shiga


  日本ではあまり無いが、東南アジアでは唐辛子(チリー)を丸のまま料理に入れてあることが多々ある。それを知らずに食べて口の中が火事になってしまう経験をした人も多いと思う。特に韓国料理に唐辛子は不可欠だ。キムチなどあの赤い色が食欲をそそる。日本では七味唐辛子などそばに入れるが、好みの辛さになるように粉末になっている。韓国人は平気で丸のまま唐辛子を食べる。赤唐辛子はさすがに辛すぎるので、大きめで緑色の唐辛子を食べるが、唐辛子は小さいほ うが辛味が強い。 西洋では唐辛子が東洋から持ち込まれるまで、胡椒が一番辛く、肉の味付けなどはこの胡椒が主体だ。そもそもこれら香辛料(唐辛子、胡椒、わさび、辛子、 ニンニク、生姜、塩、酢など)は味付けというより、食品の保存に用いられたものだ。冷蔵庫の無い時代、どうやって作物のとれない冬や航海中の食物を保存するかが大きな問題だった。香辛料は抗菌性があるから腐敗するのを防ぐあるいは遅らせる。刺身にわさびをつけるのもそもそもナマの魚を腐敗から守るためのも のだ。 大航海時代の航海の目的はアジアやアメリカからこの香辛料を西洋に持ち帰って巨大な利益を得ることだった。また、砂糖も大変高価な調味料で、甘いケーキを食べるのが当時の貴婦人の無常の喜びだったらしい。そのため、糖尿病が不治の病として流行したらしい。 フィリピンでは唐辛子は小さな木にいくらでも出来るので、とても安い。一皿たったの5ペソだ。フィリピン人は甘党だが、ニンニクや唐辛子、生姜や小粒の玉ねぎを料理の味付けに多用する。ほとんどの料理の味付けが、この4つの香辛料と塩・醤油ですましてしまうといっても過言ではない。フィリピンで唯一辛い 料理が、下の写真のビコール・エクスプレスだ。刻んだ唐辛子に豚肉や小さなエビやオキアミを混ぜる。これに白い飯があれば充分いける。だから、フィリピンで辛党なのはビコラノだけだ。  さて本題だが、唐辛子を食べてしまい、口の中が火事になったとき、普通は水を飲んで消そうとするが、そう簡単には消えない。辛いというより、その痛みに 長いこと耐えなければならない。しかし、これを一瞬にして消し去る方法がある。それは、フィリピンならどこにでもある、あの小さなカラマンシーをいくつか 絞って水にいれ、それで口をゆすぐのだ。アルカリ性の液に酸を入れると一瞬にして色が消えて水になってしまう、という実験を中学のときにやったと思うが、まさにそれだ。辛味と酸味が中和して一瞬にして消える。カラマンシーでなくても酸味のある柑橘系の果物、レモンやカボスなどでも同じだろう。  このカラマンシーもフィリピンでは一袋10ペソ程度と格安だ。しかもカラマンシーの皮には認知症に効く成分が含まれているという有用植物なのだ。韓国料理やインド料理を食するときは是非前もって食卓に用意しておくことをお勧めする。

