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 9月ともなるフィリピンはクリスマスの準備が始まる。September、October、NovemberそしてDecemberなど末尾にberのつく月はもはやクリスマスシーズンなのだそうだ。街のあちらこちらにはクリスマスランタンを売る店が出る。近隣のブラカンやラグナからやってきたランタン業者だ。1000~2000ペソ程度のランタンは家の入り口に飾られクリスマスムードを盛り上げる。ランタン業者は1月になっても店じまいしないが、これは安くなったランタンを次のクリスマスのために買い求める客が少なからずいるためだ。大きな荷物を持ってふるさとへ帰り、来年まで在庫をかかえるよりも安値で売ってしまおうと業者の魂胆とが一致したものだ。   今年は9月末~10月初め立て続けに台風16号(オンドイ)と17号(ぺぺン)がフィリピンに甚大な被害をもたらし、その復旧もままならない状況においては、クリスマスの飾り付けを差し控える風潮が強い。退職庁でもクリスマスパーティを取りやめ、代わりにチャリティ活動を行なうという謹慎ぶりだ。街の飾りつけも大げさなデコレーションをやめ、キリストの生誕などを模した飾り付けが多い。  パシフィック・スタービルの前の飾りつけ。 パスコが入るGMA LOU-BEL Plazaビルの飾りつけ。  下の写真はバギオの高級ホテル、マノールのロビーの飾りつけ、とモール・オブ・エイシアのクリスマスツリーだ。やはり商業施設はそこそこの飾りつけは欠かせないようだ。    パサイ通りの民芸品店のバリクバヤンの飾りつけ、大きなランタンとキリストの像がセンス良く飾りつけられていた。

フィリピンにクリスマスがやってくる 2009年12月8日


 11月1日、万聖節でタバコの農場を訪問したばっかりだったが、退職者の方2名と不幸があってマニラを訪問していた方が気晴らしにと、都合3名の方のお供をして、今月2度目の訪問となった。今回は残念ながらマヨンは一度も顔を見せることはなかった。    マヨン火山は現在活発に活動中で、スカイウエイは入山を禁止していたが、途中までということで何とか無理を言って入れてもらった。ここの景色を見てもらわないと、タバコに来た甲斐がないというものだ。下の写真は展望台の少し手前まで行って景色の開けたところからの風景だ。中央にココナツ林が途切れたところ、やや左にあるのが我が家だ。この日は空気が澄んでいて良く見えた。  最近レガスピ市の空港の脇にある小さな山に展望台がでいている。そこからはレガスピ市と空港の滑走路が一望に見渡せる。反対側からはマヨン火山が見渡せるはずなのだが、この日も曇っていた見ることができなかった。今のところ、ここからマヨン火山が見えたことは一度もない。と言っても今回が3度目の訪問だが。  タバコの農場の丁度反対側に「ウララ・スプリング・リゾート」がある。退職者の方がまるで「熱帯植物園」にいるようだと称していたが、たしかに熱帯の植物が所狭しと、しかも美しく配置され手入れも行き届いている。プールの水も青々としてきれいだ。マヨン火山の周囲には多くのスプリング・リゾートがあるが、山すそに湧き水が湧き出ていてそれを利用したものだ。我が農場にもうまく水脈を当てれば湧き水が豊富に出てくるかもしれないということなので、いずれ試してみようと思う。そうなれば只で美しい水を得ることもできるし、浄化装置も不要なはずだ。     熱帯観葉植物で作ったクリスマス・ツリー。なかなか圧巻だ。フィリピンはハイビスカスの本場。赤いハイビスカスのほかに黄色の大輪のものや白いものなど種類が豊富だ。ちなみにハイビスカスはタガログ語でゴマメラという。   タバコ訪問の2日目、退職者のたっての依頼で、久々にタバコ湾沖合いの島、ピナミントガン島に行くことになった。ボートはかなり大きいので何人乗っても同じだ。相棒の家族など総勢20名で島に向った。約1時間の船旅で到着した砂浜は相変わらず美しい。退職者の方は、しきりに感動していた。  子供達の食欲は旺盛だ。さんざん泳いでお腹がすいたのか、たちまちの内に大量の食料を平らげる。港で買った朝取りの魚(カツオ)をさばいて刺身にしたが、それだけは手をつけてくれなかった。  食事が終わるとさっさと海に戻った子供たち。さんざん泳ぎ回った後、帰りの船では皆ぐっすり眠っていた。  退職者と近所を散歩していたら、豪邸に出くわした。3階建てのマニラにあったとしてもたいしたものだ。こんな田舎にどんなお金持ちがいるのやら、フィリピンはまだまだわからないことが多い。

