Monthly Archives: July 2010


7月29日から31日まで開催されたPhilippine Real Estate Festival 2010を見学した。場所はモール・オブ・エイシアのあるマニラ湾の埋立地で、大きな会場には数え切れない住宅のデベロッパーが集合していた。しかし、業 界大手のアヤラコーポレーション、メガワールド、フェデラルランド、シティランド、SMDCなどが見当たらなかったので、メトロマニラ周辺の開発案件の半数程度が出展されているものと推定される。        入り口にはサンミゲルの名前をかぶせたジオラマが飾られていた。あの食品業界の巨人、San Miguelよ、お前もかといったところだ。なぜなら、最近目に付くのが異業種からの住宅開発への参入だ。SMシューマートはマカティを初めタガイタイ、 オルティガスなどに大型の開発を進めている。建設業界の雄、DMCIも他人の儲けのために建設工事を請け負って必死に頑張るよりも自らが販売まで手がけて 大きな利益を手にしようという魂胆だ。  かなり広い会場だったが、平日のせいか人出は少なく、各ブースの係りの人の方がはるかに多かった。ブースに飾られた物件は、ほとんどが高層のコンドミニア ムで、メトロマニラのあちらこちらに建設中のコンドミニアムを売り込もうというだろう。しかし、これだけの数のコンドミニアムを建設していて、果たして勝 算はあるのだろうか。入居者が集まらず、ゴーストタウンになってしまうことはないのだろうか。  たしかにメトロマニラには数百万人もの人々が住居とも呼べない、狭い、汚い、危険なところに住んでいる。名物のスコーターには一人一畳もないところで […]

フィリピン不動産フェアを見学 2010年7月30日


女性のセクシーなボディは男性のあこがれであると共に女性にとっては女であることの証でもある。美白と同様、美容に関わるものにとって永遠のテーマだ。。下の写真はアンヘレスのゴーゴー・クラブ「アトランティス」、ほとんどの女性が10代でセクシーなボディを誇らしげに披露している。   数年前、女優クリス・アキノが脂肪サクション(吸引)により、セクシーなボディを取戻して再びスターダム(ちょっと言葉が古いけど)にのし上がったことにより、その手術を行なったベロ美容クリニックが大繁盛した。左下の写真がクリニックのオーナーのベロ、右は兄ノイノイ・アキノ大統領候補の応援演説をするクリス・アキノ。  したがって、フィリピンではちょっと太った女性でお金持ちは、食べすぎと運動不足でたるみきった腹、腕そして太ももの脂肪を手術で簡単に取り除いて、セクシーなボディを取戻そうとする。ちなみに手術料は25万ペソ程度というから、こんなことのために大金を払える人はそういるもんではない。   手術はまず、機械で脂肪をぐちゃぐちゃにしてチューブで吸引するそうだが、脂肪には神経がないからさほど痛くないらしい。こんなことをして細くなったとしても、食習慣を変えない限り所詮元の木阿弥だと思う。しかし、ダイエットで食事を制限するのは辛い、でもセクシーになりたいという女性の願望を留めることはできない。   私がPRAにいる時代に色々とお世話をした日本人のカップルがいる。しばらく日本に帰っていたのだが、先日電話がかかってきた。フィリピン人と結婚している奥さんの妹さんがこの脂肪サクションをやって、1週間後に亡くなってしまったのだという。入院費や葬式代はクリニックで持ったものの、このままでは気がすまないから、何とかしたいという。話は単純なので、弁護士を雇って法廷闘争に持っていくしかないだろうとアドバイスした。   私に言わせれば、そもそも体の一部を機械的に取り除くなんて、体に良い訳がない。クリニックから戻って2日目に痛いと言い出して、肌が茶色に変色し始めたという。そして入院し、1週間足らずの命だった。詳しい原因はわからないが、健康だった人が術後に変調をきたしたのだから、手術に起因していることははっきりしている。どこが大事な神経や血管を傷つけてしまったのかもしれない。 脂肪サクションが死と隣り合わせた危険な手術であることなど報道されたためしがないが、ここで大いなる警鐘を鳴らしたい。これは、まさに死亡サクションなのだ。やはり、地道な食事のコントロールと運動でセクシーな体を取戻すあるいは維持して欲しいと思うが、それがいやならセクシーな女であることをあきらめるべきだ。何事を達成するにも努力は欠かせないのだ。    余談だが、娘さんは日比混血でいわゆるメスチーサの美人だが、日本語とタガログ語と英語を自由にあやつる才女だ。名門ラサール大学を卒業して近々航空会社でスチュアーデスとして働くことが決まっている。5年前にあったときより随分やせているので、セクシーになったねと冷やかしたら、この1週間で13kgやせてしまったのだという。ほとんど食事も喉を通らなかったそうだ。そこで「怪我の功名」だねと言ったら、わかってもらえなかった。日本で小学校を卒業してからフィリピンに来たそうなので、無理のないことかも知れないが。

