Monthly Archives: March 2009


 京都大学 東南アジア研究所の清水教授を案内して、介護施設、アモーレの里を訪問した。教授の専門は文化人類学だが、フィリピンへの退職者の移住というテーマにも取り組んでいるとのこと。また、留学も含めてフィリピンに7年滞在した経験を持つフィリピン通だ。  アモーレの里の 岸田さんの話によると、4月中に、地下のレストラン、厨房、クリニック、スパ、など運営に必要な最小限の施設を完成し、6月開業とのこと。現在、地下の工事が鋭意進められていたが、1階の居室については全室、ほぼ完成しているとのこと。  教授は、施設の充実度は日本の有料老人ホームと比較してもそん色ないと絶賛していた。また、日本の介護の状況を考えると、フィリピンで介護ということが切り札になろうとも仰っていた。このことはフィリピンの雇用を創出するばかりでなく、介護保険の破綻がささやかれている日本の現状においては日本の政府をも救う手立てとなろうとのこと。  しかし、その良さを理解して海を越える決断を介護老人にさせるのが難儀であることも事実で、突破口として誰がどんな策をとるべきかなど話し合った。その中で、具体的かつ比較的簡単にできるであろうことは、PRAが、介護が必要な両親を申請者の同伴者と認め、追加の定期預金なしに両親を同伴できるという施策ということになった。60歳の定年を迎え、フィリピンなど海外で暮らしたいが、介護が必要な両親のために日本を離れられない、というような状況にある退職者にとって、1石2鳥、あるいは3鳥の解決策となるだろう。   アモーレの里の岸田さんはオーナーである兄、あるいはPRA退職者クラブの家田会長などを動かして、PRAアグリパイ会長に本件を働きかけてみるとのことだった。なお、このアイデアは私がPRAに在籍しているときにマルセロ副長官を通じて働きかけていたが、日の目を見ないままでいたもの。

介護施設‐アモーレの里の進捗状況2009年3月25日


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 マカティ在住の退職者が美人局の被害に遭った。以下その方のレポートだ。  3月12日夕方5時ごろ、マカティのグリーンベルトの噴水付近で休んでいると、二人の若いフィリピーナに声をかけられた。「今、何時?」から始まって、コーヒーショップでお茶を飲むことになり、後で考えると実に巧妙に誘われた。10月には交換留学で日本に行くことになっている女子大生という触れ込みで、もう一人の女性は同じ部屋に住んでおり、今日が誕生日だという。 家で誕生パーティをやるから一緒に来ないかと誘われ、食材とビールを買ってカラオケなどを楽しんだ。ひとしきりすると一人が誕生ケーキを買いに行くといって出かけ、女子大生と二人きりになった。  街までケーキを買いに行っているから1時間は帰らないと、件の女子大生は執拗に誘ってくる。悲しいかな男の性で、段々その気になってくる。女子大生は言うことを聞かないせがれをたくみに奮い立たせ、丁寧にコンドームまで装着してくれて、行為に至った。その後、彼女はやたらと痛がり、トイレの便座は鮮血で不自然によごれていた。やがてケーキを買いに行った女性と、さらに別の女性が現れ、女子大生を慰めていた。その間女子大生は私に腰をさすらせて、その震えを感じさせるという迫真にせまった演技だった。  さらに女子大生の兄という男が現れ、妹は18歳のバージンで、自分はポリスだと脅された。さらに年の行った女性が現れ、今から病院に連れて行くから手術代が50万ペソかかるという。パニックに陥っていた私はクレジットカードで35万円(17万5千ペソ)分の支払いを薬局で決済してしまった。その後、撮ったはずの彼女らの写真が私のカメラから削除されていたので、騙されていたことに気がつき、クレジットカード会社に連絡を取って決済を中止するよう依頼して、幸いにも金額的な損失は免れた。 退職者が被害にあったグリーンベルトの噴水付近  こんな見え透いた詐欺にまさか自分がひっかかるなんて、思いもよらなかった、振込め詐欺もきっとこんなものなんだろう、というのがこの退職者の感想だ。いざ渦中の人となると自分を見失ってしまうものなのだ。次に、別の手口をアンヘレスのホテルのガードから聞いたので紹介する。  某国の退職者が街で女性と知り合いになり、ホテルに連れてきた。18歳ということなので中に入ることを許したが、その直後に警官が現れ、18歳未満の少女にセクハラをしようとしたということで、退職者を逮捕してしまった。少女は16歳で、理由は何であれ、18歳未満のアンダーエイジと行為に至ると犯罪である。退職者は示談ということで10万ペソを支払い釈放してもらったが、これは明らかに警官と16歳の少女がぐるになって仕組んだものだ。  だからホテルのガードは同伴の女性にはIDの提示を求め、18歳以上であることの確認と身元を調べる。一見面倒くさいが、顧客をこの手の犯罪から守る重要な役割なのだという。  そもそも、この年になってこと女に関していい話があるはずがない。100%金が目当てだ。しかも法外な金額だ。ならば、その手の店でリーゾナブルな対価を払って一時のアバンチュールを楽しむべきだ。ホテルのガードも、「素人は危ない、店で買ってくるのがもっとも安全」と言っていた。いざとなったらお店にクレームできるし、お店が厳しく管理しているから問題ないというのだ。お店がバーファイン(連れ出し料)の半分以上取ることが搾取以外の何物でもないと思っていたが、それも安全のためのコストと思えば高いものではないのかもしれない。

