旅行


  台風騒ぎもおさまらない29日から10月1日まで産経新聞の取材に同行してクラークとスービックを訪問した。取材の目的はフィリピンの産業振興の目玉となっているクラークとスービックの発展振りを報告するものだが、特に基地の返還前と返還後の人々の暮らしぶりの変化に着目して記事をまとめたいとのことだった。    クラークでは有竹さんという方が、取材に協力してくれた。有竹さんはクラークの主のような人で、クラーク開発庁CDC(Clark Development Corporation)やクラーク国際空港公社CIAC(Clark International Airport Corporation)の多くのスタッフと親交があり、今回も空港内の取材やいろいろな方との面会をアレンジしていただいた。なお、有竹さんはクラーク内、Parade Groundsの真正面にカフェ・メサというしゃれたレストランを経営する傍ら、元米軍将校の住宅を改造して30棟ほどの貸家も経営しておられる。カフェ・メサはウエイトレスが皆八頭身美人ということで有名なので、クラークへ行ったら是非覗いてみてほしい。   クラーク内にある博物館にはクラーク基地の歴史にまつわる写真や展示品が並べられているが、中でも目にとまったのが若き日のアロヨ大統領の写真だ。60に近い現在もなかなかの美形を保っているが、若いときは大変な美人だったようだ。  クラークの歴史そして全容を知るには最適で、開発の経由やクラークの計画図が掲示されていて興味深い。(画面をクリックして拡大してみてください)  クラークの中心にあるのがParade Groundsという騎馬隊などがパレードをした広大なエリアだ。幅200m、長さ800m程度で、野球場が4つ程度建設できそうだ。正面の白い柱がクラークの象徴だそうで、長い間土に埋もれていたものが発見され、ここに置かれたものだ。 […]

産経新聞のクラーク、スービック取材に同行 2009年10月6日


  退職者のトラブル解決のためバギオを訪問する機会があった。トラブルの方も無事解決し、一泊2日のバギオ観光としゃれた。バギオといえばフィリピン人憧れの高原都市で、暑さはほどほど、夜は寒いくらいでカーデガンが必要だ。ほとんどの樹木が松ノ木だが、フィリピンで松ノ木が見れるのはここだけだ。  バギオに向うケノン道路はその昔、日本人の労働者によって作られたという難所で、深い谷をつづら折に上って行くこと約1時間、そこには信じられないような規模の天上の都市があるのだ。  泊まったホテルはEl Cielito Innというところだが、1500ペソ/泊で、とても感じの良いホテルだった。セッション通りの坂上のロータリーから5分くらい東に歩いたところにある。また、セッション通りを下りきって左へ折れ5分ほど歩いて、さらに右へ折れてちょっと入ったところにハニームーンなど殿方を接待する店が何軒かある。  セッション通りをのぼりきった当たりにあるのが、有名なフィリピン料理の老舗、バリオフィエスタだ。料理は普通だが、外の木彫りの人形がすばらしい。    この日は丁度、世界一長いロンガニサ(ソーセージ)のパレードがあり、ギネ・ブックに挑戦しているとのこと。学生のバンドなども出て、バギオの目抜き通りのセッション通りを練り歩いていた。   バギオを訪問したらセッション通りの突き当りを右に折れたところ、マグサイサイ通り沿いのマーケットは欠かせない。イチゴジャム、高原野菜、ほうき、民芸品の織物や銀細工などがお土産の狙い目だ。フィリピン全土のレタスやキャベツ、白菜やカリフラワーはすべてバギオ周辺で生産され全国へ出荷されている。例え、たくさん買い物をしてもちきれなくなっても平気だ。小学校の子供達がアルバイトで運んでくれる。魚類はほとんど養殖魚のテラピアかバゴスだ。山の中だからいたしかたないことだが。       バギオ一番の観光名所はマイン・ビューだ。ここから眺める景色は壮大だが、久しぶりにやってきたら、景色の中に住宅が目立つ。バギオの宅地開発も随分進んだものだ。また、さらにおみやげ物屋がやたらと多い。10年前の3倍はあるだろう。毛糸で編んだ服や民芸品の織物などが主体だが、サボテンなどの鉢物もある。どういうわけか20ペソでセントバーナード犬と写真を撮らせる商売をやっていたが、バギオとの関連は不明だ。原住民であるイグロット族の衣装を着せて写真を撮らせるのは理解できる。 […]

