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著書「金なし、コネなし、フィリピン暮らし」でも一押しと進めている「ミスユニバーサル(MU)」が危機的状況に陥っている。先の選挙で当選したトリニダッド(Peewee Trinidad)パサイ市長の指示で、MU名物のオール・ザ・ウエイ(全裸ショー)が禁止されたため、客足が激減し、いつも満員の席が3分の一程度しか埋まっていないのだ。例えオール・ザ・ウエイでなくて、ツー・ピースでも大差ないとも思うのだが、それではゴーゴークラブとの差別化ができず、やはり見ごたえのあるショーがないと客がこないようだ。 なじみのフロアー・マネージャーの案内で楽屋に入ってみると着替え中の見覚えのある子達がしきりにテーブルに呼んで欲しいと声をかけてくる。彼女達はテーブルに呼ばれて注文してもらったドリンク一杯に付、何がしかのコミッションをもらうのだが、これが収入の主体だ。テイクアウト(お持ち帰り)の名誉に預かるのはそうざらにあることではない。 8月19日追記  しばらく振りに、覗いてみたら、女の子達は超シースルーのツーピースをつけて踊っていた。急きょ特注したのだろう。ほとんどスケスケでしかも肌色の下着のようなものだから、黒や茶色の部分もはっきり見えて、かえってセクシーに感じる。結局、この辺が市当局との折り合いだったのだろう。しかし、客足は多少戻ったものの、女の子の数は半分程度に減っていて、フィナーレではいつも女の子が舞台から溢れるほどいたのに、たったの5~6人に減って寂しいことこの上ない。  8月29日追記 MUのことが気になって10日振りに覗いてみた。しばらくショーを見ていたが、相変わらずのシースルーでお茶を濁している。10時過ぎになって、ソロ・ダンサーが突如としてブラを取って出てきた。目を凝らしてみてもシースルーのブラはつけていない。ゲストと同席していた女の子に聞いてみたら、ソロ・ダンサーはオール・ザ・ウエイが許されているという(私は財布をすられてしまい、スッカラカンなので女の子のリクエストを自粛)。数分後、ダンサーが誇らしげに下も取って、バタンバタンといつもの大また開きのダンスを始めた。周囲を見渡してみると、いつの間にかほとんどの席は客で埋まり、皆満足げだ。この影には店のオーナーと当局との熾烈なネゴと袖の下が動いたのだろう。いずれにせよ、MUの復活はめでたいことだ。  9月28日追記  9月23日、久しぶりにゲストの案内でMUを覗いてみた。店に入るやいなやダンサーのオールザウエイが目に飛び込んできたが、これはいつものことだ。いや、たしかダンサーはシースルーの下着のはずだった。それがこの日は、全く元に戻っていたのだ。ダンサー達も窮屈なシースルーの下着無しに伸び伸びと踊りを楽しんでいるようにも見えたが、錯覚だろうか。特にこの日は2年ぶりになじみの子が戻ってきており、久しぶりのオールザウエイとともに懐かしさにふけった夜だった。いずれにせよ、MUの完全復活はめでたい。 一方、ゴーゴークラブ8軒が固まっている、エドサ通り、ヘリテージホテルのはす向かいのEDSA Intenational Entertaiment Complex(通称エドコン)も客足が激減している。ちょっとのぞいてみると、腕をつかんで中へ引き込まれてしまう位だ。先日、日本人のたっての依頼で覗いてみたが、中は客一人に対して数十人の女性といった割合だった。こんな調子ではいつまで続けられるのか心配になってくる。  日本人専用のカラオケ・クラブも長いこと閑古鳥が鳴いていた。ほとんどの店は「飲み放題500ペソぽっきり」という謳い文句で客を呼んでいるが、それでも大きな店に数組の客しかいないこともしばしばだった。しかし、最近満員に近い状態のときもあるので、客足が戻ってきたのかという気もしないでもない。新聞の広告もカラオケクラブの広告で一杯だが、いつまでこのバトルが続くのか、淘汰の時が来るのか要注意だ。 ちなみにNTTホテル経営のカラオケ・クラブ「スバル2」がパソンタモのリトル東京の向かいにオープンした。「スバル1」も見ごたえのあるショータイムなどを企画して健在だが、果たして勝算があるのか、カラオケ市場が上向くとの読みなのか、気になるところだ。  […]

