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先週の土曜日(21日)、退職者の方がゲストハウスに移るため、マラテに迎えに行った。この日は明け方から強い雨が降っていて、途中道路冠水していると思われたが、試しに出かけてみた。これは、ルソン島の東方沖に発生した熱帯性低気圧(ファーディー)の影響で、ルソン島北部に大雨をもたらし、マニラにも強い雨が降ったもの。この時期は、月に数回、こんな雨が降り、10~11月の雨期明けまで続く。 案の上、主要道路は10~20cmの冠水で、なんとか通れたものの、脇の道路は50cm程度冠水して、車も人もおらず、人々は水が引くまで家に閉じ込められている様子だ。 それでもマラテに近ずくと勇気ある人々が自転車を漕いで商売に励んでいる。乗用車は恐る恐る脇を走る。  ところどころ立ち往生している車や自転車が放置されており、人影は見えない。 こんな時は、トラックやSUVでないと安心して走れない。いつ何時エンジンが止まって、車を放置する羽目になりかねないからだ。 歩道にまで冠水が及ぶと人々はすそを折り曲げて道路を横断するしかない。しかし、そこに口を開けたマンホールがあったりすると一大事、ドブネズミになってしまう。  勢いよく走るトラックが起こす波にふらふらになって走るファストフードのデリバリーのバイク。家に閉じ込められた人々に食料を運ぶ彼らは、転んではならじと必死に走る。倒れてしまったら、ビザやハンバーガーは売り物にならず、配達員が弁償しなければならないから、命がけだ。  こんな時に役に立つのがサイドカーつきの自転車だ。かれらは人力だから、濡れてもへっちゃらで、稼ぎ時とばかりに、街の主要な交通手段になる。  人通りもほとんどない通り。こんな時に出かけていくのは我々ぐらいのもの好きだろう。結局、目当ての場所には近づけず、午後に出直す羽目になってしまった。 ちなみにメトロマニラの唯一の排水先ともいえるパシッグ・リバーは、普段でも満潮時は水位が地面より高くなり、すべての排水路は水門を閉めて逆流を防ぐ。だから、雨と満潮が重なると雨水はたまる一方で、簡単に道路冠水を引き起こす。メトロマニラはほとんど平だが微妙に高低差があって、低いところは簡単に腰ほどの高さまで水が来て動きが取れなくなるので、住宅の選定は雨季にするのが無難だ。

フィリピンは雨季の真っ只中 2012年7月25日


     今回の農場訪問は、農場を横断する水路の道路横断カルバートの改修工事と養子縁組予定の赤ちゃんとの面会だった。カルバートの建設は前回のブログでも紹介したとおり、本格的雨季を控え、家を洪水から守るもの。赤ちゃんは、ある日本人の依頼で赤ちゃんを探していたのだが、両親の希望で、ジェーン一家が預かることになってしまったもの。       ママ・ジェーンに連れられて、第3ターミナルをカートに乗って移動するKIAN。先日の誕生パーティでもらった熊の帽子をかぶってご機嫌だ。 搭乗手続き中も空港ロビーの中を走り回って忙しいKIAN。 係りのお姉さんと親しげに会話する(?)KIANだ。フィリピン人にとって無邪気な子供は天使なので、邪険に扱う人はいない。 4月に乗ったばかりの飛行機だから、KIANにとっては、もはやおなじみの光景だ。 飛行機の中でもKIANのやんちゃ振りはとどまることをしらいない。 毎日雨模様の天気だが、訪問中は比較的晴天が多く、カルバートの建設工事もはかどった。マヨンも時折顔を見せてくれた。4頭いる牛は相変わらず草を食べる毎日だ。 今回の訪問の主役は、子沢山の若い夫婦から預かったアンヘロ君、2ヶ月。KIANは見向きもしなかったが、おばあちゃんの興味がもっぱら、アンヘロに傾いているのを察知して、隙を見てはアンヘロを攻撃する。 今回突如として農場に現れ、ただひたすら眠り続けるアンヘロをKIANはどのように位置づけたらよいのか、見当がつかないようだ。 久しぶりに会ったいとこ達やおじさんやおばさんに大喜びのKIAN。 何かと「モンキー」と言って、家の外に出たがるKIANだが、子供を見ると攻撃しようとする猿におっかなびっくりのKIAN。 農場の養魚池の脇に小屋を作って生活するおばあちゃんの姉夫婦。旦那さんは今回のカルバート建設で活躍してくれた。       […]

