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8月31日、以前お世話した退職者(Aさん)の紹介で読売TVの番組に出演することになった。「千原せいじ漫遊記、世界ふれあい旅スペシャル in フィリピン」  という番組で、関西地区で毎週日曜日の朝、10時~11時まで放映されている番組だ。今回の録画は9月22日(日)に放映されるそうだが、ディレクターとの事前の打ち合わせによると、千原せいじが自分の足でフィリピンを歩いて、旅行ガイドには載っていない生のフィリピンを取材するという設定だ。Aさんによると私ならフィリピンを知り尽くしているので、最適と紹介していただいたそうだ。 取材中、タレントの写真は遠慮してほしいというので、後ろ向きの写真を載せた  取材陣が、街を取材して歩いていると、たまたま私に遭遇し、千原せいじと出会って、話をするという設定だが、どんな話になるか台本はなく、千原せいじのアドリブで進められるとのこと。何を聞かれるのか、ちょっと不安もあったが、正直に思うところを話せば良い、とのことで何とかなるだろうと本番に向かった。  KIANは取材スタッフとあっという間に仲良くなっている  まず、私から取材陣に声をかけて、話が始まる。質問は「日本人があたりまえにやっていて、フィリピン人にとってはとんでもないこと。」という質問。これは得意とするところで「人前でフィリピン人に恥をかかせてはいけない、叱ってはいけない。これをやったら、例え夫婦といえども、二人の関係は、それでおしまいだ。」と答えたが、これはすでに数百回繰り返して話していることだ。次は「フィリピン人には当たり前でも、日本人にとってはとんでもないこと。」という質問。「これはレストラン等での子供たちの無礼講だ。フィリピンでは子供は何でも許され、いくら子供が騒いでも周囲はにこやかに見守っているが、日本人は皆、顔をしかめて目くじらをたてる。そしてもし仮に子供を直接しかりつけたりしたら、逆に親から文句を言われる。フィリピンで子供は天使であり、家族そして社会の宝なのだ。」  取材後は皆で記念撮影。タレントと一緒の写真は掲載できない残念だ  最後の質問は「日本人にとってフィリピンの良いところは」、フィリピンは「近い、優しい、そして安いの3つのI(愛)に集約される。特に子供、妊婦、老人、そしてハンディキャップのある人への優しさはひとしおだ。だから、フィリピンではこのように弱者は皆幸せに生きている。お金があれば幸せとは限らない、フィリピンは多くの人が貧困にあえいでいるが、皆それぞれ幸せなのだ。そしてフィリピンは介護天国であり、その証拠にフィリピンにはフィリピン人向けの介護施設はない。なぜならば、親を介護施設においやるような不謹慎は子供はいないのだ。」 何をやっているのかはっきり認識しているのかどうかは定かではないが、KIANはおおはしゃぎで主役を演じている  取材は、外で行われたが、しばらくするうちに我が家のメンバーがまわりにいて見守っていた。KIANは一緒に取材に応じようと私の足に絡み付いてくる。ほんの5分足らずの取材だったと思うが、上手な質問をしてもらって、フィリピンの良さを強調できたと思う。 取材スタッフは、皆とても親切で、KIANのお相手をしてくれる  フィリピン人は写真を撮ってもらうことが大好きで、TVに出演できるとなると大はしゃぎだ。たった三才のKIANも例外ではなく、取材後、取材陣と記念撮影やら、大きなマイクに向かってなにやら一生懸命、歌を披露していた。取材陣にはフィリピン人気質を多いに満喫してもらったと思う。これぞこそ、ガイドブックには載っていないフィリピンの真の姿だ。彼らが、どれだけTVに出演させてもらえるかわからないが、私の受け答えよりも、ずっと真実を語るものだと思う。 取材はとっくに終わっているが、スタッフが差し出すマイクに向かって一所懸命に歌を披露するKIAN