タバコ農場訪問(その?)2009年12月6日



  ここのところ多忙でご無沙汰していたが、久しぶりにアンヘレス、フレンドシップ・クラブに、はじめてフィリピンを訪れ、退職ビザを取得した方の案内を兼ね気楽な旅をした。 またさらに翌週別の方を案内してスービックとクラークを訪問したので、その時の写真を追加した。   クラーク、アンヘレスは何度も紹介しているので、少々ねた切れだが、今回は「日本一番」という和食レストランを発見した。いつもお邪魔している「なるほどレストラン」が移転のため閉店しているので、フィールド・アベニューのはずれ、韓国レストランが並ぶ一角にあるこの店を覗いてみた。うどん、そば、ラーメン、焼き魚、カレーなどなど庶民的なメニューがほとんどなんでも揃っている。値段も200ペソ程度と手ごろだ。たまたま「なるほどレストラン」のオーナーの野口さんも3人の友人の日本人を連れてやってきたいた。(メニューは画像をクリックして拡大して見てください)    退職者をクラークに案内したが、先日報告した有竹さんが経営している「カフェ・メサ」は洋食レストランだが美人のウエイトレスが揃っているので評判だ。内部はなかなかシックなつくりだが、この日は雑誌の取材があって店の内部やウエイトレスを撮影していた。ついでに私も一枚撮らしてもらった。  スービックのポコアポコのプールサイドの喫茶店でも美人がいた。元々オーナーの秘書だったそうだが、最近、ここに移動となったらしい。皆、美人には目がないようだ。  LRTの環状線工事についてはSMノースエドサの既存線と接続部分の工事が未着工で気にかかっていた。今回はこの接続部分と駅、それから (North Luzon Expressway)との交差部分の進捗を見ることができた。今年中は無理としても来年の前半には開業できるのではなかろうか。メトロマニラのインフラも少しづつではあるものも着実に改善されつつあるようだ。

アンヘレスの旅(その?)2009年11月12日


  先日退職者の方の日本の自動車免許証をフィリピン免許証へ書き換えるためにLTO (Land Transportatio Office、陸運局)に赴いた。事前準備として、尿検査(麻薬検査)並びに視力検査を行なう民間のクリニックに行った。   丁度電話がかかってきて話をしていると、職員がキャーキャー騒いでいてうるさくて仕方がない。人が電話をしているのになんて礼儀知らずなのかと、同行したフィリピーナの相棒に文句を言った。彼女いわく、有名なイケメン男優が、数十はあろうかというクリニックの、よりによってこのクリニックに裏口から、そっとやってくるというのだ。だからクリニック内は騒然だ。ガラス越しに覗いている女の子もたくさんいた。個室で書類に記入しているそのイケメン男を見ると、私の目にはその辺にいる、ただのいい男にしか見えない。相棒はちゃっかりとツーショットにおさまって至極ご機嫌だった。  イケメン男優の名前はジェリコ・ロザレス、24歳。メトロ・マニラの北東のはずれ、比較的貧しい人たちが暮らすナボタス出身だ。あだ名はエコというが、魚の行商をしていたそうだ。フィリピンの俳優や歌手はクリス・アキノを初め比較的富裕層が多いが、彼の場合は典型的貧困層の出身だ。   彼は、毎日、夜の10時半、チャンネル2、ABS-CBNで放映されている人気番組、「ダヒール・マイ・イサン・イカオ(君一人のため)」という番組の主役だ。毎晩女性達はテレビで彼の甘いマスクを見て、あたかも自分が相手役のヒロインとなったような錯覚をして喜んでいるのだ。   一方、夕方の5時半からは14歳の子持ちの美女が主人公の番組、「カトロセ」が同じABS-CBNで放映されている。この二つの番組は、その時間帯に外出する子供がいなくなったという社会現象ともなったジュディ・アン・サントス主演の往年のお化け番組「エスペランサ」あるいは「マリマール」などの流れをくむもので、現在、フィリピンで人気を2分している番組だ。

