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当たり前のツアーではつまらない、観光ガイドに載っていないフィリピンらしい所を、という新進気鋭のカメラマンのリクエストに答えて私なりのメトロマニ ラの名所旧跡を案内した。たった一日のツアーだから、要所を駆け足で回ったのだが、最後は歩けないくらいに疲れてしまった。   まず初めは、カーティマール・マーケット。パサイ・シティ、ブエンディア通りとタフト通りの交差点近くにあるが、ほぼメトロマニラの中心にある。そのため か、単なるウエット・マーケットではなく、数百軒はあろうかというペットショップ、日本・韓国食材店、自転車、靴などの専門店が集まる一大ショッピン街と なっている。モールに比べて種類も豊富で安いし、海産物もエビやイカ、ラプラプなどの高級食材が豊富だ。これは外国人やお金のあるフィリピン人が多く来る 証拠でもある。 次は、ありきたりだが、カメラマンがまだ行ったことがないそうなので、歴史地区のイントラムロスに向った。ここの目玉は世界遺産のサン・アガスティン教 会、カーサ・マニラそしてサンチャゴ要塞だ。サン・アガスティンの外部はペイントをやり直してやけに安っぽくなっていた。しかし、その内部は相変わらず荘厳だ。   イントラムロスの次はキアポ教会。あのブラックナザレを祀っていて、フィリピンでは一番庶民の信奉を集めている教会だ。この日は統一選挙前日とあって、教会の周りは選挙ポスターで埋め尽くされていた。   キアポ教会へ通じる道は門前町となっていて、多くの屋台と人で埋め尽くされている。特に各種食材が安く買えることでも有名だ。  キアポからチャイナ・タウンに向うと、そこはまさに中国人街だ。日本のチャイナタウンと違って、中国人向けの金製品を売る店や漢方薬を売る店が軒を連ねる。カメラマンによるとこの漢方薬が中国人が世界で活躍するエネルギーの源だそうだ。   […]