読売テレビの取材 2013年9月1日


8月18日(日)夜半、激しく降り続いた雨は、恒例のマニラ名物の洪水、道路冠水を予測させるに足るものだった。この日は、朝9時から打ち合わせの予定があり、客からは、今日のミーティングは行われるのかと朝、早くから携帯メールが入っていた。一方、ミーティングの相手、デベロッパーからは、当然のことながら何の連絡もない。周囲の反対を押し切って、行くだけは行って見ると勇んで家を出た。 しかし、コンドミニアムの外の道路に出てみると、そこには道路はなく、まさに川だ。水深は40~50cmはあろう、車が通れる代物ではない。マニラのマニラたる所以を思い知った。 ひざうえまで水位があるから、50cm程度はあるだろう 通りを行くのはゴムボートを押して、救助に向かうその筋の人だけで、さすがに道行く人はいない こんな状況では、もはや、何も迷うことはない。客にメールを入れて、ミーティングの中止を告げ、事務所に戻り、E-メールでデベロッパーに次回のアポを取り直した。デベロッパーからは相変わらず、無しのつぶてだ。我が家があるエリアは道路より1m以上高くなっており、特にこれといった状況にはない。しかし、皆、家に引きこもっていると見えて、車が道にあふれている。 テレビではいち早く首都圏の官庁は、すべて休みとアナウンスしており、ところによっては車が水没するような状況にあることを報じていた。実際問題、マカティの中心部は全く冠水はなくて、平常に機能している。しかし、いたるところで道路が冠水しているために通勤してくる従業員が事務所にたどり着けないのだ。そのため、官庁はもちろん、民間会社も休みにしてしまうところが多い。 昼近くになって、雨も収まっていてので道路の様子を見に行った。多少は水位は下がっていたものの、まだまだ、車が走れる状態ではない。しばらく眺めていると、無謀にもこの水の中を走っていく車があった。とんかつ屋の主人によると、30人前の弁当を買って、ミーティング中の日本人会の方々に届けるのだそうだ。後で知ったことだが、ほとんどのレストランは閉まっていて、こんな時に働いている日本人は兵糧攻めにあってしまったのだ。だから、運転手は洪水などにかまっておられず勇気を奮って水煙を上げながら爆走していったのだ。  午後になると、30cm程度に水位も下がってトライシクルやパジャック(3輪自転車)が走り始めている。 こんな時は彼らの稼ぎ時なのだ。道路を渡すだけでお金を支払ってくれるのだから 水位が10cm~20cmくらいになると、人々は、ほとんど日常の暮らしを取り戻すようだ。  この程度になれば、三菱パジェロなどのSUVは悠々と走ってゆく。だから、マニラではSUVが必須で、自家用車の半分くらいはSUVではないかと感じる。 そして、この夜、再び猛烈な雨が降って翌19日(火)も、官庁は休みとなった。それに21日(水)ニノイ・アキノ・ディで元々休み、したがって17日(土)から、思いがけない5連休となってしまった。ちなみに今回の大雨は、ルソン島の北を通過して台風マリン(12号)の影響で南西季節風が吹き込みが強まり、3~4日も雨が続いた。合計の雨量は1000mmに達するところもあって、2009年にマニラを襲った台風オンドイに匹敵する被害をもたらしたそうだ。しかし、洪水に慣れっこのマニラ子は屁にも思っていないようだ。

