shiga


友人から、国鉄の駅に人が溢れているとの情報をもらって、取材に出かけてきた。ここ1~2年で線路周辺のスコーターが撤去され、確かに整備事業は進んでいるものの、何せ車両は1世紀は立っていようかというぼろ車で、沿線のスコーーターの住民の出すごみ収集車の役割しか果たせなかった代物だ。  ところが、韓国の援助で国鉄が近代化されたというニュースが昨年7月15日に報道された。しかし、たったの3両編成の列車2基でデビソリアのトトバン駅とビクータン駅と間、18kmをと1日、たったの2往復するだけで、何の役に立つのかと、このブログでこき下ろした。  ところがその国鉄が確かに全うな鉄道の体をなしているのだ。ブエンディア駅に行って見ると、駅もきれいに改修され、通勤通学の人々がたくさん列車を待っている。そこに颯爽と入ってきたのは件の韓国製の列車だ。 駅で待っている人に話を聞いてみると、朝夕のピーク時には30分間隔で運転され、車内は冷房が効いて快適だそうだ。運転区間はトトバン駅からメトロマニラのはずれのアラバンまで延長され、マニラ通勤圏を網羅ているとのこと。列車は3両編成だが数は大分増えたようだ。 ちなみ、この国鉄はビコール地方、レガスピまで、約500km通じていたのだが、4年前の台風レミンによりほとんどの鉄道橋が破壊され、ラグナ以降は普通となっている。当時、アロヨ大統領は2009年内にレガスピまで開通すると豪語していたが、そんなニュースはいまだ聞いていない。レガスピ付近の線路も見ても草や土砂で埋もれたままだ。例え開通しても昔のように24時間もかかっていたのでは誰も利用しないだろう(ちなみにバスなら10時間で行けるところだ)。韓国からのODA資金5千万ドル(40億円)を投じて整備しているそうだが、メトロマニラ圏内の通勤列車として機能させるのがやっとでは、ODA投資金の返済など覚束ないのではなかろうか。  左下の写真がエドサを走る環状線のMRT、右がマニラを横断するLRT2だが、乗車賃が15ペソ程度と低めに設定され、朝夕のラッシュ時にはあれほど混んでいるのに万年赤字だそうだ。メトロマニラの地獄の渋滞を解消する唯一の切り札なのだから、運転列車数を増やすなり、早急な整備を期待したい。    

国鉄(PNR)の復活 2010年10月25日


オルティガスのシャングリラ・モールのKIMONO-KENという日本食レストランで食事をした。マニラには 東京・東京、来来軒、テリヤキボーイ-太った少年、KITAROなどのフィリピン人向け和食チェーンが存在するが、我々日本人にはちょっといただけない和食もどきレストランだ。しかし、このKIMONO-KENはちょっと一味違うというので試してみた。       KIMONO-KENは他のファストフードとは違って高級感が溢れ客層もよさそうだ。一食が200~300ペソと、マカティ・スクエアのMARUCHANあたりと比べてもそん色ない価格だが、こんなところで食事する中間層が増えた証拠だ。 メニューとしてはありきたりの和食だが、たしかに違和感が無い日本食だ。日本人が食事をする本格的和食レストランと違い、イカの塩辛、しらす干し、枝 豆...などの一品料理は無いが、刺身、すし、天ぷら、...など、一通りの日本食は揃っている。スし握りと白身魚のフライを試したが、少なくとも和食もどきではない。日本で言えばファミリーレストラン並みといえるだろう。フィリピン人が好むようなメニューをそろえているが、日本人をターゲットとしたレストランと比べて味の違いは区別できないだろう。なまじフィリピン人好みの甘い味付けにしていないのに救われる。  ここシャングリラ・モールの地下にはおでんのコーナーがあった。さらに入り口近くには東京東京レストランがあった。東京東京レストランは、今もっとも元気が良い和食チェーンだ。KIMONO-KENはマニラで7軒あるそうだが、オルティガスのシャングリラ・モール以外はモール・オブ・エイシア、SMノース・ エドサ、ロックウエルなどに店を構えているそうだ。  

