KIANの成長記録


ママジェーンがシェルのガソリンスタンドからレゴの車を手に入れてきた。1500ペソ以上のガソリンを入れると180ペソの追加料金でレゴがもらえる。中国製ではなくてオリジナルのレゴなので、市中で買ったら1000ペソ位するかもしれない。パッケージはプラスティックでコストと運搬・貯蔵費を節約しており、シェル特注のもののようだ。 かつて、ペトロンでも同様なプロモを行っており、KIANのために5~6台のスポーツカーのおもちゃを手に入れたものだった。そして恒例のサイカでのランチのあと、2台目を手に入れたのだが、シェルのガソリンスタンドはレゴ目当ての客であふれていた。 サイカのランチでは、若い退職者が参加されたが、シェルのレゴの話をしたら、是非、全種類をそろえたいと語っていた。ジオラマや兵隊の人形あるいは車の模型などが大好きな人だから、大人でさえ、大いに興味を引かれる優れものだ。 ママジェーンからプレゼントされたレゴの車は、KIANが分解組み立てするには丁度良いサイズで、一日中、肌身離さず持ち歩いて、大事にしていた。元通りに組み立てるのはちょっと難しいので、好き勝手な形に作り変えて遊んでいる。レゴとしては、特殊でチョロキューの引いて話すと走り始めるのが、私にとっても面白い。 最近、田舎からおばあちゃんとやってきたいとこのジェムジェム(4歳)が、KIANが幼稚園に行っている間に、勝手に持ち出して、遊んでいた。学校から帰るやいなやそれを発見したKIANの怒り用は尋常ではなかった。取り返してからも泣き叫んで、自分で組み立てなおして怒りが静まるまで30分はかかった。   サイカの食事のあと、マカティスクエアのいつものプラモデルやで、レゴの人形を買いに行ったが、KIANは一人で3個(大き目のもので120ペソ、小さいものが50ペソ)買うと主張する。そうなると、ジェムジェムや双子の手前、ちょっと具合が悪い。ジェムジェムはジェムジェムで、ヤヤに小さな車を買ってくれとせがむ。これが意外と高くて300ペソもするので、ヤヤにとってはどうしようもない。わたしとしても300ペソはちょっと痛い。結局、何も買わないで店を出たが、KIANの落胆振りは想像に難くない。それから、シェルのガソリンスタンドで件のレゴカーを手に入れる泣き止まなかった。KIANのおもちゃに対する執念はちょっと異常なものがあり、そろそろ我慢することもしつけないと、やばいかなと思う。 家に戻ってから、双子の一人、アレクサがさっさと組み立ててくれた。アレクサは、こんなことが得意だが、もう一人のアレアは見向きもしない。だから、KIANはアレクサが大好きで、いつもアレクサ、アレクサと傍に呼びたがる。ちなみにアレクサはトンボイで発想が男じみているそうだ。せっかく組みあがったレゴカーだが、しばらくするとKIANは自分風に組み立てなおして、遊んでいた。

KIANは現在、レゴに夢中(その2)2014年11月9日


KIANがまだ、1歳のころ、毎週のように出かけた高級ホテルでのブランチを再開した。この日はまだ万聖節の余韻が残る往年の最高級ホテル、マニラホテルのロビーでの食事だ。まずは広々としたロビーで撮影会、そして、食事、ただ、それだけだが2000ペソ強で、家族全員8人が存分に高級な雰囲気を味わった。 マニラホテルと言えば、1980年代、マルコス時代には、押しも押されぬ高級ホテル、外国要人を迎える迎賓館としてにぎわった。しかし、現在は、マカティを中心とする高級ホテルの出現で、人々から忘れ去られようとしている。しかし、その重厚感あふれる内装はさすがといえる。 ロビーの食卓には骸骨が食事中で、少し気持ちが悪い雰囲気に、顔をしかめるKIAN   魔女との記念撮影、そして変わったチョコレートに興味を示すKIAN マニラホテルのロビーのシャンデリア、そして木造の内装は、さすがの一言だ 皆、記念撮影に夢中だ パパ・カーネルとママ・ジェーンは、記念撮影には興味はなく、いち早くソファーでくつろぐ   料理は、定番のクラブハウスサンドイッチ、それぞれのホテルが工夫をこらしていて、面白い。マニラホテルでは丸型の食パン一個をくりぬいてサンドイッチにして元へ戻すというすぐれものだ。それにKIANにパンシット広東(焼きそば)は欠かせない   それに、カンバル(双子)には、スパゲッティも欠かせない。私に欠かせないのは、もちろんビールだ しばらくしたら、動き回るKIAN、KIANにとってはお行儀などはくそくらえだ 3人前の料理を大人5人、子供3人で、分けたのだが、あまるほどだった。ここに飾られていたカボチャは、実に本物のカボチャだった。万聖節用に特別に品種改良して作ったものなのだろう

