昨日、NHKワールドのクローズアップ現代という番組で「認認介護」というテーマを取り上げていた。認知症の夫を、これまた認知症の妻が介護をしていて、妻が夫を殴り殺してしまったという事件である。妻は傷害致死犯として告訴され、執行猶予の刑を受け、現在自宅で一人暮らしをしているという。また、妻は夫を殴り殺したという事実を記憶しておらず、なぜ夫が死んでしまったのかと首をかしげているそうだ。この事件が家庭内介護をとりまく問題を提起し、役所そして介護ビジネスに関わる人々がいろいろ議論を重ねているという。 この番組をフィリピンで見ていると、まず気になるのが家族はどうしていたのか、子供はいないのか、兄弟はいないのか、家族が一緒に暮らしていればこんな悲惨な事件は発生しなかっただろうに、ということである。フィリピンはご承知の通り、大家族で年老いた親が一人あるいは夫婦だけで暮らしているなどという状況はありえない。お年よりは多くの子供や孫に囲まれてたとえ貧しくても幸せに暮らしている。老老介護や認認介護などという状況はありえないのだ。 私の友達に、最近フィリピンで結婚したことを悔やんでいる方がいた。一人で暮らしていたほうが金はかからないし、気楽だし、それに妻が色々と用事を言いつけたり、小言を言われたり、うっとうしくてたまらんというのだ。数年前に結婚したときは周囲のアドバイスも聞かず結婚に夢中になったいたのにだ。この人には84歳の車椅子のお父さんが一緒にフィリピンで暮らしている。お父さんが2年ほど前に脳溢血で倒れたとき、一人っ子の彼は途方にくれたが、フィリピン人の妻がフィリピンに引き取ったらという思いがけない提案に、思い切って連れてきた。その後、お父さんの回復は目を見張るようで現在は車椅子も不要になり、元気に暮らしているそうだ。さらにお父さんの年金だけで十分家族一同の生活が賄えるという、願ってもない状況だ。もし彼が独り身だったらどうなっただろうか。日本に帰ってお父さんの面倒を見るという介護の生活が始まるのか。そしてもし自分自身も病気にでもなったら、一体どうなるのだろう。悠々とフィリピンで暮らしていられるのも妻とその家族のおかげであるわけで、その妻の要求をうっとうしいなどと言っては罰が当たるというものだ。 家族があれば介護の問題や、子供の世話などという問題は起こらない。家族のメンバーが、それぞれが役割も持って家族を維持すればすべては解決される。少子化大臣や介護保険など、ややこしい仕組みや議論は必要ない。この家族という仕組みこそが人類100万年の歴史が獲得した解決策なのだ。この家族のメカニズムが日本では核家族などと言って崩壊し始めているから、認認介護のうえの夫殺しなどというとんでもない事態が起こるのだ。 先日、NHKで非常に興味ある番組をやっていた。男と女の問題で、恋愛は子孫を残すためのメカニズムだというのである。恋愛をするとき、男は視覚脳が活性化し、女は記憶脳が活性化する。要は男は目で、女は頭で恋をする。男が女を見るとき、ほとんど腰と尻に注目しているそうだ。要は腰がくびれて尻が出ているセクシーな体型を好むのだそうだ。それはその女が子供を産むのに適しているかどうか見極めているのであって、男は自分の子孫を残す本能を働かせているのだ。一方、女はこの男が本当に約束を守り、自分に子供が出来て育児に専念しているときにしっかり養ってくれるかどうか、記憶脳を駆使して見極めているのだという。だから女は昔の約束やベッドで、男がついしてしまった約束を覚えていてその実行をせまったりするのだ。これも子孫を残すという女の本能なのだ(見てくれの悪い男性よ、あきらめることなかれ、誠意さえ尽くせば女は惚れてくれるのだ)。 それで二人は恋に落ちるのだが、他の動物のようにセックスをしたらおしまいでは困る。人間は二足歩行のために、母親の産道が狭く、赤ちゃんを未熟児のままで出産する。だから赤ちゃんは2~3年は母親の手厚い保護の下に育てられなければならない。そして母子は父親に食料の面倒を見てもらわなければならない。父親としてはセックスをして子供を作ってしまえば用はないはずであるが、それでは母子が生きて行けないので、無条件で相手に尽くすという恋愛のメカニズムが必要となるのだ。だから、この恋愛は赤ちゃんの手があまりかからなくなったら一段落するようになっている。そもそも恋愛は数年で冷めてしまうものなのだ。 NHKの番組はそこまでだったが、その先に結婚というメカニズムがあり、さらに家族というメカニズムがある。恋愛、結婚、そして家族、それが人類をして世界を制圧することを可能として、究極の仕組みだったのではないかと思う。子孫を残すという本能の恋愛から始まって、やがて恋に冷める男性を結婚で束縛して、家族を形成する仕組みだ。 老人問題が家族で解決できるのはいいが、なぜ役に立たなくなった老人がいるのか、その老人は家族に対して何の役割を持っているのか。動物界では狩を出来なくなったものは死を迎えるのが決まりなのではないか。動物界では閉経を終えたメスは速やかに死を迎えるそうだ。であれば生殖能力を失ったあるいは食料を獲得することが出来なくなったオスはそれで生涯を終えることになる。しかし、人類においては閉経を迎えた女性はさらに数十年間生き続ける。子供を作ることができないおばあさんが娘の子供、要は孫の面倒を見ることにより、より多くの子孫を残すことができる。すなわちおばあちゃんのいる家族の存在こそが人類繁栄の鍵だったのだそうだ、 神様はオスとメスを作り、セックスという快楽を与え、それによって意図せずとも子孫が残されるという、奇想天外な仕組みを生物に与えた。そこまではどんな動物でも同じだ。しかし、人類は百万年の歴史の中で恋愛、結婚、家族という仕組みを獲得することにより、ここまで繁栄できたのだ。介護問題や少子化問題でゆれる日本、この家族という仕組みを捨てようとしている日本はやがて滅びの道を歩むのではないかとさえ思う。フィリピンでは家族の絆は相変わらず強烈だ。巷は子供で溢れている。そんなフィリピンに人類としての力強さを感じる。期せずして本年のマニラ生活電話帳は家族の象徴でもある子供を抱く女性の姿が表紙となっていた。