KIANの農場訪問(弟との初対面)2012年7月15日



   本格的な雨季を控えて、農場を横断する水路の道路横断部(カルバート)改造工事を行った。特に家の脇を流れる水路については家の周りが冠水する恐れがあるので、可及的速やかな工事が必要だった。ここには直径60cmのコンクリートパイプが埋められていたが、ちょっと大雨が降ると簡単にオーバーフロー(越流)して道路が水浸しなった。そこで、上下の水路にあわせてV字型の水路に替えて流量を3~4倍にする計画だった。  しかし、いざ水路を覆うコンクリート製の床(スラブ)を壊し始めたら、それが大変な工事であることがわかった。なにしろ建設機械を使わず全くの手作業だ。スラブのコンクリートを壊すだけで一週間かかってしまった。さらにコンクリートパイプの周囲のコンクリートを壊すのにどれだけの時間がかかるか見当もつかない。そこで方針を変更してV字型の水路はあきらめて矩形の水路にすることにした。しかし、パイプの深さのままでは元のままなので、パイプの下を掘って深さをほぼ倍にした。          これで水路の断面積は2倍、さらに深さを増したために流速が2倍になると期待され、合計で4倍の水を流すことができる。これで雨水のオーバーフローも解消されることだろう。 水路を完成させるために、水の流れをせき止めて仮の水路を作り、カルバートの中をドライにする必要がある。その辺の段取りは、普段農夫として働いているダニーが詳しい。彼はかつで出稼ぎの建設労働者として働いていた経験があり、ほとんどすべての建設工事をこなす万能選手だ。土嚢で流れをせきとめ仮の水路をつくる手際は見事だった。  流れはあっという間に方向を変えられてカルバートの先に流れ込む。カルバートの中は多少の水が流れるだけだ。  水路ができるととたんに登場するのが子供達だ。浅い水路は子供達の格好の遊びと化した。水遊びの大好きなKIANも早速仮水路に飛び込んで大喜びだ。 セメントを買い付けて、いよいよ水路の壁面の工事だ。10年前、家の工事を始めたころ50kg入りのセメント一袋が60ペソだったが、この日買い付けたセメントは一袋、220ペソと4倍近い値段に跳ね上がっていた。 砂とセメントに水を混ぜてモルタルを作る。そして大き目の石やコンクリ-トの塊をモルタルでつないで壁を作る、いわゆるリップラップという方法で水路の壁を補強していく。 作業はダニーの指示の元にマミーの姉の亭主、この人も元建設労働者の経験者だ、そして私の息子が作業をする。  ダニーは水の残った水路のそこには空練りのモルタルを放り込み、その上に石を置いて基礎とするなど、一応土木エンジニアーを生業としていた私も舌を巻く知識だ。          3人の呼吸がかみ合って、瞬く間に壁が出来上がった。壊すのに1週間、作り始めたら2~3日で完成しそうな勢いだ。しかし、この翌日、電気の引込み線が燃えてしまって、配線工事をやらなければならにということで、ダニーが欠けてしまい、残りの二人で水路の工事を完成させた。 さらに翌日水路のそこをモルタルと石で仕上げて、あとはスラブの工事だけとなった。私は仕事の都合で帰ったが、あとは決まり決まった工事なので問題はないだろう。 […]