マニラホテルでブランチ 2014年11月9日



相棒のジェーンは毎週、日曜の朝、家族(ジェーン、カーネル、キム、KIAN)で教会のミサに参加するのが日課だ。我が家のあるPrime City Condoの隣はセント・ポールという有名な教会なので、歩いて5分の至近距離にある。特に我が家は敷地の端にあるので、塀の向うは教会の敷地だ。この教会には神学校が併設されているので(といより新学校に教会が併設されているといったほうが正しい)、広大な敷地を有するが、もともとPrime City Condoの敷地も、この神学校のものだった。 この日、キムは警察学校の入学試験で、不在だったが、代わりに私が、3人に同行した。コンドと教会の間の塀には小さな出入り口があって、日曜の朝だけは、扉が開いていて、コンドの住民は近道を通って教会へ行くことができる。両親はKIANを敬虔なクリスチャンとして育てようと考えているのか、以前は、見向きもしなかった教会通いをしている。 私と言えば、宗教には全く無関心なので、何も語ることはできないが、心の平穏を得るために、必要なものだとは思う。しかし、イスラム国にように平穏を乱すように作用することもあるので、一概には語れないだろう。歴史的には主教には弾圧と戦争がつきもので、キリスト教といえどもだった例外ではなかった。 教会の回りは緑に囲まれ、落ち着いた雰囲気をかもし出している。ミサの参加者も、ほとんどがPrime City Condoの住民で、いわば中間層だ。 小粒の教会だが、凝ったつくりをしている。そこかしこにおかれた扇風機が目を引いた。          後ろのほうに座ったが、KIANは今一興味がなさそうだ。天井の巨大な扇風機も珍しい。 寄付を神父に届ける役割を与えられたKIANは緊張気味だ。それが終わると、ほっとしたのかうれしそうに走って戻ってきた。 延々と続くミサに痺れを切らしたKIANは、しばし私と息抜きに外へ出た。涼しい木陰で戯れるKIAN。ろうそく台では5ペソで平たいろうそくを買い、それを吹き消すKIAN。ろうそくと言えば、KIANにとっては誕生日なのだ。   ようやくミサが終わって、近所のお医者さんに抱かれるKIAN(ジェーンのまぶたの整形手術した整形医)。教会の外では例の甘いタホ(豆腐)を売るおじさんが大忙しだ。

日曜のミサに参加 2014年10月29日


3歳の誕生日までは、まるで女の子のように髪を長くしていて、まずは100%、女の子と身間違えられていた。しかし、4歳半になって、見事な短髪になって、まさに男の子のイメージに変身した。フィリピンでは一歳の誕生日までは髪を切ってはいけないという習慣があるが、KIANは2歳までほとんど髪を切ることはなかった。今回の決断についてジェーン曰く、単に散髪代を倹約するためだと。しかし、刈上げ頭のKIANのイメージが乱暴な男と映って、幼稚園で、他の園児に敬遠されがちになってしまった。そこで、ジェーンは、女の子に見られない程度の長髪に戻すことにしたそうだ。しかし、髪が伸びるまで少々時間がかかりそうだ。 2歳のころのKIANは肩まで届く長髪で、誰しもが女の子と思って疑いもしなかった。一方、本人も多分にそう思っていたふしがある 3歳の誕生日の前日に髪を切って誕生パーティに臨んだKIAN。3本の指を突き出し、大量の誕生ケーキを吹き消すのに躍起となっていた 今月、4歳半になって短髪にイメージチェンジをしたKIAN。髪を切って来た当初は恥ずかしがって写真を撮らせなかったが、ちょっと慣れるとポーズをとって、いよいよボーイとしてのデビューだ         幼稚園に出かけるときもまさに男の子のいでたちだ(左)。農場を歩くために買ってもらった長靴を得意になって披露するKIAN(右) 私のベッドの下にもぐりこんでお茶目振りを発揮するKIAN(左)。恒例のサイカのランチもかなり雰囲気が違っている(右) 腕を組んで怒りのポーズのKIAN(左)と怒られたときにとる新しいポーズを披露するKIAN(右) このとき田舎からやってきているいとこのジェムジェム(4歳)と喧嘩していたのだが(左)、真正面から挑みかかるジェムジェムに対して、横を向きながら、「I punch you」と小声でつぶやくKIANの態度は、ママジェーンとそっくりだ。右の写真はろうそくに日をつけて「I wish ...」と願をかけるKIAN 足を組んで寝入るKIAN、新しい寝姿だ(右)と姉のキムとのツーショットを私のベッドの上で楽しむKIAN(右)

