Monthly Archives: September 2009


 フィリピン全土の小売商の問屋として機能している街、デビソリアを北の横綱とすれば、南の横綱がバクラランだ。LRT1の南の終点バクララン駅を降りるとフィリピンの混沌と喧騒の世界がそこにある。マカティあるいはマニラに近いので手軽に探訪出来る。デビソリアのように広大でどこに何があるかわからないということはない。駅の近くのガードの下では海賊版DVDやDVDプレイヤー、さらにバクララン教会の方に進むと、衣類、靴、かばんなどを売る無数の店が並ぶ。この日は雨のため、一部の通りが冠水しており、歩道を歩く人で隙間が無いような状態だった。ブランド物のバッグなどはもちろんコピー商品で、大きなルイビトンのバッグでも1000~2000円で買える。靴や衣類でも1000円以上するような商品はめったにない。    バクララン教会に近づくと子供のキリスト像(ロザリオ)を売る店が目立つ。バクララン教会は女性の願いをかなえるということで有名だ。素敵な彼にめぐり合いたい、子供が欲しい、金持ちのパトロンがほしい、などという願いをこめてお祈りに来る人が絶えない。特にバクラランはカビテ方面へのバスターミナルがある場所なので、カビテへ帰る前に教会に寄って祈りを捧げて行くカラオケのホステス嬢(GRO)が多いそうだ。     教会からロハスボリバード通りに出て左へ折れると、すぐにシーサイド・マーケットに出る。入り口は果物を売る店だが、中は高級シーフードで一杯だ。エビや、牡蠣、まだ活きているラプラプなどの魚、蟹など、普通のウエット・マーケットでは見られない食材が並ぶ。むき身の蛙まで売っていたが、日中は客が少なくて退屈している店員はカメラを向けると皆、ポーズを取って愛想がいい。ところで海水魚の王者ラプラプ(日本では、はたあるいはクエにあたる幻の高級魚)は大変生命力が強く、市場に来てもまだ活きているものもいる。     