カルバートの建設工事 2012年7月8日


  私の20年以上の友人で建築屋のフィリピン人にKIANが、彼の孫のNathanちゃんの1歳の誕生日に招待された。以前KIANの誕生会を紹介したが、フィリピンでは1歳の誕生日は特別で、友人や親戚を集めた盛大なパーティでに赤ちゃんを紹介し、世の中への第一歩を祝い、そして、この子の将来のサポートをお願いするのだ。そのために、盛りだくさんの料理や出し物で招待客を振る舞う。しかし、当の赤ちゃんは何もわからず、ただ戸惑うばかり、KIANの時も熱を出して具合の悪いKIANにとってはとんでもない迷惑だった。 会場は、マカティでも最高級のコンドミニアム群が立ち並ぶロックウエルのコンドミニアムの1階のファンクションルームで開催された。Nathanの母親(私の友人の娘)は30代でネッスルのバイス・プレジデントに抜擢された名門ラサール大学出身の才女だ。 他人のパーティを乗っ取ってしまうのが得意のKIANは会場に入るなり、舞台に上がって、音楽にあわせて得意のダンスを披露している。パーティではいつも自分が主役と思い込んでいるKIANだ。そんなKIANを観客も大喜びをして、パーティを盛り上げている。 主催者の親戚の女の子に気に入られて談笑するKIAN。 招待客の主役は子供達だから舞台の周りは子供用のテーブルと椅子が用意され、さながら幼稚園のようだ。 会場の外のガーデンの一角にしつらえられた料理は100人前、ケータリングサービスのウエイトレスが料理を盛ってくれる。KIAN(中央)は必死に曲芸を見つめる。 曲芸や腹話術で子供達を楽しませることは誕生会の必須事項で、曲芸には夢中になっていたKIANは腹話術は意味がわからず飽きてしまっていた。 恒例の誕生ケーキに親子でロウソクを吹き消すセロモニー。KIANも遠くから息を吹いて応援している。 会場は風船で飾られ、ポップコーンや綿菓子などの屋台も出ている。 この写真が友人だが、70歳に手が届こうというのに、髪は黒々として、まだまだ現役のバリバリだ。Nathanは終始知らん顔だった。

