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APEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議が開催される18日(水)と19日(木)は休みとなると発表されていたが、このほど、その前後17日(火)と20日(金)も休みとなるという情報を退職庁(PRA)からもらった。民間会社は、2日間だけの休みだそうだが、役所と学校は4日間休みとなり、その後の土日を含めるとなんど6連休となってしまう。 PRAの入り口には17日から20日まで事務所が閉鎖されると誇らしげに通知されている 今年1月のローマ法王の来訪で、15日(木)から19日(月)、土日を挟んで5連休という事態があったが、それを上回る暴挙だ。経済協力会議もいいがフィリピン経済に与える影響は甚大なものになるのではないか。 それに伴って16日(月)から20日(金)の一週間は、航空各社の大幅な欠航があり、マニラ国際空港は、ほとんど閉鎖状態になる。したがって、この期間にマニラを訪問あるいは日本に帰国予定の方は、航空会社とよく連絡を取って運行を確認する必要がある。一方、空港からマニラの足については、ほとんど欠航しているので、案外すいているかもしれない。 さらにまた、マニラ湾沿いの大通り、ロハスブルバードは16日(月)から20日(金)まで全面的に閉鎖される。そうなると日本大使館も一週間、開店休業となってしまうので閉鎖せざるをえないだろう。ちなみに空港からマカティへの道は閉鎖にはならないようだが、マニラ方面はロハスブルバードが閉鎖されるので大きく迂回しなければならないだろう。 当方としては、20日(金)にビザを発行予定の退職者がいて、2日間の休みはなんとか吸収出来ると一縷の望みを託していたが、さらに二日間の休みとなると、絶望的だ。さらにまた、まさにAPEC週間の初日の16日(月)に入国して、ビザの申請をしようとしている退職者も、一週間、スタンバイの憂き目にあってしまうことになる。 16日(月)は、役所は、今のところ開く予定だが、どれだけの職員が出勤するか、果たして役所が機能するのか、当てにはならない。そうなると、役人は14日(日)から22日(日)まで思いがけない大型九連休となる。 ちなみに、今年のクリスマスは、24日(木)のクリスマスイブ、25日(金)のクリスマス、26日(土)と27日(日)で4連休、28日(月)と29日(火)は平日だが、30日(水)がリザールデイ、31日(木)が大晦日で休み、1日(金)は正月、2日(土)と3日(日)で5連休となる。土日と休日が全く重ならない絶妙な日取りだ。4連休と5連休の間の28日(月)と29日(火)の二日間を営業日としても誰も来ないので、大方の会社そして社員は大型11連休をとる。 今年はローマ法王の来訪、APEC、そしてクリスマス休みと、とんだ大型連休の年となったものだ。  

APECで恐怖の6連休 2015年11月6日


中央銀行によると、2010年から新紙幣への切り替えが開始されたが、旧紙幣は本年末で使用ができなくなる。ただし、2016年中は銀行で新紙幣に交換することができる。2017年からは紙幣としての価値を失う。 PRAの支払い窓口に張り出された中央銀行の告示 新紙幣が発行された当時は、珍しくて、ピン札を大事に取っておいた。同時に旧紙幣のピン札も残すように心がけたが、旧紙幣のピン札を手に入れることは容易ではなくて、現在手元にあるのは、20ペソ、100ペソ、200ペソ札の3枚だけ。新紙幣は、その後、珍しくともなんともないので、使ってしまった。 昔、旧紙幣のピン札を日本に持ち帰り、そのまま保管している人は、しばらく(10年単位の期間)持っていれば高く売れるかもしれない。一方、箪笥を調べて旧ペソ紙幣を見つけたら、早めに処分した方がよい。 新紙幣と旧紙幣の区別は、基本的なデザインと色合いは同じだが、モデルとなっている政治家が皆若くなっていることで、500ペソ札については、ニノイアキノが妻のコーリーアキノとペアになっている。また、裏面は記念的建造物からフィリピンの自然、動物などの図柄に変更されている。