伊東家の食卓(フィリピン版)2010年8月15日


8月23日の昼前、PRA(退職庁)に退職者のビザ申請に同行すると、PRA職員がテレビにかじりついている。一体何事が起こったのかと聞いてみると、人質 (Hostage)事件だという。テレビはタガログ語で、道路の真中に止まったバスの画像を写すだけだから何のことやらさっぱりわからない。ことの詳細は 翌日のマニラ新聞で知った。  この事件は、国家警察の元警部(キャップテン)が、恐喝事件に関与した疑いで受けた懲戒免職の処分に不満を 持ち、その撤回を求め、中国人観光客25人を乗せた観光バスを乗っ取ったものだ。この警部はその前年、優秀な警官として表彰されたばっかりの警官の鏡だっ た。それが、部下が行なった恐喝のために詰め腹を切らされた。しかもその事件は裁判で却下されたにも関わらず、最終的にオンブズマンにより有罪とされ、退職を間近に控えた彼は、職ばかりでなく退職金も年金も、将来享受すべきすべての利益まで失ってしまったのだ。警官にはそれを不服として申し立てる手立てがない、そして思い余って今回の事件を起してしまったという。 だからと言って、観光客を巻き込んでの人質事件は最悪の選択だ。オンブズマ ンに不服があるなら、そこに直接抗議すればいいのだ。多くの人が、フィリピンのイメージを改善し、観光客や企業の投資を誘致してきた努力が、この事件で水 泡に帰すことになりかねない。当方も盛んに「退職者の老後の生活をフィリピンで」と言ってきたのに、それらの努力をお釈迦にするようなとんでもない事件 だ。相棒のジェーンも「これでフィリピンのイメージが10年前にさかのぼってしまう」と、ポツリとこぼしていた。 そもそもフィリピン人は我慢強く、弱いものはいつも泣き寝入りしてしまうのだ。だからこのような突飛な行動に出て世間を騒がせることは極めてまれだ。私も20年以上フィリピンに関わってきて、初めてこのような事件を耳にした。かつて軍の将校が人質をとってホテルに立て込む事件があったが、人質に危害が加えられること は皆無だった。これらは茶番とも思えるような政府との交渉で解決されてきたが、今回は最悪の事態を迎えるという極めて異例な幕切れだった。  犯人が人質と共にバスに閉じこもっている間、犯人は人質に対してとても親切だったそうだ。しかし、警部の弟が説得工作に乗り出し、それが逆に兄をあおるような 行動に出て、事態が急変した。犯人に対する政府の対応も犯人の主張に対してけんもほろほろで、弟が兄に「こんな政府からのレターは紙くず同様だ」と告げた そうだ。さらに、メディアや警官が弟を取り囲んであたかも暴力を振るっているような報道が、車内の犯人にも筒抜けになっていたのだ。その結果、兄が激昂し態度が急変した。メディアの中継で犯人は車内から外の状況を的確に把握している一方、警察は車内の状況がわからない。こんな状況が事件の解決を難しくし […]

人質事件で中国観光客が8人死亡 2010年8月24日



私がフィリピンに始めて足を踏み入れたのは1989年の初頭、そして、その年の8月から駐在を開始した。そのころの記憶を頼りに20年後の現在との物価の比較をしてみた。また同時に日本の価格も併記して、後述する物価10倍原則や比日の生活レベル格差等について考察してみた。なお、1990年ごろは1ペソが5~6円で、現在は約2円だ。なお、これらは正確な統計に基づいたものではなく、あくまでも私の記憶と知識の範囲内のものなので、正確さを欠いている部分は容赦願いたい。なお、日本の物価は私がほとんどフィリピンに暮らしていたことから良く把握していないが、ここ20年の感覚的平均値を記載した。                1990年         2010年        日本             ペソ    円換算    ペソ  円換算     円貨 大卒初任給/月     2500ペソ     1万3千円    1万ペソ  2万円    20万円    ガソリン/リッター     8        40     […]