KIAN、1歳の誕生会に招待される 2012年6月28日



  6月9日(土)、所要で日本に出張したが、最近、マニラー成田間に就航したジェットスターを利用した。ジェットスターはオーストラリアのカンタス航空の子会社だが、片道の航空運賃が基本的に160ドルで既存の航空会社に比べて半値に近い。荷物の預け入れや食事、飲み物などすべてのサービスは別途料金だが、4時間程度の旅行には不要だ。しかも片道だけでも同じ値段で買えるし、従来の航空券に比べて格段に使い勝手が良い。クレジットカードさえあれば、インターネットで簡単に予約と発券ができる。ただ、水曜と木曜の便がないので、ちょっと予定が立てにくいのが難点だ。  マニラ発の航空券を買う場合は、日本の格安航空券のように往復がFIXではなくて、変更の効く普通航空券を買うのだが、価格は6ヶ月有効のもので日本の格安航空券並みの600ドル程度だ。ジェットスターの航空券はマニラで買っても日本で買っても同程度の価格で、しかも若干の手数料で日程の変更が効く。しかも意外と満員ではなくて、多少価格は高くなるが、前日でも予約できるようだ。  飛行機はセブパシフィックのローカル便に使われているエアバスの小型のものだ。しかし、乗るほうにとってみれば、飛行機の大きさなど関係がない。しかし、朝の6時55分発というのは少々早すぎ、おまけにターミナル1なので家を4時半に出なければならないのが、ちょっと欠点だ。 今回、チェックインする荷物は無しとしたが、急遽、ノニジュース(糖尿病などの健康食品)をおみやげに買ってきて欲しいと頼まれた。気軽に OKしたのだが、考えてみると液体は飛行機に持ち込めない。そこでチェックインカウンターで荷物を預けたいと申し出たら、機械の故障とやらで、アップグレードの扱いになって160ドルかかるという。本来ならば28ドルの追加でよいはずだ。それでは一人分の運賃になってしまうと抗議したら、とりあえず、ノニを別途カウンターに預けて、ボーディングゲートで返すから、そこで荷物を預けて欲しいと告げられた。何のことやら良くわからないでOKしたが、ボーディングの時にノニを返してもらい、バッグに入れなおして、預け入れの荷物とした。もちろん無料で、なかなか洒落た取り扱いをするものだ。  朝もやに煙るルソン島、なかなかの景色だ。一眠りしようと思ったが、背もたれがあまり動かず、ちょっと寝るにはかったるい。  機内は国際線にしては少々お粗末。DVDは携帯型のタブレットを頼めば楽しめるが、現金は使えず、すべてクレジットカードで処理しなければならない。軽食や飲み物を空港で買っていくことが必須だが、ペットボトルの水を持ち込むことは禁止されていた。 無事に成田に到着。昼過ぎには到着するので、余裕がある。帰りも夕方の6時発なので、横浜の自宅を昼食後に出発すれ場十分。マニラには夜の10時ごろ到着するが、初めてマニラに来る方にはちょっと不安があるだろう。  成田エクスプレスのチケット売り場に行ったら、総武線の船橋駅近くで人身事故があったとかで、横浜直通の電車が動いていない。ちょっとあわてたが、すぐ隣のカウンターでリムジンバスが20分おきぐらいに出ているということなので、問題なし。YCATからなら、たとえタクシーで帰っても知れている。しかも YCATは横浜駅の東口に移動しており、あるいて横浜駅までいけるそうだ。  しかも、シニア割引で(65歳以上)、3500円が2000円、特急の成田エクスプレスの半額、エアポート成田の普通とほとんど同じ値段というのがうれしかった。しかも土曜だったので、YCATまで1時間半で到着、成田エクスプレス並みのスピードだった。久しぶりに訪れたYCATもきれいに整備されていた。次回からはリムジンバスを利用しようと心に決めた。 16日の帰りは息子も同行したが、当初仕事の都合で19日に予約した。しかし、仕事がキャンセルになり、急遽16日に変更した。変更手数料3000円と運賃の差額1万円ほど払って変更できたそうだ。しかも私の隣の席までとれた。ジェットスター(格安航空)万歳だ。

格安航空ジェットスターに初搭乗 2012年6月24日


  6月も半ば近くというのに日本は肌寒かった。しかし、フィリピンに帰った直後、台風一過の日本は30℃を越える真夏日だったそうで、この寒暖の差は年寄りにはこたえるだろう。  庭の梅の木はそろそろ収穫時で、おいしそうな実をたわわに実らせていた。 人と会うために関内の伊勢崎町を訪れたが、有燐堂には我が「金無し、コネなし、フィリピン暮らし」(右中段)が並べられていた。 平日のせいか伊勢崎町は、さほどの賑わいはなく、通りすがりの人の話す声を聞いてみると、ほとんどが中国語や韓国語で、日本もいよいよ外国人が闊歩する場所になったのだとつくづく感じる。 6月が旬のアジサイがいたるところに咲き乱れていたが、このアジサイはミルクに薄いピンクがかかり、なんとも味わいのあるアジサイだ。 6月15日は二人目の孫娘、夕芽(ゆめ)の1歳の誕生日だ。しかし、それまで元気に遊んでいたのが夕食時になると眠ってしまい、夕芽抜きの誕生会になってしまった。  夕芽の代わりに主役を演じたのが姉の結月(ゆずき)だ。久しぶりに両親のじっじとばっばがそろったので、すこぶるご機嫌だ。  この日、久しぶりに私と会って、まずは写真館で記念撮影、その時は、そっぽを向いて知らん顔をしていた。しかし、私の自宅によって、お土産をたくさんもらって、自分の家に戻ったら、私に対する態度が急変した。レゴで遊ぼうとか、私にくっついて離れようとしない。やはり女を口説くにはプレゼント攻勢が一番で3歳の子供にも通用するらしい。 幼稚園の年少に通いはじめて制服もイタについた結月。得意そうに見せびらかせてポーズをとっている。 食後、嫁さんのご両親がフィリピンに旅行された際のビデオ鑑賞会が始まった。プエルトガレラやマニラを見学したのだが、そのとき行ったカラオケ「夢の中へ」がとても面白かったと感想を述べていた。  ビデオ鑑賞かが終わるころにはすっかり眠くなり、夢後心地の結月。ひごろヤンチャで陽気なKIANを相手にしているせいか、女の子はどう扱っていいのか戸惑う一日だった。しかし、寝顔は世界共通で無邪気なものだ。