旧札が使えなくなる 2015年11月6日



来年、5月9日に行われる3年毎の総選挙の投票受付が10月12日(月)に開始され、16日(金)、に締め切られた。今回の注目は正副大統領の改選で、泡沫候補も含めて130人が立候補した。その他、上院議員の改選が12人、下院議員が293人、その他、知事・副知事が81州、市長・副市長が144市、町長・副町長が1490町、そのほか、1634市町の議会など、約1万8千のポストが争われる。一方、立候補者総数は50万人に登るものと推定されている。 総選挙は3年ごとに行われるが、大統領の任期は6年で、一回おきに大統領選がある。なお、マルコス独裁政権の反省から大統領の再選は、憲法で禁止されている。今回は、現職のアキノ大統領の後継を争うものだが、アキノ大統領はマルコス独裁政権を崩壊に追いやった故コーリー・アキノ元大統領(英雄ニノイ・アキノの妻)の息子で、故アキノ元大統領の人気にあやかって2010年の選挙で当選した。 大統領選の本命は、現アキノ大統領の後継者のロハス前内務自治長官、前マカティ市長で現副大統領のビナイ氏、支持率一位の若手女性政治家のポー上院議員、さらに3度目の正直にかけるサンチャゴ上院議員の4人で、役者が整った感がある。 立候補が有力視されていたドテルテ・ダバオ市長は、ダバオ市長に立候補して、大統領選を見送った。ちなみにドテルテ氏は、ダバオ市を長年支配し、その豪腕で現在の良好な治安を築き上げたダーティ・ハリーとして有名だ。 アキノ大統領の後継者として立候補したロハス候補は2010年の選挙では、アキノ現大統領と組んで副大統領に立候補した正統派だが、現副大統領、元マニラ市長のビナイに破れた。 2010年の選挙では元大統領とコンビを組んだが、ビナイ前マニラ市長に破れた そのビナイ副大統領は、最近まで支持率が一位を誇っていたが、現職市長時代に行ったとされる市庁舎建設をめぐる汚職の疑いで起訴が決定し、急速に支持率が落ち込んでいる。ビナイ側は選挙をめぐっての政治的駆け引きとして反発を強めている。 大統領選挙の前哨戦とも言われるビナイ親子(ビナイ副大統領とビナイ・マカティ市長)の起訴が確定したことに対して、抗議集会が開かれたが、金で雇われた人々が集まっただけのようだ。 2013年の統一選挙で選挙会場に現れたビナイ前市長(左)とビナイ副大統領(右)。 ポー候補は2004年の選挙でアロヨ元大統領と争ったフェルナンド・ポーの娘で、支持率一位を誇るが、彼女も、国籍の関係で立候補の資格がないと、クレームされている。 4人目のサンチャゴ上院議員は、ラモス(1992年)およびエストラード(1998年)と2度の大統領選を戦った毒舌で有名な人気女性政治家だ。上院議員の前は入管の局長だった生え抜きの役人だ。 副大統領選に立候補した一人が、上院議員のボンボン・マルコスだ。彼は、20年以上、独裁を続けたマルコス元大統領の実の息子で、イロコス地方のラワグ市では、未だ絶大の人気を誇る。母親のイメルダ・マルコスは現役の下院議員、姉のアイミーは知事と、政治家一家だ。イメルダ・マルコスは、その美貌でマルコス政権を操ったとされる歴史上の人物で、今でも庶民には人望が厚い。 2010年の選挙で下院議員に当選したときのポスター(左)と私の相棒のジェーンと一緒にツーショット(右)におさまったイメルダ・マルコス。 そのほかの着目すべき候補者は、マニラ市長の再選をねらうエストラーダ現市長、もと大統領(78)で、リム前市長(85)との因縁の一騎打ちとなっている。 エストラーダは1998年に大統領に就任したが、在任中に不正蓄財疑惑で退陣に追い込まれ、2007年に終身刑の判決を受けたが、退陣劇のの旗頭だったアロヨ元大統領の特赦で釈放された。さらに2010年の大統領選挙で善戦し、アキノ現大統領に次ぐ得票を獲得した。そして2013年の総選挙で現職のリム市長を破ってマニラ市長に就任した。元映画俳優で庶民の人気は圧倒的で、政治でも映画ばりのパーフォーマンスを期待され、大統領にまで上り詰めたが、化けの皮がはがれて失脚した。 […]

