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 12月も半ばを過ぎると、街のいたるところでクリスマスパーティが開催されている。職場の会議室、駐車場、レストランなど、予算の関係でありとあらゆるスペースが利用される。フィリピン退職庁(PRA)は台風16号オンドイと17号ペペンで被害を受けた人々を慮ってクリスマスパーティを中止して、慈善運動に切り替えたが、一般の庶民にとってクリスマスパーティがなくてはその年は暮れようがない。  12月17日はPRAの認定マーケッター (退職ビザの代行業者)で組織される組合のパーティ。午後1時から4時と堂々と執務時間内に行われた。韓国や日本をターゲットにしているそれぞれのマーケッターの営業戦略の発表など、一応発表会の形は取っているが、お祭りムード一色だ。さらに今年それぞれのマーケッターが獲得したビザ申請者の数によって順位がつけられ表彰が行なわれた。第1位は中国系、第2位は欧州系、第3位は日系で当社(PASCO) が堂々、この3位に食い込んだ。一方昨年ダントツの1位だった、韓国は第4位以下に甘んじた。   日本や韓国の民族衣装を着けて国別の曲を披露した後は、いよいよ待望のゲームに突入。もちろん勝者は景品がもらえる。全員に配られるお土産、PRAからの差し入れのTシャツ、その他各社が提供するゲームの景品と皆、山のようにお土産を持って帰って至極幸せだった。   下の写真のゲームはコップを口にくわえた箸でリレー式に運ぶゲーム。落としたらアウト、もちろん先にゴールした組が勝者だ。   翌18日はいつもお世話になっているBank of Commerceの支店の社内パーティに参加。こちらは午後6時からと節度がある。パーティ開始早々、待ちかねたようにまず食事。腹がくちくなったら、早速カラオケとゲームに突入だ。     BOC恒例のこのゲームを詳しく紹介する。複数の男性がナスをまたにはさむ。フィリピンのナスは長ナスなので極めて男性のそれに似ている。男性の数より一人少ない女性が、男性の周囲を音楽に合わせて回る。曲がとまったら、ナスを競争でつかむ。ナスをつかみ損ねた女性は脱落し、男性一人減らして、女性一人になるまで繰り返す。要は椅子取りゲームの応用版だ。しかし、男性の股間に挟まれた長ナスを女性陣が競争でつかむところがなんとも言えず、笑いを誘う。若い男女が集う職場のパーティなどにはうってつけではないだろうか。このようにフィリピンでは少々Hなパーティ・ゲームが数多くある。

