shiga


 2月15日、仕事上関係のある人物のお母さんの葬儀に参列した。この人のお姉さんは某有名大学のオーナーに嫁いでおり、そのオーナーの義理の母の葬儀ということになる。要はフィリピンのお金持ち一家の葬儀というわけでパラニャケの立派な葬儀場の1階を借り切って行なわれた。  葬儀場の中は献花で埋め尽くされていた。有名大学のオーナーの母親だからフィリピン商工会議所などをはじめ100本を越す献花が所狭しと並べられていた。  葬儀はいろいろな人が挨拶や歌を歌ったり、あるいは写真をスクリーンに映し出し、亡き母との思い出がつづられていた。おひつの横には等身大の像(写真)がおかれ、たったの1~2日の内に大変な準備が行なわれ、さぞかし忙しかっただろうと想像される。これが最近のお金持ちの葬儀のトレンドなのだと感心した。  最近はジープニーに乗るのが趣味になり(実は車が故障しているので)、葬儀のあったパラニャケからジープニーを3回乗り継いでマカティに帰ってきた。ジープニーに乗ると今まで見えなかった街並みが見えてマニラを再発見をするようで楽しい。この日はジープニーの乗り換えのため、EDSA通りとサウス・スーパー・ハイウエイが交差する高架橋の下を歩いた。もともとEDSA通りとハイウエイさらにその脇を通る国有鉄道と、主要な交通の交差点ということで複雑な立体交差だったところにさらにスカイ・ウエイと高架鉄道のMRTが加わって大規模な4階建ての立体交差となってしまったのだ。  このような国の所有地でかつ高架下のスペースという好立地となると、たちまちの内にスコーター・エリア(スラム街)になってしまうのが通例だが、ここは噴水や植物を植えてこぎれいな公園になっている。しかしもともと人通りがあまりないところなので、閑散としていた。公園をつくったのはきっとスコーター締め出しの口実なのだろう。  ハイウエイ沿いに走る国有鉄道の両側にはスコーターが建ち並びマニラの恥とまで言われていた。最近その立ち退きが実現し、線路の両側は清々したものになっていた。しかしこの国有鉄道はほとんど使われておらず途中で線路も途切れ、駅には人影もなく、たまにみる列車も おんぼろで、とても実用に供しているとは思えない。  その証拠に線路の上に昼寝をしている子連れの女性がいた。もともとここの住民で線路をまくら代わりにしていたのだろう。枕が替わると眠れないというので、ここにやってきて昼寝をしているのか。高架橋の下は陽もあたらず心地が良いのだろう。この人たちの葬式は一体どんなものなのだろうか、一度位参列してみたいものだ。

フィリピンの葬儀と高架橋の下2009年2月16日


 2009年は2月13日がクリスチャンにとって最も不吉とされる金曜日と重なった。いわゆる13日の金曜だ。しかも翌日の14日はバレンタイン・デイ。 15日は日曜だから、13日は給料日でもあった(ちなみにフィリピンでは15日と月末、月々2回に分けて給与が支払われる)。うれしいやら怖いやらフィリピーノの心は13日の金曜日をどうすごすべきか複雑だった。  13日の金曜がなぜ不吉なのか定説はないらしい。キリストが貼り付けにされたのが金曜で、最後の晩餐に参加した弟子の数が13であるとか、色々言われるがはっきりしていない。一方バレンタインは有名なカソリックの神父で2月14日にローマ皇帝の手により殉教したのを悼んだのが、いつしか恋人達や夫婦が愛を深める日となったそうだ。   日本ではバレンタインといえばチョコレートと相場が決まっており、店頭にはチョコレートが溢れる。しかし、海外では男性が意中の女性に花束を送って、デートに誘うのが一般的だ。この日は意中の男性が赤いバラの花束を持って現れるのを女性は心待ちにする。夫婦やステディな仲では、男性がこの儀式を怠ると大変なことになる。他に女がいるに違いないとか焼餅を焼かれて、一晩中恨みごとを言われるはめになるのだ。  一方、意中の女性もいない場合は、一晩だけでも意中の人になってあげますと、カラオケ・クラブやナイト・クラブではバレンタイン・デイのスペシャル・ビッグ・ナイトのオンパレードとなる。この日のためにGRO(Guest Relation Officer、要はホステス)やショーダンサーは特訓をやらされて得意のダンスや歌を披露するのだが、楽しんでいるのは彼女達ではないかと思うくらいノリノリだ。      バレンタインデイの主役は赤いバラの花束だ。前日位からかなり高騰するそうだが、街の角々ではにわか花屋が出現して、そこそこ繁盛しているようだ。花問屋で数百本まとめて数千ペソ(一本10ペソ以下)で売っているのをしゃれた紙やプラスティックで包んで一本50ペソ~100ペソ程度で売りつける。なかなかおいしい商売のようだが、年に一回の商いでは致し方ない。新聞によると不況のせいから例年の半分程度の価格の花束が売れ筋だったそうだ。

