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パソンタモ通り、マカティスクエアに近いクリークサイドにあるのが居酒屋「満月」だ。そこのユニークな和食は以前にも紹介したが、今回再訪したのでそのユニークな料理を再び紹介したい。  魚のフライやカツどん、サラダやチャーハンなど単純な料理でも、ここでは、その料理がどんな器に、どう盛り付けられてくるのか、楽しみだ。そして写真を撮られずにはいられない。それにしても料理ごとに器が違い、一体どれだけの器を日本から持ってきたのか、器だけでも数百万円では追いつかないだろうと余計なことを考えてしまう。   ところでこの日は5人で10皿注文し、それに飲み物を加えて、5000ペソ弱。私にはちょっと高いが、この日案内したゲストは安い安いと大満足。フィリピンでもこんなしゃれた料理を出すところがあるもんだと感心していたが、案内した甲斐があったというものだ。ところで、この日のゲストは、以前日本人の経営するステーキハウスに行って、確かにおいしいかったものの、3人で1万ペソを超える請求書にびっくりしたとのこと。しかも同席したフィリピン人にはあまり感謝してもらえず、ここのほうがはるかに満足度は高かった様子。  

居酒屋「満月」の紹介(その2)2010年9月12日


退職者の方一名を同伴して久しぶりにタバコの農場に帰った。今年は春と初夏に2回日本に出張するなど多忙で、半年振りの3泊4日の帰郷となった。今回は天候に恵まれ、4日間ともマヨン火山を存分に楽しむことが出来て、退職者の方にとっては大変ラッキーな訪問となった。 マニラーレガスピの空の旅は数え切れないほどだが、今回は出発早々、タガイタイのタアル湖があざやかに眺めることができた。タアル湖のむこうに見えるのはミンドロ島だ。  この日はついうっかりして、席の指定を忘れて右側の窓側に座ってしまった。マニラから向うとマヨンは左側に見えるのにだ。後悔したもののそれが返って幸 いした。飛行機はレガスピ空港を大きく迂回して、マニラとは逆に向きに着陸したのだ。この日はマヨン火山の雄大な姿を惜しげなく見せていた。こんなことは せいぜい5回に一回と退職者の方のラッキーをうらやむ。  レガスピ空港に到着後もマヨンは姿を見せていた。丁度ヘリコプターが飛び立つところで、乗ってきたセブパシフィックの飛行機と一緒にカメラに収めることが出来た。 前々回帰郷したとき噴火の様子を見ようと登ってみたリニョンヒル展望台に再度行って見ると、そこには溶岩流などはっきりとマヨン火山の全貌が手に取るように見えた。また反対側のレガスピ市も眼下に広がっていた。 下の写真は離陸直後のセブパシフィックの飛行機。連続写真を撮ろうと試みて、連写のモードに設定したが、一枚目の写真以降、一向にシャッターがおりない。 安物カメラの悲哀で、連写と言ってもシャッター感覚が1秒近くあって使い物にならないのだ。手押しでやったほうが何ぼかましだった。  レガスピ空港からタバコ市に向う国道ではフィエスタのパレードに遭遇した。可愛らしい小学生の子供達が そろいの衣装をつけて踊りながら行列している姿はフィエスタならではの風景だ。  農場は大きな変化は無いものの、やりすぎではないかと思うくらいすずなりの実をつけたパパイヤ、かなり大き目のテラピア、テラピアの池で泳ぐアヒル、それに七面鳥やガチョウなど農場ならではの風景だ。       翌日、マヨン火山の展望台に上ってみると、相変わらずの雄大な景色を満喫することが出来た。写真中央の赤い屋根の家が我が農場だ。  展望台付近では平地では見られないミントの花が咲いている。右の写真はようやく実をつけた農場のランブータンの木だ(赤いひげがたくさんある果物で実は白い)。 […]

