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 近々SRRV申請を予定している退職者の依頼でPRAビザ申請用定期預金の利率をBank of Commerceに問い合わせた。  退職者はPRA定期預金開設に当たって余分のドルを生活資金として送金し、できる限りよい金利で運用しようと考えているが、昨年の世界的金融恐慌の影響でフィリピンでのドル建て定期預金の金利も1%程度に落ち込んで、退職者にとっては頭痛の種になっているところだ。   PRAビザ申請用定期預金:満期30日~1年 1.25~1.5%   特別ドル建て定期預金(2009年8月4日現在):   5万~10万ドル未満 満期6ヶ月 3.25%、 満期1年 3.25%  10万~25万ドル未満 満期6ヶ月 3.50%、 満期1年 4.25%  25万ドル以上     満期6ヶ月 3.75%、 満期1年 4.25%    PRA定期預金は残念ながら下降気味だが、特別定期は、昨今の低金利時代になんとも朗報だ。もともとBank of CommerceはPRA定期預金の金利を4~5%に設定し、圧倒的な高金利を誇っていた。しかし、昨年来、ずるずると下降し、なんとかNo.1の地位は保ってはいるものの、他の銀行と大差がなくなってしまっていた。世界景気も回復の兆しが見えてきたようだが、そのさきがけかもしれない。またこの“特別” としているのは、PRA定期預金のように、既存の定期預金はそのまま据え置いて、新規にドルを集めるために設定されたものと推定される。興味のある方はお近くのBank of […]

Bank of Commerceの特別定期預金(2009年8月4日改定)2009年5月1日


 昨夜、NHKの「追跡A to Z」という番組で「無届老人ホームの闇」というのをやっていた。生活保護を受けている介護が必要な老人が特別養護老人ホームにも入れず、行くつくところは、全国に600箇所もある劣悪な環境の「無届老人ホーム」しかない、と言った内容だ。またさらに、全国に特養の順番待ちが30万人おり、これら老人はその一部だそうだ。  特養は従来、貧困層を優先していたが、介護保険の導入以来、富裕な層も平等に扱うべきという建前から、貧困層が行き場を失い「無届老人ホーム」に流れているそうだ。しかも、その「無届老人ホーム」に入居を斡旋しているのが市役所だというのだ。市役所の担当者もそれ以外に貧困介護老人を世話する方法がないのだろう。さらに新規の特養はよりよい環境という掛け声で高級/高額化し、特養に入居の申し込みさえできない貧困層が出ているそうだ。放送の中で識者が「いつのまにこんな日本になってしまったのか」とコメントしていた。  フィリピンなら生活保護で支給される10万円程度のお金で家賃と食事さらに介護も含めて十分やっていける。ビザ取得のための1万ドル(年金生活者)と施設建設の初期投資が問題だが、これを制度的に解決すれば、これら介護老人に個室や手厚い介護を提供することが可能だ。これは日本のゴミ捨て場に追いやられている老人を救う大いなる慈善事業ともいえる。  ところで、私のタバコの農場には日本人退職者が一人ロングステイしている。個室、3食、その他すべての面倒を月々4万ペソ (約8万5千円)で賄っている。人手は十分あるので介護が必要になったとしても何の問題もない。彼は新しい家族に囲まれて極めて快適な生活を送っている。これをヒントに思いついたのが、フィリピンにおける介護老人のホームステイだ。   フィリピンで居室に余裕がある家庭に日本の介護老人を預けるのだ。1ヶ月4万ペソを支払うとすれば、ほとんど無数の人が手を上げるだろう。そして住環境や家庭環境を調べたうえで合格と判断されたら、日本から介護老人を招聘して送り込み、定期的に巡回して満足度をチェックするという仕組みだ。フィリピン人の老人を大事にする心は定評があるから、きっと手厚い介護をしてくれるだろう。ビザの問題はPRAと掛け合って年金や生活保護費だけで退職ビザ発行されるようなアレンジが必要だろう。  上記の仕組みの問題点は医療の問題だろう。いろいろな病気を抱えているお年よりも多いから、それに適切に対応できるかだ。すくなくとも「無届老人ホーム」よりはましだろうが、色々なところから疑問の声が上がることは目に見えている。日本人がこれならばと思える医療施設や介護施設を整えるとなると、どうしても一人数百万円の初期投資がかかってしまう。既存の施設などを利用してそれをいかに安く押さえるかが鍵だろう。医師を巡回させるなどという仕組みも必要だろう。