和食チェーン着物軒(KIMONO-KEN)の紹介 2010年10月25日



世界で一番長いクリスマスを楽しむといわれているフィリピンでは、10月に入るとすでにクリスマスの準備が始まる。毎年地味になるクリスマスだが、クリスチャンのフィリピン人にとってはクリスマスなくして年をこすわけにはいかない。下の写真は、マカティのアヤラアベニューで11月7日に撮ったもの。マカティの中心、アヤラ・アベニュー、マカティ・アベニュー、パセオ・デ・ロハスがかざられている。 10月に入ると、サウス・スーパー・ハイウエイ(オスメニア通り)とブエンディア通りの交差点近くにはパロル(クリスマス・ランタン)を売る多くの店が開かれる。しかし、今年はほとんど店が見当たらず、1本南側の通り、デラ・コスタの通りに10軒ほど店が開いているだけだ。今年から出店にはメイヤーズ・パーミット(営業許可)が必要となり、税金が高く、店を開いても稼ぎにならないから、店が少ないとのこと。ここでも新行政の庶民いじめがあるようだ。    パロルは決して安いものではない。30cmの小さいもので2000ペソ、70cmで3000ペソ近くする。だから庶民はシーズンがおわると大事にとっておいて、来年もまた使う。また、毎年同じ大型のパロルを飾っているビルもある。  クリスマスに欠かせないもう一つの飾りがクリスマスツリーだ。デパートやナショナルブックストアでは所狭しと飾り付けの材料を並べ、クリスマス気分をあおっている。

フィリピンはクリスマス・シーズンに突入 2010年10月25日


退職者の方、お二人をメトロマニラの観光に案内した。観光コースは少し欲張って、イントラムロス、キアポ、チャイナタウン、グリーンヒル、ボニファシオ・グローバルシティ、アメリカンセメタリー、そしてモールオブエイシアと駆け足で回った。 イントラムロスにある世界遺産のサン・アガスティン・チャーチは相変わらず貫禄を示しており、その横のスペイン住居のカーサ・マニラも興味深い。しかし、 この日はまだ早すぎて開場していないというので、近所を散策してみた。そこで遭遇したのが、フィリピン名物のスコーター(スラム)だ。 何故、世界遺産を有する観光名所イントラムロスのど真ん中にこんなスコーターがあるのか、極めて理解に苦しむ。最近、ケソンのSMノース・アベニュー近辺 のスコーターが取り壊された際、住民の抗議で大騒ぎになっていたがここのスコーターの撤去には誰も文句は無いと思う。      無邪気に遊ぶ子供達には罪は無いが、マニラで唯一ともいえる観光の名所、世界中の人が集まるイントラムロスでスコーターはないだろう。先日のバスジャック でも醜態をさらしたばかりのリム・マニラ市長は何をやっているのだろう。名物のベイ・ウオークを撤去し、さらに今日の新聞によると露天商の排除徹底を指示 したそうだ。庶民の生活の糧を奪い、マニラの名物をなくして、何を考えているのか。マニラの浄化作戦というが、庶民的なおもしろいものをなくして、まさに フィリピンの恥部ともいえるスコーターをこの歴史地区に残しておくなんて、なんとも解せないところだ。  同じくイントラムロスにあるフォーとサンチャゴに足を向けた。ここの堀には見事に蓮の花が咲き誇っていた。タバコの農場でも是非、蓮の花を咲かせたいと思っている。  パシッグリバーをわたるとそこはもうチャイナタウンだ。今ではマカティにとって代わられたが、戦前はビジネスの中心で日本の商社や船会社の事務所もここに あった。その近傍にあるのが庶民の信仰を集めるキアポ教会だ。その周辺はリム市長の取締りのターゲットになっている露天商が軒を連ねる。マニラ観光のもう 一つの顔だ。教会の周りは幼いキリスト像のロザリオを売る店が並ぶ。 […]