フィリピンの物価(20年前との比較)2010年8月7日


フレンドシップツアー、岩崎さんの「岩ちゃん日記」のメール・マガジンの呼びかけで、格安コレヒドールツアーに参加した。通常、昼食込みで2000ペソ程度かかるのが、たったの1000ペソで観光することができた。マニラ湾に浮かぶおたまじゃくしの形をしたコレヒドール島はマニラの重要な戦略上の拠点で、スペイン時代からマニラを守ってきた。また、太平洋戦争の激戦地としても有名なところで、現在も人は住まず、史跡として当時の様相を残している。 コレヒドール行きのフェリーはマニラ湾の埋立地、Cultural Center of the Philippines(フィリピン文化センター)のそば、マニラヨットクラブの港内、香港から運んできたという海に浮かぶ中華レストラン「ジャンボ・キングダム」(右下写真)の隣から出港する。  この付近はあちらこちらに大きな広場があり、早朝には多くの人がインストラクターに従って、集団でエアロビクスをやっている。どういうわけかそこにはセクシーな若い女性はおらず、太目のおば様やおじ様ばかりだ。若い人はもっぱら夜のエクササイズに忙しいのだろうか。また、岸壁に沿って釣り人も多く目にするが、こんな汚い海の魚を釣って食用にするつもりなのだろうかと、気にかかる。   コレヒドール行きのボートは120人乗りが2艘、日本製で時速40kmくらいは出るだろうか、なかなか快適な1時間程度の船旅だ。2名の女性乗り組み員が軽食や飲み物を提供しているが、ちょっと高めだ。 島に着くと、昔、実際の走っていたという軌道列車を模したバスで案内してくれる。日本人は1号車、その他は5号車というので、てっきり日本語を喋るガイドがいるのかと思ったら、今日は休みで、かなりブロークンな英語を喋るガイドが付き添った。一緒に参加した日本の某女学院の中高の生徒さんに同行した日本語を喋るガイドさんが通訳していたが、途中で面倒になったのか止めてしまった。  コレヒドール島は観光史跡ということで人は住んでいない。だから、とてもきれいに整備されている。ホテルやビーチコッテージもあるので家族連れでしばらくのんびりするのもいいかもしれない。  はじめにお目にかかる史跡がバラックと呼ばれる兵舎跡だ。鉄筋コンクリート製だが爆撃や樹木が絡み付いて、建設から100年くらいたった今では柱と梁くらいしか残っていない。それもここかしこで崩れ落ちている。バラックといえば日本ではにわか作りのぼろ家をさすが本来の意味は兵舎という意味らしい。 コレヒドール観光の目玉は島中に配置された大砲だ。1900年代初頭、すなわち明治から大正にかけて、作られたそうだが、衝撃を吸収する装置(ショックアブソーバー)など、なかなかモダンな感じがする。ガイドはこれらの大砲のことをガンと呼んでいたが、本来はカノン(Cannon)が正しいのではないかと思ったが、あとで辞書を調べたら、現在ではガンというのが普通らしい。  さらにこの場所をバッテリー(Battery)と呼んでいた。電池じゃあるまいし、と思ってやはり辞書を調べたら、砲台という意味だった。電池との関連から電気(エネルギーないし火薬)をためる場所、すなわち弾薬庫と類推したのだがそうではなかった。これら砲台は島の中に20箇所程度あるようだが、それぞれの砲台には弾薬庫が隣接しており、厚い土で覆われて、空から爆撃されても被害を受けないようになっている。  30cm長距離砲の迫力はなかなかのものだ。大砲にはあちらこちらに銃撃の跡があり、襲撃の激しさを物語っている。ちなみにこの大砲は350発が限界で、その度に砲身を交換しなければならないそうだ。砲身は工場に運ばれ中のらせん状の溝を掘りなおして再び使われるそうだ。 マイル・ロング・バラックと名づけられた兵舎。実際、1マイル(1.6km)はないものの500m位の長さの建物だ。ここには数千人の兵士が暮らしていたのだろう。 […]

