Daily Archives: April 11, 2010


  パスコの相棒のジェーンに赤ちゃんが生まれた。34歳の高齢初産の上、臨月になって赤ん坊の体重が9ポンド(4kg)もあると医者に告げられ、難産が危惧されたが、帝王切開で3月31日、無事に男の子を出産した。 マンダルヨン市、ボニーの中規模の病院で出産したが、早速お見舞いに行くとたくさんの生まれたての赤ちゃんが並んでいた。どれもこれも同じ顔をして区別がつかないが、ガラス越しに連れてきてもらうと確かに大きな赤ちゃんで、髪も黒々としていた。お父さんのカーネル(大佐)は昨夜の入院以来一睡もしないで、つきそっていたとのこと。また、写真におさめた分娩の様子を見せてもらったが、最近は父親が分娩に立ち会うのがトレンドのようだ。  翌日私はホリーウイークを利用して息子と一緒にルソン島北部(バギオ、イロコス)の旅に出たが、7日に戻ってくる丁度その日に母子が退院した。フィリピンでは分娩後通常2日ほどしか病院にいないが、帝王切開のため、1週間以上入院していたことになる。帝王切開の上、1週間も入院していたため、病院からびっくりするような請求書が来て一同頭を痛めていたが。 国家警察の幹部と言う重職にありながら、カーネルは入院以来一週間パタニティー・リーブを取って、つきっきりで赤ん坊と母親の面倒を見ている。メイドもいるのだが人には任せてはおれない、といったところだろう。夜中も泣き止まない赤ん坊を抱いて育児に専念しており、仕事どころではないようだ。私が子育てをしていたころはパタニティ・リーブなどという概念は無くて、合計たったの3日間の有給休暇だけで、余分な年休をとると上司にいやみさえ言われたことを思い出す。       本文とは関係ないが、家の近くにある木が満開の黄色い花を咲かしていた。花の形は藤の様でもあるが、日本では丁度桜の季節なのでお花見の気分を味わうことが出来た。

相棒に赤ちゃん誕生 2010年4月11日


  4月7日、旅行から戻って、マカティ・スクエアに両替に行った時のことだ。地下の海賊版DVDの売り場場付近で悲鳴と銃声のようなパンパンと言う音が聞こえた。逃げ惑う人や警官のような人影が走り回っている。流れ弾にでもあたったらやばいと恐る恐る様子を見ていたら、DVDの詰まった箱を持って逃げる人がいて、それを警官が制して床にDVDが散らばったりして、パンパンという音がしているのだ。  さらに警官がDVDの店の商品を床にばら撒いているの見て、段々状況がわかってきた。警官が海賊版のDVDを押収しているのだ。息子はチャンスとばかりにカメラを持って地下に飛んでいった。野次馬根性はオヤジと変らないようだ。  しばらくして興奮した面持ちで戻ってきた息子が報告してくれた。チーフらしき男が中々のハンサムで(写真の右)、2階から発せられる黄色い声に手を挙げて答えたり、女の子がそばに来て記念撮影が始まってしまったとのことだ。警察の手入れにイケメン警官との撮影会なんて、フィリピンらしくて面白いものだと思った。 警官とその手下の私服の人たちが大量の海賊版DVDを袋に詰めて意気揚々と引き上げていく。それを撮影するテレビ局のカメラマンとおぼしき人たち。息子は良い経験をしたと満足げだった。  この話をお産直後の相棒のジェーンに話をしたら、ことの真相を話してくれた。彼女いわく、「海賊版DVDは100ペソ以下で10~30本くらいの映画が見れるので、映画館では閑古鳥がなき、どんどん閉鎖されている。これでは映画俳優や映画関係者が食いっぱぐれると、政府組織として、Video Regulatoryが組織されAnti Piracy(海賊版撲滅)の活動をPNP(国家警察)やNBI(国家調査局)の力を借りてやっている。この組織の前の会長は、今Vice Presidentに立候補しているエド・マンサノ(大統領候補ギボ・テオドロの相棒)。この日イケメン警官と思ったのは、今の会長で同じく映画俳優のロニー・リケだから、女の子がキャーキャーと騒ぐのは当たり前なのだ。また、明日になれば、また何も無かったように海賊版のDVDがならんでいるわよ」  たしかに、これだけ全国津々浦々に広まった海賊版DVDの販売網を簡単なことではつぶせないだろう。それに貧しい人々が多いフィリピンで格安で楽しめる海賊版DVDを取り上げてしまういかにも可哀想だ。映画関係の方々には申し訳ないが、海賊版DVDを庶民から奪い取ることには私は反対だ。  