フィリピンはクリスマス・パーティ・シーズンの真っ只中 2009年12月20日


 先日、退職者の方が重い腎臓病を患って亡くなった。 「退職者が回復してもとの健康を取り戻す可能性はない。このまま酸素マスク、点滴などの救命治療を継続して、生き続けたとしても植物人間の状態が続く。そのため、これらの救命治療をやめて自然に任すか、あるいは救命治療を継続するか、決断してほしい。」というのが医者のアドバイスだった。  ちなみに、フィリピンでは家族の同意があれば、本人がその意思を示すことが出来なくても、これら救命治療を停止して、自然な死を迎えさせることが許されている。日本では、医師も家族も一旦始めた救命治療を停止することは出来ない。もしそれを実行した場合、殺人とみなされるそうだ。だから日本には、意識を失い、死を待つだけしかない多くの人々がこの救命治療のために生き続けている。それには莫大な医療費を要し、健保や家族への大きな負担となっているはずだ。たとえ、本人がそれを望まないとしても、今の法律ではなす術がないそうだ。  本人としても残された家族に莫大な費用負担を強いるということは決して本望ではないだろう。しかも、もはや手遅れで死ぬべき人間をただ単に生かし続けて死期を遅らせるということが果たして医学のあるべき姿なのだろうか。生は尊いものであることは間違いないとしても、人間あるいは動物として、もはや生きているとはいいがたい人々を医学の力で生かし続けることは、動物社会や過去の歴史の中ではありえないことだ。これらに費やされる社会資源は膨大で、社会を支える人たちに重くのしかかっている。それが、政府の施策だとしても、その原資は税金や保険の掛け金で国民が支払っているものだ。国民の負担が大きくなると、そのしわ寄せは個々の家計に影響し、結果として少子化によって防衛するしかなくなってしまう。  動物社会において、メスは閉経を迎えると速やかに死ぬという。メスとしての役割を終えたのだ。一方、オスは自分で食料を獲得する力がなくなると死ぬ以外にない。人間はこの原理から除外され、その後、数十年という長い間活き続け、若い世代に負担をかける。長寿というのは喜ばしいとされるが、果たして平均年齢が100歳なんてことになったら、人間社会に次世代をになう子供を作る資源が残っているのだろうか。もちろん、長寿で元気、自らも家庭や社会に貢献しているのなら、大いに結構なことなのだが、自ら生きる力のない人々が生き続ける結果の長寿社会などは決して喜べることではないだろう。  逆説的な言い方になるが、古い世代が死んでいくことが次の世代を育んで行くということではないだろうか。もし世代交代がなかったとしたら、生物の進化はない。アメーバは細胞分裂だけをして生き続けるので、何億年の間もアメーバのままだという。人間も数百万年の間、世代交代を繰り返し、現代社会があるのだ。老いるものの死と新しい命の誕生こそが種として生きるということではないのか。だから癌などのように、ウイルスや細菌によるものでなく、自分の体そのものの変異による病気は人が死ぬための仕組みなのではないか。それを克服しようとすることはかえって種として生存していくということを否定することになるのではないか。まだ生きるべき人を救う医学は多いに歓迎されるものの、単に寿命を延ばす医療は全く無意味だと思う。  フィリピンでは金があろうがあるまいが、男と女が愛し合い自然の営みにしたがって子を作り、そして逞しく子育てに励む。避妊は宗教上嫌われ、堕胎は法律で禁止されている。だから妊娠すれば必ず生む。そして親は生まれてきた子供を育てるために必死に働く。どんなに貧しくても子供達に囲まれて皆幸せだ。これが人間そして生きるものの本来の姿があると思う。ここには介護や老人の問題はない。家族がこぞって面倒を見てくれるので、老人は幸せだ。しかし、高額な治療など出来ないから、重い病にかかったら、悲しみに包まれながら死んでゆく。それが自然の摂理なのだと思う。  日本では新しく生まれる生命を絶つ堕胎は許されているが、自ら生きることが出来ない人を自然に死なせる尊厳死は許されていない。なんという矛盾なのだろうか。フィリピンでは堕胎は殺人という意識を持っているが尊厳死は許されている。老いたものが世を去り、新しい命が誕生するのは自然の摂理であり、浅知恵の人間が棹さすべきものではないのだ。国を支える新しい世代がいなくなったら国は滅びる。フィリピンは貧しい人は多いかもしれないが、とても逞しくて活力あり、未来があると感ずる。

ある退職者の死の教訓 2009年12月15日



 リトル東京「神楽」の取材の後、翌朝は退職庁、ゼネラル・アグリパイ会長の取材だ。ゼネラル・アグリパイは元国家警察長官の著名人だ。8時からのアポだが、シティバンク・センターへカメラを持ってはいることは撮影許可やらなんやらとが必要なので、7時半にはビルの前に到着した。案の上、ガードに止められ、先行してPRA事務所に行って許可証の段取りをしてもらい、8時近く入門できた。  この日の朝、アグリパイ会長はフィリピンの著名カリスマ美容師、リッキー・レイエスと朝食ミーティングをしており、インタービューに加えて、リッキーとの朝食の模様も取材させてもらった。リッキーはマニラの南のカラタガンに退職者用のリゾートを建設する計画だそうで、その協力を要請するためにアグリパイ会長と面会したとのこと。アグリパイ会長の右隣に座っているのが、私が頼りにしているフィリップ・モレノ部長。PRAのRRSC部の部長で退職ビザの発行や退職者の諸々の手続きを一手に引き受けている。  TV愛知のスタッフは撮影の下打ち合わせに余念がない。アグリパイ会長とは約20分、単独インタビューを行なった。通訳はこの私。アグリパイ会長はTV インタビューとあって、こちらの質問はお構い無しにフィリピンやPRAの宣伝をまくし立てていた。TV愛知の方は編集が大変とこぼしていた。朝食ミーティングの様子も一緒に撮影したが、この方が絵になるようだ。    TV愛知のスタッフもアグリパイ会長やリッキー・レイエスなど著名人に囲まれてご機嫌。ちなみに右にある胸像はフィリピンの英雄、ホセ・リザールだ。   PRAのあとはPASCO事務所の撮影を行なった。不肖私もインタビューの栄光に預かったが、とても自分でTV番組を見る気にはなれないが。   撮影終了後、事務所のとなりのトロトロ・レストランで食事。フィリピン庶民の食事どころだがここは比較的高級で、料理の種類も多くてとてもおいしい。8人で、飲み物付でたらふく食べて、7人全部で1200ペソ足らず。TV愛知の取材陣は値段の方も大満足だった。