また一つマニラ名物の灯が消えた(その2) 2010年7月23日


  5月の選挙で無事再選を果たしたリム・マニラ市長のやったことは、なんとマニラ名物とも言えるほど有名になったLAカフェの閉店だ。エルミタのデルピ ラール通りにひときわ目立つ看板を掲げるLAカフェは出会いを求める男女で24時間ごった返していた。フィリピンに観光に来る日本人でも知らない人はいな いくらいの超有名店で、フィリピン在住の日本人の間でも閉店を惜しむ声がささやかれている。 LAカフェの内部に入るとそこには白人や韓国人そして日本人と、ほぼ100%が外国人だ。そして一目でそれとわかる客を物色して媚を売るフィリピーナ だ。しかし、たくさんいるウエイトレスのほうがはるかに可愛らしく、申し訳ないが食指が動くような子はめったにいない。内部はとても広く、2階や隣の建物にまで拡張されていて、2階にはライブバンドもはいっていた(上の写真を撮った日は世界的にヒットした「アナック」を歌ったフレディー・アギラーのライブ)。  普通のナイトクラブなどとは違って、女性も客として入店していて、ドリンクをおごってくれる男性客をひたすら待ち続けている。ドリンクにありついたら、早速交渉だ。ママさんや店が商売に関わっているわけではないから、その手のお店の3分の1から半分くらいで話はつくようだ。現在、入り口にはCLOSEDと掲示され、ガードは近いうちに再開するとは言っていた。 近 くにある同系のアマゾニア、バタフライなどはそのまま開店中だが、量と質の面でLAカフェとは比べ物にならない。LAが閉店したのだから客と女性がこっち へ流れても不思議ではないのだが、アマゾニアは従来どおり閑散としていて、目を覆いたくなるようなしおれた花ばかりが目に付いた。 ところでリム市長といえば、1990年代初頭、当時ツーリスト・ベルトとも呼ばれマニラ歓楽街の顔のようになっていたデルピラール通りのゴーゴークラブを一 網打尽にした悪名高い市長だ。市長は3期9年が限度だから、一旦上院議員となったリムは、前々回の統一選挙で再びマニラ市長に返り咲いた。そして、初めに やったことが、マニラ湾沿いの観光名所となっていたベイウォークの店を一掃したことだ。 これらの店は、レストランやバラエティーショーを見せるもので、決 していかがわしいものではない。かえってマニラ湾沿いの遊歩道に人を集め、安心して夜歩きが出来ると評判の観光名所だった。それを付近の住民が夜中までう […]

また一つマニラ名物の灯が消えた 2010年7月22日



退職ビザの取得に当たって、1万ドルの定期預金すなわち年金スキームで申請する場合、必ずしも年金をフィリピンで受け取っていなくても、年金証書の翻訳 (大使館で認証)さえ提出すればよいことは、以前にも報告した。さて、めでたく退職ビザを取得して、実際にフィリピンで年金を受け取るにはどうしたらよい のだろう。年金事務所に問い合わせると送金先銀行口座の他に、フィリピンに在住している証拠となる書類の提出を求められるはずだ。  通 常、日本大使館で発行される在留証明がそれにあたる。在留証明の発行条件としては住民票を抜いておかなければならない。また、在留届けを提出してから、 3ヶ月経過していること、あるいはバランガイ証明書などの住所を立証できる書類の提出が必要だ。もし、住民票を抜くのに支障がある場合は、バランガイ証明 書でも年金事務所はフィリピン受給を認めている。  フィリピンで年金を受給した場合はメリットは下記だ。 1. 所得税がかからない(退職ビザを保有している場合はフィリピンでもかからない) 2. 送金手数料は年金事務所負担 3. 日本での収入がなくなるから、住民税や健康保険の支払いが最小になる  さらに住民票を抜いている場合は下記のメリットがある 1. 地方税がかからない 2. 国民健康保険料がかからない(逆に言えば、国民健康保険に加入できない) […]

