8月5日午前11時半、マニラ大聖堂を出発したコーリーの棺はロハスボリバード通り、サウス・ルソン・エクスプレス・ウエイを通過して、21km離れたスーカットの墓地に向った。沿道には20万人あるいは30万人ともいわれる人々が小雨の中を見送った。また、全局ぶっ続けで行なわれたテレビ中継を見ていた人は数百万あるいは数千万人に及んだと推定される。
日本ではあまり見かけなくなったが、フィリピンでは霊柩車を先頭に身内や知り合いの人が歩いて墓地へ向うのが習慣だ。マニラ大聖堂からマニラ・メモリアル・パークへの21kmの道のりを数多くの人が歩いた。高速道路へ入れば歩く人々はいなくなるだろうと主催者は見込んでいたそうだが、人の列は絶えることなく、ゆっくりとした行列は8時間後、ようやく墓地へ到着した。一方、エストラーダ前大統領を初めとする多くの次期大統領候補者は車で行列に参加し、車中から手を振り、コーリー人気にあやかろうとしていた。
棺につきそって直立不動の姿勢を続けた軍人は8時間の間、微動だにしなかった。喉の渇きは顔を流れる雨のしずくで癒し、硬直する足の筋肉は指を動かして凌いだという。「耐える」という軍人魂を失っていない軍人もいるようだ。
3~4時間で到着するであろうと見込まれた棺をスーカットで待つ人々は雨の中で4~5時間待つはめになった。さらに墓地では多数の軍人や警官が整列して棺を待ち続けた。アキノ一家はアロヨ大統領の、国葬という申し出を断ったが、国葬以上の国葬といわれた葬儀はアキノ元大統領に対する国民の愛着と畏敬の念を印象付けた。
マニラ・メモリアル・パークには故ベニグノ・アキノ元上院議員が眠っている。コーリーは夫の脇に埋葬されたが、1983年マルコス元大統領に夫を暗殺されて以来、大統領という激務を経て26年ぶりに最愛の夫とすごすことになったのだ。これはフィリピン近代史を飾る英雄の死ともいえ、このような葬儀が行なわれることは2度と無いだろう。
クリス・アキノは会見で、ベニグノ、コーリー・アキノの遺志の正統な継承者は兄のベニグノ・アキノ上院議員と自分だと宣言したそうだ。近い将来、この二人が政権をになうことは、今回のコーリーの死に対する圧倒的な国民の哀悼の意を見ても当然の成り行きだと思う。