KIANの成長記録


年をとると自然に記憶力が落ちて、物忘れが頻発する。その対処法として、普段、持ち歩く現金、ATMカード、パスポート、携帯、カメラなどなど、すべてポシェットに入れて、これ一つさえあれば生活に困らないようにしている。しかも、それぞれの持ち物は入れ場所が決まっていて、どこかへ置き忘れたなどということがおきないシステムを守っている。さらにまた私が使っているポシェットはPACSAFEというブランドで、ファスナーには留め具がついていて他人が簡単に開ける事ができない、すなわち、スリも手が出せないようなっている優れものだ。バンドの止め具にも別途のフックがついていて、例えは止め具がはずれてもも腰から離れないようになっている。だから、ここ数年、物がなくなったり、置き忘れるということは一切ない(ただし充電中の携帯やカメラを置き忘れることはままあるが)。   パパ・カーネルにガンのおもちゃを買ってもらって、ガンマンを気取っているKIANはもう赤ちゃんとはいえない正真正銘のガキだ それが、最近、日本行きのチケットを購入するのにアテ・キムにパスポート番号を聞かれ、ポシェットを開けてパスポートは出そうとしたら、あるべき場所にパスポートがないのだ。周囲は、どこかへ置き忘れたのか、と聞くが、そこに無ければもはや手の届くところにはないということになる。私にとっては、こんなことは10年に一度あるかないかのことなので、パニックに陥ってしまった。パスポート番号は、コピーを持っていたので、事なきを得たが、パスポートがないとなると、チケットの予約をしても、日本に行くこともできない。だから、再発行や、ビザのリ・スタンプなど、ややこしい仕事が待っていると思うと憂鬱になった。 そこで、どこに忘れたのか、必死に記憶を呼び起こした。普段、パスポートを提出するのは大使館、それに銀行だ。早速、大使館と先日訪問したチャイナ・バンクにメールを入れた。しかし、両方とも「ない」とつれない返事が戻って来た。さらに日誌を見ると、先週、メトロバンクからちょっとまとまったお金を下ろしたので、パスポートを窓口に提出したことを思い出した。早速、出かけていって、調べてもらったが、30分探してもでてこない。そのときの担当者に電話で聞いてもらうと、たしかにパスポートは私にもどして、しかも私がポシェットにしまったのを覚えていると、もっともらしいことを言う。仕方がないので、再度探して欲しいと頼んで銀行を出た。 毎晩、私の部屋で時間を過ごすKIANは夜食に味噌汁にご飯、あるいは塩ラーメンなどをたらふく食べる ところで、ちょっと前に、私の日本行きを、ママ・ジェーンがKIANに告げたところ、KIANが涙ぐんで、私のところにとんできた。そして、日本へ行くなとしがみついて、なんと、私に噛みつ付いてきたのだ。顔を起こして噛みつかれないようにしたものの、攻撃は執拗に続けられ、周囲もびっくりした。そして、その後、私の顔を見るたびに、日本へ行くなと説得を試みている。私としては、日本の家族や兄弟の集まりに参加するのだが、周囲も、KIANがかわいそうだから、日本行きをやめるよう説得を始めた。しかし、いったん交わした約束をそう簡単に反故にするわけにもいかない。そこで、日本に行くのはKIANのお土産を買いに行くのだから、と日本に行くことがKIANにもメリットがあるのだと、フィリピン流説得術を使って納得させようと試みていた。 そんな矢先に、パスポートの紛失事件が起こった。ママ・ジェーンがKIANを問い詰めると、KIANは、「ダダ(私)が日本へ行けないようにパスポートを隠した、しかし、隠し場所は教えない」というニュアンスの話をしたそうで、ジェーンはKIANが100%犯人であると確信した。しかし、パスポートは、ポシェットの一番奥にしまってあるし、そう簡単にわかるはずがない、しかも5歳の子供にそんな知恵があろうはずはないと、私は半信半疑だった。きっとKIANは周囲が大騒ぎをするので、大人をからかっているのだろう。しかし、いずれにせよ、知らぬ間にこんな知恵がついたものだとびっくりした。 毎週、月水金は英語の家庭教師、火木は公文、土曜はピアノ、そして日曜は空手とお稽古事に忙しいKIAN、この日は双子の片割れのアレクサに英語のレッスンを受けていた。アレクサはピアノや空手でもKIANのレッスンの相棒で、ベストフレンドだ その後、スマートフォンのスケジュールを見ていたら、一昨日、マカティ・スクエアのWestern Union(銀行口座無しで海外送金ができるジャパ行きさん御用達の送金システム)で退職者からの送金を受け取った記録が載っていた。これに間違いないと、早速、行って聞いてみたら、あっという間に引き出しからパスポートを出してくれた。これで一件落着だが、KIANには内緒にしておいて、パスポートはどこにあるかと聞くと、相変わらず、おもちゃ箱にしまってあるなどと嘘をついている。