メトロマニラの取材 2010年5月13日


   5月10日、統一選挙がついに幕を閉じた。大統領選はアキノ上院議員の圧倒的な勝利に終わったが、毛並みと誠実さだけでは政治はできない、という落胆の声も聞かれる。エストラーダは貧困層の根強い支持で2位につけた。当初優位にいたビリヤールは子供にお金を渡しているところをスクープされたりして3位に失速。知識層が期待するテオドロ・ギボやゴードンは下位に甘んじた。副大統領はアキノ陣営のロハスとエストラーダの相棒であるマカティ市長のビナイの接戦だ。マカティ市長にはビナイの息子ジュンジュン・ビナイが当選した。  大統領選は2月10日、地方選は3月26日に選挙運動が開始されたが、その間、街はポスターであふれ、選挙の応援カーが走り回っていた。選挙運動は前々日の5月8日で終了し、9日は、選挙戦の加熱を防ぐために、アルコール類の販売や提供は例年通り禁止された。 5月8日、マニラの南のバタンガスに行ったおり、地元の市長候補を応援するパレードが大量の人を動員して行なわれていた。もちろんお金で雇われた人たちだろうが子供までが混ざって候補者のシンボルカラーのT-シャツを着てトラックやトライシクルに乗って行列をなしていた。おかげこちらは渋滞に往生した。 選挙当日、我が家のあるバランガイ・サン・アントニオに投票場に出かけてみた。そこには日本の投票場では信じられないような人ごみが出来ていた。私なら、この人ごみを見ただけで投票場をあとにするだろう。有権者リストに自分の名前を見つけて、それが自分であることの証明としてIDを見せ、そして初めて投票を許されるというなんともいえない稚拙なシステムに原因があるようだ。ちなみに有権者数は5千万に超え、投票率は75%だから4千万に近い人が投票したことになる。投票場は約37000箇所だから、一箇所あたり、千人だ。しかし、ここのような人口密集地帯では10倍の1万人くらいになるのではないか。      投票場ではGMAテレビの取材が行なわれていた。投票日の寸前まで不具合が報告されていた電子投票システムが本番でどうなるのか極めて興味深いところだったが、順調に機能していたようだ。     人が集まるところには必ず食べ物の屋台が出るのはどこの国でも同じだ。投票を終えるまでに2~3時間は優にかかるだろうから、喉が渇いたり、お腹がすくのは当然だが、日本の投票場では決してこんな光景は見られないだろう。こんな状態では投票する人はいなくなってしまうだろう。 投票場の近くには今回の選挙で副大統領に立候補しているビニャイ市長の自宅がある。この付近ではちょっと見られない豪邸だ。家の前では冷たいジュースを無料で配っている。当方も少々の喉が渇いたのでご相伴に預かったが、さらにテントの中では只で食事が取れるそうだ。だから選挙期間中は貧しい人も食には事欠かなかったそうだ。ビニャイの自宅の前は粗末な家で、子供達が選挙の様子を伺っていた。また、ちょっと年寄りの人に声を掛けられたが、彼らは票を買う仕掛け人だそうだ。投票権があれば1000ペソほどの臨時収入になるところだった。  ビニャイ市長の自宅の前には別の投票場(サン・アントニオ・ハイスクール)があり、ここにも多くに人が群れていた。赤いT–シャツを着ている人はビニャイ市長の運動員だ。この人たちが何を待って行列をつくっているのか皆目わからないが、皆はただひたすらに順番を待っている。皆、中々忍耐強い。ここでもカメラマンが準備をしているが、きっとビニャイ市長が投票場へあらわれるのを待っていたのだろう。  通りには警察官と兵士が銃を持って控えている。全国で37000ヶ所もある投票場に、これだけの人が待機しているとなると、全国で20万人以上の人が動員されていることになる。カメラをかまえると、是非プリントしてプレゼントしてくれとせがまれた。日本では執務中の警官は、写真を撮ることさえ許されないというのに、むこうから写真を撮ってくれと目で合図してきたのだ。 これは投票用紙のサンプル。大統領、副大統領、上院議員のすべての名前が記載され、その横の○を塗りつぶすようになっている。これはエストラーダ/ビニャイ陣営が作成して配ったものだから、彼らの名前と陣営の候補者の名前だけが、黒い文字で浮き出ている。確かにわかりやすいやり方だ。  

5月10日、統一選挙 2010年5月11日



スービックは元アメリカ海軍基地でベトナム戦争をバックアップする基地として活躍した。現在はフィリピンに返還され経済特区として発展しているが、海岸 線に沿って広がる広大な後背地は原始林がそのまま残る貴重な自然遺産でもある。その自然の森の中で飼育された動物を見学できるのがズービックで、Zooと Subicを掛け合わせてZoobicというユニークな名前の動物園だ。ズービックはスービックの街から南へ車で20分くらい行ったところにある。途中で 右に入るとオーシャンアドベンチャーがあり、海水浴とイルカショーなどを楽しむことが出来る。  ズービックに向う途中、運が良いと、ジャングルに棲息しているサルや鷹ほどもある昼間に活動するコーモリにも出会える。  ズービックはかなり広大で、いわゆる動物園といえるのは入り口から歩いていける範囲だが、ここの目玉のタイガー・サファリやワニ園は車でないと行けない。 団体で来た人には遊園地の汽車を大きくしたような乗り物が用意されており、をそれを使うか使わないかで入場料が違う。使わない場合で449ペソは、フィリ ピンでは少々高いが、これだけの施設を維持するためには仕方がない。  入り口にはトラの赤ちゃんがおり、戯れているところ を写真に収めることが出来る。しかし、この日の赤ちゃんはすでに1.5mほどの大きさで、誰も近づく人はおらず、遠くから写真を撮っていた。ここの動物園 では、おりは無く、どうみても鳥が放し飼いされている。逃げないのかと不思議に思ったが、肉食のふくろうは、さすがに紐でつながれていた。  ズービックでは20~30人ごとにガイドがついて、その案内にしたがって見物することになっている。見たい所はゆっくり見れず、見たくないものまで見なけ ればならないパッケージツアーのようなものだ。その際たるものが動物ショー。犬やサル、子馬などを使ったショーだが、こんなものを一緒に1時間以上見なけ れば先には進めない。私は、こういうショーは動物虐待としか受け止めることは出来ず、厳しい訓練をされて人が喜ぶショーを見せなければならない動物たちが 可哀想で見ていられない。係りにブーブー文句を言ったら、やはり同じように動物ショーを見たくないグループがいて、おかげで動物ショーを飛ばして、タイガー・サファリに車で向うことができた。 […]