「無届老人ホームの闇」2009年4月26日



 私の友人のロリーの50歳の誕生パーティに招待された。グリーンヒルのクラブ・フィリピーノという大きな会場で華やかに行なわれた。我々日本人は50歳あるいは60歳といった年になると、なんやら情けなくて、誕生会を開いてお祝いする気にもならないが、フィリピンでは1歳の誕生日以来、死ぬまで祝うのだ。特に年を取れば取るほど長寿がめでたいということで祝うのだそうだ。 しかし、彼の場合は格別の意味がある。若いころから、自分はせいぜい40才位までしか生きられないと言っていた。それは肝臓か腎臓に疾患があって、体型も超肥満型で、私もダイエットをして体型を整えないと長生きできないと、忠告していた。しかもつい先日脳梗塞をわずらって倒れたのだ。半身麻痺の状態だったそうだが、この日会ったら、全く元へ戻っていた。   ロリーとはクゥエートの建設現場に駐在していた時に、私の部下として働いて以来、26年の付き合いだ。フィリピンでも会社の幹部として長いこと使っていた。現在は独立して建設マネージメントの会社をやっているが、中東のプロジェクトを受注するなど順調だそうだ。彼は私の知っている人(日本人も含め)の中では5本の指に入るほどの優秀な頭脳の持ち主で、並みの日本人ではとても太刀打ちできない。 会場には100人ほどの招待客が、高級料理とされる子牛のレチョンなど料理を楽しんでいた。大き目の豚のレチョンも2頭ほど用意されていたが、子牛のあっさりしたレチョンの方がはるかに美味だ。口にしたのは15年ぶり2度目の貴重な体験だ。  簡単なスピーチをやらされたが、スクリーンには彼の若いときの写真が映し出され、歌やダンスなど催し物もふんだんだった。ダンスタイムではプロのダンス・インストラクターがお相手をしており、なんども誘われたが、皆上手に踊っているのでとても踊る勇気はなかった。  帰りの足が心配で10時過ぎに失礼したが、パーティは12時過ぎまで続くそうだ。ここにはフィリピン独特のスクォーターや貧しさなどの気配もなく、皆、紳士、淑女、そして子供は太り気味な子が多かった。  一方、先日の日曜日には友人の日本人の子供の1歳のパーティに招待された。グロリエッタのDadで、こちらも50人ほどの人を招待して行なわれた。もちろん本人は分けがわからないだろうが、誕生日というのはことのほか大きなイベントなのだ。ちなみに誕生日プレゼントは別に気にしなくてもよいようで、出席して祝うということが重要らしい。  