脂肪サクションの恐怖 2010年7月29日



フィリピンに暮らしていて大変便利だけれども難敵なのがジープニーだ。いつでも待たずに乗れて、格安でぼられる心配もないジープニーが乗りこなせたら、一人前のマニラッ子だ。ご承知の通り、ジープニーは路線が決まっていて、行き先をちゃんと把握して乗らないととんでもないところに連れて行かれてしまう。だから、行き先の地名を知らないとどうしようもない。私も、自宅付近を基点に毎日のように行くマカティ・スクエアー(リトル東京)やPRAなどはジープニーで行くことが出来るが、そのほかは全くだめだ。  そこで誰でもが思うのがジープニーの路線図があったら、何とか乗れるであろうと、いうことだ。それが、ついに発刊されたのだ。作成したのは久保田さんという人で、とりあえずは英語版が7月1日に発刊され、いずれ日本語版も出るそうだ。ジープニーの他にバスやフェリー、国内航空便の情報も載っているコンパクトなマップだ。版権の関係で中身を紹介できないのが残念だが、是非手にとって見て欲しい。一冊250ペソでマニラではフレンシップ・ツアー(電話840-1060)で発売している。ドーシットホテルの3階に事務所があるので、ついでがあったら寄ってみるとよい。 ところでジープニーをもっぱら利用しているのはフィリピン人なんだから、何故フィリピン人向けのジープニーの路線図が存在しないのだろうか。私の推定ではマップに書かれた路線をフィリピン人は理解できる人が少ないためと思う。実際、彼らはどこへ行くにも住所さえわかれば、人に聞いて目的にたどり着いてしまう。地図を見せても使わない、あるいは使えない。要は地図を見て、場所を鳥瞰してとらえるのではなくて、平面の上に立ってとらえているのだ。すなわち、一番目の角を右に曲がって大きなビルが見えたらその先100m位のところ、てな具合である。たしかにそのほうが混沌としたフィリピンでは実際的かもしれない。

待望のジープニー路線図が発売された 2010年7月28日


私の住まいはマカティのはずれ、パソンタモから少し入ったサン・アントニオ・ビレッジの一角のマカティ・プライム・シティ・コンドミニアムで、パーム・ タワー・コンドミニアムと隣接し、高層、低層そしてタウンハウスの建物が10数棟建ち並ぶマカティでも有数の集合住宅街だ。このほどわけあってこの住宅街 にある3階建て延べ床面積200平米のタウンハウスの取引に関わることになった。  一階は駐車場とリビング、2階がダイニングとキッチンそしてマスターベッドルーム 、3階にはベッドルームが3室、さらにバス・トイレが全部で4つあり、ちょっと古いタイプの大型の住居だ。現在建築中のコンドミニアムは、ほとんどが25 平米あるいは50平米、大きくても100平米を超えることはない。それは新築コンドミニアムの平米単価が10万ペソ近くになり、100平米なら1千万ペソ (2千万円)となってしまい、とても庶民の手が出る範囲ではなくなってしまった。25平米~50平米の小さなスツジオあるいは1ベッドルームなら250 万~500万ペソで、なんとか住宅ローンが組める範囲なのだ。  マカティの中心街を外れるこの付近の中古コンドミニアムは平米単価が5万ペソ程度で、50平米程度のものが200~250万ペソで手に入る。したがって、 新築にこだわらなければ半値以下のお買い得で、人気がある。一方、200平米となると、そのままの単価を適用すると、1千万ペソとなってしまい、買う人は いない。そのため、平米単価はぐっとさがり、今回ハードなネゴにより、400万ペソで取引が成立した。平米単価は2万ペソでかなり有利な取引となった。し かし問題はこの取引に関わる税金だ。 ちなみに不動産の取引には下記の税金がかかる。 1.  キャピタルゲインタックス(Capital […]

