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ビザのお世話をした退職者の接待で、シャングリラ・ホテルの和食レストラン稲菊で食事をする機会があった。マニラ随一の高級ホテル、シャングリラとあって、さすがに高級感あふれるレストランだ。写真の弁当は1700ペソと、私がよく食事をとるSAIKAあたりと比べると3~4倍の値段だ。さらに蒲焼定食は1400ペソと庶民にはちょっと手が出ない値段だ。 日本食はヘルシーということで世界的にブームになっている。しかも高級食と位置づけられていて、シャングリラに泊まるような外国人にとっては、この程度の値段は当たり前のようだ。だから客の入りもまあまあだ。一方、稲菊は世界的に展開しているそうで、ニューヨークなどにもあるようだ。  聞いた話によるとフィリピンは、日本よりも安い値段で日本食が食べられる世界で唯一の国と言われる。半値とまではいかないものの、昼ならSAIKAで定食が280ぺそから350ペソ(500円から650円)というのだからありがたい。特にパソンタモ、マカティスクエア周辺には20件程度の日本食レストランがしのぎを削っているので、味も値段も大満足だ。  大分前になるが、私のフィリピン駐在員時代に部下だっと女性に、子供がカレッジのホテル・レストラン・コースを卒業したので、どこか有名なレストランでの研修生として実習させたい、だから紹介してほしいと頼まれた。知り合いのフィリピン観光省に勤めていた日本人に頼んだら、この稲菊のチーフ・シェフを紹介してくれた。そこで紹介状を書いて受験させたところ、見事研修生として採用されることになった。大分感謝されたが、稲菊で実習を受けたとなると、確かに勲章ものだ。

シャングリラホテル 稲菊で食事 2012年2月12日


  2008年のNAIAターミナル3の開業辺りから、そのまん前に位置するエアポートシティのホテルやコンドミニアム建設の槌音が聞こえはじめた。遠くから見ているとよくまあこんなにというほどのコンドミニアムが建設中だ。  そして最新鋭カジノーリゾート・ワールドやマリオット・ホテルのオープンで一躍フィリピンの近代的街並みの一つの顔になりつつある。最近、ある退職者のサポートで、初めてコンドミニアムの内部に足を踏み入れる機会があった。コンドミニアム群の外観はほぼできており、年内にも一通り完成する見込みだ。  ここの売りは、すぐ後ろがビラモール海軍基地のゴルフ場でパブリックなので誰でもプレイできる。こここの住民は歩いてゴルフにいけることになる。また、ゴルフ場を臨む景色もおつなものだ。 コンドミニアムの開発はアヤラに継ぐ業界NO2のメガワールドが手がけており、価格は相場どおりの平米10万ペソ程度、30平米程度のスツジオ・タイプから70~80平米程度の2ベッドルームが主体だ。モデルルームの内装はすばらしいが、これは価格に含まれていない。