誕生日は幾つになっても祝うのがフィリピン流2009年4月22日


 男が女を選ぶ条件は一にも二にも可愛いかどうか、に尽きるといってもいいだろう。性格がどうだとか、頭がどうだとか、金にどうだとか、そんなものはほんの付随的条件にすぎない。いかにも単純なのが男の条件だ。さて女性、とりわけフィリピーナ(フィリピン女性)は一体どういう基準で男性を選び、結婚を決意するのだろうか。 カラオケ・ショークラブ、ニューサチのダンサー達   最近、元花街で働いていたフィリピーナとプライベイトに話す機会があった。彼女は日本人の男性と良い仲になり、場合によっては結婚という可能性もある。その男性を横においての会話である。彼女は21歳、すでに一児の母で、ある程度世の中のことがわかっている大人の女だ。 まず第一番目の条件は  1. 優しいこと  フィリピンでは人を誉めるとき、マバエット(やさしい)と評する。これですべての人格が表現されてしまう。男性は優しいこと、フィリピンではこれが最も重要で、日本人の男性はほとんど落第するのではないかと思う。フィリピーノ(フィリピン男性)の優しさにはとても足元に及ばない。フィリピン流の優しさとは日本のものとは少々勝手が違う。あくまでも表面に現される態度が重要で、日本人が心の底に秘める思いやりなどとはあまり関係がない。  特に日本人亭主の妻に対する横柄な態度はフィリピーナにとっては悪魔のように映るだろう。人前で妻をののしったり、怒鳴ったりしたら、100年の恋も愛もどっかへすっ飛んで一生の敵となることは間違いない。妻や子供そして妻の家族などに対してはどんなに優しくても優しすぎることはないのだ。   どんなに腹が立っても人前では妻に対してはあくまでもにこやかにしていなければならない。そして二人きりになったとき、なぜ、そういうことになったのか、やんわり聞いてみる。妻としてもそれなりの事情があったわけで、良く話し合ってみるべきだ。大概は日本人のフィリピンについての理解不足が原因で、フィリピンでは日常で、ささいで、当たり前なことに腹を立てている自分に気がつくだろう。   さらに夫婦である限り、妻の義理も自分の義理で、妻のお愛想にも付き合わなければならない。フィリピン人の人間づきあいは日本の数十年前の田舎のようで、義理と人情にがんじがらめなのだ。だから、フィリピーノのホスピタリティを身につけなければ早晩、妻に愛想を着かされてしまうだろう。 フィリピンのGRO(ホステス)はとても可愛くてホスピタリティに溢れ、熟年諸氏をとりこにする  そして第2番目の条件は  2. 生活力があること  そんなに大きな金は入らないが全うな生活をして行く位の金あるいは稼ぎがあること。結婚ということを考えた場合、当然のことだろう。フィリピンには、これを満足できず、彼女をはらましたらドロンという輩が多すぎる。堕胎が禁止されているフィリピンでは、男に逃げられ、生まれた子供を養うために花街に落ちていく女性が数知れない。   この点ほとんどの日本人は合格だろうが、多少のまとまった金を持ってはいるが年金や給与などの定期的な収入がない、というのは少々具合が悪い。フィリピーナはご承知の通り、預金というものをしない、あるいはそんな金を持ったことがない女性がほとんどだ。特に花街に働く女性やジャパユキさんにとって 100万円というお金は天文学的数字で、いくら使ってもなくならないと感じるだろう。だから彼氏や亭主がそんなお金を持っていたら、バカスカ使ってしまい、早晩使い切ってしまう。亭主としてはしっかり財布の紐を縛っておかないとやばいことになる。その点、年金などの定期収入があると、なくなってもまた入ってくるので安心だ。その亭主がいなくなると収入も途絶えてくるので、家族をあげて大事にしてくれるだろう。 […]

フィリピーナの結婚の条件2009年4月20日



 農場のあるタバコ市の港から、サンパンボートで約1時間のところにPinamintoganという小島がある。干潮では本島のCagararay島と陸続きになる、2~3ヘクタールの小さな無人島だ。島には何の施設もないが、500mほどのビーチが我々一行で独り占めだ。そこは絵に描いたような白砂と椰子の木の海岸が広がる。そして海は透明であくまでも青い。快晴に恵まれたこの日、二人の山さんと15人ほどの連れがピクニックを楽しんだ。 遠浅の海岸なので海の中をあるいて上陸しなければならない、荷物運びは男の役割だ 遠浅の砂浜は子供達が遊ぶにはもってこいだ。波もほとんどない   昼食は港で買ったイェローフィンという小さなマグロの刺身とバーベキュー、木陰はとても涼しい ビーチの連続写真上の2枚と下の2枚が合計4枚が連続している 帰り道はCagararay島の反対側をぐるっと一回り、海と島とマヨン火山の景色を満喫した    この日、タバコ湾から眺めたマヨン火山はまるでたすきを巻いたような雲がかかっていた。空気が澄んでいるせいか、雲はあくまでも白く、空は青い。それだけに陽射しも強く、肌を露出しているとあっという間に日焼けしてしまう。だからフィリピーナは皆T-シャツを着て泳ぐ。 港に到着、降りるのに一苦労する、隣はイエローフィンやカツオを荷揚