庶民の買い物どころ、バクラランの紹介 2009年9月27日


  ちょっと古い話になるが、8月末、大統領顧問代行(国家安全保障担当)を務めるチャベット・シンソン前南イロコス州知事(68才)が暴行を働いたとして内縁の妻(チェ、35歳)に告訴された。シンソンは17年間、関係を続けてきた内縁の妻の不倫現場を発見し、妻とその浮気相手の男に暴行を加えたものだ。シンソンは本妻とはすでに別れているが、フリピンの法律では裁判所の判決がなければ離婚(アナルメント)できないので、内縁関係のままとなっている。   当のシンソンは、フィリピンの刑法では「妻や夫の不倫現場に遭遇して、逆上し暴力を働いたとしても罪にはならない」という規定を盾に無罪を主張している。チェは18歳の学生時代にシンソンに出会って以来長い関係を続けているが、元々尻軽女だったらしい。一方のシンソンも女出入りが激しく、妻にとってみれば浮気はお互い様とも言えるものなのだ。写真左下がシンソン、右は浮気相手の若手男優。   しかしフィリピンでは、妻やガールフレンドの浮気は反道徳とされ、彼女らは世間の非難を浴びる。妻に浮気された男は「頭に糞を載せている」称され、恥ずかしくて世間に顔向けができない。一方、男の浮気は性(サガ)あるいは甲斐性として容認される。もちろん妻からはとことん絞られるが、結局は元の鞘におさまる。シンソンはエストラーダ元大統領の不正を暴き、失脚に追い込んだことでも有名な強気の政治家だが、この事件で世間の笑いものになってしまったのだ。一方、妻のチェは、はしたない恥知らずの女として世間に侮蔑の目で見られている。フィリピンでは未だに姦通罪という罪が存在するが、これは女性の不倫にのみ適用されているようだ。写真左下は熱弁をふるう女性擁護団体の闘志、右はシンソンを責める不倫相手の男性の父(弁護士)。    一般的に、夫あるいはボーイフレンドが浮気した場合、妻は浮気相手の女を探し出し、夫に手を出すなと談判する。場合によっては取っ組み合いのけんかになることもある。夫はそれを見ていて、喧嘩に勝った女のほうについていく。一方、妻あるいはガールフレンドが浮気した場合、夫は逆上して妻に暴行を加えることも少なくない。すなわち、不倫をして責められるのは常に女なのだ。不倫の責任は常に男にあるとされる日本とは逆のようだ。「これは不公平ではないか」と、相棒のフィリピーナに聞いてみたところ、「男はいつもちゃらんぽらんで女のけつをおっかけるものなのだ。だから理性のある女が自分あるいは相手をコントロールしなければならない。だから不倫があった時は常に女に責任があるのだ」と話していた。すなわち、浮気の責任は常に男にあるとみなされる日本とは逆に、フィリピンでは女に責任があるのだ。   一方、フィリピンでは熟年男性と若い女性のカップルは極普通のことで世間的に容認されている。60歳前後の日本人男性と20代のフィリピン女性のカップルは当たり前だ。しかし熟年女性と若い男性のカップルは反道徳とされ、世間から白い目で見られる。男が、女性の金を目当てに近づいていると見られるのだ。フィリピンでは熟年女性が、一回りあるいは二回りも下の男性と付き合うというのはありえないことなのだ。これはオスは生殖能力がある限り、子供を生むことのできる若いメスを追い掛け回すが、生殖能力を失った年老いたメスを若いオスが相手にすることはありえない、という動物界の常識にかなったものだ。生殖能力のないメスに近づくオスが他になにか目的があるに違いない、というのはきわめて自然の摂理にかなった観察だと思う。  日本人男性としては、フィリピンには独身の若い女性がいくらでもいるので、間違っても人妻に手を出したり、一~二回りも年上の女性に手を出したりしないよう、気をつけてほしい。

フィリピン人妻の浮気の顛末 2009年9月27日



 パサイ・シティのブエンディア通りからタフトアベニュー(LRT1高架鉄道が走る通り)をエドサ通りに向かって400m位のところを右に入ったところにあるのがカーティマ・マーケットだ。ここはマカティに最も近い庶民の台所であるウエット・マーケットの一つだが、ペット・ショップの集合場所として有名だ。数百件もあろうかというペット・ショップが軒を連ねている。定番の犬、猫、小鳥、ウサギ、ハムスターなどのほか、熱帯魚、金魚、鯉などが格安で売っている。  なかでも目を引くのが、熱帯魚の王様とも言われているアロワナとディスカスだ。日本では輸入が禁止されているという赤っぽい銀色のアロワナは20万ペソの値段がついていた。一方、白銀のアロワナは10万ペソだ。コップに一匹づつ入っているのが闘魚だ。オス同士を一緒にすると闘鶏のようにすぐに喧嘩を始めてしまうので別々にしてある。この魚は大変生命力が強く、コップ一杯の水で酸素を与えなくても生き続ける。その色とりどりのはでな格好も闘鶏そのものだ。  海水魚もたくさん置いてあり、さんご礁に群がる美しい多様な魚が一匹数十ペソで買える。しかし、これを飼育するのが難しくて、室内に熱帯のさんご礁をよみがえらせる私の試みはなかなか成功しない。昔懐かしいウーパールーパーもいた。     ここにはさらにくらげやトカゲまでも売っているが、マーケットの方に行くと犬や猫のえさが大量においてある。米の値段より高くて、人間より贅沢だ。さらに周辺には蘭などの熱帯観葉植物、日本あるいは韓国食材店、外国製の靴屋などが並んでいる。昔は輸入物の靴のメッカだったが、昨今はほとんどがコピー商品だそうだ。