コンドミニアムの路線価格の怪 2010年7月27日



日本では消費税引き上げの議論が活発だ。いくら国民の負担増になるとはいえ、政府としては財源を確保しなければ何もできない。借金だけに頼っていてはいつしか破綻して破産宣告をして借金を帳消しにしてもらうなどの処置を取らなければならない。そうなると国債に投資していた金融機関や個人も連鎖して破綻、まさに日本沈没だ。日本はなんともいえない難しい選択をせまられている。  フィリピンではアキノ新大統領が就任するまでの半年間にアロヨ政権は大半の国家予算を使い果たし、新政権の政策に使える予算は年間予算の10%しか残っていないとアロヨ政権を非難している。しかし、アキノ大統領は増税や新税の創設をしないと宣言しているので、安易なVAT(付加価値税、消費税)をあげることは出来ない。賄賂や汚職をなくして、とるべき税金をとりさえすれば財源は確保できるという主張だ。ちなみにフィリピンのVATは12%と先進国並みの重税だ。また、フィリピンで所得税などの税金をまともに払っている企業は皆無だという。税務署が賄賂を見返りに積極的に脱税を勧めるというお国柄なのだ。しかし、現在は新政権の様子見で税務署も沈黙を守っているようだ。       (街中50m毎にあるといわれるコンビニエントストアの元祖、サリサリ・ストア(何でもあるという意味)。日常の生活に必要な品物は何でも売っており、タバコなどは1本づつ、携帯のロードまで10ペソ単位でばら売りをして庶民の生活を支える)     そして、新政権が打ち出したのが、国民の40%が従事しているという零細自営業者への課税だ。現状、課税を免除されているサリサリ、トロトロなどの零細小売業、さらにマーケットの小売商、挙句の果てにトライシクルやパジャックにも所得税を課そうというのである。20ペソ以上の売り上げには領収書を発行して所得課税の基礎にしようというのだが、領収書の発行の手間や税金の計算だけでも大変な手間だ。 (ウエットマーケットあるいはパランケと呼ばれる公設市場は市町村の中心部に位置して、一坪程度の無数の小売商が建ち並び、肉や魚、野菜や果物、乾物などあらゆる食材を最も安く求めることができる、庶民の台所だ) (また、古都ビガンの街では広場に露天商を集めたバザールを開いて商品を格安で売っており、まさに庶民の買い物どころとなっている)  サリサリやパランケの売り上げは1日せいぜい数千ペソで、仕入れ、人件費、家賃などを引いたら、利益はせいぜい数百ペソ程度だ。メトロマニラの最低賃金約400ペソだが、それに届くかどうかといったところだ。それに領収書発行の手間や所得税を払ったら、利益はなくなってしまうと、店主は猛反発しているそうだ。街角のトロトロにしても同様だ。 (トロトロとは指し示すという意味で、調理済みの料理を指でさして注文することから来ている)、1食50~100ペソ程度で食べられて、これもまた、庶民の味方だ。ちゃんと店を構えたレストランとなると100ぺソ以上300ペソ程度もかかってしまう。それにVATもかかる )  一番可哀想なのはトライシクルやパジャックのドライバーだ。例え一日の収入が半分でも車両のオーナーにはバウンダリーと言われる定額の車両賃貸料を支払わなければならないので、学校の休みなど客の少ないときは持ち出しになることもある。そんな彼らから所得税をとろうなどという発想は貧困ということを体験したことのない富裕層出身のアキノ大統領だからこそできるのだろう。与党の下院議員も猛反発しているそうだ、こんなことをしたら、次回の選挙で当選するはずがない。これら貧困層はなんといっても国民の40%を占める大票田なのだ。  地方に行くと交通機関はジープニー、トライシクル(3輪オートバイ)、パジャック(3輪自転車)に限定されるといって過言ではない。街の角々には客待ちのトライシクルやパジャックが列をなしている。彼らの収入は、トライシクルで1トリップ往復で100ペソ程度、一日数回の往復で300~500ペソ程度、車両の使用料150ペソを支払うと200~300ペソ程度の手取りだ。これに対しパジャックは一回5~10ペソで一日の収入は100ペソ程度、自転車の使用料、25ペソを支払うと、一日100ペソに満たない手取りだ (こんな過酷な労働を強いる商売でも長い列をなして客待ちをしなければならないほど供給過剰で厳しい情勢になっている。金を稼ぐのが難しければ使う人も少ないという景気の悪循環だ)  