13日の金曜日とバレンタイン・デイ2009年2月15日



 メトロマニラには3本の高架鉄道(LRT1、LRT2、MRT)が走っているが、エドサ通り北側の部分、ノース・アベニュー駅~マニラの北、モニュメント駅の間が未着工で、慢性的な道路渋滞が庶民を苦しめている。ところが昨年の後半から橋脚工事が急ピッチで進められ、環状線が完成するのもそう遠い将来ではないだろう。環状線が完成するとメトロマニラの足が格段に便利になるものと期待される。 この高架鉄道は一本の足に梁を置き、その間を桁でつなぐという極オーソドックスなものだが、障害物をよけ、平面を維持するために橋脚の高さは大きく変化する。  下の写真は運行中の3本の高架鉄道の路線図で、MRT(Mass Railway Transit、青い線 )は、現状では終点のタフト駅からノースアベニュー駅までエドサ通り沿い、メトロマニラの東側を走っている。   LRT1(Light Railway Transit、黄色い線)は一番古い線でマニラの西側、バクララン駅からモニュメント駅までタフト通り沿いを走る。このノースアベニュー駅ととモニュメント駅がつながるというわけだ。さらにもう一本運行されているのがLRT2(紫色の線)でメトロマニラを横断する線でMRTとはクバオ駅/アラネタ駅、 LRT1 とはレクト駅/ドレテオ・ホセ駅で乗り換えることができる。  下の写真はLRT1の終点のバクララン駅とモニュメント駅だ。両駅とも庶民の買い物どころとなっており、いつも人でごった返している。  下の写真はMRTの終点のノースアベニュー駅。左はLRT2のレクト駅からLRT1のドレテオ・ホセ駅への乗り換え通路だ。  下の写真はMRTとLRT2の交差する部分でかなりの高さとなっている。右はMRTとサウス・スーパー・ハイウエイが交差するマガリアネス駅付近で、エドサ通りとハイウエイの交差点でもあり、4重の複雑な立体構造となっている。   […]

