいろとややこしい人的要素が加わって私にとってすでに理解できないものになっているが、敬虔なクリスチャンであるフィリピン人は、神の教えに基づいて、男女の基本的関係を守り続けている。  婚姻を証明する書類のことをフィリピンでは婚姻契約(Marriage […]

フィリピン流恋の手ほどき(その4,癌とスケベと女の打算)2013年5月26日



先日、フィリピンの介護施設にお父さんを入居させるので、退職ビザの世話をして欲しいとの依頼があった。軽度の認知症だが、お母さんとの二人暮しで、子供達はそれぞれの生活があって、一緒に面倒を見ることはできない。高齢のお母さんは介護疲れでほとんどノイローゼで、もはや我慢の限界だという。もちろん訪問介護のサービスをも受けているが、体格の良い大柄の夫を高齢の身一つで24時間、休み無しで面倒を見るのは容易なことではない。  公共の施設を当たってみたが、まだ入院させるほどの認知症とはいえないと門前払いをくらい、申し込みさえもできなかった。特養などは、どこも数百人~数千人の順番待ちで問題外(待機者は全国で42万人にのぼる)。私立の施設に入れようものなら、経済的に子供たちすべての家計が成り立たなくなってしまう。そこでたどり着いたのが、フィリピンでの介護だ。フィリピンでは唯一ともいえる外国人向けの介護施設を見つけ、そこに入れることとなった。1ヶ月だけと、騙し騙し連れてきたそうだが、認知症の親を日本で家族が自力で面倒を見ることは並大抵な事ではなく、家族崩壊の危機に直面せざるをえない。その解がフィリピンにあったのだ。  先ごろ、大学の先生が、フィリピンの介護施設の現状についてヒアリングにやってきた。私の回答は以下の通りだ。 ①フィリピンでは介護施設は成り立たない。現にいくつもの日本人向け介護施設が作られたものの、どれも介護施設としての運営が成り立っていない。あるいはアモーレの里のようにあれほどまでに立派な施設を作ったにも関わらず、運営をスタートさせることさえもできなかった。 ②フィリピンには介護ビジネスの市場はなく、身寄りのない介護老人を収容する公的な施設があるものの、とても日本人を収容できるような代物ではない。そのようなところで、日本人向けの介護施設を作っても、ローカルの需要がないかぎり運営していくことができるだけの介護老人が集まらない。 ③介護老人を抱える日本の家庭がどんなに惨憺たる状況にあったとしても、自分の親をフィリピンに送り出すというような発想を持つことができる家庭はめったにない。自分自身がフィリピンで暮らそうと決意することさえもよほどの勇気と努力が必要なくらいなのにだ。 ④今まで作られてきた日本人向けの介護施設は、大きな投資を伴うだけに、意外と高額で、特に部屋を買いとらならなければならないので、数百万円の初期費用が必要で、日本の公共施設並みというわけには行かなかった。特に、国の補助も介護保険も利かないから、大きなメリットを見出すことができなかった。 ⑤現在、フィリピンで唯一の介護施設と、運営者が豪語するWellness Place (ケソン・シティ)は借家と住み込みの介護学生などを利用してグループホーム的に運営して、比較的安価な価格でサービスを提供している(介護の程度により、5~8万ペソ)。ここでは外国人の親、あるいは海外在住のフィリピン人の親などを収容している希少な施設だ。  ここは一般の住宅を借り上げて介護施設としているために、高級住宅街に住んでいる気分で、違和感がない。それに、特に介護老人だけが収容されているという施設ではなく、一軒に3~4人お年よりが、介護士の世話で暮らしているという、いかにも普通の生活がここにはある。特に、そのビリッジ内には老人医療を専門とする医師であり運営者のDr. Delizoが居住しているので、医療的にも安心だ。  フィリピンで暮らし、骨を埋めようとしたら、フィリピンに家族と呼べるような人が必要だ。それには長い年月と彼らの本当の信頼と愛が必要だ  それでは、何故、フィリピンでは介護ビジネスが成りたたないのか。  ① フィリピン人は、年老いた親を家族の宝として大事に扱い、自分の親を介護施設に送りだすなどという発想はない。それに大家族なので人手はいくらでもあり、年老いた配偶者が一人で面倒を見なければならないというような状況はありえない。  ②仕事や子育てなどで、家族が介護が必要な親の面倒を見ることができないとしても、宿と食事にちょっとした小遣いをやれば、人ではいくらでも集まる。メイドやヤヤ(子守)を雇うとしても月々数千円~1万円でことが済むから、人手不足の問題はない。ここでは人口が多くて貧しいということが逆にメリットになっている。 […]

