Daily Archives: January 19, 2015


毎週土曜は、サイカでランチを取った後、まずは、ピアノのレッスン、そしてKidzooonaでお遊びというスケジュールを決めた。そして、いよいよピアノレッスンが始まった。場所は、サイカにほど近いマカティ・スクエアの中だから、いたって通いやすい。この日は、飛び入りだったが、30分後の2時からはお目当ての先生の予約が取れた。これから、毎週土曜は2時から一時間、ピアノのレッスンがKIANの日課となった。そして、その後は、Kidzooonaか、おもちゃの、どちらかがご褒美だ。 何のためにKIANにピアノを習わせるのかは、KIANの頭脳の性能アップを図る上で欠かせないということだが、下記のブログに詳細が記載されている。KIANの輝かしい未来のためには、回転の速い頭脳が欠かせないと信じている私だが、楽器を器用に使いこなして音楽を演奏したかったという果たせぬ夢の実現でもある。参考ブログ「キーボードを買いました 2014年5月31日」「脳内革命、第2弾 2014年5月10日」参照。          料金は、一時間のレッスン12回で、4800ペソ。前回、キムが4500ペソに値切ってくれた。早速、支払って、先生を待つこと30分。その間、私は、薬や、ロード、あるいはタブレットの電池の修理など、一人でマカティスクエアの中を歩き回って時間をつぶした。 レッスンと言っても、初心者のKIANは5本の指でドレミファソラシドの鍵盤を押すことに終始いしている。一緒にくっついていたビアンカによると、KIANは飽き飽きして「今、何時、家に帰りたい」を繰り返していたそうだ。これでは、次回、ピアンのレッスンと聞いただけで泣き出してしまうのではないかと心配だが、そのために、当面おもちゃの褒美は欠かせないだろう。 その後は、Kidzooonaでお遊びの時間だが、この日は、ピアノのレッスンで神経をすり減らしたのか、あるいは、前日もビアンカと2時間も遊んだので飽きたのか、おもちゃを抱えて、まっすぐ家路についた。 しかし、先週のKidzooonaでのKIANのはしゃぎようは、久しぶりだったせいもあって、尋常ではなかった。この日は、息子とビアンカ、それに双子も一緒で、大騒ぎだった。19歳のビアンカは、18歳以上の付き添いの入場料は只と喜んでいたが、入り口では何歳かと聞かれて、ちょっとがっかり、いつも体が細いので子供と見られてしまうのだ。ちなみに体重は36kgというから無理もない。昨年、ビールを買いに行かしたら、18歳未満にみられて、どうしても売ってくれなかったという。この日も、童心に帰ってKIAN以上にはしゃいでいたが、KIANの方は、新しく設置された消防車がお気に入りだった。       

KIANがピアノ教室でレッスン開始 2015年1月19日


夕方、おせち会から帰ってくると、今度は、我が家での誕生会だ。昨夜、夜遅くまでかかって、ヤヤ・ドナとビアンカがケーキを作ってくれた。手作りのケーキなどは初めて経験で、感激ものだった。しかし、おせち会に行っている間に、双子がつまみ食いをしてしまって、半がけのケーキだったのが、少々気に障った。その点を追求すると、息子の恵之が食べたとの反論。息子に聞いてみると、彼らが、食べないかと誘ったそうで、しっかりと言い訳を考えて行動していた。10歳にしては、なかなかの悪知恵だ。一方、皆、おせち会で満腹だったので、料理は、ありあわせのそばゲッティ。参考ブログ「新作料理、そばゲッティ 2014年7月13日」参照。 KIANも、私の誕生会とわかっていて、しっかりと、「Happy Birthday to you, happy Birthday Dada」と合唱してくれた。   そのあとは、いつの間にかKIANの誕生会の様相を呈して、一所懸命、ろうそくを吹き消していた。さらに、KIANの提案で、電気を消して、ろうそくの灯りで食事。なかなかムードのある食事だった。