ペットショップ街、カーティマ・マーケットの紹介 2009年9月27日


 9月26日(土)、熱帯性低気圧オンドイ(台風16号)の影響で朝からマニラでは豪雨が発生、たまっていたブログの執筆にいそしんでいた私は事務所に閉じ込められるはめになった。    事務所の前に道路は川となり、30cmくらいの深さで流れている。そしてバグチカン通りからパソンタモ通りはまるで運河だ。人々はまるで避難民のように手を取りあい歩いている。さらに路上駐車していた車は半分ほど水に浸かってしまっている。しかも、事務所ビルの地下駐車場は完璧の水没してしまったため、エレベーターが動かず、9階まで階段を上り下りするはめになってしまった。  夕方、当社のマッサージ嬢のタンとデバインに迎えに来てもらい自宅に戻ることにした。雨は小やみになってはいたものの、水はひざないし股下まである。道路の脇は排水溝の取水口がある恐れがあるために、なるべく道路の真中を歩く。カメラを向けると、タンとデバインは雨に濡れながらうれしそうにはしゃいでポーズをとってくれた。サリサリでビールを買って帰ったが、店の中は洪水だというのに逞しく店を開けていた。サリサリは庶民の味方、こんなときに店を閉めてはなおれとばかり、ほとんどすべての店が商いを続けていた。   家に戻ってみると、テレビは各地の被害状況を伝えていた。マニラ全域にわたって冠水し、特にマリキナあるいは当社の事務所のあるパソンタモ当たりが被害が大きかったらしい。そもそもマニラには川といえばラグナ湖とマニラ湾を結ぶパシッグ河。さらにマニラの周辺、ブラカン、パンパンガ、ヌエバエシアあたりも、先日ヘリコプターで飛んだらほとんど川がなかった。多分、広大な平地が続くために河川を維持する勾配がないのだろう。だからちょっと強い雨が降ると水 が溜まってしまい、道路や家が水没してしまうのだ。   翌々日に届いた新聞によると、この日の雨は、午前8時から午後2時の6時間の間に341.3ミリの、フィリピン観測史上最大の降雨があったそうだ。1時間 当たりの降雨は約57ミリとなるが、日本では通常50ミリ/時間の雨が10~15分続くものとして排水の設計をする。今回の雨はその設計降雨強度が6時間 継続したのだから、たまったものではない。マニラ中が水に浸かってしまったのもうなずける。そもそもこの台風は小型で、風もたいしたものではなかったた め、心配はしなかった。しかし、これがとんでもない雨台風だったのだ。これが田舎だったら、川沿いの家が浸水した程度の小さなニュースだったろうが、首都 マニラを直撃したため、このような災害になったようだ。都市は災害に弱いのだ。

