Daily Archives: April 25, 2010


  4月14日、退職者の相続手続きのサポートのために日本に出張した。昨年の5月以来、ほぼ1年ぶりの日本訪問だ。桜の季節には残念ながら間に合わなかっ たが、つつじの花や新芽がほころぶ春のぽかぽか陽気を期待して行った。ところが春どころか冬の寒さ真っ盛りの気候なのでびっくり。女房には寒いわよと念を 押されていたものの、一体この寒さは何なのか。真冬用の皮のコートを倉庫から引っ張り出して着こんで出かける始末だった。電車の中も全くの冬模様だ。  フィリピンの夏は3月~5月で、現在夏真っ盛り。しかも今年はエルニーニョの影響とかで連日暑い日が続いている。だから、真夏から真冬への急転直下の変化だったわけだが、幸い体調は何の変化もなかった。 数日後の日曜日からは、なんとか春らしい陽気になった。近所の八重桜も急遽ほころび、住宅の周囲の花壇はいろいろな花が咲き誇っていた。やはり、春はこうでなければならない。        15、16、17日そして19日と所用で東京や千葉に出かけたが、そこでやたらと目に付いたのが駅のドリンクの自動販売機だ。一方煙草の自動販売機はめったにない。あったとしても認証カードを持っていない私には買うことができず役立たずだが。   このドリンク類を見てみると、かつての日本あるいは現在のフィリピンにおけるソフト・ドリンクの 主流であるコーラ、ファンタ、スプライト、オレンジジュースなどが全く見当たらない。緑茶、紅茶、ミネラルウオター、コーヒーをベースにしたものがほとん どで、砂糖を含んでいると思われるドリンクがない。コーヒーでさえ「微糖」をうたい文句にしたものばっかりで、いかにも健康・メタボリック症候群にはよさ そうだ。しかしフィリピン人はたっての甘党だから、この自動販売機の前ではさぞ困ることだろうと思う。   最終日の21日は孫の結月(ゆずき、1歳と8ヶ月)とその両親(私の息子と嫁)と女房と八景島シーパラダイスを訪問した。その夜は嫁の両親も含めて新杉田の焼き鳥屋で久々の再会を楽しんだ。   […]

久しぶりの日本は寒かった 2010年4月25日


私の家がある横浜金沢区には、至近距離に八景島シーパラダイス(通称シーパラ)があり、子供や若者の遊び場としてにぎわっている。春には潮干狩り、夏は海水浴や花火、そして水族館に遊園地と、1年中楽しめる。今更このブログにシーパラを紹介してもいたしかたないが、孫が出来ると、どうしても義務として行かざるを得ない。しかし、この年になっても、思いのほか楽しむことが出来た。孫の結月(1歳と8ヶ月)はほとんど寝ていたのでゆっくり水族館などを見学することが出来た。  入り口の近くにあるのがゴンドラ、その昔、高校生のころ後楽園で乗ったことがあるが、なかなかの迫力だ。息子の嫁さんが大はしゃぎで万歳をしながら乗っていたが高所恐怖症の私と息子は遠慮した。一方息子と女房は孫の結月と一緒にアンパンマンの乗り物を楽しんでいた。  シーパラの売りはこの「落下」だ100mほどもあるタワーから落下する数秒の乗り物だが、私ならあっという間に気絶をするかお漏らしをしてしまうだろう。          これも試したことはないが、海上を走るジェットコースタターもシーパラノ売りだ。結月が大きくなったらオヤジとジッジをおいてママと乗り回すことになるのだろう。 この日、最大の話題は潮騒料理店「哉介(ヤスケ)」の発見だ。逆に読むと「介哉(カイヤ)」で、なんと息子の名前と同じなのだ。店の人に店名の由来を聞いたが、知らなかった。ちなみに私の名前は「和民(カズタミ)」と言って、かの有名な居酒屋チェーン「和民(ワタミ)」と同じ字を書く。60年以上前からこの名前を名乗っている私が元祖であることは間違いないのだが、親子2代で料理店の名前に縁があるようだ。ここの料理は潮騒料理と銘打った海鮮料理で、糖尿病の私にはありがたいメニューだった。        いよいよ水族館だが、ここ数年でイルカや海の動物と直接触れ合うことが出来る「ふれあいラグーン」や水中からイルカなどを間近に眺めることが出来る「ドルフィン・ファンタジー」などができて中々楽しめる水族館になっていた。イルカや魚にえさやりが出来るのも子供達にとっては楽しみだろう。それにしても大人一人2700円の入場料はちょっときつかった。     