フィリピン版消費課税の嵐 2010年7月25日


先月末、荘厳な就任式を行なって大統領の座についたベニグノ・アキノ3世、ノイノイ・アキノ大統領は連日、旧アロヨ政権の不正を追求する姿勢を示し、絵に描いたような正義漢振りを発揮している。国民の支持率も高いようだが、フィリピンでは政治的腐敗あるいは汚職がまかり通っているだけに、正義を発揮するのにわかりやすくて容易なようだ。日本は政治・経済そのものが閉塞状態にあり、正義を貫いても何の成果も挙げれないが、その点フィリピンは単純だ。しか し、その正義の先にあるもの、要は国民生活に何の改善が見られず、アキノ大統領の自己満足だけに終わってしまったら、国民の支持は地に落ちるだろう。 ところで、アキノ大統領に二つの悩みがある。一つは彼がヘビースモーカーで、周囲が勧める禁煙を実行できるかどうか。そしてもう一つはマニラ名物のワンワン(自動車サイレン)の不使用を宣言したことだ。フィリピンでは政府高官や軍・警察の幹部は自家用車にサイレンを取り付けて、渋滞を逆走したり、信号を 無視して走ることが日常的に行なわれている。しかも、本物の白バイが観光バスを先導して走っているのをよく目するが、これは警察官のアルバイトで、私用に サイレンや公務上の権力を乱用しているのだ。。アキノ大統領はそれが権力者の横暴であるとして、自ら交通ルールを守って移動することを宣言したのだ。   そのため、自動車部品の販売店が集まっているバナウエの店頭からサイレンが消え、車からサイレンを取り外す注文が殺到した。政府高官や軍・警察の幹部はそ れぞれ数台保有する自家用車にもサイレンを取り付けており、さらに民間人も自家用車にサイレンを取り付けて不正に使用している輩が少なからずいたのだ。 一方、アキノ大統領は公式な会議に遅れることが常態化した。ご承知の通り、マニラの交通混雑は地獄のようで、いつ目的地に到着するかは神頼みだ。アキノ大 統領の到着を待つ関係者はたまったものではない。アキノ大統領がサイレンを使うのは合法であり、超多忙な大統領が公務を全うするためには必要なことだと、 取り巻きが主張しても、アキノ大統領にとって一ヶ月あまりで公約を翻すことはいかにも屈辱的で国民の信頼を裏切ることにならないとも限らないと、慎重なよ うだ。一方、世論は、いつまできれいごとを言っておれるものかと、少々冷ややかな目で見ている。 話は違うが、我が相棒の赤ちゃんも公園 デビューを果たして1ヶ月あまり、父親に抱かれて、あるいはベビーカーで外に出るのが大好きだ。悩みなのは両親で、夜が明けると5時前から外出をおねだり して騒がしい赤ちゃんにゆっくり寝ていられない。国家警察の幹部という多忙な毎日を過ごすカーネルも赤ちゃんのリクエストに答えないわけには行かず、早朝 […]