集中豪雨でマニラは水浸し 2009年9月27日



  退職者のトラブル解決のためバギオを訪問する機会があった。トラブルの方も無事解決し、一泊2日のバギオ観光としゃれた。バギオといえばフィリピン人憧れの高原都市で、暑さはほどほど、夜は寒いくらいでカーデガンが必要だ。ほとんどの樹木が松ノ木だが、フィリピンで松ノ木が見れるのはここだけだ。  バギオに向うケノン道路はその昔、日本人の労働者によって作られたという難所で、深い谷をつづら折に上って行くこと約1時間、そこには信じられないような規模の天上の都市があるのだ。  泊まったホテルはEl Cielito Innというところだが、1500ペソ/泊で、とても感じの良いホテルだった。セッション通りの坂上のロータリーから5分くらい東に歩いたところにある。また、セッション通りを下りきって左へ折れ5分ほど歩いて、さらに右へ折れてちょっと入ったところにハニームーンなど殿方を接待する店が何軒かある。  セッション通りをのぼりきった当たりにあるのが、有名なフィリピン料理の老舗、バリオフィエスタだ。料理は普通だが、外の木彫りの人形がすばらしい。    この日は丁度、世界一長いロンガニサ(ソーセージ)のパレードがあり、ギネ・ブックに挑戦しているとのこと。学生のバンドなども出て、バギオの目抜き通りのセッション通りを練り歩いていた。   バギオを訪問したらセッション通りの突き当りを右に折れたところ、マグサイサイ通り沿いのマーケットは欠かせない。イチゴジャム、高原野菜、ほうき、民芸品の織物や銀細工などがお土産の狙い目だ。フィリピン全土のレタスやキャベツ、白菜やカリフラワーはすべてバギオ周辺で生産され全国へ出荷されている。例え、たくさん買い物をしてもちきれなくなっても平気だ。小学校の子供達がアルバイトで運んでくれる。魚類はほとんど養殖魚のテラピアかバゴスだ。山の中だからいたしかたないことだが。       バギオ一番の観光名所はマイン・ビューだ。ここから眺める景色は壮大だが、久しぶりにやってきたら、景色の中に住宅が目立つ。バギオの宅地開発も随分進んだものだ。また、さらにおみやげ物屋がやたらと多い。10年前の3倍はあるだろう。毛糸で編んだ服や民芸品の織物などが主体だが、サボテンなどの鉢物もある。どういうわけか20ペソでセントバーナード犬と写真を撮らせる商売をやっていたが、バギオとの関連は不明だ。原住民であるイグロット族の衣装を着せて写真を撮らせるのは理解できる。 […]

高原都市バギオ訪問 2009年9月27日


 ビコール地方は有数の米の産地でもある。収穫の時期の今は道路はモミを干す格好の場所として使われていた。しかしここのところ雨がちで、湿ったモミは一部芽や根が出始めて台無しになるところだった。先日報告した、籾殻を利用して炭の代替燃料のをつくるプロジェクトの下調べとして精米所(ライスミル)を訪問した。  二袋のモミで一袋(約50kg)の米が出来るそうで、料金は100ペソ/袋、籾殻は廃棄/焼却あるいは部分的に自家消費の燃料あるいは肥料として使われている。2軒目のライスミルでは裏庭に積みあがった上にアヒルが住処としていた。その横には豚が飼われていたが、関係はないらしい。豚小屋に籾殻を敷いたら、いい有機肥料が出来ると提案したら、良いアイデアだと言っていた。  3軒目のライスミルではモミは全量焼却しているとのこと。固形化して燃料にしたり、あるいは有機肥料とすることについて質問したら、多いに興味を示していた。このようなライスミルはバランガイに一箇所程度はあるようだ。しかし規模が小さく、一箇所で一台の固形化の器械を入れるということはありえない。やはり、市が一台買って、トラックに積んでライスミルを巡回するということになるだろう。

ライス・ミル(精米所)調査 2009年9月27日



  タバコ市があるアルバイ県の名産はアバカ(マニラ麻)の製品だ。戦前多くの日本人がこのアバカ(マニラ麻)をフィリピンで生産し、1万人ともいわれる日本人がミンダナオのダバオなどに滞在した。現在も日系の2世3世が多くいるが、戦後日本人であることを隠し続けていたため、苦しい生活を強いられているそうだ。  このアバカ製品はマニラ麻とも呼ばれているくらい丈夫で長持ちする。自然志向の現在にもマッチした素材だ。ハンドバッグを初め、かごや室内装飾品があるが、バッグが品数で圧倒している。私の目からするととてもしゃれたデザインが多いのだが、果たして日本女性の目からはどうだろうか。値段はほとんどが200~300ペソ程度、500円前後だ。これがマニラで買うと倍になる。日本なら5倍から10倍程度ではないだろうか。   小さめのものは3個で100ペソ程度で買うことも出来る。これをたくさん買っておいて、事務所を訪問した日本人の奥さんにプレゼントするととても喜ばれる。しかし、フィリピーナにプレゼントしても少しも喜ばれない。彼らは値段を知っていてフィリピンの田舎で作ったものなどは見向きもしない。彼らは意外とブランド志向なのだ。    近くのアバカ製品の工場を訪ねてみた。皆手作りだ。生地を編むのも昔ながらの編み機だ。もし腕に自信のある方は自らデザインして作らせて見てはどうか。日本で10倍程度の値段で売れるかもしれない。  なお、アバカとは普通の麻とは似ても似つかない植物で、バナナの一種だ。バナナより細めの樹木で、この幹からアバカの繊維が採れる。