半年振りの日本は肌寒かった 2012年6月24日



 コロナ最高裁長官の弾劾裁判がたけなわのころ、息子とタクシーに乗って色々話をしていたが、ラジオのボリュームが大きすぎて話ができない。ドライバーにボリュームを下げるようリクエストをしたら、今大事な番組をやっている、国民は皆、ことの行方に夢中になっている、とえらい剣幕で文句を言われた。結局ドライバーはラジオのボリュームを下げず、弾劾裁判の中継に聞き入っていた。なにしろスピーカーは後部座席の耳元にあるので、わけの分からないタガログでがなり立てられたのではたまったものではない。件のドライバーは客がどうのというよりコロナ長官の私財の詳細についての暴露に夢中になっていたのだ。 最近はほとんどのタクシーは白い車体で、区別がしやすくなった  ちなみにタクシーに乗るとドライバーはボリュームを上げる。これは彼らにとっては客へのサービスのつもりなのだ。それをうるさいと言ってボリュームを下げさせるのは、一説によると日本人くらいのものらしい。今回も、大事な番組だから、我々も聞き耳を立てるべきだと説教していたのかもしれない。しかし、いくら言われても、我々はタガログ語が理解できないから、雑音にしか聞こえない。 別の機会に、口笛を吹くドライバーにお目にかかった。気持ちよさそうに運転中口笛を吹き続けているのだ。この口笛は、ドライバーに限ったものではない。セキュリティーガードも退屈そうに口笛を吹いているのを良く見かける。昔、駐在員として子会社の経営をしていたころ、社員が口笛を吹きながら廊下をあるいているのを注意するよう部下に命じた。これに対し、それは無理だと拒否された。彼はとても気分を良くしているのだから、それをとがめたら怒る、というのである。 それを思い出してドライバーに口笛を止めるようには言わなかったが、その口笛はタクシーを降りるまで続いた。  退職者の方で、タクシーを苦手とする方が多い。乗るときあるいは降りるときの値段の交渉がいやだというのだ。悪いドライバーは平気でメーターの2~3倍を吹っかけてくる。色々交渉して、1.5~2倍くらいで折り合いがつくのだが、それが面倒だというのだ。高くてもいいから正規料金をすっきり済ませたいのが日本人だ。最近では空港のイエロータクシーでさえも料金をごまかすので始末が悪い。 空港の送迎専用のタクシーは黄色で、ナンバープレートはレンタカーの分類となっている  確かに、最近はガソリンが高止まりして、初乗り35ペソを40ペソに上げたのも焼け石に水で、まともにやっていたのでは、一銭の稼ぎにもならないだろう。首都圏の万年渋滞もこれに輪をかけている。車の値段やガソリン代は日本と大差がないのに、初乗り40ペソ(80円)というのは奇跡の数値だ。タクシーのドライバーでなくても2倍や3倍に吹っかけたくなるのも無理はないだろう。  さらに、つりをまともに返すドライバーはめったにいない。60ペソ以上の料金で100ペソ払うと、サンキューといってほとんどの場合はそのまましかとしている。私としては20ペソよこせと催促するのだが、言えばちゃんとよこす。いずれにせよ、面倒なやりとりを毎回繰り返さなければならないのは、退職者にとってはいかにも面倒なことだ。  それにつけても、しゃくに障るのは、必要なときにはめったにつかまらないのが、タクシーだ。乗客を乗せていないのに素通りしていく。そして逆に必要のないときに、やたらと声をかけてくるのだ。雨の日の夕方などはタクシーを捕まえることははなからあきらめておいたほうが良い。