高原都市バギオ訪問 2009年9月27日



  ヌエバエシアのジャトロファ農園の見学をヘリコプターで行なった。陸路であれば往復12時間はかかろうというものが、たったの3時間で済ますことができた。快晴に恵まれた今日は、普段は見ることのできない空からのマニラ、そしてマニラの北、ブラカン、ヌエバエシヤ、パンパンガなどの風景を満喫することができた。 マニラ・ドメスティック・エアポートを出発。    アヤラ財閥が開発しているコンドミニアム「The Residence Green Belt」の威容。今、マニラで一番高いビルだ。右はマカティの商業の中心、アヤラセンターのグロリエッタ。これもアヤラ財閥の開発だ。  同じくマカティのビル群。前の写真とは90度角度が違う。中央のビルはシャングリラホテル。右はアヤラ通り沿いのパシフィック・プラザ。マカティで最初の高層コンドミニアムだ。  左はブエンディア通りとジュピター通りが並行して走る。左手前がウルダネッタ・ビレッジ、右はベルエアー・ビレッジの住宅街だ。マカティの中心市街地はこのほか、フォルベスパーク、ダイスマリニャス、サンロレンソーなどの高級ビレッジに囲まれている。右の写真はマニラ唯一の川ともいえるパシッグ・リバー。この先、マカティ中心市街地から外れて庶民の街と住宅が延々とつづく。  左はこのブログでもたびたび紹介しているEDSA通りのMRTの延長工事。右はすでにブラカンの田園地帯に入ったところにあったマンゴ農園。   マニラから北はバギオまで、ブラカン、パンパンガ/ヌエバエシヤなど県が続くが、ほとんどまっ平らの平野が延々と続く。規模としては関東平野よりはるかに広大だろう。しかもどういうわけか河がほとんどない。  農園に到着したヘリコプター。これから帰途に着く。右の整然とした建物群はなんと養豚場だ。  広大な平野にぽっつりとそびえるアラヤット山、第2次世界大戦中、抗日ゲリラのフグハラハップが立てこもったことで有名。右はピナツボ山の火山灰によって埋められた河。帰りは西側の山岳地帯に近いところを通ったので河が多かった。 ケソン市は大学の街としても有名で、フィリピンの名門、アテネオ大学のキャンパス。中央の道路の右側は天下のフィリピン大学(University of […]