小島訪問2009年4月12日


 聖週間と訳されるホリーウイークはイエス・キリストの磔による死を悼み、そして、その復活を祝う宗教的行事だが、市民がキリストやマリアの像を引いて歩く姿は日本の夏祭りと通じるところがある。木曜と金曜は祝日で翌土曜と日曜の4連休となり、それぞれの曜日にちなんだ催し物が行なわれる。ホリーウイークの日程は毎年異なるが、本年は4月9日(木)~12日(日)となり、その前後の交通機関は故郷へ向う人そしてUターンでどこも超満員だった。   タバコ市のメインストリートのZiga 通り、遠くに見えるのがタバコ教会  木曜日はMaundy Thursdayと呼ばれ、聖書を読んだり、聖書にちなんだ劇を見たりして敬虔な気持ちになる。金曜日はGood Fridayと呼ばれ、キリストが磔に処される日だ。この日、人々はキリストの痛みを知るために、地方によっては裸足で十字架を担いで歩いたり、本当に釘を手足に打ってで磔になったりする。だが、普通はキリストやマリアの像を引いて街を歩くだけだ。土曜日はBlack Saturdayと呼ばれ、キリストの死を悼む。この3日間は肉を食べてはいけないことになっているが、さほど厳密に実行されているようではない。日曜日はEaster Sundayと呼ばれ、キリストの復活を祝う日だ。   街はバランガイごとに自慢の山車を引いて歩く 夜の7時を過ぎると20~30mごとに山車が並び、さながらラッシュアワーのように渋滞する  行列は2時間足らずで終わるが、行列に参加しないで見物する人たちもかなりのものだ。タバコ市だけでも双方合わせて、3~4万人に達するのではないかと推定される。見ていて飽きるほどの人が並んで歩いていた。一方、マニラはガランとしており、渋滞も大気汚染もなく、生粋のマニラッ子にとってもありがたい1 週間だったろう。 行列を見物する人々が道の両側を埋め尽くす

ホリーウイーク中、田舎は人で一杯2009年4月12日



 ホリーーウイーク(4月9日~12日)の連休を利用してタバコの農場に戻ったが、今回はすでに農場にロングステイしている山さんに加え、もう一人の山さんを同行した。ホリーウイークの様子は別途報告するが、今回特筆すべきことは、もともとここで6年間暮らしていたデビナが戻ってきたことだ。 夏を迎えてマヨン火山はその勇姿を惜しげなく見せてくれた(ファームハウスのベランダから)  デビナ(下の写真の右端)は私の相棒の親戚で家庭の都合から小学校6年からカレッジの2年まで、この農場で暮らしていた女の子だ。昨年の8月、母親に呼び戻され、2年制のカレッジを中退して、マニラ近郊のラグナの実家に戻っていた。今は学校の卒業シーズンなのだが、最後の学期を残して中退したはずのデビナが、成績優秀故、卒業させてもらえることになったのだそうだ。彼女もこれで立派に学卒として人生のスタートを切ることになった、花の19才だ。私が始めてあったときはまだ12歳だったが、その時からすでに大人の雰囲気を漂わせていたが、美人はませて見えるというが、まさにその通りだ。   フィリピーナ達に囲まれて幸せそうな山さん 、右がデビナ、左は親戚のキム13歳、中央が3歳の双子 レガスピ空港に降り立ったもう一人の山さんカップル、右はマヨン火山中腹の展望台にて 二人の山さんを迎えて食卓にのぼったテラピア、右の子豚はレチョンにする予定だったが、ホリーウイーク中は殺生したり、肉を食べてはいけないというので、かろうじて命を救われた。  現在、わが農場ではファームリゾートとして5棟のコッテージとプール、庭園などの建設を計画している。私の引退後の再就職先となる予定だが、もともとデビナはそのためにHRM(Hotel Restaurant Managementホテル・レストラン運営学科)に通わせていた。家庭の事情で中退してしまったことを痛く悔やんでいたのだが、念願の卒業がかなったのだ。すでにロングステイしている山さんもゆくゆくここに永住することを考えており、常時、5人から10人程度の宿泊客を迎えるリゾートとなる予定だが、やはり誰かマネージする人がいる。さらにまた小さなリゾートだから料理からメイドの仕事まで自分でこなさなければならない。彼女なら若いしうってつけだ。私の世話を2年間ほどやったのだから、日本人の気持ちもよくわかっている。そんなわけで、ビバリーファームリゾート第1号の社員として就職が決まったのだ。   先月生まれた子犬たちが双子の良い遊び相手となっていた