イントラムロスにもスコーターが 2010年10月21日



アキノ大統領の就任に伴い、PRAのGMが交代した。新GMのVeredigno P. Atienza氏はビジネスマンだそうで、アロヨ大統領時代に任命されたゼネラル・アグリパイ会長、ゼネラル・リンガットGM代行など国家警察OBの旧マネージメントとはちょっと雰囲気が違うようだ。PRAのミーティング・ルームでは連日PRAの幹部を集めてミーティングを行い、PRAの現状についての状況把握に余念がなかった。  先日、退職者のビザのお世話をするマーケッターの会合では、マーケッターのPRAに対する不平不満に耳を貸し、PRAのスタッフには耳の痛い話が続出したそうだ。お役所の感覚が抜けないPRA幹部は顔色無しだったそうだ。今後、彼の指導に基づいてPRAの大いなる改善が期待されるところだ。  そんな折、退職者の案内でPRAを訪れた際、PRAのスタッフに声をかけられて、GMに紹介された。GMは私のことをテレビを見て知っていたそうで、気さくな一面を見せてくれた。そうなると私としてもブログで是非、彼を紹介しようと、この日はGMの秘書に写真を撮らせて欲しいと申し入れた  しばらくGMと雑談をしていると、マーケット担当のノエル・バオティスタ部長とスカーレットが参加して、近々、日本で開催される「ロングステイ&移住フェア」と今後の日本におけるマーケットのあり方について話が及んだ。「ロングスティ&移住フェア」への参加については時間が足りないので、現在日本に留学中の元PRA・RRSC部長のフィリップ・モレノ氏を派遣することになり、観光省並びに当方と協力してSRRVを売り込むこととした。  日本のマーケットにおいては、日本の介護老人の悲惨な状況に話が及んだ。生活保護を受けている介護老人をフィリピンなら日本の役所の手当ての範囲で充分な介護を提供できるという現実だ。これを実現するには国対国の話し合いと色々な仕組みが必要で、簡単に実現できることではない。GMからはどこかの市と話し合って、例え10人でもいいから、テスト・ケースで実行したらどうか、そのプロジェクトから多くのことが学べるであろう、という極めて現実的な話がでた。その辺を詰めるためには日本側で動ける人が必要だが、当方が留学中のフィリップ氏のテーマとしてはどうかと提案したが、GMはそのアイデアにかなり乗り気のようだった。  ところで、新GMは実にビジネスがわかっていて、役所的感覚が抜けないPRA幹部はおろおろするばかり、一方当方にとっては実に話のわかる人で、多いに期待が持てる。しかしながら、申請者をお世話するマーケッターにとっては、新GM率いるPRAがマーケッターからアイデアを吸収し、それを自ら実行することにより、マーケッターの居場所がなくなってしまうのではないかという懸念と警戒心が生じている。そうなると痛し痒しで、PRAが改善され多いにSRRV申請者が増えるとともに、それによりマーケッターも潤うようなウイン・ウインの状況が構築されることを願う。  