フィリピンの介護ビジネスの現状 2013年5月19日


最近NHKで、実質婚(あるいは事実婚)というテーマの番組をやっていた。法的な婚姻関係にはないが、実質的に婚姻関係にある場合の損得についてだ。かつては内縁の妻、あるいは夫と称していたものだが、最近は内縁という響きがよくないためか実質婚(事実婚)と称しているようだ。  熟年になって、離婚あるいは死別によって配偶者を失った親が、子育ても終わり、その後の長い老後の人生のパートナーを求めて、お見合いなどで婚活、そして結婚するということが多いそうだ。しかし、結婚となると相続の問題やら、相互の子供達の関係で、色々ややこしいことが多い。そのため、法的には婚姻関係にはないが、実質的な結婚生活を行うという選択をするようだ。  仮に法的に結婚して、どちらかが亡くなった場合、なくなった配偶者の子供に義理の親の扶養義務が生じるため、子供達は結婚に反対することが多い。また、親の遺産が見知らぬ人間に持っていかれてしまうのも子供としても納得できない。しかし、実質婚ならその面倒もないので、子供の理解が容易に得られるというわけだ。  核家族ないし家族崩壊の進む日本で、いかにもありうる問題だが、親の面倒でさえ嫌う子供達が余計なお荷物を背負いたくないという、いかにも考えそうな、なんだか寂しくなる現実だ。一方、子供たちに迷惑はかけたくないという親達が、残りの人生を一人で生きるのは、あまりに寂しいから、熟年でパートナーが必要とするのも理解できる。  かつては日本も、配偶者を失った親たちは、子供そして孫と生活して、何の寂しさを味わうこともなかった。しかし、子供や孫との同居することが普通でなくなってきた日本の家族では、親としても新たな核家族のメンバーが必要となっているのだ。  日本の熟年独身男性が老後のパートナーを求めて、若いフィリピーナと結婚をするケースが多い。自分より、二回りや三回りも年下なら、自分より先に死ぬことはない、しっかり介護もしてもらえるという、なんとも身勝手な理屈だ。一方のフィリピーナは日本人と結婚すれば、日本に行けて、フィリピンに残された家族の生活も面倒見ることができるという、かたぎな覚悟=打算で結婚に踏み切る。さらに、どうせたいして長生きもしないだろうから、いずれ、晴れて自由な身になり、新しい夫を見つけて、ばら色の人生を歩めるであろうという淡い夢を見ていることだろう。まさに実質婚に対して形式婚というわけだ。  お互いの目論見=打算が一致して、結婚にいたるだが、果たして、そんな結婚生活がうまく行くのか、多いに疑わしい。しかし、まさに、この形式婚を二人の努力でいかに実質婚に熟成させられるかが鍵だ。  フィリピン人にとって、家族とは両親、兄弟、自分と兄弟の配偶者、自分と兄弟の子供達等々と範囲が広く、軽く2-30人に達する。ファミリーメンバーの関係も、実質、形式、血のつながり、その他成り行きなど種々雑多だ。それらが運命共同体として助け合って生きていく  フィリピンでは離婚という制度がない。