Daily Archives: September 13, 2014


今年の6月から晴れて幼稚園に通い始めたKIANだが、それは波乱の人生の始まりだった。近所の幼稚園ないし保育園に通園を始めたのが2歳だったが、後半の1年間は、ほとんどサボっていたが、毎日ABCの繰り返して、飽き飽きしたのが理由だった。また、おとなしい子供ばかりで、遊び相手に不足したのも原因だったようだ。しかし、2年間の幼稚園がが義務教育化された現在、そうも言ってはおれず、4歳になって本格的な幼稚園に通い始めたのだが。         新しい幼稚園に通う初日。KIANは期待と不安で胸いっぱいだ 通園の送り迎えは、姉のキムの役割で、毎日8時半過ぎに、二人乗り自転車ないし、おじさんのボボイの運転する車で通う。はじめの内は、12時近くまでキムが外で待っていて、連れて帰ってきた。しかし、キムは待っている間に、ボーイフレンドとデートしていることが発覚して、外で待っていることは禁止された。はじめの内、KIANはてっきり外で待っていてくれているものと思っていたが、別に待っていようがいまいがさほどの違いがないとことを悟って、幼稚園が終わってからも、素直に姉の迎えを待つようになった。 園児50人(午前の部と午後の部で合計100人)に対して、先生が約10人、それにヤヤ(子守)が5人、合計15人が面倒を見る。約、園児3人に対して一人という勘定になる KIANは相変わらずABCを習うのがきらいで、学習に身がはいらず、遊んでばかりいるので、先生から、小言がキムに伝えられた。ほとんどの子供は2歳あるいは3歳から幼稚園に通っているので、このままでは、皆について行けず、留年の憂き目に会うかもしれないと。それを聞いたママ・ジェーンは、わが子が留年などありえないと、憤慨した。しかし、ABCなどくそ食らえという私の主張にカーネルも賛同して、幼稚園の教育方針がなっていないと、意見の一致を見た。 しかし、ABCに興味を持てないKIANは、やがて幼稚園に行くことを拒み始めた。しかし、姉のキムは心を鬼にしてKIANに通園すること強制した。泣く 泣く出かけるKIANだが、なにか特別な催しがあると、俄然やる気を出して、ママに、「もたもたしているとスクールに遅れる」とはっぱをかける始末だ。 晴れ着をつけて、一家せいぞろで、ご機嫌で幼稚園に向かうKIAN ある日、幼稚園に出かけるときになって、KIANが行方不明になった。姉のキムはパニックになってKIANを探し回る。当のKIANはおじさんのボボイの部屋に隠れていた。見かねたボボイがキムに告げると、KIANは、「何故ばらしたのか」とボボイに食ってかかった。確かに、KIANは私の机の周りで遊んでいる時もキムの声がすると、あわてて私の足元、机の下に隠れるのが常だ。 ママ・ジェーンはジムに通ったりで、外出することが多いので、キムは母親代わりにKIANの面倒を見ることを言いつけられている。だから、責任重大で、自由奔放なKIANに振り回されて、つい、KIANをしかりつけるので、KIANにとっては、姉のキムがけむったくなってきたようだ。だから、KIANはメイドのドナに抱きついて、「I love you」を繰り返して、キムを牽制する作戦に出ている。パパやママがいつもいなくても周囲がKIANを見守っているので、KIANは幸せだ。 約50人の園児に混じって、ひときわ目立つKIANの晴れ舞台だ そんなある日、パパ・カーネルが幼稚園に特別講師として招かれた。警察の仕事を説明してほしいと言う特別講義だ。KIANは、去年の結婚式の際にあつらえた制服を身に着けて、家族全員、それに私が付き添って、幼稚園に出かけていった。パパ・カーネルとKIANの凛々しい姿は皆の注目を浴びた。KIANの得意絶頂の瞬間だ。 このときからKIANの幼稚園での役割が決まった。悪を懲らしめる警察官として、KIANの本領が発揮された。しかし、先生が「パパ・カーネルに重要な話がある」とキムにつげ、両親が幼稚園に呼び出されるはめになった。先生は、KIANの幼稚園でのKIANの腕白振りを両親に真剣に訴えた。 講義を終えて、記念撮影をするパパ・カーネルとKIAN。「将来は警察官になりたいか」との問いかけに、KIANが「YES」と叫んで手を上げると、園児は次々に手を上げ、KIANはリーダーシップを見せ付けた。先生は、KIANが悪さをすると、皆が従うので、まずはKIANをコントロールすることに躍起となる […]