パスポートがなくなった 2015年6月6日


4月も半ばを過ぎて、いよいよ、乾季の夏がやってきた。日中は、暑くて、とても外を歩く気がしない。先日もこの夏、最高の36度を記録した。夜も、西日があたる部屋は寝る時間になっても大分暑いようで、ビアンカと双子は音をあげたらしい。 そこで、つい3日前、夜の10時過ぎ、ビアンカが、一緒に寝てもいいかとドアをノックした。19歳の女の子が、一緒に寝るというのは、ただ事ではない。良く聞いてみると、エアコンの効く部屋で寝たいだけらしい、しかも9歳の双子も一緒だ。この間、数秒、いろいろな思いが頭を駆け巡ったが、OKと即答した。時間がかかると、なにかやましいことを考えているのではないかと、疑われても困る。 翌日、ビアンカと双子が私の部屋で寝たと聞いて、にわかに殺気立ったのがKIANだ。その日、KIANも私の部屋に寝るといって聞かない。ママ・ジェーンを説得してOKをもらったKIANは、ご機嫌で寝る準備をしていた。ママ・ジェーンによるとKIANはやきもちをやいていたらしい。 しかし、翌日、目が覚めたら、いつもの両親の部屋で寝ている自分に気がついたKIANは怒った。誰が、一体自分をこの部屋に連れてきたのかと、周囲を問い詰める。犯人はアティ・キムなのだが、私が自分で歩いて階段を下りてきたというと、両手を前に差し出して、自分はキョンシーみたいなまねはしないと言い張る。KIANは私の部屋で寝込んでしまうことが多々あるが、その時は、いつもアティ・キムがころを見計らって両親の部屋に連れて行くのを知っているのだ。       ちなみに私の部屋は、エアコン、TV、それに大き目のベッドがそろっているので、昼間は、子供達に占領されている。しかも、今度は夜まで占領されることになってしまった。だんだん自分の居場所がなくなってしまうのではないかと、不安になるが、こんなことはフィリピンでは常識らしい。いつもベッドの上で双子とはしゃぎまわるKIANだが、洋服ダンスの中を個室に仕立てて、立てこもるのも大好きだ。とにかく、どういうわけか私の部屋は子供達の遊技場になってしまったのだ。 他人同士の男と女が同じ部屋で一晩を過ごす、こんなことがフィリピンでは当たり前に行われており、少女が身内に犯されたなどという話が絶えない。少女が、家族と思った慕っていた男の餌食になってしまうわけだ。本人は年頃になってきて、自分が女として男の欲情をそそっているのに気がつかないで、爆睡してしまうためなのだろう。 一方、そのKIANは、相変わらず、ピアノを演奏したり、タオルマンになったりして、無邪気な遊びに忙しい毎日だ。ちなみにKIANは姉のアティキムと同様、横一本の帝王の手相を持っているので、将来は、国家警察の長官と期待される所以だ。大いに遊んで大いに学んで、両親そして私の夢を実現して欲しい。  