久しぶりの農場はマヨン火山が見放題(その1)2010年9月12日



3日目のマヨン火山は少々雲に隠れていたが、これも風情がある。この日の午前中は農場の裏手2時間半もかけて散歩して、ばててしまった。 アバカ=マニラ麻は、当地の名産として有名だが、それが何であるか知る人は少ない。私もその木を区別することがなかなかできない。なぜならば、アバカの木とは麻とは縁もゆかりも無いバナナの一種なのだ。すなわち左の写真がアバカの木で、右が幹から取れる繊維を干しているところだ。これから例のハンドバッグなどの手工芸品が出来るのだ。 道路はマヨン火山に向って緩い上り坂なのだがコンクリートで舗装され、最近はモーターバイクで移動する人が多い。そのため、道端にはバイク用のガススタンド(写真右)がところどころにある。といってもガソリンをコーラのビンに入れておいてあるだけだが。また、一方ではカラバオを引いたり乗ったりして歩いている人もいるが、ここにも近代化の波が押し寄せているようだ。  5kmほども歩いただろうか、マヨン火山が間近に見える。道路の真正面に見える小さな教会が道路の終点だったが、現在その先も舗装工事中だ。徒歩ではこの辺が体力の限界なので、次回は車で来て、もっと先まで行ってみよう。まだまだ山の麓までの半分ぐらいしか来ていないはずだ。 農場に戻ってジャングルのような風景を発見した。つる性の植物の根が垂れ下がっていかにも、熱帯という風情を醸し出している。一方、大きなバナナがすでに皮が割れているので早速収穫した。2~3日も置いておくと熟して柔らかくなって食べごろになる。  この日の午後は、退職者の方を闘鶏に案内した。相変わらず人々はメロン、ワラと、どちらが勝つか大声で賭けをしている。また、それに絡んで、私の相棒の叔父さんが経営する養鶏場にも案内した。300羽近い闘鶏を飼育しているが、一羽5000ペソ以上、つがいで1万ぺをもするそうだ。また、アメリカから輸入した5万ペソという闘鶏を見せてもらったが、一回勝負して負けたら死んでしまうのだから、いかにもバカバカしい。  闘鶏の後はタバコ市中心街のマーケットに寄った。そこでは市営のマーケットがいよいよ完成し、路上から野菜や果物、肉や魚を売る店が一掃されてしまっていた。皆きれいなビルの中に納められて、いかにも窮屈さそうだ。私は前のままのマーケットの方がはるかに好きだ。また、訪れたのは午後だったので、買い物客はほとんどおらず、魚などの生鮮食品は置いてなくて、閑散としていた。マーケットの片隅には商品を置いて売る人々、持ち物はバケツ一つと傘だけで、警官が来たらさっさと逃げ出せるようにしているのだろう。    

久しぶりの農場はマヨン火山が見放題 (その2)2010年9月12日


 今回は滞在が短いので島へ船で行くのは次回ということにした。しかし退職者の方が海が見たいというので、サントドミンゴから本島とカグラライ島との間にある海峡に向かった。途中、サントドミンゴのリゾートエリアからはマヨン火山の見事な裾野を臨むことが出来た。 途中で見かけたのがソーラーパネルで発電する街灯だ。こんな田舎では電線も無いだろうから、据付さえすれば終わりのこのような街灯はなかなかの名案だ。しかし、こんなへんぴな場所に果たして街灯など必要なのか、疑問は残る。   以前から本島とカガラライ島を結ぶ橋の計画はあった。しかし、今回それが本当(あるいは本気)であることを感じた。橋脚の建設はなぜかはかどっていない が、橋梁本体の材料はすでに現場に運び込まれ組み立てを待つばかりなのだ。建設省のたて看板によると、2011年6月に完成することになっているこれが出 来上がったとしたら、カガラライ島に開発中のMISIBISIリゾートはブームを起すかもしれない。  この日も夕方まで姿を見せ続けたマヨンを背景に子供達の記念撮影。 いよいよ到着から4日目の最終日を迎えた。マヨン火山は奇跡的といえるほどご機嫌がよろしいようだ。この日は出かけないで、サルやブタさんなどの農場の住民に挨拶をして回った。       錦鯉の池、水不足で噴水を設置した。右のキャッサバは収穫の時期だ。         カモテ(サツマイモ)畑とカラマンシーの木。 ピーナッツと唐辛子(まだ青いので見にくいが)。これが強烈に辛くて、ためしに一噛みしたら、口の中が火事になった。退職者の方は4噛みもしたので、大火事だ。早速カラマンシー・ジュースで事なきを得た。    昼過ぎの飛行機では今度はちゃんと右側の窓際の席を取って、マヨン火山にお別れを告げた。