ヘリコプターの旅 2009年6月27日


 日本で開催されるフィリピンセミナーに参加するために、久々に日本に行って来た。昨年の9月以来なので、8ヶ月ぶりとなる。また、昨年7月に生まれた孫の成長を見るのも楽しみだった。今回は日記風に綴ってみた。 5月16日(土)出発 退職ビザ保持者はターミナル1では右端の特別レーンで出国手続きが出来る。そこにはACR(外国人登録証、現在はIC化されている)保持者の出国手続きの窓口があり、現在ではわざわざ入管に出向いて、再入国許可証を取るというような煩わしさはなくなっている。退職者ビザはそのような手続きは不要なので、そのまま出国手続きのゲートに進めばよい。  成田の入国審査場では例のインフルエンザ騒ぎで、係官が物々しくマスクをして審査をしていた。幸いフィリピンはインフルエンザにも見向きもされないようで、この時点で発症者は0、問題なく審査を通過できた。 5月18日(月)フィリピンセミナー参加  地下鉄御成門が一体どこにあるのか、鉄道マップでやっと探り当てたが、東京近郊の鉄道網は、もはや4次元の世界と思えるほど複雑だ。LRT1、LRT2そしてMRTしか知らないマニラっ子は一体どんな印象を持つことだろう。大阪や岐阜から来ていた私の知り合いは電車に乗る前、携帯を使って順路を調べていた。それがなかったら動きがとれないとのこと。   電車の案内が液晶パネルに示され、次の駅や時間が示されて、とても便利になっている。これもまた、フィリピン人が見たらびっくるすることだろう。なにかやたらと文化水準の違いを見せ付けられるよう気がした。   フィリピンセミナーが開催されるアセアンセンターに早くつきすぎてしまい、昼食を食べた後、タバコを買おうとした。以前、成人であることを証明するカードがないと買えなかったので、タバコを自販機に詰めているおじさんに聞いてみた。そしたら、この機械はカメラで買う人の顔を認識して年齢を判断するとのこと。確かにカードでは借りて使えば誰でも買えてしまう。この私が未成年に見えるはずがないと、早速試してみたら、まさかのNG。そうしたらおじさんが直接売ってくれたが、やはり対面で買うのが一番良い。  セミナーのあとはフィリピン移住に興味を持っている方々と品川で食事をした。  5月19日(火)息子夫婦と食事  昼間はフィリピンの仕事でお付き合いのある会社を訪問し、昼食をともにした。  夜は息子夫婦と嫁さんの両親と居酒屋で食事をした。向こうのご両親とはお宮参り以来の3回目の食事会だ。京浜急行、能見台駅の近くの居酒屋、メニューを見ると何もかもおいしそうだ。結局端から二皿ずつ頼むことにした。それにしても大きな居酒屋なのに客は二組だけ、これでやっていけるのか心配になってくる。日本はやはり不況なのかと感じた。  居酒屋の帰りは歩いて富岡駅、そして金沢シーサイド・タウンに戻ってきた、実を言うと、相手の両親、私、そして息子夫婦と、皆この団地に住んでいるのだ。途中、国道沿いに地蔵を見つけて、孫の健やかな成長を祈った。 5月20日(水)姉宅と息子宅訪問 […]

久しぶりに日本の土を踏みました 2009年5月25日



 セブパシフィックの格安運賃の戦略で飛躍的に乗客が増加したレガスピ空港には、従来一日一便だったのが、セブパシフィックが2便、PALが2便、さらに Zest Airなどが飛んでいる。セブパシフィックはバス便と変わらない格安のチケットを発行し、従来バスで移動していた人たちに飛行機で移動する味を覚えせて、後戻りできなくさせてしまったようだ。空港にはセブパシフィックとPAL、両社の飛行機が同時にとまるなど、従来ではありえなかった光景を見ることができる。   チェックインカウンターにはPAL、CEBU PACIFIC、さらにZest Airという新規参入の航空会社のカウンターがあり、閑散としたローカル空港だったものが、最近は周辺に新しいレストランやおみやげ物屋ができて活気が出てきている。    空港前の広場の右奥に、Gallerias De Legaspiという民芸品の店がオープンした。主にアバカ(マニラ麻)で作ったハンドバッグを置いているが、モダンでしゃれたデザインで、値段がせいぜい500円~1000円と格安だ。日本にも輸出しているという。