TV愛知の取材(その2 PRAとPASCO) 2009年12月12日


  台風16号オンドイにより壊滅的被害を受けたのがケソン市の東に位置するマリキナ市だ。メトロ・マニラを流れる唯一の河川ともいえるパシッグ川の上流、マリキナ川沿いに位置し、大雨が降るといつも洪水のニュースが流れるところだ。台風16号の大雨ではダムの放流水もあいまって、短時間の内に水位が10 メートル近く上昇し、川の水は軽々と堤防を越え、周囲を水没させた。3本目のメトロマニラ高架鉄道LRT2の終点Santoran駅の近くに建設された SMでは2階まで水浸しになったそうだ。  河岸に建てられた建物には1階の天井まで水位が上昇したあとが見える。周囲の家も2階まで水に使ったと住民が話していた。  ニュースで流れた高級ビリッジ、Probvident Villageは堅固な堤防に囲まれていたが、この100年に一回の大雨による増水には無力だった。水は堤防の上1メートルくらいまで達し、ビレッジの高級な家を水没させ、多くの住民が逃げ遅れて犠牲になった。  Provident Villageからさらに北に行くと、川沿いにMalandayというエリアがある。この地域は周囲より数メートル低く、川の水位と大差がない。堤防はあるものの、水は軽々と堤防を越え、周囲の家は水没した。その時、住民は近くの3階建ての学校に避難したそうだ。 集まってきた子供達はその時の経験を楽しそうに語る。ちなみにマリキナは靴の産地として有名で、川には大きな靴の模型が飾ってあった。  マリキナ川は氾濫を繰り返し、さらに下流のマニラ首都圏を洪水に巻き込むために、Manggahan Flood Wayという大規模な放水路が日本の援助で建設されている。水量が増したら、一旦バイ湖(ラグナ湖)に水を流し、調整池として機能させようという計画だ。合流点には大きな水門があるが、普段あけたままだという。しかしこの放水路も100年大雨の前には無力だったのだろうか。  マリキナ川、パシッグ川そしてバイ湖(ラグナ湖)からの放水路であるナピンダン川の交差するところに大規模な水門がある。一旦ラグナ湖に蓄えられた水をここで遮断し、マニラを洪水から守るのが目的なのだろうが、ここの水門もどういうわけか開けっ放しだという。いったい洪水管理(Flood Control)はきちんと行なわれているのだろうか。あるいは今回の台風による大雨があまりにも強力でなす術がなかったのだろうか。