ホリーウイークの帰郷2009年4月12日


 京都大学 東南アジア研究所の清水教授を案内して、介護施設、アモーレの里を訪問した。教授の専門は文化人類学だが、フィリピンへの退職者の移住というテーマにも取り組んでいるとのこと。また、留学も含めてフィリピンに7年滞在した経験を持つフィリピン通だ。  アモーレの里の 岸田さんの話によると、4月中に、地下のレストラン、厨房、クリニック、スパ、など運営に必要な最小限の施設を完成し、6月開業とのこと。現在、地下の工事が鋭意進められていたが、1階の居室については全室、ほぼ完成しているとのこと。  教授は、施設の充実度は日本の有料老人ホームと比較してもそん色ないと絶賛していた。また、日本の介護の状況を考えると、フィリピンで介護ということが切り札になろうとも仰っていた。このことはフィリピンの雇用を創出するばかりでなく、介護保険の破綻がささやかれている日本の現状においては日本の政府をも救う手立てとなろうとのこと。  しかし、その良さを理解して海を越える決断を介護老人にさせるのが難儀であることも事実で、突破口として誰がどんな策をとるべきかなど話し合った。その中で、具体的かつ比較的簡単にできるであろうことは、PRAが、介護が必要な両親を申請者の同伴者と認め、追加の定期預金なしに両親を同伴できるという施策ということになった。60歳の定年を迎え、フィリピンなど海外で暮らしたいが、介護が必要な両親のために日本を離れられない、というような状況にある退職者にとって、1石2鳥、あるいは3鳥の解決策となるだろう。   アモーレの里の岸田さんはオーナーである兄、あるいはPRA退職者クラブの家田会長などを動かして、PRAアグリパイ会長に本件を働きかけてみるとのことだった。なお、このアイデアは私がPRAに在籍しているときにマルセロ副長官を通じて働きかけていたが、日の目を見ないままでいたもの。

介護施設‐アモーレの里の進捗状況2009年3月25日



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 マカティ在住の退職者が美人局の被害に遭った。以下その方のレポートだ。  3月12日夕方5時ごろ、マカティのグリーンベルトの噴水付近で休んでいると、二人の若いフィリピーナに声をかけられた。「今、何時?」から始まって、コーヒーショップでお茶を飲むことになり、後で考えると実に巧妙に誘われた。10月には交換留学で日本に行くことになっている女子大生という触れ込みで、もう一人の女性は同じ部屋に住んでおり、今日が誕生日だという。 家で誕生パーティをやるから一緒に来ないかと誘われ、食材とビールを買ってカラオケなどを楽しんだ。ひとしきりすると一人が誕生ケーキを買いに行くといって出かけ、女子大生と二人きりになった。  街までケーキを買いに行っているから1時間は帰らないと、件の女子大生は執拗に誘ってくる。悲しいかな男の性で、段々その気になってくる。女子大生は言うことを聞かないせがれをたくみに奮い立たせ、丁寧にコンドームまで装着してくれて、行為に至った。その後、彼女はやたらと痛がり、トイレの便座は鮮血で不自然によごれていた。やがてケーキを買いに行った女性と、さらに別の女性が現れ、女子大生を慰めていた。その間女子大生は私に腰をさすらせて、その震えを感じさせるという迫真にせまった演技だった。  さらに女子大生の兄という男が現れ、妹は18歳のバージンで、自分はポリスだと脅された。さらに年の行った女性が現れ、今から病院に連れて行くから手術代が50万ペソかかるという。パニックに陥っていた私はクレジットカードで35万円(17万5千ペソ)分の支払いを薬局で決済してしまった。その後、撮ったはずの彼女らの写真が私のカメラから削除されていたので、騙されていたことに気がつき、クレジットカード会社に連絡を取って決済を中止するよう依頼して、幸いにも金額的な損失は免れた。 退職者が被害にあったグリーンベルトの噴水付近  こんな見え透いた詐欺にまさか自分がひっかかるなんて、思いもよらなかった、振込め詐欺もきっとこんなものなんだろう、というのがこの退職者の感想だ。いざ渦中の人となると自分を見失ってしまうものなのだ。次に、別の手口をアンヘレスのホテルのガードから聞いたので紹介する。  某国の退職者が街で女性と知り合いになり、ホテルに連れてきた。18歳ということなので中に入ることを許したが、その直後に警官が現れ、18歳未満の少女にセクハラをしようとしたということで、退職者を逮捕してしまった。少女は16歳で、理由は何であれ、18歳未満のアンダーエイジと行為に至ると犯罪である。退職者は示談ということで10万ペソを支払い釈放してもらったが、これは明らかに警官と16歳の少女がぐるになって仕組んだものだ。  だからホテルのガードは同伴の女性にはIDの提示を求め、18歳以上であることの確認と身元を調べる。一見面倒くさいが、顧客をこの手の犯罪から守る重要な役割なのだという。  そもそも、この年になってこと女に関していい話があるはずがない。100%金が目当てだ。しかも法外な金額だ。ならば、その手の店でリーゾナブルな対価を払って一時のアバンチュールを楽しむべきだ。ホテルのガードも、「素人は危ない、店で買ってくるのがもっとも安全」と言っていた。いざとなったらお店にクレームできるし、お店が厳しく管理しているから問題ないというのだ。お店がバーファイン(連れ出し料)の半分以上取ることが搾取以外の何物でもないと思っていたが、それも安全のためのコストと思えば高いものではないのかもしれない。