3社が乗り入れるレガスピ空港 2009年5月14日


 お手伝いしていた住宅の建設が終わり、引渡しも無事に終わったために、しばらくアンヘレスに行く機会がなかった。今回は住宅のタイトル(登記)の移動が完了したとの連絡がデベロッパーからあったので、その受け取りに出かけていった。1~2週間もあれば終わるといっていたものが、約2ヶ月もかかってしまった。お役所仕事だから仕方がないとは言え、タイトルがちゃんと移動されるまで所有権の公的な保証がないのだから、遅れると何かあったのではないかと心配になる。タイトルの移動を遅らせて、その間に他人に売却してしまうなんてこともフィリピンではざらにあるらしい。   エドサ通り沿いに走るMRTはノースエドサのSMで工事が中断されており、その延長工事がようやく開始され、急ピッチで進められていることは前に報告した。2ヶ月ぶりに工事を見てみるとその進み具合に感心する。少なくともノースエドサとNLEX(ノースルソン・エクスプレスウエイ)の入り口当たりまでの橋脚の建設は80%程度終わっている。橋脚が出来ると別の場所で製作した橋桁を載せて大方の形が出来てしまう。年内にはあらかたの施設の全容が出来上がるだろう。しかし、駅となる部分の建設が全く行なわれていないようなのが気にかかる。  パンパンガに入る辺りにある延々と数キロも続く陸橋の下の家については以前にも紹介したが、今回は良い写真が撮れたので、再度掲載する。まさに橋の下の家。小さいときに母親に怒られると「お前なんか橋の下から拾ってきたんだよ」と決まって言われたことを、いつ通っても思い出す。  アンヘレスに来たからにはフィールド・アベニューの探訪は欠かせない。フィールドアベニューの中ごろ、ちょっと脇の道に入ったところにウッドベルという日本レストランが開店していた。入り口のところに「一生懸命 営業中」と掲げてあるのがなんとも好感が持てる。今回はマッカーサーロードにある「なるほど」で食事をすることになっていたので、入る機会がなかったが次回は是非体験試食をしてみたい。英語の店名に中国風の門構え、それに赤いちょうちんとなんとも店構えに一貫性がないが、おいしければそれでよいのだ。   不況の影響か、100軒もあるというお店同士の競争が激しさを増している。なかでもなんどか紹介したアトランティスやドルフィンが頑張っている。左下の写真はアトランティスでやっているボディペイントショー、女性の体をキャンバスにして絵を描いて出来栄えを競うということらしい。残念なが毎週木曜日開催なので今日は客引きが熱心なドルフィンを覗いてみた。  ドルフィンは大分前に覗いたことはあるが、久しぶりに入ってみると、中は立錐の余地がないほどの混みようだった。客で混んでいるのではない、従業員やダンサーなどで店が一杯なのだ。たいした広さでもないところに300人の女性が働いているという。なんとまた、このオーナーは雇用の創出に貢献しているのだろうと感心してしまった。カルチュラル・ダンサーと呼ばれる女性が次々とショーを見せてくれる。一杯たったの100ペソ足らずの飲み物を注文すれば、これだけのショーを見れるのだからなんともお得だ。そうこうしているうちに客席も一杯になってきた。これらのダンサーもテーブルでお相手をしてくれる。もちろん一杯250ペソのレディズフォリンクは必須だ。2時間ほどいて、レディズ・ドリンク2杯、ジントニック3杯でしめて800ペソ(1600円)足らず。なかなかの満足度だ。  最後にちょっとセクシーな写真を一枚紹介しよう。一般にこの手の店では写真撮影は厳禁なのだが、ここではOKな店が多い。かつでマニラのエドコン (EDSA International Entertainment Complex)にカメラを持って入ったら、ガードにつかまりそうになってしまった。写真好きな人は是非アンヘレスに足を延ばしてほしい。