家族は、皆でごろ寝するのがフィリピン流 2015年4月26日



私が覚えている限り、10年以上、荒れ果てたまま放置され続けたプールがいよいよ復活した。ここ2~3年、反対や賛成の張り紙や張り出され、ごたごたしていたのだが、ようやく工事が始まったのが、昨年の10月だった。そして、半年がかりで完成し、いよいよ、このホリーウイークに開放された。ホリーウイークの一週間は無料だったそうだが、KIANは農場で過ごしていたので、4月5日の最終日だけ、その恩恵に預かることができた。 早速、子供用のプールの縁に立ったKIANは大胆にもプールの中央にジャンプした。頭まで沈んでしまい、あわてたが、立てる浅さなので、事なきを得たが、KIANは恐怖で青ざめた。農場の簡易プールの深さはせいぜい1フィート(30cm)なので、転んでも水に浸かる程度だったから、KIANにとっては想定外の事態だったようだ。 プールの改装と言っても、床から壁、すべてを作り直すもので、費用は200万ペソもかかったそうだ。建設の当初から見守っていたが、従来の深さ、4フィートから6フィートを踏襲しているので、KIANが泳げるのは子供用のプールに限られる(それでも3フィートくらいの深さgがある)。大人用としても3フィートから4フィートあれば十分だと思うのだが、私の思いは伝わらなかったようだ。最近は、水の事故を防ぐために背が立たないようなプールを新規に作ることはない。 KIANは、毎日のようにプール遊びをせがむが、一日、一人150ペソ、ビアンカと双子、全部で600ペソは痛い。それで、ちょっとかわいそうだが、ビアンカとKIANだけに絞って、300ペソをビアンカに渡して、いつでもKIANが望むときに遊べるようにした。ちなみにプールは、隣のコンドミニアムパームタワーに所属しており、そこの住人は50ペソだ。月ぎめで1000ペソ/人くらいなら賄えそうなので、交渉したが、管理組合の役員会で相談するという。 それが、一週間経った今日、親しくしている向かいの弁護士で組合長さんが、特別に50ペソで遊ばせてくれることになった。ジェーンの顔がものを言ったらしい。その話をビアンカが持ってきて、300ペソの予算で双子も遊べるとうれしそうにしている。一人50ペソなら4人で200ペソ。これではOKをするしかない。 先日、にの腕に取り付ける浮き袋を買ってやったのだが、KIANまで見せてくれ、大分水に慣れてきたようだ。ちなみに子供用のプールの深さはKIANの肩まであって、顔を出すのがやっとだったが、今日は胸の高さに下がっていた。確かに水位を下げて浅くするという手があった。いずれにせよ、プールのある家に住みたいというKIANの希望がかなったのだ。 水泳は、年をとってもほどほどの運動で、私にも最適なのだが、いずれ近いうちに、KIANの水泳を指導してやり、一石二鳥を狙おうと思う。今日は、午前中は空手の稽古だったのだが、帰るやいなやプールに飛び込んで暗くなるまで過ごしていた。そうすると、夜もぐっすり眠って、KIANの成長にすこぶる望ましい。家の中に閉じこもって、パスコンでゲームをしたり、テレビで漫画を見ているよりも、どれだけましか計り知れない。 空手にプール、公文に公園遊び、ピアノにKizooona、さらに家庭教師に英語の読み書きを習うという5歳になったKIANの多忙な日が続く。しかも、ジェーンは、さらにお絵かき教室に通わせたいとまで考えているのだ。

コンドミニアムに待望のプールが復活 2015年4月12日


3月14日は、KIANの卒園式に参加した。場所は、マカティ大学で、ボニファッシオを横切ったタギッグ市の近傍にある。KIANもいよいよ年中を卒園し、後一年で小学生になる。赤ちゃんと思っていたKIANもほどなく小学生になると思うと時の速さを痛感する。   記念のアルバムをもらって喜ぶKIAN この日は、幼児から年少、年中、年長の2歳から5歳までの園児がそれぞれ踊りを披露した。舞台の前では先生が見本の踊りを行って、舞台の園児がそれを真似て踊るのだが、KIANは周りを眺めながら必死にあわせている。いかにも稚拙な踊りだが、両親たちは、わが子を必死にカメラに収めようとしている。 舞台に並ぶ子供達と写真の撮影に夢中の父母 KIANはもともと2歳のころから独創的な踊りを見せて周囲を喜ばせたものだが、そこには独創的性はなくて、いかにも型にはめられた子供らしい稚拙な動きを見せるだけだった。音楽に合わせて好きに動くようにすれば、子供たちの豊かな感性が培われると思うのだが、ここでは園児らしいと思われる大人の感性を押し付けているだけのように見える。そのためか、KIANの踊りに対する興味をうせてしまったようだが、集団教育の限界なのだろうか。 押し付けのダンスを演技するKIANだが、腕白なKIANが子供らしさを演じることを強制され、不本意なKIANが見える 学校とは、子供の伸びようとする才能の枝を切り取ってしまって、子供を型にはめているだけにしか思えない。KIANは公文や英語の家庭教師、それに空手やピアノを習わせて、さらにKizooonaやサルセド公園で遊ばせているが、そっちのほうが面白いから幼稚園に行く必要はないという。これらは、個人レッスンなので、一律に型にはめるのではなくて、KIANにあわせたレッスンが行われ、さらにのびのびと遊べる。 控え室のKIANとアティ・キム 確かにKIANの言うとおりなのだが、現在、2年間の幼稚園は、義務教育なので、通わせないと小学校の入学資格がなくなってしまう。従って、KIANには消化試合のつもりで我慢してもらうしかないようだ。 爪が伸びてはがれそうなので、切ってやろうとすると指が切られんとばかりに嘆くKIAN(左)。いかにも読んでいるかのごとく本を眺めるKIAN(右) 最近、ママジェーンが、KIANは文字や数字を書くのが他の園児に比べて劣っていると心配する。一方、KIANの思考やおしゃべりは、とても4歳児とは信じられないほど、他の子供よりはるかにおませなのにと。それに対しては、私は、前のブログに書いたように五感による思考、それを言葉にする能力、そして最後に文字や数字となる。KIANの思考やおしゃべりが優れていることは、大いに誇るべきであり、4歳の子供が文字が今一など心配無用。自分が4歳のときに果たして文字や数字が書けたであろうか。ろくすっぽおしゃべりもできない3~4歳児が文字をすらすら書いたら、まるでサルが物まねで文字を書いているようで、気持ちが悪い。 最近人気のはつはな亭、畳の間で皆でランチ おやつの定番、アイスクリームを食べる子供達は至福のひと時だ  