ズービックの紹介 2010年5月7日


    久しぶりに所用でスービックを訪問したが、今回はスービックの北、車で15分くらいのバリオ・バレトを探訪することにした。かつてスービックが米軍の基地だったころ、隣接するオロンガポではクラーク空軍基地の門前町、アンヘレスを凌ぐ歓楽街が栄えていたという。しかし、基地の返還後、これらの歓楽街は閉鎖され、イメージの刷新を図った。そして、このバリオ・バレトが細々と生き残ったそうだ。  スービックはサンフェルナンドまで NLEX(North Luzon Express Way)を進み、左折して1時間くらいだ。アンヘレスまで行って、SCTEX(Subic, Clark, Tarlac Express Way)を経由していくことも出来るが、このほうが距離は長いが快適で早い。何度も紹介しているが、NLEXの入り口付近はMRT環状線の接続工事が進行中だ。すでに全線の土木工事を終え、架線や駅の工事が進行中で開通も間近のようだ。 サンフェルナンドからスービックに向う国道でトイレタイムでバスが止まったが、そこにはビクトリア・ライナーのバスが10台ほど並んでいた。ちなみにこの日は5月1日はメイデーで3連休、この休みを利用して里帰りをする人でごった返していた。  スービックのポコアポコで退職者2名の方と面会した後、今回の目的地であるバリオ・バレトへ向った。余談だがポコアポコでは前回紹介したインターネットテレビの実演で盛り上がった。  まずバリオ・バレトの北にあるバロイ・ビーチのトレジャー・アイランド・リゾートに向った。この沖にフローティング・バー、ブードーがあると案内の本には書いてある。ブードーといえばアンヘレスの私のなじみの店の系列店だ。  メイデーのためか、ビーチは人で溢れていた。休みの名目とは関係なく祝日にレジャーを楽しむのはどこの国でも同じようだ。そして確かにフローティング・バーは沖で営業してはいるものの、肝心のホテルは満員。名物のフローティング・バーはあきらめざるを得なかった。 […]

スービックのバリオ・バレト訪問 2010年5月6日



 とんでもない時代がきたものだ。インターネットさえつないであればフィリピンのどこでも日本の地上波テレビ(NHK、日テレ、TBS、フジな ど)がパソコンでいくらでも楽しめるというのだ。最初に小さなUSBを11,000ペソで買えば、月々の使用料や視聴料は只だ。USBの大きさも普通の USBメモリーと同じだから、それだけ持ち歩いて、どこのパソコンでも使える。設定もいたって簡単でパソコンを使い慣れている人には何の苦労もないだろう。 地方にお住まいでケーブルTVで日本の放送を流しておらず、日本のTVを全く楽しめない日本人にとってはとてつもない朗報だ。しかもUSBさえ持ち歩け ば、どこに旅行しても日本のTVが見れるという、なんとも信じがたいことだ。ビコールの我が農場も大金をはたいてケーブルを引いたのに日本語のNHKワー ルドが無く、日本のTVが見れないことだけがネックとなっていた。しかし、無線のインターネットも普及してきており、近い将来農場で日本のTVが格安で楽 しめることになりそうだ。  インターネット回線は最低410kbps必要で、それ以下の場合は途切れたり、画像が悪くなるそうだ。画質 は、やはり普通のTVと比べてはかわいそうだが、なんとか見れる程度。もちろん高速インターネットがつないであれば、断然良くなるそうだ。通常、インター ネットは月極の固定料金だから、USBの購入費以外の出費はないので、TV好きの人にはありがたい。 詳細は左のパンフレットをクリックしてみてください。また、申し込みはアンヘレスにお住まいの木田さんまで。携帯:0919-442-2745。もし木田さんが不在の場合は下のマニラ新聞の広告を参考にしてください。  