エアポートシティ訪問 2012年2月12日



  1月23日(月)はチャイニーズ・ニューイヤーで休み。この3連休を利用して、プエルトガレラに滞在している友人から誘われていたホワイトビーチに出かけた。サバンは何度も行ったことがあるのだが、ホワイト・ビーチは今回が初めてだ。プエルトガレラまでの道のりは前回詳しく報告したので割愛するが、マニラの南の高速道路SLEXとバタンガスまでのSTAR高速道路がつながっており、1時間45分でバタンガスピアに到着した。バタンガスポートからはホワイトビーチ行きの直行の船と、プエルトガレラまで行って、ジープニーでホワイトビーチまで行く方法があるそうだ。船は頻繁に出ているので、到着したらすぐに出航する船会社を選んで乗るのがよい。足代としてはマニラから一人往復1000ペソを見込んでおけば十分だ。  朝7時のバスに乗ったので、10時過ぎにはホワイトビーチについてしまった。そこはサバンに比べて大きなビーチが一つだけで、ゆったりとしている。一見、何もなさそうだが、船はビーチリゾートが立ち並ぶ繁華なエリアの端に到着するのだ。ここから先は今後の開発のために確保してあるらしい。 ボート乗り場から西に進むと海岸線に沿ってレストランやおみやげ店が立ち並び、サバンよりも繁華なくらいだ。特に刺青やさんがやたら目に付く(これらは休暇中に楽しむだけのにせの刺青とのこと)。今日は3連休の初日とあって、普段に比べてかなり混雑しているとのこと。友人の話によると、こんなことは、数ヶ月前に住み始めてから初めてのことだが、3月~4月の夏休みシーズンになるとやはり混みあうらしい。  ホワイトビーチの中心あたりからプエルトガレラ港行きのジープが出ているが、その辺には大型のホテルがひしめく。ホテル代は一泊1500~3000ペソ程度、私が泊まったホワイト・ビーチ・ロッジというホテル1500ペソだったが、ダブルベッドが二つおいてあって、二人で泊まるのなら十分な広さだ。これがピークシーズンになると2000~2500ペソくらいにはねあがるらしい。 この日は、韓国からの50人くらいの学生の団体が泊まっていたが、日本人などはほとんど見かけない。韓国人経営の大型ホテルもある。ホワイトビーチからちょっと入ると地元の街があるが、サバンに比べて平地が多く、人口も多いようだ。夜のお楽しみはサバンに比べて大分地味のようで、夜遊びがしたいならジープニーでサバンまで出かけていくことだ。  さらに西に行くと海外沿いに街がある雰囲気で広々とした海岸には物売りやマッサージの商売が繁盛している。 ホワイトビーチの西のはずれに行くと、ビーチが一望できて、ボラカイほどではないにしても1kmは優にありそうだ。砂は白いというよりも少々薄い茶色に近いが、これもボラカイとは比較にならない。しかし、マニラから遊びに来るには手ごろだ。  このビーチの特徴として、バナナ・ボートやジェット・スキーが盛んで、砂浜近くで走り回っているので、ちょっと危険なのではないかと心配にさえなる。バナナボートは一人200ペソ、パラセーリングが二人一緒に飛んで2000ペソ、ボートをチャーターしてアイランドホッピングが2000ペソ程度だ。しかし、ダイビング・ショップのお店に聞いたら1.5倍くらいの値段だったので、個人的に客を探しているボート・マンなどに直接交渉するのが安く済ませるこつだ。 ここの名物料理は魚、イカ、チキンなどのバーベキューで安いところはなんでも一つ100ペソで、4人でたっぷり食べて、飲み物も入れて、1000ペソで十分お釣りが来た。前回高いと思ったサバンに比べて、ここは物価が安いようだ。夕陽を眺めながら海岸に並べられたテーブルで焼き立てのバーベキューをビールを飲みながら食べるのは格別なものがある。

プエルトガレラ ホワイトビーチ訪問 2012年2月12日


     KIANにとってはホリー・ウイーク以来8ヶ月ぶりの農場の訪問だ。10人を越えるいとこ達の大歓迎を受けるが、KIANはいつも中心で、今から一族を率いて行く器の片鱗を見せる、Small But Terrible Boyだ。 200平米を越えるファーム・ハウスはどこもKIANの遊び場だ。平屋で階段がないから安心して動き回らせることができる。浴槽で水遊びをするKIAN と右の写真はウンチをしているところだ。フィリピンではおしものしつけは遅いからKIANにとってはどこでもトイレだ。  農場は広々としているから、遊ぶところがたくさんある。もう少し大きくなったら、一日中外で遊び回っていることだろう。  女の子の服を着せられてその気になっているKIAN。ちょっとオカマの気があるかもしれない。  水となると目がないKIAN。KIANにとっては洗車も遊びの一部だ。    ファームハウスの前の道を悠々と歩くKIAN。  大きな豚にちょっとたじろぐKIANだ。トライシクルもKIANにとっては格好の遊び場だ。  水浴びはKIANにとって最高の遊びで、冷たい水をものともせず優に1時間は水浴びをしている。最後は唇が紫になっている。  湯気が立つような暑い食べ物はフーフーして食べることもみようみまねでやっている。 […]