アナルメントという「裁判官がその結婚が不当で初めから存在していないと判定した場合、婚姻を解消できる」という制度がある。しかし、数百万ペソの費用と数年の歳月を要するために、よほどのお金持ちでないと離婚はできない。だから、結婚をしていても、もはや実質的に婚姻関係にない夫婦が、それぞれ別の家族を持ち、生活しているという、ややこしい夫婦がたくさんいる。  一方、離婚はできないとか、夫婦の資産は共有とか、面倒な規制がある法的な結婚(形式婚)を嫌って、はなから実質婚を行う傾向もある。実質婚でも実質的に家族を形成し、なんら普通の結婚と変わらない結婚生活を送り、子供も作る。お互いの家族との交流もなんら変わるところがない。これは、両者がある程度の社会的ステータスがある場合などに見られるようだ。  そもそも法的な結婚とは何なのか。結婚生活が破綻して離婚という羽目になったときの離婚調停やら愛し合っていたはずの夫婦の憎悪と確執は一体何なのだろう。元々実質婚だけであれば、恋人同士が別れるときのように、しばしの涙ですんでしまうだろう。  そもそも結婚とは、愛し合う男女が共同生活をして子供を作り、家族が形成される、さらに子供が配偶者を向かえ、孫を作り、皆で育てる。そのような共同生活を送り、日々の糧を共同あるいは分業して得るという人類の最小限の共同体だ。それは自然発生的なもので、別に法律であれやこれやと規定しなくても自然のルールというものがあるはずだ。紙に書いたルール=法律が、時代が変わって現状にマッチしなくなったとしても別に不思議なことではない。 ゴメス一家の大黒柱のジェーンは一家を見事に統率しているが、ジェーンの一粒種のKIANは将来の大黒柱の期待を一身に背負い、プリンスとして君臨する。三才の誕生日には一族がかけつけて未来のKINGを祝う  ジェーンの長兄のダシンは形式婚と実質婚が見事に合致した理想の家族だ。二人は幼馴染が結婚し、3人の子供をもうけ、お互いに他の異性を知らないという絵に描いたような夫婦だ。子供達も、とても優しい聡明な子供に育っている。ところが最近、長女のバネサ(17才、大学1年生)が同級生と恋に落ちて、ジェーンが徹底的に妨害し、母親は理解を示すものの、父親はジェーンの命を受けて反対し、バネサは見る影もないほどにやせこけてしまう、という問題に直面している。恋の相手は中々聡明な男子だそうだが、スコーターの極貧の子で、そんな恋はバネサの将来にとって百害あって一利無しと、ジェーンが認めないのだ。  次兄のアランは、たまたま遊びの相手にした女を妊娠させて、ジェーンが強制的に結婚させた。3人の子供までもうけたものの、実質婚といえるにはほど遠く、やがてアランは別の女と一緒になり、中むつまじい実質婚生活を送っていた。可愛い女の子までもうけたが、実質妻はガンで他界し、子供達を形式妻の実家やマミーに預けたまま、アランはあらたな相手を見つけて実質婚をはじめている。件の形式妻は、やはり別の男と実質婚生活をしている。 […]

