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10月2日(土)と3日(日)の2日間でパスコの事務所を引っ越した。引越し先は旧事務所から歩いて3分のMAKATI PRIME CITY CONDO. 内、我々の住居の1階だ。住宅街なのでご訪問の際はパスコというより、志賀の住居ということで訪問してほしい。詳しい道順についてはパスコ のホームページを参照。http://www.pasco-ph.com/main/index.php?pid=102 事務所は3階建てのタウンハウスの1階の今の部分を利用したもので、従来の事務所の半分程度の広さだが、パスコの事務所としては充分な広さだ。入り口は 狭いのだが、中は意外と広く、退職者用のパソコンや有川整体師のマッサージベッドもある。また、中庭があるので、いずれ植物などをおいて憩いの場として機 能させたいと思っている。 下の写真は旧事務所の前で撮ったもの。フィリピンでは伝統的に牛に引かせた車で生活物資の行商に歩く人たちがいるが、パンパンガから来るらしい。しかし牛ならともかく、自転車でこれだけの荷物を運んで進むのは容易ではないと思うが、坂がほとんど無いマニラならではの風景だろう。ちなみに今回の引越しは車は 使わず、台車を使ってすべて人力で荷物を運んだ。もちろん私は高みの見物としゃれ込んでいたが、家ごと人力で運んで引っ越してしまうこともあるフィリピン だから、この程度の引越しを人力でやるのは、どうってことはないのだろう。

パスコの事務所が移動しました 2010年10月14日


今回、日本在住のご家族が12、10、2歳の3人のお子さんを、フィリピンで英語を自由に操る国際人として育てたい、という計画を持ち、そのための視察ということで案内をした。   新興都市として発展がめざましいボニファシオ・グローバル・シティの一角に外国人子弟が多く通うインターナショナル・スクール・マニラ(ISM)、ブリティッシュ・スクール・マニラ(BSM)、マニラ日本人学校(MJS)などがある。 新興ビル群の間を抜け、セント・ルークス病院、STIコンピュータースクールの前を通り、マーケット・マーケットの手前を左に折れたところがこれらの学校街だ。  まず、目に飛び込んでくるのが ISM。その規模と近代的な概観に圧倒される。1990年代にマカティのマカティ・アベニューから移設したものだが実際に見るのは初めてだった。校庭では 金髪の子供や色の黒い子供など世界各国の子供達が運動をしていた。ちなみに生徒数は2000人に達するが、授業料も年間150万円前後と超高級だ。学年は 小、中、高、4-4-4制で合計12年、日本と一緒。幼稚園もある。メトロマニラにはISMのほかにもBrent ISM(ラグナ)、Southville IS(パラニャケ) Britesparks IS(ケソンシティ)などいくつかのインターナショナルスクールがあるが、授業料はISMより安めのようだ。ISは教育環境といては理想的だが、高額の授 業料は個人として負担するには限られた人以外は難しいだろう。なお英語を覚えるまでの間はESLクラスという特別クラスで授業を受けることができる。 左に見えるのがBSM。規模は不明だが、授業料はISと同等だそうだ。その次がMJS。少々規模的には劣るが立派な外観だだ。 この日は飛び込みで担当者に面会した。午後しか受け付けないといわれたのだが、ご家族が門の前に来ているとなれば、会わないわけにも行かないだろう。ここ は主に駐在員の子弟が数年間学ぶところで、いずれは日本へ帰国して学校に戻れるようにすべてのシステムは日本式に運営されている。学費は月々1万ペソ程 […]

メトロマニラの学校事情 2010年10月14日



9月に入って来年枠のクオータ・ビザの問い合わせが急増しています。  そのため、入管に来年度枠の価格など詳細を入管に問い合わせていたのですが、このほど入管の弁護士より、下記のような連絡が入りました。したがってパスコとしてのクオータ・ビザの案内は当面ペンディング゙となります。 To: Mary Jane Gomez maryjanegomez2008@yahoo.com.ph; Sent: Monday, October 11, 2010 12:36:37 PM Subject: Sec. […]

