農場訪問


ホリーウイークの農場訪問第7日 昨夜は、ビアンカなど若者が、マヨン火山の展望台まで徒歩で登り、キリストの苦難を味わった。早朝帰宅したビアンカは昼まで熟睡していたが、まさに若者の特権だ。 私は、手持ちぶたさで一人で農場を回ったが、カシューナッツの実や、グアバノの花を発見。しかし、猿(モイモイ)が暑さのせいか、死んでいるのを発見、さびしい出来事だった。 KIANのたっての願いで外のサリサリストアにアイスクリームを買いに行った。KIANが徒歩で外に出るのは初めてなので、いろいろ厄介だったが、近所のサリサリで目当てのチョコレートアイスにめぐり合ってご機嫌のKIAN。テントの中で、目が覚めたビアンカも加わって、子供たちとアイスクリームパーティを催した。気前良くアイスを皆に振舞ったKIANだが、皆が勢い良くアイスを平らげ、残り少なくなってしまい、大粒の涙を流して、抗議していた。 マヨンは雲をかぶっていたが、庭には名も知れぬ鳥がやってきてバードウオッチングを楽しんだ。 ホリーウイークの目玉は、この日(金曜)のキリストの死を痛む行列だ。ジェーン夫妻をはじめ、大人は行列に参加して家を留守にしたが、KIANが恒例の足の痛みを訴えて、マッサージに翻弄された私は、行列の様子をカメラに収める機会を逸してしまった。しかし、両親が戻って来るころには痛みも収まって、KIANの笑顔が回復していて、ヨガの真似事をしていた。

ホリーウイークの農場訪問第7日 2015年4月25日


誕生会から一夜明けて、静かな朝を迎えた。庭に張ったテントは、KIANの要望で、休暇中はそのままにしておくことになった。 KIANは早朝から元気だ。Wifiの調子が悪くてやることがなくKIANと散歩に出かけた。バハイクボでテラピアと闘鶏にえさをあげ、ピガリーではカンコンを抜いて与える。えさやりは魚や家畜が寄ってくるのでKIANは大好きだ。この後、ゲートを向かった。黒豚にはアテ・キムが中に入ってKIANをせかす。さらに、キムはヤギ(カンビン)を捕まえると張り切っている。目的を果たして喜ぶキムにたいしてKIANはおよび腰だ。 チキンファームではえさ箱が底をついて、あまりやれなかった。去年の台風で大型の地鶏のカビアが全滅してしまったので、今は、アヒルと普通の地鶏(Native Chiken)が、20羽ほどしかいない。しかし、雛が10羽、卵が20個ほど抱卵されているので、ほどなく数も増えるだろう。しかし、このエリアはもともと黒豚を放牧しようとして建設したので、広すぎる。そこで、黒豚が増えたら、ここに移動しようというのが息子の思惑だ。 帰り際、キムは馬(カバヨ)のジンポに興味を示した。まさか、裸馬に乗ろうとしているのかと思ったが、遠くで眺めるだけだった。馬のブヒブヒという威嚇に、キムの背負われたKIANは本気で怖がっていた。さすがに自分より大きい家畜には恐怖を覚えるようだ。 午後は、パパカーネルの実家に向かったがKIANはせせこましい家が嫌いで行きたがらないのをだましだまし連れて行ったそうだ。しかし、農場に帰りたがって往生して、夜には戻ってきた。 夕方、陽が翳ってくるとエンジンの音がするので、外に出てみると、今日の仕上げの籾鋤をやっていた。今日の収穫は20袋程度だが、通路を防ぐ牛(バカ)はかなりの迫力。バハイクボの向こうにはマヨンの頭が見える。バハイクボではビアンカなど10代の女の子3人が嬌声をあげてはしゃいでいた。          