実質婚と実質家族 2013年5月18日



ビザ申請にやってきた女医のYさんをマニラ見物に案内した翌日、今度はジェーンがエステに案内した。フェイシャルとボディのエステが希望で、これだけは私の手に負えない、そのため、ジェーンのお出ましとなり、グリーンベルトのベロ・ビューティ・クリニックに案内してもらった。ベロといえば芸能人ご用達の有名なエステ・クリニックだ。 グリーンベル4の2階を覗いてみたら、洋麺屋五右衛門が開業していた。同行したYさんによると日本でも有名な店だそうだ。ラーメンの山頭火やユニクロの出店ラッシュの流れのようだ。 その日は、日曜だったので、我が家にはカーネル、息子、キム、ヤヤ、KIAN、それに田舎からやってきていたマミー(ジェーンのお母さん)やビアンカ、それに5人の子供達がいた。そこで、事件が立て続けにおきた。まさに我が家の大黒柱=守護神のジェーンがいぬまに、鬼か悪魔が家に忍び込んだように、3つの事件が同時に発生したのだ。 ショーケースにはおいしそうなピザやスパゲッティが並んでいる。日本風イタリア料理は、果たしてフィリピン人に受け入れられるのだろうか その① 部屋中、煙事件  昼飯時間になったので、2階に上がったところ、誰もいない部屋中に、煙がもうもうとしていた。白い煙ではなくて油くさい黒っぽい煙でダイニングとキッチンがもうもうとしている。一体何がおきたのかと、大声でヤヤを呼んだ。ヤヤは部屋でKIANの相手をしている。ビアンカやマミーも3階から降りてきた。なにやら皆で大騒ぎをしている。  マミーはえらい形相でビアンカ(17才)やヤヤ(子守)を怒鳴りつけている。ヤヤとビアンカは、事態の収拾に忙しい。何かビアンカがへまをしたのかと、ヤヤに聞くと「私にも責任がある」という。後から、ことの次第を聞いてみると、要は、ヤヤが昼食の準備中にKIANが泣くのであやしに行って、ビアンカに後のことを頼んだ。しかし、ビアンカはメンスで体調が優れず、3階に上がって、寝てしまった。そうこうしているうちにフライパンの油が煮立って蒸発して、部屋中が油くさい煙でいっぱいになってしまったのだ。 この日は双子の8歳の誕生日ということで、サイカに招待した。もちろん主役はいつもKIANだが、双子にとっても喜びのひと時だ  しかし、マミーのビアンカに対する怒りは収まらず、ビアンカを怒鳴り続ける。マミーは養女のビアンカを農場でメイド代わりに使っているから、親あるいはボスとして、ビアンカを叱るのは日常茶飯事だ。蒸発した油に火でもついたら大火事になりかねない。だから、マミーの怒りは30分しても収まらず、ビアンカに罵声を浴びせ続ける。多分、ビアンカの生い立ちから始まって、恩知らずなど手厳しい言葉が飛び交ったのだろう。一方のビアンカはただ黙々と後始末をしている。マミーの顔を見ると、もはやヒステリーの絶頂で、いぶかしげに見つめる私の目などは全く見えてはいないようだった。 食事の後、ジェーンから双子の記念写真をとるようにとの指示があり、急遽、車の中で記念写真。マニラと田舎と分かれて住んでいるせいで、体格や顔に少々違いが出てきているが、この写真ではどちらがどちらかわからない その② KIANのこむら返り事件  数日前から、下痢で体調を崩していたKIANが足がつって、ふくらはぎの痛みを大声で訴えていた。カーネルやキムはいたが、手に負えない。私も駆けつけて、KIANの足を押さえて直そうとするが、KIANはつま先を伸ばして抵抗し、ふくらはぎは硬直している。なんともならず、皆、パニックに陥るばかりだ。   ジェーンが戻ってから件の女医さんに診てもらったら、下痢が続くとナトリームやカリームが不足してこむら返りを起こしやすいとのこと、だから緊急にそれらの成分を補給する必要があるとのこと。用意しておいたポカリ・スエットは、どうしてもKIANが嫌がるので、味噌スープを飲ませることにした。女医さんも、それがいいという。ちなみに味噌スープはKIANの大好物だ。普段、ソフト・ドリンクを口にしないKIANはポカリ・スエットがどうしても飲めないようだ。 たまたまビザの申請に来た女医さんにお腹の具合を診てもらうKIAN。なぜか、お医者さんに診てもらうだけで安心して具合がよくなってしまうものだが、英語の達者な女医さんと話をして、KIANも大分、安心したようだ その③ カメラのメモリー消去事件 […]