恒例の洪水で思わぬ5連休 2013年8月25日



私のビジネス・パートナーであり、かつパスコの社長であるメリージェーン・ゴメスと国家警察のカーネル・ヤン(ヤン大佐)がいよいよ正式に結婚することになった。彼らは3才になる息子、KIANをもうけ、実質的にはとうの昔に夫婦で家族を形成しているのだが、現在まで正式な結婚はしていなかった。理由は定かではないが、今月になって急に結婚すると言い出したのだ。  披露宴の場所は、彼らの息子のKIANのバプティスマルのパーティを行ったマカティ、ジュピター通りのルートン・マカオ、パスコご用達の安くてうまくて量が多いという三拍子そろった中華料理店を借り切って行う。集合は12時、例のごとく解散は未明だが、是非ふるって参加して欲しい。なお、参加の際は、kazutamishiga@yahoo.co.jpに一報ください。 今回は、いわば人前結婚式で、マカティ市役所で市長の面前で式を済ませる。フィリピンでは牧師、市長、判事などが結婚式の証人として婚姻の証明を行うことができるが、その証明書を市役所に提出することにより、婚姻が成立する。そして、披露宴は別途レストランやホテルあるいは自宅で予算に応じて行われる。  結婚式には証人として数組のニノン、ニナン(仲人)が出席して、書類にサインを行うが、これがまさに結婚式に欠かせない重要な役割で、日本人招待客とフィリピン人女性とペアになってその役割を担ってもらおうとしている。   カーネルの連れ後のキムは17才、3才のKIANを含めて、4人は理想的な家族を形成している。それに強いて加えると私がおじいさん役、それにジェーンの弟と双子の子供、さらにヤヤで、我が家は9人の大家族だ  二人は共にビコール地方アルバイ県の出身だ。だから、地元で、家族や姻戚、さらに地元の有力者を招いた結婚式は欠かせない。12月の末、皆が帰郷した折に、パート2として、さらに教会の結婚式を行う予定だが、その時は数百人の招待客が押し寄せるのではないかと予測される。披露宴はレガスピのホテルと、わがビバリー・ファーム(農場)両方で行う予定で、それぞれ、100~150人の招待客になるそうだ。農場で行う分は、食い物と飲み物だけで済むのでかなり安く済むが、レガスピのホテルとなると相応の費用がかかるだろう。農場の場合、KIANの1歳の誕生日には150人の招待客があったので、天気さえ良ければ全く問題ない。もし、こちらに参加されるという方がいたら、是非お願いしたい。  これだけのイベントの予算はどうなるのだろうか。私には何の相談もないので、あてはあるのだろう。ざっとはじいても100万ペソくらいの出費は覚悟しなければならないだろうと思うのだが。 すでに和気あいあいの家族だが、法的かつ宗教上の結婚はフィリピンでは重要な意味を持つ

ジェーンの結婚式のお知らせ 2013年7月19日


一昨日、客とPRAを訪問した際、PRAのGMより、GMA(フィリピン大手ローカルテレビ局)の取材に応じて欲しいと頼まれた。GMAがフィリピンに移住してくる外国人を取材して、ニュースにしたいというのだ。GMAの担当者と日程を調整し、翌々日の午後20日(木)の午後に取材陣が我が家を訪問した。 インタービュー中、皆は階段で声をひそめ興味深げに様子を伺っていた  前日、その話をジェーンやキムにすると、私もテレビに出ると興奮気味、そして、やおら、事務所の大掃除に取り掛かった。事務所の大掃除などめったにないのだが、見栄っ張りのフィリピーノには大いなる刺激となったようだ。この調子でいつも事務所の片づけをして欲しいと思う。  インタビューの後、GMAのスタッフと共に記念撮影(前列右端がレポーターのレア)、KIANは十分に状況を理解しているようで、声をひそめたままで盛んにカメラに向かって話をしていた。なぜ声をひそめるのかと聞くと「I don’t know why I’m speaking like that」となんとも無邪気でかわいらしい返事をしていた。  GMAの取材陣はレポーター、カメラマン、それにプロデューサーの3人だった。めずらしく、約束の1時半きっかりにやってきた。レポーターのLea(レア)については、テレビでよく見かける顔だと、ジェーンが話していた。 記念撮影は続く、KIANも興奮気味にはしゃいでいる  早速、インタビューの準備にかかるが、中庭の戸を開けてやったので、暑くてしょうがない。冷や汗もあったかも知れないが、インタービュー中には、しこたま汗をかき、たびたび、顔の汗をぬぐう様に指示されてしまった。 今度はマム・ジェーンのインタビューが始まった […]