日本のテレビが見放題 2010年4月29日


  4月14日、退職者の相続手続きのサポートのために日本に出張した。昨年の5月以来、ほぼ1年ぶりの日本訪問だ。桜の季節には残念ながら間に合わなかっ たが、つつじの花や新芽がほころぶ春のぽかぽか陽気を期待して行った。ところが春どころか冬の寒さ真っ盛りの気候なのでびっくり。女房には寒いわよと念を 押されていたものの、一体この寒さは何なのか。真冬用の皮のコートを倉庫から引っ張り出して着こんで出かける始末だった。電車の中も全くの冬模様だ。  フィリピンの夏は3月~5月で、現在夏真っ盛り。しかも今年はエルニーニョの影響とかで連日暑い日が続いている。だから、真夏から真冬への急転直下の変化だったわけだが、幸い体調は何の変化もなかった。 数日後の日曜日からは、なんとか春らしい陽気になった。近所の八重桜も急遽ほころび、住宅の周囲の花壇はいろいろな花が咲き誇っていた。やはり、春はこうでなければならない。        15、16、17日そして19日と所用で東京や千葉に出かけたが、そこでやたらと目に付いたのが駅のドリンクの自動販売機だ。一方煙草の自動販売機はめったにない。あったとしても認証カードを持っていない私には買うことができず役立たずだが。   このドリンク類を見てみると、かつての日本あるいは現在のフィリピンにおけるソフト・ドリンクの 主流であるコーラ、ファンタ、スプライト、オレンジジュースなどが全く見当たらない。緑茶、紅茶、ミネラルウオター、コーヒーをベースにしたものがほとん どで、砂糖を含んでいると思われるドリンクがない。コーヒーでさえ「微糖」をうたい文句にしたものばっかりで、いかにも健康・メタボリック症候群にはよさ そうだ。しかしフィリピン人はたっての甘党だから、この自動販売機の前ではさぞ困ることだろうと思う。   最終日の21日は孫の結月(ゆずき、1歳と8ヶ月)とその両親(私の息子と嫁)と女房と八景島シーパラダイスを訪問した。その夜は嫁の両親も含めて新杉田の焼き鳥屋で久々の再会を楽しんだ。   […]

久しぶりの日本は寒かった 2010年4月25日



私の家がある横浜金沢区には、至近距離に八景島シーパラダイス(通称シーパラ)があり、子供や若者の遊び場としてにぎわっている。春には潮干狩り、夏は海水浴や花火、そして水族館に遊園地と、1年中楽しめる。今更このブログにシーパラを紹介してもいたしかたないが、孫が出来ると、どうしても義務として行かざるを得ない。しかし、この年になっても、思いのほか楽しむことが出来た。孫の結月(1歳と8ヶ月)はほとんど寝ていたのでゆっくり水族館などを見学することが出来た。  入り口の近くにあるのがゴンドラ、その昔、高校生のころ後楽園で乗ったことがあるが、なかなかの迫力だ。息子の嫁さんが大はしゃぎで万歳をしながら乗っていたが高所恐怖症の私と息子は遠慮した。一方息子と女房は孫の結月と一緒にアンパンマンの乗り物を楽しんでいた。  シーパラの売りはこの「落下」だ100mほどもあるタワーから落下する数秒の乗り物だが、私ならあっという間に気絶をするかお漏らしをしてしまうだろう。          これも試したことはないが、海上を走るジェットコースタターもシーパラノ売りだ。結月が大きくなったらオヤジとジッジをおいてママと乗り回すことになるのだろう。 この日、最大の話題は潮騒料理店「哉介(ヤスケ)」の発見だ。逆に読むと「介哉(カイヤ)」で、なんと息子の名前と同じなのだ。店の人に店名の由来を聞いたが、知らなかった。ちなみに私の名前は「和民(カズタミ)」と言って、かの有名な居酒屋チェーン「和民(ワタミ)」と同じ字を書く。60年以上前からこの名前を名乗っている私が元祖であることは間違いないのだが、親子2代で料理店の名前に縁があるようだ。ここの料理は潮騒料理と銘打った海鮮料理で、糖尿病の私にはありがたいメニューだった。        いよいよ水族館だが、ここ数年でイルカや海の動物と直接触れ合うことが出来る「ふれあいラグーン」や水中からイルカなどを間近に眺めることが出来る「ドルフィン・ファンタジー」などができて中々楽しめる水族館になっていた。イルカや魚にえさやりが出来るのも子供達にとっては楽しみだろう。それにしても大人一人2700円の入場料はちょっときつかった。     