久しぶりの農場はマヨン火山が見放題 (その3)2010年9月12日



 8月30日と31日、「文芸春秋」に掲載予定の介護に関する特集記事のためにフィリピン取材に訪れた橘さんご夫妻の案内をした。もともと介護施設などほ とんど必要としないお国柄だから、案内すべき施設がほとんど無い。しかも日系の介護施設はすでに取材済みなので、家庭での介護を中心に案内することにし た。  またPRAの紹介で「Wellness Place」という施設を見学したが、これは介護施設というよりも普通の住宅に数名ずつ介護の必要なお年寄りを収容し、原則として、入居者対介護士(ある いはヘルパー)の比率を1対1で面倒を見ている、いわばグループホーム的施設だ。  「アモーレの里」の立ち上げに関わり(現在未開業)、現在新規に介護施設を計画している岸田さんに面会した。岸田さんに連れて行かれたのがサンタ・ロサ の「竜馬レストラン」だ。流行の坂本竜馬の名をとったのだろうが、和洋折衷のインテリア、同じく和洋折衷の衣装を着けた大勢のウエイトレスなど、なんとも 形容のしがたい、ユニークなレストランだった。 岸田さんと別れて次に向ったのが、パラニャケ、BFホームズのイリジウム住宅。野呂さんが経営するタウンハウス方式の住宅街で200戸以上を完売し、今、最終の2棟を売り出している。野呂さんはこれが終わったら、引退して悠々自適の生活をするといっている。ここでオーナーのお一人が脳梗塞で倒れ、意識の無 いまま住み込みの看護婦の面倒を見てもらっている。すでに1年以上この状態だというが、看護士やヘルパーは、この方を親しみをこめて「おじいさん」と呼ん で献身的な介護を続けているとのこと。いつまでこの状態が続くのかわからないが、二人の介護人を専属で雇い、自宅で面倒を見てもらうという贅沢ができるの もフィリピンならではだろう。まさに個々のお年寄り専用の介護施設が自前で実現してしまっているのだ。   「Wellness […]

文芸春秋の取材 2010年9月1日


        グリーン・ヒルのショッピング・センターが過激に完全復活を果たした。もしかしたらと思って、2週間ぶりにグリーン・ヒルを訪問してみたら、見事に元通 りどころか、もっと店が増えていたのだ。完全復活を果たしたその辺のいきさつは知らないが、まずはめでたいことだ。相棒が、「何日かすれば元に戻るわよ」 と言ってたが、あれだけ完全に消えてしまったものが、まさか元に戻るとは思わなかった。まさに奇跡の復活だ。 特に時計売り場は以前の数倍に増えていた。バッグを売っていた店が時計も取り扱い始めたのだ。これだけのロレックスや他のブランドの時計の時価総額はいく らになるのだろう。この小さなショーケースに大きなロレックス専門店の一軒分の商品はあるだろう。ショーケースの前には「レプリカ」という表示があり、コ ピーであることを示すことで、当局との折り合いがついたようだ。  衣類売り場も以前より充実しているようだ。バンコック・ドレス3着で1000ペソなどユニークな売り方をする店もあり、なかなか楽しめる買い物の穴場だ。ただ、デビソリアやバクラランよりも多少高めだが、冷房の利いたモールの中にあるので家賃も高いのだろう。 2階の携帯電話の売り場も盛況だ。無数ともいえる数の店がひしめき合う。はやりのアップルやサムソンのスマートフォンの中古品を格安で売っている。なんで これだけのI フォンの中古品が出回るのか不思議だ。にせものもあるようだから注意が必要だ。ここでは日本から持って来た携帯もあっという間にローカル仕様の携帯に作り 変えてくれる。すなわち、新しいシムに入れ替えてスマートやグローブのプリペイド・カードで使えるようになってしまうのだ。 真珠のネックレス等を売る百軒以上の装飾店も健在だが客足は今一だ。そして事件は客でごった返すバッグ売り場の横で起こった。  写真を撮るに夢中になっている間に、なんとこの私がスリに会い、財布をポシェットから抜かれてしまったのだ。幸い伸縮自在の携帯ストラップにつないでおい たカメラや携帯、鍵などは無事だったが、現金、キャッシュカード(円とペソ)、名刺入れ等が取られてしまった。銀行残高といっても数万円で、現金も2千ペ […]