クオータビザについてのお知らせ 2010年10月12日


20代から50代の6名の日本人に付き合って、先月に引き続きスービックを訪問した。今回はコンドテルのポコ・ア・ポコが視察の主な目的だったが、スービックが初めての方が大半だったので、主だったところを早足で見学した。 ポコ・ア・ポコのあるビジネス地区の端に建設中の病院(Bay Point Hospital)が完成間近で、ここが開業すると、以前紹介したジョージ・デュイー病院とあいまって、スービックの医療環境が飛躍的に改善されるものと期待される。 この界隈はホテルやリゾートの開発が盛んで、海岸沿いの遊歩道もムード満点だ。すでに2、3の中規模のホテル・リゾートも運営中でレストラン街からも至近距離なので多くの観光客が訪れるものと期待される。 港にはアメリカの軍艦が寄港していた。今夜はスービックのバーやクラブはアメリカの水兵でごった返すことだろう。  定番のオーシャンパークやズービックにも足を延ばしたが、途中野生のサルの一家に遭遇した。しかし、残念ながらあの大型のコーモリは遭遇できなかった。  この日の収穫は和食レストラン「SAGANO」の体験だ。やはり地元の人の情報に基づいて行動するのが確かだ。開店間もない「SAGANO」はスービックのカジノの中にあり、大型の高級レストランでメニューも豊富、しかも24時間営業だ。個室もあり、レストランから直接カジノへも行ける。  メニューの一部を紹介するが、思いつく日本料理はほとんど網羅している。糖尿病患者定番の「サバ・バッテラ」を注文したが、マカティ・スクエアの「MARUCHAN」に比べてサバが厚くてボリュームがあった。値段もそれなりだったが、全体的にマカティ・スクエアの和食レストラン外に比べて2~3割高めのようだ。

スービック訪問(和食レストランSAGANOの紹介)2010年10月6日



フィリピンで永住ビザを取得する方法として、一般的に退職者ビザ(SRRV)とクオータビザがある。クオータビザは発行枚数が年間50枚と限定されているので、確実にビザが取れるのがSRRVだ。この他に、ノンクオータビザと呼ばれ、フィリピーノの配偶者に発行されるビザがあるが、フィリピーノと結婚している日本人から、質問されるのが配偶者ビザとSRRVとどっちが良いかという質問です。 確かに、配偶者ビザは2万ドル(50歳以上)あるいは5万ドル(35歳以上、50歳未満)の定期預金の要求がなく、簡単そうだ。しかし、例えフィリピーノと結婚していても、フィリピンに永住するのだと決意しているとしたら、SRRVを取得すべきだ。なぜなら、 SRRVは、 退職者が自分でビザを取り消さない限り一生有効なビザであり、退職者本人に決定権がある。退職者がそう希望する限り、一生フィリピンに滞在することが出来るビザだす。一方、配偶者ビザはフィリピーノと結婚している限り有効なビザで、離婚などすると権利を失う。すなわちフィリピーノ配偶者の意志で取り消すことが 出来るビザなのだ。すなわち、退職者が希望しても、相手の意志次第で取り消されてしまうのだ。その場合、改めて別の永住ビザを手配しない限りフィリピンに長期に滞在することができない。 さらに、配偶者との関係がうまく行っている間は、配偶者とその家族があなたを守ってくれるが、いったん仲がこじれると、もはや誰もあなた守ってくれない。しかしながら、PRAはSRRV保持者のフィリピンでの家族を標榜し、いつでも退職者の味方だ。政府機関があなたを守ってくれるという、強い味方がいるのだ。 一方、SRRVは簡単な手続きで、合計3週間程度で取得できるが、配偶者ビザはあれやこれやと色々な追加書類を要求され、4ヶ月程度かかかるようだ。しかも最初に発行されるのはProvationと呼ばれる仮のビザで、1年後再度申請しなければならず、大変手間がかかる。実際問題、手続きそのものの面倒くささは似たようなものなのだろう、要は取り扱う機関(イミグレーションとPRA)の姿勢の違いにあるのではないかと思う。

配偶者ビザと退職者ビザ、どっちが得か?


フィリピン名物がことごとく新政権の影響で廃止、そして復活する中、アンヘレスもその例外ではなかった。遅ればせながら、最近のマニラ新聞に「女性ら 200人を人身売買容疑で拘束」というニュースが載った。今更、売春容疑(新聞には人身売買とあるが)もなかろう、と興味津々だった。たまたまその日アンヘレスに行ったので、その辺の事情を地元に人に聞くと、昨夜、「Forbidden City(紫禁城)」など、4つの店に手入れが入ったというのだ。何故、その店が狙われたのか、100軒以上のクラブがひしめくこのフィールド通りで、見せしめなのか、警察へのつけ届けが滞ったのか、議論は絶えない。  昼食後、早速、フィールド通りを歩いてみると、まず、フィエスタと称しておかしな格好として歩いている団体に遭遇。しかし、フィエスタにしては人数があまり に少ない。タバコ市のフィエスタだって数十~数百人の学生や児童が可愛らしいダンス行進を見せてくれる。観光客のチップ目当てのグループか、などと勘ぐっ てしまう。  そして、確かにあの「Forbidden City」が「CLOSED」と、なにか誇らしげに閉鎖されている。他の店はどう かというと、相変わらずの盛況だ。まだ昼間なので開いている店は限られていたが、私のなじみの「VOODOO」などは座る席が無いくらいの盛況だった。同 行した退職者も「VOODOO」のいかにもフィリピンのゴーゴークラブといった雰囲気にいかにもご満悦だった。右の写真は最近人気のAgasyaの外観。韓国人経営で、日本人好みの女の子が多い。 この日は初めてフィールドの中ほどにあるカレーやさんに入ってみた。「Rikako Curry House」と称したこの店はいつも目にはとまっていたのだが、あまりにもローカルっぽいカレーやさんなので入るのが躊躇された。入り口には女性のヌード の絵など似つかわしくないものが並べられている。 メニューはもちろんカレー中心だが他にも若干ある。カレーの値段は忘れたが気にならないほどだから、200ペソ以下だったと思う。食べてみておやっと思った。当たり前の話しだが、カレーが辛いのだ。日本の辛口程度で、甘党のフィリピン人にはちょっと手が出ない。私には丁度良いが、果たしてこれで一般の 客は喜んでもらえるんか心配だ。フィリピン人用に甘口なんてのもメニューに加えたらはやるのではないかと思った。   […]