KIANの卒園式 2015年4月12日



マカティ市中心街(EDSA通り、ブエンジア通り、パサイロード、パソンタモ通りに囲まれたエリア)は、四つの地区に分けることができる。グロリエッタやグリーンベルトなど、国際的な商業施設が立ち並ぶコマーシャルエリア、高級住宅街のウルダネッタビレッジ、事務所とコンドミニアムが立ち並ぶサルセ・ドビレッジとレガス・ピビレッジの四つだ。これらの地域を区分しているのが、マカティアベニュー、パセオデロハス、そしてアヤラアベニューの三本の大通りだ。そして、その中心にアヤラ・トライアングルの緑地公園がある。これらの位置関係が頭に入っていれば、マカティで迷うことはない。 サルセ・ドビレッジのど真ん中にあるのが、最近、KIANがお気に入りのサルセド緑地公園だ。公園の少ないマニラにおいては貴重な存在で、まさに都会のオアシスだ。毎週、火曜と木曜日、公文での数字のお勉強の後、この公園で遊ぶのがKIANの日課となっている。公文に行くのは、お勉強というよりは、ここで遊べるのが楽しくて通っている気配が多分にあるが、一石2鳥、大いに結構なことだ。ちなみにKIANが通う公文は、公園の目の前のツー・サルセドという高級コンドミニアムの2階にある。           公園の周囲は、高層のコンドミニアムが立ち並び、まさに、ビルの谷間のオアシスで、隣の駐車場では、毎週、土曜日、蚤市が開かれ、有機食品などユニークな商品を売っている。サルセド・ビレッジには、モールなどの商業施設が全くないので、この市は周囲の富裕な外国人でにぎわっている。 ここで、遊ぶ子供達は、フィリピン随一の高級コンドミニアム街の住人の子弟だから、ほとんどが外国人で、欧米、韓国、日本、アラブ人などなど、まさに国際色豊かだ。通用する言葉はもちろん英語。KIANはしゃべり始めたころから英語を主体に話すようにしつけられているから、違和感無し、躊躇なく、周囲となじんでいる。ちなみに公文に通う子供達もほとんどが外国人の子弟で、KIANは着々と国際人として育っている。 KIANの付き添いはビアンカの役割だが、子供一人に、ヤヤが付き添い見守っている。こんなことができるのもフィリピンならだろう。ちなみに、母親が付き添っているのは日本人くらいのものだ。 この公園を知ったのは、3年ほど前に、公園の正面にあるワン・サルセドという高級コンドミニアムの改装のお手伝いをした時だ。完成間近いコンドミニアムにKIANを連れて行った時、KIANはこの公園を見つけて、目の色を変えた。KIANが2歳を間近に控えた時で、そのあどけない顔が今でも目に焼きついている。 それが、公文の通い始めて、懐かしい公園に気がついたKIANは、ここで遊ぶといってきかなかった。その時は、公園は工事中で、地面にスポンジ状のゴムを敷き詰め、転んでも怪我をしないようになった。 KIANにとって、ここで遊べる2時間はあっという間に過ぎてしまう。現在、KIANのお気に入りのNO.2で、ちなみに、第一位はKidzooona(キズナ)だ。しかし、そこは、一回400ペソもかかるが、ここなら只なので、私にとっては大いにありがたい。