四つ巴の大統領選の火蓋が切って落とされた2015年10月18日


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マニラ新聞によると、マニラ首都圏の渋滞で、毎日、30億ペソ、年間、一兆ペソの経済損失が生じていると、国家経済開発庁(NEDA)が発表したそうだ。この損失は、国内総生産(GDP)13兆ペソの8%を占めるに至っており、かつ国家予算の半分に相当する。 確かに朝夕のラッシュ時は、自宅からPRA(フィリピン退職庁)まで15分でいけるところを一時間は優にかかることもある。マカティの中心地を横断するのに一時間、約束の時間に間に合わせるために、途中から歩いていくこともしばしばだ。歩いたら、車の半分の時間でで行けるし、正確に時間が読めるから安心だ。しかし、この雨季の真っ只中、雨でも降り出したらおしまいだ。 サウススーパーハイウエイはマニラ南部からマニラ港に向かう唯一の幹線道路であるため、終日トラックが列をなし、一般車両も巻き込んでで首都圏渋滞のメッカだ(左)。最近急増した個人用のモーターバイクが渋滞の中をジグザグに走りぬけ、ドライバーの頭痛の種になっている(右) この渋滞は、首都圏周辺、北のケソン・シティ、ブラカン、リザール州あるいはや南のカビテ、ラグナ、バタンガス州方面から流入する幹線道路においては地獄のようだ。特に下の地図の青い線(MRT)で示されるEDSA通りは、北からマカティに向かう唯一の幹線道路で、普通は2~30分でいけるところが、数時間かかることがざらにある。最近では、朝夕のラッシュ時間帯ばかりではなく、終日、渋滞している。 Metromanila map 20150920_0001 そのため、政府は、国家警察高速道路警備隊(HPG)の隊員、約100人を監視の任につけた(首都圏の交通行政は本来、首都圏開発局(MMDA)の役割)。しかし、その後の新聞は、根本的解決無しには、一時しのぎの策は何の効果もないとこきおろした。 EDSA以外でも、南からマニラ市にある港に向かうサウス・スーパーハイウエイはコンテナ・トラックの列で、終日、いっぱいでほとんど動いていない。しかも、首都圏の鉄道は、LRT1とMRTの環状線(青と緑の線)、マニラを横断するLRT2(紫の線)、そしてPNR(国鉄、茶色の線)しかなく、しかも、ラッシュ時は超満員で人々は車で移動するしか方法がない。 LRT1、2、MRT(左の写真)それにPNR(国鉄、右の写真)があるものの輸送力が小さくて焼け石に水だ ちなみに、マニラの通勤の主役は、長距離移動のためのバスあるいはUV(小型の乗り合いバン)、中距離移動のジープニー、タクシー、そして、短距離用のトライシクル(三輪バイク)あるいはパジャック(三輪自転車)などの公共交通手段で、それに無数の自家用車がひしめき合っている。 そのため、庶民は、ターミナルでいつ乗れるかも知れないバスなどを待って、毎日、数時間を費やし、ラグナ、カビテ、ブラカンなどのベッドタウンからの通勤にエネルギーを使い果たしている。 郊外へ移動手段はバスが主体で、中、長距離バスが幹線道路にひしめく(料金は固定性) 中距離移動はジープニーが主役、頼もしい庶民の味方だ(ちなみに初乗り8ペソと格安だ) UV(Utility Vehicle、左)は、比較的長距離を点と点で結ぶために乗り換え無しに通勤できて便利だが、その分だけ高めだ(料金は固定性)。一方、タクシーはメーター制なのだが、運転手によっては、料金はネゴ次第となって、外国人には頭が痛い。 […]