アルバイ名物アバカ製品の紹介 2009年9月27日


  整体師の下でマッサージをしているのが、タンとデバインだ。小さな体で力強いマッサージをするので評判が良い。9月9日は彼らの田舎でフィエスタ(村祭り)があるというので、特別に飛行機での帰郷を褒美として与えた。といっても格安の航空券を利用して、バスで帰るのと大差のない費用で済んだ。初めて飛行機に乗るというので、彼らは指折り数えてその日を待った。しかし始めての経験で飛行機の乗り方もわかるまいと、同じく我々も格安航空券を利用して同行した。彼らの田舎はわが農場の隣町なのだ。  彼らの街のフィエスタには参加できなかったが、翌日の昼ごろ、散歩がてらに客3人と歩いて彼らの家を訪問した。途中、のどかな田園を歩いていくと、すれ違う人たちは笑顔でForeigner(見知らぬ人、外人)を迎えてくれた。特に、同行したイギリス人は大きな体でいかにも白人、ものめずらしさもあったようだ。こんなのどかな環境に育ったら、悪い人間などありようもないないといった雰囲気だった。途中、昔、有名だったロカモンテというリゾートの跡地も立ち寄った。小川や咲き誇る花がきれいだった。  まずタンの実家、お父さんや姉さん、そしてお兄さん達が出迎え、12時を回っていたので、早速昼ごはんをご馳走になった。突然の訪問なので食事の用意があるはずがない。全部食べてしまったら、彼らの食べ物がなくなってしまうので、控えめにいただいた。その時どういうわけかタンの顔が輝いていた。どうも外国人4人の訪問が彼らにとって前代未聞のことであり、そのうれしさが顔に表れていたらしい。  そして次にデバインの家へ行った。狭い家にたくさんの家族がひしめいている。しかし、きれいに掃除がしてあり、清潔だ。そこでも当然のごとく昼飯が出る。エビや上海ルンピアなど思いのほかのごちそうだ。フィリピンでは出されたものに手を出さないのは失礼なので、少しだけいただいたが、とてもおいしかった。  農場の家に戻ってきてから3度目の昼飯を食べるはめになったが、その時、相棒のジェーンにタンやデバインの歓待ぶりについて話をした。そしたら、ジェーンは、かれらは食べ物を隣近所から借りて来て振舞ったのだと、ことなげなく言う。それを聞いていたイギリス人は感極まったように、うなり声を上げた。現代の世の中に、借金をしてまで人を歓待するという気持ちが残っていたのか、イギリスなどではとうの昔に失ってしまった慣習だ、というのだ。  タバコ周辺のトリップ、タンやデバイン訪問、家での誕生日会など通じて驚きと感激の連続だったイギリス人はこの地をHaven(避難港)とすることを決意した。彼曰く、「イギリスにはもはや人の心を失っている。女も男のようで女らしさのかけらもない。イギリス経済も破綻寸前で、どこかの予言の通り2012 年に一旦、世界は破滅し、不死鳥のように人類は新しい形でよみがえるであろう。その間、どこか避難するところがほしいが、優しい心を保っているフィリピンこそが避難港として最適だ。そして再生した世界を制するのはフィリピンではないか。とにかくここには多くの学校や教会があり、教育と信心を持った次代を背負う子供達がたくさんいる。  こんな話は先日ご家族で退職ビザを取得した日本人も言っていた。日本もイギリスも先進諸国と称する国々は破滅への道を歩んでいるのではなかろうか、と思う。ところでこの日本人家族も次回は是非タバコを訪問したいといっていた。果たしてかれらはそこでHaven(避難港)を見つけることが出来るだろうか。