KIANが髪を切りました 2014年10月19日



KIANが今の幼稚園に通い始めては半年、今日は、待望の学芸会だ。この日は、それぞれの幼児が外国の衣装をつけるよう義務付けられているが、はじめはKIANに日本が割り当てられた。そのため、急遽、和服を調達するよう頼まれたが、そう容易なことではない。日本の妻にでも頼んでEMSで送ってもらうことが考えていたら、突如としてアメリカに変更になったという。そのため、ジェーンは知り合いから背広を借りたのだが、大きすぎて合わない。そのため、結婚式であつらえた警官の制服で間に合わせることにした。 学芸会の出番を待っている間。恒例の記念撮影。KIANは、いつもうれしそうにはしゃいでいる。観客席には、両親とおばあちゃん、それに私と、3世代が集う。 国立マカティ大学の会場に行ってみると、確かに子供達は、割り当てられた世界各国の衣装を着けて学芸会に臨んでいた。皆それぞれかなり凝った衣装を着けていたが、間違いなく、この日のためにあつらえたものに違いない。皆、数千ペソのお金をかけた模様だが、KIANは一銭もかけなかったと、ジェーンはうそぶいていた。 いよいよ本番だ。舞台の前にはアイパッドを掲げ、わが子の晴れ舞台を撮影しようと親ばかが並んでいるが、この光景は、どこの国も一緒のようだ。 子供達が舞台に勢ぞろいすると、両親たちも起立して、国家斉唱だ。そして、その後、それぞれのクラスに分かれて、にわか仕込みの踊りを披露。KIANは踊りには大いなる才能を持っているのだが、舞台の前で指導する先生に習って体を動かすとなると、どうも苦手のようで、なかなか先生の動きについて行けない。KIAN、4歳のお披露目、あるいは試練だ。彼は、なまじ、教えないで、音楽を流して、即興で演技させたほうが、はるかに才能を発揮できる。まるで、日本のラジオ体操のように皆に、一斉に同じ動きをさせるというのは、それぞれの創造性をそいでしまうようで、いかがなものかと思う。 KIANは気が散って、舞台の前で手本を示す先生に目が行っていない。必死にカメラを構える私やパパ・カーネルを探しているようだ。 ほんの、2時間ほどの学芸会を終えて、楽屋での記念撮影にほっとしたKIAN。アメリカの旗をもらって、愛想を振りまく。両親とおばあちゃんとの記念撮影も無事に終えた。実を言うと、KIANの演技の後も他の幼児たちの演技が続いていたのだが、わが子の晴れ姿を見たら、もう用事はないと、さっさと皆で退出してしまったのだ。 アメリカ国旗をかざして、おどけるKIAN。3世代がそろって、幼稚園の行事に参加するのはフィリピンでは当たり前。田舎から出てきたおばあちゃんは、もしかしたら、わざわざこのために遠路はるばるやってきたのかもしれない。 会場のある国立マカティ大学はボニファシオ・グローバルシティ(タギッグ市の一部)を挟んでマカティ市とは反対側にある。しかし、ここもマカティ市の一部なのだ。要はグローバルシティはマカティ市の中に首を突き出したようななっていて、周囲はほとんどマカティ市だ。だから、マカティ市がグローバルシティはマカティ市の一部であると主張するのは良く、理解できる。ちなみにマカティ大学はさながら東京都立大学のような位置づけだそうで、かなり大きな大学だ。通りすぎる学生は何故か私に「おはようございます」などと日本語で声をかけていった。きっと日本語を学んでいる学生なのだろう。 マカティ中心部から、車でグローバルシティを越えて、30分以上走るので、私は、今まで国立マカティ大学の存在を知らなかった。なかなか立派な大学だった。