久々のアンヘレスの旅2009年3月22日



 またまたアンヘレスで申し訳ないが、今回はクリスマスを控えあわただしい車窓の風景を中心に紹介したい。  フィリピンの高速道路沿いにはおびただしい広告塔が建っている。特にEDSA沿い、サウス・スーパー・ハイウエイ、今回走ったノースルソン・エクスプレスウエイ (NLEX)等には所狭しと建ち並び独特な景観をかもし出している。下はNLEXとEDSAの交差点にそびえる巨大広告塔。  EDSA沿いに走る高架鉄道、MRT(写真)はSMシティがあるノースEDSAで工事が中断し、マニラ湾に走る高架鉄道、LRT終点のモニュメントにつながっていない。これがつながれば、マニラ都心をぐるりと囲む高架鉄道が完成し、マニラの足も格段に向上する。その工事がやっとはじまったらしい。 NLEX入り口の近くで橋脚の工事をやっていた。南のスカイウエイの延長など遅まきながらもフィリピンも着実に発展しているのだと実感できる。   NLEXをしばらく走ると料金所がある。片側20ブース以上の巨大なものだ。上りと下りでは別々のところにあるが広大なエリアを占めている。自動のETC 専用のブースもあるが、現金、つり銭なし、クーポン、などとブースが分かれていて間違えるとやばい。ちなみにマニラーアンヘレスの料金は普通車で158ペソ、約300円の安さだ。     NLEXの中ごろに数kmに渡る陸橋がある。多分、湿地帯で地盤が悪いので新幹線のように高架にしたのだろう。この陸橋の下にもスコ-ター(不法占拠住宅地帯)がある。ちゃっかり高架の下に家を建てて住み着いているのだ。ここは道路の下で国有地であり、地主がいないからこうなってしまうのだ。  バスの車内ではステーションごとに物売りが入ってきて、飲み物やスナックを売っている。駅弁のように地方の特色が出ていておもしろい。一日いくら売れるのか知らないが、家族が生計を立てていけるくらいにはなるのだろう。  ここのところガソリンの値段が下げ止まらない。アンヘレスに幾たびに値段が下がっている。この日も2ペソ下がって、33ペソ台、ピーク時の半値に近い。それでもマニラの街でタクシーを拾うと、「いくら払う」と公然と交渉してくる。ガソリン代が半分になってもこうなのかと腹が立つが、「そうだ、クリスマスなのだ」。運転手も年越しのための稼ぎが必要なので必死なのだ。  クラークの入り口付近にあるジープニーのターミナルでは数多くのジープニーが整然と並んでいた。こんなに多くのジープニーが動かないで入るというのは何事なのだろう。ここだけで50台ほど並んでいた。はやばやとクリスマス休暇を決め込んでいるのだろうか。  広大なターミナルはほとんど使われておらず、なんのためにこんな所にこんなに大きなターミナルを建設したのか不思議だ。まるでアンヘレス全部のジープニーを収容できるくらいだ。 […]

金なしコネなしフィリピン旅行その4「アンヘレス編2」2008年12月22日


 所用でアンヘレスにでかけたが、今回は車が故障したためバスの旅となった。アンヘレスの長距離バスはクラークのゲートから北へ2~3kmのDau Terminal(写真ではMabalacat Bus Terminalとなっているが地元ではDau Terminalの方が通りがよい)から発着する。マカティからは約80km、1.5~2時間の旅だ。途中は延々と緑の田園風景が続き癒される。 Dau TerminalはMac Arthorハイウエイ(日本語ではマッカーサー、当地ではマックアルトと発音しなければ通じない)から100mほど右に折れたところにあり、ジョルビーとマックスの看板が目立ちわかりやすい。周囲にはやたらとトライシクルが客待ちをしている。外国人だと甘く見られてクラークのゲートやフィールドアベニューまでちょっとした距離なのに最低でも70ペソ、時には100ペソも取られる。フィリピン人ならせいぜい40ペソだろう。まあ、あまりけちなことを言わず鷹揚に払ってやろう。とてもうれしそうに「Thank you」と言ってくれる。マッカーサー・ハイウエイからターミナルに曲がるところにはカルテックスのガソリンスタンドとKFCがあるのでわかりやすい。そこでジープニーを降りて歩いてすぐだ。  マッカーサー・ハイウエイからクラークへ右に入るとすぐに広大なジープニー・ステーションがあり、行き先ごとに整然とジープニーが客待ちをしている。そこにはさらにタクシーやレンタカーもおり、アンヘレスを初め、サンフェルナンド、ターラックなど周辺地域へのハブともいえるところだ。タクシーは街ではほとんど見かけないがここでは珍しく客待ちをしている。きっと外国人専用のもので、かなり吹っかけられるのではないかという気がする。  今回の旅の目的地につくには一旦アンヘレスの中心街でジープニーを乗り換えなければならない。土曜の昼間だというのにアンヘレスの街はジープニーやトライシクルそしてその合間を縫うように歩く人々でごった返していた。 ジープニーと並んでトライシクルは庶民の足の主役だが、ちょっとした距離を気楽に移動するには丁度良い。今回はトライシクルの客の目線で一枚写真を取ってみた。ちなみにここのトライシクルの客席はステンレス製でとてもきれいだった。    アンヘレス名物のフィールド・アベニューはクリスマスを前に客引き合戦がますます熱気を帯びてきているようだ。何しろ客の数よりお店で働く子達の方が圧倒的に多いのだから、客引きは店の生命線なのだ。

