Monthly Archives: October 2009


  ここのところ、アラブ料理のZigguratやタイ料理のSom’s Noodle Houseなどでカレーが続いたが、妊娠している私の相棒はどうも辛いものが食べたいらしく、どうしてもおいしいカレーが食べたいということで彼氏を伴ってカシミールに出かけた。   NTTホテルのあるマカティ・スクエアからパサイロードを東に歩いて5分ほど上ったところに老舗高級インド料理店のカシミールがある。内部はなかなか豪華でいかにも高級というムードだ。それだけにカレー、一皿500ペソ前後、一番安いサラダでも150ペソはする。この日、3人で大枚の2000ペソを超えてしまった。      この日注文したのはマトンとラプラプのカレー、それに玉ねぎのサラダとヨーグルト、それからナン。カレーだけではなにか物足りないので、思い切ってヨーグルトを注文したみた。いつもメニューを見て気にはなっていたのだが、今まで注文したことがなかった。普通にイメージするヨーグルトではなくて、固めのペースト状で、ちょっとすっぱく、これがいける。多分ヤギの乳で作ったヨーグルトだろう。先日、スービックのヨットクラブで、スービック開発庁の方の招待で食事をした際、初めにパンと出てきたのがこれだった。パンにあわせるととてもおいしい。食べ過ぎるとメインディッシュが食べられなくなるくらいだ。このヨーグルトはカレーの味をマイルドにするのでカレーに混ぜて食べると、独特な味がしておいしい。私はさらに野菜も混ぜ合わせて食べたが、インド式ヨーグルトに出会ったのがこの日の収穫だった。   店内は暗いのでメニューの撮影で手振れしてしまい、読みにくいが我慢してほしい。もっとも、たとえ読めたとしてもそれが何であるか検討もつかない。前菜、スープ、サラダ、メインディッシュ、デザート、飲み物とフルコースで頼んだら一人当たり軽く2000ペソは行ってしまいそうだ。(画面をクリックして拡大して見てください)

高級インド料理店、カシミールの紹介 2009年10月26日


 先週の日曜日、マカティのロックウエルの近くにタイ料理の屋台がオープンし、客でごった返しているというテレビの報道を見て、早速出かけていった。  場所はマカティ・アベニューからカラヤアン通りをブルゴス通りに向かい、ブルゴスを横切ってさらに進み、ロックウエル方向に左に折れるところの一本手前の道、Algier通りを左に入ったところにある。車だと曲がれないので、Uターンして戻らなければならないので、カラヤアンからブルゴスを左に折れて、次のGen Lunaを右に折れたほうが良いかもしれない。この付近は一般の住宅だが、かの有名な歓楽街ブルゴスの至近距離で、その先はロックウエルの高級コンドミニアム街が控える穴場的なところだ。   コックはタイの王室にも勤務していたというタイ人で、フィリピーナと結婚してフィリピンに渡ってきたとの事。したがって本格的タイ料理が楽しめるはずだ。  食事が終わる7時ごろには、続々と人がやってきて、受付は長蛇の列だ。テレビの効果はすごい。日本でも1回テレビで紹介されると1年は大丈夫だそうだ。料 理の味についてはちょっと注文を間違えて評価できるレベルになかった。相棒のフィリピン人に注文を任せたのだが、カレー味のチャーハンにカレーを注文してくれたのだ。タイ料理というものを全く知らないので仕方がないが、値段はたったの670ペソだった。ただ不満はビールなどの酒類が飲めないことだ。メニューにないので近所の店で買ってきたのだが、ここで飲んではいけないそうだ。選挙前など、レストランでは禁酒となるが、ここでなぜだめなのかわからない。ちなみにジョルビーやマクドナルドなどのファーストフードでは酒類は販売していない。(画像をクリックして拡大して見てください)  