イケメン男優に遭遇 2009年11月12日



  11月1日(日)は万聖節で祝日、翌2日は代休となり、10月31日(土)をあわせて3連休となった。11月1日のお墓参りに間に合うために、人々は空港やバスターミナルに殺到し、30日(金)と31日(土)は帰省ラッシュとなった。私は一足早く、30日の早朝に立ったために難を逃れたが、31日未明に上陸しルソン島マニラ周辺を横断した台風21号サンティは帰省の足を直撃した。空と陸の便は大幅に乱れ、多くの飛行機便が欠航し、マニラーレガスピ間のバスは道路冠水の影響で、普段の倍の20時間かかったそうだ。マニラーレガスピ間はセブパシフィック、PALなど、1日5便が飛ぶようになり、大変便利になった。さらにセブへの直行便も運行されている。     レガスピ市のジープニー・ターミナルがついに完成した。行き先別に整然とジープニーやGTエクスプレス(フィルキャブ呼ばれる1BOXタイプの車)が並んでいる。ガイサノ・モールから歩いて10分くらいのところにあり、繁華街からのアクセスも良い。空港からのターミナル行きバスなどがあればもっと便利になるのだが。    マニラでは台風が吹き荒れていたそうだが、ビコール地方は31日、台風一過で快晴。大きな入道雲をバックにマヨン火山の雄姿を望むことが出来た。   6年前に植えたマンゴやココナッツの木に実がなり始めていた。これからは1年中果物が絶えないという楽園になるだろう。その他、ランカ、ナラ、ピリなど数百本植えた木々も大きく育ち始めている。   鳥小屋には鳩や、七面鳥、ガチョウ、闘鶏などが暮らしている。卵をたくさん生んでもらってもっと増やしたい。    ここのところマヨン火山の活動が活発で火山性地震が毎日何度も観測され、一日数百トンの二酸化硫黄を放出していると報道されていた。確かに噴煙は空高く舞い上がっていたが、特に大きく変わった様子もない。地元にとってみれば当たり前の日常だ。   テラピアの養魚池に大量のタニシが育っていた。フィリピンではクホール・サ・ガタといい、ココナツミルクで煮て食べるが、ビコール地方では食べない。この日、大き目のタニシを取って料理してもらったが、私以外は誰も手をつけなかった。   滞在中、相棒の家族が訪問し食事を一緒に取ってくれた。10人の甥や姪がいるが、皆とても可愛い。子供達は国の礎だ。上は中学(ハイスクール)の2年生、下は3歳だ。それに来年の4月には相棒の子供が一人加わる予定だ。 […]

台風一過、マヨン火山の絶景 2009年11月5日


  11月1日は天国や地獄へ行った万人が聖人となり、現世に帰り、家族と再会できる万聖節だ。カトリックの国フィリピンでは日本のお盆と同様、ほとんどすべての人が田舎に帰り、家族らと墓参りをする。彼らの墓参りは、食べ物や飲み物を持参し、亡くなった家族と食事を共にして生前の思い出を語り合う。そして、その宴は朝まで続くこともある。    10月30日の午後、台風サンティのルソン島への上陸により夕方から強い風と雨が降り、雨の墓参りになることが危ぶまれた。しかし、翌10月31日から快晴に恵まれ11月1日は絶好の万聖節日和となった。  庭から花を切り取ってお墓に飾る花をバナナの幹に生けた。家の前にはその家族の亡くなった人の数だけローソクを立てるのが慣わしだ。     タバコ市のメインストリートは通行禁止となり、人の群れが続き、両側には屋台が並び、ローソクや食べ物を売る。   お葬式には賭博は付き物で、大目に見られているが、この日も簡単な賭博が開かれ、子供たちがコインを賭けていた。   墓場の中に入ってもローソクや食べ物を売る屋台が続く。どこの国でもなかなか商魂がたくましい。   墓場の中央の通りはラッシュアワーのように込み合っている。もちろん一方通行だが、人の群れは夜半まで続く。   墓参りをする家族たち。ちなみにフィリピンでは土葬だが、コンクリートの棺を地上に並べ積み上げていく。この辺の墓は一般庶民の墓だ。   墓の上にも大勢の人が乗っかって時を過ごす。コンクリートの棺を買えない貧しい人たちは土葬をする。   貧富の差はお墓を見れば一目瞭然、、これらの墓は比較的富裕な家族のものだ。 […]