美人局にご用心2009年3月23日



 お手伝いしていた住宅の建設が終わり、引渡しも無事に終わったために、しばらくアンヘレスに行く機会がなかった。今回は住宅のタイトル(登記)の移動が完了したとの連絡がデベロッパーからあったので、その受け取りに出かけていった。1~2週間もあれば終わるといっていたものが、約2ヶ月もかかってしまった。お役所仕事だから仕方がないとは言え、タイトルがちゃんと移動されるまで所有権の公的な保証がないのだから、遅れると何かあったのではないかと心配になる。タイトルの移動を遅らせて、その間に他人に売却してしまうなんてこともフィリピンではざらにあるらしい。   エドサ通り沿いに走るMRTはノースエドサのSMで工事が中断されており、その延長工事がようやく開始され、急ピッチで進められていることは前に報告した。2ヶ月ぶりに工事を見てみるとその進み具合に感心する。少なくともノースエドサとNLEX(ノースルソン・エクスプレスウエイ)の入り口当たりまでの橋脚の建設は80%程度終わっている。橋脚が出来ると別の場所で製作した橋桁を載せて大方の形が出来てしまう。年内にはあらかたの施設の全容が出来上がるだろう。しかし、駅となる部分の建設が全く行なわれていないようなのが気にかかる。  パンパンガに入る辺りにある延々と数キロも続く陸橋の下の家については以前にも紹介したが、今回は良い写真が撮れたので、再度掲載する。まさに橋の下の家。小さいときに母親に怒られると「お前なんか橋の下から拾ってきたんだよ」と決まって言われたことを、いつ通っても思い出す。  アンヘレスに来たからにはフィールド・アベニューの探訪は欠かせない。フィールドアベニューの中ごろ、ちょっと脇の道に入ったところにウッドベルという日本レストランが開店していた。入り口のところに「一生懸命 営業中」と掲げてあるのがなんとも好感が持てる。今回はマッカーサーロードにある「なるほど」で食事をすることになっていたので、入る機会がなかったが次回は是非体験試食をしてみたい。英語の店名に中国風の門構え、それに赤いちょうちんとなんとも店構えに一貫性がないが、おいしければそれでよいのだ。   不況の影響か、100軒もあるというお店同士の競争が激しさを増している。なかでもなんどか紹介したアトランティスやドルフィンが頑張っている。左下の写真はアトランティスでやっているボディペイントショー、女性の体をキャンバスにして絵を描いて出来栄えを競うということらしい。残念なが毎週木曜日開催なので今日は客引きが熱心なドルフィンを覗いてみた。  ドルフィンは大分前に覗いたことはあるが、久しぶりに入ってみると、中は立錐の余地がないほどの混みようだった。客で混んでいるのではない、従業員やダンサーなどで店が一杯なのだ。たいした広さでもないところに300人の女性が働いているという。なんとまた、このオーナーは雇用の創出に貢献しているのだろうと感心してしまった。カルチュラル・ダンサーと呼ばれる女性が次々とショーを見せてくれる。一杯たったの100ペソ足らずの飲み物を注文すれば、これだけのショーを見れるのだからなんともお得だ。そうこうしているうちに客席も一杯になってきた。これらのダンサーもテーブルでお相手をしてくれる。もちろん一杯250ペソのレディズフォリンクは必須だ。2時間ほどいて、レディズ・ドリンク2杯、ジントニック3杯でしめて800ペソ(1600円)足らず。なかなかの満足度だ。  最後にちょっとセクシーな写真を一枚紹介しよう。一般にこの手の店では写真撮影は厳禁なのだが、ここではOKな店が多い。かつでマニラのエドコン (EDSA International Entertainment Complex)にカメラを持って入ったら、ガードにつかまりそうになってしまった。写真好きな人は是非アンヘレスに足を延ばしてほしい。