防災科研の台風災害調査に同行(その2 メトロ・マニラ)2009年12月11日



  バギオでの災害調査の一歩はバギオ市長からのヒアリングだった。この市長は若干37歳、バギオで大学を経営するファミリーの一員で、この若さでフィリピン有数の都市を引っ張っている。市長と話をしているのは防災科研の調査一行の方だ。   この日は丁度、Safety Weekだそうで、市庁舎前の広場には学生が集まり、市長のスピーチに耳を傾けていた。なにしろ皆若い。バギオは若者の街といった印象だ。サングラスをかけた市長というのも絵になる。   今回の調査のアレンジをしてくれたのは、写真右下のラジオ局の人で、おかげでいろいろな人や現地をつぶさに訪問することができた。   翌日の土曜日は、偶然、この地方のお祭りのグランド・パレードが行なわれていた。バギオを中心とするルソン島北部、山岳地帯はCordillera Administrative Regionと呼ばれ、空中都市バギオのほかバナウエの天空に通じるライス・テラス(棚田)などで有名だ。偶然とはいえ、前回の訪問でもパレードに出っくわした。どうも毎週何らかの催し物を行い、観光客を喜ばしているのではないかと思う。   この地方の原住民はイグロット族と呼ばれるが、パレードの衣装はほとんどがイグロット族のもので、とても雰囲気がある。そういえばバギオに住んでいる人の顔つきは、マニラのものとはちょっと違う。マニラの人は多くが色白でスペインや中国の血が混ざっている人が多い。ここではそのような人はあまり見かけず、どちらかといえば色黒だ。実際。イグロット族の血が相当混ざっているのではないだろうか。

防災科研の台風災害調査に同行(その1 バギオ2)2009年12月11日


   10月某日、独立行政法人 防災科学技術研究所の方からコンタクトがあった。このブログの台風の記事を見てのことだった。台風16号オンドイおよび17 号ペペンはフィリピンルソン地域に甚大な被害をもたらしたが、日本としてきちんと調査を行い災害の被害、原因などを見極め、将来の支援のよりどころとするというのが目的だ。現地調査はバギオとマニラのバイ湖(ラグナ湖)北方を中心に行い、その他、MMDA(Metro ManilaDevelopment Authrity)、DCC(Disaster Cordinating Council)などの管轄官庁やADB(アジア開発銀行)、JAICAなどのヒアリングならびに資料収集を行なった。   11月26日、防災科研の一行はマニラ空港に到着すると、その足でバギオに向った。バギオに通じるケノン・ロードにさしかかったころはすでに暗かった。このケノン・ロードの被害がバギオへの物資の補給路を立ち、災害の被害を助長したのだ。ケノン・ロードの被害状況は帰りに調査したが、この1000メートル以上の高低差がある道路を昇りきると、そこにはバギオ市が広がっている。まさに天空の都市といえる大都市だ。この都市にいたる道はケノン・ロードとマルコス・ハイウエイしかなく、それが絶たれると空輸しか物資を補給する術がない。食料はそれで何とかなったとしてもガソリンや飲み水の補給ができず、一時、市民の生活は脅威にさらされた。    バギオには平地がほとんどない。したがって家や道路は急斜面に這うように作られている。市の建築許可を得ないで建設されている家屋も多く、それらが今回の台風で地すべりとともに泥流に流されるなど大きな被害を被ったのだ。   この付近は湖のそこのような地形になっていて排水暗渠でさばききれない水が流れ込んで一気に冠水した。水位はたちまちの内に上がって、10m程度まで達したそうで、当然周囲の家は水に沈んでしまった。その時の状況をバランガイ・キャップテンから説明を受けた。この地域の被害は充分な排水路を建設していない市の怠慢あるいは予算不足が原因と思われる。しかし、100年に1回といわれる大雨にインフラがついていくことができなかった、という見方も出来る。     街のあちらこちらに地すべりのあとが見える。これらはこれら山間部を切り開いて道路や住宅地を開発したためではあろうが、こんな山間部にこのような巨大な都市を建設したこと事態に無理があったという印象をぬぐいきれない。フィリピンで涼しさを味わえる唯一の地域ということで人気を集め、観光のメッカとなり、さらにここに住むことがステータスともなって、ブームになったものだ。しかし、軽井沢のように単なる別荘地帯として留まっていれば、このような大きな問題ともならなかっただろう。 […]