我が家の同時多発事件 2013年5月16日


5月13日(月)、いよいよ、3年毎の統一選挙の時がやってきた。今年は大統領の選挙がないので、盛り上がりに欠けた感があるが、上院議員の半数、下院議員、市長など役約18000のポストが争われた。ちなみに、この日は特別休日となり、多くの人が故郷に戻って選挙に臨んだ。   これに先立ち、中央選管は、通常2日間の禁酒令を、5日間に延長する指示を出した。しかし、各方面からの抗議で、最高裁がこれを差し止め、普段の2日間となった。私も、5日前の9日(木)、あわてて2ダースのビールを買いだめしたが、徒労に終わった。  さらに中央選管は、10万ペソ以上の現金取引を禁止する措置を発表した。これは選挙人の買収を阻止する目的があったが、中央銀行を初め、多くの団体が、通常の商業取引を阻害するする恐れがあると、抗議が沸き起こり、これもまた、最高裁で差し止められた。 アロヨ前大統領に大統領の座を追われ、違法賭博、フエテンの罪で終身刑を受けながら、即座に恩赦で釈放された元大統領エストラーダはマニラ市長選に出馬した。映画のヒーロー役で庶民の指示を受ける76歳のエストラーダは庶民の街キアポで有権者の最後の支持を募り、未だ健在振りを示していた。マニラ市長選の本命は現職の堅物のリム(83才)だが、エストラーダが勝てば、マニラも再び面白くなるだろう。翌日の開票結果ではエストラーダがリードしているが予断は許されない。 この日、KIANの散歩がてら近くの投票場の取材に出かけて行った。我が家のあるサンアントニオには副大統領のビニャイとその息子でマカティのメイヤーのジュンジュン・ビニャイが住んでいるので、ひそかに彼らとの遭遇を期待していた。   KIANは歩くのが嫌いで、いつもヤヤにすぐ抱っこをねだるので、しばらく使わなかったベビーカーに乗せて出かけて行った。最近は雨が降ることが多く、いよいよ雨季入りを期待させる。特に、この夏は異常に暑く、35度に達する日が多かったので、ほっとしている。このベビーカーには日よけがついているすぐれものだ。  ふったりやんだりの小雨だったが、照りつける日差しがないので幸いだった。10時をすぎていたので、フィリピーノにおやつは欠かせない。お祭り気分の投票場の回りにはスナック売りの屋台がたくさんでいていて、20ペソで揚げ物のおやつを買ってやった。 途中の道路には候補者のポスターが所狭しと張られている。地元だけにビニャイ一家のポスターが目立つ、ちなみに娘は上院議員に立候補している。 近所の投票場は、多くの人が列を成す。数十年、選挙を遠ざかっている私だが、日本と違って70%以上の投票率を誇るフィリピンでは投票場は人で埋っている。 投票場の外にはクモンの張り紙があったが、学習塾のクモンはフィリピンでもかなり幅を利かせているようだ。 投票場のすぐ前にはビニャイ副大統領の家があり、家の前にはフィリピンでは1000万円以上もするトヨタのランドクルーザーが何台も止まっていた。いつぞや、インとラムロスのサンアガスティン教会の前で見たプレートナンバーが「2」のやつだ。 投票場の前ではビニャイが属する野党、統一民族主義者連合(UNA)の候補者名前が書かれた投票用紙のサンプルが配られていた。金で票を売る貧困層にはいかにもわかりやすい。このサンプルと共に現金が渡されるらしい。  ビニャイ副大統領の家の前、サンアントニオ国立高校の前に来ると、どこかで見たような若者がインタビューを受けていた。まさにビニャイ副大統領の息子で、今回2期目のマカティ市長に立候補しているジュンジュン・ビニャイ、マカティ市長だ。 全国37000箇所に及ぶ投票場が厳重に警備されている。特に副大統領のビニャイが投票するこの投票場は警備が厳しい。 […]