フィリピンのタクシーは公害か 2012年6月6日


  近所にこんなに立派なモールがあるなんて、長いこと気がつかなかったが、この日は一階のスーパーで買い物を終えた後、2階と3階を視察した。  1階には各種チケット(Cebu Pacific)、手紙や小包の発送(FEDEX)、送金(Western Union)さらにマネー・チェンジャーなどが一緒になった事務所があって、なかなか使い勝手のよさそうな店がある。特にマネーチェンジャーは円やドルの売りのレートが表示されたおり、ペソを円やドルに変えることができそうだ。これでトラベラーズ・チェックも扱っていたら、鬼に金棒というところだ。  長いエスカレーターを上ると、そこは近代的なモールだが、決してグロリエッタのようにブランド店だけが並んでいるわけではなく、庶民的な店も多い。 広々としたエリアにまるでデパートのブースのようになっているが、それらは独立した店で、ちょと普通のモールとは雰囲気が異なる。 フードコートも清潔で充実しているが、客足は今一だ。 2階と3階は吹き抜けになっていて、開放感がある。この日はざっと眺めて帰ったが、輸入品(密輸品?)なども多く、掘り出し物がありそうだ。

スーパーマーケットの老舗 Cash and Carry(その2)2012年6月6日



息子を農場に残し一足先にマニラに戻ったが、今回の訪問の一番の収穫は、タクシーの発見だった。空港でタクシーが客待ちをしていて、農場まで700ペソ足らずで直行してもらえるのだ。約40kmもあるのだから安いものだ。フィルキャプをチャーターする手もあるが、まずターミナルまでトライシクルで行かなければならないのが辛い。  さらに帰るときは、電話一本で農場まで迎えに来てもらえる。しかも料金は一緒で、出迎え料はとられない。これで空港から農場までの足が飛躍的に向上した。前回CRVをマニラにもってきてしまっているので、この点が問題になっていたのだ。人数が多いときはバンを空港でチャーターすることもできるようだ。  息子がついでにビザの延長をしたいというので、ジェーンの実家に寄って義姉のノーマをピックアップしていった。そのとき、すでにビアンカが一緒で車は満員だったが、ダシンやデバインも同行すると言い出して、総勢6人になってしまった。仕方なく二人分の席が必要なデバインはバスで空港へ向かうことになった。一方この日は晴天で、タバコの街のいたるところでマヨンの雄姿を望むことができた。 空港のマヨンも絶景だった。こうなると飛行機は是非右側の窓側を取って撮影に備えなければならない。  早め出発で朝食をとっていなかったので、チェックインのあと皆で来るク食事をとった。食後タバコを吸いに外へ出たら、空港全域が禁煙で、困ったものだとうろうろしていると、「志賀さん」という声がかかった。するとそこには旅行中の「I」さんの姿があった。前にブログで紹介した4年前のスービックとクラークを一緒に旅した人だ。 ちょっと雲がかかり始めたマヨンだが、相変わらずの姿に乗客は写真撮影に忙しい。   レガスピの街もばっちりだ。 マヨンの風景もばっちりだが、かなり雲が出始めていたのが、ちょっと残念だった。 セブ航空が発着するターミナル3にお目見えの新しいクーポンタクシーの料金表。メトロマニラとそれ以外の長距離サービス料金も詳細に記載されている。セブパシフィックやANAなどでフィリピンにやってくるとターミナル3に到着するので、是非この看板を目印にして、空港職員の口車(タクシー・タクシーと盛んに声をかけてくる)に乗って割高のレンタカーを利用しないように気をつけよう(画面をクリックして拡大してみてください)。      

