フィリピーナの金なし日本紀行(その3)2010年6月13日


横浜の石川町の街角ではごみ収集の様子や自動駐車場に注目。フィリピンなら必ず人がいるのに、ほとんどの駐車場が自動でお金を集金を行なっているのが彼女にとってはすこぶる珍しい。また、さらにタクシーの運転席と客の間のプラスチック板も興味深い様子だ。

 フィリピン大使館の用事は予想外にスムーズに運んで時間が余ったので、依頼人の案内で浅草見物に行った。私としても高校以来40年以上振りだ。やはり外国人にとってはとても、ものめずらしいようで、彼女は写真写真と大はしゃぎだった。聞いてはいたものの、観光用の人力車がかなりの数出ていたが、かなりのもうけになるそうだ。

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 彼女はクリスチャンのはずだが、なぜかしっかり仏様にお祈りをしていた。お線香の煙のご利益もしっかり受け止めていた。フィリイン人は宗教的にあまり固くはないようだ。

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このバスも浅草名物として運転されているのだろうか。なかなか良いデザインだ。

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寿司は食べなれているとしても回転寿司はフィリピンにはない。この日は是非ということで回転寿司で昼食をとらせてもらった。これだけの寿司料理が次々と回ってくる様子は迫力ものだ。この光景に彼女もしごくご満悦の様子だ。

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その後、人と会う約束があり、新宿の街をぶらついた。高校生は相変わらずミニスカートでロングが絶対のフィリピンから来ると、異様に移る。一方、マルイの売り子さんのドレスが気に入って一枚。

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 久しぶりにやってきた新宿は私が持っていたイメージとは全く重ならなかったが、この日、面会した人の案内で歌舞伎町に向ったとき、そこで初めてあのころの新宿に出会うことが出来た。私の新宿のイメージは歌舞伎町だったのだ。ここには雑踏と喧騒があり、マニラに通じるものがあり、なにかほっとする思いだった。新宿の名前はマカティのリトル東京の新宿ラーメンでおなじみの彼女も、歌舞伎町に大変親しみを持ったようだ。夜の歌舞伎町に案内してくれるということだったが、産後間もない彼女が、今日は歩きすぎてお腹が痛いというので、断念。一人で帰すわけにも行かないので、次回ということにして横浜に向った。湘南新宿ラインのおかげで横浜と新宿も近くなったので、次回、日本を訪問した際は是非夜の歌舞伎町を覗いてみたい。

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火曜は帰国の日だ。この日の午前中、東京駅丸ビルで、退職ビザ関係のパートナーと面会した。投資コンサルタントの方々で、お客さんがフィリピンに注目し始めているそうだ。今後多くのお客さんとフィリピンを訪問する予定とのことで、今回の初顔あわせとなった。

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いよいよ空港に向うが、東京駅の総武線のホームは地下5階。長いエスカレーターに地震がきたらどうしようと、緊張気味だった。空港のデューティフリーを覗いてみても、先日SHISEIDOブランドを大量に買い込んだマツモトキヨシの方が安いと見向きもしない。フィリピーナはコストに関してはすこぶる敏感なのだ。

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 いよいよこのJALでマニラへ向う。従来のジャンボと違い、あまりガソリンを食いそうにない機種で座席も2-3-27列と少ないが、その代わり満席だ。あれだけ湯水のようにお金をばら撒く経営をして破綻したJALだから、ちょっと締めれば悠々再生はできると思う。おかげで日本人のスチュワーデスがほとんどおらず、タイ人がほとんどだが、それも時代の流れだろう。

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