アンタイ・パイラシーの手入れに遭遇 2010年4月11日



ホリー・ウイークを利用してルソン島北部をフィリピン訪問中の息子と旅した。手始めになじみの深いアンヘレスを目指したが、4月1日はホリーウイークの初日とあって、北へ向うビクトリー・ライナーのバス・ステーションには切符を求める人々が長蛇の列をなし、とても乗れる状況ではなかった。そこでタクシーの運ちゃんに話をすると2500ペソと言うので、生まれて始めてタクシーで長距離を旅するという贅沢をするはめになってしまった。  普段はがらがらのエンレックス(NLEX,North Luzon Express Way)も日本の高速道路と同様渋滞数十キロというありさまだ。サービス・エリアのレストランはたくさんの人が並び、車の脇で休む様も日本と同様だ。 初日のアンヘレスはたびたび紹介しているので割愛するが、実石さん宅を訪問し、ランチをご馳走になるとともに、息子に貴重なビジネスの話をしていただいた。フィールドアベニューも相変わらずの賑わいだった。  アンヘレスからバギオまでの道のりは約170km、バスで約4時間の道のりだ。大分込み合っていたがなんとか席が取れた。バギオに近づくと、昨年の台風で被害を受けた橋が修理中でバスは河を横切って進んだ。乾季でほとんど水がないので、こんな芸当が可能なのだ。  昨年、あんなに被害を受けたというのにバギオは人で溢れていた。ホリーウイークを利用してバギオ旅行としゃれ込んだのだろうが、ほとんどのフィリピン人は田舎に帰ってキリスト復活を祈るはずなのだが、そうでない人も多数いるようだ。おかげでホテルはどこも満員で、知り合いの紹介で何とか泊まる事が出来たが、一泊2700ペソは大幅な予算超過だった。 有名なマインズ・ビューも人で溢れていて前に進めないくらいだった。いつも過剰なおみやげ物屋の数に呆れるのだが、この日はどこも繁昌しているようだった。 ちなみにバギオは涼しいので日本と大差のない農作物が出来る。トーモロコシも丸々と太りおいしそうだ。右の写真の中段にある赤い食材はちょっとわかりにくいが、すずめの串刺しのようだ。  バギオ市の中心、セッション通りのはずれにあるシティ・マーケットの人ごみも尋常ではなかった。バギオ名物のイチゴやイチゴジャム、野菜やソーセージ、それに原住民、イグロット族の工芸品を買い求める人でごった返していた。 バギオ市の中心には大きなBURNHAM公園があるがその入り口付近にイグロット族の英雄の像が建っていた。なかなか勇敢な種族だったようだ。

