29日(水)の午後からPRA主催のイントラムロスの見物ツアーに参加した。PRAのデズリーさんが責任者で、PRAの事務所で、5人の参加者を割り当てられ、キアンも一緒に是非参加して欲しいとの要請だった。ブログで募集すると3組、6人の参加申し込みがあった。合計、8人となったが、幸い全員参加の予約がとれた。
そして当日、私自身は、キアンを3時に学校でピックアップして、現地で合流するつもりだったが、集合時間の午後1時前にデズリーさんから電話があって、まだ誰も来ないと催促された。集合は一時で、出発は2時だから、それまでには来るからと返事をした。その後、さらに1時半、1時50分に電話があって、あと4人現れないと連絡があり、一体どこにいるのかと聞かれるが、当方としては、答えようもない。結局、出発までに全員そろったようだが、時間など気にしないはずのフィリピーノがなんともせわしなかった。
フォートサンチャゴをバックにキアンの雄姿
平日にもかかわらずそこそこの観光客が訪問している、後方にはマニラ・カタデラルを臨む
3時にキアンをピックアップして、息子の運転する車で、向かったが、昼間から渋滞で、なんとか4時にフォート・サンチャゴに到着して無事に合流することができた。黒と赤のはでなシャツを支給されて、すぐに、それとわかるグループを見つけ、おなじみの退職者の面々に再会した。ちなみに息子は、この日の夜中に日本に帰る予定で参加することはできなかった。
先日行われてアジア・サミットの皆さんの歓迎の名残り
フォートサンチャゴのランドマークのゲートをバックにポーズ
10人ほどのPRAスタッフが同行したが、4~5人のスタッフが、私が参加を申し込んだ高齢の退職者がウンチを漏らしているのではないか、パンツを買おうと思うが、と必死の形相で訴えてくる。確かにお尻の部分がぬれているが、面識が無いので、私としても聞きづらい。同行していた知り合いにそれとなく聞いてもらうように頼んだが、その後、反応が無いので杞憂だったらしい。
マニラ・カテデラル(大聖堂)はクリスチャンの総本山で、かのコーリー・アキノ元大統領の葬儀には数万人の人々がここで別れを告げた
大聖堂の中を黒と赤のシャツのPRA退職者一行はかなり目立つ
それから、マニラ・カテデラル(カソリックの総本山)、ここは私自身初めて中に入った。次は、サン・アガスティン・チャーチ(世界遺産)とカーサマニラ(スペイン時代の富裕層の住宅)、ここはイントラムロスの目玉で、何度も来た事がある。以前、キアンを連れてきたことがあるのだが、キアンはしっかり憶えていた。すでに暗くなり始めていて、この後は、食事に向かうという。予定表には、このほかに2~3箇所訪問するはずだったのだが、どうも時間的都合で省略したらしい。
さすが、世界遺産のサン・アガスティン・チャーチの中は荘厳だ
カーサ・マニラの中庭を臨む
外は、早くも夕暮れ時となっている
食事は、てっきりカーサ・マニラの中にあるBarbara’sレストランでとるものと思っていたのだが、どうも違うらしい。Barbara’sレストランのスペイン風の内装はすばらしくて、カルチュラル・ダンスを見ながらここで食事をとることを兼ねてからねらっていた。このツアーに参加した最大の理由でもあったのだが、しばらくバスに乗ってILUSTRADという観光レストランに入った。
あこがれのBarbara’sレストランの入り口
ILUSTRADレストランは外観はムードがあるが団体観光客用のちょっとお粗末なレストランだ
しかし、ここはいかにも団体観光客用で、内装も、食事も、ダンスも、全てが今一だった。おまけにビールも有料で、二度と訪れるべき所ではない。きっとPRAの予算不足だったのだろう。おかげでBarbara’sレストランでの食事の楽しみは、次回のお預けとなった。しかし、キアンはバンブー・ダンスなどに参加して、そこそこ楽しんだようだ。
ちょっと味気のない観光客用のレストランだ
PRAスタッフの面々に囲まれて、キアンはここでも有名人だ
この手の誘いには積極的に対応するキアンだ
7時ごろ、マカティへの帰還となったが、それからが大変で、優に2時間かかって自宅の近くでバスをおり、さらにキアンを連れて工事中のサウス・スーパー・ウエイを経由して30分近く歩いて、帰り着いた時はへとへとになっていた。この日の午後は、ほとんど半分近い時間を車の中ですごしたことになるが、マニラの夜の楽しみは、渋滞という苦行との抱き合わせでもある。
お世話になった観光バスだが、これからの帰還が本番だ
この時期、サウス・スーパー・ハイウエイの手前にはクリスマス・ランタンの店が出る
自宅のあるコンドの入り口は、ご他聞にもれずクリスマスの飾りつけがある