KIANの波乱の幼稚園生活 2014年9月13日


フィリピーノの数字の弱さには定評がある。サリサリのお姉さんで、おつりの勘定を暗算でできる人にはめったにお目にかかれない。私の良きアシスタント役として活躍してくれているKIANのお姉さんのキム(18歳)は、大変優秀だが、こと数字の話になると、話題をそらす。 9月12日のマニラ新聞に、この件について、面白い話が載っていた。米紙、ウォールストリート・ジャーナルの記事で、米国の心理学者や教育学者の研究成果だそうだが、要は、英語そのものが数字を理解するのに不向きで、英語圏、すなわち、米英あるいはフィリピンではそれがハンデキャップとなっているというのだ。アメリカ人の数字の弱さは、確かに定評がある。 お願いするときは、両手をすり合わせて、「プリーズ」と繰り返す。こんな顔をされるとどんなことでも聞かざるをえない。一方、機嫌が悪いと、白目をして下唇をつきだすで、思わず噴出してしまう。 たとえば、11はイレブン、12はトエルブなどの単語だが、日本語などでは十と一あるいは十と二で表現し、これらが二桁の数であることが良く理解できる。さらに17や18はセブンティーンあるいはエイティーンと表現され、70あるいは80のセブンティーあるいはエイティーときわめて取り違えやすく、しかも、十進法の一の位と十の位が、十台とそれ以上では逆転していて、きわめて理解しづらい。 新聞の記事はそこまでだが、さらに九九に至っては、日本の九九と英語のそれでは圧倒的な違いがある。英語では、9x9=81をナイン・タイムズ・ナイン・イコール・エイティーワンなどと長ったらしい読み方をするが、日本語なら九九八十一(ククハチジュウイチ)と数分の一の時間で唱えられる。 私の執務机の周りで遊ぶのが大好きなKIAN。机の上や引き出しの中のものをいじくりまわして遊ぶのが無常の楽しみらしい。右の写真は、幼稚園の催しもに着けた衣装でご機嫌で帰宅してきたKIAN。幼稚園から帰ってくると、まず私のところに飛んでくるのが日課だ。 フィリピーノは英語で算数の授業を受けるので、まず、十以上の数字、十進法の理解と足算に苦しみ、さらに九九で挫折して、それ以降、大多数の生徒が、一生、算数・数学には無縁の生活を送ることになる。だから、KIANには、数字や九九をを日本語で覚えさせたいと思っているくらいだ。また、一方フィリピンでも普及している公文式ではどのように算数やABCを教えているのか、いたく興味を持っている。場合によっては、公文に通わせることも考えている。 KIANが幼稚園に通い始めてから3ヶ月を過ぎたが、KIANはABCを勉強するのが大きらいで、先生から、このままでは、来年も年少を繰り返さなければならなくなると忠告されている。いわば、留年あるいは落第だ。そんな事態をさけるために、ママ・ジェーンは、家庭教師を雇って、KIANにABCを特訓させようと企てているらしい。私は、頭が良いと評判のKIANがABCがきらいで幼稚園を留年させられ、落第生とレッテルを貼られるかもしれないという馬鹿馬鹿しい現象に腹立ちを覚えている。        カメラを構えると得意のワッキーフェイスを披露しておどけるKIAN ちなみに、KIANが数字として認識できるのは三つまでで、それ以上になると、「たくさん」としか認識できないようだ。ABCも、その日習ったアルファベットしか書けない。それよりも、単語を丸のまま読んでくれといい、一つ一つの文字ではなくて、言葉全体を記号として認識しようとしているようだ。 そもそも、人類数百万年の歴史で、数字や文字が発明されたのは、せいぜい数千年前の話で、世界的に数字や文字が普及したのはたかだか数百年の歴史しかない。人類は、数字や文字無しで、脳を発達させ、人類という、他の動物とは極めて異なる類を形成した。その原動力は、二足歩行で自自由になった手を使い、さらに道具を使って脳を飛躍的に発達させたことにある。 だから、脳の発育に数字や文字は不要だ。現にKIANは数字や文字無しに、おもちゃやスプーンを器用に扱い、英語を流暢に話し、タガログ語やさらに日本語まで理解するという、大人顔負けの知恵を持っている。先日、「重い」の意味を聞いたら、「Heavy」と答え、「待って」の意味を聞いたら、「Wait」と正解し、日本語を教えてほしいと要求する。我が家では、英語、タガログ、ビコラノ、そして日本語が飛び交うが、それぞれが、異なる言語で、同じことを違った言葉でしゃべるということをしっかり理解しているのだ。親たちのタガログ語やビコラノでの会話に、英語で割ってはいることもしばしばだ。 私の部屋で一日の大半を過ごすKIANは、私がいても遠慮はしない。先日は、この姿勢から、にわかに小さなおちんちんを出して、ベッドの上におしっこを撒き散らし始めた。私の顔面も命中させて、大喜びだった。この攻撃には私もたじたじで、一騒動になった。その後も大きな水鉄砲で部屋を水浸しにする気配だったので、「I will threw you from window if you do it」と脅したら、構えだけで水を発射することは、さすがになかった。 子供の脳は、遊びや音楽、そして親兄弟との日常の生活を通じて日夜、飛躍的に発展して行く。それを、子供を机に縛り付けて、1、2、3やABCを繰り返させるなんて愚の骨頂だ。ちなみに、KIANは、ワン、ツー、スリー...テンを諳んじているが、サイコロの目を見せて、いくつかと聞くと、三つまでしか正解は言えない。4つ以上は適当に知っている数字を言うだけだ。しかし、数字や文字は時が来れば、自然に覚えるもので、それよりも、活発に遊んで、歌って、踊って、食べて、寝るのが一番と思う。そもそも、歌や踊りは人類の遥か昔からの楽しみで、歌や踊りを楽しむお祭りのない種族は、存在しない。だから、歌や踊りは、人間としての本能に近いものだと思う。 […]