首都圏渋滞で一兆ペソの経済損失 2015年9月20日



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最近、日本では水害のニュースが四六時中流れているが、我が家もご多分にもれず、一階の事務所の床が冠水するという事態に見舞われた。 雨季真っ只中のマニラでは、毎晩、かなり激しい雨が降っている。それほど長くは続かないので、しばらく家に閉じこもっていれば、何のことはない。しかし、3日前の夜、下で、メイド達が大騒ぎをしているので、降りてみると、事務所の床が数センチ水をかぶっている。大慌てでパソコンの電源などを高いところに移し、難を逃れた。 排水パイプがプラスティック袋や砂などで詰まってしまっており、樋を伝って流れ込んだ雨水がラナイ(中庭)にある集水桝から逆流したのだ。そしてラナイから室内に雨水が流れ込んだ。問題は、この家の構造(タウンハウスが2列つながっており、その中間にはラナイが設置されている)にあり、ラナイに降った雨水は床下に設置された排水パイプを流れて外の排水溝に流れるようになっている。ラナイの周囲は建物なので雨水は床下の設置された排水パイプを流れるしかない。しかも、その排水パイプが6インチ(15cm)のパイプで容易に詰まってしまう代物だったのだ。 ボボイらがその日、そして翌日の夕方、大騒ぎをしてなにやらやっていたので、てっきり修理が了したものと思っていた。しかし、その3日後にも、浸水騒ぎが起きたのだ。どうも、やりかけでほったらかしてしまったらしい。たまたま、ビコールからお抱えの大工(ウベット)がやってきたので、修理はウベットに引き継がれたが、完了したのかしないのか、相変わらず報告がないので定かではない。当面は、対処療法で水をかい出す作業が続きそうだ。 その後、6000ペソを出して、プロを雇って修繕作業は完了した。工事は見逃したが、パイプの中のゴミを専用工具で掘り出したらしい。 ちょっと見にくいが、事務所の床は水で覆われている ラナイ(中庭)にたまった水をバケツでかい出して外へ運ぶ 2階からラナイの様子を眺めると、排水溝から逆流した水や砂で台無しになっている 水が引けてから夜遅くまで床の清掃に励むビアンカとヤヤ

我が家が床上浸水 2015年9月13日


2016年の祝日が大統領府より発表になった。 1月1日(金)元日;金土日と3連休となるが、前年の12月30日(水)がリザールデイ、31日(木)大晦日で休みなので、あわせて5連休となる。しかもさらに、12月24日(木)クリスマスイブ、25日(金)クリスマスで、土日を含めて4連休となっており、この間の平日28日(月)と29日(火)をはさんで、11日間、休む人が大半だ。 2月8日(月)旧正月;チャイニーズニューイヤー、2月6日(土)、7日(日)とあわせて3連休となる。 2月25日(木)エドサ革命記念日;26日(金)ブリッジ休みをとれば4連休となる 3月24日(木)、25日(金)ホリーウィーク;ほとんどの国民が故郷に帰るので21日(月)から25日(金)の1週間は仕事にならない。19日(土)から帰省ラッシュが始まって、27日(日)まで9日間、マニラは空になる 4月9日(土);勇者の日;もともとバターン死の行進と呼ばれた第二次世界大戦の記念日 5月1日(日)メイディ;2日(月)が振り替え休日になる可能性がある 6月12日(日)独立記念日;13日(月)が振り替え休日になる可能性がある 8月21日(日)ニノイアキノディ;22日(月)が振り替え休日になる可能性がある 8月29日(月)英雄の日;27日(土)、28日に(日)と合わせて3連休となる 11月1日(火)万聖節オールセイントデイ;前日の10月31日(月)がブリッジ休みとなり、10月29日(土)、30日(日)とあわせて4連休となる。ほとんどすべての人々は墓地に行って先祖に再会し一晩を過ごす。 11月30日(水)ボニファシオディ; 12月24日(土)クリスマスイブ、12月25日(日)クリスマス;来年のクリスマスは土日にかかり、休みがない 12月30日(金)リサールディ、12月31日(土)大晦日、1月1日(日)正月;さらに年末年始の3日間の休みは金土日と最小限で、毎年10日~2週間の大連休となるのだが、めったにないことだ。 このほかにイスラム教のラマダンと犠牲祭の2日間の休日があるが、日程は未定だ。さらにこの年は、大統領をはじめとする統一選挙があるので5月に休みがはいる。 […]