サルセド・パークはKIANのお気に入り 2015年2月14日


KIANは、4歳にして、幼稚園に通う傍ら、英語の家庭教師、公文、ピアノ教室と親馬鹿チャンリンの典型みたいな生活をしている。テレビで漫画ばかり見て時間をつぶすよりも、よほどましだと、私と両親は気にかけない。今度は、毎週、土曜日通っているマカティスクエアの2階に極真空手の道場があるのを発見して、早速、様子を見に行った。 MAKATI SQUARE ARENAという、多分、元ボーリング場だったところに各種格闘技の練習場があった。ボクシング、テコンドウ、キックボクシング、それに極真空手の看板を発見。その時は、ボクシングしかやっていなかったが、パンフレットによると、空手教室の入会金が2000ペソ(ユニフォーム代込み)、月謝が、子供は1000ペソ、大人は1500ペソで、なんとか賄えそうだ。ちなみに、日本人の月謝は、何故か倍だ。     道場があるのは、月水金の5時半からと7時からの2回、日曜が10時半から12時までなので、KIANは毎週、日曜に通わせることにした。とにかく、体を動かすのが大好きなKIANだから、きっと、喜ぶだろう。Kidzooonaで毎回、400ペソ払うより、よほど安上がりだ。 それに、空手や柔道などなら、KIANのメタボ気味の体も締まり、礼儀作法も身につけることができるばかりか、自分が強いという自信がついて、精神的に強い人間になれると思う。正直な話、公文やピアノはKIANに、似合っているとはいい難い。しかし、学校の成績ばかりではなくて、格闘技や音楽を身に着けたいというのは、私の、子供のころからのあこがれでもあった。そんなわけで、私(と両親)の期待を一心に背負って、お父さんの後を継いで、未来のフィリピン国家警察長官の道を歩むのがKIANの人生なのだ。そのころは、私は100歳を越えていて、この目で見ることは不可能だろうが。      日曜に出直して、朝からMakati Squareに行ってみると、あいにく、その日はボクシングのコマーシャルビデオの撮影があって、場所が使えないそうで道場はやっていなかった。しかし、極真館フィリピン支部の滝田さんがおられて、簡単な質疑の後、早速、入門することになった。 その時、同行したアテ・キムの目が輝いており、やはり国家警察の幹部を目指す彼女にとって、日本の格闘技は憧れだった。そこで、迷うことなく、姉弟そろって入門の運びとなった。彼女が一緒に通えば、KIANの面倒が見れるし、励みにもなる。現に、ピアノのレッスンに双子の一人、アレクサが参加したら、大いに盛り上がったそうだ。また、夜と日曜なら彼女にとっても時間的にも都合が良くて、KIANも、きっと姉の熱心に励まされて長続きするだろう。帰り際、滝田さんとアシスタントの人が、一声、「オス」と声を発していたのが、いかにもという感じで、日本の雰囲気を感じた。 次の日曜まで待ちきれず、月曜の夜、食事を早々と済まして、道場に向かった。遅れること、約5分、丁度始まるときで、なんとか、フィリピーノタイムの汚名をかぶらずに済んだ。20人ほどが参加していたが、黒帯もいて、少年あるいは若い女性が、きびきびと動いていた。KIANも早速、溶け込んで周囲の動きにあわせて掛け声をあげる。指導者は一人だが、ベテランがキムやKIANを指導してくれて、新人とベテラン、一緒に練習するあたりは、道場の独特な雰囲気を醸し出している。 一時間も経つと、KIANは疲れてしまった、ドクターストップ、私に抱かれて見物に回る。1時間半の練習は、KIANにとってはきついようで、集中力が全く途切れてしまう。しかし、数週間も通えば、ついていけるようになるだろう。姉のキムの集中力はすごくて、1時間半丸まる必死に先生の動きを真似ていた。このことからも、キムが学校の成績が良いというのはよくわかる。 レッスンが終わると、KIANも戻って、礼儀、そして片付け、これが大事なのだ。片付けの段になると、KIANは大喜びで参加していたが、邪魔をしているだけのようにも見えたが。 家に帰ると、KIANは得意になって、空手のレッスンを皆に話し、ビアンカや双子も、空手を習いたいといい始めた。5人となると、さすがに費用が嵩んで大いに躊躇するところだ。