年金のフィリピン受給の損得 2010年7月8日


 タレントあるいはジャパユキさんの日本行きのビザの発給がストップして以来、若いフィリピーナにとって唯一の日本行きの方策は日本人との結婚しかなくなった。すでに結婚をして日本に在住して、アルバイトでフィリピンパブで働くフィリピーナも多くはいるが、若いフィリピーナにとって夢の日本行きは結婚によってのみ実現されると言っても過言ではない。とはいいつつもフィリピンにいて日本人の配偶者を見つけるのは至難の技だ。そのため、プロモーターの斡旋で見ず知らずの日本人と形だけ結婚して、日本行きを目指す、すなわち、イミテーション(偽装)結婚だ。  日本の入管もこの偽装結婚を厳しく監視していて、本当に結婚生活をしているか、自宅訪問をしたりするそうだ。この偽装結婚の謝礼に日本人男性には月々数万円を払うそうで、プロモーターへの支払いなど、ジャパユキさんにとってほとんど収入が見込めないこともある。そうなると、もっと稼ごうと体を売るなどという、かわいそうなはめになっているジャパユキさんも多いようだ。 この子達の日本行きは遠い夢か 晴れて日本行きの目的も達して、それなりの収入も得て、フィリピンにもどり、元の生活に戻る。もちろん結婚という話も出てくるだろう。しかし、日本で離婚手続きをしたとしても、フィリピンでもちゃんと手続きをしないと、結婚の経歴はそのまま残ってしまう。プロモーターに在日フィリピン大使館に届けたから大丈夫だよと言われ安心していても、いざ結婚しようとすると、フィリピンに婚姻の記録が残っていて、婚姻の資格証明書が出ないということが多発する。  従来は、離婚の事実が記載されている戸籍謄本を在比日本大使館に提出して離婚証明をもらい、それをCity Civil Registryに提出し、証明書を最寄の市役所に提出すればよかった。市役所からNSO(国家統計局)に書類が送られ、婚姻の資格証明書が発行された。さほどの手間ではなかったが、ジャパユキさんにとっては必ずしも簡単とも言えない手続きで、これを怠って結婚できないはめになっているフィリピーナも多い。しかし、昨年法律が改正され、こんな簡単な手続きで離婚することが出来なくなってしまったのだ。   ご承知の通り、カソリックの国、フィリピンには離婚という制度がない。一旦結婚したら、それは生涯有効なのだ。しかし、裁判に訴えて、この婚姻が無効であるという判決を裁判官が出したら、その婚姻は初めからなかったことになり、晴れて独身に戻れる(アナルメント)。このようなお国柄だから、日本に行くために結婚して、フィリピンに戻ったら離婚、などという神を冒涜するような行為が許されるはずがない。  そのためか、日本で行なった離婚をフィリピンにおいても有効にするために、裁判所に届けて離婚が正当であるという判決をもらわなければならなくなったのだ。そのためには10万ペソ程度の弁護士費用と半年~1.5年の月日が必要とされるそうだ。ジャパユキさんにとっては気の遠くなるような話だ。念願の日本行きを果たしたとしても、本命の彼との結婚も当分お預けとなってしまう。また、日本人との結婚・離婚を繰り返し、日本行きの手段にしてきたベテランジャパユキさんにとっても頭の痛い話だ。 カラオケはジャパユキ予備軍のたまり場だ   次に結婚だが、かつては出生証明をもっていけば、市役所から比較的簡単に婚姻許可をもらえたものが、現在はNSOからシノマ(Certificate of No Marriage、CENOMA)という婚姻資格証明をもらわなければならなくなった。戸籍という制度がないから、出生証明と婚姻証明がすべてだったフィリピーノには頭の痛い問題だ。同姓同名の人間が結婚しているとすると、その人とは他人であることを証明しないと、シノマが出ない。もちろん過去に婚姻歴があるとそれを正式に抹消していない限りシノマは出ない。  これらの措置は、偽装結婚や重婚による日本行きのビザ取得が日常化ないし商業化しているという状況に政治家が業を煮やしたものと思われる。たしかに神聖な結婚をビザ取得の手段にするなどということは許されるべきものではない。しかも、それをえさにジャパユキ志望の若いフィリピーナの体をもてあそんだり、月々の謝礼を当てにしたり、日本男児の名折れともいえる輩もいるのも腹が立つ。しかし、可哀想なのはかのジャパユキさんだ。こんな手段までとって念願の日本行きを果たし、故郷に錦を飾ったまではいいが、その偽装結婚に生涯縛られるはめになってしまうかもしれないのだ。したがって、政府の狙い通り偽装結婚による日本行きも下火になることは間違いないだろう。