2016年の休日 2015年9月6日



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8月24日、家族法の改正案が下院を通過した。これは外国人配偶者と離婚したフィリピン人の再婚を容易にするもので、これで消滅している婚姻に縛られて再婚ができない幾多のフィリピーナが救われることになるだろう。従来、仮に日本での離婚が成立していても、フィリピンでさらに裁判所の裁定がない限り、フィリピンでは既婚者と記録されており再婚ができなかった。ジャパユキさんの試練 2010年7月7日 それが、日本の裁判所が発効した離婚証明書をフィリピン大使館で認証し、それを提出すれば、再婚可能となるのだそうだ。詳細な手順は不明だが、フィリピンでの裁判は、15万ペソ程度のお金と半年の時間がかかるので、離婚して帰国したジャパ行きさんが手続きを行うことはまれだった。特に、偽装結婚で日本にわたり、その後、離婚手続きをして帰国したジャパ行きさんは、一生涯、結婚ができないとうとんでもない高い代償を支払わなければならなかった。彼女らは日本からは離婚を証明する戸籍謄本などを渡されて帰国するのだが、フィリピンで離婚を成立させるためのハードルが高すぎるのだ。 市長室で行われた結婚式。市長さんの署名で、婚姻証書が成立する そもそも、フィリピンには離婚という制度がない。これは世界中に二ヶ国しかないという時代錯誤の法律といわれているが、これにより、数多くのカップルが正式な配偶者とは別れた後、新しい配偶者とは事実婚で夫婦生活をしている。確かに、相続とかややこしい問題さえなければ、事実婚でも子育てや夫婦生活には支障はないだろう。 ただし、離婚に代わるものとしてアナルメントという制度がある。これは、この結婚が、そもそも存在していないと裁判所に訴えて裁判所の裁定で結婚を取り消すことができるのだ。しかし、それには数百万ペソの費用と数年の歳月が必要なので、財産のあるお金持ちの特権となっている。 教会で厳かに執り行われたジェーンの結婚式。ここでは牧師の承認で結婚が成立する 日本人がフィリピーナと仲良くなって、いざ結婚となると、何故かフィリピーナが躊躇することがある。その場合、ほとんどが、件のフィリピーナは過去の婚姻歴のために結婚資格がないのだ。特に日本帰りの場合は、ほとんどがそうともいえる。この結婚資格/独身証明はシノマ(Certificate of No Marriage)と呼ばれ、NSO(National Statistic Office)にて発効される。結婚をほのめかす彼女にシノマはあるかと聞いたら、敵はびっくりしてひっくり返るだろう。 日本人の場合は、戸籍謄本に出生から、婚姻/離婚、子供、死亡まで、すべて記載されているが、戸籍制度のないフィリピンの場合は、出生証明、婚姻証明、独身証明、死亡証明など、それぞれが独立の書類となっており、個人の履歴が把握しにくい。たとえば、結婚しようとしているフィアンセに子供がいるのかどうか、調べようがないのだ。ただし、どういうわけかその辺についてフィリピーナ決して嘘をつかず、堂々と子供がいると宣言する(聞きもしないのに)。 ジェーン夫妻は教会での式に4ヶ月ほど先立って、裁判所でも結婚式を行った。届出に使った結婚証明は教会のものか裁判所のものか定かではない […]