また一つマニラ名物の灯が消えた(その3)2010年7月24日



著書「金なし、コネなし、フィリピン暮らし」でも一押しと進めている「ミスユニバーサル(MU)」が危機的状況に陥っている。先の選挙で当選したトリニダッド(Peewee Trinidad)パサイ市長の指示で、MU名物のオール・ザ・ウエイ(全裸ショー)が禁止されたため、客足が激減し、いつも満員の席が3分の一程度しか埋まっていないのだ。例えオール・ザ・ウエイでなくて、ツー・ピースでも大差ないとも思うのだが、それではゴーゴークラブとの差別化ができず、やはり見ごたえのあるショーがないと客がこないようだ。 なじみのフロアー・マネージャーの案内で楽屋に入ってみると着替え中の見覚えのある子達がしきりにテーブルに呼んで欲しいと声をかけてくる。彼女達はテーブルに呼ばれて注文してもらったドリンク一杯に付、何がしかのコミッションをもらうのだが、これが収入の主体だ。テイクアウト(お持ち帰り)の名誉に預かるのはそうざらにあることではない。 8月19日追記  しばらく振りに、覗いてみたら、女の子達は超シースルーのツーピースをつけて踊っていた。急きょ特注したのだろう。ほとんどスケスケでしかも肌色の下着のようなものだから、黒や茶色の部分もはっきり見えて、かえってセクシーに感じる。結局、この辺が市当局との折り合いだったのだろう。しかし、客足は多少戻ったものの、女の子の数は半分程度に減っていて、フィナーレではいつも女の子が舞台から溢れるほどいたのに、たったの5~6人に減って寂しいことこの上ない。  8月29日追記 MUのことが気になって10日振りに覗いてみた。しばらくショーを見ていたが、相変わらずのシースルーでお茶を濁している。10時過ぎになって、ソロ・ダンサーが突如としてブラを取って出てきた。目を凝らしてみてもシースルーのブラはつけていない。ゲストと同席していた女の子に聞いてみたら、ソロ・ダンサーはオール・ザ・ウエイが許されているという(私は財布をすられてしまい、スッカラカンなので女の子のリクエストを自粛)。数分後、ダンサーが誇らしげに下も取って、バタンバタンといつもの大また開きのダンスを始めた。周囲を見渡してみると、いつの間にかほとんどの席は客で埋まり、皆満足げだ。この影には店のオーナーと当局との熾烈なネゴと袖の下が動いたのだろう。いずれにせよ、MUの復活はめでたいことだ。  9月28日追記  9月23日、久しぶりにゲストの案内でMUを覗いてみた。店に入るやいなやダンサーのオールザウエイが目に飛び込んできたが、これはいつものことだ。いや、たしかダンサーはシースルーの下着のはずだった。それがこの日は、全く元に戻っていたのだ。ダンサー達も窮屈なシースルーの下着無しに伸び伸びと踊りを楽しんでいるようにも見えたが、錯覚だろうか。特にこの日は2年ぶりになじみの子が戻ってきており、久しぶりのオールザウエイとともに懐かしさにふけった夜だった。いずれにせよ、MUの完全復活はめでたい。 一方、ゴーゴークラブ8軒が固まっている、エドサ通り、ヘリテージホテルのはす向かいのEDSA Intenational Entertaiment Complex(通称エドコン)も客足が激減している。ちょっとのぞいてみると、腕をつかんで中へ引き込まれてしまう位だ。先日、日本人のたっての依頼で覗いてみたが、中は客一人に対して数十人の女性といった割合だった。こんな調子ではいつまで続けられるのか心配になってくる。  日本人専用のカラオケ・クラブも長いこと閑古鳥が鳴いていた。ほとんどの店は「飲み放題500ペソぽっきり」という謳い文句で客を呼んでいるが、それでも大きな店に数組の客しかいないこともしばしばだった。しかし、最近満員に近い状態のときもあるので、客足が戻ってきたのかという気もしないでもない。新聞の広告もカラオケクラブの広告で一杯だが、いつまでこのバトルが続くのか、淘汰の時が来るのか要注意だ。 ちなみにNTTホテル経営のカラオケ・クラブ「スバル2」がパソンタモのリトル東京の向かいにオープンした。「スバル1」も見ごたえのあるショータイムなどを企画して健在だが、果たして勝算があるのか、カラオケ市場が上向くとの読みなのか、気になるところだ。  […]