KIANの学芸会 2014年10月18日


おもちゃのレゴは子供のクリエイティブな才能を養う、といううたい文句で、私の子供が幼いころからおもちゃの定番だった。いろいろなブロックを組みたてて、何かを作るという遊びは、子供の創意工夫の能力を呼び覚まし、しかも同じものが何度も繰り返して使えるという優れものだった。今でも、プラモとレゴで育ったと息子は豪語する。 そんなわけでKIANが2歳になって、レゴを飲み込んでしまう恐れがなくなったころから、買い与え始めた。レゴは高いので、数千ペソもするKIANの背丈ほどもある箱だったが、姉のキムでさえもお手上げの難しいものだった。これは私の勇み足で、一個、数センチくらいのブロックがKIANには丁度良くて、買い与えてやった。 レゴ・ムービーは、すべてのキャラクターや乗り物、建物や自然物(水や雲まで)がレゴでできており、それらが画面上で活躍する夢の中の世界だ しかし、KIANは4歳になって、にわかにレゴに興味を抱き始めた。その原因は、多分にレゴムービーという漫画映画による影響が大きく、レゴで作られたアイアンマンやウッディーなどの子供向け映画の主人公を集めるのが趣味になっていたのだ。最近のレゴは、単なるブロックの集合体ではなくて、キャラクターや道具など、ブロックを基本としながらも色々なパーツがそろえられている。それを指示書にしたがって組み立てるだが、それに飽きたら、汎用的パーツとしても利用できる。 マカティスクエアの一階の雑貨ショップあるいは2階のプラモショップには売れ筋のレゴ・ムービーのキャラクターが並んでいる。子供達には人気グッズのようだ 安いものは50ペソないし120ペソ、高いものでは500~800ペソ(右)で子供のおもちゃとしては手ごろな価格だ マカティスクエアの和食レストランでKIANと一緒に昼食をとるのが、毎週土曜日の日課だが、その帰り、私の文房具と日本食、それにKIANのレゴを買うのが欠かせない。キャラクターだけのものが50ペソ、車などがついて120ペソ、この辺がKIANには丁度良い。KIANはこれを一個買ってもらうだけで、上機嫌で帰宅する。 たまには、ちょっと大型の400~800ペソくらいのセットを買うこともあるが、これはKIANの手にあまり、組み立てはいとこのアレクサの役割となる。ちなみに双子の片割れのアレアはレゴには一向に興味を示さない。双子でもずいぶんと違うものだが、皆は、アレクサはトンボイで男なのだという。 KIANのコレクション、レゴのキャラクターはKIANの心を弾ませる。今日は、大き目のレゴの箱を抱えて意気揚々と引き上げるKIAN。KIANのおもちゃ選びに迷いはない。お気に入りを見つけると瞬間的に決断して、Go Homeと繰り返す、気風のよさがとりえだ ちなみに、これらはレゴの模造品で、ほとんどが中国製だ。しかし、レゴのオリジナルは高くて手が出ない。SMのトイキングダムでさえもオリジナルのレゴに混ざって数分の一の値段で、中国製の製品が幅を利かせている。ゲームやキーボードは、我が家では、いまだ普及していないが、当分はレゴがKIANの興味の中心だ。これなら、私の懐も痛まないので、ありがたいところだ。 家に戻ると、その組み立てにしばし夢中となるKIAN。いとこのアレクサがおこぼれというか、ほとんどのレゴを組み立てる KIANお気に入りのアイアンマンのレゴ(左)、今回買ったのはアイアンマンのコレクションキットだ(右)。夕方にはアレクサが組み立てを終えて、部屋に持ってきてくれた