タイ料理、Som’s Noodle Houseの紹介 2009年10月25日



  マカティ市の北のはずれ、ジュピターからマカティ・アベニューにかけた一帯はマカティ市随一の繁華街だ。この界隈は最近、韓国勢が優勢で日本食は「新宿ラーメン」、カラオケは「ナポレオン」と「大好き」くらいしか見当たらないが、この一角にユニークなアラブ料理の店がある。マカティ・アベニューを北に進みブエンディア通りとそして、ジュピター通りを過ぎて右に斜めに入る道がブルゴス通りで、ゴーゴークラブが20軒ほど建ち並ぶ花街として有名だ。    ブルゴス通り、シタデル・インの前、マカティ・パラス・ホテルの少し手前の道を左に入るとすぐに、ZIGGURATの看板が見える。テラスにも客席を置いてあるのですぐにわかる。こぎれいといった感じの店ではないが、なにかアラブの雰囲気がある。ちなみにZIGGURATとはアラビア語でピラミッドのような聖地のことを指す。   中に入ると少し高くなったところに靴を脱いで上がるようになっており、たくさんのクッションで和室のようにくつろぐことが出来る。座布団に座って、壁に寄りかかってする食事を懐かしく思った。 同行したPASCOのスタッフにとっては床に座って食事を取るというのは始めての経験だ。日本も昔はこんな風にちゃぶ台で食事を取ったものだと説明すると、いたく感心していた。装飾はいかにもアラブ風で壁にはアラビア文字の飾りや、ペルシャ絨毯、さらにはコーランまで置いてあった。 メニューを頼むと新聞を持ってきた。新聞でなくメニューをくれというとこれがメニューだと言う。確かに良く見ると料理の写真や説明が新聞記事のように書いてある。もちろんカレーが中心だが、懐かしいチッキンテッカ、カバブなどのバーベキューそしてサラダなど種類は豊富、ライスもヨルダン風、アラブ風など中近東各国の料理を楽しむことができる。   右からマトン・カレー、シーフード・カレーそれに生野菜のサラダ、向こうに見えるのがナン。沢山で行って色々な料理を試してみるのが良いと思う。特に辛口料理を注文しない限り、さほど辛くはない。ちなみに値段は4人でたらふく食べて、1600ペソ足らずだった。

アラブ料理の店、ZIGGURATの紹介 2009年10月20日


 以前、バリクバヤン民芸品店のマカパガル店を紹介したが、今回はマカティ市パサイロードの店を紹介する。本店はキアポ教会のあるキアポにあるそうだが、いずれ訪問して報告したいと考えている。パサイロードの店はマカティアベニューからドーシットホテルに向って数分歩いた右側にあり、3階建ての立派な店構えだ。ちなみにバリク・バヤンというタガログ語は帰郷という意味で、バリクは帰る、バヤンとは故郷を指す。  1階はイヤリング、ネックレス、キーホルダー、ハンドバッグ、貝細工、バロン、木彫りの置物、乾燥バナナ、などの小物類が中心だが、天然真珠のコレクションは見ごたえがある。2階、3階に上がると家具等の大物が目立つ。左下の写真はアバカ(マニラ麻)を使ったしゃれた電気スタンド、右下は天然真珠貝の殻、大きいものは12,000ペソもする。    これら民芸家具はブラカンにある自前の工場で製作するそうだが、黒檀やIron Treeなど特殊で希少な材料を使った家具が所狭しと並んでいる。下のテーブルはBaleteという木で、ジャングルでつる等が絡み合ったようなとても耐久性のある樹木で鉄道の枕木などにも使われるそうだ。その根を切り取って裏返しにしたテーブルは値段が12万ペソ、この日は50%ディスカウントなので6 万ペソ、約12万円だ。   次に目に付いたのが黒檀のテーブル、近代的なデザインで、光沢を押さえたしっくりした表面仕上げがしてあり、とても良い。ちなみに椅子を持ち上げようとしたらやっとのことで動かすことが出来た。もちろんテーブルなどは一人で動かすことはできないほど重い。皆、黒檀のむくでできている。ちなみに値段は25万ペソだ。   さらに黒檀のリビングセット、これもすばらしい。もちろんこれにクッションを加えて使うのだろうが、ビコールの農場のセットも大分痛んできたので、食指が動く。しかし値段は35万ペソ。50%ディスカウントと言っても35万円だ。ちょっとやそっとでは手が出ない。