ささやかながら六十?回目の誕生会 2015年1月19日



1月11日、奇しくも六十?回目の誕生日にブラカンにお住まいの野畠さんに恒例のおせち会に招待された。毎年、招待されるのだが、遠いので、参加することはなかった。しかし、野畠さんとは長い付き合いであり、かつ、現在、とあることで、毎日のようにメールをやり取りをしているので、是非一度、訪問したいと思っっていた。しかし、自分の誕生日に一人で遠出するのも気が引ける。それで、野畠さんにジェーン一家も招待してもらえるかと聞いたところ、是非ということで決まった。ジェーン一家は、大の和食好きだから、寿司や刺身が食べ放題と聞いて、二つ返事だった。 話はずれるが、この日、行きがけに立ち寄ったガソリンスタンドでは、ガソリンは40ペソを割り、ジーゼルは30ペソを割っていた。従来、ガソリンは50ペソ、ジーゼルが40ペソを超え、三菱モンテーロを満タンにするのに2000ペソ程度かかっていたが、現在は1500ペソで済む。それが、翌日にはさらに5%ほど下がっていた(左のXCSの値段が48.65となっているのは、何かの間違いだろう)。原油価格の下落は、国際的な経済不安を引き起こしてはいるが、庶民としては、とりあえず喜ばしいことだ。 エドサを過ぎてNlex(North Luzon Express Wayエンレックス)に入るとまもなく、右に、巨大な建造物が見える。いわば東京ドーム、Arenaという屋根付きの競技場で、昨年、Iglesia ni Cristoという新興宗教団体の創立記念大会が開かれ、200万人の信者が集まったそうだ。 途中、道を間違えて、2時間ほどかかってしまい、KIANは退屈して、姉のキムと戯れている。田んぼや養魚池など、いかにも田舎の景色を過ぎて、ようやく野畠さんの家に付いた時は、予定時刻の12時半になっており、宴会は、すでにたけなわだった。 普段は、50人近い、招待客が来られるそうだが、今年は、20人程度に絞ったとのこと。それでも、刺身を含む、大量のご馳走とマカティスクエアのテッペンからやってきた寿司職人による握りたての寿司を堪能できた。       ジェーン一家には特別席が用意されていて、刺身と寿司のオンパレードだ。KIANはお年玉をもらって大喜び。 大きな庭の片隅には犬の墓があり、これを指し示して、ジェーンは農場に、私の墓を作ってくれると話していた。こうやって、死んだものと近くにいて、生前と同じ気持ちを持って接するのはクリスチャンならではなのか。 最後は、野畠さんを交えて、記念撮影だ。

正月恒例のおせち会に参加 2015年1月19日


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一昨年、閉店した天天火鍋を発見した。天天火鍋はパサイロードとマカティアベニューの交差点近くにあって、商社のご用達として、長年、日本人の胃袋を肥やしてきた台湾式の中華火鍋(しゃぶしゃぶ)の老舗だ。1990年代、その存在に気づいた私は、それ以来、百回ではくだらないほど、足を運んできた。うまい、安い、量が多いの三拍子そろった店だが、特に、野菜が豊富に食べられるところがうれしかった。 ところが、一昨年、未明、何度行っても店は閉まったままで、うわさでは、市役所の命令で閉鎖を余儀なくされたらしい。最近、天天が復活したとの情報をジェーンがつかんで、早速、カーネルと二人きりで食事をしてきたと話していた。そのため、早急に皆で食事に行こうと話していた。この日は、法王5連休のため、カーネルも休みで、一家、9人が久々の火鍋料理を味わいに出かけていった。 参考ブログ「ファーザーズデイ(父の日)の食事会 2013年6月18日」、「台湾料理「天天火鍋」は野菜が一杯 2010年1月30日」参照。 店は、マカティアベニュー沿い、アヤラトライアングルの向かい、Atriumというビルにあるが、ここは、1989年、クーデターの舞台になったところで、それ以来、閑散としている旧式のビルだ。店の名前は新天天新鮮火鍋で、かつての富揺天天火鍋とは、公式には別の店らしい。しかし、メニューをはじめ、すべてが元のままで、別れた恋人に会ったような気分だった。ちなみに英語名としてはTian TianからTien Tienになっていたが漢字では同じ天天だ。 店のつくりは、前よりも立派。いかにも中華料理屋といった雰囲気だ。前の2階のように喫煙室も別室にちゃんとある。前のようにゴキブリが走り回っていることなどはなさそうだ。 見覚えのあるウエイトレスはいなかったが、相手は、我々のことを覚えていて、日本人に宣伝してくれと盛んに頼んでいた。 9人で3000ペソ強、値段的には前とほとんど変わらないようだ。Kianといえば、好物のイカ団子を猛烈な勢いでむしゃぶっていた。KIANも天天のことは、忘れていないようだ。