PRAのGMが交代 2010年10月21日


2年ほど前にマカティのコマーシャルエリア、グロリエッタで爆発事件が発生し、無差別殺人のテロかと大騒ぎされたが、結局地下室に充満したガスが爆発したという結論になった。同じグロリエッタでもこの付近は古く建設され、近代的なモールに比べて見劣りのする地区だった。その後、この一体は閉鎖されたまま月日が過ぎ、一体何をしているのかと気になっていた。 最近、ドーシットホテル前の駐車場ビルに上がってみて、初めてその全容がわかった。この付近の建築物はすべて取り壊して、全く新規に作り直しているのだ。もともとジープニー・ステーションだったランドマーク・デパートの西側一帯とアンソン・デパートがあった地区とあわせて広大なエリアが再開発中だったのだ。 まさかマカティ・コマーシャル・エリアの半分近くもあろうかと思われる区域が一気に再開発されるとは思っても見なかった。さすがアラヤのやることは桁が違う。一方グロリエッタの内部は壁で二つに仕切られ、壁には、「The new Glorietta will be worth the wait」と壁にかかれ、近未来に最も近代的なモールが出現することを予告している。 開発区域の西のはずれに建設中の建物はホテルとコンドミニアムの複合ビルで、この一等地に建設される超高級住居といえる。まさに建設ラッシュの天王山だ。        マカティそしてメトロマニラはまさに建設ラッシュににぎわっているが、マカティの中心までこれほどの大規模な建設が行なわれているとは思わなかった。しかしながら、フィリピンのこれほどまでの活力はどこから生まれてくるのだろうか。果たして今の日本にこれほどまでエネルギーは存在するのだろうか。  

マカティ、グロリエッタの再開発 2010年10月18日



 マカティのど真ん中、アヤラ・アベニューとマカティ・アベニューの交差点にそびえるのがシャングリラ・ホテルだ。そのシャングリラ・ホテルが 最近ペイントの塗り替えをして新しくなった。1990年初頭に建設されて以来、2回目の化粧の直しで、ほぼ10年毎の塗りかえになる。写真ではちょっとわ かりにくいが左側の側面はまだペイントされておらず、従来の白茶けた色のままだ。 アヤラ・アベニューを東に行くと、インター・コンティネンタル・ホテルがある(左写真)。これも最近白色に塗り替えられてきれいになった。マカティのコ マーシャル・センターを挟んでエドサ通りとパサイ通りの交差点にあるのがドーシット・ホテルだが(右写真)、ここも最近塗り替え工事を行なって、従来の白 から薄い茶色から上に向って白色と変化するグラデーション模様になっている。ドーシット・ホテルといえば以前は日本航空の資本がはいっており、ホテル・ ニッコー・マニラ・ガーデンという日本人に人気のホテルだったが、現在はタイのドーシット・タニ・ホテルの系列になっている。  フィリピンではホテル、コンドミニアムなど居住用のビルの外壁は、ほとんどがペイントで、タイル仕様はほとんどない。原因はよくわからないが、確かにペイ ントの方が建設費は安いが、10年ごとくらいに塗りなおさないと外観が著しく汚らしくなる。タイルであれは汚れがつきにくく、ほとんどメンテが不要で、し かも豪華な感じがするので、日本ではほとんどがタイル仕様だ。左の写真は完成間近いパソンタモ・マカティ・スクエアのビーコンだが、これもペイント仕様 だ。確かにペイントであれば色を替えてイメージチェンジを計ることもできる。しかし、パスコの事務所に近いこのビルはちょっといかがなものかと思う。         マニラの下町に行くと、メンテがされて無いビルがほとんどで、街並みがとても汚い。もともとの色はどこかへいってしまって、ほとんどが黒か灰色だ。かといって新たにペイントを行なうにも相当な出費となり、マニラのイメージを悪くしている元凶とも言えるだろう。 建設中の「Raffles Residences」の外壁はカーテン・ウオールだ。出来上がったコンクリートの構造体にパネルをはめるだけだから、あっという間に外装が出来上がる。 […]

