Daily Archives: October 25, 2010


10月14日に解禁されたバランガイの選挙運動から10日後の今日、25日は全国で投票が行なわれている。そのため、フィリピンでは今日は臨時休日となった。   バランガイとはフィリピンの最小行政単位で、東京なら区の中の町、あるいは市の中の町ないし村に相当する。バランガイ議長(キャップテン)一人と議員(カ ウンセラー)7人、さらに15~17歳の未成年者で構成される青年評議会(SK)議長と議員7人が選ばれる。任期は3年、4選は禁止。 バランガイはスペイン統治以前から存在する行政組織で、全国に4万3千のバランガイがあり、区域のインフラ整備、社会福祉、環境・衛生活動、フィエスタ (お祭り)などの娯楽、住民同士のトラブルの仲裁などの役割を持つ、いわば村長さんだ。政府から給与と予算を与えられ、その支出が一存で決めることが出来 て、何かと実入りも良いそうだ。  近所の知り合いや友達、親戚あるいは親兄弟が立候補する選挙とあって、家族ぐるみあるいは友人同士の選挙運動が繰り広げられる。応援する友人のために道端 でダンスの練習に余念の無いハイスクールの生徒や、トライシクルに乗っておそろいのT-シャツを着て行進したり、身近な選挙戦だ。  たまたま選挙直前に訪れたアンヘレスのフィールド・アベニューでは道路を遮断して応援演説会ないしショーが開かれていた。はでな衣装に身を包んだ応援者も控えていたが、あいにくの雨で観客は少なめ、当方も長居はせずに、立ち去った。  ちなみに私の相棒のジェーンのお兄さんが、ビコール地方タバコ市、バランガイ・クボのカウンセラーに立候補した。ジェーンは大分前からポスターなどを用意していたが、選挙直前の21日(木)に息子のキアンを連れて応援に出かけて行った。地元ではかなり知名度の高いジェーンは連日、自宅でパーティを開き、多くの人に食事を振舞って清き一票を依頼した。キアンも笑顔を振りまいて多いに選挙戦に寄与したそうだ。そのため農場の子豚2頭が犠牲となり、レチョンとして振舞われた。スコーターに住んでいる人々は滅多なことではレチョンなどにありつけないので、満面に笑みを浮かべて味わっていたそうだ。ジェーンの応援が あればきっと当選するに違いないと、弟のボボイが話していたが、翌日に知った開票結果によると次点の8位で当選はならなかったとのこと。  首都圏マニラではさほどの盛り上がりは見れないが、地方ではかなりはでな選挙戦が繰り広げられていたようで、私はマニラに残っていたので、その様子を写真で伝えられないのが残念だ。  ところで選挙会場は、5月の全国統一選ほどではないにしても、なかなかの賑わいだった。選挙会場のバランガイの体育館ではまるで繁華街のように人が集まっ ていた。選挙も一種のお祭りにしてしまうフィリピン人のことだから、選挙を楽しんでいるようだ。ちなみに夕べはレストランやサリサリでは酒の販売が禁止されている。酔っ払って興奮して暴力事件が起こるのを未然に防ぐためだそうだ

バランガイ選挙(10月25日)2010年10月25日


友人から、国鉄の駅に人が溢れているとの情報をもらって、取材に出かけてきた。ここ1~2年で線路周辺のスコーターが撤去され、確かに整備事業は進んでいるものの、何せ車両は1世紀は立っていようかというぼろ車で、沿線のスコーーターの住民の出すごみ収集車の役割しか果たせなかった代物だ。  ところが、韓国の援助で国鉄が近代化されたというニュースが昨年7月15日に報道された。しかし、たったの3両編成の列車2基でデビソリアのトトバン駅とビクータン駅と間、18kmをと1日、たったの2往復するだけで、何の役に立つのかと、このブログでこき下ろした。  ところがその国鉄が確かに全うな鉄道の体をなしているのだ。ブエンディア駅に行って見ると、駅もきれいに改修され、通勤通学の人々がたくさん列車を待っている。そこに颯爽と入ってきたのは件の韓国製の列車だ。 駅で待っている人に話を聞いてみると、朝夕のピーク時には30分間隔で運転され、車内は冷房が効いて快適だそうだ。運転区間はトトバン駅からメトロマニラのはずれのアラバンまで延長され、マニラ通勤圏を網羅ているとのこと。列車は3両編成だが数は大分増えたようだ。 ちなみ、この国鉄はビコール地方、レガスピまで、約500km通じていたのだが、4年前の台風レミンによりほとんどの鉄道橋が破壊され、ラグナ以降は普通となっている。当時、アロヨ大統領は2009年内にレガスピまで開通すると豪語していたが、そんなニュースはいまだ聞いていない。レガスピ付近の線路も見ても草や土砂で埋もれたままだ。例え開通しても昔のように24時間もかかっていたのでは誰も利用しないだろう(ちなみにバスなら10時間で行けるところだ)。韓国からのODA資金5千万ドル(40億円)を投じて整備しているそうだが、メトロマニラ圏内の通勤列車として機能させるのがやっとでは、ODA投資金の返済など覚束ないのではなかろうか。  左下の写真がエドサを走る環状線のMRT、右がマニラを横断するLRT2だが、乗車賃が15ペソ程度と低めに設定され、朝夕のラッシュ時にはあれほど混んでいるのに万年赤字だそうだ。メトロマニラの地獄の渋滞を解消する唯一の切り札なのだから、運転列車数を増やすなり、早急な整備を期待したい。    