メトロマニラ高架鉄道の建設状況2009年2月6日


 日本でもフィリピンでも最近はオムツを干しているという景色を見ることは無くなった。ほとんどが使い捨ての紙おむつを使っているせいだ。一回使っただけで捨ててしまうというのはいかにももったいない。それに使っている紙の量も相当のものだ。  この紙おむつを一個作るのにどれだけの木材も必要とするのだろうか。木を大量に切って一回使って焼却してしまうなんて、地球温暖化を進める元凶だと思う。そもそも紙おむつなど無くても昔ながらの木綿の生地でやれば何度でも洗って再利用ができるのだ。フィリピンでは子供のしつけに熱心ではないから、2~3歳になってもオムツをしている。一日3枚x365日x3年間=3285枚の紙おむつが一人当たり消費されることになる。このために何トンの材木が必要で、何トンの二酸化炭素が発生することになるのだろうか。  一方、2歳になる子供に母乳をあげている母親が知り合いにいる。びっくりして聞いてみるとフィリピンでは当たり前という。さらに幼稚園に行ってもほ乳瓶でミルクを飲むのが普通だそうだ。日本ならば6ヶ月位から離乳食を取り始め、1歳位でミルクはやめているはずだ。3~5歳になってもミルクから主な栄養を取るなんて子供のために良いはずが無い。米や肉・魚そして野菜などを良く噛んで食べて栄養をとることにより始めて健全な成長が図れるのだ。  お金が無いことを象徴する表現に「ミルクもオムツも買うお金がない」という言葉を耳にするが、上記の背景を見ると「馬鹿にするな」といいたくなる。子供のしつけを怠って3歳にもなってミルクを飲んでオムツを使っている。しかもお金のかかる粉ミルクと紙おむつだ。それでお金が足りないなどとは言語道断だ。「子供のため」といえばおおいに同情を買ってなんでも通るのがフィリピンだが、これだけは許せない。実は子供のためではなくて、母親の怠慢のせいなのだ。普通の食事をしていればはるかに少ない費用で栄養はとれるはずだ。  しかも紙おむつは水分をよく吸収するので、おしっこをしても気持ちが悪くないそうだ。だから、平気でおしっこを垂れ流し、コントロールすることを憶えにくい。そのためいつまで経ってもオムツ離れしないのだ。3歳になってもおしっこをコントロールできない子供なんて将来が危ぶまれるというものだ。もっとも介護用オムツや忙しい母親の手間を省くという観点ではこの紙おむつも多いに利用価値はあると思う。  話は違うが、フィリピンの米作りは堆肥を使わない。すべて化学肥料だ。ワラや籾殻は燃やすか捨ててしまう。堆肥などの有機肥料は畑を肥やしおいしい作物をつくるために必須だと思うのだが。さらに養鶏・養豚やテラピアの養殖などにも配合飼料を使う。この飼料が案外高くて、売値のほとんどを占めてしまう。昔、農家の人が豚の飼料に残飯を集めていたのを覚えているが、フィリピンではそんな面倒くさいことはしない。残飯は捨て、鶏や豚の糞もただごみとして捨てるだけだ。農場では、ワラやもみ、鶏や豚の糞は貴重な資源だと思うが、ひたすら廃棄物として処理される。  紙おむつや粉ミルクそして肥料や飼料、その共通点は何か。すべてお金持ちの経営する大企業の製品だ。テレビなどでも盛んに宣伝され、それを使わないと時代に取り残されていると錯覚してしまうのだろうか。だから3度の食事もままならないのに、粉ミルクと紙おむつを買って子供に与え、農家は借金をして肥料や飼料を買い、収穫のほとんどを借金の返済にあてることになる。だからフィリピンでは、金持ちはますます金持ちになり、貧乏人はいつまでたっても貧乏なのだ。

ダイアッパー(紙おむつ)に苦言2009年2月6日



 マニラ首都圏並びに近隣の県を縦断する幹線道路であるノース・ルソン・エクスプレスウエイ(NLEX)~エドサ通り(EDSA)~サウス・スーパー・ハイウエイ(SLEX) 沿いには無数の巨大広告塔が建ち並んでいる。その高さは20~30m、ものによっては50m程度はあるのではないかと思える。下の写真はSMシティ・ノースエドサにある広告塔だ。どれだけの宣伝効果があるか知る由も無いが、費用も並大抵ではないと思う。下の写真はNLEXとEDSAの交差点にあるもので比較的短期間で絵図が変わるようだ。きっと一日あるいは一月いくらという価格設定になっているのだろう。  最近SMシティ・ノース・エドサが改装オープンしてSMモール・オブ・エイシアを凌ぐ規模になったそうだが、その目の前にまさに巨大な広告塔ができた。前面はパクヤオのボクシング姿だが、周囲のビルの高さからその巨大さが推定できる。高さは50mを下らないと思う。人の度肝を抜くのが大好きなヘンリー・シー一族のやりそうなことだ。  エドサ通り沿い、特にパシッグリバーを渡るあたりに大きな広告が目立つ。当方には一体何の広告かわからないが、美人が微笑んで“Love me again”などとあってはハンドルを握る手も上の空にならないかと心配だ。