また一つマニラ名物の灯が消えた(その2) 2010年7月23日


  5月の選挙で無事再選を果たしたリム・マニラ市長のやったことは、なんとマニラ名物とも言えるほど有名になったLAカフェの閉店だ。エルミタのデルピ ラール通りにひときわ目立つ看板を掲げるLAカフェは出会いを求める男女で24時間ごった返していた。フィリピンに観光に来る日本人でも知らない人はいな いくらいの超有名店で、フィリピン在住の日本人の間でも閉店を惜しむ声がささやかれている。 LAカフェの内部に入るとそこには白人や韓国人そして日本人と、ほぼ100%が外国人だ。そして一目でそれとわかる客を物色して媚を売るフィリピーナ だ。しかし、たくさんいるウエイトレスのほうがはるかに可愛らしく、申し訳ないが食指が動くような子はめったにいない。内部はとても広く、2階や隣の建物にまで拡張されていて、2階にはライブバンドもはいっていた(上の写真を撮った日は世界的にヒットした「アナック」を歌ったフレディー・アギラーのライブ)。  普通のナイトクラブなどとは違って、女性も客として入店していて、ドリンクをおごってくれる男性客をひたすら待ち続けている。ドリンクにありついたら、早速交渉だ。ママさんや店が商売に関わっているわけではないから、その手のお店の3分の1から半分くらいで話はつくようだ。現在、入り口にはCLOSEDと掲示され、ガードは近いうちに再開するとは言っていた。 近 くにある同系のアマゾニア、バタフライなどはそのまま開店中だが、量と質の面でLAカフェとは比べ物にならない。LAが閉店したのだから客と女性がこっち へ流れても不思議ではないのだが、アマゾニアは従来どおり閑散としていて、目を覆いたくなるようなしおれた花ばかりが目に付いた。 ところでリム市長といえば、1990年代初頭、当時ツーリスト・ベルトとも呼ばれマニラ歓楽街の顔のようになっていたデルピラール通りのゴーゴークラブを一 網打尽にした悪名高い市長だ。市長は3期9年が限度だから、一旦上院議員となったリムは、前々回の統一選挙で再びマニラ市長に返り咲いた。そして、初めに やったことが、マニラ湾沿いの観光名所となっていたベイウォークの店を一掃したことだ。 これらの店は、レストランやバラエティーショーを見せるもので、決 していかがわしいものではない。かえってマニラ湾沿いの遊歩道に人を集め、安心して夜歩きが出来ると評判の観光名所だった。それを付近の住民が夜中までう […]

また一つマニラ名物の灯が消えた 2010年7月22日



退職ビザの取得に当たって、1万ドルの定期預金すなわち年金スキームで申請する場合、必ずしも年金をフィリピンで受け取っていなくても、年金証書の翻訳 (大使館で認証)さえ提出すればよいことは、以前にも報告した。さて、めでたく退職ビザを取得して、実際にフィリピンで年金を受け取るにはどうしたらよい のだろう。年金事務所に問い合わせると送金先銀行口座の他に、フィリピンに在住している証拠となる書類の提出を求められるはずだ。  通 常、日本大使館で発行される在留証明がそれにあたる。在留証明の発行条件としては住民票を抜いておかなければならない。また、在留届けを提出してから、 3ヶ月経過していること、あるいはバランガイ証明書などの住所を立証できる書類の提出が必要だ。もし、住民票を抜くのに支障がある場合は、バランガイ証明 書でも年金事務所はフィリピン受給を認めている。  フィリピンで年金を受給した場合はメリットは下記だ。 1. 所得税がかからない(退職ビザを保有している場合はフィリピンでもかからない) 2. 送金手数料は年金事務所負担 3. 日本での収入がなくなるから、住民税や健康保険の支払いが最小になる  さらに住民票を抜いている場合は下記のメリットがある 1. 地方税がかからない 2. 国民健康保険料がかからない(逆に言えば、国民健康保険に加入できない) […]