KIANは現在、レゴに夢中 2014年9月14日



今年の6月から晴れて幼稚園に通い始めたKIANだが、それは波乱の人生の始まりだった。近所の幼稚園ないし保育園に通園を始めたのが2歳だったが、後半の1年間は、ほとんどサボっていたが、毎日ABCの繰り返して、飽き飽きしたのが理由だった。また、おとなしい子供ばかりで、遊び相手に不足したのも原因だったようだ。しかし、2年間の幼稚園がが義務教育化された現在、そうも言ってはおれず、4歳になって本格的な幼稚園に通い始めたのだが。         新しい幼稚園に通う初日。KIANは期待と不安で胸いっぱいだ 通園の送り迎えは、姉のキムの役割で、毎日8時半過ぎに、二人乗り自転車ないし、おじさんのボボイの運転する車で通う。はじめの内は、12時近くまでキムが外で待っていて、連れて帰ってきた。しかし、キムは待っている間に、ボーイフレンドとデートしていることが発覚して、外で待っていることは禁止された。はじめの内、KIANはてっきり外で待っていてくれているものと思っていたが、別に待っていようがいまいがさほどの違いがないとことを悟って、幼稚園が終わってからも、素直に姉の迎えを待つようになった。 園児50人(午前の部と午後の部で合計100人)に対して、先生が約10人、それにヤヤ(子守)が5人、合計15人が面倒を見る。約、園児3人に対して一人という勘定になる KIANは相変わらずABCを習うのがきらいで、学習に身がはいらず、遊んでばかりいるので、先生から、小言がキムに伝えられた。ほとんどの子供は2歳あるいは3歳から幼稚園に通っているので、このままでは、皆について行けず、留年の憂き目に会うかもしれないと。それを聞いたママ・ジェーンは、わが子が留年などありえないと、憤慨した。しかし、ABCなどくそ食らえという私の主張にカーネルも賛同して、幼稚園の教育方針がなっていないと、意見の一致を見た。 しかし、ABCに興味を持てないKIANは、やがて幼稚園に行くことを拒み始めた。しかし、姉のキムは心を鬼にしてKIANに通園すること強制した。泣く 泣く出かけるKIANだが、なにか特別な催しがあると、俄然やる気を出して、ママに、「もたもたしているとスクールに遅れる」とはっぱをかける始末だ。 晴れ着をつけて、一家せいぞろで、ご機嫌で幼稚園に向かうKIAN ある日、幼稚園に出かけるときになって、KIANが行方不明になった。姉のキムはパニックになってKIANを探し回る。当のKIANはおじさんのボボイの部屋に隠れていた。見かねたボボイがキムに告げると、KIANは、「何故ばらしたのか」とボボイに食ってかかった。確かに、KIANは私の机の周りで遊んでいる時もキムの声がすると、あわてて私の足元、机の下に隠れるのが常だ。 ママ・ジェーンはジムに通ったりで、外出することが多いので、キムは母親代わりにKIANの面倒を見ることを言いつけられている。だから、責任重大で、自由奔放なKIANに振り回されて、つい、KIANをしかりつけるので、KIANにとっては、姉のキムがけむったくなってきたようだ。だから、KIANはメイドのドナに抱きついて、「I love you」を繰り返して、キムを牽制する作戦に出ている。パパやママがいつもいなくても周囲がKIANを見守っているので、KIANは幸せだ。 約50人の園児に混じって、ひときわ目立つKIANの晴れ舞台だ そんなある日、パパ・カーネルが幼稚園に特別講師として招かれた。警察の仕事を説明してほしいと言う特別講義だ。KIANは、去年の結婚式の際にあつらえた制服を身に着けて、家族全員、それに私が付き添って、幼稚園に出かけていった。パパ・カーネルとKIANの凛々しい姿は皆の注目を浴びた。KIANの得意絶頂の瞬間だ。 このときからKIANの幼稚園での役割が決まった。悪を懲らしめる警察官として、KIANの本領が発揮された。しかし、先生が「パパ・カーネルに重要な話がある」とキムにつげ、両親が幼稚園に呼び出されるはめになった。先生は、KIANの幼稚園でのKIANの腕白振りを両親に真剣に訴えた。 講義を終えて、記念撮影をするパパ・カーネルとKIAN。「将来は警察官になりたいか」との問いかけに、KIANが「YES」と叫んで手を上げると、園児は次々に手を上げ、KIANはリーダーシップを見せ付けた。先生は、KIANが悪さをすると、皆が従うので、まずはKIANをコントロールすることに躍起となる […]