ホリーウイークの農場訪問 第6日 2015年4月25日



Wifi 先日、事務所のインターネットが3日ほど普通になったとき、急遽買い求めたスマート・ブロLTE 4Gの最新のポケットwifiが、期待通り農場で威力を発揮した。この日、遅れて農場を訪れたアティ・キムにセットしてもらったら、見事にインターネットの接続に成功したのだ。昨年、息子が買ったポケットwifiは遅すぎて役に立たなかったが、電波の状況がよくなったのかあるいは機器が優れているのか、実用に耐えるスピードで使えるようになったのだ。そのため、先週の土曜以来たまっていたメールに返答することができ、便秘したのが大量の便を出してすっきりしたような気分だった。 花 しばらく姿を消していたカディナ・デ・アモールという花が見事に咲いていた。あの「空に星があるように」というシンガーソングライターの走りの歌で一斉を風靡した歌手、荒木一郎の奥さんが農場にやってきたときに絶賛した花だ。 レチョン 私の提案でKIANの誕生会の目玉として実現した農場自前のレチョンの料理に立ち会うことができた。料理といっても子豚一匹丸焼きにするので、実に豪快で、お祭りとお祝い事には欠かせない料理だ。早朝、子豚をしめ、丁寧に毛を取ったあと、はらわたを出し、しばらく置いてから、竹の棒を口から尻に突き刺し、炭火でじっくり焼く。おなかの中にはレモングラスの束を入れて臭みを消し、皮の表面にはマーガリンを塗ってつやを出す。豚をたえず回転させながら2~3時間かけて皮はぱりぱりに仕上げるのがコツで、丸一日の作業となった。はらわたの大腸と胃袋以外は、きれいに洗って料理に使う。カーネルがジェネラルに出世したら、農場の牛一頭をつぶしてレチョンにすることになっている。牛一頭のレチョンを味わえるなどいうことは一生に一度あるかないかの出来事で、カーネルの夢だそうだ。            カンビン 農場にきたら、オスのヤギ(カンビン)一頭が買ってあった。オス一頭では、子供を増やすという農場ならでの楽しみが無いので、もう一頭、メスを買った。これで、子ヤギやヤギの乳にありつけるというものだ。ヤギの乳やチーズは牛乳と違って、体によく、美味だと評判だ。 誕生会 夕方、陽が陰るころ、いよいよKIANの5歳の誕生会が始まった。ちょっと手間がかかったのが、マニラから持ってきたテントの組み立てだ。親しくしている退職者の方からいただいたのだが、かなり本格的なキャンピング用で、テントなど使ったことがない地元の者には、出来上がりの想像ができないので難敵だ。1時間以上かけて、なんとか組みあがったが、子供たちは大喜びだ。 午前中ぱらぱら降っていた雨もすっかり止んで、KIANの誕生会を祝うようにマヨン火山は終始、雄姿を惜しみなく見せていた。庭で、リゾートの気分を味わうことができる、まさにガーデンレストランだ。 料理の方は、予想通り、甘いスパゲッティ、パンシットビーフン、チーズルンピア(春巻き)などだが、これにレチョンが加わって、十分な豪華なご馳走になった。招待客は、内輪の家族(約20名)、常用のダニーやウベットとその家族、それに、収穫を手伝ってくれている農夫など、合計40名程度。KIANが一歳のときの誕生会で招待した150人と比べるとかなりこじんまりとした誕生会だった。 誕生会の開始前におなかが空いてしまったKIANはパンシットを盛んに盗み食いをしている。 […]

ホリーウイークの農場訪問第5日 2015年4月25日


農場滞在4日目は、3月31日、いよいよKIANの誕生日だ。しかし、お父さんのカーネルの到着が明日になったので、誕生パーティは、延期された。ジョルビーでやるという話もあったが、50人くらい招待して優に1万ペソを超えるお金がかかるというので、やはり、ファームハウスでやることになった。そんな心配をよそに子供達相変わらずプール遊びにいそしんでいた。   料理は相変わら、甘いスパゲッティ、パンシット、鶏のから揚げ、チーズの春巻き、それにスイートなどなのだろうが、それではつまらんと、農場の子豚に犠牲になってもらって、レチョンを振舞うことにした。ジェーンは躊躇していたがマミーが大喜びするので決定した。お祝いにレチョンはつき物で、一歳の誕生日以来のご馳走だ。KIANの誕生日には恒例の「柱の傷...」をやった。さぞかし背が高くなっていると思いきや、今年の1月に計った時と同じだった。マヨンをバックに5歳の記念写真を撮ろうとしたら、やおや、くしゃみをいたと思ったら、KIANが視界から消えた。それはくしゃみと一緒に大きな鼻水が出てしまったからだった。             今日の朝飯はもぎたてのゆでとうもろこしだ。ほのかに黄色みを帯びた地産のもので、最近はやりのジャパニーズコーンではないので、期待しなかったが、これが意外とおいしかった。ほのかな甘みが、かえっておいしい、取立てはなんでもおいしいものなのだ。農場の一角にたくさんなっているので毎日賞味できそうだ。カカオ(チョコレート)の木も実をつけている。 今朝は、3日もインターネットを開けていないので、ジェーンの実家、長兄のダシンの家に行ってE-メールを見ようと出かけた。しかし、インターネットあるいはパソコンの調子が悪くて、うまくいかない。仕方がないので、ダシンの家にあるパソコンで開けてみたが、なんとか日本語も読めるが、日本語で返信ができない。そのため、とりあえず閲覧するだけで帰ってきた。 帰りにアイスクリームを買うように頼まれて、タバコ市の老舗デパート、LCCに寄ったが、どういうわけか、アイスクリームがほとんどない。お目当てのチョコレートもバニラもなくて、小さなコーンアイスしかない。別のスーパーでやっと見つけたが、KIANはお気に召さなくて、手をつけなかった。ジャックフルーツやアボカドがなったら、アイスクリームに混ぜて食べたらさぞかし、おいしいと期待される。           午後から、米の収穫の様子を見に行った。フィリピンでは刈り取ると直ちに籾にして、籾を天日に干して保管する。そのころ天気が良くないと、籾が発芽してしまい、台無しになるので、農家は空を眺めながら籾の天日干しに精を出す。水田では牛や水牛が刈り残した稲を腹いっぱい食べてご機嫌だ。 玄関の水槽には小さなグッピーがたくさん飼われていた。やはり熱帯魚はグッピーあたりが手ごろでやさしい。熱帯魚の王様、アロアナやディスカス、あるいは海水魚は手間がかかって手に余る。  