年金のフィリピン受給の損得 2010年7月8日


 タレントあるいはジャパユキさんの日本行きのビザの発給がストップして以来、若いフィリピーナにとって唯一の日本行きの方策は日本人との結婚しかなくなった。すでに結婚をして日本に在住して、アルバイトでフィリピンパブで働くフィリピーナも多くはいるが、若いフィリピーナにとって夢の日本行きは結婚によってのみ実現されると言っても過言ではない。とはいいつつもフィリピンにいて日本人の配偶者を見つけるのは至難の技だ。そのため、プロモーターの斡旋で見ず知らずの日本人と形だけ結婚して、日本行きを目指す、すなわち、イミテーション(偽装)結婚だ。  日本の入管もこの偽装結婚を厳しく監視していて、本当に結婚生活をしているか、自宅訪問をしたりするそうだ。この偽装結婚の謝礼に日本人男性には月々数万円を払うそうで、プロモーターへの支払いなど、ジャパユキさんにとってほとんど収入が見込めないこともある。そうなると、もっと稼ごうと体を売るなどという、かわいそうなはめになっているジャパユキさんも多いようだ。 この子達の日本行きは遠い夢か 晴れて日本行きの目的も達して、それなりの収入も得て、フィリピンにもどり、元の生活に戻る。もちろん結婚という話も出てくるだろう。しかし、日本で離婚手続きをしたとしても、フィリピンでもちゃんと手続きをしないと、結婚の経歴はそのまま残ってしまう。プロモーターに在日フィリピン大使館に届けたから大丈夫だよと言われ安心していても、いざ結婚しようとすると、フィリピンに婚姻の記録が残っていて、婚姻の資格証明書が出ないということが多発する。  従来は、離婚の事実が記載されている戸籍謄本を在比日本大使館に提出して離婚証明をもらい、それをCity Civil Registryに提出し、証明書を最寄の市役所に提出すればよかった。市役所からNSO(国家統計局)に書類が送られ、婚姻の資格証明書が発行された。さほどの手間ではなかったが、ジャパユキさんにとっては必ずしも簡単とも言えない手続きで、これを怠って結婚できないはめになっているフィリピーナも多い。しかし、昨年法律が改正され、こんな簡単な手続きで離婚することが出来なくなってしまったのだ。   ご承知の通り、カソリックの国、フィリピンには離婚という制度がない。一旦結婚したら、それは生涯有効なのだ。しかし、裁判に訴えて、この婚姻が無効であるという判決を裁判官が出したら、その婚姻は初めからなかったことになり、晴れて独身に戻れる(アナルメント)。このようなお国柄だから、日本に行くために結婚して、フィリピンに戻ったら離婚、などという神を冒涜するような行為が許されるはずがない。  そのためか、日本で行なった離婚をフィリピンにおいても有効にするために、裁判所に届けて離婚が正当であるという判決をもらわなければならなくなったのだ。そのためには10万ペソ程度の弁護士費用と半年~1.5年の月日が必要とされるそうだ。ジャパユキさんにとっては気の遠くなるような話だ。念願の日本行きを果たしたとしても、本命の彼との結婚も当分お預けとなってしまう。また、日本人との結婚・離婚を繰り返し、日本行きの手段にしてきたベテランジャパユキさんにとっても頭の痛い話だ。 カラオケはジャパユキ予備軍のたまり場だ   次に結婚だが、かつては出生証明をもっていけば、市役所から比較的簡単に婚姻許可をもらえたものが、現在はNSOからシノマ(Certificate of No Marriage、CENOMA)という婚姻資格証明をもらわなければならなくなった。戸籍という制度がないから、出生証明と婚姻証明がすべてだったフィリピーノには頭の痛い問題だ。同姓同名の人間が結婚しているとすると、その人とは他人であることを証明しないと、シノマが出ない。もちろん過去に婚姻歴があるとそれを正式に抹消していない限りシノマは出ない。  これらの措置は、偽装結婚や重婚による日本行きのビザ取得が日常化ないし商業化しているという状況に政治家が業を煮やしたものと思われる。たしかに神聖な結婚をビザ取得の手段にするなどということは許されるべきものではない。しかも、それをえさにジャパユキ志望の若いフィリピーナの体をもてあそんだり、月々の謝礼を当てにしたり、日本男児の名折れともいえる輩もいるのも腹が立つ。しかし、可哀想なのはかのジャパユキさんだ。こんな手段までとって念願の日本行きを果たし、故郷に錦を飾ったまではいいが、その偽装結婚に生涯縛られるはめになってしまうかもしれないのだ。したがって、政府の狙い通り偽装結婚による日本行きも下火になることは間違いないだろう。

ジャパユキさんの試練 2010年7月7日