2013年の統一選挙 2013年5月13日



夏休みを利用して、農場のあるタバコからジェーンの甥と姪、4人、さらにマミーやビアンカなど合計6人が、遊びに来ていた。それに息子が日本から戻り、も ともとの住人7人とあわせて総勢14人が我が家に滞在していた。まだこのほかにも、6人の甥や姪が田舎に残っているが、夏休みの後半には彼らもやってくる 予定だそうだ。  その中で、いつも、なんとなく一人でつまらなそうにしているのが、ジェーンの弟、ボボイの3人目の子供のタムタム君(7才)だ。 双子の姉(アレアとアレクサ、8才)と、長兄ダシンの次女バレリー(10才)も一緒なのだが、なんとなく仲間はずれになっていることが多い。 子供達を連れて行きつけのサイカで食事を取ることが多いが、ボボイはタムタム君の面倒をかいがいしく見ている  そんなある日、事件がおきた。 KIANがタムタムに絡みついてきたので、タムタムがKIANを振り回して、転ばせてしまい、その折、KIANは顔を床にたたきつけて口びるを切って血を 流してしまったのだ。その話を聞いて寝室に行ってみると、泣き疲れたKIANが、上口びるを大きく腫らせて寝ていた。タムタムは、自分自身がまだまだ幼い 子供と思っているから、4つ下のKIANに対しても手加減というものを知らない。それにKIANは誰彼となくパンチを食らわしたり、足蹴りをかます乱暴者 だから、人が見ていないことを幸いに日ごろのうっぷんを晴らしたのだろう。  3才になりたての子供をやっつけようと思えば簡単な話で、タムタムが人目を盗んで、階段の上からKIANを突き落とすことさえもありうる。そんなわけ で、私からジェーンに「一刻の猶予なくタムタムを我が家から追放せよ」という命令が下された。 この裏には、日ごろからタムタムの存在がうっとうしく思われた私の心理が働いていたかもしれない。 近所のスーパーマーケットで試食品を口にする子供達。中央のちょっとらっきょ頭をしているのがタムタム君。KIANも、この試食品大好きだが、この直後、バレリーがKIANから受け取った試食品を食べてしまい、大騒ぎになった […]