グリーン・ヒルが復活(ただし、スリにご用心) 2010年8月29日



ここのところ毎日のようにデング熱流行に関する記事が流れている。8月14日までに感染者は全国で5万人を突破したそうだ。  蚊が媒体する病気としてはマラリヤが有名だが、これはジャングルに限られ、都会で感染することはなく、話題になることも無い。一方のデング熱はここ10年くらいの間に多くの人が感染するようになった。こっちは熱帯しま蚊が媒体し、都会で繁殖し、しかも昼間に活動するという厄介な蚊だ。政府や大使館も、蚊が生息できる環境、すなわちプールや池、古タイヤや缶などの水たまりを消毒あるいはなくすこと、など原始的な方法が有効と奨励している。  デング熱にかかると、高熱、頭痛、関節痛、筋肉痛さらに吐き気、血圧の上昇と低下などマラリヤ以上の苦しみで、死亡する場合もある。回復には数週間要するが、体験者によると死ぬほどの苦しみだという。現状ではデング熱に対する予防ワクチンもなく、蚊に刺されないことが唯一の予防法だそうだ。幸いにも人から人への感染はしないので、劇的な感染の広がりはありえない。  昨夜、私の部屋のコンセントにおかしなものが装着されていた。相棒のはからいで電気蚊取り器をセットしたようだ。少し、変なにおいがしたが、この時期、我慢するしかない。  

デング熱が大流行 2010年8月26日


アンヘレス・シティの花街で働く女性の総数は2万5千人に達すると、スービックでポコアポコ・コンドテルを経営するWさんが話していた。アンヘレスの フィールド・アベニューのクラブの数は約100軒、一軒当たり平均100人の女性が働いていたとしても、1万人にしかならない。一体他の女性はどこにいる のだろう、ウエイトレスも含めた人数だろうか、などと独り言は続く。さらにWさんによると、アンヘレスはアジアではバンコックの次ぐ規模の歓楽街だそう だ。でもその集中度はバンコックに勝るのではなかろうかというのが、当方の印象だ。 一昨年、Nさんの経営するフレンドシップクラブの開所式に招待されて以来、なにかと縁が続き、毎月のように訪れているアンヘレスだが、この日の退職者の案内では、スービック訪問を早めに切り上げ、夜はアンヘレス、フィールド・アベニュー探索というスケジュールとした。    最近は大型店が隆盛で、従来の小さな店には客足が遠のいている。大型店の代表が「アトランティス」、「ドルハウス」、老舗の「ブルーナイル」最近オープン した「紫禁城」、さらにマッカーサー通りの近くには幾つもの大型店が新規オープンしている。一方、小型店として頑張っているのが24時間営業の「ブー ドー」だ(ちょっと目立たないがアトランティスからマッカーサー通りに向って100mほど進んで右側の店)。 まず初めは、9時と10時半にやるショーが見ものの「アトランティス」探訪。最近は細長い風船を舞台と客席でやり取りするのがおもしろい。また、来るたび にショーの出し物が違う。店の普通の子達が毎回これだけのショーを見せるのだからたいしたものだ。ちなみにここには300人の女性が働いているそうだ。       さて、次に案内したのが、小型店の代表「ブードー、VOODOO」、昼間でも比較的多くの客がいる人気店だ。そこに入った途端、びっくり仰天、なじみの子が1年ぶりに戻っていたのだ。うわさではフィリピーノ・ボーイフレンドの子を宿して辞めたはずだったのに。   早速呼んで身の上話を聞いてみた。「19歳の誕生日に酔っ払って寝てしまい、目が覚めたら下半身が痛いので変に思ったが、従兄弟に聞いて、自分がレイプさ […]

あるフィリピーナの悲劇(アンヘレス編)2010年8月23日



100円ショップのダイソー(サイゼン)2号店が、なんと最近出来たアンヘレスのマーキー・モールにオープンしている。さらに3号店はクバオのアリモールにオープンした。ちなみに1号店はオルティガスのロビンソン・ガラリヤに昨年オープンしている。 マニラに在住する日本人の半数以上がマカティに在住するため、マカティでの開店が切望されるのだが、どういうわけかマカティにオープンしてくれない。それ はマカティにはロビンソン・デパートが無いから、ロビンソンと提携しているダイソーはマカティに店を出すことができないのだろうか。あるいはダイソーとし ては地元の人間をマーケットとしていて、そこに住む日本人は眼中に無いのかもしれない。しかし、日本人にとってはなじみの日用品が目白押しで、欲しいもの がたくさんあってなんとも口惜しい。なにしろ手軽に買えなければならない日用品なのだから、オルティガスまでタクシーで行って買い求めるのも億劫だ。 アンヘレスにはクラークの入り口近くに大型のSMが出店している。ロビンソンはSMのむこうをはって、NLEX(高速道路)のアンヘレス出口にマーキー・ モールを建設した。そこにサイゼンがあるのだが、この日は土曜だというのに人影はまばらで、10年先をにらんでの出店とにらんだ。 ここのサイゼンはオルティガスよりは小型だが、やはり、まさに日本のダイソーにいるかと錯覚させるような品揃えだ。現地調達のものは何もなくて、すべて日 本から持ってきたものを85ペソ均一で売っている。商品の説明もすべて日本語だから、とてもわかりやすい(もっともフィリピン人には困るだろうが)。 しかし、ここも人影はまばらで、ほとんど我々しかいない。一体全体採算というものを考えているのか、心配になってくる。また、ネクタイがたくさん並んでい たが、フィリピン人はめったにネクタイをしない。正装もバロンタガログでネクタイはない。マカティで気取ったサラリーマンがやっているくらいだ。徳利も並 んでいたが、この使い方がわかるフィリピン人が何人いるだろう。 サイゼンとは関係ないが、HAIMAというブランドの車が陳列されていた。小さめのワンボックスカーで459000ペソ、100万円を切る値段だ。ちょっと変った内装デザインだが、慣れれば充分乗れそうだ。同行した通の 話によると、これはインド製で低価格車を世に出すということで話題の会社だそうだ。そういえばテレビでやっていた。フィリピンでは相変わらず日本製の車 (現地組み立て車)が圧倒的だが、韓国勢が破竹の勢いで伸びている。そして最近は中国製も見かける。そしていよいよインド製の車の登場だ。一体フィリピン […]