GMAの取材 2013年6月20日



先日、息子と部屋で話をしていたら、外でドスンと大きな音がした。轟きがないので雷や花火あるいは爆発ではなくて、何かが落下したような音だった。そのことはそれで忘れてしまったのだが、翌日、コンドミニアムの入り口の駐車場に止まっていた車が、ビルの外壁の落下で破壊されていたのを目撃した。もし、そこに誰かいたとしたら即死に間違いない。   片付けられた瓦礫を見ると、厚さが5cm程度あって、かなりの重量だ。鉄筋は入っていなくて、ビルの外壁の化粧モルタルのようだ。しかし、モルタルにしては異常に厚い。 上を見てみると6~7階あたりのべランダの化粧モルタルがはがれて、コンクリートがむき出しになっている。これが何かの拍子に落下したのだ。何のためにこんな分厚い化粧モルタルを施したのかわからないが、こんな余計な事が大きなリスクに結びついている。 他の部分を見てもひび割れが目立ち、地震でも来れば、ほとんどすべての化粧モルタルは剥がれて落下するだろう。そうするとビルの周辺にいた人々の多くが死傷するという大惨事になるのは間違いない。  駐車場にはロープらしきものが張られているが、そのまま駐車し続ける勇気ある人もいる。しかし、危険なのはここだけではなくて、ビルの全周だ。今、私が住んでいるプライムタワーコンドミニアムのタウンハウスは、この奥にあるので、これらのビルの傍を通過しなければならず、常にリスクがつきまとう。  自分のリスクで駐車せよと書いてあるが、まさかコンクリート片の落下を想定したものではなかろう。たまたま一緒にいた建築出身の方は、修復工事は不可能だろうとコメントしていた。ビルの管理組合、あるいはデベロッパーはどう対処するのかわからないが、とりあえず自分に身は自分で守るしかない。  フィリピンではビルの内壁や外壁の多くがブロックを積んで、モルタルで仕上げる構造となっている。だから、ほとんどのビルの外壁には、この化粧モルタルが施されていると考えたほうが良い。そうなると、地震がおきたらビルの中にいて、決して外に出ないことだ。フィリピンの地震はたかが知れているから、構造体そのものが破壊されるということは、ほとんどありえないが、ビルの外はモルタルの破片の雨が降るだろう。  1週間後くらいに、化粧モルタルの撤去作業が行われていた。状況はどの階も同じであろうに剥落した階だけのモルタルを撤去したとしても何の問題解決にはならないであろう、 だから、私は高層ビルが嫌いだ。平屋、あるいは3階ぐらいまでが自分でリスクをコントロールできる範囲で、それ以上になると、そこにいるだけで常にリスクと背中合わせになる。ちなみにこのプライムシティでコンドミニアムを買ったときは、1階は洪水のリスクがある、3階以上は火事で逃げ遅れるリスクがある、階段の傍は泥棒に狙われる、だから2階の真ん中を選んだ。ここなら、火事で逃げるとき窓から飛び降りても足を折るくらいが最大のリスクだろうと考えたのだ。ちなみに終の棲家と考えて建設した農場の家はもちろん平屋だ。