金なしコネ無しフィリピン旅行、その3「アンヘレス編」2008年12月15日



 訪比中の退職者お二人をスービックとアンヘレスに案内した。今回は前回と違い車で行ったので、前回訪問できなかったところを色々案内することができた。マニラースービックーアンヘレスーマニラの旅程で、2泊3日、460kmのドライブ旅行だったが、運転手役を買って出た私はぐったりと疲れてしまった。  スービックは東京23区と同じ面積というだけあって、さすがに広大だ。そのほとんどは自然林で熱帯のジャングルを間近に見ることができるフィリピンでも数少ない穴場でもある。スービックの市街地から車で20分ほど走るとイルカや鯨の芸が見れるオーシャンパークやトラの放し飼いがしてあるズービック(ZooとSubicをもじった名前)に到着する。その間、サルの家族が道路で戯れている光景に出会う。また、今日はズービックの入り口で動物園のヤギの群れの散歩風景にも出っくわした。 ここではトラの赤ちゃんと戯れることができること、放し飼いのトラの中へ車で入れることなどで有名だ(トラの赤ちゃんの写真はズービックと提携しているタガイタイのミニ動物園で撮影したもの)。   ここは飛行場、港、ゴルフ場、海浜、カジノなど都市及びリゾートの機能のすべてを兼ね備えており、ヨットハーバーには数え切れない大型のヨットやモーターボートが係留され、お金持ちの集うリゾートタウンでもある。  スービックはSubic Bay Freeport Zoneと呼ばれ、オロンガポ市に隣接した経済特別区で、数多くの企業や外国人が居住している。ご承知の通り、1990年初頭まではアメリカの海軍基地であったが、今でもその周辺には退役軍人が住んでおり、アメリカ式の遊びどころが多数ある。その最たるものがービックからす北へ7kmほどのスービック・ベイという紛らわしい名前の海浜リゾートだ。ここには海辺のホテルに並んでアメリカ式のゴーゴークラブが建ち並んで、昼間から白人で一杯だ。この日は丁度フィエスタ(祭り)で屋台がたくさん出ていた。   スービックベイの街並み  ここに住む白人はいかにも退役軍人らしく大きな体に刺青を彫った人たちがほとんどだ。昼間から、そして明け方までバーで酒を飲んでいる。こんな人たちを恩給で養うアメリカ政府の出費も大変なものだろうと、余計なお世話かもしれないが心配になる。  翌日はSCTEX(Subic, Clark, Tarac Expressway)を経由してアンヘレス向かった。このSCTEXが一体何を指すのかわからず、往生したが、しばらく考えて解読できた。 NLEX(North […]