KIANの久しぶりの農場訪問2012年2月11日



今年の正月は日本から特別な客が訪れた。将来マニラに移住することを計画中の方で、マニラ観光や農場の体験ステイをしてもらったが、その方が非常に多彩才能をお持ちの方で、農場に到着するなり、とても素敵なスケッチを描いてくれた。  ビコール地方はマニラと違って、特別な乾季というものはない。だから、マニラの乾季に当たる正月でもよく雨が降る。しかし、今年はマニラでさえもこの乾季に雨がよく降るくらいだから、ビコール地方はほとんど毎日雨だった。だから、木々が瑞々しくて、かんがい用の用水路も水が豊富だった。         マヨン火山といえば、ほとんど毎日雨に隠れてほとんど姿を見せなかったが、12月31日はお客さんの出迎えとあって、その雄姿を見せてくれた。雨にかすむ姿も中々乙なものだ。  2枚目の絵は雲に隠れるマヨン火山だ。マヨンの中腹に多くはえているしだも大きく育って瑞々しさに色を添えていた。 動物はいつもと同じだが、雨が多いせいかブーゲンビリアは今一だった。  花の少ない中、大輪のハイビスカスが頑張っていた。

農場スナップ 2012年2月11日


   今年の正月は来客を案内してマヨン火山の周りを一周した。幸い天候にも恵まれ、周辺の見所を満喫してもらった。はじめに向かったのがマヨン展望台、少々かすんでいたが、我が農場やタバコの街がよく見えた。  次に向かったのが、農場とは反対側に位置するギノバタンのカーサ・バシリアというプール・リゾートだ。国道からちょっと入ったところにあるリゾートは看板もなくすこぶる分かりにくいが、なんとか見つけて昼食を取った。そこのメニューの売りは自然養鶏の鶏肉と、ヤギの乳だ。これはまさに我が農場が目指すところで、早速注文した。しかし、クリスマスで全部使い果たしてしまい、在庫がなくて賞味することはできなかった。           レガスピ市に近づくとダラガの手前に有名なカグサワ・ルーインがある。アクセスの道は、先の台風で再び流されてしまい、木造の橋が架かっていた。しかしながら、みやげ物屋はしぶとく商売を続けている。  礼拝堂の中から望むマヨンの頂上は雲に隠れていたが、手前の木とのコントラストがよかった。教会の塔の裏手の礼拝堂の壁の跡が歴史を感じさせる。  レガスピ市の空港の脇にあるのがレニョン・ヒルだ。このころ丁度マヨンが顔を出して、斜面に流れ出た溶岩を見ることができた。一方反対側はレガスピ市で手前の直線状の舗装が滑走路だ。今日は残念ながら飛行機の飛び立つところは見れなかった。

タバコ周辺の案内 2012年2月11日



 マニラ唯一の観光のメッカともいえる歴史地区イントラムロスに鎮座するのが出入国管理局、いわゆる入管あるいはBI(Bureau of Immigration)だ。観光、投資、就労、就学あるいは退職後の人生をフィリピンで過ごそうとする外国人にとって短期あるいは長期のビザを取得することは必須なことだ。観光省や投資庁などの政府機関も外国人誘致に躍起になっている。しかし、そこで立ちはだかるのがこの入管だ。国の発展のために外国人を受け入れる一方、国に害をなす不良外国人を締め出すのが入管の役割だが、我々善良な外国人にはむやみに意地悪をしているとしか受け取れない事象が頻繁に起こっている。退職ビザの売りが「退職庁が窓口で、入管と直接コンタクトをする必要がない」というのも皮肉な話だ。 イントラムロスにある入管の本部、内部は混沌としている その1 ACRの更新期限 最近、下記のような趣旨のメールがインターネットをにぎわせた。 {私がビザの代行をお願いした旅行社からのメールに、ACR-Iカードの更新に関する情報がありましたのでアップします。   2006年にACR-I カードが導入され、カード保有者はすべて、空港で税金を支払い出国できるようになったのです。非常に便利になりました。発行された当初、発行年月日の記載はあったのですが、有効期限には何の記載もありませんでした。永住ビザだけに永久的なカードだと喜んでいたら、入管がその後、有効期間は5年に限ると発表したのです。その5年が2011年なので、そのことを知らない永住ビザ保有者が出国のために空港に行き、出国審査を受ける段になって、「期限が切れているので出国できません、ACR-Iカードを更新してきてください。」といわれるのだそうです。「私は、そんなことは聞いていない、緊急事態で帰国するので、そんな時間もない。」と答えると、「それでは、出国を認めますが、再入国する際に、あなたのビザは失効し、観光ビザでしか入国できませんよ。」ということになるらしい。}    なんともはや融通の利かないやり取りで、入管の外国人永住者いじめとしかとれない。1年間くらいの猶予期間を設けるとか、帰国してから更新するとか、なんとでもなるではないかと誰しも思うところだ。ちなみに退職庁(PRA)が発行する退職ビザ(SRRV)保有者はこの ACRが免除されている。その代わりにPRAがIDカードを発行するのだが、これは有効期間が1年ないし3年で、更新が義務付けられている。したがって、退職ビザ保有者はPRA IDをきちんと更新している限りは何の憂いもない。しかも、このIDの更新についても融通が利くし、ACR保持者のように出国時に再入国許可を取得するためにお金を払うなどのわずらわしさもない。 イントラムロスにある世界遺産サン・アガスティン教会でミリタリー関係の人の結婚式が行われていた […]