100円ショップ・ダイソー(サイゼン)2号店の紹介 2010年8月16日


パサイ・シティのバクラランと云えば、庶民の買い物どころで有名だ。また、オルティガスの先にあるグリーンヒルも穴場中の穴場としていつも人でごった返している。その両方が姿を消してしまったのだ。  バクラランはバクララン教会の脇の通りからLRTのバクララン駅まで道路いっぱいに衣類や靴・鞄を売る屋台が軒を連ねており、信じられない値段で売っていた。コピーブランド商品もごちゃ混ぜになっていた。  それが最近、訪問してみたら、きれいさっぱりなくなっていた。この道路がこんなに広かったんだとあらためて認識したくらいだ。それでも生活の糧を奪われた人たちが屋台の代わりに商品を担いで、いつでも逃げられるようにしている。警察が来るとあわてて路地に逃げ込んでいた。庶民のしたたかさを感じるが、哀れにもなる。何も彼らは警察に追われるような悪いことをしているわけでもなく、ただ必死に生きようとしているだけなのだ。  LRTの高架下の屋台も固定の屋根や屋台は撤去され、車輪のついた移動式の屋台が出ている。これもいつでも移動して逃げられるようにしているのだろう。バクラランはこれら屋台だけではなくて、道の両側のビルの中には一坪程度の店が数千軒がひしめく問屋街だ。だから街の機能は変わりなく、平日でも多くの人が買い物をしている。しかし、何かバクラランらしさをなくしてしまって、面白みが無い。 一方、グリーンヒルは元々ビルの中に一坪ショップがひしめいて、バッグ、衣類、時計、携帯などのコピーブランドや装飾品・民芸品・パソコンなどを売っていたのだが、本物(装飾品、民芸品、パソコンなど)を売る店を除いてすべて一掃されてしまったのだ。 こちらは徹底していて、バクラランのようにこそこそと商品を担いで売っている人もいない。なんともはや寂しい限りだ。ここでの商売を糧として生きていた人はどうしているのだろう。あの山のような商品はどこへ行ってしまったのだろう。  ここでコピー商品を買い求める人々が、それがなくなったからといって、本物のルイビトンやシャネルのバッグを買うはずも無い。アキノ新政権は一体庶民の味方なのだろうか。大手ブランドの利益にも寄与するはずもないコピーブランドの一掃を行い、多くの庶民の生活の糧を奪い、さらに庶民の買い物の楽しみを奪うという、なんとも意味のないパーフォーマンスだ。  私の相棒のジェーンは、「すぐに元に戻るわよ」と気楽なことを云ってたが、私としても「ショッピングの穴場」として、ご家族を案内したのに、面目が丸つぶれだった。          唯一もとのグリーンヒルらしさを保っていたのが、装飾品売り場だ。数百軒もあろうかというショップは格安の真珠を中心とする装飾品を売っている。モスリム (回教徒)が多いが、このモスリム姉妹の写真を撮るために、1000ペソの大枚をはたいてネックレスを買うはめになってしまった。同行した8歳のお嬢さんにお母さんがことのいきさつを説明していたが、理解できなかったらしい。男心を知るにはもうちょっと時間がかかりそうだ。

また一つマニラ名物の灯が消えた(その4)2010年8月15日