外壁コンクリート片が崩落して車を直撃 2013年5月27日


5月13日(月)、いよいよ、3年毎の統一選挙の時がやってきた。今年は大統領の選挙がないので、盛り上がりに欠けた感があるが、上院議員の半数、下院議員、市長など役約18000のポストが争われた。ちなみに、この日は特別休日となり、多くの人が故郷に戻って選挙に臨んだ。   これに先立ち、中央選管は、通常2日間の禁酒令を、5日間に延長する指示を出した。しかし、各方面からの抗議で、最高裁がこれを差し止め、普段の2日間となった。私も、5日前の9日(木)、あわてて2ダースのビールを買いだめしたが、徒労に終わった。  さらに中央選管は、10万ペソ以上の現金取引を禁止する措置を発表した。これは選挙人の買収を阻止する目的があったが、中央銀行を初め、多くの団体が、通常の商業取引を阻害するする恐れがあると、抗議が沸き起こり、これもまた、最高裁で差し止められた。 アロヨ前大統領に大統領の座を追われ、違法賭博、フエテンの罪で終身刑を受けながら、即座に恩赦で釈放された元大統領エストラーダはマニラ市長選に出馬した。映画のヒーロー役で庶民の指示を受ける76歳のエストラーダは庶民の街キアポで有権者の最後の支持を募り、未だ健在振りを示していた。マニラ市長選の本命は現職の堅物のリム(83才)だが、エストラーダが勝てば、マニラも再び面白くなるだろう。翌日の開票結果ではエストラーダがリードしているが予断は許されない。 この日、KIANの散歩がてら近くの投票場の取材に出かけて行った。我が家のあるサンアントニオには副大統領のビニャイとその息子でマカティのメイヤーのジュンジュン・ビニャイが住んでいるので、ひそかに彼らとの遭遇を期待していた。   KIANは歩くのが嫌いで、いつもヤヤにすぐ抱っこをねだるので、しばらく使わなかったベビーカーに乗せて出かけて行った。最近は雨が降ることが多く、いよいよ雨季入りを期待させる。特に、この夏は異常に暑く、35度に達する日が多かったので、ほっとしている。このベビーカーには日よけがついているすぐれものだ。  ふったりやんだりの小雨だったが、照りつける日差しがないので幸いだった。10時をすぎていたので、フィリピーノにおやつは欠かせない。お祭り気分の投票場の回りにはスナック売りの屋台がたくさんでいていて、20ペソで揚げ物のおやつを買ってやった。 途中の道路には候補者のポスターが所狭しと張られている。地元だけにビニャイ一家のポスターが目立つ、ちなみに娘は上院議員に立候補している。 近所の投票場は、多くの人が列を成す。数十年、選挙を遠ざかっている私だが、日本と違って70%以上の投票率を誇るフィリピンでは投票場は人で埋っている。 投票場の外にはクモンの張り紙があったが、学習塾のクモンはフィリピンでもかなり幅を利かせているようだ。 投票場のすぐ前にはビニャイ副大統領の家があり、家の前にはフィリピンでは1000万円以上もするトヨタのランドクルーザーが何台も止まっていた。いつぞや、インとラムロスのサンアガスティン教会の前で見たプレートナンバーが「2」のやつだ。 投票場の前ではビニャイが属する野党、統一民族主義者連合(UNA)の候補者名前が書かれた投票用紙のサンプルが配られていた。金で票を売る貧困層にはいかにもわかりやすい。このサンプルと共に現金が渡されるらしい。  ビニャイ副大統領の家の前、サンアントニオ国立高校の前に来ると、どこかで見たような若者がインタビューを受けていた。まさにビニャイ副大統領の息子で、今回2期目のマカティ市長に立候補しているジュンジュン・ビニャイ、マカティ市長だ。 全国37000箇所に及ぶ投票場が厳重に警備されている。特に副大統領のビニャイが投票するこの投票場は警備が厳しい。 […]