久々のアンヘレスの旅2009年3月22日


 日本から、1年間の予定でロングステイしているYさんが農場に滞在しているので、ご機嫌伺いに今年3度目の訪問を行なった(要は毎月の訪問)。  この日はメイン滑走路を横切る南北に走る第2滑走路から飛びだったため、窓からは普段は見ることのできないPAL専用の第2ターミナルやメイン滑走路が良く見えた。  レガスピ空港に近づくと、今年初めてマヨン火山が窓からくっきりと姿を見せてくれた。毎月行ったとしても年に数回しか見れない故郷のシンボルだ。  農場からもマヨン火山はその雄大な姿を惜しみなく楽しませてくれた。子供たちは相変わらず明るい笑顔で歓迎してくれた。  この日は再び満月で夜空にぽっかりとまん丸の月が浮いていた。天気が良いときは満点の星空も満月に遠慮してまばらだった。蛍もまだ早いようであまりいなかった。  フィリピンに入国するとき21日間のビザがもらえるが、そろそろYさんのビザを延長しなければならないので、レガスピの入管に出かけていった。街のお店に混ざってこじんまりとした事務所を覗いてみると、ほとんど誰もいない。退屈そうにしている人がオフィサーらしい。申請書を埋めている最中に、いつもらえるのかと聞くと、もう出来ているという。全く簡単なものだ。マニラでは必ずそこを根城にしているフィリピン人が声をかけてきて、幾ばくかのお金を払うと、いろいろな部署を回って特急でやってもらえるが、それでも2時間ほどかかる。ここでは申請書を埋める間の15分ほどで終わってしまった。これで一安心だ。これから1年間滞在するためにYさんの2ヶ月に一度のお仕事になるのだ。  先月生まれた子豚が元気に育っていた。そろそろレチョンにしようかと提案したが、もう一月育ててホリーウイークにしましょう、というYさんの意見で、子豚一匹の命が救われた。豚は雑食で、その辺に生えているカンコンを与えると親豚、子豚とも先を争うように食べていた。自然の食べ物は、いつもの飼料と違いさぞおいしいのだろう。いずれ、豚小屋ではなく、自然の中で育てる放牧養豚をやろうと思っているのだが、手ごたえを感じた。豚の飼育も4年目を迎え、かなりの糞が溜まっているはずだ。発酵も十分進んでいるだろう。ファームハウスの前に準備している菜園にまいて肥えた土壌を作るよう指示をしてきた。  前回、パームツリーが大きく育っているのを発見したが、今回は花を目撃した。これが右のような実になる。それを絞ったのがパームオイルで、いずれ食用油も自給できるようになるだろう。先日、タイで農園を所有している退職者に会ったが、17ヘクタールの農園にパームオイル、ゴム、などを栽培しているとのことだった。その方によると間違いなくパームツリーの実だと仰っていたが、油の作り方はご存じないとのことだった。  マニラ空港のメイン滑走路の東の端はサウス・スーパー・ハイウエイが走っている。道路から見るとすぐ真上を巨大な飛行機が横切る様は圧巻だ。この日は逆に空から高速道路を見ることができた。ここの部分は従来の高速道路とスカイウエイが横に並んで走るために写真中央から左一杯まで100mはあろうかという幅だ。ちなみに右から、高速道路に沿って走る一般道、中央、料金ゲートがあるのがスカイウエイ、そして国有鉄道、林の左側が従来の高速道路サウス・スーパー・ハイウエイだ。 この写真はマカティ方面に向いて撮ったもの。

