Daily Archives: February 11, 2016


3年ほど前から、息子が黒豚の放牧養豚に挑戦して、フェンスなどを作ってきた。そして、4頭の子豚で始めたものが、15頭ほどに増えて、そろそろ収穫の時期を迎えた。 一般的な食用の豚は、放牧すると死んでしまうそうだ。要は食用に改良された豚は自然の環境では生き延びることが出来ず、豚小屋と人工的に作られた飼料を与え続けなければならない。しかし、その飼料には抗生物質などが入っていて人の体にどんな影響を与えるか計り知れない。 猪に近い黒豚(Native Pig)ならば、草や残飯、あるいは糠で成長し、手間と時間はかかるが自然農法に通じるものがある。そこに目をつけて4頭の子豚を購入して飼育を開始したのだが、意外と手間取った。ちなみに普通の白豚は半年くらいで食用に供されるが黒豚は2年ほどかかるようだ。 正月も開けて、いよいよ去勢しておいた雄豚一頭を試しに食べてみようということになった。ちなみに去勢しないと肉が臭くて食べられないそうなのだ。そして1月2日、いよいよその時がやってきた。 頭数も増えて、いつもいずれかのメス豚が妊娠している。お産の時が近づくと妊娠しているメス豚は草を噛み切ってせっせと木陰に運んでいる。誰が教えたでもないだろうに生まれてくる子豚のための巣を作っているのだ。なんともはや、心が打たれる自然の営みだ。人に食べられるために生まれてきたとは言え、メス豚は本能に指示に従って、けなげに子育ての準備をしているのだ。 この日が豚生の最後となる雄豚は、それを察しているかのように抵抗する。ファームハウスの裏手につれていくのも3人がかりだ。   いたいけのない雄豚、その目も悲しみをたたえているように見える。 鼻をなたで一撃され、どっと倒れ、即座に頚動脈を一突きされ血を抜かれる。この血も大切な食用となるから大切に回収される。 そして、お湯をかけながら毛をそる。肌は意外にも真っ白だった。息子は、これから頻繁に処分することになるので、自ら手がけることにしたが、これが後から思いがけない結果を生むことになった。 豚の頭はレチョンにしたら最高だ。しかし、静かに眠る黒豚には哀れを感じさるをえない。    黒豚の肉は硬いので数時間かけてアドボにして一部を翌日マニラに持っていった。歯ごたえがあり、脂肪までもおいしくて、みなハッピーの様子だった。 しかし、翌日、息子から連絡が入って、どうしても黒豚を食べられないという。手塩に育てきた黒豚の顔を思い起こすと、吐き気がして、とても食べることなど出来ないというのだ。黒豚を殺すときの顔が夢にまで浮かんでトラウマになってしまったのだ。ビッグマミーも感情的にとても口をつけることはできないとのことだ。そのため、数日後、冷凍された肉はすべてマニラに送られてきた。 […]

黒豚の悲哀 2016年2月11日


こともあろうに1月1日、チト・アラン(マム・ジェーン一家の次兄)の5人目の子供(アリヤナ)の洗礼式(バプティスマル)が執り行われた(ちなみに赤ん坊の母親は3人目だ)。といっても、いわゆる集団洗礼式で、午前中、近所の教会(サンアントニオ教会)で、数十人の子供が参加して、一辺に済ませるものだ。一般庶民はこれが普通で、5年前のKIANの洗礼式は教会とレストランを貸切でやったが、これは特別だ。 息子は、ニノン(後見人)になるよう依頼され、式に出席した。ニノンになると、人生の節目節目で面倒を見る必要がある。したがってかのマルコスは数万人のニノンになったそうだ。 式のあと、両親双方の姻戚が集まって、披露宴が農場で行われた。当方は、当日までそのことを知らなかったが、母親は近所の農家の出で、13人兄弟だそうで、かなりの数の来客となった。 この日の披露宴の主役は、アリヤナ。KIANは案外おとなしく見守っていた。 食事の後は子供達をプールに招待。大人たちは酒盛りだ。 この日は残念ながらマヨンを拝むことは出来なかった。 以前、農場で暮らしていて私がお世話になった デビナも結婚して一児の母になっていた。2週間後にやはりサンアントニオ教会で洗礼式を行ったそうだ。息子とも親しかったのでお決まりのニノンの依頼があり、今後、一生の面倒を約束させられたようだ。   