ジャパユキさんの試練 2010年7月7日



 6月30日(水)は第15代大統領、ベニグノ・アキノ3世(ノイノイ・アキノ)、50歳の大統領就任式で祝日となった。いつも突然の祝日に右往左往させられるのだが、この日ばかりは納得せざるを得ない。リザール公園のキリノ・グランド・スタンドに50万人の庶民が集まった就任式は盛大で、世論はノイノイ・アキノ新大統領の就任を歓迎しているようだ。  母親であるコーリー・アキノ元大統領の死で、にわかに注目されたノイノイだが、選挙運動中はいかにもカリスマ性の欠ける2代目ボンボンの感がぬぐえなかった。しかしながら、この日行なわれた就任演説はタガログ語で、私にはほとんど理解できなかったが、なかなか雰囲気のあるものだった。地位は人を作るというが、まさに大統領の貫禄を示すものだった。スローガンはPANATA sa PAGBABAG(変革の約束)で、アロヨ政権の行なってきたことをすべて否定し、万人のための政治を行なう、というものだ。  就任式に出席した庶民はアキノ一族のシンボルカラーである黄色のシャツを着ている人が目立った。テレビのすべてのチャンネルは生中継を延々と続けていた。こんなことは、コーリーアキノ葬式以来のことで、当面アキノ一族のフィリピン支配が続きそうだ。ちなみにノイノイ・アキノ大統領の従兄弟のダンディン・コファンコはサンミゲルビールやPLDTのオーナーで経済界の重鎮だ。 マラカニヤン宮殿に到着した大統領を待っていたのは軍隊式の荘厳な式典だ。どこかの首相のように1年ごとにころころと代わり、政党内のたらい回しのようなのとはちょっと違う。国民の直接選挙で選ばれた大統領は、よほどのことがない限り、国家元首として今後6年間、国を治めていくのだ。  マラカニヤンには妹で有名女優のクリスアキノなど家族一同が新大統領の到着を待っていた。大統領就任という国家の行事でも、家族が集まって記念写真をとるというのがフィリピン式だ。さらにマラカニヤンでは母親の若きの日の肖像画と対面した。親子2代で国家元首となった思いは、計り知れないものがあるだろう。  アロヨ大統領と面会した両大統領は、お互いに笑顔をかわしていたが、アキノ新大統領はアロヨ大統領の不正を徹底的に暴くと宣言し、昨日、元最高裁長官を委員長に任命して、真実究明委員会を設置したばかりの犬猿の間柄だ。 アキノ新大統領は「汚職なければ貧困なし」をスローガンに掲げて当選した。確かに汚職により政治の方向が曲がってしまい、国民の利益につながらない政治になってしまう、ということは多いにあるだろう。しかし、末端の公務員の汚職は、汚職というより、ちょっとした心づけという面も強く、彼らの生活の糧ともなっている。このような慣習を不正/悪として決め付け、ただひたすら潔癖症的に止めさせようとすると、かえって公務が機能不全に陥ってしまうかも知れない。なぜなら、末端の公務員は、充分に食べていけるだけの給与を国から支給されていないのだ。中には潔癖に一切の心づけも拒否する公務員もいるにはいるが、普通の人にこれを求めても無理な話だ。彼らとしても霞を食べて生きて行けるわけではない。日本の公務員のように、民間と比べて遜色のない給与があってこそ、汚職を悪として追放する基盤ができるのだ。そうでないと、全うな能力を持った人材はすべて民間に流れ、デモシカの役人ばかりになってしまうだろう

ノイノイ・アキノ新大統領の就任式 2010年7月1日


先日、PRAの友人であるロエル・ギリタンよりメールが入った。ロンドンで心臓の手術をしている姪の輸血ために1400ポンドの資金がいる。至急いくらでもいいから送金して欲しいというものだった。cc蘭にはこのメールが多数の人に送られていることが見て取れた。 私としては、先日、1ヶ月もの長期休暇を取ってカナダに旅行してきたばっかりのロエルに、たかだか1400ポンドのお金の融通が出来ないはずはないし、お 金の送り方も面倒くさそう、さらに2~3日前にPRAで彼に会ったばっかりなので、半信半疑で、とりあえずほっておいた。 そして次に入ったのが、次のメールだ。ロエルとは親交のある日本人退職者の方からだ。 “皆さん、お早うございます。お元気でお過ごしでしょうか。当地はやっと雨季に入り、一寸涼しくなりました。 ところで、日本では電話による「振込め詐欺」の被害が多く出ていることを知っていますが、Eメールでも「振込め詐欺」があることをお知らせしたいと思います。 昨朝、あるフィリピン人からEメールが届きました。メールのタイトルは「緊急なお願い」でした。彼は私がフィリピンの永住ビザ゛を取得する際にお世話に なった公務員で、その後、彼をイロイロの拙宅やタイの農園へ招待しりして親交を深めてきました。そのメールの内容は、彼の姪が心臓の手術をロンドンで受け なければならなくなったので、緊急にロンドンへ来た。しかし、輸血や手術の費用が莫大であるので、至急支援をお願いしたいというものでした。そして送金先 や受取人の名前(彼の名前)と住所も併記してあり、CC欄にはたくさんのアドレスが書かれており、それには私の別のアドレスも含まれていましたので、その メールを信頼し、なけなしのお金を近所にある指定の送金屋から送金すると同時に、送金したことをメールで彼に知らせました。 その直後、 彼から電話が掛かりました。彼は「私はロンドンにいない。マニラにいるよ。お金を送らないで!国家警察に事件を知らせる調書を出す。」というものでした。 彼は他の友人からの問合せで「振込め詐欺」に気付き、関係の友人に電話してきたのです。私は急いで送金屋へ行き、送金をキャンセルし、お金を払い戻しても らいましたが、送金手数料(800ペソ)の払い戻しはできませんでした。 […]