KIANの波乱の幼稚園生活 2014年9月13日


フィリピーノの数字の弱さには定評がある。サリサリのお姉さんで、おつりの勘定を暗算でできる人にはめったにお目にかかれない。私の良きアシスタント役として活躍してくれているKIANのお姉さんのキム(18歳)は、大変優秀だが、こと数字の話になると、話題をそらす。 9月12日のマニラ新聞に、この件について、面白い話が載っていた。米紙、ウォールストリート・ジャーナルの記事で、米国の心理学者や教育学者の研究成果だそうだが、要は、英語そのものが数字を理解するのに不向きで、英語圏、すなわち、米英あるいはフィリピンではそれがハンデキャップとなっているというのだ。アメリカ人の数字の弱さは、確かに定評がある。 お願いするときは、両手をすり合わせて、「プリーズ」と繰り返す。こんな顔をされるとどんなことでも聞かざるをえない。一方、機嫌が悪いと、白目をして下唇をつきだすで、思わず噴出してしまう。 たとえば、11はイレブン、12はトエルブなどの単語だが、日本語などでは十と一あるいは十と二で表現し、これらが二桁の数であることが良く理解できる。さらに17や18はセブンティーンあるいはエイティーンと表現され、70あるいは80のセブンティーあるいはエイティーときわめて取り違えやすく、しかも、十進法の一の位と十の位が、十台とそれ以上では逆転していて、きわめて理解しづらい。 新聞の記事はそこまでだが、さらに九九に至っては、日本の九九と英語のそれでは圧倒的な違いがある。英語では、9x9=81をナイン・タイムズ・ナイン・イコール・エイティーワンなどと長ったらしい読み方をするが、日本語なら九九八十一(ククハチジュウイチ)と数分の一の時間で唱えられる。 私の執務机の周りで遊ぶのが大好きなKIAN。机の上や引き出しの中のものをいじくりまわして遊ぶのが無常の楽しみらしい。右の写真は、幼稚園の催しもに着けた衣装でご機嫌で帰宅してきたKIAN。幼稚園から帰ってくると、まず私のところに飛んでくるのが日課だ。 フィリピーノは英語で算数の授業を受けるので、まず、十以上の数字、十進法の理解と足算に苦しみ、さらに九九で挫折して、それ以降、大多数の生徒が、一生、算数・数学には無縁の生活を送ることになる。だから、KIANには、数字や九九をを日本語で覚えさせたいと思っているくらいだ。また、一方フィリピンでも普及している公文式ではどのように算数やABCを教えているのか、いたく興味を持っている。場合によっては、公文に通わせることも考えている。 KIANが幼稚園に通い始めてから3ヶ月を過ぎたが、KIANはABCを勉強するのが大きらいで、先生から、このままでは、来年も年少を繰り返さなければならなくなると忠告されている。いわば、留年あるいは落第だ。そんな事態をさけるために、ママ・ジェーンは、家庭教師を雇って、KIANにABCを特訓させようと企てているらしい。私は、頭が良いと評判のKIANがABCがきらいで幼稚園を留年させられ、落第生とレッテルを貼られるかもしれないという馬鹿馬鹿しい現象に腹立ちを覚えている。        カメラを構えると得意のワッキーフェイスを披露しておどけるKIAN ちなみに、KIANが数字として認識できるのは三つまでで、それ以上になると、「たくさん」としか認識できないようだ。ABCも、その日習ったアルファベットしか書けない。それよりも、単語を丸のまま読んでくれといい、一つ一つの文字ではなくて、言葉全体を記号として認識しようとしているようだ。 そもそも、人類数百万年の歴史で、数字や文字が発明されたのは、せいぜい数千年前の話で、世界的に数字や文字が普及したのはたかだか数百年の歴史しかない。人類は、数字や文字無しで、脳を発達させ、人類という、他の動物とは極めて異なる類を形成した。その原動力は、二足歩行で自自由になった手を使い、さらに道具を使って脳を飛躍的に発達させたことにある。 だから、脳の発育に数字や文字は不要だ。現にKIANは数字や文字無しに、おもちゃやスプーンを器用に扱い、英語を流暢に話し、タガログ語やさらに日本語まで理解するという、大人顔負けの知恵を持っている。先日、「重い」の意味を聞いたら、「Heavy」と答え、「待って」の意味を聞いたら、「Wait」と正解し、日本語を教えてほしいと要求する。我が家では、英語、タガログ、ビコラノ、そして日本語が飛び交うが、それぞれが、異なる言語で、同じことを違った言葉でしゃべるということをしっかり理解しているのだ。親たちのタガログ語やビコラノでの会話に、英語で割ってはいることもしばしばだ。 私の部屋で一日の大半を過ごすKIANは、私がいても遠慮はしない。先日は、この姿勢から、にわかに小さなおちんちんを出して、ベッドの上におしっこを撒き散らし始めた。私の顔面も命中させて、大喜びだった。この攻撃には私もたじたじで、一騒動になった。その後も大きな水鉄砲で部屋を水浸しにする気配だったので、「I will threw you from window if you do it」と脅したら、構えだけで水を発射することは、さすがになかった。 子供の脳は、遊びや音楽、そして親兄弟との日常の生活を通じて日夜、飛躍的に発展して行く。それを、子供を机に縛り付けて、1、2、3やABCを繰り返させるなんて愚の骨頂だ。ちなみに、KIANは、ワン、ツー、スリー...テンを諳んじているが、サイコロの目を見せて、いくつかと聞くと、三つまでしか正解は言えない。4つ以上は適当に知っている数字を言うだけだ。しかし、数字や文字は時が来れば、自然に覚えるもので、それよりも、活発に遊んで、歌って、踊って、食べて、寝るのが一番と思う。そもそも、歌や踊りは人類の遥か昔からの楽しみで、歌や踊りを楽しむお祭りのない種族は、存在しない。だから、歌や踊りは、人間としての本能に近いものだと思う。 […]