マヨンに見送られてマニラへ帰還 2012年6月5日


 重量級のKIANの抱っこの要求に答えるために、右肩と左の肘の痛みが慢性化していたが、最近、にわかに腰痛が加わり、寝返りをうつのもはばかれるほどになってしまった。寝ている間は腰痛は収まるものの、肩の方はちょっと腕の置き方がまずいと、寝ている間も痛み続いて安眠できない。そのため、昼間もなんとなく疲れ気味で仕事にも身が入らなくなっていた。  椅子やベッドから立ち上がるにも腰に負担を与えないように何かにつかまって立ち上がる有様だ。歩き方もなんとなく腰が曲がっているようで、いよいよロロ(おじいさん)の様相を呈してきた。マッサージに毎日の様にに通い、テラピストと格好いい名前で呼ばれているマッサージ嬢に、肩や腰の痛みを訴えても、一向に相手にされない。彼女達は癒しを与えるのが専門で痛みをとる治療を行う医師ではないのだ。だから、中には正直な子もいて、盛んに医師に相談するよう勧める有様だった。  こんな調子では引退も間近と気が弱くなっていた。件の農場に引っ込んで年金で暮らそうか、しかしそうするとビジネスの相棒や、私を頼りにしている退職者に大いなる迷惑をかけるなどと真剣に考え始めていた。  そして、昨夜、古いフィリピン人の友人に、この話をした。そうしたら、彼もしばらく前に背中の筋肉の痛みに悩まされ数週間どうしようもない状況に陥ったとのことだった。それで薬局に相談したら、何とか言う薬を勧められ、三日ほどで完治してしまったそうだ。その後も、痛みが再発することは決してないという。  そこで、食事のあと、一緒に近くのマーキュリー・ドラッグ・ストアを覗いてみた。彼は、あれこれと薬の説明をしてようやく件の薬が現れた。ARCOXIA AC 120mg、一錠が76.75ペソと割と高い薬で、とりあえず4錠を買い求めた。       その夜もマッサージ嬢を呼んでいたので、とりあえずマッサージを受けた。肩と腰の痛みを訴えても馬耳東風のようで、何もしてくれなかった。しかもうつむきで腕を開いていると肩が痛くて、途中でマッサージをギブアップするほどだった。腰の痛みもマッサージの後、返って倍増したような気がした。  そこで、件の薬を一錠飲んで眠りについたが、翌朝、なんと、この痛みの80%位が消えていたのだ。腰はほとんどなんともないし、右腕を上げてまわしてみてもほとんど違和感がない。さらに左肘の骨の痛みも感じない。これなら三日もすれば完治するはずだ。ためしにKIANを抱っこしてみたが大丈夫。まさに感激の一瞬だった。  その昔、同僚の人で、肩の痛みがひどく、マッサージ、針、整骨、電気治療、何をやってもどうしようもない、と出張中の新幹線の中で訴えていた人がいた。そこで母からもらってしまっておいた「百歩蛇神経丸」という台湾製のわけのわからぬカプセルを、だめもとで試したら、と差し上げた。そうしたら、良くなったから是非一瓶手に入れて欲しいと頼まれた。他にも、この薬を上げた翌日に腰の痛みが劇的になおってしまった、という人もいた。  当時は腰痛も何もなくてその薬のお世話になる機会はなかったが、今回は「百歩蛇神経丸」ならず、ARCOXIA ACで同じ経験をさせてもらうことになった。  

肩や腰の痛みに特効薬ARCOXIA AC錠 2012年6月5日