KIANが極真空手に挑戦 2015年1月27日



毎週土曜は、サイカでランチを取った後、まずは、ピアノのレッスン、そしてKidzooonaでお遊びというスケジュールを決めた。そして、いよいよピアノレッスンが始まった。場所は、サイカにほど近いマカティ・スクエアの中だから、いたって通いやすい。この日は、飛び入りだったが、30分後の2時からはお目当ての先生の予約が取れた。これから、毎週土曜は2時から一時間、ピアノのレッスンがKIANの日課となった。そして、その後は、Kidzooonaか、おもちゃの、どちらかがご褒美だ。 何のためにKIANにピアノを習わせるのかは、KIANの頭脳の性能アップを図る上で欠かせないということだが、下記のブログに詳細が記載されている。KIANの輝かしい未来のためには、回転の速い頭脳が欠かせないと信じている私だが、楽器を器用に使いこなして音楽を演奏したかったという果たせぬ夢の実現でもある。参考ブログ「キーボードを買いました 2014年5月31日」「脳内革命、第2弾 2014年5月10日」参照。          料金は、一時間のレッスン12回で、4800ペソ。前回、キムが4500ペソに値切ってくれた。早速、支払って、先生を待つこと30分。その間、私は、薬や、ロード、あるいはタブレットの電池の修理など、一人でマカティスクエアの中を歩き回って時間をつぶした。 レッスンと言っても、初心者のKIANは5本の指でドレミファソラシドの鍵盤を押すことに終始いしている。一緒にくっついていたビアンカによると、KIANは飽き飽きして「今、何時、家に帰りたい」を繰り返していたそうだ。これでは、次回、ピアンのレッスンと聞いただけで泣き出してしまうのではないかと心配だが、そのために、当面おもちゃの褒美は欠かせないだろう。 その後は、Kidzooonaでお遊びの時間だが、この日は、ピアノのレッスンで神経をすり減らしたのか、あるいは、前日もビアンカと2時間も遊んだので飽きたのか、おもちゃを抱えて、まっすぐ家路についた。 しかし、先週のKidzooonaでのKIANのはしゃぎようは、久しぶりだったせいもあって、尋常ではなかった。この日は、息子とビアンカ、それに双子も一緒で、大騒ぎだった。19歳のビアンカは、18歳以上の付き添いの入場料は只と喜んでいたが、入り口では何歳かと聞かれて、ちょっとがっかり、いつも体が細いので子供と見られてしまうのだ。ちなみに体重は36kgというから無理もない。昨年、ビールを買いに行かしたら、18歳未満にみられて、どうしても売ってくれなかったという。この日も、童心に帰ってKIAN以上にはしゃいでいたが、KIANの方は、新しく設置された消防車がお気に入りだった。       

KIANがピアノ教室でレッスン開始 2015年1月19日


12月中旬に、マカティスクエア/リトル東京に近いWalter Martに、子供の遊び場、kidzooona がオープンすると無料雑誌 「Primer」に広告が載っていた。そのため、毎週、土曜日、サイカの食事の後、Walter Martに寄るのが日課になっていた。そして、暮れも押し迫っ た20日(土)にようやくオープンの運びとなった。まさに、この日、Grand Openだったのだが、入場者は、数えるほどだった。入場料は一時間200ペ ソ/人、3時間が400ペソ/人と、決して安くはない。たかが子供の遊び場にそれだけのお金を払う余裕は庶民にはないのだろう。ちなみに同行する保護者 (18歳以上であることが条件)は無料だ。        無料情報誌Primerの宣伝と(左)、Grand Openingを知らせる張り紙(右) kidzooona(キッズーナ)は日本のイオン・ファンタジーの経営で、日本(330箇所)、バンコック、マレーシア、そしてフィリピンのロビンソン・ガラリア(オルティガス、将来的には50か箇所))などで、営業展開している。http://www.aeonfantasy.co.jp/brand/kidzooona.html うたい文句は「遊びで育つこころとからだ」となっているが、私に言わせれば、遊びで一番育つのは脳そのものなのであり、2歳ごろから小学校入学前までごろは、遊びが子供の発育のすべての先生なのだ。KIANは最近、テレビを見て時間を過ごすことが多いが、私は、この状況に危機感を覚えていた。だからこそ、このkidzooonaのオープンを心待ちにしていたのだ。 KIDと絆の合成語、kidzooonaとは良く考えたものだ。入り口には、日本経営らしく、事細かに注意事項が記載されていた。 kidzooonaというネーミングは明らかにキッズと絆の合成語で、子供同士、あるいは親子の絆を遊びを通して身に着けようという想いなのだろう。だから、中は、保護者もゆっくりくつろげるようにレイアウトされ、大人と子供が一緒に遊べるようになっている。まさに、日常を忘れて子供と時を過ごす絶好の場所でもある。特に、保護者無料というところが気に入った。ここで、KIANとゆっくり楽しい時間を過ごすことができそうだ。ここでは、親も子も土足厳禁、靴下をはかなければならない。靴下がなければ買える。子供は20ペソ、大人は同じものが50ペソするので、次回からは是非持参したい。私は、いつも靴下をはいているので問題はないが。 ゲートはかなり厳重に管理されている(左)。入場も申込用紙に記入して入場券を買うなど面倒だ。せめて、会員権など発行して割引制度があるとありがたい。保護者もゆっくりくつろげる空間になっている(右) […]

