Monthly Archives: November 2009


  ここのところ多忙でご無沙汰していたが、久しぶりにアンヘレス、フレンドシップ・クラブに、はじめてフィリピンを訪れ、退職ビザを取得した方の案内を兼ね気楽な旅をした。 またさらに翌週別の方を案内してスービックとクラークを訪問したので、その時の写真を追加した。   クラーク、アンヘレスは何度も紹介しているので、少々ねた切れだが、今回は「日本一番」という和食レストランを発見した。いつもお邪魔している「なるほどレストラン」が移転のため閉店しているので、フィールド・アベニューのはずれ、韓国レストランが並ぶ一角にあるこの店を覗いてみた。うどん、そば、ラーメン、焼き魚、カレーなどなど庶民的なメニューがほとんどなんでも揃っている。値段も200ペソ程度と手ごろだ。たまたま「なるほどレストラン」のオーナーの野口さんも3人の友人の日本人を連れてやってきたいた。(メニューは画像をクリックして拡大して見てください)    退職者をクラークに案内したが、先日報告した有竹さんが経営している「カフェ・メサ」は洋食レストランだが美人のウエイトレスが揃っているので評判だ。内部はなかなかシックなつくりだが、この日は雑誌の取材があって店の内部やウエイトレスを撮影していた。ついでに私も一枚撮らしてもらった。  スービックのポコアポコのプールサイドの喫茶店でも美人がいた。元々オーナーの秘書だったそうだが、最近、ここに移動となったらしい。皆、美人には目がないようだ。  LRTの環状線工事についてはSMノースエドサの既存線と接続部分の工事が未着工で気にかかっていた。今回はこの接続部分と駅、それから (North Luzon Expressway)との交差部分の進捗を見ることができた。今年中は無理としても来年の前半には開業できるのではなかろうか。メトロマニラのインフラも少しづつではあるものも着実に改善されつつあるようだ。

アンヘレスの旅(その?)2009年11月12日


  先日退職者の方の日本の自動車免許証をフィリピン免許証へ書き換えるためにLTO (Land Transportatio Office、陸運局)に赴いた。事前準備として、尿検査(麻薬検査)並びに視力検査を行なう民間のクリニックに行った。   丁度電話がかかってきて話をしていると、職員がキャーキャー騒いでいてうるさくて仕方がない。人が電話をしているのになんて礼儀知らずなのかと、同行したフィリピーナの相棒に文句を言った。彼女いわく、有名なイケメン男優が、数十はあろうかというクリニックの、よりによってこのクリニックに裏口から、そっとやってくるというのだ。だからクリニック内は騒然だ。ガラス越しに覗いている女の子もたくさんいた。個室で書類に記入しているそのイケメン男を見ると、私の目にはその辺にいる、ただのいい男にしか見えない。相棒はちゃっかりとツーショットにおさまって至極ご機嫌だった。  イケメン男優の名前はジェリコ・ロザレス、24歳。メトロ・マニラの北東のはずれ、比較的貧しい人たちが暮らすナボタス出身だ。あだ名はエコというが、魚の行商をしていたそうだ。フィリピンの俳優や歌手はクリス・アキノを初め比較的富裕層が多いが、彼の場合は典型的貧困層の出身だ。   彼は、毎日、夜の10時半、チャンネル2、ABS-CBNで放映されている人気番組、「ダヒール・マイ・イサン・イカオ(君一人のため)」という番組の主役だ。毎晩女性達はテレビで彼の甘いマスクを見て、あたかも自分が相手役のヒロインとなったような錯覚をして喜んでいるのだ。   一方、夕方の5時半からは14歳の子持ちの美女が主人公の番組、「カトロセ」が同じABS-CBNで放映されている。この二つの番組は、その時間帯に外出する子供がいなくなったという社会現象ともなったジュディ・アン・サントス主演の往年のお化け番組「エスペランサ」あるいは「マリマール」などの流れをくむもので、現在、フィリピンで人気を2分している番組だ。