民芸品のバリクバヤン・マカティ店の紹介 2009年10月19日



  パスコの相棒の彼氏(国家警察幹部)が車を買うというのでスズキとホンダのディーラーを訪問した。フィリピンでの車の価格はどの程度なのか興味を持っている方も多いと思うので、詳細を報告したい。現在1万円は5100~5200ペソ程度なのでペソの価格を倍すれば円の価格になる。   ちなみにフィリピンでは雨季に道路冠水が頻発するので車高が高い車を選択するのが賢い。トヨタのランド・クルーザー、フォーチュナー、ラブ4、三菱のパジェロ、イスズのビッグホーン/トゥルーパー、日産のパトロールなども数多く走っているが、ホンダのCRVやスズキのビトラが手ごろ感があって使いやすそうだ。さらにフィリピンではフォードのエクスプローラー、エクスペディションなどのアメリカ製大型SUVも多い。さらにBMW、ボルボ、アウディ、ワーゲン、ベンツなどのSUVも走っているが、これらは500万ペソは優にする超高級車だ。 スズキ、グランドビトラは2WDで、127万ペソ、エンジンは2400cc、なかなか重厚感があるデザインだ。ちなみにスズキの場合は販売数が少ないため、日本で組み立てたものを輸入しているそうだ。その場合の税金はどうなっているのか気になる。従来、完成車の輸入については100%の関税がかかるとされていた。そのためか、最近スバルなどの車も若干ながら走っている。   小型だが使いやすそうなのがスズキのSWIFTだ。エンジンは1500ccだが、BMWミニを思い起こさせるデザインだ。ちなみに値段は765,000ペソ。   フィリピンでは現在最も人気が高いSUVがホンダCRVだ。写真の車は4WD-AT、2400ccエンジンで1515,000ペソ。2WD、2000cc エンジンなら、1295,000ペソ。 CRVとジャズはタイで組み立てている。シビックとシティはフィリピンで組み立てて相互に輸入しているそうだ。その場合、特恵関税で無税だそうだ。そのため新型CRVが発売された2年前は品不足で入手に数ヶ月待ちという状態だった。しかし、現在は待ちに溢れており、ありがたみがうすれている。   一時、日本でもベストセラーカーを誇ったホンダのフィット、当地ではジャズと呼ぶが、1300ccエンジンで772,000ペソ、1500ccエンジンで832,000ペソ。マニラの街をやたら走り回っている人気車だ。   左下がホンダ車の価格表、拡大して見てほしい。アコードV6は2百万ペソもして、フィリピンでは高級車の一角を占める。右下の写真はホンダ・ジャズをローンで買った場合の詳細で、ダウンペイメントは20~50%、割賦期間は12ヶ月~60ヶ月(5年)と長い。ちなみにローンの利率は20%程度とかなりの高利率だ。しかし、これだけの支払いをしてまでも車を買う人が多数いるということは、フィリピンでも中間層が育っているということか。ここ数年でカーローンの普及が目覚しく、どのディーラーでも当たり前のように用意がしてある。一昔前は現金で買うか、自前で銀行ローンを用意しなければならなかったが、中間層の拡大により、ディーラーが直接扱うカーローンが普及したものと思える。(画像をクリックして拡大してみてください) […]