防災科研の台風災害調査に同行(その1 バギオ)2009年12月11日



 お正月の特別番組としてフィリピンの退職者の状況を撮影にTV愛知の一行がやってきた。先日の事前打ち合わせに基づき、退職庁の会長、ゼネラル・アグリパイやリトル東京のお好み焼や、「神楽」のご主人の取材を段取りしたが、いよいよ実行の日が来たのだ。なお番組は中部地方で1月4日に放映されるそうだ。  初めは気乗りのないようなことを言っていたご主人もいざとなるとご機嫌で一所懸命インタービューに応じていた。      お好み焼きはJapanese Pizzaと呼んでフィリピーノにもなかなか人気がある。また、夜のリトル東京は喫煙が自由なテーブル席が外に設けられなかなかのムードをかもし出している。  ご主人の横田さんは岡山の出身で、大阪と広島、両方のお好み焼きが味わえる土地柄だそうだ。だからこの店では2種類のお好み焼きとその他バラエティーに富んだメニューを提供している。  お好み焼き屋といえどもメニューは豊富だ。てんぷらやうどんまである。一度広島出身のご夫婦を案内したら、本場よりもおいしいと感激していた。ウエイトレスもとても愛想がよくて可愛い。   ところでここのご主人は熱烈な阪神ファンで、店の中は阪神グッヅで占められている。だから毎晩衛星放送で阪神戦を流し、阪神ファンの客が詰め掛けてくる。昨年、巨人と阪神が終盤、熱烈なデッドヒートを繰り広げたとき、巨人ファンであるとなりの「華」とそれぞれのファンを含めて大変な騒ぎとなったそうだ。

TV愛知の取材(その1 リトル東京の神楽)2009年12月11日


 防災科研の調査の最終日、アジア開発銀行(ADB、Asian Development Bank)でのヒアリングに参加した。ADBと言えばマニラにある国際機関の本部だ。台風災害のヒアリングというよりもADBという組織に興味があって内部を見せてもらった。  オルティガスのEDSA沿いにあるADBの建物は1980年代に完成し、オルティガス発展の引き金ともなった建物だ。当時はその威容を誇っていたが、1990年代後半の高層ビル建設ラッシュのおかげで、少々一昔前の建築の感が否めない。  ADBの中庭から眺めた最新鋭の高層ビルが良いコントラストになっている。高所恐怖症の私にとっては9階建てのADB位が丁度良いが。 ADBの会議室群は五つ星ホテルも真っ青なくらい豪華でしゃれている。20年以上たってもこれほどの威容を誇っているのだから、その建設費も莫大なものであったろう。韓国系の建設会社が請け負って長いこと係争でもめていたというが、よほどうるさ型の建設コンサルタントが管理を担当したのだろう。業者は大分泣いたに違いない。  職員食堂も立派、スターバックスなどもあって、外へ出る必要がない。至れりつくせりだ。  職員はすべて個室を与えられ、最適な執務環境で仕事が出来る。各国からの一流の専門家を呼び寄せ、アジアの復興に寄与する活動を行なっている。    中庭に当たる部分は図書室となっており、世界各国の職員のたまり場になっている。西洋人と東洋人が熱心に話し合っている姿を見かけた。   大部屋にいるのはADBが抱える秘書や事務職員の一般職。ここには専門家はいない。入り口での入出門管理も厳重で写真付のIDをその場で作り、つけさせられた。   ところでADBは海外ジョブを担当するコンサルタントが目指す最終ゴールといわれている。アジアの復興事業について色々調査検討し、お金をつけて実行にこぎつけ、アジアの人に貢献するという、とても有意義な仕事ができるところだ。