子供の遊び場kidzooonaがWaltermartにオープン2014年12月21日



KIANがいよいよ公文(KUMON)に通い始めた。公文式というのは、以前から名前だけは知っていたが、具体的には一体何なのか良く知らなかった。しかし、大分前に仕事柄付き合いのあったインドネシアの石油省(ペルタミナ)の高官が日本に来て、子供のために公文式の教科書を買い漁っていたのが、印象に残っていた。そしてフィリピンでも、やたらと公文の文字が目に付くようになった。         バランガイの体育館にはKUMONと書かれた大きな垂れ幕が下がっている(左)。街を行くトライシクルの後ろにも垂れ幕がある(右) フィリピーノが数字に弱いのは厳然たる事実だ。フィリピンの東大、UP(University of the Philippine)にも楽勝で入学できるという才女のアティ・キムも数字の話になると口を閉ざして、下を向く。かの大手弁護士事務所、シシップ・サラサールの辣腕弁護士も数字の話になってくるとパニクってしまった。そんな環境で、もし、せめて日本人の平均位の数字・算数の力があったら、フィリピンでは周囲に尊敬されるに違いない。女の子にも憧れの的になるだろうし、まさに手っ取り早く女の子にもてるコツだ。だから、KIANの将来のために今から公文に通わせて、数字に親しませることが、必要だ。そんなわけでKIANの両親を説得したら、二つ返事で同意してくれた。ただし、学費は私持ちという条件付だ。参考ブログ「フィリピーノは何故数字に弱いのか 2014年9月13日」参照。 実は、トランプやサイコロ、碁や将棋でKIANに数字の概念を植えつけようと思ったが、KIANが理解できるのは数字の3までで、それ以上となると、単に言葉として数字を唱えるだけだ。頭の中のイメージは「たくさんMany」というものなのだろう。だから、ルールに従ってゲームをやるなんて程遠い。トランプをめくって数字の大小で勝ち負けを争うという簡単なゲームでも、スペードのエースが最強と知って、それを手離そうとしない。そこで数字の概念を把握させるというような困難な教育は、プロに任せた方が間違いないと、公文ということになった。公文ならば2歳の子供でも入学できるそうで、きっと数字そのものの概念を植えつけてくれるに違いないと期待できる。 公文通学初日、緊張気味のKIANだが素直に先生の指示に従っている。隣でアシストの女性が何故かずっとビデオを撮っていた。 キムと私が近くの公文を探したが、一つの街に一つ位あるようだ。いくつか当たって、環境や通学の便からサルセド・ビレッジの公文を選定した。公園に面したTWO SALCEDOというコンドミニアムの2階でわかりやすい。場所柄、外国人の子弟が多いようだ。しかし、両親の面接が必要ということで、それを実現するのに1ヶ月以上かかってしまった。それでも暮れも押し迫って、ようやく入学の運びとなった。月謝が1800ペソ、週二回の30分のレッスンだが、この程度ならば、私でも出せる。 初日は、ママ・ジェーンが忘れてしまってパス、2回目は、私が付き添った。面接の時は大分ナーバスになって、いやがっていたそうだが、この時は、積極的に教室へ入っていった。2回目は、ママ・ジェーンが連れて行ったが、タクシーが捕まらず、もたもたしているママ・ジェーンを叱責するほど、熱心だったそうだ。何事にも積極的なKIANだから、なにか新しいことが楽しいらしい。  ゲーム感覚で数字になじんでいくところがKIANの興味を引いているらしい。 付き添いは中に入ることはできないがガラス越しに様子を伺うことができる。何をやっているのか覗いてみると、丸の絵を指差して、1、2、3と数え、3個と答える、そして二つの絵を線で結ぶという、馬鹿馬鹿しいほど簡単なことだ。これを何度も何度も繰り返している。面接で、その子供のレベルをはかり、それに合わせて教えていくという、マン・ツー・マンなればこそできる指導だ。こんな簡単なことを繰り返してやらせるなんて根気は、私にはないし、思いつかない、さすがプロだと思う。30分の授業が終わると、毎回、宿題を渡される。学校でやったものとほとんど同じで、アティ・キムが先生になって、KIANにやらせるのだが、かかった時間を記録することが大事だそうだ。 三つの丸を人差し指でさして数えるだけ、あるいは二つの絵を線で結ぶだけという単純な作業だが、これがKIANに丁度よいようだ。 2日目のレッスンは、ちょっとレベルが上がって絵は4つ、数字も付いている。絵と絵を結ぶのもちょっと複雑になっている。この日も、宿題も渡されたが、簡単なので、KIANはもっとないのかと催促する。これが公文の狙いで、家で勉強をするという癖をつけようとしているのだ。確かに家でテレビ漫画ばかり見ているよりもましなことだ。KIANとしては、達成感を味わっているようだ。  しかし、線を引くだけで一枚の絵を使うのは、ちょっと資源の無駄遣いとも思える。冒頭のインドネシア石油省の高官が教科書を日本で求めたという話が思い起こされる。 KIANの授業を待っている間、周囲を見回してみたら、壁に公文の教育の姿勢が書いてあった。「悪いのは子どもではない」、「ちょうどの学習」など、なるほどとうなずくことが書いてある。成績が悪いと、えてして親は子を叱るが、叱られる子供にとって見れば、手のうち様がない。どうすれば成績が上がるのか、10歳未満の子供達に、その解を見つけられるはずもない。親でさえ、わからないのだから。まさに、日ごろの生活態度、教育方法を改めない限り、伸びるはずもなく、これは、まさに親の責任なのだ。 学校教育の悪弊は、年度ごとに目標が定められており、千差万別の子供達は、一律に目標を押し付けられ、それについていけない子供は劣等性というレッテルを貼られ、上を行く子供は、さらに上に行くことを止められる。それを、それぞれの子供のレベルに見合った教育をして、おちこぼれを防ぎ、さらに高みを目指すことができるシステムはやはり、マン・ツー・マンだからこそ可能なことだろう。 […]