フィリピン版振込め詐欺にご注意 2010年6月30日



 6月23日、PRAの25回目の創立記念パーティに参加した。1985年マルコス政権下で誕生したPRAも立派な青年の年になった。さすが25回目の節目の年とあって、マニラ湾の埋立地に建つソフィテル。フィリピン・プラザという五つ星のホテルのボールルームを借り切って盛大に行なわれた。 レセプションはPRAの若手女子社員の担当だ。PRAの受付担当でおなじみのミネットやジェシーの顔もあった。左下はいつもお世話になっているバンク・オブ・コマースのジョセフとミネットのツーショット。  会場はボールルーム全室を借り切ったようで広大だった。会場いっぱいにテーブルが並べられ、ほぼ満席だ。しかし、このように席が固定されていると、参加者同士の交流がテーブルだけ限られてしまうのでどうかと思う。食事の方は前回と違い、会場の両側にビュッフェスタイルの食事が置かれ、ほとんど待つことなしに持ってくることができた。会場の外にも料理がおいてあって、お祭りに欠かせないレチョンもあった。この日は皆たらふく食べることができて満足の様子だった。しかし、ビールやワインは有料というのがまたPRAのせこいところだ。 催し物はバンドと学生の歌手が一人という寂しいものだった。ほとんどの時間はスピーチと20年勤続者の表彰、その他PRA関連の功労者の表彰、ラッフルなどが続いて盛り上がりを欠き、退屈して中途で帰る人が続出した。

PRA創立25周年記念パーティー 2010年6月25日


今年に入ってから、退職ビザを申請する方々の傾向に顕著な違いが出てきている。昨年はフィリピン人の妻を持ち、日本に見切りをつけて妻の国であるフィリピンで暮らそう、という方が目立ったが、本年度は下記の傾向が目立つ。 1. 昭和21~22年生まれの団塊の世代が、いよいよ動きだした。独身ないし単身で第二の人生をフィリピンでやってみようというのだ。奥さんは奥さんで好きに生きて、必ずしもご夫婦でフィリピンに住まおうとするわけでもない。 2.  30代あるいは40代の方で、ある程度の資産を持っている方たちが、夫婦、子供連れで移り住もうとしている。この方々は最低5万ドルを定期預金としなけ ればならないのだから、その年齢でそれだけの余裕の資金があるということだ。そして当然のことながら、フィリピンで何らかのビジネスを模索する。 3. 子育てをフィリピンで経験した駐在員の妻達が、亭主が日本へ帰国してもフィリピンに居残るケース 。   団塊の世代は、いつフィリピンにやって来るかと首を長くしていたところだ。3年前の60歳で動きだすかと思ったら、年金支払いの繰り延べの関係で、実質的 定年が63歳まで延長され、しばし顕著な動きがなかった。戦後の日本を担ってきた団塊の世代の老後の生活の選択肢は海外なのだ。  一方、若い資産家の方々は、日本の経済の先行きに不安を持ち、フィリピンに生活の拠点を移動することにより、自分達の資産ないし生活を防衛しようという考えのようだ。   確かに、小泉政権後の国政をつかさどる首相の在任期間は自民党、民主党合わせて、4人連続して1年に満たなかった。所詮、誰が首相になろうが閉塞された日 本の経済はどうしようもなく、いずれ破綻するのは目に見えている。極最近でもギリシャの国家財政の破綻により、ヨーロッパ中がパニックに陥ったように、国 家でさえ破綻する時代なのだ。アメリカがくしゃみをしたら、日本の経済は肺炎で入院してしまうだろうとさえ言われている。そのアメリカも黒人大統領オバマ […]