アンヘレス最近の話題 2010年9月20日



今年、3月31日に誕生した、私のPASCOの相棒ジェーンの赤ちゃん(6ヶ月)の洗礼式(バブティスマル)が添付の通り、10月9日(土)10時よりマカティ市セイクレッド・ハート教会(サンアントニオ・ビレッジ、セイクレッド・ハート通り)にて執り行われます。また、11時ごろからジュピター通りのルートン・マカオ(中華料理)で披露宴を行ないます。洗礼式はクリスチャンにとって非常に重要な儀式で、その子の社会へのデビューともいえます。なお、事前に出席、欠席をメールにてご確認願います。    

ジェーンの赤ちゃん(KIAN)の洗礼式のお知らせ 2010年9月18日


昨年の今頃、我が糖尿病の経緯について報告した。あれから1年、その苦闘は続いている、というよりはそれが生活の一部となっている。血糖値の測定、食事 のコントロール、そして散歩は日課だ。体重も60キロ代後半でほとんど変化がない。身長が177cmだから、理想的な体重を保っているといえよう。 とりわけ食事は海産物と野菜が中心で肉類はめったに食べない。たまに食べてもコロッケなど少々肉の味がする程度のものだ。元々肉の脂身が好きな方だから、 トンカツやステーキなど食べたら、あっという間に平らげて、血糖値もうなぎのぼりで、軽く200を超えて250位になってしまう。 ここ のところ足繁く通っているMARUCHANでは、2回に一回は「サバばってら」を注文する。あの油の乗っているサバがたまらない。後は寿司やコロッケ当た りが定番のメニューだ。いずれにせよ、元来の日本食を食べている限り、血糖値はほどほどにおさまっている。だから、やはり日本人は日本食があっているのだ ろうと納得する。しかも、フィリピンでは日本より安く日本食が食べられるのでありがたい。 日本人はつい最近までほとんど元来の日本食を食べていた。肉食が家庭に進出したのはつい、40~50年前のことだろう。子供のころ、すき焼きが滅多に無いご馳走だったことを憶えている。そして肉や乳製品は栄養・滋養に富み、健康増進に優れているともてはやされ、すき焼きやトンカツ、そしてカレーライス等が子供達の憧れのメニューとなった。また、最高級の牛肉が霜降り肉というくらい、脂肪は肉のうまみを左右する。だから、肉を食べるといやが上でも脂肪を大量にとってしまい、血糖値があがってしまう。 一方、数千年、数万年の間、肉や乳製品を食べ続けてきた西洋人は、肉をいくら食べても簡単 に血糖値は上がらない。なぜなら、インシュリンの出方が日本人とは違うのだ。一方、海産物と野菜中心の健康食で古来から生き続けてきた日本人は、ほんのこ こ数十年の肉食という付け刃では体がついてこない。だから、1千万人もの人が糖尿病予備軍ということになってしまうのだ。日本人よ、糖尿病が怖かったら、 日本人原点の食生活に回帰せよ、だ。  外食してカラオケなどに行くとどうしても散歩する時間がなくなってしまう。酒の量も進んでしまう。家に戻ってから恐る恐る血糖値を計ってみると、なんと正常値の110~120程度なのだ。ちょっと解せないので、一度日本の医者に聞いてみたが、そんな話は聞いたことが無いといわれた。きっとビールなどで血が 薄まってしまうのではないかと思うが、これは事実なので、夜のお誘いに対しては糖尿病を気にしないで付き合うことにしている。 […]