防災科研の台風災害調査に同行(その3 アジア開発銀行) 2009年12月11日



 マリキナ市の次はバイ湖(ラグナ湖)畔、そしてマニラ市内の洪水と洪水管理の状況を視察した。  バイ湖畔のHagonoyには高級ビリッジが湖沿いに開発されている。台風の大雨以来、湖の水位が1.5メートル位あがっているせいで、ビリッジが全面的に冠水している。そのため住人は船で移動し、水が浅くなったところでトライシクルに乗り換えるという暮らしを強いられている。その原因はビリッジが洪水管理の堤防の外、湖側にあるために水位の上昇の影響をまともに食ってしまっているのだ。住民はMMDA(Metorpolitan Manila Development Authrity)に文句を言っているが、ラグナの水位を急速に下げようとしたら湖の外が冠水してしまうので、どうしようもないという。    湖の周辺から流れ込む川にはすべて水門とポンプが設置されている。現在バイ湖の水位は周辺より高く、湖周囲の水位が危険水位(海抜10フィート)を超えたらポンプを動かして水を湖に移動して、水位を下げるのだ。そうでないと周辺の住宅が冠水してしまう。一旦湖に貯めた水は水門を閉めて流れ出さないようにして周囲が冠水するのを防ぐ。  現在、バイ湖の水はナピンダン川からパシッグ川に流れているだけで、水位が下がるのは当面先の話だそうだ。ナピンダン川の流出口には水門はない。周辺の家は台風当時、当然のごとく冠水したが、現在はすでに水は引いている。この辺はほとんどスコーター(スラム)で遠くに見渡せるオルティガスやボニファシオ・グローバルシティのビル群と対照的だ。  ここからはマニラへの直行のフェリーが出ている。確かに渋滞する道路でマニラに出たら数時間かかるものが数十分で到着するだろう。それにしてもフィリピンの子供はいつでもどこでも明るい。  マニラ市内の小河川がパシッグ川に流れ込むところには日本の援助で建設された水門とポンプが設置され、洪水管理が行なわれている。パシッグ川の水位が高いときは水門を閉め、小河川の水をパシッグ川にポンプアップすることにより市内の冠水を防ぐ仕組みになっている。しかし台風の時、ポンプは稼動させなかったという。 なぜならば、パシッグ川の水位が上昇し堤防を越え、市内に逆流していたのだ。すなわち、これらの洪水管理の想定を全く覆す状況になっていたのだ。  ケソン市一帯の水を集めてパシッグ川に流れ込むサン・ファン川のパシッグ川との合流点を調査した。川に沿って密集するスコーターはすでに逞しくよみがえっていた。そこではバロット(アヒルの有精卵のゆで卵)の製造現場に遭遇した。  サン・ファン川には鋼矢板で立派な護岸が建設されている。しかし、川の水位は護岸をはるかに超え、市内に水が流れ込んできたそうだ。流れ込む先のパシッグ川がすでオーバーフローしていてはサン・ファン川としてもそうするしか手がない。これも想定外だったのだろうが、ここでも子供達は屈託がない。  結論として、マニラの洪水管理はそれなりにやってはいたものの、今回の雨は全く想定外で、水門やポンプがあろうがあるまいが同じ状況だったようだ。今回のような雨が再びやってきたとき、一体どうしたら洪水を防ぐことができるのか、想像がつかない。ただ、自分は決して低地にすまない、あるいはコンドミニアムの上階に住むなどして防ぐ、ということが教訓だろう。とにかく都市は災害に弱いのだ。

防災科研の台風災害調査に同行(その2 メトロマニラ2)2009年12月11日


  クラークのミモザ内にはホリディ・インとモンテビスタ・ビラズの二つのホテルがある。36ホールのゴルフ場に併設されたこれらのホテルは元将校の宿泊施設を改造したもので、ゆったりとした敷地にいかのもアメリカの高級住宅を思わせるバンガロー(平屋造り)だ。   住宅は二つのユニットが連続している2戸一がほとんどだ。1ベッドルームのものと2ベッドルームのものがあり、宿泊費はそれぞれ100ドルないし200ドル程度で、五つ星ホテル並みだが、室内はゆったりと大きく、値段だけのことはあると感じる。また、周囲はもともと住宅なので車の出入りもなく都会の喧騒を忘れさせてくれる。ゴルフ好きの方にはもってこいだ。  周囲にはさらに日本レストランZEN、韓国レストラン、カジノ、などがあり、遊び場にも事欠かない。夫婦で1週間くらいのんびり過ごすのに適しているのではないだろうか。     ダブルベッドのベッドはキングサイズと呼ばれる縦横が同じ、あるいは横幅の方が長さよりも大きいというベッドだ。

クラーク・ミモザの紹介 2009年 12月10日