フィリピーノは何故数字に弱いのか 2014年9月13日



先日、ブログ「脳内革命第二弾」で約束したとおり、キーボード(電子ピアノ)を購入したので報告する。ブログの内容は、「小学校程度の子供に音楽を教えると、脳の神経細胞の機能が飛躍的に向上して、頭の回転が速くなり、賢い子に育つ」いう主旨だ。 はじめに、ヤマハの代理店でヒアリングしたら、初心者用で1万~2万ペソで買えることがわかって、さらにジェーンの情報から、キャッシュ・アンド・キャリー(老舗モール)でカシオの製品が1万ペソ以下で買えることがわかった。しかし、カシオのカタログを吟味すると、鍵盤が光ってガイドしたりUSBを介してパソコンとつなげることができるなどの機能を持った製品が、15800ペソで買えることがわかり、それに決定した。3万円程度の投資で、KIANの頭が飛躍的に良くなるとしたら、安いものだ。 キーボードの販売担当の店員と値段交渉して13300ペソに負けさせて現金で支払いを終え、我が家に持ち帰った。早速組み立てて見たが、ピアノの音が家の中で響くと、何かリッチな気分になった。幸い、キムが多少の心得があるそうなので、キーボードの使い方はキムに任せたが、ピアノというより、ほとんど電子機器なので、当方には荷が重い。KIANを始め、子供達がたくさんいるので、先生はキムの役割。当面はおもちゃ代わりにして、KIANがいずれ興味を持ち始めたら、キムやKIANをマカティ・スクエアの教室に通わせるつもりだ。 まずは、購入資金を引き出しにATMに行ったら、KIANがいたく興味を示した。きっと、金のなる木のようなものだと思っているのだろう。カシオの販売所ではキムがKAINを相手に店員のように振舞ってふざけている。            店員に使い方を教わるキム、パソコンが得意なキムは、とても理解が早いが、KIANはちんぷんかんぷんのようだ。たまたま、遊びに来ていたキムのいとこは、実家にキーボードがあるため、相当な使い手だ。 今のところは、まるでおもちゃをいじくる感覚で、5分もしないうちに飽きてしまったが、時間をかけて、習わせていきたい。 小銃を構えるパパ・カーネルを頼もしそうに見守るKIAN。彼らの将来はPNPチーフ(警察庁長官)の期待がかかっているが、我が家ではいつもの風景、KIANはキーボードよりもよほど銃に興味を持っているようだ。 本ブログのテーマとは何の関係もないが、ここしばらく姿を消していた日本米が日本食材店に戻ってきた。日本から輸入したコシヒカリなどは5kgで2000 ペソ前後、400ペソ(920円)/kgもするが、日本で買う値段の倍、フィリピンのお米の10倍だ。フィリピン産ササニシキなどは5kgで 600~800ペソ、120~160ペソ(270~370円)/kgで、フィリピンのお米(40ペソ/kg程度)の3~4倍だ。確かに味や食感は違うが、 フィリピン産の普通のお米を上手に炊けば、十分いけると思うのだが、食通にはやはりこだわりがあるのだろう。 日本食材店に戻ってきた日本米。  市場から日本米が消えた原因は、中国とフィリピンの領土をめぐる小競り合いで、中国はフィリピンからのバナナの輸入を停止し、一方、フィリピンは中国からの米の輸入をストップしたらしい。そのため、市場に、中国産日本米が消え、日本レストランは外国ないしフィリピン産の日本米の確保に走り、高値で買い占め、市場から各種日本米が消えてしまったそうだ。 グルメの日本人には日本米が必須なので、領土問題のとんだ余波が在比日本人に及んだことになる。ある退職者は日本レストランから高値で日本米を買っていたが、市場に日本米が出てきたので、大喜びをしていた。一方、普段からフィリピン米を食べている私にとってはどこ吹く風だった。