糖尿病体験記(その2)2010年9月14日



LAカフェが再開されたという話を聞いて早速取材に出かけた。エルミタのデルピラ-ル通りに行くと確かに開店していた。しかしながら、LA CAFEのLAが消えて、CAFEというネオンがだけが光っていた。また、名前はBAY CAFEと代わっている。早速写真を撮ると、ゲートのガードが写真撮影は禁止だという。せっかくブログに載せて再開を周知しようというのに、余計なことを言うものだ。 カメラをガードに預けて、早速、中に入ってみるとそこにはかつての賑わいがあった。しかし、奥の部屋は客が三々五々いるだけで、まだ再開のニュースは知れ渡っていないようだ。かつてのそれと一目でわかる外人客目当ての女性はそのままだ。彼女達もLAカフェの再開を首を長くして待っていたに違いない。 これで、ほとんどのマニラの名物は復活したことになる。   Bayカフェはチラッと中をのぞいただけで、デルピラール通りを歩いてみた。アマゾニアやバタフライは相変わらず営業しているが、中にはほとんど人はいない。なぜかLAカフェ(Bayカフェ)だけが相変わらずはやっているのだ。. デルピラール通りをUNアベニュー近くまで歩いたところで事件が起きた。ここまで来ると街のネオンも途絶えがちで、カラオケあるいはビアハウス言ってもほとんどがGROのお持ち帰りの可能な少々品の悪い店が多い。5mほど店が途絶え、暗くなったところで、新聞を腕に巻いた男が近寄ってきて、手を出してき た。物乞いにしては威勢が良い。ポシェットを触るので、先日のスリの経験の記憶もナマナマしい私は思わず手を跳ね除けた。そうするとにわかにすごんで、シノガリン・カ(うそつきめ)と訳のわからないことを言って、1000ペソ払えという。さらにもう二人の男が寄って来て囲まれてしまったのだ。当方はなす術もなく、立ち尽くした。同行した日本人がそれに気づいて、数メーター先からきびすを翻し、すごい形相で戻ってきた。それをみて3人の男は去って行き、事なきを得た。 教訓としては、こんなところに近づかないことだが、もし興味本位で出かけるとしたら、一人では絶対に行かないことだ。数人あるいはフィリピン人に同行してもらうのが間違いない。またさらにポシェットなど、大金が入っていると思わせるようなバッグなどは持たず、とられても惜しくない範囲の若干の金だけを持ち、さっさとくれてやり、その場を立ち去ることだ。 さらに悪いことは続いた。その夜、目にゴミが入った様でやけに目がむずがゆい、あるいは痛い。翌朝、目が真っ赤に充血しているので早朝、医者に行ってみる と、Sore Eyes(昔プールに行って感染した結膜炎のこと)だと診断された。目薬を処方されたが、数日は目の痛みとかゆみに煩わされることになってしまった。どうもデルピラール通りは私にとって鬼門のようだ。

LAカフェが復活(ただし、ホールドアッパーにご用心)2010年9月12日


マカティアベニューの繁華街をブエンディア/ジュピター通りから北へ500m位進んだところに「Great Eastern Hotel」あるいは「Aberdeen Court」というホテルがある。一泊1500ペソからという格安のホテルだ。ジュピター通りに近いブルゴス通り周辺に固まっているホテルが概ね 2000~3000ペソだから、ちょっと離れただけでかなりお得だ。      レセプションやウエイトレスは、とても家族的で優しい。だから私の友人はここを常宿として、マニラの夜の探検に余念が無い。ただしこのエリアの欠点は、もう一方の繁華街マカティ・スクエア周辺に20軒もの日本食レストランと15軒ものカラオケがあるのに対して、ここは「新宿ラーメン」一軒くらいしか日本食がない。カラオケも「ナポレオン」と「だいすき」の2軒だけで、もっぱら韓国や欧米人の食事どころあるいは遊びどころが多い。   しかしながら、一流ホテルのビュッフェが千ペソ以上するという昨今、このホテルのビュッフェは198ペソで食べ放題という優れものだ(土日は250ペソ、朝、昼、夜とも同じ)。もちろん酒類は別途だがアイスティーやデザートもついており、198ペソぽっきりで済む。1階というが、入り口からちょっと階段を下りたレストランの室内は一応、ホテルのそれで、そこそこの雰囲気もある。 料理の方は、見てくれは一流ホテルのそれと較べることは出来ないが、種類も豊富で、十分楽しめる。インド料理や日本食など余計なものは無いが、このホテルには中華レストランもあるので、中華料理もいくつかあって味も良い。この日も外から団体の客が来ていて多いににぎわっていた。

アバディーンのビュッフェが安い 2010年9月12日