チト・アランの5人目の子供の洗礼式 2016年2月11日



いよいよ大晦日、今年も盛大にクリスマス兼年越しパーティが行われた。しかしながら、はしゃぎすぎたのかKIANは熱を出して体調不良だ。 しばらく休んで体調を回復したKIANはパーティの余興に参加。それまでの不調が嘘のようにパフォーマンスを披露する。パーティ・ボーイの面目躍如だ。   CIMG4570 写真番号をクリックして、KIANの踊りの動画をみてください しかし、パーティが始まるころには再びダウン。 肝心の家族一同の記念撮影に参加できなかった。 それでも気力だ回復して復帰。クリスマスプレゼントの配布に参加。 12時の鐘がなると、悪魔祓いの儀式が開始される。   そして、深夜の食事会、これで今夜2回目の食事だ。。        外では、この日、犠牲になった豚の料理が早朝まで続けられた。これは翌日のアランの5人目の子供の洗礼式(バプティスマル)のものだと後から知った。

恒例のクリスマス兼年越しパーティ 2016年2月11日


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農場の農産物と言えば、まともなものは米だけだが、最近、息子が滞在して、色々な農産物に挑戦している。ゆくゆくは自給自足を目指しているが、目標としては有機無農薬の一歩先を行く、無肥料無農薬(自然農法)だ。虫も食べないような野菜は人間に良いわけがない。また、自然の植物の堆肥以外の鶏糞や牛糞などもなにが混ざっているかわからないし、有機というだけで安全というわけにも行かない。だから、自然の草木以外の肥料さえもやらないというのがポリシーだ。 ちなみに、農場で出来るバナナやパパイヤなどの果物は、幸か不幸か、植えただけでほったらかしだから、期せずして自然農法となっている。 安価で栄養価の高いパパイヤ。いつでもどこでも幾らでもなる。しかも青い実は野菜、熟したものはみずみずしい、マンゴ、バナナ、パイナップルと並んで熱帯果物の王様だ。 糖尿病などにも効くというグアバ、甘みもなくて、果物と呼ぶのがふさわしいかどうか疑問がある。 チョコレートは大好きでも、その原料を知る人は少ないだろう。木の幹から直接なっているカカオがそれだ。 白い果実に包まれた茶色の実、これがカカオだが苦くて口にする気にはなれない。 白い部分を食べて、残った種を乾かして発酵させ、すりつぶしたものがチョコレートの原料となる。さらに砂糖と油こねて食べるのだが、市販のチョコレートのまろやかさには遠く及ばない。 いよいよバナナだ。一生に一回しか実をつけないが、その量には圧倒される。自然農法のバナナはほの甘くておいしい。 このえたいのしれないバナナも立派なバナナで、案外おいしい。まさにバナナの原種を思わせる。 一見、ただの草のようだが、レモングラスという立派なハーブだ。ハーブティーやチキンのおなかに入れて香りを出すのに使われる。農場の道沿いには大量に生えている。 日本から持ってきた種でつくった貝割れ大根。息子の味噌汁の具として重宝している。   地上最大の果物として有名なランカ(ジャックフルーツ)。果物の王様あるいは悪魔といわれるドリアンに似ているが、はるかに食べやすい。これも若いうちは野菜として、熟すと甘い果物として重宝されている。 今回、初めて見かけたが、なにやらおいしそうだ。塀を覆っているポインズンアイビーが育ちすぎて実をつけたものだが、その名の通り毒がある。 農場の主な産物は米だが、これは、農夫に任せっきりで、無肥料、無農薬にはまだ程遠い。いずれ、私が引退して農場に常駐するようになったら挑戦するつもりだ。