八景島シーパラダイス訪問 2010年4月25日



 マカティ・スクエアーのクリークサイド、焼き肉龍苑のとなりに開店したのが、居酒屋「満月」だ。ちょっと雰囲気のある店構えなので、中をのぞいてみたら、黒を基調とした内装はフィリピンではちょっと見られない凝ったものだった。店員の衣装も黒を基調とした今風の日本の居酒屋のものだ(現在は、ジュピター通り、マカティアベニューを東にしばらく行ったところに移動しています。) クリークサイドの中ほどという、場所的には決して良いところではないが、夕飯時は中々はやっている。伝統的な日本料理、すしや刺身、焼き魚や天ぷら、あるいは、とんかつやカレーなどではちょっと物足りないという日本人や、舌のこえたフィリピン人が客のようだ。  メニューには伝統的日本料理とは一線を画した、今風の居酒屋料理が並ぶ。日本料理通のフィリピン人でも名前だけでは何がなんだかわからないから、すべての料理は写真付だ。ほとんどの料理は当たり前の日本料理ではなく、ひとひねり工夫がされている。値段は必ずしも安くなく、日本と同程度のようだ。 例えば「握り寿司」を注文しても丸く握ってあったりして、中々面白い。それにまた、料理ごとに器が違い、料理と器の調和が楽しめる。よくぞここまでの器を日本から持ってきたものだと感心する。当たり前の日本料理に飽きた方々には是非覗いてみて欲しい穴場的レストランだ。

居酒屋「満月」の紹介 2010年4月25日


  マニラ周辺では盛んに道路建設が行なわれている。しかし用地買収が難しいマニラ首都圏はご承知の通りの地獄の交通渋滞が日常だ。いくら周辺に立派な道路 をつくってもそれがマニラ首都圏に向う限り糞詰まりでどうしようもない。だからマニラ国際空港など首都機能を近隣に移す計画も進んでいる位だ。  その渋滞に加えて不愉快なのが、道路の舗装面が、がたがたで自動車の乗り心地がいたって悪いことだ。マニラを迂回するEDSA通りは写真のごとく舗装の継 ぎ目が目立つ(画面をクリックして拡大してみてください)。この路面ががたがたなのは、ずばり、コンクリート舗装であることだ。日本ではアスファルト舗装 が主流だが、フィリピンではほとんどコンクリート舗装だ。舗装表面は人力でならすだけで、しかもコンクリートの伸び縮みを吸収するための隙間が必要だか ら、アスファルト舗装に比べてどうしても平坦性に欠ける。ならば何故フィリピンでは道路はコンクリート舗装なのか。  一方、最近できたSCTEX(スービック・クラーク・ターラック高速道)ではアスファルト舗装のすばらしい路面だ。また、NLEX(北ルソン高速道)も平 坦なアスファルト舗装だ。だから熱くてアスファルトが溶けてしまうからコンクリート舗装を使っているという仮説はあたらない。しかし、アスファルト舗装工 事を行なう場合、アスファルトの温度を維持するために、近くにアスファルト・プラントが必要だ。しかし、フィリピンにアスファルト・プラントはほとんどな い。SCTEXやNLEXなど大規模工事であるならば、専用のアスファルト・プラントを作ることも可能だろう。しかし一般の道路では、砂、砂利、セメント を運んで、現場に小さなコンクリートミキサーさえ置けばコンクリート舗装工事が出来てしまう。もちろん、都市部ならばビル建設用のコンクリート混合プラン トがあるから簡単にコンクリートが手に入る。だから舗装はコンクリートにならざるを得ないのだ。  アスファルト舗装は路床、路盤、アスファルト表面舗装の順で建設される。それぞれの厚さや材料は通行料によって異なるが特に路床と路盤をしっかり作ることが命だ。そうでないとアスファルト表層はすぐにがたがたになってしまう。   […]

フィリピンの道路は何故がたがたなのか 2010年4月25日