フィリピンの車の価格 2009年10月19日


  10月15~17日、フィリピンで日本人の介護を計画している日本人医師の依頼で、フィリピンの病院、介護学校、日系の介護施設あるいは退職者施設 (ローズプ・リンセス、アモーレの里、ポコ・ア・ポコ、トロピカル・パラダイス、フレンドシップ・クラブ)などを訪問した。その中で特質すべきだったのが、スービックに最近開業したジョージ・デュイー病院だ。  スービック経済特区(SBMA)は、スービック湾を囲んで埋め立てられた低地に市街地と工業団地、港湾施設、空港などがあり、後背の山地に住宅やゴルフ場、病院などのレジャー居住施設がある。森林の間を縫って、車で10分くらい進むと、広大な敷地にジョージ・デュイー病院が姿を現す。同行した医師が生まれて始めて見たという平屋の大病院だ。前面の庭園は広大で周囲の緑がまぶしい。スービックは太古の原始林が保存されていることでも有名だが、ここではフィリピン中を覆っている椰子の木をほとんど見かけることがない。そろそろ閉館の時間で丁度看護士などが帰宅するところで、カメラを向けると笑顔を返してくれた。    この病院は新築ではないが、2009年8月14日に開業したばかりだ。前の病院はアメリカ人の経営だったが、アメリカ人の医療保険を不正に水増しして請求したため、FBIの捜査が入り、廃業を余儀なくされた。それを買い取ってはじめたのが、この病院だ。     従来からスービックはすべてのインフラが整ったフィリピンの外国を標榜していたが、先ごろ前の病院が閉鎖されてしまったため、隣接するオロンガポ市の病院で受診しなければならないのがネックとなっていた。しかし、この病院の開業、そしてさらに2件の近代的病院が建設中で、これでス-ビックのインフラは完璧となり、外国人も安心して居住できるだろう。    開業したての病院であるためか、看護士等の職員が若く、しかも、とても可愛くて愛想が良い。病院の施設、設備、診療科などについても、同行した医師は満点と評価していた。    診察室、ラボ、緊急治療室、入院室など回ったが、清潔でとてもゆったりしてる。こんなところで治療を受けたら病気もすぐに直ってしまいそうだが、退院するのが名残惜しくなるかもしれない。でも決して安くはないので長居するわけにもいかないだろうが。    なお、フィリピンでの治療は日本の健康保険を使うことも可能で、一旦治療費を先払いして、必要な書類を用意して日本の最寄の市役所等で求償すれば、日本の基準に則って払い戻しされる。そうなると、フィリピン治療・療養ステイ(メディカルツーリズム)というようなことも充分成り立つわけだ。スービックで開業している日系のポコ・ア・ポコやトロピカル・バラダイス等の退職者施設にとっても強力なバックアップとなるだろう。

スービック、ジョージ・デュイー病院の紹介 2009年10月18日



  10月12日、一昨日、NTTホテルの近くのMARUCHANで客と食事をしていて、客が焼き肉丼を注文したら「ネギがないが、それでいいか」とウエイトレスに聞かれた。何故ネギがないのかわからないが、たいした問題ではないので、良しとした。さらに、翌日13日にマカティ・アベニューの新宿ラーメンで「辛口ネギラーメン」を注文したら、「ネギがないから作れない」とウエイトレスがいう。こればっかりはネギ無しで良しとは出来ないので、他のラーメンを注文した。何故ネギを切らしているのかわからず、スーパーで買ってくれば良いものを、と不思議に思った。  その夜、「野菜が300%値上がっている、スーパーから野菜が消えている」とフィリピン人の相棒に聞かされ、びっくりした。もともと、ネギ、レタス、キャベツ、トマトなどの西洋野菜、さらに生花などはバギオを中心とするベンゲット地方が産地で、そこからフィリピン全土へ供給される。ところが、先の台風17号ペペンのもたらした豪雨で地すべりが多発し、野菜畑が壊滅した上に交通が遮断されてしまい、供給がとぎれてしまったのだそうだ。バギオではガソリン、LPG、食料、水と何もかもなくて、政府がヘリコプターで物資を運んでいるという。有名な避暑地である高原都市バギオへ通じる道は2本しかなく、それがまさに命綱なの空中都市なのだ。 (スーパーのネギやレタス売り場は商品がないが、カンコン、ペッチャイなどの一般の野菜はいつもと変わらない)   台風17号ペペンは10月3日(土)、ルソン北部に上陸した。1週間前の台風16号オンドイに続く2週連続の台風上陸だった。ペペンはルソン北部の海上に留まり、その後、再度南下してルソン北部に上陸したのだ。その間、約1週間、大量の雨を降らし、大規模な地すべりや洪水をもたらした。   長引く豪雨のために、サンロケダムなどの大規模なダムが、オーバーフローによる決壊を恐れて大量の貯水を放流したが、これが流域の洪水に拍車をかけた。パンパンガ州、パンガシナン州、ヌエバエシア州などの米作地帯のほとんどが水没してしまったのだ。以前のブログでも紹介したが、この地域は地平線が見えるくらいに延々と平地が広がり、さらにほとんど河という河がない。したがって水がはけるのに数週間はかかるだろうといわれている。  オンドイそれにペペンのもたらした大量の雨で水没した米作地帯は当面米の収穫が見込まれないため、この地方の経済的損失ばかりではなく、フィリピンに食糧危機をもたらす。そのため、2~3ヶ月先の米の供給に不安が出て、早くも米が値上がり傾向にあるそうで、政府は急遽中国から大量の米を輸入することを決定した。一方これら一連の災害対策として120億ペソの政府予算の拠出を決定した。   