久しぶりのマヨン火山2009年3月22日



 サロン・デ・パスコの開所式を15人の招待客を向かえ、盛大に(?)執り行った。3時からの予定だったが、料理の準備が遅れ、4時近くになって開始されたが、日本人の招待客のほとんどは3時前に姿を見せ、フィリピンの生活についての話題に花を咲かせていた。  特に、この日の朝、ロングスティ財団から届いた「ロングスティ海外サロン」の認定証を紹介するとともに5月18日に東京で行なわれる「フィリピンセミナー」にロングスティアドバイザーの勉強会「査証の詳細セミナー」に小職が講師として招かれたことなどタイミングよく紹介することができた。今後、このサロンが日本人ロングスティヤーのゲートとしておおいに利用されることが期待される。 この日、何よりもうれしかったのは、元PRAの副長官のマルセロ氏が何の予告もなしに姿を現したことだ。マルセロ氏は小職のPRAジャパンデスク時代にボスだった人で、日本からより多くの退職者を招聘するためにどのようなサービスの改善が必要かなど話し合い、日夜励んだものだった。 そもそも退職者のたまり場、情報交換の場として発足したものだから、特に儀礼的なものは無しで、皆さん料理や飲み物を楽しみながら時をすごされた。  パラニャケにご在住の日本人は、退職者の死後、SRRV用の定期預金やフィリピンの財産はどうなるのか、遺言書はどこまで有効で間違いのない遺言書はどうやって作成・保管できるかというテーマで、夜の8時まで熱心に相談されていった。今後、この問題が重要になると現在鋭意研究中のテーマだけに興味ある話題だった。   さらに介護施設「アモーレの里」の運営を始めようとされている岸田さんは、認知症の入居者の支払いや財産管理をいかに引き受けるかなど銀行などと詰めているそうで、介護を必要とされている方が安心してフィリピンで過ごすことができるシステムの構築が急がれる。

サロン・デ・パスコ開所式2009年3月19日


 サロン・デ・パスコの準備が一週間遅れでようやく整ったので、3月9日よりオープンすることになりました。また、3月18日(水)午後3時より開所式を行ないます。どなたでも自由に参加出来ます。お知り合いの方も誘って是非お出でください。簡単なスナックと飲み物を用意します。   場所はパソンタモ通りとバグチカン通りの角(ブエンディア通りからパソンタモ通りを北へ3本目、1階はMETRO BANKの支店)、GMA LOU-BEL PLAZAの9階です。入り口のドアにPASCOのロゴが張ってあります。 入り口を入るとレセプションの両側に歓談、読書あるいは碁や将棋などを楽しめるテーブルが2脚あります。  奥はインターネット、DVDあるいはCD鑑賞、ゲームなどを楽しめるインターネットカフェとなっています。さらにその左は小さなミーティングルームとなっており、少人数でのミーティングや英会話教室などにご利用いただけます。  休憩あるいはマッサージなどが行なえる個室があり、ベッドが2脚供えてあります。本棚には「課長島耕作」などの本があります。本の数はまだ少ないのですが、おいおい充実していく予定です。  サロンの主目的は退職者の方の情報交換や憩いの場ですが、地方にお住まいの方、あるいは日本からフィリピンを訪問された方にとってもフィリピンの生きた情報を得られる場所として機能することを目指しています。また、志賀が常駐し、色々な相談を受け付けていますが、出かけることもありますので、事前にアポをとっていただけると幸いです。サロンの利用料は毎月1000ペソ、一日会員は200ペソ/日です。利用時間は無制限です。月曜~土曜、8時~18時、日曜、祝日は休みです。