万聖節の帰郷 2009年11月5日



  ここのところ、アラブ料理のZigguratやタイ料理のSom’s Noodle Houseなどでカレーが続いたが、妊娠している私の相棒はどうも辛いものが食べたいらしく、どうしてもおいしいカレーが食べたいということで彼氏を伴ってカシミールに出かけた。   NTTホテルのあるマカティ・スクエアからパサイロードを東に歩いて5分ほど上ったところに老舗高級インド料理店のカシミールがある。内部はなかなか豪華でいかにも高級というムードだ。それだけにカレー、一皿500ペソ前後、一番安いサラダでも150ペソはする。この日、3人で大枚の2000ペソを超えてしまった。      この日注文したのはマトンとラプラプのカレー、それに玉ねぎのサラダとヨーグルト、それからナン。カレーだけではなにか物足りないので、思い切ってヨーグルトを注文したみた。いつもメニューを見て気にはなっていたのだが、今まで注文したことがなかった。普通にイメージするヨーグルトではなくて、固めのペースト状で、ちょっとすっぱく、これがいける。多分ヤギの乳で作ったヨーグルトだろう。先日、スービックのヨットクラブで、スービック開発庁の方の招待で食事をした際、初めにパンと出てきたのがこれだった。パンにあわせるととてもおいしい。食べ過ぎるとメインディッシュが食べられなくなるくらいだ。このヨーグルトはカレーの味をマイルドにするのでカレーに混ぜて食べると、独特な味がしておいしい。私はさらに野菜も混ぜ合わせて食べたが、インド式ヨーグルトに出会ったのがこの日の収穫だった。   店内は暗いのでメニューの撮影で手振れしてしまい、読みにくいが我慢してほしい。もっとも、たとえ読めたとしてもそれが何であるか検討もつかない。前菜、スープ、サラダ、メインディッシュ、デザート、飲み物とフルコースで頼んだら一人当たり軽く2000ペソは行ってしまいそうだ。(画面をクリックして拡大して見てください)

高級インド料理店、カシミールの紹介 2009年10月26日


 先週の日曜日、マカティのロックウエルの近くにタイ料理の屋台がオープンし、客でごった返しているというテレビの報道を見て、早速出かけていった。  場所はマカティ・アベニューからカラヤアン通りをブルゴス通りに向かい、ブルゴスを横切ってさらに進み、ロックウエル方向に左に折れるところの一本手前の道、Algier通りを左に入ったところにある。車だと曲がれないので、Uターンして戻らなければならないので、カラヤアンからブルゴスを左に折れて、次のGen Lunaを右に折れたほうが良いかもしれない。この付近は一般の住宅だが、かの有名な歓楽街ブルゴスの至近距離で、その先はロックウエルの高級コンドミニアム街が控える穴場的なところだ。   コックはタイの王室にも勤務していたというタイ人で、フィリピーナと結婚してフィリピンに渡ってきたとの事。したがって本格的タイ料理が楽しめるはずだ。  食事が終わる7時ごろには、続々と人がやってきて、受付は長蛇の列だ。テレビの効果はすごい。日本でも1回テレビで紹介されると1年は大丈夫だそうだ。料 理の味についてはちょっと注文を間違えて評価できるレベルになかった。相棒のフィリピン人に注文を任せたのだが、カレー味のチャーハンにカレーを注文してくれたのだ。タイ料理というものを全く知らないので仕方がないが、値段はたったの670ペソだった。ただ不満はビールなどの酒類が飲めないことだ。メニューにないので近所の店で買ってきたのだが、ここで飲んではいけないそうだ。選挙前など、レストランでは禁酒となるが、ここでなぜだめなのかわからない。ちなみにジョルビーやマクドナルドなどのファーストフードでは酒類は販売していない。(画像をクリックして拡大して見てください)  