コレヒドール島訪問 2010年8月4日



7月29日から31日まで開催されたPhilippine Real Estate Festival 2010を見学した。場所はモール・オブ・エイシアのあるマニラ湾の埋立地で、大きな会場には数え切れない住宅のデベロッパーが集合していた。しかし、業 界大手のアヤラコーポレーション、メガワールド、フェデラルランド、シティランド、SMDCなどが見当たらなかったので、メトロマニラ周辺の開発案件の半数程度が出展されているものと推定される。        入り口にはサンミゲルの名前をかぶせたジオラマが飾られていた。あの食品業界の巨人、San Miguelよ、お前もかといったところだ。なぜなら、最近目に付くのが異業種からの住宅開発への参入だ。SMシューマートはマカティを初めタガイタイ、 オルティガスなどに大型の開発を進めている。建設業界の雄、DMCIも他人の儲けのために建設工事を請け負って必死に頑張るよりも自らが販売まで手がけて 大きな利益を手にしようという魂胆だ。  かなり広い会場だったが、平日のせいか人出は少なく、各ブースの係りの人の方がはるかに多かった。ブースに飾られた物件は、ほとんどが高層のコンドミニア ムで、メトロマニラのあちらこちらに建設中のコンドミニアムを売り込もうというだろう。しかし、これだけの数のコンドミニアムを建設していて、果たして勝 算はあるのだろうか。入居者が集まらず、ゴーストタウンになってしまうことはないのだろうか。  たしかにメトロマニラには数百万人もの人々が住居とも呼べない、狭い、汚い、危険なところに住んでいる。名物のスコーターには一人一畳もないところで […]

フィリピン不動産フェアを見学 2010年7月30日


女性のセクシーなボディは男性のあこがれであると共に女性にとっては女であることの証でもある。美白と同様、美容に関わるものにとって永遠のテーマだ。。下の写真はアンヘレスのゴーゴー・クラブ「アトランティス」、ほとんどの女性が10代でセクシーなボディを誇らしげに披露している。   数年前、女優クリス・アキノが脂肪サクション(吸引)により、セクシーなボディを取戻して再びスターダム(ちょっと言葉が古いけど)にのし上がったことにより、その手術を行なったベロ美容クリニックが大繁盛した。左下の写真がクリニックのオーナーのベロ、右は兄ノイノイ・アキノ大統領候補の応援演説をするクリス・アキノ。  したがって、フィリピンではちょっと太った女性でお金持ちは、食べすぎと運動不足でたるみきった腹、腕そして太ももの脂肪を手術で簡単に取り除いて、セクシーなボディを取戻そうとする。ちなみに手術料は25万ペソ程度というから、こんなことのために大金を払える人はそういるもんではない。   手術はまず、機械で脂肪をぐちゃぐちゃにしてチューブで吸引するそうだが、脂肪には神経がないからさほど痛くないらしい。こんなことをして細くなったとしても、食習慣を変えない限り所詮元の木阿弥だと思う。しかし、ダイエットで食事を制限するのは辛い、でもセクシーになりたいという女性の願望を留めることはできない。   私がPRAにいる時代に色々とお世話をした日本人のカップルがいる。しばらく日本に帰っていたのだが、先日電話がかかってきた。フィリピン人と結婚している奥さんの妹さんがこの脂肪サクションをやって、1週間後に亡くなってしまったのだという。入院費や葬式代はクリニックで持ったものの、このままでは気がすまないから、何とかしたいという。話は単純なので、弁護士を雇って法廷闘争に持っていくしかないだろうとアドバイスした。   私に言わせれば、そもそも体の一部を機械的に取り除くなんて、体に良い訳がない。クリニックから戻って2日目に痛いと言い出して、肌が茶色に変色し始めたという。そして入院し、1週間足らずの命だった。詳しい原因はわからないが、健康だった人が術後に変調をきたしたのだから、手術に起因していることははっきりしている。どこが大事な神経や血管を傷つけてしまったのかもしれない。 脂肪サクションが死と隣り合わせた危険な手術であることなど報道されたためしがないが、ここで大いなる警鐘を鳴らしたい。これは、まさに死亡サクションなのだ。やはり、地道な食事のコントロールと運動でセクシーな体を取戻すあるいは維持して欲しいと思うが、それがいやならセクシーな女であることをあきらめるべきだ。何事を達成するにも努力は欠かせないのだ。    余談だが、娘さんは日比混血でいわゆるメスチーサの美人だが、日本語とタガログ語と英語を自由にあやつる才女だ。名門ラサール大学を卒業して近々航空会社でスチュアーデスとして働くことが決まっている。5年前にあったときより随分やせているので、セクシーになったねと冷やかしたら、この1週間で13kgやせてしまったのだという。ほとんど食事も喉を通らなかったそうだ。そこで「怪我の功名」だねと言ったら、わかってもらえなかった。日本で小学校を卒業してからフィリピンに来たそうなので、無理のないことかも知れないが。