八景島シーパラダイス訪問 2010年4月25日


 マカティ・スクエアーのクリークサイド、焼き肉龍苑のとなりに開店したのが、居酒屋「満月」だ。ちょっと雰囲気のある店構えなので、中をのぞいてみたら、黒を基調とした内装はフィリピンではちょっと見られない凝ったものだった。店員の衣装も黒を基調とした今風の日本の居酒屋のものだ(現在は、ジュピター通り、マカティアベニューを東にしばらく行ったところに移動しています。) クリークサイドの中ほどという、場所的には決して良いところではないが、夕飯時は中々はやっている。伝統的な日本料理、すしや刺身、焼き魚や天ぷら、あるいは、とんかつやカレーなどではちょっと物足りないという日本人や、舌のこえたフィリピン人が客のようだ。  メニューには伝統的日本料理とは一線を画した、今風の居酒屋料理が並ぶ。日本料理通のフィリピン人でも名前だけでは何がなんだかわからないから、すべての料理は写真付だ。ほとんどの料理は当たり前の日本料理ではなく、ひとひねり工夫がされている。値段は必ずしも安くなく、日本と同程度のようだ。 例えば「握り寿司」を注文しても丸く握ってあったりして、中々面白い。それにまた、料理ごとに器が違い、料理と器の調和が楽しめる。よくぞここまでの器を日本から持ってきたものだと感心する。当たり前の日本料理に飽きた方々には是非覗いてみて欲しい穴場的レストランだ。

居酒屋「満月」の紹介 2010年4月25日



  マニラ周辺では盛んに道路建設が行なわれている。しかし用地買収が難しいマニラ首都圏はご承知の通りの地獄の交通渋滞が日常だ。いくら周辺に立派な道路 をつくってもそれがマニラ首都圏に向う限り糞詰まりでどうしようもない。だからマニラ国際空港など首都機能を近隣に移す計画も進んでいる位だ。  その渋滞に加えて不愉快なのが、道路の舗装面が、がたがたで自動車の乗り心地がいたって悪いことだ。マニラを迂回するEDSA通りは写真のごとく舗装の継 ぎ目が目立つ(画面をクリックして拡大してみてください)。この路面ががたがたなのは、ずばり、コンクリート舗装であることだ。日本ではアスファルト舗装 が主流だが、フィリピンではほとんどコンクリート舗装だ。舗装表面は人力でならすだけで、しかもコンクリートの伸び縮みを吸収するための隙間が必要だか ら、アスファルト舗装に比べてどうしても平坦性に欠ける。ならば何故フィリピンでは道路はコンクリート舗装なのか。  一方、最近できたSCTEX(スービック・クラーク・ターラック高速道)ではアスファルト舗装のすばらしい路面だ。また、NLEX(北ルソン高速道)も平 坦なアスファルト舗装だ。だから熱くてアスファルトが溶けてしまうからコンクリート舗装を使っているという仮説はあたらない。しかし、アスファルト舗装工 事を行なう場合、アスファルトの温度を維持するために、近くにアスファルト・プラントが必要だ。しかし、フィリピンにアスファルト・プラントはほとんどな い。SCTEXやNLEXなど大規模工事であるならば、専用のアスファルト・プラントを作ることも可能だろう。しかし一般の道路では、砂、砂利、セメント を運んで、現場に小さなコンクリートミキサーさえ置けばコンクリート舗装工事が出来てしまう。もちろん、都市部ならばビル建設用のコンクリート混合プラン トがあるから簡単にコンクリートが手に入る。だから舗装はコンクリートにならざるを得ないのだ。  アスファルト舗装は路床、路盤、アスファルト表面舗装の順で建設される。それぞれの厚さや材料は通行料によって異なるが特に路床と路盤をしっかり作ることが命だ。そうでないとアスファルト表層はすぐにがたがたになってしまう。   […]