イケメン男優に遭遇 2009年11月12日



  11月1日(日)は万聖節で祝日、翌2日は代休となり、10月31日(土)をあわせて3連休となった。11月1日のお墓参りに間に合うために、人々は空港やバスターミナルに殺到し、30日(金)と31日(土)は帰省ラッシュとなった。私は一足早く、30日の早朝に立ったために難を逃れたが、31日未明に上陸しルソン島マニラ周辺を横断した台風21号サンティは帰省の足を直撃した。空と陸の便は大幅に乱れ、多くの飛行機便が欠航し、マニラーレガスピ間のバスは道路冠水の影響で、普段の倍の20時間かかったそうだ。マニラーレガスピ間はセブパシフィック、PALなど、1日5便が飛ぶようになり、大変便利になった。さらにセブへの直行便も運行されている。     レガスピ市のジープニー・ターミナルがついに完成した。行き先別に整然とジープニーやGTエクスプレス(フィルキャブ呼ばれる1BOXタイプの車)が並んでいる。ガイサノ・モールから歩いて10分くらいのところにあり、繁華街からのアクセスも良い。空港からのターミナル行きバスなどがあればもっと便利になるのだが。    マニラでは台風が吹き荒れていたそうだが、ビコール地方は31日、台風一過で快晴。大きな入道雲をバックにマヨン火山の雄姿を望むことが出来た。   6年前に植えたマンゴやココナッツの木に実がなり始めていた。これからは1年中果物が絶えないという楽園になるだろう。その他、ランカ、ナラ、ピリなど数百本植えた木々も大きく育ち始めている。   鳥小屋には鳩や、七面鳥、ガチョウ、闘鶏などが暮らしている。卵をたくさん生んでもらってもっと増やしたい。    ここのところマヨン火山の活動が活発で火山性地震が毎日何度も観測され、一日数百トンの二酸化硫黄を放出していると報道されていた。確かに噴煙は空高く舞い上がっていたが、特に大きく変わった様子もない。地元にとってみれば当たり前の日常だ。   テラピアの養魚池に大量のタニシが育っていた。フィリピンではクホール・サ・ガタといい、ココナツミルクで煮て食べるが、ビコール地方では食べない。この日、大き目のタニシを取って料理してもらったが、私以外は誰も手をつけなかった。   滞在中、相棒の家族が訪問し食事を一緒に取ってくれた。10人の甥や姪がいるが、皆とても可愛い。子供達は国の礎だ。上は中学(ハイスクール)の2年生、下は3歳だ。それに来年の4月には相棒の子供が一人加わる予定だ。 […]

台風一過、マヨン火山の絶景 2009年11月5日


  11月1日は天国や地獄へ行った万人が聖人となり、現世に帰り、家族と再会できる万聖節だ。カトリックの国フィリピンでは日本のお盆と同様、ほとんどすべての人が田舎に帰り、家族らと墓参りをする。彼らの墓参りは、食べ物や飲み物を持参し、亡くなった家族と食事を共にして生前の思い出を語り合う。そして、その宴は朝まで続くこともある。    10月30日の午後、台風サンティのルソン島への上陸により夕方から強い風と雨が降り、雨の墓参りになることが危ぶまれた。しかし、翌10月31日から快晴に恵まれ11月1日は絶好の万聖節日和となった。  庭から花を切り取ってお墓に飾る花をバナナの幹に生けた。家の前にはその家族の亡くなった人の数だけローソクを立てるのが慣わしだ。     タバコ市のメインストリートは通行禁止となり、人の群れが続き、両側には屋台が並び、ローソクや食べ物を売る。   お葬式には賭博は付き物で、大目に見られているが、この日も簡単な賭博が開かれ、子供たちがコインを賭けていた。   墓場の中に入ってもローソクや食べ物を売る屋台が続く。どこの国でもなかなか商魂がたくましい。   墓場の中央の通りはラッシュアワーのように込み合っている。もちろん一方通行だが、人の群れは夜半まで続く。   墓参りをする家族たち。ちなみにフィリピンでは土葬だが、コンクリートの棺を地上に並べ積み上げていく。この辺の墓は一般庶民の墓だ。   墓の上にも大勢の人が乗っかって時を過ごす。コンクリートの棺を買えない貧しい人たちは土葬をする。   貧富の差はお墓を見れば一目瞭然、、これらの墓は比較的富裕な家族のものだ。 […]

万聖節の帰郷 2009年11月5日