農場の産物 2016年2月11日



今年の年末年始はマヨン火山の当たり年で、その風情を十分味わうことが出来た。 まずはじめは夕方、マヨン火山をバックにポーズをとる我が家のカメラマンのアテ・キム マヨン火山を覆うような雲。ちょっと風情がある 今、農場で暮らしている息子のバイク姿。バイクでタバコ市に買い物に行った帰りだ やしの木とマヨン火山の組み合わせはよく似合う   ビアンカと、ハイスクール時代の親友とのツーショット   トヨタFJクルーザーとマヨン火山の相性は今一かも   筆で書いたようなくも、かなりレアものだ   KIANとマヨン火山とのツーショットはたくさんあるが、KIANももはや少年だ 玄関からのマヨン火山、カラチュチの花がないのがさびしい    […]

マヨン火山百景 2016年2月11日


農場にやってくると、KIANは、必ず、もうマニラには帰りたくないとダダをこねる。同年齢のいとこもたくさんいて遊び相手には事欠かないし、農場の中を自由に走り回って、動物たちに餌をやったり、まさに農場はKIANにとって天国なのだ。 まずはKIANとその家族のショット。 カラオケは、いつも子供達の一番人気だ。KIANも知らぬ間に画面を見ながら流行の歌を歌っている。英語の家庭教師のおかげか、KIAN読み書きも大分上達したようだ。これなら遊びながら読み書きを覚えるので、KIANにはカラオケが一番と奨励することにした。 KIANが退屈しないようにとレゴを持参したが、子供達は夢中になって遊んでいた。ビアンカはちょっと違った形でレゴに参加している。 子供達のスナップ写真。みな写真を撮られるのが大好きだ。   プールの近くに作られたベンチ、これはコンクリート製だが、なかなか風情がある。夜、照明をつけたらなかなかのムードだ。 公文の宿題を使って小学生でコンテストを行った。9+7=?や11+8=?などの単純なものだが、小学生のいとこ達は、指を使って、まるで指の体操のようだったが、KIANは指を使わないで、すらすらと解いていく。まさに公文の学習の成果だ。スピードはかなわなかったものの、指を使うことを禁止してみたら、KIANが勝っていた。KIANが小学校に入るころは5歳上の子を凌駕するのは間違いない。 KIANは動物のえさやりが大好きだ。二つ目の写真ではKIANの手のひらにトンボを受け取ろうとしている。 最後はKIANのソロ写真。一枚目はマジック、二枚目は庭の花をプレゼント。最近は、このなんともいえない表情をする。     

農場は子供達の天国 2016年2月11日



農場を開設して13年目に入るが、農場の雰囲気を維持してくれているのが家畜たちだ。見方によっては何の役にもたっていないともいえるが、農場の顔とも言える存在だ。 ファームハウスの前にいるのがお猿さんだ。前回の訪問でその死に遭遇したが、新しいのがやってきていた。今回のお猿さん(モイモイ)はどういうわけか女の子が好きで、アティ・キムと親しくしている。 牛が3頭いるが、馬と一緒に農場の草を刈ってくれている。いずれレチョンになる運命だが、えさ代がかからないのが救いだ。ちなみに牛はバカ、馬はカバヨと言うが、なんとなく日本語に通じている。 フィリピンではもっとも盛んな紳士の娯楽、たしなみの闘鶏。ちなみに農場ではジェーンの兄弟が闘鶏を飼育している。雄同士が出会うと即座に戦いが始まるという本能がゆえに闘鶏場では毎日数十羽の闘鶏が命を落とす。 最近、我が農場の住人となったヤギ(カンビン)だが、おりを逃げ出しては、農場の作物を食い荒らすので害獣ともいえる存在だ。ただ、その乳と肉は貴重品だ。 最近知らぬ間にアヒルが増えていた。このアヒルの卵が絶品で、オレンジ色の黄身は盛り上がって生食がたまらなくおいしい。 裏庭にかわれているウサギ。何のために存在するのかは不明。ダシンおじさんはKIANへのプレゼントだというがKIANは全く興味を示さなかった。     KIANも豚さんには大分慣れてきたようで頭をなぜる余裕も出来てきた。 家畜の真打はカラバオ(水牛)。田んぼの耕作、荷物運びと万能選手だ。しかも餌もいらず、水さえあれば生き延びてくれる。そろそろ子供も作れるお年頃で、農場にカラバオが複数たむろするのが楽しみだ。ちなみにカラバオの乳も美味でヨーグルトやチーズも期待できる。