美人局にご用心2009年3月23日


 お手伝いしていた住宅の建設が終わり、引渡しも無事に終わったために、しばらくアンヘレスに行く機会がなかった。今回は住宅のタイトル(登記)の移動が完了したとの連絡がデベロッパーからあったので、その受け取りに出かけていった。1~2週間もあれば終わるといっていたものが、約2ヶ月もかかってしまった。お役所仕事だから仕方がないとは言え、タイトルがちゃんと移動されるまで所有権の公的な保証がないのだから、遅れると何かあったのではないかと心配になる。タイトルの移動を遅らせて、その間に他人に売却してしまうなんてこともフィリピンではざらにあるらしい。   エドサ通り沿いに走るMRTはノースエドサのSMで工事が中断されており、その延長工事がようやく開始され、急ピッチで進められていることは前に報告した。2ヶ月ぶりに工事を見てみるとその進み具合に感心する。少なくともノースエドサとNLEX(ノースルソン・エクスプレスウエイ)の入り口当たりまでの橋脚の建設は80%程度終わっている。橋脚が出来ると別の場所で製作した橋桁を載せて大方の形が出来てしまう。年内にはあらかたの施設の全容が出来上がるだろう。しかし、駅となる部分の建設が全く行なわれていないようなのが気にかかる。  パンパンガに入る辺りにある延々と数キロも続く陸橋の下の家については以前にも紹介したが、今回は良い写真が撮れたので、再度掲載する。まさに橋の下の家。小さいときに母親に怒られると「お前なんか橋の下から拾ってきたんだよ」と決まって言われたことを、いつ通っても思い出す。  アンヘレスに来たからにはフィールド・アベニューの探訪は欠かせない。フィールドアベニューの中ごろ、ちょっと脇の道に入ったところにウッドベルという日本レストランが開店していた。入り口のところに「一生懸命 営業中」と掲げてあるのがなんとも好感が持てる。今回はマッカーサーロードにある「なるほど」で食事をすることになっていたので、入る機会がなかったが次回は是非体験試食をしてみたい。英語の店名に中国風の門構え、それに赤いちょうちんとなんとも店構えに一貫性がないが、おいしければそれでよいのだ。   不況の影響か、100軒もあるというお店同士の競争が激しさを増している。なかでもなんどか紹介したアトランティスやドルフィンが頑張っている。左下の写真はアトランティスでやっているボディペイントショー、女性の体をキャンバスにして絵を描いて出来栄えを競うということらしい。残念なが毎週木曜日開催なので今日は客引きが熱心なドルフィンを覗いてみた。  ドルフィンは大分前に覗いたことはあるが、久しぶりに入ってみると、中は立錐の余地がないほどの混みようだった。客で混んでいるのではない、従業員やダンサーなどで店が一杯なのだ。たいした広さでもないところに300人の女性が働いているという。なんとまた、このオーナーは雇用の創出に貢献しているのだろうと感心してしまった。カルチュラル・ダンサーと呼ばれる女性が次々とショーを見せてくれる。一杯たったの100ペソ足らずの飲み物を注文すれば、これだけのショーを見れるのだからなんともお得だ。そうこうしているうちに客席も一杯になってきた。これらのダンサーもテーブルでお相手をしてくれる。もちろん一杯250ペソのレディズフォリンクは必須だ。2時間ほどいて、レディズ・ドリンク2杯、ジントニック3杯でしめて800ペソ(1600円)足らず。なかなかの満足度だ。  最後にちょっとセクシーな写真を一枚紹介しよう。一般にこの手の店では写真撮影は厳禁なのだが、ここではOKな店が多い。かつでマニラのエドコン (EDSA International Entertainment Complex)にカメラを持って入ったら、ガードにつかまりそうになってしまった。写真好きな人は是非アンヘレスに足を延ばしてほしい。

久々のアンヘレスの旅2009年3月22日