ネギがない!台風17号(ペペン)の被害 2009年10月14日


  先日、とある退職者の一件で、整体師の日本人がが事の顛末と知り合いに話したら、「あなたもフィリピン人になってきている」と評され、えらく立腹していた。日ごろからフィリピン人はどうも理解できないと言っている日本人が自分自身がフィリピン人らしいと言われて、侮辱された気分になったようだ。    日本からこられた方が、フィリピン人のやることなすことが日本人と違い、困惑し、「フィリピン人は、あるいは、フィリピン人のやることは、理解できない」と嘆かれることが多い。といいつつ、フィリピンを何回も訪問し、フィリピンが大好きな方が多いのだけれども。  あるタイに長くおられた方が、「タイ人は、こうなんですが、フィリピン人はどうなんですか」と色々質問された。びっくりしたが、まるでフィリピン人のことを語っているかのごとく、すべてが同じなのだ。どうも東南アジアの人々の気質は大変似通っているようだ。タイは仏教国、フィリピンはキリスト教国なのだが、根っこは同じようだ。 (下の写真はスービックの取材の際に対応してくれたSBMAのスタッフ。彼らはまさに国際人だ。)  ハリー・ポッターの映画で、事件が落着して、校長先生がハリー・ポッターに向って「このことは絶対に秘密で人に漏らしてはならない。ということはすでに全校生徒が知っているということだ。」と言うくだりがある。「フィリピ人に秘密はない」といわれるが、もし皆に伝えてほしかったら「これは絶対秘密だよ」といえば、あっという間にうわさが広がってしまう。これは何もフィリピンに限ったことではなくて、ハリー・ポッターの故郷のイギリスでも同じことなのだ。  フィリピンでは「ハイ」という代わりに、眉毛を吊り上げる動作をする。アメリカの映画を見ていたら、今まで気がつかなかったが、若者がその動作を頻繁にするのだ。さらに、先日、イギリス人を農場に招待し、マッサージ嬢のタンとデバインの家を訪問した際のことだ。そこで80歳は超えているだろうと思われるおじいさんが挨拶に出てきた。おじいさんはイギリス人と握手すると、その手の平を人差し指でこすった。これは、拙著「金なし、コネなし、フィリピン暮らし、84ページ」でも紹介しているが、Hをしようという意味なのだ。この話をイギリス人が仕草で話をしてくれ、大笑いしたが、イギリスでも同じ合図をするようだ。  ご承知のように、フィリピンはレディファーストの国だ。エレベーターに乗ったり、先に食卓につくのは女性だ。買い物の荷物を持って歩くのは男性、車のドアを開け閉めするのも男性だ。一方、女性は一家の大黒柱、カカア殿下が当たり前だ。これはフィリピンに限らず、香港、シンガポール、タイなど私の知っている限り各国共通だ。フィリピンは英語圏だから、現在でも欧米の文化がそのまま流れ込んでくる。国民の1割近くが出稼ぎなどで海外暮らしをしているということからも、外国との文化経済交流は活発で、フィリピンは東南アジアにあっても日本よりもはるかにインターナショナルな国なのだ。 (下の写真はポーズを取るパスコのスタッフ。いつもとても明るくて優しい)  フィリピンは危険な国というが、欧米人は決してそうは思っていない。アメリカや南米諸国、あるいは東南アジアの他の国々と比べてはるかに安全だ。ただ、新聞やテレビに報道されるニュースは悪いことばかりで、決して良いニュースは流れない。だから、日本にいてはフィリピンのことは決してわからないのだ。しかし、日本と比べて安全と言っているわけではない。日本以外の国としては決して取り立てて言うほど危険な国ではないのだ。フィリピンで普通の生活をしている限りて被害に会うことはめったにない。  フィリピンで人にだまされて大金や家をとられたということは良く耳にする。この原因は日本人があまりにも安易に人を信用して契約書を読まず、あるいは読めず、時には契約書や書いたものも何も無しに大金を出してしまうことに問題がある。俺々詐欺ではないが、金に対してあまりにも鷹揚なのだ。これはフィリピンに限ったことではなく、どこの外国に行った所で同じことだ。  日本と比べてフィリピンがどうのこうのというのは、どうも観点が違うような気がする。強いて言えば、日本と外国の違いなのだ。忘れてはならないのは、フィリピンは外国であって日本ではないのだ。多数のジャパユキさんが日本で働いていたから、多くのフィリピン人が流暢な日本語を話す。だから、フィリピンにやってきても日本にいるような気分になって、ここが外国であることを忘れてしまっている日本人が多い。フィリピンの言語である英語やタガログ語を全く話せず、あるいは話そうとせず、フィリピン人の親切や人の良さに甘えてしまっているのだ。だから、「日本ではこうなのに、フィリピン人は、なぜだめなのか」と不満が絶えない。 (下の写真の子供達も立派に国際人なのだ。)   日本の文化は中国から伝わった儒教の教えをバックボーンとした独特のものを持っている。日本の島国という地理的環境と儒教の教えという特殊な環境に育まれ、それが唯一絶対思っている方が多い。しかし、それは日本と韓国で位しか通用しない独特の考え方だ。国際社会そしてフィリピンでは全く通用しないのだ。 […]