巨大広告塔2009年2月5日


 このブログでも再三にわたり、アンヘレスの紹介を行なってきたが、それはある退職者の住宅建設のお手伝いをしていたせいで、毎月アンヘレスを訪問していたためだ。その住宅がめでたく完成し、退職者も日本から移り住んで約1ヶ月、ようやく家具もそろい落ち着いてきた。そこで、このたび、牧師とご近所さんを招待してお祓いとお披露目の儀式ハウス・ブレッシングを執り行うことになった。このハウス・ブレッシングは宗教的儀式もさることながら、ご近所さんとの付き合いの初めでもあり、これからの生活に欠かせないものだ。  まず、牧師がひとしきりお祈りを捧げた後、家の隅々を回って聖水を振り掛ける。参列者はロウソクを灯しながら、後に従う。それが終わると牧師あるいは家の主人がコインを投げて皆がそれを拾うのだが、縁起物で大事にしまっておくそうだ。そしてもちろんその後はお楽しみの食事だ。定番のルンピアやバーベキューなどのフィリピーノ料理に混じって奥さんの手作りの寿司や天ぷらもある。最初は遠慮がちだった客も、どうやって作るのか、今度作り方を教えて欲しいなどと話が弾んだ。    このビリッジはモダンな家が建ち並ぶ新しい高級住宅街で、土地は200m2程度であまり広くは無いが、建物は車庫やベランダも含めると200m2程度と大型の一戸建てが並ぶ。値段は5百万ペソ程度。普通の庶民が住めるところではない。私の持論だが、このような住宅に住むフィリピーノを友人とし、付き合っていく限りいろいろ助けてくれて何のトラブルも発生しない。フィリピン人社会の上層に暮らす人たちだから色々なコネを持ち、困ったときにとても頼りになるのだ。  フィリピンには2種類の人が住んでいるのではないかという気がする。この招待された人たちは、いかにも上品で色白で奥様・お嬢様然としており(それに少々太めだが)、お金の苦労などしたことがないようだ。タガログ語と英語を流暢に話し、話題も豊富だ。退職者の方はその会話を楽しめないのが歯がゆく、英語あるいはタガログ語を勉強しようと決意を新たにしていた。  

ハウス・ブレッシング(その2)2009年2月5日



  1月26日(月)は旧正月、チャイニーズ・ニューイアーだ。先日の中華街の訪問でその賑わい振りを想像できたので、やはり退職者の方を案内して、その賑わいを視察にでかけていった。タクシーの運ちゃんに渋滞でとんでもないと拒否されたので、仕方なくLRT(高架鉄道)で出かけていったが、返って安く済んで助かった。ちなみに運賃は15ペソだった。カリエド駅が中華街の最寄の駅だが、キアポ教会とサンタクルス教会の中間に位置する。駅から眺めたキアポ教会へ向う通りは人で埋まっていた。  サンタクルス教会の前の広場には馬車が数十台行列をなしていた。きっと、どこかの国の団体さんが中華街中の馬車を借り切って旧正月の見物としゃれ込んでいるのだろう。サンタクルス正面の中華門の通りが金製品を売る店が並ぶオンピン通りだ。ここが中華街の中心であり、色々な催し物もここで行なわれるという情報だった。  通りでは10m位つながった爆竹を鳴らして、ドラゴンがそれにあわせて踊っていたが、爆竹がなり終わるころは煙で前が見えなくらいになる。さらにお店の前でご祝儀目当てに踊るのは日本の獅子舞に似ている。多分このドラゴンが獅子舞の元祖なのだろう。  普段はそんなにないはずなのだが、どういうわけか通りの商店のほとんどが正月の飾りものを売っていた。多分このときだけ商品を代えているのだろう。また、今年は丑年なので、牛をモチーフした飾り物が目玉だ。  飾り物を専門に売る店に入って周囲を見回してみると、実に中国的な飾りものがいろいろ置いてある。したの写真は淡水熱帯魚の王様、アロアナの彫り物。以前パサイ市のカーティマ・マーケットで撮影したアロアナの実物とそっくりだった。   オンピン通りの中ごろの川沿いに香港などでよく見かける屋外中華レストラン街がある。安くてうまくて量が多いという3拍子揃ったレストランで、テレビにも紹介されたそうだ。ここで食べるのは牡蠣のオムレツと蛙の足のフライ、それにカンコンの炒め物と決まっているのだが、この日は退職者の一人が顔をしかめていたので蛙の足は割愛した。   チャイニーズ・ニューイアーに食べるのはTIKOYというお餅。この日はいたるところで大量に売っていた。日本のものと比べてきめが細かく、豆腐の木綿ごしと絹ごしの違いのような感じだ。多少味付けがしてあるが、火を通して食べると薄味でなかなかいける。醤油にも合うようだ。   中華街ではないが、27日、旧正月の翌日、所用でアンヘレスをたずねた折、件のフィールドアベニューの呼び込み嬢が中国服を着ていた。なかなか商才の長けた店だが、ちなみに店の名前はアトランティスという。