退職ビザ申請者の最近の傾向 2010年6月20日



どなたかが日本で亡くなった場合、ほとんどの場合、家族の方がいろいろ動いてことを運ぶ。しかしながら、独り身で滞在していることが多いフィリピンで は、誰か他人がことを運ばなければならないことも多々ある。その場合、多くのことが、家族の同意を必要とするから、なかなか難しい面がある。一方、例え家 族の方がフィリピンにやってきたとしても、なれない外国で色々ことを運ぶのは、言葉の問題もあいまって、大変難しい。  最近、家族の方がやってきた場合と、家族の方が誰も来られなかったケースについて、退職者の危篤に至ってから、死後までのお世話をする機会があったので、必要な手順や問題点、その対処法などをまとめてみた。 1. 危篤になったら   日本人が重病にかかるとフィリピンでももっとも高いとされるマカティ・メディカル・センターなどの一流病院に入院させられてしまう。その場合、治療費も含 めて毎日数万ペソの金がかかる。日本の健康保険は効くことは効くが、とりあえず立替払いをしなければならない。一方、当地の医療保険に入っていれば、 キャッシュレスのサービスもあるが、まだまだ普及していない。だから、まず入院させる前に財布の心配をしなければならない。ところがフィリピン人の多く は、日本人はお金持ちと思っているから、即座に一流病院に入れてしまう。あとから「あんな病院に入れたから、死んでしまった」などと家族から文句を言われ たくない、という思いもあるのだろう。  そのため、入院となったら、本人とともに周囲が初めに考えなければならないことは、どこまでの治 療あるいは手術をするかだ。その退職者の資産状況により、行なうべき治療の限界を見定めておかなければならない。そうでないと面倒を見た周囲の人が入院治 療費をかぶらなければならなくなってしまうことさえある。例え、家族の方が責任をとるとしても思いがけない負担になる。  フィリピンでは […]

退職者が死んでしまったら 2010年6月17日


 グリーンベルトといえば、高級店の並ぶマカティでも最もモダンな地区で有名だ。しゃれたレストランが建ち並ぶが値段も高級でちょっと気軽にお食事という わけには行かない。しかし、庭園に面していない裏側のレストランは、やはりしゃれてはいるが、値段がリーゾナブルな店が多い。 先日、ビ ザ発行待ちのご夫婦が、安い店を見つけたということで、招待されたのが中華料理の「グロリア・マリス」だ。超高級コンドミニアム、アヤラの「レジデンス・ グリーンベルト」あるいは「ニューワールド・ルネッサンス」側、エスペランサ通りにある「グロリア・マリス」は、かのジュピター通りの「ルートンマカオ」 と同等の値段で、安心して食事ができる本格的中華レストランだ。この日は、7人で、2600ペソ、一人当たり、400ペソに至らなかった。 先日、PRAのビザ発行部門の部長だったフィリップさんが日本に2年間留学するということなので、壮行会と私の相棒の赤ちゃんの顔見世を兼ねて食事を共 にした。日本語を特訓中のフィリップさんは片言の日本語で話しかけるが、まだまだ実用には程遠い。7月には広島に向けて出発するそうだが、頑張ってくださ い。 赤ちゃんの「キアン」はまだ2ヶ月ちょっとというのに髪はふさふさで、かなり大型のベイビーだ。外に出かけると全然泣かないで、終始ご機嫌だ。  エスペランサ通り沿いには有名な日本料理店「杉」が「グロリア・マリス」のすぐ近くにある。「杉」は本格的な日本料理だが、客はほとんどフィリピン人で いつも席待ちの人がいるぐらい繁昌している。値段は決して安くはなく、マカティ・スクエア近辺の日本料理店よりも高いくらいだ。 「グロリア・マリス」の両隣はインド料理の「ニューボンバイ」とステーキハウスの「テンダー・ボッブス」で表のメニューを見る限り、なかなかリーゾナブルな値段だ。こんど試してみたいと思う。  表に出ているメニュー(グロリア・マリスとテンダー・ボッブス)は細かくて見づらいが、クリックして拡大してみると、それぞれの料理の値段が 200~300ペソでとても安いことがわかると思う。グリーンベルトの庭園を散策した後、食事はちょっと裏に回って食べるのが高級感を安く楽しむコツのよ […]

格安中華料理店「グロリアマリス」の紹介 2010年6月16日