キーボードを買いました 2014年5月31日


つい先日、生まれたばかりで、ずっと赤ちゃんだと思っていたKIANが、この3月31日、もう4歳になってしまった。最近は、ママ・ジェーンの口をまねて、流暢な英語でいとこの双子をしかりつけたりして、まさに腕白王子様だ(You want to go out of the house? Yes or not? Say yes!でな具合だ)。 誕生日を翌日に控えてパパ・カーネルが買ってきたケーキにありあわせのろうそくに火をつけて、喜んで吹き消すKIAN 特に最近は、ヤヤ(子守)が田舎に帰って戻ってこないので、私の部屋で毎日12時ごろまで遊んでいて、おかげで寝不足気味だ。ヤヤは子供の卒業式に故郷のビコール地方のカタンドアネス島に帰ったと聞いたが、一週間たっても帰ってくる気配がない。なんだか夫とトラブルがあって、帰るに帰れないらしい。 はじめは彼女はヤヤとして雇ったが、とてもよくKIANの面倒を見るので、ジェーンがもう一人のメイドを首にして、給与を倍にしてヤヤにメイド役もやらせた。朝の5時から夜の10時まで働きずくめで、炊事、洗濯、掃除、そして子守をこなすスーパーメイドだった。そのヤヤがいないので、ママ・ ジェーンとキムで手分けして、炊事、洗濯、掃除に忙しくて、KIANをかまっている暇がない。だから、私がヤヤならぬヤヨ(男の子守)役を果たしているわ けだ。  ルートンマカオでシーフードスピナッチスープをおいしそうに飲むKIAN。右はKIANの最大限のご機嫌の顔だ。 4歳の誕生日というのはフィリピンではあまり重要ではないそうで、1歳、7歳、それと女は18歳のデブー、男は21歳が重要な節目だ。そのため、この日は特に誕生 会というものはなかった。しかし、それではさびしいので、私の提案でジュピター通りのルートン・マカオで内輪の人間だけで会食をすることにした。残念ながら、パパ・カーネルは、オペレーション(手入れ)で参加できなかったが、多くの家族に囲まれ、KIANはとてもハッピーだ。 KIANにとってもおいしいものはおいしいわけで、とりわけ、シーフード・ドライ・ヌードルには目がないが、たくさんの食べ物を前に終始ご機嫌だ。 大分前になるが、ルートンマカ オで一緒に食事をしたとき、野菜嫌いのKIANがシーフード・スピナッチ・スープを喜んで食べていたのを思いだして、ここを選んだ。ルートンマカオは、マカティでは一押しの中華料理店で、安くて、うまくて、量が多いという三拍子そろった店で、昼間は周辺のサラリーマンでいつも満員だ。3年半前にはここを借り切ってKIANのバプティスマル(洗礼式)の披露宴をやった。ジェーンの一回目の結婚式の披露宴もここだった。 たまたま仕事でやってきていたマリソール(パスコの取締役トレジャラー兼セクレタリー)夫妻も参加した。KIANの腹違いのお姉さんのキムが今日はヤヤの役割だ(右写真中央)。 料理は、前菜、スピナッチ・スープ(二皿)、パタ・ティム(豚足の煮込み)、パイナップル・フライド・ライス、シーフード・ヌードル、ローハン(野菜の煮込み)、カイランなど、8皿分、KIANも入れて9人でちょうど良い量だった。私は、中華料理を注文するときは、人数と同じ品数を注文することにしているが、まさにドンぴしゃりだった。飲み物やデザートは無し、それで合計2300ペソ、一人頭、250ペソ程度だ。もちろん、全部私のおごりだが、サイカあたりの日本レストランに連れて行ったら、倍は固いだろう。 好物のパンシットを大きな口をあけてぱくつくKIAN。バースディギフトのブルドーザーのおもちゃをもらって、真剣な顔つきになって固まってしまったKIAN。

KIAN、4回目の誕生日 2014年4月2日