ホリーウイークの農場訪問第4日 2015年4月25日



農場滞在3日目は、2日目に続いてKIANは新装なったプールで一日中遊んでいた。壁の補強に杭をめぐらしたのだが、中々有効で、この休暇中は何とか持ちこたえそうだ。泳ぐといういうより水遊びのためのプールで、10歳以上の子供たちには、今一のようだ。ビアンカは、本物のプールがほしいと懇願していたが、小さめのものでも数十万ペソはかかるので、そう簡単にハイとは言えない。まあ、息子に子供ができて、そして私が隠退して、皆がここで暮らすようになったら、息子に作ってもらおうと思う。(CIMG9993をクリックすると動画が見れます)   CIMG9993 ダランダン(柑橘系のみかんのような果物)の木を農場に植えようと意気込んできたのだが、10年前にすでに植えた大きな木が4本あるという。たしかに数個の実をつけていたが、糞の役にも立たないと思っていた木が、今、注目のダランダンだったのだ(ダランダンにはついては別途報告する)。その他、カシューナッツやピリナッツも将来賞味できるようになるだろう。 KIANと黒豚のえさやりに行ったら、ヤギ(カンビン)がいた。ヤギの肉あるいはお乳は非常においしくて体にいいというので、いずれ飼おうと思っていたものだ。オス一頭ではどうしようもないので、3000ペソをダニーに渡して、もう一頭、メスを買うように指示をした。農場もだんだんにぎやかになってくる。さらに、2500ペソを渡して、2頭の子ヤギを予約した。 マヨン火山は相変わらず雄姿を惜しげもなく見せているが、今日は、ビアンカをモデルにして撮影した。  

ホリーウイークの農場訪問第3日 2015年4月25日


農場滞在二日目は、初日に続いてKIANはプールで一日中遊んでいたが、せっかくだからと農場の動物を視察に誘った。黒豚ファームでは子豚が2頭生まれていた。2頭のメス豚が妊娠していたのだが、まだ若すぎたのか、1頭は5頭の子豚を死産したそうで、もう1頭は無事に2頭の赤ちゃんを産んだ。さらに1頭が病気で死んでしまい、純増は一頭だけで、現在、合計12頭。一気に20頭の大台を期待したが、まだまだ程遠いようだ。 フィッシュ・ポンドでえさやりをした後、豚小屋へ向かったが、そこには大きな母豚がいたので、KIANは怖がっていかなかった。しかし、現在は5頭の子豚がいるだけで、そこから稲刈の様子を間近に見ることができた。     当農場のお米は、先日、めちゃくちゃおいしいと知り合いにほめられたもので、炊き方を工夫すると日本の銘柄米に引けを取らないと評された。しかし、ここで食べると、それほどのものでもない。その原因は、フィリピン風のたきかたは水を少なめにして、ごわごわに硬く炊くせいだ。ジェーンに話をしたら、明日からは日本人好みにやわらかく炊くから大丈夫とのことだった。農場には、かんこん、そしてカモテ(サツマイモ)などが常になっている。また、闘鶏も健在だ。   午後も、プールではしゃぐ子供たちだが、プールの壁がへたってきている。壁に体当たりしたり、足で踏んだりするせいで、プラステックに割れ目ができている。このままでは、明日まで持つまいと、何でも屋のダニーに修理を命じた。そんなことを考えながら様子を見ているとKIANがにわかにひしゃくで私に水をかけてきた。油断もすきもあったもんじゃない。 夜はしばし停電。最近、従来のこの地方の配電業者であるALECOがMERALCO(マニラの配電業者)に買収され民間会社のAPECとなったとのこと。そうしたら、月に1万ペソを超える請求が来たりして大混乱をしているそうだ。電力の供給も不安定になっている。  