フィリピン人は国際人(インターナショナル) 2009年10月7日



  台風騒ぎもおさまらない29日から10月1日まで産経新聞の取材に同行してクラークとスービックを訪問した。取材の目的はフィリピンの産業振興の目玉となっているクラークとスービックの発展振りを報告するものだが、特に基地の返還前と返還後の人々の暮らしぶりの変化に着目して記事をまとめたいとのことだった。    クラークでは有竹さんという方が、取材に協力してくれた。有竹さんはクラークの主のような人で、クラーク開発庁CDC(Clark Development Corporation)やクラーク国際空港公社CIAC(Clark International Airport Corporation)の多くのスタッフと親交があり、今回も空港内の取材やいろいろな方との面会をアレンジしていただいた。なお、有竹さんはクラーク内、Parade Groundsの真正面にカフェ・メサというしゃれたレストランを経営する傍ら、元米軍将校の住宅を改造して30棟ほどの貸家も経営しておられる。カフェ・メサはウエイトレスが皆八頭身美人ということで有名なので、クラークへ行ったら是非覗いてみてほしい。   クラーク内にある博物館にはクラーク基地の歴史にまつわる写真や展示品が並べられているが、中でも目にとまったのが若き日のアロヨ大統領の写真だ。60に近い現在もなかなかの美形を保っているが、若いときは大変な美人だったようだ。  クラークの歴史そして全容を知るには最適で、開発の経由やクラークの計画図が掲示されていて興味深い。(画面をクリックして拡大してみてください)  クラークの中心にあるのがParade Groundsという騎馬隊などがパレードをした広大なエリアだ。幅200m、長さ800m程度で、野球場が4つ程度建設できそうだ。正面の白い柱がクラークの象徴だそうで、長い間土に埋もれていたものが発見され、ここに置かれたものだ。 […]

産経新聞のクラーク、スービック取材に同行 2009年10月6日


 9月26日(土)、マニラ首都圏をおそった台風16号オンドイの被害は死者不明者288人を出す大災害となった。特にマニラの西、マリキナ、カインタ、 パシッグ地域では多くの住宅が水没し、1週間たった今でも水が引いていない。その他ほとんどの地域では翌日には水は引いたものの、地下室が水没し電気施設 や駐車場の車が被害を受け、エレベーターや電話などの復旧に時間がかかった。 9月29日、産経新聞の取材に同行してクラーク、スービックを訪問したが、途中高速道路から見たブラカンやパンパンガの水田地帯は水中に没していた。この水が引くには数週間の時間がかかるそうだ。  テレビでは災害に対する寄付をつのる番組が終日流れていたが、司会者は先日コーリー・アキノ元大統領の葬儀でテレビに出っぱなしだったクリス・アキノが務 めていた。また、アロヨ大統領も被災地を訪問した。さらに10月2日には台風17号上陸のニュースが流れ、マニラッ子は先日の水害の記憶も新しく、避難し たり、外出を控える人が目立った。さらに、超大台風18号も発生し、台風の恐怖にさらされた1週間だった。

台風16号オンドイの被害(その2) 2009年10月5日