Daily Archives: November 5, 2009


  11月1日(日)は万聖節で祝日、翌2日は代休となり、10月31日(土)をあわせて3連休となった。11月1日のお墓参りに間に合うために、人々は空港やバスターミナルに殺到し、30日(金)と31日(土)は帰省ラッシュとなった。私は一足早く、30日の早朝に立ったために難を逃れたが、31日未明に上陸しルソン島マニラ周辺を横断した台風21号サンティは帰省の足を直撃した。空と陸の便は大幅に乱れ、多くの飛行機便が欠航し、マニラーレガスピ間のバスは道路冠水の影響で、普段の倍の20時間かかったそうだ。マニラーレガスピ間はセブパシフィック、PALなど、1日5便が飛ぶようになり、大変便利になった。さらにセブへの直行便も運行されている。     レガスピ市のジープニー・ターミナルがついに完成した。行き先別に整然とジープニーやGTエクスプレス(フィルキャブ呼ばれる1BOXタイプの車)が並んでいる。ガイサノ・モールから歩いて10分くらいのところにあり、繁華街からのアクセスも良い。空港からのターミナル行きバスなどがあればもっと便利になるのだが。    マニラでは台風が吹き荒れていたそうだが、ビコール地方は31日、台風一過で快晴。大きな入道雲をバックにマヨン火山の雄姿を望むことが出来た。   6年前に植えたマンゴやココナッツの木に実がなり始めていた。これからは1年中果物が絶えないという楽園になるだろう。その他、ランカ、ナラ、ピリなど数百本植えた木々も大きく育ち始めている。   鳥小屋には鳩や、七面鳥、ガチョウ、闘鶏などが暮らしている。卵をたくさん生んでもらってもっと増やしたい。    ここのところマヨン火山の活動が活発で火山性地震が毎日何度も観測され、一日数百トンの二酸化硫黄を放出していると報道されていた。確かに噴煙は空高く舞い上がっていたが、特に大きく変わった様子もない。地元にとってみれば当たり前の日常だ。   テラピアの養魚池に大量のタニシが育っていた。フィリピンではクホール・サ・ガタといい、ココナツミルクで煮て食べるが、ビコール地方では食べない。この日、大き目のタニシを取って料理してもらったが、私以外は誰も手をつけなかった。   滞在中、相棒の家族が訪問し食事を一緒に取ってくれた。10人の甥や姪がいるが、皆とても可愛い。子供達は国の礎だ。上は中学(ハイスクール)の2年生、下は3歳だ。それに来年の4月には相棒の子供が一人加わる予定だ。 […]

台風一過、マヨン火山の絶景 2009年11月5日


  11月1日は天国や地獄へ行った万人が聖人となり、現世に帰り、家族と再会できる万聖節だ。カトリックの国フィリピンでは日本のお盆と同様、ほとんどすべての人が田舎に帰り、家族らと墓参りをする。彼らの墓参りは、食べ物や飲み物を持参し、亡くなった家族と食事を共にして生前の思い出を語り合う。そして、その宴は朝まで続くこともある。    10月30日の午後、台風サンティのルソン島への上陸により夕方から強い風と雨が降り、雨の墓参りになることが危ぶまれた。しかし、翌10月31日から快晴に恵まれ11月1日は絶好の万聖節日和となった。  庭から花を切り取ってお墓に飾る花をバナナの幹に生けた。家の前にはその家族の亡くなった人の数だけローソクを立てるのが慣わしだ。     タバコ市のメインストリートは通行禁止となり、人の群れが続き、両側には屋台が並び、ローソクや食べ物を売る。   お葬式には賭博は付き物で、大目に見られているが、この日も簡単な賭博が開かれ、子供たちがコインを賭けていた。   墓場の中に入ってもローソクや食べ物を売る屋台が続く。どこの国でもなかなか商魂がたくましい。   墓場の中央の通りはラッシュアワーのように込み合っている。もちろん一方通行だが、人の群れは夜半まで続く。   墓参りをする家族たち。ちなみにフィリピンでは土葬だが、コンクリートの棺を地上に並べ積み上げていく。この辺の墓は一般庶民の墓だ。   墓の上にも大勢の人が乗っかって時を過ごす。コンクリートの棺を買えない貧しい人たちは土葬をする。   貧富の差はお墓を見れば一目瞭然、、これらの墓は比較的富裕な家族のものだ。 […]

万聖節の帰郷 2009年11月5日