ホリーウイークの農場訪問第2日 2015年4月25日



3月30日(月)から始まる一週間はホリーウイークで、恒例により休暇をとって農場で過ごすことにした。都会の人々は、キリストの苦難と復活を祝うために、故郷に帰って行列を行う。そのため、田舎の街は、倍以上に人口が増えて活気ずく一方、マニラは空っぽになる。 28日(土)、出発の日、7:40amという早朝の便に乗るため、5:30amに家を出た。カーネルはどうしても抜けられない用事があって、あとから行くことになったので、空港まで送ってもらった。アティ・キムもお父さんの面倒を見るために残った。KIANは私とママ・ジェーンさえ一緒なら、何の問題もないようだ。一週間ほど前、パパ・カーネルがアブダビに出張した際、空港に見送りに行くのを、てっきり農場に行くのだと勘違いして、空港だけだと知って大泣きをしてしまった。しかし、今日は、いよいよ本物の農場行きだ。今回も何度も農場に行くことを念を押していたが、一方、パパ・カーネルが一緒でないことは一向に気にしていないようだ。 飛行機の中では日清のカップヌードルを食べるのが恒例だ。ローカル製なのに100ペソもするが、フィリピンでは相変わらず日本製の日清カップヌードルがお土産の定番だが、それはシーフードヌードルでなければならない。 飛行機がレガスピに近づくと遠くにマヨンがくっきりと見えた。残念ながら窓際の席ではなかったが、なんとか、カメラに収めることができた。 レガスピ空港に到着すると、KIANは盛んにビコールに行こうと言う。ここがビコールだと言い聞かせてもなかなか納得しない。それを確かめるように空港の周囲をしきりに見回していた。 数年前から出始めたタクシーのおかげで、農場へ向かうのは簡単になった。携帯で連絡を取ってなじみのタクシーを待たせておいたが、20台くらいのタクシーが待っていたおり、すでにちょっと過剰気味のようだ。 農場はちょうどお米の収穫期を迎えていた。晴天に恵まれ、籾を干しているおなじみの光景があった。バナナやとうもろこしも収穫期で、今回は農場の実りを満喫できそうだ。かぼちゃの苗もしっかりと育っている。ファームハウスの脇の水路も完成した。2006年の台風レミンで破壊されたコンクリート塀の修理にも取り掛かっている。 KIANが水浴びを喜んでいる姿を見て、組み立てプールのことを思い出した。早速、組み立ててみると穴だらけで、マミーは使えないという。しかし、そんなことではあきらめない私は、パッキングテープを探させて修理し、水を入れた。KIANは昼寝をしていたが、寝ぼけ眼でプールに水が張ってあるのを見ると、躊躇せず、そのまま飛び込んでいった。それから、数時間、子供たちはわれを忘れて水遊びに興じていた。         夜になると、10人ほどのいとこたちが集まり、食事にカラオケを楽しんでいた。その夜、KIANは大満足で笑顔を浮かべながら寝入った。周囲には「I’m very happy」と感想を述べていたそうだ。

ホリーウイークの農場訪問初日 2015年4月25日


1
ダイアモンド社が主催する財オンラインへ私のブログを掲載してもらっている関係ででお世話になっている作家の橘昶さんのフィリピン取材の一環として、タバコの農場へ一泊で出かけた。 農場 子牛と子豚 黒豚が2世を迎えて11頭に増えていた。さらに2頭のメスが妊娠していて、いよいよ幾何級数的に増えるのではないかと予感する。さらに子牛の誕生、白豚の誕生など、農場は営みにあふれていた。ファームハウスの脇の水路のリップラップ(石積み)も完成した。この日は、ゲストを向かえたせいか、マヨン火山がその雄姿を惜しげなく見せてくれた。   スコーター/タバック しばらく農場を観察してから、タバコの町を見物に出かけた。ジェーンの実家は、フィリピン人の普通の暮らし振り見てもらい、そのすぐ脇にある川沿いのスコーター見物。スコーターといっても田舎のそれは、不潔感も少なくて、大量の子供たちで活気にあふれている。そこに、貧困の悲惨さと暗さは見えない。橘さんも、その雰囲気に好感をもっていた。 タバコ市の名前の由来は、煙草ではなくて、刃物を意味するタバックでこの付近は刃物の産地だ。このほか、タバコ市周辺はアバカ(マニラ麻)のバッグ、楢・籐家具などの名産地だ。 教会 タバコ市を北に向かうと地熱発電で有名なTwi市を経てハンギングロードと呼ばれる三陸海岸のような地形に出る(写真追加)。その先にあるのが、女性の願いをかなえるご利益で有名なホロアン教会だ。 ファームハウス 夜は、ジェーンの甥と姪が集まって、橘さんを迎えた。カラオケは定番で、アレインは得意の器械体操を披露した。 マヨン展望台、カグサワルーイン/お土産 翌日は、早めに農場を発って、マヨン火山の展望台経由でレガスピ空港に向かった。この日もよく晴れて、マヨンの絶景を見放題だった。 ビコール地方の象徴とも言えるカグサワの遺跡。この日は自転車レースのイベントが あったようで、その表彰式に出くわせた。周辺のお土産さんは駐車場のまわりに移動して、軒を並べていた。小さめのバッグ、3個100ペソを見つけて、女性 […]