ホリーウイークの旅(その1)バギオ編 2010年4月11日


  バギオからイロコスのビガンまでは約150km、3時間の道のりだ。昼近くにバス・ステーションに行って見ると3時までバスはないという。仕方がないので、相乗りのミニバンで行くことにした。料金はバスとほとんど変らず一人130ペソ程度だ。途中退屈な景色が続くが、見慣れない植物が延々と栽培されていた。聞いてみると煙草で、この地方の名産だそうだ。 イロコス地方は東側に深い山々を控えているせいか、大きな河が多い。この河を渡るともうすぐ古都ビガンだ。 まずはホテル探しだが、ブルゴス広場の裏に由緒あるホテルが数件ある。一軒は満員だったが、もう一軒で空きがあった。料金は朝食付で1700ペソでまあまあだ。  アニセトマンションというホテルだが建物は1800年代に建てられたようで、なかなか趣のあるホテルだ。隣はこれまた由緒のありそうな教会で重厚な壁が続く。       ホテルの前で馬車を頼むと名所を案内してくれる。しかし名所といっても、要はホテルの左に続く通りだけで、他にあまり見るものはなさそうだ。しかし、その通りがなかなかすばらしい。ホテルからその通りに行く途中にCafe Leonaの前、通路に広げられたテーブルで食事をとっていると脇を馬車が通リ抜けて行く。まるで200~300年前の中世にタイムスリップしたようだ。ちなみに馬車は1時間150ペソで、マニラのように後で、一人につき150 ペソだとか、150ドルだなどと、ぼられることも無くて気分がよい。 古都ビガンとして有名なだけに通りはホリーウイークを利用した観光客で埋まっていた。しかし、なぜか道行く人々はスペイン風の美女が多い。地元の人なのか、ホリーウイークに旅行をしているスペイン系の良家の子女なのかさだかではない。 昼間は比較的静かだが、中世の雰囲気がそのまま残っている。しかし、ほとんどの家は土産物屋で、もう少し、色々な店があっても良いような気がする。ただ、一角に現代的なディスコがあり、若者でにぎわっていた。 街の主要な交通手段はトライシクルだが、馬車(カレッサ)も充分交通手段としての役割を果たしている。ブルゴス広場を県庁舎(プロビンシャル・キャピタル)に向うと、衣類や雑貨の屋台が続いている。フィリピンの問屋街、デビソリア並みの価格だ。  県庁舎を過ぎたところに博物館がある。ブルゴスの住んだ家だそうだが、かなり荒れている。しかし昔の上流階級が済んだ家を垣間見ることができる。(マニラのイントラムロスにもCasa Manilaがあるがここは再建ではなくてもそのまま残っているらしい)。ところでブルゴスはマカティのブルゴス通りがゴーゴーバーのメッカとして有名だが、著名なヒーローの名前だっとは知らなかった。

ホリーウイークの旅(その2)ビガン編 2010年4月11日



   ビガンから北へ約70km、バスで1時間半のイロコス・ノルテの州都ラワグ(Laoag)はマルコスの故郷だ。途中外の景色は相変わらずトウモロコシと煙草だけで稲作は少ない。ラワグの街は清潔で街にゴミが落ちて折らず、日本人にも違和感無く生活できそうだ。マルコスの出身地だけあって市民は、政治に興味を持っているようで、選挙戦のポスターが目立つ。  ラワグの観光のメッカの一つはパワイ(Paoay)教会だ。世界遺産ともなっている由緒のある教会だが、この日は訪れる人もおらず、一人夏の日差しを浴びていた。珊瑚の岩を積んだ建物は素朴で重厚だった。 同じパワイに「北のマラカニアン」と呼ばれる元マルコスの別荘がある。この日は月曜であいにく休館日だったがスペイン風の風情ある建物だった。そして周囲にはマルコスファミリーの選挙ポスターが掲げられていた。 パワイの隣町のバタックにはマルコスの遺体が安置されている。小さめのピラミッドのような石積みの建物の中に本物のマルコスの遺体が眠っているというが、どう見ても蝋人形のようにしか見えなかった。       周囲の建物にはマルコスゆかりの品々が置かれ、生前の写真が飾られているが、若き日のイメルダ婦人の美貌はさすがだ。またマルコスの履歴も超エリートだったことがよくわかる。  ホテルで紹介されて食事をとったのが、県庁舎に近いLa Preciosarレストランだ。イロカノ・レストランだが、スペイン風の建物はとてもしゃれている。料理もいけるし、値段もそこそこだ。  同じ道も車で戻るのも大儀なので帰りは飛行機に乗った。一人片道1830ペソ、バスで行っても1000ペソ近いからOKとした。マニラまでたったの45分のフライトであっという間に1週間の旅を終わってしまった。地方空港にしてはとてもしゃれたターミナルだった。ただ食事をするところがないのはどうかと思う。  右下の写真は元マカティ警察署長のジミー・バトンさん。PRA時代の知り合いでホテルでばったり出会った。現役時代は大分鳴らしたらしいが、今はキリスト教の布教みたいなことをボランティアでやっているそうだ。

ホリーウイークの旅(その3)ラワグ編 2010年4月11日