脂肪サクションの恐怖 2010年7月29日



フィリピンに暮らしていて大変便利だけれども難敵なのがジープニーだ。いつでも待たずに乗れて、格安でぼられる心配もないジープニーが乗りこなせたら、一人前のマニラッ子だ。ご承知の通り、ジープニーは路線が決まっていて、行き先をちゃんと把握して乗らないととんでもないところに連れて行かれてしまう。だから、行き先の地名を知らないとどうしようもない。私も、自宅付近を基点に毎日のように行くマカティ・スクエアー(リトル東京)やPRAなどはジープニーで行くことが出来るが、そのほかは全くだめだ。  そこで誰でもが思うのがジープニーの路線図があったら、何とか乗れるであろうと、いうことだ。それが、ついに発刊されたのだ。作成したのは久保田さんという人で、とりあえずは英語版が7月1日に発刊され、いずれ日本語版も出るそうだ。ジープニーの他にバスやフェリー、国内航空便の情報も載っているコンパクトなマップだ。版権の関係で中身を紹介できないのが残念だが、是非手にとって見て欲しい。一冊250ペソでマニラではフレンシップ・ツアー(電話840-1060)で発売している。ドーシットホテルの3階に事務所があるので、ついでがあったら寄ってみるとよい。 ところでジープニーをもっぱら利用しているのはフィリピン人なんだから、何故フィリピン人向けのジープニーの路線図が存在しないのだろうか。私の推定ではマップに書かれた路線をフィリピン人は理解できる人が少ないためと思う。実際、彼らはどこへ行くにも住所さえわかれば、人に聞いて目的にたどり着いてしまう。地図を見せても使わない、あるいは使えない。要は地図を見て、場所を鳥瞰してとらえるのではなくて、平面の上に立ってとらえているのだ。すなわち、一番目の角を右に曲がって大きなビルが見えたらその先100m位のところ、てな具合である。たしかにそのほうが混沌としたフィリピンでは実際的かもしれない。

待望のジープニー路線図が発売された 2010年7月28日


私の住まいはマカティのはずれ、パソンタモから少し入ったサン・アントニオ・ビレッジの一角のマカティ・プライム・シティ・コンドミニアムで、パーム・ タワー・コンドミニアムと隣接し、高層、低層そしてタウンハウスの建物が10数棟建ち並ぶマカティでも有数の集合住宅街だ。このほどわけあってこの住宅街 にある3階建て延べ床面積200平米のタウンハウスの取引に関わることになった。  一階は駐車場とリビング、2階がダイニングとキッチンそしてマスターベッドルーム 、3階にはベッドルームが3室、さらにバス・トイレが全部で4つあり、ちょっと古いタイプの大型の住居だ。現在建築中のコンドミニアムは、ほとんどが25 平米あるいは50平米、大きくても100平米を超えることはない。それは新築コンドミニアムの平米単価が10万ペソ近くになり、100平米なら1千万ペソ (2千万円)となってしまい、とても庶民の手が出る範囲ではなくなってしまった。25平米~50平米の小さなスツジオあるいは1ベッドルームなら250 万~500万ペソで、なんとか住宅ローンが組める範囲なのだ。  マカティの中心街を外れるこの付近の中古コンドミニアムは平米単価が5万ペソ程度で、50平米程度のものが200~250万ペソで手に入る。したがって、 新築にこだわらなければ半値以下のお買い得で、人気がある。一方、200平米となると、そのままの単価を適用すると、1千万ペソとなってしまい、買う人は いない。そのため、平米単価はぐっとさがり、今回ハードなネゴにより、400万ペソで取引が成立した。平米単価は2万ペソでかなり有利な取引となった。し かし問題はこの取引に関わる税金だ。 ちなみに不動産の取引には下記の税金がかかる。 1.  キャピタルゲインタックス(Capital […]