橘昶さんの取材に協力(農場編) 2014年4月12日



2週間の農場滞在を終えて、いよいよマニラに帰還する日がやってきた。モンテーロはすでにマニラに帰ってしまっているので、一般の乗合自動車(UV Express)でレガスピ空港に向かった。年末年始の大盤振る舞いで懐がさびしくなったジェーンは、我々だけになると、にわかにけち臭い。 農場訪問の初日と二日目はマヨンが顔を出したものの、その後は、ずっと雨で、最終日になって、やっとマヨンが顔を現してくれた。これはチャンスと、飛行機の中で見たいから、席は右側とジェーンに念を押した。しかし、ボーディングパスをみると左側、ジェーンは、すでに右の窓側は一杯で左しか取れなかったと言い訳を言う。       ところが、飛び立ってみると、通常、旋回して、マヨンの南(マヨンは飛行機の右側)を通過するのが、この日はパイロットの気まぐれか、マヨンをぐるっと回って、マヨンの北側(マヨンは飛行機の左側)を通過したのだ。しかも、快晴でマヨンの絶景が目の前だ。こんなことは過去、一回しかないまれな経験だ。 残念ながら、窓際に陣取ったKIANのおかげで、眼下の農場を見つけることはできなかった、そのあたりの写真を必死に収めた。        KIANもこの絶景に感激かと思いきや、さほどではなく、飛行機が飛び立つとまもなく、お腹がすいたと、カップラーメンを注文していた。 飛行は順調で、40分も経つと、マニラ空港に到着。ターミナル3の目の前は、SKY WAYからターミナルに通じる立体高速道路の建設がたけなわだった。マニラの道路事情も徐々に良くなっていくようだ。  

マニラ帰還(マヨンの絶景を満喫) 2015年2月7日


今年は、帰りのチケットの関係で、1月6日(火)まで農場に滞在した。1月5日(月)ともなると、学校が始まって、周囲は、にわかに日常になる。 1月5日(月)は学校が始まっていたのだが、いとこのヤナはKIANのお相手で、学校を休まされた。午後になると、学校を終えて、他の子供達も農場にやってきて、KIANのお相手をしている。 いよいよ農場滞在の最終日だが、今度は、私の誕生日(1月11日)の早めのお祝いということで、再び、食事会。素敵な中華料理屋ができたというふれこみだったが、マカティのルートンマカオとは比較にならなかった。それでも皆、大いに盛り上がっていた。 話は違うが、農場からタバコ市に向かう国道の拡幅工事が行われていた。2車線4を車線に拡幅するものだが、ところどころお店や樹木を残しながら、道路工事だけは、かなり進んでいる。ちなみに樹木は、市の許可が下りなければ伐採することはできない。また、土地の収用を担当する部署も工事部門とは連携は取れていないようで、ちぐはぐな工事がすすんでいた。いずれは、辻褄が合うのだろうが、いかにもお役所仕事だと感心する。 農場も、なんとなく日常が戻ったような雰囲気だ。散歩する鶏の親子も田舎ならではの光景だ。カラバオも毎日雨に現れて機嫌がよさそうだ。 黒豚の脱走事件により、フェンスを修復するための資材が配達された。フェンスの根元を玉石で固めて、穴が掘れないようしようという算段だ。 農場のゲートハウスは改修されて、立派な居室となっているが、当面、使用する気配がない。左が内側で、右の写真は農場の外側の写真だ。この界隈ではオレンジゲートの家として有名だ。  

正月開け、農場の日常 2014年2月7日