入管にとって外国人は、頭痛の種かそれとも飯の種か?2012年2月11日


 先日、別れた直後の退職者の方から、電話があった。エルミタのホテル前でタクシーのドアを開けたところ、後ろから来た車とドアがぶつかって大きく傷をつけてしまった。警察に通報したところ、かけつけた警官らも含めて被害者らにさっさと金を払っておしまいにしろとよってたかって責められているという。 最近退職者を伴ってNBIにクリアランスの申請に行ったが、申請を待つ人々はビルの外まで行列を作っていた。これに並ばなければ退職ビザが取れないとしたら、ビザ申請者などはいなくなってしまうだろうと、ため息がつく。  私のフィリピン人の相棒に連絡して、すぐにかけつけるよう指示をして、現場に向かった。現場では二人の警官と、被害者(これもたまたま警官だった)に囲まれ、被害者の車の修理に1万5千ペソ、タクシーの修理に1万ペソ、合計2万5千ペソを支払って、終わりにしてしまえと退職者を執拗に攻めまくる。  被害者の車には確かに大きな傷がある。まず誰に責任があるのか明らかにして、ポリスレポートを作成してもらい、それに基づいて後日、示談の上話をつけようと主張したが、警官らは、そんなことをしても時間の無駄だといってとりあわない。フィリピーノの相棒の到着を待つように話しても、一体いつまで待たせる気かと、執拗に支払いを迫る。 アラバンのフェスティバルモールでつけまつげのクリニックを発見した。日本では、最近超ロングのつけまつげがはやっているが、フィリピン人には自然に超ロングのまつげをしている子が多い。だからそんな需要はないと思っていたが、どうもそうでもないらしい。 そうこうしているうちに、私の相棒が国家警察の幹部の旦那を伴ってやってきた。これでもう、安心だ。それまで強気に攻めまくっていた警官らが、国家警察の幹部を見たとたんに、ニコニコ顔で、「なんとかお金を払ってもらえませんか」という態度に一変した。「乗客が不用意にドアを開けてしまい、後続車に危害を加えたのはタクシードライバーの注意義務の怠慢であり、責任の大半はドライバーにある、したがって、乗客に支払い義務はない」というのが話し合いの結論だった。しかし、これでは元も子もないので、被害者の警官は、件の退職者は支払いの意志を示していると主張した。  退職者としては、パスポートを見せて名前があきらかになって、後日トラブルになっても困る、ドライバーに金がないから、この場を収めるには退職者本人が支払うしか方法がない、という考えだ。それなら、いくら支払う用意があるのかという問いに、1万ペソと回答した。示談となると私の相棒の出番で、被害者の警官はすぐにOKした。そうなるとタクシードライバーが黙っていない。自分の車も傷がついたのだから、俺にも払えといって聞かない。そもそも自分の過失のはずなのだが、退職者が支払ったということは退職者本人の過失を認めたのだから、タクシーの損害に対しても賠償しろというのだ。相棒は、腹を立てて、そうであれば、1万ペソの話はなかったものと、お金を被害者の警官から取り上げてしまった。    そこであわてたのが、被害者の警官たちだ。そうなったら元も子もない、ドライバーを逮捕したところで一銭の得にもならないし、さらにごたごたすると国家警察の幹部を前に顔がつぶれてしまう。ごたくを並べるドライバーをタクシーに押し込んで黙らせてしまって、一件落着となった。退職としては1万ペソでけりがついたので、ほっとした様子だった。 モスリムがたくさん住んでいるタギッグ(ボニファシオグローバルシティの北)から地鶏の卵を売りに来た少女たち。彼らに甘い顔をしていると、隙を見てものを盗むかもしれないと、マムジェーンは油断を怠らない。  この日は日曜日で、相棒の旦那の国家警察の幹部が休みで時間が空いていたので、大変ラッキーだった。そうでなければ、退職者としては、たとえ自分に罪がなくても、不用意にドアを開けて原因を作ったのは自分だし、ある程度の金を支払っておしまいにするしか方法はない。特に支払能力のある人間を責めてお金を払ってもらわない限り修理代も出ないから、被害者(警官)とかけつけた警官が退職者を攻めまくって金を払わせようとするのがフィリピン流だ。  帰りの車中で、件の国家警察幹部の旦那は、正義を守るはずの警官が、こんなことでとても恥ずかしい、申し訳ないと、退職者に頭を下げた。確かに日本であれば、ドライバーに責任があって、乗客にはお咎めはないはずだ。それを金がある者から損害を負担させるというのは、日本では理屈が通らない。  今回は力強い助っ人が駆けつけたからよかったものの、不慣れな外国人がこんな目に遭遇したらどうしたらいいのだろうか。腹を立てて警官を怒鳴りつけたりしたら、事態はますますややこしくなる。「大使館に連絡して、大使館員が来るから少し待ってくれ」などと時間を稼ぎつつ、少しでも少額ですむようネゴするしかないだろう。もちろん、その辺に通じた友人(できればフィリピン人の)がいれば飛んできてもらってネゴしてもらうことにこしたことはない。