コンドミニアムの路線価格の怪 2010年7月27日



日本では消費税引き上げの議論が活発だ。いくら国民の負担増になるとはいえ、政府としては財源を確保しなければ何もできない。借金だけに頼っていてはいつしか破綻して破産宣告をして借金を帳消しにしてもらうなどの処置を取らなければならない。そうなると国債に投資していた金融機関や個人も連鎖して破綻、まさに日本沈没だ。日本はなんともいえない難しい選択をせまられている。  フィリピンではアキノ新大統領が就任するまでの半年間にアロヨ政権は大半の国家予算を使い果たし、新政権の政策に使える予算は年間予算の10%しか残っていないとアロヨ政権を非難している。しかし、アキノ大統領は増税や新税の創設をしないと宣言しているので、安易なVAT(付加価値税、消費税)をあげることは出来ない。賄賂や汚職をなくして、とるべき税金をとりさえすれば財源は確保できるという主張だ。ちなみにフィリピンのVATは12%と先進国並みの重税だ。また、フィリピンで所得税などの税金をまともに払っている企業は皆無だという。税務署が賄賂を見返りに積極的に脱税を勧めるというお国柄なのだ。しかし、現在は新政権の様子見で税務署も沈黙を守っているようだ。       (街中50m毎にあるといわれるコンビニエントストアの元祖、サリサリ・ストア(何でもあるという意味)。日常の生活に必要な品物は何でも売っており、タバコなどは1本づつ、携帯のロードまで10ペソ単位でばら売りをして庶民の生活を支える)     そして、新政権が打ち出したのが、国民の40%が従事しているという零細自営業者への課税だ。現状、課税を免除されているサリサリ、トロトロなどの零細小売業、さらにマーケットの小売商、挙句の果てにトライシクルやパジャックにも所得税を課そうというのである。20ペソ以上の売り上げには領収書を発行して所得課税の基礎にしようというのだが、領収書の発行の手間や税金の計算だけでも大変な手間だ。 (ウエットマーケットあるいはパランケと呼ばれる公設市場は市町村の中心部に位置して、一坪程度の無数の小売商が建ち並び、肉や魚、野菜や果物、乾物などあらゆる食材を最も安く求めることができる、庶民の台所だ) (また、古都ビガンの街では広場に露天商を集めたバザールを開いて商品を格安で売っており、まさに庶民の買い物どころとなっている)  サリサリやパランケの売り上げは1日せいぜい数千ペソで、仕入れ、人件費、家賃などを引いたら、利益はせいぜい数百ペソ程度だ。メトロマニラの最低賃金約400ペソだが、それに届くかどうかといったところだ。それに領収書発行の手間や所得税を払ったら、利益はなくなってしまうと、店主は猛反発しているそうだ。街角のトロトロにしても同様だ。 (トロトロとは指し示すという意味で、調理済みの料理を指でさして注文することから来ている)、1食50~100ペソ程度で食べられて、これもまた、庶民の味方だ。ちゃんと店を構えたレストランとなると100ぺソ以上300ペソ程度もかかってしまう。それにVATもかかる )  一番可哀想なのはトライシクルやパジャックのドライバーだ。例え一日の収入が半分でも車両のオーナーにはバウンダリーと言われる定額の車両賃貸料を支払わなければならないので、学校の休みなど客の少ないときは持ち出しになることもある。そんな彼らから所得税をとろうなどという発想は貧困ということを体験したことのない富裕層出身のアキノ大統領だからこそできるのだろう。与党の下院議員も猛反発しているそうだ、こんなことをしたら、次回の選挙で当選するはずがない。これら貧困層はなんといっても国民の40%を占める大票田なのだ。  地方に行くと交通機関はジープニー、トライシクル(3輪オートバイ)、パジャック(3輪自転車)に限定されるといって過言ではない。街の角々には客待ちのトライシクルやパジャックが列をなしている。彼らの収入は、トライシクルで1トリップ往復で100ペソ程度、一日数回の往復で300~500ペソ程度、車両の使用料150ペソを支払うと200~300ペソ程度の手取りだ。これに対しパジャックは一回5~10ペソで一日の収入は100ペソ程度、自転車の使用料、25ペソを支払うと、一日100ペソに満たない手取りだ (こんな過酷な労働を強いる商売でも長い列をなして客待ちをしなければならないほど供給過剰で厳しい情勢になっている。金を稼ぐのが難しければ使う人も少ないという景気の悪循環だ)  