サロン・デ・パスコ開所式のお知らせ2009年3月8日



 2月25日より3月1日まで、退職者2名を農場とその周辺を案内した。マニラは夏がやってきてとても暑いが、ビコールも前回に比べて大分暑くなっていた。しかし、相変わらず雨が多く、今回もマヨン火山を見れたのはたったの一回だけだった。  タバコ市の北のTiwiには地熱発電所があるが、それを過ぎるとまるで三陸か北陸の海岸線のような地形で、当地ではHanging Roadと呼ぶ道路が続く。  Tabaco市のあるAlbay県のはずれはJoroanという村で有名な教会があるが、今回は割愛してその先の滝を訪ねた。急な坂道を降りていくと海に2本の滝が流れ込んでいる。まさに三陸海岸だ。滝の上では村の女性達が洗濯をしていた。  タバコ市に昨年8月「水仙」という日本レストランがオープンした。退職者の一人はこれから1年間滞在する予定なので、たまには日本食が恋しくなるだろうと、試食をしてみた。120ペソ程度で定食を食べることが出来るが、まあまあの味だった。ただし、客は我々だけで、いつまで持つか心配だ。  レガスピ市から海岸線をちょっとタバコへ向ったところで、10分ほど山道を入るとゴルフ場がある。あるいはあったというべきか。かつては立派なゴルフ場だったそうだが、1980年代の噴火で壊滅的な被害を受け、今はコースがあるだけだ。それでも土日はプレイする人がいるそう。ちなみにグリーンフィーは 300ペソ。キャディフィーが300ペソだそうだ。 下の写真はなんとクラブハウス、第1ホールは海に向ってのショットだ。グリーンの上には子牛がたむろしていることもあるので注意が必要だ。牛に命中したらワンペナかどうか定かではない。  レガスピ空港のすぐ脇には200m位の小高い丘がある。現在車で上ることができて、頂上には休憩所が建設中だった。レガスピ市を一望できて すばらしい。タイミングがよければマヨン火山の勇姿も一望できる。  タバコ市には闘鶏場が2箇所あり、毎日どちらかが開いている。この日は平日のため、出場する闘鶏が少なく盛り上がりにかけていたが、来たる3月21日にはダービーがあり最高賞金は12万ペソだそうだ。    農場からはマヨン火山の中腹にある展望台が見える。この日は比較的天気が良かったので退職者を展望台に案内した。トライシクルに大人3人、子供が5人も乗り込んだので、途中何度もとまりながらやっとの思いで到着した。展望台からは遠くにタバコ市、そして農場も見える。  展望台には新しくレストランもオープンしていた。しばらくいると子供達が寒いからもう帰ろうと言い出すしまつ。バギオやタガイタイのような気候で晴天でも肌寒さを感じる位だ。途中鈴なりのジープニーに出会って一枚。   展望台のちょっと手前の水溜りでくつろぐカラバオ(水牛)の親子。日陰で気持ちよさそうに水に浸かっていた。  農場の近くは籐家具の産地だ。道路わきに製品を並べて売っている。下の写真のリビングセットが13000ペソ(26000円と日本と一桁違う価格で売っていた。いずれ農場にコッテージを建設したら、籐家具を置くのが安いし豪華でよさそうだ。 […]