タンとデバイン物語 2009年9月27日



  久々に我が農場のあるビコール地方タバコ市を、2組の客を案内して訪問した。今回は、そのほかにマッサージ嬢のタンとデバインを同行したが、それについては別途報告する予定。セブパシフィックのスチュアーデスは美人が多いので一枚失礼した。農場には子豚が12匹生まれていた。さらに3匹がそろそろ出荷時で、一匹を処分して、我々の食卓に載った。   タバコの街は相変わらずだが、到着早々イギリス人の客を、教会、マーケットなどに案内した。マーケットでは油やお酢、調味料など、日雇いで生活している人々のために、1回分づつ袋に小分けして売っているのを興味深く見つめていた。パジャック(座席付の自転車)の長い列にも、こんな数ペソ単位の仕事でも供給過剰という就労状況にも感心していた。フィリピンの過剰な労働力の証のようなものだ。このような人たちも失業状態とみなすと、フィリピンの失業率は 50%近いのではないかという気がする。   郊外を回ると、そこにはのどかな田園風景が続いていた。3年前の台風レミンの傷跡もいえて、マヨン火山の山すそには、カラバオの親子やアヒルなどがのんびりとえさを食べていた。特にマヨン火山の周辺は清流が多く、美しい風景をかもし出している。    ビコール地方のシンボルがカグサワ・ルーインという教会の跡地だ。16世紀に建立された教会は、今は跡形もないが、天気が良ければマヨン火山と塔のコンビが美しい。ここには多くのおみやげ物屋があるが、ほとんどが名物のアバカ(マニラ麻)の製品や刃物を売っている。この日は、竹で作ったギターの演奏を聞かせてもらった。     地熱発電所があるTiwiに来ると、名物のハロハロが欠かせない。帰りにと思ったが、行きに食べたいというので、早速店に立ち寄った。皆、おいしそうに平らげた。   Tiwiの先はハンギングロードといわれる景色の良いところに出る。その途中、子供達の通学時間にぶつかり、トライシクルに鈴なりになって帰る子供達を見た。今回のトリップの終点はJoroan(ホロアン)という町で、Salvacion(サルバシオン)という18世紀に活躍した尼さんをまつっている有名な教会だ。この教会では奇跡がよく起こるそうだ。   […]

ビコール、タバコ訪問 2009年9月27日


 モール・オブ・エイシアに近いマカパガル通りに沿ってあるのがシーサイド・マーケット・レストランだ。以前はバクラランのシーサイド・マーケットの周りにあったものだが、ここにさらに大規模に建設された。バクラランと同様に入り口は果物店で、熱帯の果物に混ざって、オレンジやリンゴなどの輸入果物も並んでいる。その奥が食材を売るマーケットだ。このマーケットの周辺には数十のレストランが並んでおり、ここで買った食材を持ち込んでお好みの料理をしてもらう。ご飯や野菜、飲み物は店が用意する。  果物屋の奥がシーフード・マーケットだ。その両脇には野菜やDVDや雑貨を売る店が並ぶ。店員は皆おおらかで、写真を撮られることを多いに好む。しかし、これほどまでの食材をそろえるのは良いが、当然売れ残りがたくさん出るだろう。それらをどう処理するのか不思議だ。 この日は4人で2000ペソほど使ったが、半分くらいの料理が余ったので、6~8人くらいで来てもその程度で済む。しかし、写真のヤシガニやロブスターは一匹、数千ペソもするので辞めておいたほうが良い。そもそもこんな希少生物を食べるというのは不謹慎だ。お勧めは小さな活エビ、1kg350ペソで、ボイルしたり、から揚げにすると大変美味で、日本人もフィリピン人もエンジョイできる。    

シーサイドマーケットレストランは観光の目玉 2009年9月27日