2013年の統一選挙 2013年5月13日



5月7日、E-メールで、旧友からマヨン火山噴火の一報が入った。しかし、我が家の誰に聞いても何も知らない。さらに、妻や友人から電話やE-メールの問い合わせが相次いだ。死者も出て、周辺の住民は避難を始めているというので、農場は無事かと心配していた。しかしながら、マヨン火山の麓の農場から遊びに来ているマミーや子供達をはじめ、誰もが話題にすることがなかった。  ようやく、翌日のマニラ新聞で、噴火の全容を知ることができた。確かにいつもに比べて大きな噴煙はあったものの、噴火と呼べるほどのものではなく、マグマの噴出もなく、警戒レベルは「0」のままということだった。死者は登山中のドイツ人等で、火口付近を登山中に振動で渓谷に落下して死亡したもの。たしかに我が家で話題にするほどのこともない日常茶飯事の噴火だったのだ。  最近日本では富士山の噴火が話題となり、地震や噴火のニュースに敏感になっているので、メディアも大きく取り上げたことが、原因のようだ。確かに、マヨン火山は、活発に噴火を繰り返す活火山で、下の写真2枚は、2006年8月に飛行機から撮影したもの。巨大な噴煙と溶岩が流れ出ている様子が見て取れる。 さらに、2009年12月末、噴火警報「3」が発令され、大噴火の予想ないし期待が高まった。夜の空にはマヨンの噴火口が赤く染まり、煮え立つマグマを農場からも垣間見ることができた。 農場とマヨン火山を挟んで反対側にあるレガスピ市の展望台(ラニョンヒル)にはテレビの取材陣が24時間待機し、噴火の瞬間を待ち続けた。このとき、レガスピ市のホテルは、世紀の噴火の瞬間を見物しようとする外国人でどこも超満員だったそうだ。 ラニョンヒル展望台からは、溶岩の流れ出す様子が目の当たりに見えて、裾野の木々が燃えて煙を上げていた。 年が明けて正月、マヨンの噴火警報は「1」に下げられ、山から農場の近くの小学校に避難していた人々が、山に戻って行った。これで噴火騒動も一件落着、外国人にとっては徒労な旅となった。 2007年12月、韓国KBSの取材陣とともに農場を訪問したおり、帰りの飛行機からマヨン火山の噴火口を間近に望むことができた。見ての通り火口はレガスピ市側を向いており、反対の農場のある方向に溶岩が流れ出すことはない。そして火口からはいくつもの溶岩の流れが観測され、その活動の活発さを物語っている。 この斜面に不安定に堆積している溶岩が、大雨で一気に麓に流れ大きな災害を引き起こしたのが、2006年12月の超大型台風レミンだった。写真は土石流に埋もれた家から生き埋めになった人を助けようとしている現場を見学する人々だ。  一方、マヨン火山の北に位置する農場から眺めたマヨンは、噴煙はたなびいているものの、斜面は木々で覆われ、長いこと溶岩の流れがなかったことが見て取れる。レガスピ側からの猛々しい姿に比べて、女性的な姿といえる。もともとマヨンとは女性の名前にちなんでつけられた名前だそうだ。  怖いのは噴火の時の火山灰ではなくて、あとから台風による大雨の影響で発生する土石流だ。農場付近の地元の人々も生れてこの方、この付近はマヨンの被害にあったことはないそうで、相当な噴火のない限り、農場は安泰といえるだろう。だから、私の生きている限りは大丈夫だろうと勝手に思いこんでいる。 2013年3月、ホリーウイークの帰郷の際に農場から撮影したマヨン火山。マヨン火山の絶景は農場にとって不可欠な風景となっている。