ある退職者の災難の教訓 その3  2012年1月20日



 12月23日早朝、ちょっと早いクリスマス・年末・年始の休暇をとって、皆でビコールの農場に向かった。8ヶ月ぶりに空港に降り立ったKIANは間近に見る飛行機に興味深々、得意の指差しをする。  従来はPALとCebu Pacificだけだったが、最近はAir PhilipineやZest Airなどの国内便も就航し、選択肢が広がっている。いつも活発なKIANは広々とした飛行場にごきげんだ。 シートベルト着用のサインが消えると同時にママ・ジェーンの許しを得て、機内を歩き回るKIAN。周囲に愛想をふりまいて、誰彼となくアピアー(手の平をあわせるサイン)をして周囲の関心を引いている。       スチュワデスにも遠慮がない。私の隣の二人のお嬢さんは可愛い可愛いの連発で、ちょっと抱かしてあげたら、大騒ぎをして喜んでカメラをパチリ パチリ。フィリピーノの子供好きは格別だ。  レガスピ空港に到着すると絶景のマヨンがそびえていた。件のお嬢さんはマヨンをそっちのけにしてKIANの写真を撮るのに夢中だった。 8ヶ月前、1歳の時にやってきた時のことを果たして憶えているのだろうか。神妙な顔つきで必死に記憶の糸をたどっているように見える。  我々はセブパシフィックで到着したのだが、すぐ後にZest Airの飛行機が到着した。最近は2機が同時に空港に駐機している。午後もセブパシフィックとPALが同時に来る。レガスピ空港も忙しくなったものだ。ちなみに空港に到着したらリニョン・ヒルという展望台に上ってみることだ。そこから乗ってきた飛行機が飛び立つところを上から見ることができる。 農場に着くと、早速、忠犬アイスの出迎えだ。アイスについては互いにしっかりと憶えていたようだ。

KIANのビコール行き 2012年1月15日


 クリスマスは敬虔なフィリピーノにとっては1年で一番大事なイベントだ。地方では大都市に出稼ぎに行っている人々が皆、家族の待つ田舎へ帰る。タバコも例外ではない、街は、いつもの倍の人々であふれる。  タバコの中心、シティホールの前の広場は電飾で飾られ、久しぶりの再開を喜ぶ人々で夜中までにぎわう。  シティホールの前にしつらえられた特設舞台では歌自慢の子供達が、自慢のクリスマスソングで人々を迎える。 そして正月を迎えるために花火と爆竹は欠かせない。この日のために10軒ほどの花火やが軒を連ねていたが、もう今年も残り少ないというのに、たくさんの花火が並んでいる。売れ残ったらどうするのだろう。年をあけて来年になったら買う人もいないから、年内に売りつくしてしまおうと必死だ。しかし、買う人はほとんど見かけない。毎年多くの人が花火で怪我をしたり、命まで落としてしまう人がいるという。

クリスマス・イン・タバコ 2012年1月15日