金なし、コネ無し、フィリピン旅行、その2「スービック、アンヘレス編」2008年11月13日


 今回は同僚と退職者の日本人二人をスービック(オロンガポ)とクラーク(アンヘレス)に案内した。マニラのパサイ市にあるビクトリアライナーのバスターミナルが出発地点だ。エアコンつきのバスでスービックまで約3時間の道のり。220ペソ足らずの料金はリーゾナブルだ。途中昼食タイムもあって、3時間と 30分くらいでオロンガポのバスターミナルに無事到着した。そこからトライシクルに乗ってスービックのメインゲートへ向う。オロンガポのジープニーは黄色で統一され、街並みもどこか豊かな気がする。これはスービックという広大な経済特別区を隣接しているてめに、かなり潤っているのだろう。  スービック訪問の目的は、将来の安住の地を見つけるために、フィリピンの外国といわれる元海軍基地の整ったインフラと抜群のセキュリティを身をもって体験すること、それとポコアポコ・コンドテルの訪問だ。ポコアポコはスービックの市街地に建設されているコンドミニアムで第一期工事は完売し、第2期工事が販売中。地の利が良く将来の値上がりも期待され売れ行きも好調という。価格的にはマニラと大差なく、プレセールで平米15万円程度と決して安くない。しかし、しゃれたレストランが並ぶ海辺まで歩いて行けて、夜でも安心して歩けるセキュリティの良さが人気の秘密なのだろう。  ポコアポコの訪問で時間をとってしまい、東京23区と同じ広さを持つという広大なスービックをじっくり見学する時間がなくなってしまった。そのため、動物園 (ズービック)、水族館、ゴルフ場、海水浴場などのレジャー施設は次回ということで割愛した。港にはアメリカ海軍の巡洋艦(?)や空母が泊まっており、今夜は数千人の水兵で街があふれ返るだろうとのことだった。  スービックからクラーク(アンヘレス)までは最近開通した高速道路で1時間足らずで行ける。幸い、クラークに行く方に同乗させてもらったが、途中、アメリカ軍の数十台の戦車がスービックからクラークへ輸送中で、巨大な戦車を目の当たりにすることができた。  クラークの入り口に近いフィールド通りは以前にも紹介したが、100軒以上のゴーゴークラブが建ち並ぶ東洋一とも言える歓楽街だ。日が暮れると客引きのゴーゴーガールが店の前に建ち並び一種異様な光景が現れる。この世界的な金融不況をもろともせず、明け方近くまで観光客でにぎわっている。  翌朝、フィールド通りからほど近いダウのバスターミナルへジープニーで向う。ターミナルには各地へ向うバスがしきりなしに発着しているが、マニラの入り口まで100ペソ超、1時間の道のりだ。まさに、「金なし、コネ無し、フィリピン暮らし」を地で行っている気がした。  高速道路の左側にはかつて抗日ゲリラのフグハラハップが立てこもったというアラヤット山が広大な平原にそびえている。マニラまで約80kmの間、山といえるのはこのアラヤット山だけで、ひたすら平野が続いている。ほとんどが水田だが、それでもフィリピンは米の輸入国だというからなんとも不思議だ。  退職者の人がマニラの北方のカラオカンという所に宿を取っているので、高速道路からマニラに入ったところでバスを降り、ジープニーに乗り換えた。ジープニーは一台ごとに行き先が違うので目的の場所に行くジープニーを捕まえるのは容易でないが、回りの人に聞きながらなんとか無事に乗り込んだ。ジープニーの運転手はこの道の達人だ。一人8.5ペソの乗車賃の徴収から、客の指示によりどこにでも客を降ろし、客を拾うのもタクシーのようにどこにでも止まる。ためしに運転手の目線で街を眺めてみたが視界が悪く、私ならこのパワステもない巨体を運転するだけでもやっとだろう。  カラオカンの中心はモニュメントというが、革命組織KKK団を率いた英雄ボニファシオを記念したモニュメントに由来している。カラオカンは比較的貧困な人々が暮らす街だが、高架鉄道のLRTの終点であることから、さらに北へ向う人の集積地でもある。そのため無数のジープニーが発着し、喧騒と混沌が闊歩する街だ。ちなみに花街の女性に住処を聞くと半分以上がカラオカンと答える。  モニュメントを囲むように大きな看板が乱立し、雰囲気を台無しにしている。台風の多いフィリピンではこのような巨大な広告塔は倒壊の恐れがあり、規制する動きがあるが、現在でも高速道路わきには無数の巨大広告塔がまさに幅を利かせている。庶民の足、LRTはここでおしまい。将来的にはさらに北に延長される予定だが、すでにラッシュアワーは超満員なので、この小さな車両で乗客の増加を賄えるのか心配だ。車両を買いまして増便の予定もあるそうだが、資金の手当てがつかないのか、なかなか実現しない。  LRTの高架下には屋台が延々と並びフィリピンらしい光景を作り出している。 北へジープニーで向う人たちが夕餉の支度やお土産を買って帰るのだろうが、その活気には圧倒される。   モニュメントのある大きな交差点付近には若者が何をするわけでもなく寄り集まっている。引ったくりやホールドアップは日常茶飯事でフィリピン人でも安心して歩けないという。しかし、「金なし、コネ無し」諸氏に怖いものはないようだ。

金なし、コネ無し、フィリピン旅行「スービック、クラーク、カオルカン編」2008年10月24日