フィリピン版消費課税の嵐 2010年7月25日


先月末、荘厳な就任式を行なって大統領の座についたベニグノ・アキノ3世、ノイノイ・アキノ大統領は連日、旧アロヨ政権の不正を追求する姿勢を示し、絵に描いたような正義漢振りを発揮している。国民の支持率も高いようだが、フィリピンでは政治的腐敗あるいは汚職がまかり通っているだけに、正義を発揮するのにわかりやすくて容易なようだ。日本は政治・経済そのものが閉塞状態にあり、正義を貫いても何の成果も挙げれないが、その点フィリピンは単純だ。しか し、その正義の先にあるもの、要は国民生活に何の改善が見られず、アキノ大統領の自己満足だけに終わってしまったら、国民の支持は地に落ちるだろう。 ところで、アキノ大統領に二つの悩みがある。一つは彼がヘビースモーカーで、周囲が勧める禁煙を実行できるかどうか。そしてもう一つはマニラ名物のワンワン(自動車サイレン)の不使用を宣言したことだ。フィリピンでは政府高官や軍・警察の幹部は自家用車にサイレンを取り付けて、渋滞を逆走したり、信号を 無視して走ることが日常的に行なわれている。しかも、本物の白バイが観光バスを先導して走っているのをよく目するが、これは警察官のアルバイトで、私用に サイレンや公務上の権力を乱用しているのだ。。アキノ大統領はそれが権力者の横暴であるとして、自ら交通ルールを守って移動することを宣言したのだ。   そのため、自動車部品の販売店が集まっているバナウエの店頭からサイレンが消え、車からサイレンを取り外す注文が殺到した。政府高官や軍・警察の幹部はそ れぞれ数台保有する自家用車にもサイレンを取り付けており、さらに民間人も自家用車にサイレンを取り付けて不正に使用している輩が少なからずいたのだ。 一方、アキノ大統領は公式な会議に遅れることが常態化した。ご承知の通り、マニラの交通混雑は地獄のようで、いつ目的地に到着するかは神頼みだ。アキノ大 統領の到着を待つ関係者はたまったものではない。アキノ大統領がサイレンを使うのは合法であり、超多忙な大統領が公務を全うするためには必要なことだと、 取り巻きが主張しても、アキノ大統領にとって一ヶ月あまりで公約を翻すことはいかにも屈辱的で国民の信頼を裏切ることにならないとも限らないと、慎重なよ うだ。一方、世論は、いつまできれいごとを言っておれるものかと、少々冷ややかな目で見ている。 話は違うが、我が相棒の赤ちゃんも公園 デビューを果たして1ヶ月あまり、父親に抱かれて、あるいはベビーカーで外に出るのが大好きだ。悩みなのは両親で、夜が明けると5時前から外出をおねだり して騒がしい赤ちゃんにゆっくり寝ていられない。国家警察の幹部という多忙な毎日を過ごすカーネルも赤ちゃんのリクエストに答えないわけには行かず、早朝 […]

また一つマニラ名物の灯が消えた(その3)2010年7月24日