農場と周辺の案内2009年3月5日


  昨日、NHKワールドのクローズアップ現代という番組で「認認介護」というテーマを取り上げていた。認知症の夫を、これまた認知症の妻が介護をしていて、妻が夫を殴り殺してしまったという事件である。妻は傷害致死犯として告訴され、執行猶予の刑を受け、現在自宅で一人暮らしをしているという。また、妻は夫を殴り殺したという事実を記憶しておらず、なぜ夫が死んでしまったのかと首をかしげているそうだ。この事件が家庭内介護をとりまく問題を提起し、役所そして介護ビジネスに関わる人々がいろいろ議論を重ねているという。  この番組をフィリピンで見ていると、まず気になるのが家族はどうしていたのか、子供はいないのか、兄弟はいないのか、家族が一緒に暮らしていればこんな悲惨な事件は発生しなかっただろうに、ということである。フィリピンはご承知の通り、大家族で年老いた親が一人あるいは夫婦だけで暮らしているなどという状況はありえない。お年よりは多くの子供や孫に囲まれてたとえ貧しくても幸せに暮らしている。老老介護や認認介護などという状況はありえないのだ。 私の友達に、最近フィリピンで結婚したことを悔やんでいる方がいた。一人で暮らしていたほうが金はかからないし、気楽だし、それに妻が色々と用事を言いつけたり、小言を言われたり、うっとうしくてたまらんというのだ。数年前に結婚したときは周囲のアドバイスも聞かず結婚に夢中になったいたのにだ。この人には84歳の車椅子のお父さんが一緒にフィリピンで暮らしている。お父さんが2年ほど前に脳溢血で倒れたとき、一人っ子の彼は途方にくれたが、フィリピン人の妻がフィリピンに引き取ったらという思いがけない提案に、思い切って連れてきた。その後、お父さんの回復は目を見張るようで現在は車椅子も不要になり、元気に暮らしているそうだ。さらにお父さんの年金だけで十分家族一同の生活が賄えるという、願ってもない状況だ。もし彼が独り身だったらどうなっただろうか。日本に帰ってお父さんの面倒を見るという介護の生活が始まるのか。そしてもし自分自身も病気にでもなったら、一体どうなるのだろう。悠々とフィリピンで暮らしていられるのも妻とその家族のおかげであるわけで、その妻の要求をうっとうしいなどと言っては罰が当たるというものだ。 家族があれば介護の問題や、子供の世話などという問題は起こらない。家族のメンバーが、それぞれが役割も持って家族を維持すればすべては解決される。少子化大臣や介護保険など、ややこしい仕組みや議論は必要ない。この家族という仕組みこそが人類100万年の歴史が獲得した解決策なのだ。この家族のメカニズムが日本では核家族などと言って崩壊し始めているから、認認介護のうえの夫殺しなどというとんでもない事態が起こるのだ。 先日、NHKで非常に興味ある番組をやっていた。男と女の問題で、恋愛は子孫を残すためのメカニズムだというのである。恋愛をするとき、男は視覚脳が活性化し、女は記憶脳が活性化する。要は男は目で、女は頭で恋をする。男が女を見るとき、ほとんど腰と尻に注目しているそうだ。要は腰がくびれて尻が出ているセクシーな体型を好むのだそうだ。それはその女が子供を産むのに適しているかどうか見極めているのであって、男は自分の子孫を残す本能を働かせているのだ。一方、女はこの男が本当に約束を守り、自分に子供が出来て育児に専念しているときにしっかり養ってくれるかどうか、記憶脳を駆使して見極めているのだという。だから女は昔の約束やベッドで、男がついしてしまった約束を覚えていてその実行をせまったりするのだ。これも子孫を残すという女の本能なのだ(見てくれの悪い男性よ、あきらめることなかれ、誠意さえ尽くせば女は惚れてくれるのだ)。 それで二人は恋に落ちるのだが、他の動物のようにセックスをしたらおしまいでは困る。人間は二足歩行のために、母親の産道が狭く、赤ちゃんを未熟児のままで出産する。だから赤ちゃんは2~3年は母親の手厚い保護の下に育てられなければならない。そして母子は父親に食料の面倒を見てもらわなければならない。父親としてはセックスをして子供を作ってしまえば用はないはずであるが、それでは母子が生きて行けないので、無条件で相手に尽くすという恋愛のメカニズムが必要となるのだ。だから、この恋愛は赤ちゃんの手があまりかからなくなったら一段落するようになっている。そもそも恋愛は数年で冷めてしまうものなのだ。 NHKの番組はそこまでだったが、その先に結婚というメカニズムがあり、さらに家族というメカニズムがある。恋愛、結婚、そして家族、それが人類をして世界を制圧することを可能として、究極の仕組みだったのではないかと思う。子孫を残すという本能の恋愛から始まって、やがて恋に冷める男性を結婚で束縛して、家族を形成する仕組みだ。 老人問題が家族で解決できるのはいいが、なぜ役に立たなくなった老人がいるのか、その老人は家族に対して何の役割を持っているのか。動物界では狩を出来なくなったものは死を迎えるのが決まりなのではないか。動物界では閉経を終えたメスは速やかに死を迎えるそうだ。であれば生殖能力を失ったあるいは食料を獲得することが出来なくなったオスはそれで生涯を終えることになる。しかし、人類においては閉経を迎えた女性はさらに数十年間生き続ける。子供を作ることができないおばあさんが娘の子供、要は孫の面倒を見ることにより、より多くの子孫を残すことができる。すなわちおばあちゃんのいる家族の存在こそが人類繁栄の鍵だったのだそうだ、 神様はオスとメスを作り、セックスという快楽を与え、それによって意図せずとも子孫が残されるという、奇想天外な仕組みを生物に与えた。そこまではどんな動物でも同じだ。しかし、人類は百万年の歴史の中で恋愛、結婚、家族という仕組みを獲得することにより、ここまで繁栄できたのだ。介護問題や少子化問題でゆれる日本、この家族という仕組みを捨てようとしている日本はやがて滅びの道を歩むのではないかとさえ思う。フィリピンでは家族の絆は相変わらず強烈だ。巷は子供で溢れている。そんなフィリピンに人類としての力強さを感じる。期せずして本年のマニラ生活電話帳は家族の象徴でもある子供を抱く女性の姿が表紙となっていた。

恋愛・結婚・家族のメカニズム2009年3月4日