中華街の旧正月2009年1月30日


 先日紹介した孫の結月(ゆずき)も6ヶ月になった。久しぶりに写真が送られてきたので、フィリピーノの相棒に見せたところ、感激されてしまった。色白で、キュート、あの赤ちゃん独特のいいにおいがしてくるようだというのだ。ちなみにタガログ語で、マプテ、マガンダ、マバゴと褒め言葉のオンパレードだ。フィリピンの赤ちゃんはどうなのかと聞くと、この赤ちゃんに比べたら雲泥の差だという。この赤ちゃんは目が細くて小さいところがとても可愛いというのだ。日本では目が大きくて可愛いという表現になるのだが、フィリピンでは目が小さくて可愛い、目が大きくてブス、という表現になるようだ。フィリピンにはこんなに可愛い赤ちゃんはいないとまでいい切る。 当方の眼から見ると、確かに可愛いかもしれないが、普通の赤ちゃんに見える。一方フィリピン人の赤ちゃんは意外と色白で、目がパッチリしていてとても可愛いと思うだが、無いものほしさということなのだろうか。  下の写真は昨年の9月初め、お宮参りに参列したときの写真だが、デジタルなのだが、どうしてもメールに添付して送ることが出来ず、今回やっと入手したものだ。インターネットの時代になんともお粗末な話だが、そもそもは私のカメラが寸前に壊れてしまい、しかもスペアのカメラは相棒が田舎に行くので貸してしまっていて、肝心のときに写真が撮れなかったためなのだ。中央が私の3男で結月の父親だが、しばらく前までやんちゃな悪がきと思っていたが、それが父親になってしまったのだ。私も年をとるわけだ。

日比赤ちゃん比較 2009年1月30日



  1月25日退職者の方を案内してタガイタイを訪問した。タガイタイといえばフィリピン8景にも選ばれているタアル火口湖を望む絶景で有名だ。マニラから1時間+という至近距離にあるために休日は車でごった返す。1990年代に始まったリゾートや別荘地の開発ラッシュにより、大きなレストラン街も出現し、人気店には客が溢れかえっていた。    タアル湖に浮かぶ火口の島はつい最近噴火したと見られる跡が見える。もともと海だったものが、噴火により海と遮断され湖となったものだが、外輪山と思われるタガイタイから眺めると、この火山の規模がいかに巨大であったかわかる。湖のほとりには民家やリゾートが点在し、そこから船で島へ渡ることができる。島の中央にはさらに小さな湖があり、その中にさらに小さな島があるそうで、外輪山まで入れると5重構造になっている。また、湖の中には今でも水に沈んだ街が残っているそうで、一度は島へ渡ってみる価値がありそうだ。タアル湖の景色はどこからでも見えるが、老舗タアル・ビスタ・ホテルの庭から見る景色が最高だ。昔は只だったが、最近は駐車場代に100ペソ取られる。   タガイタイは標高700mの高地にあるために比較的涼しく、果物の栽培や牛の飼育が盛んだ。タガイタイに近づくとパイナップルやバナナ、さらによく見るとコーヒー等が栽培されている。かつて私の息子を連れてきたとき、パイナップル畑を見て感激していた。てっきりパイナップルは大きな木になっているのだと思っていたそうだ。 ここで取れる豊富な果物を売るためにタガイタイに向う沿道には無数の直売所が並んでいる。パイナップルを初めとして、バナナ、パパイヤ、マンゴ、さらに世界最大の果物を言われるランカ(ジャック・フルーツ)などが所狭しと並べられている。蜂蜜やお酢などもある。さらに大根や芋などもマニラと比べると只みたいな値段で売っている。ちなみに写真の大きなパイナップルが3個で100ペソ(200円)だ。  高速道路のサンタロサ出口とタガイタイの真ん中くらいの位置にゆでたてトウモロコシを売る店が数十軒並んでいる。かつては固くて甘みも全く無い家畜用 (?)のトウモロコシしかなかったが1990年代の終わりからジャパニーズ・スイート・コーンと称してハニーバンダムのような甘くて柔らかいトーモロコシが売られるようになった。一本10ペソ(20円)と日本に比べて10分の1の値段だったが、今回は4本で50ペソ、一本あたり12.5ペソに値上がりしていた。退職者の方も喜んで食べていた。ちなみにトウモロコシのことをタガログ語でマイスという。  タガイタイのメインロードからちょっと入ったところにマホガニー・マーケットという直売所の集合マーケットがある。目玉は名物の果物や野菜、それに牛肉、最近は果物の苗木や花も売っている。下の写真はなじみの売り子さん。久しぶりだったがちゃんと覚えていてくれた、学校を終えて戻ってきたそうで、2年ぶりの再会だ。右の写真が2年前に盗み撮りしたものだが、今回は照れながらもカメラに収まってくれた。この人の勧める果物はとてもおいしいので安心して買える。以前退職者に頼まれて買って来てあげたら、感激するほどおいしいスイカだったと褒められた。野菜・果物マーケットの外周、肉売り場と道路を挟んで面した店にいる。 タガイタイ名物の一つは牛肉だが、屠殺されたばっかりのものなので、中には肉がぴくぴくと動いていることもある。しばらく冷蔵庫で熟成させて食べる必要があるだろう。また、何らかの方法で柔らかくしないと、固くて食べられない。一度そのことを知らずにステーキにして食べたらあごが痛くなってしまった。