フィリピンの道路は何故がたがたなのか 2010年4月25日


  旅の最終目的地はルソン島最北端のPagudpudのSaudビーチ。Laoagから60km、バスで1時間半の道のりだ。ここまで来ると全くの田舎で、外の景色はまるで江戸時代の農村にさかのぼった感じがする。ちなみにこのあたりは稲作が中心だ。  Pagudpudに近づくと海岸線に十数機の風力発電の羽根が建ち並ぶ。テレビなどでよく見る、あのエコ発電の権化ともいえる近代的なやつだ。こんなところに数十億円もかかるだろう代物を誰が建設したのだろう。採算に合うとはとても思えないが、きっとどこかの誰かが税金の無駄遣いをしているのだろう。  ここまで来るとエアコン無しのバスにトライシクルがもっぱらの移動手段だ。バス代は一人60ペソ、トライシクルはかなり走って60ペソ。2台で120ペソというのを間違えて1台の料金と間違えて240ペソ出したら、多すぎると返してよこしたのに感激した。アンヘレスで経験したぼったくりのトライシクルとは大分訳が違う。ちなみにアンヘレスでは、ホテルからバス・ステーションまでタクシーでも50ペソ足らずの距離に1台200ペソ請求され、120ペソで話をつけたといういきさつがある。   Saudのビーチはなかなかのものだった。砂浜の長さも優に2~3kmはあろう。たしかにボラカイ並みだ。砂はボラカイのパウダーサンドとまでは行かないが、細かい砂は丸くてなかなかのものだ。水もきれいだ。金と時間に余裕があれば2~3泊したかった。またこの辺はビーチ・リゾートあるため周囲は雰囲気ががらりと変わり、こぎれいな村になっている。ビーチ沿いには大小さまざまのリゾートが、十数軒建ち並んでいる。 ビーチにありがちなしつこい物売りはおらず行儀良く品物を並べて客を待っている。トライシクルといい、よほどバランガイキャップテンのしつけが良いのだろう。ウエイトレスも若くて可愛い子が多い。しかし、泊まったリゾート、Terra Rikaのマネージャーがオカマで今一だった。      ルームレートは前の日の4月4日までがピーク料金で2500ペソ/日の部屋が3640ペソと割高でラッキーだった。隣はさらに安くて1250ペソ、反対側は6000ペソとやけに差がある。この6000ペソは多分最高級の部屋しか空いてなかったのだろう。部屋代はビガンやラワグよりもかなり高い。 ビーチに面したレストランではフィリピン食以外にすしや刺身もあるが、ちょっと手が出ない。試しに海草サラダを注文してみたら、なんと生ののりだった。また、海岸には海草がたくさんあり、中には天草のような海草があって、食べてみたらしゃきしゃきとしておいしかった。フィリピンといってもこの付近は大分台湾に近いので採れる海産物も大分違うのだろう。またそのせいか海岸を歩いているとなにか涼しげな感じさえした。  Pugdpud の街は閑散としていた。リゾートのおかげで町の財政は豊かと見えて、役場などの建物が不釣合いに立派だった。件のマロンガイの木に花が咲いていたので一枚撮った。  

ホリーウイークの旅(その4)パグドゥポッド編 2010年4月12日