鍋料理の老舗、天天火鍋発見 2015年1月19日



2015年1月15日(木)にローマ法王が20年ぶりにフィリピンを訪問した。80%の国民がカソリックというフィリピンは世界で、メキシコ、ブラジルに次いで3番目にカソリック信者が多いそうだ。そのため、国を挙げての歓迎で、マニラ首都圏には1000万人の信者が全国から集まると予測された。 大統領府は、法王が到着する15日(木)から、出発する19日(月)まで、なんと5連休にすることを決定した。これは、首都圏の交通マヒ、そして国民が法王のミサに集中できるようにとの配慮だそうで、それに異議をとなえる不謹慎なものは皆無だった。 街には、いたるところに法王を歓迎する看板が掲げられ、その熱狂振りを示していた。私が住まいとしているMAKATI PRIME CITY コンドミニアムもしかりだ。 奇しくも、 15日、法王の到着する、丁度その日に、マニラを訪問する方がいた。法王の到着する夕方は、空港が閉鎖されるという情報が飛び交い、果たして、飛行機が飛ぶのか時間が変更になるのか、さらには空港周辺の交通が規制されるというので、果たしてホテルまで無事にたどり着けるのか、不安は高まるばかりだった。当方としても、フィリピン航空のチケット売り場に出向いて、便の運行状況を確認したものの、交通規制については確かな情報を得ることはできなかった。 そのため、規制が始まるという午前12時の2時間前の午前10時に家を出た。ちなみに、到着予定時刻は午後1時半なので、空港で3時間待つ羽目になってしまった。この日は、特別休日であること、交通規制の情報が徹底していたせいか道路はがらがらで、あっという間に空港にたどりいた。途中、スカイウエイ高速道路ではポルシェなどのスーパーカーがグループで疾走していた。 空港は2時以降、立ち入り禁止となっており、各航空会社は到着を早め、2時までに乗客を降ろしてしまおうと算段をした。そのため、昼ごろの空港は出迎え客でごった返していた。人々は長丁場を覚悟して、座り込んでいる。また、タクシーはほとんどいなくて、タクシー待ちの行列ができていた。ゲストとであった時間は、すでに空港からマニラ市に向かう道は閉鎖されているので、反対方向の空港の南を回って、マカティに戻ったが、この日、この出迎えに、ほとんど一日を費やしてしまった。        客を無事ホテルに届けて、ほっとして、家に戻ると、テレビでは法王の到着の模様をテレビで映していた。アキノ大統領を従えて、要人に一人ひとり挨拶しさらに教会の神父たちの歓迎を受ける。ちなみに、神父をファーザーと呼ぶが、この日、法王に謁見が許されているのは、ビショップなどカソリック協会のトップクラスのみだ。法王はフランシスコという名で、Pope Franciscoと呼ばれる。Popeというのは、パパという意味で、法王のみが使うことを許されているそうだ。したがって、法王のことを親しみをこめて皆、パパと呼んでいる。 法王の到着をテレビで見ていたジェーンは、手を合わせて、今までみたこともない慈愛に満ちた顔をしている。カソリック信者にとっての法王は、まさにキリストの化身で、神と映るのだろう。 […]

ローマ法王の訪問でフィリピンは5連休 2015年1月19日


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2009年3月にロングステイ財団、山田元部長の依頼を受けて以来、パスコは、ロングステイ財団公認マカティ・サロンとして6年間、活動を続けてきました。主な活動としては、毎年一回、日本で行われるロングステイフェアの出展、季刊誌ロングステイへの寄稿、その他、会員からの相談などで、フィリピンでのロングステイないし移住のための情報を提供することでした。 ロングステイ財団公認サロンとしての直接的なメリットは特にありませんでしたが、フィリピンをプロモートするものとして、いわば、ボランティア的な活動でした。 しかしながら、財団公認サロンとして看板を上げるとなると、ロングステイヤーの宿、観光、買い物、送迎などのお世話など、当社の主要業務(退職ビザ、会社、相続、登記などの行政書士的業務)とは相容れぬものがあり、少なからず負担となっていました。 しかも、何か不満があると(例えばPRAの手続きの遅れに対する不満など)、直接、財団にクレームされる始末で、当方としては、かえって財団公認サロンであることが足かせにさえなるという事例がでてきました。 そんな事情で、1月末を持ってマカティ・サロンは財団公認を返上しますが、パスコは「退職者の何でも相談所-パスコ・デ・サロン」として、従来と同様な活動を続けていきます。したがって、退職ビザの取得とそれに関連する各種手続き、不動産の購入にまつわる契約・登記手続き、会社設立、相続など、各種行政手続きに関しては遠慮なく相談においでください。 また、ロングステイ財団についても、公認サロンという立場ではなく、パスコとして、種々の情報を提供するなどの協力は続けていく所存です。

ロングステイ財団公認返上のお知らせ 2015年1月19日