家族法の改正で外国人との離婚手続きが容易に 2015年8月31日


バリクバヤン・ボックスとは、海外の出稼ぎ労働者(OFW)がフィリピンの家族のもとに様々な物品を無税で送れる優れものの宅配便だ。大中小の段ボール箱にいっぱいの荷物をつめて、5000円から1万円、2週間程度玄関まで届けてもらえる。ちなみにバリクバヤンとは帰郷という意味だ。詳細は次をクリック(マニラ生活電話帳の広告)IMG_20150831_0002 一口に一千万人のフィリピン人が海外で働いているといわれているが、バリクバヤン・ボックスは、それらのOFWと国に残された家族をつなぐ大切な絆だ。免税範囲は、一箱につき500ドル以下、利用頻度は月に一回などと制限はあるものの、中を調べるわけでもないので、無制限に等しい。 これが、密輸や違法物品の輸送などにも使われていることが発覚し、税関が通関検査の厳格化を打ち出した。これに対して、中身が盗まれるなど、多方面から抗議が出て、翌日、大統領が開封検査を取りやめるよう税関に指示を出した。 これで一件落着だが、実は、このバリクバヤンボックスは息子も大いに利用している。しばらく農場に滞在していた息子は、フィリピンを故郷のように想い、日本には出稼ぎに行っているという感覚がある。だから、ビアンカにプロポーズして、いずれはフィリピンに家族を持とうと目論んでいる。 その息子が、ビアンカ攻略に利用しているのがバリクバヤンボックスだ。ダンボールボックス一杯に、お菓子、即席めん、缶ビール、中古屋で買った衣類、などなど、大量の物品を年に1~2度、送ってくる。これが届くと子供達は大喜びで、目当ての品を競い合って手にする。もちろん早い者勝ちだ。 息子から送られてきた食料品を独り占めにするKIAN、その後、ボックスの中で遊んでいたら、姉のキムに唇を奪われてしまった。 逆に、日本に何か送りたいがどうしたらよいかという相談をたまに受ける。書類などはEMS(郵便局の国際宅急便)やFEDEXなどの航空宅配便で、一通、1000ペソ程度、2~3日で届くが、お菓子などの日用品を送るのにはコストが嵩む。日通や佐川急便、クロネコヤマトなども進出しているが、こっちは駐在員の帰国にともなう引越しなどには利用するのはよいが、例えダンボール一個でも一般の貨物扱いとなって、宅配便のような手軽さがない。早く、バリクバヤンボックスのようなサービスを始めて欲しいと思うが、そもそもフィリピンから日本へ日用品を送るようなニーズはほとんどないのだろう。 以前、犬の血清を検査のために日本に送ろうとしたら、FEDEXなどの航空宅配便では扱ってくれなかった。そして、某大手運輸会社からは、一辺が20cm程度の発泡スチロールの箱、一個が、冷凍宅配で、10万円の見積もりが出てきて度肝を抜かれたことがある。