すわ、マヨン火山が噴火した? 2013年5月11日


経済作家の橘玲氏とは、2010年、フィリピンでの日本人の介護の現状をレポートするための取材をお手伝いした以来の知り合いだ。最近、突然連絡があり、私のブログの記事を彼の主催するホームページ「橘玲 ZAI ONLINE 海外投資の歩き方」に連載したいとの申し入れがあった。3月にマニラで面会して、「特に経済に関するものでなくても、フィリピンの現状をレポートするもの」という趣旨なので、快く了承した。  その後、100編ほど適当なものを選んで送ったのだが、今日、第一号として掲載されたのは「放射能汚染を逃れ、母子でフィリピン移住 3組の親子の初めてのマニラ体験」だ。  この話題は、彼とマニラで面会した際に雑談した中で、彼が最も興味をもった話だった。日本では、すでに原発問題は収束しように報道され、多くの人は忘れかけているようだが、「フィリピンを初めとして東南アジアには日本の放射能汚染を逃れて母子で移住する方が少なからずいる」という話だ。この話は、彼にも大変新鮮だったようで、大変驚いた様子だった。こういう話は、メディアの世界にいる人でも知らないくらい、日本では語られていないのかと、逆にこっちがびっくりした。なにしろ、毎日、日本からの訪問客を相手にしている私にとって、このような話題は、日常のことなのだ。  橘氏は、資産を守るために海外に資産を移すということを提唱されているようだが、日本の経済破綻、放射能汚染、そして英会話、この三つがフィリピンへの移住を促すキーワードといえるようだ。特に放射能疎開母子は、フィリピンで子供達をバイリンガルの国際人に育て上げようと賢い算段をしているのだ。  一方、「老後を海外でゆったりスローライフ」なんてスローガンでは人は動かないようで、このような動機で退職ビザを取る人は返って少数派となりつつある。3.11以来、明らかに日本人の海外を見る目が変わったような気がする。日本に住んで観光や駐在の出かけ先としてのの海外から、日本を捨てて移住先としての海外へとだ。 夏休みで我が家にはたくさんの従妹の子供達が遊びに来ている。KIANはパソコンが苦手なアランおじさんにゲームのやり方を教えている。昨日マニラにやって来たKIANから二人目のヤナ(7歳)はしばらく見ぬまに大分美形になった。

「橘玲 ZAI ONLINE 海外投資の歩き方」に連載開始 2013年4月25日



あのワタミとユニクロがいよいよフィリピンに上陸した。ユニクロや有名レストランチェーンが海外に活路を求めて世界へ進出しているというニュースは大分前から耳にしていたが、フィリピンにもようやく目が向きはじめたようだ。先日報告した、ラーメン屋の山東火もその一環だ。  この日はH夫妻をマニラ案内し、是非モール・オブ・エイシアにも連れて行って欲しいと仰るので、当方としてはワタミとユニクロを見つけることを課題とした。世界第3位のの規模を誇るモール・オブ・エイシアの巨大さをいまさら語ることはないが、その広さゆえに、その辺の店員や案内所で聞いても、誰も知らないのに往生した。  何とかワタミを探し当てたが、そこはマニラ湾に面する一等地で、毎週、金曜と土曜、7時から行われる花火の見物には絶好だ。 中は、広々清潔で、高級感があふれる。時間が早いせいか、空席が目立つが、花火がはじまる7時ごろは満席となった。客層はいろいろで、特に日本人が目立つこともない、ターゲットはちょっと高級志向のフィリピン人のようだ。 ワタミとはご承知の通り和民と書くが、これは私の本名だ。なんの断りも無しに他人の名前を使ってけしからんと思っていたが、名前は登録標章でもないので、文句をつけるわけにも行かなかった。私は、この名前を60年以上背負って生きてきているので、元祖であることには間違いないのだが。しかし、このワタミが私のしょばであるフィリピンにまでやってきたのだから、一言挨拶があっても良かろうかと思う。後の祭りだが、いっそ、パスコではなくて、会社名をワタミとしておけば、フィリピンでこの名前は使えなかったはずだ。しかし、フィリピン人をこの店に案内して、冗談で「私の店です」なんて紹介するのも面白そうだ。 なかなか美人ぞろいのウエイトレスは、とても気がきいて、てきぱきと動いている。可愛いと思って、ちょっと見つめたりすると、すぐに寄ってきて、「何か御用ですか」と聞かれて、照れてしまう。さぞかし厳しいトレーニングが行われたもの推察されるが、出てきた料理はしっかりと日本の味を維持している。他のフィリピン人向け和食レストランの日本食もどきとは一線を画している。 7時になったので、食事を中断してとりあえず花火見物。下の写真は決して線香花火をさかさまに掲載したものではない。  メニューは日本人にはちょっと平凡で、ただの刺身やてんぷら、焼き鳥などが並んでいる。日本の居酒屋では目を見張るような創作料理が並んでいるが、そんなものを並べてもフィリピン人には猫に小判だろう。価格はモール・オブ・エイシアの一等地にある割には安い。 食後、ユニクロを探したが、こっちは簡単に見つかった。かなり広い売り場面積で、こんなスペースが、まだ空いていたのかと思うくらいだ。 女物が多くて、ちょっと日本との比較がしにくかったが、商品価格は日本と同等だと、同行した奥さんが教えてくれた。そうなると日本とくらべて物価が4分の一程度(昨今の円安で、もはや5分の一とはいえなくなった)のフィリピンとしては、かなりの高級品と言える。ちなみに、790ペソや990ペソのポロシャツは、フィリピンではかなり高いと感じる。