タムタム君の試練 2013年5月12日


5月7日、E-メールで、旧友からマヨン火山噴火の一報が入った。しかし、我が家の誰に聞いても何も知らない。さらに、妻や友人から電話やE-メールの問い合わせが相次いだ。死者も出て、周辺の住民は避難を始めているというので、農場は無事かと心配していた。しかしながら、マヨン火山の麓の農場から遊びに来ているマミーや子供達をはじめ、誰もが話題にすることがなかった。  ようやく、翌日のマニラ新聞で、噴火の全容を知ることができた。確かにいつもに比べて大きな噴煙はあったものの、噴火と呼べるほどのものではなく、マグマの噴出もなく、警戒レベルは「0」のままということだった。死者は登山中のドイツ人等で、火口付近を登山中に振動で渓谷に落下して死亡したもの。たしかに我が家で話題にするほどのこともない日常茶飯事の噴火だったのだ。  最近日本では富士山の噴火が話題となり、地震や噴火のニュースに敏感になっているので、メディアも大きく取り上げたことが、原因のようだ。確かに、マヨン火山は、活発に噴火を繰り返す活火山で、下の写真2枚は、2006年8月に飛行機から撮影したもの。巨大な噴煙と溶岩が流れ出ている様子が見て取れる。 さらに、2009年12月末、噴火警報「3」が発令され、大噴火の予想ないし期待が高まった。夜の空にはマヨンの噴火口が赤く染まり、煮え立つマグマを農場からも垣間見ることができた。 農場とマヨン火山を挟んで反対側にあるレガスピ市の展望台(ラニョンヒル)にはテレビの取材陣が24時間待機し、噴火の瞬間を待ち続けた。このとき、レガスピ市のホテルは、世紀の噴火の瞬間を見物しようとする外国人でどこも超満員だったそうだ。 ラニョンヒル展望台からは、溶岩の流れ出す様子が目の当たりに見えて、裾野の木々が燃えて煙を上げていた。 年が明けて正月、マヨンの噴火警報は「1」に下げられ、山から農場の近くの小学校に避難していた人々が、山に戻って行った。これで噴火騒動も一件落着、外国人にとっては徒労な旅となった。 2007年12月、韓国KBSの取材陣とともに農場を訪問したおり、帰りの飛行機からマヨン火山の噴火口を間近に望むことができた。見ての通り火口はレガスピ市側を向いており、反対の農場のある方向に溶岩が流れ出すことはない。そして火口からはいくつもの溶岩の流れが観測され、その活動の活発さを物語っている。 この斜面に不安定に堆積している溶岩が、大雨で一気に麓に流れ大きな災害を引き起こしたのが、2006年12月の超大型台風レミンだった。写真は土石流に埋もれた家から生き埋めになった人を助けようとしている現場を見学する人々だ。  一方、マヨン火山の北に位置する農場から眺めたマヨンは、噴煙はたなびいているものの、斜面は木々で覆われ、長いこと溶岩の流れがなかったことが見て取れる。レガスピ側からの猛々しい姿に比べて、女性的な姿といえる。もともとマヨンとは女性の名前にちなんでつけられた名前だそうだ。  怖いのは噴火の時の火山灰ではなくて、あとから台風による大雨の影響で発生する土石流だ。農場付近の地元の人々も生れてこの方、この付近はマヨンの被害にあったことはないそうで、相当な噴火のない限り、農場は安泰といえるだろう。だから、私の生きている限りは大丈夫だろうと勝手に思いこんでいる。 2013年3月、ホリーウイークの帰郷の際に農場から撮影したマヨン火山。マヨン火山の絶景は農場にとって不可欠な風景となっている。

すわ、マヨン火山が噴火した? 2013年5月11日



 フィリピンに暮らすとなると、銀行口座の開設は必須だ。口座の開設には基本的にパスポートとACR(外国人登録証)が必要だが、退職ビザを取得された方はPRAのIDカードがACRの代わりとなる。退職ビザ保有者は、立派に口座開設の資格があるのだが、大手銀行のBDO(Banco De Oro)あるいはBPI(Bank of the Philipipne Island)は、あの手この手を尽くして、退職者の口座を開けまいとする。その手口は以下のの通りだ。   I さんは1年ほど前に退職ビザを取得して、お子さんをインターナショナルスクールに通わせている情報通のお母さんだ。その方が、お住まいの近くのBDOの支店で口座を開こうとしたが、どうしても、うまく行かない。そこで、私が口座開設をお手伝いすることになった。土曜だったので、SMマカティの近くの支店に行った。ここだけは土曜でも開いていることを、I さ んは突き止めていた。「住まいは遠いが、私の事務所の住所で口座を開きたい」とい正直に言ったら、「住まいの近くで口座を開け」という。私の住所という事 で開きたいのだと繰り返したら、「私の会社の社員なのか、あるいは本当にそこに住んでいるのか」などと追求され、結局相手にされなかった。そこで、日を改 めて、私の馴染みのPacific Star 支店に行って、あくまでも私の住所に住んでいることにして、無事口座を開設することができた。 息子の帰還のお祝いに、大きなピザを2枚買った。この日のために農場からはマミーとビアンカ、それにヤナが駆けつけた。他に夏休みで遊びに来ている4人の従妹も含めて、総勢14人が我が家にひしめいていた  さらに、同じBDOのSMスーカット支店でM さんの口座を開設しようとした。「住まい近くのアビダ・タワー・コンドだ」 といったら、固定電話の電話番号を教えろという。「自宅にはないので、管理事務所の電話ならある」というと、「その電話番号でもよい」という。そうした […]

銀行は何故、口座を開きたくないのか 2013年5月5日