KIANが公文に挑戦 2014年12月20日


「2014年12月13日追記」 このブログを書いて数日後アティ・キムが一通の書類を見せてくれた。幼稚園で書いたサンタ宛のKIANの手紙だ。なかなか読めなかったが、そこには「僕はとてもいい子にしていたから、プレゼントにロボットをください」と幼稚な文字で書かれていた。KIANはすでに文章を書くことができるとアティ・キムは、話していた。KIANがABCが苦手だと思っていたが、どうもそれは杞憂のようだ。  翌日には、そのプレゼントを幼稚園に届けて、15日(月)のクリスマス会に間にあわさなければならないというので、その日、早速、新装成ったグロリエッタのトイザラスを目指した。このToysRusが皆、読めなくて、Toy for Usとか、わけのわからない読み方をしていたが、当方は、誇らしげにトイザラスと読むのだと教えた。 KIANの手紙はほとんど判読不能だが、彼が文章を書けるとは思いもよらなかった。多分、見本を書き写したものだろうが、言葉を文字で書くという概念が大事だ(左)。トイザラスの店員は一つ物を売るのに10分くらいかかって、全くの新米で往生した。また、この店はいつごろ開店したのかという問いに、店の開店時間である11amと答えるばかりだった。ちなみにトイザラスはSMのすぐ近く、2階にある。 しかし、すでに夕方の5時半、ラッシュアワーだ。家から歩いて10分ぐらいのところで、車は全く動かなくなり、あきらめて、歩いて家に帰った。運転手のボボイが戻ってきたのは、なんと7時を回っていた。 翌朝、といっても10時過ぎに再びグロリエッタに向かった。しかし、トイザラスの場所を聞いても、ほとんど誰も知らない。それは、この3年間、改修工事を行っていたグロリエッタ(1)が新装オープンにしたばかりだったのだ。外側にはHoliday Innやワタミなど新しいホテルやレストランが開店し、その対面には高層のコンドミニアムが完成間近だ。ガス爆発事件以来、再開発が続いていたものだが、マカティ・コマーシャル・センター/アヤラセンターの顔として生まれ変わったのだ。      グロリエッタの中央には吹き抜けの大きな広場があるが、改装された部分は、大きなイベントホールとなっていた。グロリエッタの外、パサイロードとの間には、高層コンドミニアムが完成間近だ。 KIANがこのままでは留年させざるをえないと、幼稚園に脅かされて、ママ・ジェーンはKIANに家庭教師をつけた。週、3回 一回、一時間、時間400ペソで、月々5000ペソ程度、少々負担になるが、しばらくの間ということで決心した。そして、約2ヶ月が経過した。とてもやさしそうな、いかにも子供に教えることをプロとしているといった感じの先生でKIANも大好きだ。 教えることは、もっぱらABC、abc、で、その文字の発音と呼び方だ。26文字x2の52文字を毎回、繰り返すだけだ。しかし、それでは、飽きてしまうので、歌のように唱えたり、正解すると床のマス目を一歩進めるとか、先生は、色々と飽きさせない工夫をしている。KIANにとってはそれが楽しいようだ。 事務所で、教えているので、私も気になってパソコンの画面の脇から、そっと観察しているが、2ヶ月間、ABCから次のステップへは進んでいない。KIANにとってABCを覚えるのは相当苦労のようだ。幼稚園を一年間さぼった罰かもしれない。しかし、二人は、しっかりと英語で会話しているのに、今更、ABCを唱えるのは、日本人にとってはいかにも違和感がある。2ヶ月もたったのに、先生はKIANは「A little bit improved.  少しだけ進歩した」、と評していた。 […]

KIANはABCに苦戦 2014年11月30日