タイ料理、Som’s Noodle Houseの紹介 2009年10月25日



  マカティ市の北のはずれ、ジュピターからマカティ・アベニューにかけた一帯はマカティ市随一の繁華街だ。この界隈は最近、韓国勢が優勢で日本食は「新宿ラーメン」、カラオケは「ナポレオン」と「大好き」くらいしか見当たらないが、この一角にユニークなアラブ料理の店がある。マカティ・アベニューを北に進みブエンディア通りとそして、ジュピター通りを過ぎて右に斜めに入る道がブルゴス通りで、ゴーゴークラブが20軒ほど建ち並ぶ花街として有名だ。    ブルゴス通り、シタデル・インの前、マカティ・パラス・ホテルの少し手前の道を左に入るとすぐに、ZIGGURATの看板が見える。テラスにも客席を置いてあるのですぐにわかる。こぎれいといった感じの店ではないが、なにかアラブの雰囲気がある。ちなみにZIGGURATとはアラビア語でピラミッドのような聖地のことを指す。   中に入ると少し高くなったところに靴を脱いで上がるようになっており、たくさんのクッションで和室のようにくつろぐことが出来る。座布団に座って、壁に寄りかかってする食事を懐かしく思った。 同行したPASCOのスタッフにとっては床に座って食事を取るというのは始めての経験だ。日本も昔はこんな風にちゃぶ台で食事を取ったものだと説明すると、いたく感心していた。装飾はいかにもアラブ風で壁にはアラビア文字の飾りや、ペルシャ絨毯、さらにはコーランまで置いてあった。 メニューを頼むと新聞を持ってきた。新聞でなくメニューをくれというとこれがメニューだと言う。確かに良く見ると料理の写真や説明が新聞記事のように書いてある。もちろんカレーが中心だが、懐かしいチッキンテッカ、カバブなどのバーベキューそしてサラダなど種類は豊富、ライスもヨルダン風、アラブ風など中近東各国の料理を楽しむことができる。   右からマトン・カレー、シーフード・カレーそれに生野菜のサラダ、向こうに見えるのがナン。沢山で行って色々な料理を試してみるのが良いと思う。特に辛口料理を注文しない限り、さほど辛くはない。ちなみに値段は4人でたらふく食べて、1600ペソ足らずだった。

アラブ料理の店、ZIGGURATの紹介 2009年10月20日


 以前、バリクバヤン民芸品店のマカパガル店を紹介したが、今回はマカティ市パサイロードの店を紹介する。本店はキアポ教会のあるキアポにあるそうだが、いずれ訪問して報告したいと考えている。パサイロードの店はマカティアベニューからドーシットホテルに向って数分歩いた右側にあり、3階建ての立派な店構えだ。ちなみにバリク・バヤンというタガログ語は帰郷という意味で、バリクは帰る、バヤンとは故郷を指す。  1階はイヤリング、ネックレス、キーホルダー、ハンドバッグ、貝細工、バロン、木彫りの置物、乾燥バナナ、などの小物類が中心だが、天然真珠のコレクションは見ごたえがある。2階、3階に上がると家具等の大物が目立つ。左下の写真はアバカ(マニラ麻)を使ったしゃれた電気スタンド、右下は天然真珠貝の殻、大きいものは12,000ペソもする。    これら民芸家具はブラカンにある自前の工場で製作するそうだが、黒檀やIron Treeなど特殊で希少な材料を使った家具が所狭しと並んでいる。下のテーブルはBaleteという木で、ジャングルでつる等が絡み合ったようなとても耐久性のある樹木で鉄道の枕木などにも使われるそうだ。その根を切り取って裏返しにしたテーブルは値段が12万ペソ、この日は50%ディスカウントなので6 万ペソ、約12万円だ。   次に目に付いたのが黒檀のテーブル、近代的なデザインで、光沢を押さえたしっくりした表面仕上げがしてあり、とても良い。ちなみに椅子を持ち上げようとしたらやっとのことで動かすことが出来た。もちろんテーブルなどは一人で動かすことはできないほど重い。皆、黒檀のむくでできている。ちなみに値段は25万ペソだ。   さらに黒檀のリビングセット、これもすばらしい。もちろんこれにクッションを加えて使うのだろうが、ビコールの農場のセットも大分痛んできたので、食指が動く。しかし値段は35万ペソ。50%ディスカウントと言っても35万円だ。ちょっとやそっとでは手が出ない。

民芸品のバリクバヤン・マカティ店の紹介 2009年10月19日