タガイタイ訪問 2009年1月30日


1月21日、テレビはオバマ新大統領の就任式の模様を中継する番組一色だった。米国民のみならず世界中の人々の圧倒的支持を受けての大統領就任だ。一国のトップがこれほどまでに世界中から祝福・注目されて就任するということは前代未聞だろう。それほど現在の経済状況が深刻で皆が救いの神を求めているということだ。47歳の黒人という誰もが考えなかったバックグラウンドを背負っての大統領就任が歴史的事件であるのなら、何か歴史に残ることをやるのではないかという期待がもたれるのも無理の無いことだ。200万人という中都市全体に匹敵する人々が歴史的な事件に参加しようとしてワシントン広場を訪れたそうだ。  アメリカ国民、特に黒人にとっては、奇跡に近い出来事であることは大いにうなずけるところだ。長年虐げられて来た暗い時代に終止符を打つかのように黒人がアメリカを代表する地位についたのだ。   しかし、祝賀ムードに水を差すように、オバマ新大統領の言葉は、国民に自ら、国そして世界に責任と義務を負うことを求めるものだった。一国の首長が頑張ったところでこのアメリカそして世界の経済危機は救えるものではない。それを国民全体が一丸となって困難を乗り越えていくことを求めたのはまさに正解だ。どこかの国のように政敵を罵り合って政権交代に躍起となっている時ではないのだ。 各国首脳の好意的な 反応は、世界的な祝賀ムードで就任したオバマ人気にあやかろうというのか、あるいはとりあえず同調しておこうということなのだろう。ちなみに、このような行動パターンをタガログ語でパキキサマという。  一方、フィリピンの人々の反応はどうだろう。テレビではBARAKO(逞しい)などとコメントし、オバマ新大統領の演説をほめていた。しかし自己責任の国といわれるフィリピンでは、自分の生活は自分で責任をとることは当たり前のことだ。どこかの先進国の様に、問題があれば、国や政府を責めれば何とかなるという発想は無い。派遣切りが問題になれば住処の提供や炊き出しをしてもらえるなどという、声を大にして訴えれば誰かが何とかしてくれるなどいうことは起こりえないのがフィリピンだ。役人はその地位を利用してせっせと私財を蓄えるのが当たり前、国家などは何の役にもたたないと、人口の1割が海外で稼いでせっせと仕送りをして家族を養っているという逞しい彼らは、オバマ大統領の主張する「新しい責任」をすでに実践しているといえるかもしれない。

オバマ大統領の就任式 2009年1月22日