ワタミとユニクロのフィリピン進出 2013年4月14日


先日、40ペソを握り締めて、近所のサリサリにタバコを買いに行った。マーボロー・ライト・メンソール、ソフトパック20本入りが、サリサリでは37ペソ(約80円)のはずだった。ちなみにスーパーで1カートン買うと、350ペソ程度で、一箱が35ペソとなるが、フィリピンでは買う場所によってタバコの値段はまちまちなのだ。サリサリで一本買いをすると、一本2.5ペソで、一箱あたり、50ペソとなる。  ところが、お金を払う段になって、60ペソといわれてびっくり。「バケーット(何で)」と、思わず絶句。サリサリのお姉さん曰く、「今日から値上がりしました」。そういえば、去年の新聞にタバコの増税が決まったと載っていた。以前もタバコの値上がりがあったが、せいぜい5ペソくらいで、軽く見ていた。昨今の円安も加味すると、一箱130円になり、ちょっと前は、円高で、65円くらいだったから、ちょうど倍になったことになる。タバコ飲みとビール党にとってはフィリピンは天国といえたが、そうでもなくなってきたようだ。そこで仕方なく、10本入りのタバコを買ったが、これは35ペソで、なんとか予算内におさまった。  ところで、今日、知り合いの生理学者から貴重なメールマガジンが送られてきた。アメリカ大陸原産の食物についてだが、とうもろこし、サツマイモ、ジャガイモ、唐辛子、イチゴ、ピーマン、かぼちゃ、ピーナッツ、パイナップル、タバコ、カカオ(チョコレート)などなど、現在普通に食されているこれらの食物は、すべてアメリカ大陸が原産でコロンブス以降、ヨーロッパに持ち込まれ、世界に普及したそうだ。その中でもタバコは、人類が発見した最強の薬だそうで、タバコを吸う人は認知症や精神疾患にはならないそうだ。  しかし現在、タバコは癌になる可能性を高めるということで、世界的に禁煙の嵐が吹きまくっている。 認知症になって長生きするか、癌でぽっくり行くか、一体どちらを選ぶか。タバコを吸うことに肩身をが狭い思いをしている人は多いと思うが、認知症で長生きして他人に迷惑をかけるよりも、癌でぽっくり行ったほうがはるかに良いと私は思うのだが、いかがだろうか。 次に気になるのがビールの値段だ。長い間、20ペソ程度だったのだが、最近、キャップには23ペソと書いてある。ビール党の私は、毎日のようにメイドにビールを買いに行かせるのだが、200ペソ渡してお釣りが来ない。買ってきたビールの本数は6~7本、サリサリだから25ペソ位したとしても幾ばくかのお釣りが来るはずなのだが。メイドに聞いてみると一本29ペソだそうで、逆に若干の不足となっていたようだ。 ちなみに、レストランで飲むビールは60~80ペソ程度(150円前後)、ナイトクラブでも110ペソ(240円)で飲めるので大いにありがたい。ちなみに、このナイトクラブではジントニックが270ペソもするから、ビールがもっとも節約できる庶民の味方であることは変わりがない。  フィリピン人の遊びどころのビアハウスではその名のとおりビールしか出さないが、これは客が飲むと、100ペソ程度、接待の女性に飲ませると、同じものが200~300ペソになる。それだけで遊べるのだから、いずれにせよ安いことには変わりはないが。

フィリピンでもタバコの大幅増税 2013年1月13日