農場の動物たちの近況 2016年2月11日


昨年、私の知らぬ間に子供用のプールの建設が始まっていた。確かに悪くは無いアイデアではあるが、先立つものの準備もなしに、突っ走ってしまい、後から金の算段をするという、まさにフィリピン流だ。もちろん、付けは当方に回ってくるのだが、KIANの期待を打ち砕くわけにはいかないの、なんとかするしかない。そしてまた、何とかなってしまうところが、フィリピンらしいところだ。直径5mくらいの小さなプールだが、KIANが遊ぶには十分だ。おかげで、玄関先の庭はプールで占領されてしまった。 このプールはKIANのために作ったようなものだから、自分専用のプールと思っている。 しかし、一人で遊んでも面白くもなんともないから、いとこ達が積極的にジョインする。しかし、喜んで一緒に遊ぶのは小学生どまりだ。 フィリピンでは、日差しが強過ぎるせいか服を着たまま泳ぐ人が多い。 特に女の子は肌を見せることを極端に嫌う。10歳のヤナにしてもしかりだ。 もともと水遊びが大好きなKIANは朝から夕方まで水に入りっぱなしで、飽きることを知らない。 KIANにとってはまさに至福のひと時だ 大分水に慣れてきたKIANは、水にもぐることも出来るようになった。   さらにKIANはダイビングに挑戦だ。     1月1日はおじさんのアランの赤ちゃんの洗礼式があり、母方の姻戚が招待され、その子供達も プールの人泳ぎを満喫した。    […]

KIAN、待望のプール遊びに満喫 2016年2月11日



今年のクリスマスイブは数十年振りの満月となった。曇りがちだったが、見事な満月の写真を撮ることができた。夜はもっぱら農場で過ごしていたが、ビザの発行を待っている間、農場を訪問された退職者を伴って、タバコの夜の街を散策した。 タバコ市の夜はクリスマスの飾り付けで賑わい、市役所前の広場はなんと雪だるまが並んでいた。 大晦日の夜は花火で新年を迎えるのが慣わしで、街は爆竹と花火の煙でかすむ。市役所の前には年に一度の花火売りの屋台が並ぶ。 昨年は子供達が喜んでいたので、今年も大量に花火を仕入れようとしたが、ママ・ジェーンのきついお達しで、アティ・キムとKIANが見張っていて、購入を断念した。毎年、全国で花火の事故でけが人が続出するためだ。特に中国製の花火は暴発して危険だとママ・ジェーンは眉を吊り上げる。 マーケットの前の駐車場は、衣類、果物などを売る店で屋台で埋め尽くされていた。 特に果物は豊富で、これは丸いものは福を呼ぶ縁起物であるためらしい。 私の好物のダランダン(柑橘系)も豊富だった。 年末年始の田舎町は故郷にUターンした人々で人口が2倍程度になっているのではないかと推定されるが、それにしてもこれだけの豊富な物資が並ぶということは、フィリピンも豊かなのだとさえ感じる。 この地方の名物のピリ・ナッツも豊富だ。カラメルを絡めたのが主流だったが、最近はガーリック、塩、など味付けも多彩になった。私は、単純に炒ったものが好きだ。  食べ物の屋台は、やはりチキンのから揚げが圧倒的だ。 ロンガニサと呼ばれるソーセージも多いが、赤い卵(塩漬け)に興味を示すKIAN。 KIANは毎週、2回、公文に通って、足し算を勉強しており、5歳にしてはかなり算数の達人になりつつある。その公文がこんな地方都市にも進出している。

クリスマスの街は屋台で溢れていた2016年2月11日