バリクバヤン・ボックス(ふるさと宅急便)2015年8月31日



マニラ湾の沿いのロハスブルバード通りを、空港方面(南)に走り、モール・オブ・エイシアを過ぎた辺りの埋立地の開発が急ピッチで進んでいる(行政地区としてはパラニャケ市に属する)。エンターテイメント・シティと称し、カジノを中心としたリゾート施設、経済特区で、最終的には、約一兆ペソの投資が行われるという。空港からのスカイウエイの建設も急ピッチで進められ、モノレールの建設計画もある。いずれ、ラスベガスあるいはマカオに次ぐ一大カジノ地帯が出現し、中国、香港、シンガポールなどのカジノ好きの中国人など、東南アジアの観光客でにぎわうことになるだろう。 その地域に、SOLAIREに次いで第2弾として開業したのが、CITY OF DREAMS MANILAだ。金色に輝く巨大なビルにカジノと三つのホテル、広大な駐車場は、まさに未来都市だ。フィリピンは、政府系のPAGCOR(フィリピン・アミューズメント・アンド・ゲーミング公社)経営のカジノが各地にあり、隠れたカジノ天国でもあった。ちなみに、マニラには、リゾートワールド(ニューポートシティ、パサイ)、ヘリテージホテル(EDSA、パサイ)、マニラ・パビリオン・ホテル(エルミタ、マニラ)、ハイアット・マニラ・ホテル(マラテ、マニラ)などの本格的カジノがある。 マニラ新聞でグランドオープン(2月2日)の記事を見て、早速、見物に行った。マカパガル通りを南に下ると、やがでも金色の外側に色とりどりの柱を配したビルとCITY OF DREAMS の大きな文字が目に入るので、その手前を左に折れると、駐車場への入り口に通じる。まずは、その広大な駐車場にびっくりするが、開業したばかりだというのに、駐車場の一階は、車で一杯だった。 まさに未来都市を髣髴させる奇抜な外観のビル群に圧倒される。 広大な駐車場は、通路もゆったりとして、そのへんのモールの駐車場とは一線を画す。      カジノは一階と2階で、上階はホテルとなっているらしい。そこには無数のスロットマシンやテーブルが配置され、ディーラーが手持ち無沙汰に客を待っている。ちなみに21歳未満は入場禁止だ。カジノの中の全容をムービーで撮ろうとしたら、係りの人があわてて駆け寄ってきて、制止されてしまった。 カジノ場の周辺は、レストランとショッピングモールだが、まだ、工事中のところが多い。先日、ここで撮影されたデカプリオ(右端)の映画の写真がいたるところに飾ってあった。 CIMG9106 […]