国鉄(PNR)の復活 2010年10月25日



オルティガスのシャングリラ・モールのKIMONO-KENという日本食レストランで食事をした。マニラには 東京・東京、来来軒、テリヤキボーイ-太った少年、KITAROなどのフィリピン人向け和食チェーンが存在するが、我々日本人にはちょっといただけない和食もどきレストランだ。しかし、このKIMONO-KENはちょっと一味違うというので試してみた。       KIMONO-KENは他のファストフードとは違って高級感が溢れ客層もよさそうだ。一食が200~300ペソと、マカティ・スクエアのMARUCHANあたりと比べてもそん色ない価格だが、こんなところで食事する中間層が増えた証拠だ。 メニューとしてはありきたりの和食だが、たしかに違和感が無い日本食だ。日本人が食事をする本格的和食レストランと違い、イカの塩辛、しらす干し、枝 豆...などの一品料理は無いが、刺身、すし、天ぷら、...など、一通りの日本食は揃っている。スし握りと白身魚のフライを試したが、少なくとも和食もどきではない。日本で言えばファミリーレストラン並みといえるだろう。フィリピン人が好むようなメニューをそろえているが、日本人をターゲットとしたレストランと比べて味の違いは区別できないだろう。なまじフィリピン人好みの甘い味付けにしていないのに救われる。  ここシャングリラ・モールの地下にはおでんのコーナーがあった。さらに入り口近くには東京東京レストランがあった。東京東京レストランは、今もっとも元気が良い和食チェーンだ。KIMONO-KENはマニラで7軒あるそうだが、オルティガスのシャングリラ・モール以外はモール・オブ・エイシア、SMノース・ エドサ、ロックウエルなどに店を構えているそうだ。  

和食チェーン着物軒(KIMONO-KEN)の紹介 2010年10月25日


世界で一番長いクリスマスを楽しむといわれているフィリピンでは、10月に入るとすでにクリスマスの準備が始まる。毎年地味になるクリスマスだが、クリスチャンのフィリピン人にとってはクリスマスなくして年をこすわけにはいかない。下の写真は、マカティのアヤラアベニューで11月7日に撮ったもの。マカティの中心、アヤラ・アベニュー、マカティ・アベニュー、パセオ・デ・ロハスがかざられている。 10月に入ると、サウス・スーパー・ハイウエイ(オスメニア通り)とブエンディア通りの交差点近くにはパロル(クリスマス・ランタン)を売る多くの店が開かれる。しかし、今年はほとんど店が見当たらず、1本南側の通り、デラ・コスタの通りに10軒ほど店が開いているだけだ。今年から出店にはメイヤーズ・パーミット(営業許可)が必要となり、税金が高く、店を開いても稼ぎにならないから、店が少ないとのこと。ここでも新行政の庶民いじめがあるようだ。    パロルは決して安いものではない。30cmの小さいもので2000ペソ、70cmで3000ペソ近くする。だから庶民はシーズンがおわると大事にとっておいて、来年もまた使う。また、毎年同じ大型のパロルを飾っているビルもある。  クリスマスに欠かせないもう一つの飾りがクリスマスツリーだ。デパートやナショナルブックストアでは所狭しと飾り付けの材料を並べ、クリスマス気分をあおっている。

フィリピンはクリスマス・シーズンに突入 2010年10月25日