フィリピーノは何故数字に弱いのか 2014年9月13日



2ヶ月前の去る7月15日にルソン島ビコール地方に上陸し、マニラ首都圏を横断した台風グレンダ(9号)は、すでに記憶の外になりつつある。しかし、わが農場があるタバコ市は最近になってようやく電気が復旧し、普通の暮らしが戻ってきた。当初から、写真で被害状況を知らせるようにリクエストしていたが、最近、所要でジェーンとカーネルがレガスピ市に赴き、その際、農場に立ち寄って、ようやく、被害状況そして復旧の写真を手に入れることができた。   農場へのアクセスロードも周囲の木々が倒れこんでいる。そして農場の中に入ると道路は寸断され、通過することはできない。   入り口近くのマンゴの木は根こそぎ倒れ、反対側のバナナの木も壊滅状況だ。   百羽も間近いと期待された地鶏のカビアが放牧されている地区は、木々が倒れて足の踏み場もない。また、道路わきのナラの木は、葉を全部落としたものの、倒木は免れた。   ファームハウスに通じる道路は倒木で寸断され、立ち尽くすビアンカ(息子の未来の妻となる予定)。   家の周りの木々も倒木ないし枝を落とし、足の踏み場もない。           10m近くに育って、大量の実を提供してくれていたアボカドの木も倒れ、ベランダの屋根を破壊した。養魚場へ通じる道もやしの葉で寸断状態。 養魚場の脇にあるファーマーハウスは完璧に倒壊した。 台風が去った翌日、早速20人ほどの人夫を入れて復旧作業だ。まずは、倒木を片付ける作業だ。 […]

農場を襲った台風グレンダ(9号、7月15日)の爪あと 2014年9月13日