CITY OF DREAMSがグランドオープン2015年2月14日


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昨年、初頭、退職ビザを取得され、後半にフィリピン在住を開始した退職者と食事をする機会があった。用事を終えて、時間が余ったので、ホテルのコーヒーショップで、夕食までの時間調整をした。そこで、コーヒーの支払いに、運転免許証を見せて、シニア・シチズンしての割引を受けたのだ。てっきり、そのホテルは、その方の定宿だったので、特別サービスかと思ったが、その人曰く、どこのレストランでも可能だという。 その証拠に、そのあと、夕食をとったリトル東京のきくふじでも割引を受けることができた。12%程度の割引だったので、多分、VAT(12%)が、免除されたのだと思う。もちろん、彼は、シニア・シチズンシップは持っていない。ちなみに私のSRRVカードを見せたら受け付けてもらえなかった。 ご承知の通り、シニア・シチズンシップという制度は60歳以上の高齢者が、レストラン、薬局、スーパー、映画館、などなど、ほとんどの場所で、5~20%程度の割引を受けることができる制度で、フィリピーノ高齢者の福音となっている。外国人は、原則としてこの恩恵を受けることができないが、市あるいはバランガイで、その判断が違い、居住している場所によっては、SRRVなどの永住ビザを持っている場合に限り、その恩恵にあずかることができる。マカティ市の場合、PRAが間に入って、その取得に動いたが、時のビナイ市長(現副大統領)により、拒否された。 PRAを通じて、なんとか発行してもらえたのが、ブルーカードというナンバー・コーディング(曜日毎に一定の末尾番号の車は、公道を走ることができない制度)の免除だ。これだけでも、仕事上、毎日出かける私には大きい。しかし、運転免許証さえ持っていれば、このシニア・シチズンシップの恩恵に預かれるというのはとても大きい。 しかし、残念なことには、私は、5~6年前にすりに財布をすられて、その際、なくなった運転免許証をほったらかしにしてあって、無免許であることだ。運転は、もうしないと決めていたが、この際、取り直そうかとも思う。 さらに、翌日、別の日本人と食事を取ったら、シニア・シチズンシップ・カードを忘れたと、残念がっていた。その方によると、シニア・シチズンシップは誰でも取れると豪語する。バランガイに申し入れて粘れば、何とかなるという。私の居住するバランガイ・サン・アントニオは、ビナイ一家(副大統領とその息子)が住んでいるので、どうなるかは、わからない。ちなみに、この方はビナイ副大統領と懇意にしているというので、なんとかして欲しいとお願いしたが、たかが、外国人のシニア・シチズンシップの発行に、副大統領が、動くわけにも行かないだろう。  フィリピンの免許証と、話題には関係ないが、街で見かけたど派手のタクシー 話し変わって、運転免許証の効用を発見した方の住居は、郊外なので、車が必須だ。そこで、トヨタの新車も買い求めたのだが、最近のガソリンの値下がりには、メリットを満喫しているという。ちなみ、かつては、ガソリンが50ペソ+、ディーゼルが40ペソ+だった、それが、1月11日にはそれぞれ40ペソ、30ペソを割り込んでおり、さらに、22日には、それぞれ20ペソ、30ペソ台、半ばまで下がった。 原油の価格は、40ドルくらいになっているはずだが、20ドル台になるという話もあるので、それぞれ、20ぺソ、30ペソを割り込むのも時間の問題だろう。こうなると、ガソリン、ディーゼル価格が、昨年の半分以下になるので、当方としてもうれしい悲鳴だ。 この原油価格の下落は、OPECにより、仕掛けられたもので、アメリカのシェールガスの生産を叩き潰す狙いだという。シェールガスの採算ラインは60~70ドルというが、OPECでの原油コストは10ドル台で、まだまだ、余裕があるそうだ。一方、ロシアやベネズエラは経済危機に陥っているという。それにしても、10ドル台の原価のものを100ドル以上で売っていたなんて、なんとも馬鹿にした話だ。いすれにせよ、この世界経済戦争が、どう決着するのか、見ものだ。 原油安が原因かどうかわからないが、フィリピンの株式市場は好調で、23日には、史上初の75000ペソを超えたという。一方、1ドル=45ペソに近づいて、ペソ安傾向が続いていたが、一転して、44ペソに近辺に反転してペソ高傾向になっている。退職者にとっては、円安とペソ高のダブルパンチだ。        1月22日の石油価格               1月11日の石油価格 最後に、この方が、嘆いていたのが、円安だ。年金で暮らす退職者にとって、この円安は、致命的だ。昨年の半ばごろまで、ここ数年、1万円が5200~300ペソを推移していた。しかし、1ドル=120円という水準にいたって、1万円が3700~800ペソになってしまったのだ。なんと一万円につき、1500ペソの目減りで、収入が3分の2くらいになってしまった。 以前、女子大生の卒論のお手伝いで、退職者の聞き取り調査をしたとき、皆さんの生活費は一ヶ月に10万円と口をそろえていた。ペソに換算する52000~3000ペソとなる。これは、フィリピン人なら部長級の給与だから、十分生活できる。しかし、この生活レベルを維持しようとすると、現在のレートで14万円が必要になる勘定だ。 この方にしてみれば、貯金には手をつけないで、年金だけで普通の生活と週一回くらいのカラオケで息抜きができると思っていたものが、4万円がどこかへ行ってしまったことになる。そのため、このカラオケの資金が円安で消えてしまい、夢も希望もないというわけだ。これだけは、神に祈るしかないと悲痛な顔をしていた。 […]

運転免許証でシニア・シチズンシップを享受 2015年1月25日