シャングリラホテルの化粧直し 2010年10月18日


10月9日に無事、バブティスマル(洗礼式)を終え、世間の仲間入りをしたキアンだが6ヶ月ともなると、人を区別したり、人によってお愛想笑いをしたり、まさに家族の一員、それも超一級のVIPだ。  生まれてから2ヶ月は寝てばかりいて、お目にかかることもあまりなかったが、3ヶ月目に入て初めてお出かけをした。6月14日撮影、2ヶ月半。   4ヶ月目に入って、公園デビューも果たし、早朝の散歩が日課となった。この写真を見て、誰かが朝青龍と呼んでいた。7月10日、7月17日撮影、3ヵ月半。   休みの日の早朝散歩の相手は父親のカーネル。7月25日撮影、もうすぐ丸4ヶ月。 ちょっと締まって可愛らしさを増した。笑顔が絶えない。7月28日、8月15日撮影、4~4ヵ月半。 人の顔を認識できるようになり、母親やヤヤには無愛想でも私にはいつも愛想が良くて、何か話しかけたいらしい。9月22日撮影、5ヵ月半。 ビコールからやってきたいとこのヤナ(3歳)と一緒に。離乳食を始めたが、スプーンで食べるのが大好きだ。 9月18日、9月23日撮影、5ヵ月半。 いよいよ6ヶ月になって、このふてぶてしさ。10月1日撮影、6ヶ月。 枕を抱いて寝るのがキアンの安眠スタイルだ。毎日欠かさないお風呂も大好きだ。10月2日、3日撮影、6ヶ月。        いよいよお座り開始、おもちゃの自動車に載らせてもらってご機嫌。10月5日、14日撮影、6ヶ月~6ヵ月半。       今回の成長記録の締めは冷蔵庫で冷やしたヨーグルトを食べさせられて、初めて経験する冷たい食感に顔をしかめるキアン。10月15日、6ヵ月半。

キアンの成長記録(2~6ヶ月)2010年10月18日



パスコはロングステイ財団のフィリピン、マカティサロンとして公認されているが、来る11月13日(土)、東京ビッグサイトで開催される「ロングスティ&移住フェア」に招待され、参加することにした。パスコとしては相談コーナーを与えられ、参加者の相談に応じることになっている。出展予定数は 100、参加人数は8500人を予定しているそうで、ロングステイ財団としては最大の催し物となる。詳細はhttp://www.dokodekurasu.jp/にアクセス。  フィリピン観光省の横山さんもブースを設けて多いにフィリピンを売り込むとのことで、フィリピン退職庁(PRA)からもマーケット担当が参加するとのこと。その他、フィリピン関連の案内をしている方々も出展されるはずなので、久しぶりに皆さんにお会いできるのが楽しみだ。

ロングステイ&移住フェア 2010への参加2010年10月15日


 10月9日(土)、私の相棒、ジェーンの赤ちゃん、キアンのバブティスマル(洗礼式)は滞りなく終わった。この日から、キアンはキリスト教信者として世間に受け入れられ、社会生活をスタートしのだ。  式はパスコの事務所に近いSacred Heart Churchで行なわれた。件の学校調査においでになった家族をホテルでピックアップして、丁度10時に教会に到着したが、ジェーンの家族などが外にいるので、てっきり式は始まっていないと思い、待っていた。そうしたら、礼拝堂脇の小さな部屋ですでに式は始まっていた。フィリピンには珍しく、時間通りに式は始まったが、入りきれない人たちが外で待っていただけなのだ。  式が終わると礼拝堂で記念写真の撮影。家族、友達、日本人の招待客など、グループ別にキアンとその両親を中心に収まる。カメラマンもたくさんいるから、そう簡単には終わらない。本人にキアンは何をやっているのかもわからず、途方にくれている様子だった。 総勢80名近いお客さんのお目当てはもちろん、レセプション、披露宴だ。おなじみの中国料理店「ルートン・マカオ」のメインダイニングルームを貸しきって行なわれた披露宴会場には中華料理が次々と運ばれ、最後はまだ料理があるのかとあきれ返るほどだった。  農場からはるばる500kmの旅をしてきたレチョンは手付かずのままだった。しかし、どんなに料理が残ってもフィリピンでは問題ない。家に持って帰って、夜半までパーティは続くのだ。それにルートンマカオの従業員も多いに恩恵に預かったようだ。  やはり、パーティーを盛り上げるのは歌と踊りだ。会場が狭いので踊りというわけには行かなかったが、バンドと歌手の生演奏が雰囲気を盛り上げ、参加者は皆楽しそうだった。フィリピンの披露宴では余計なスピーチや出し物はない。歌と食事で楽しむだけだ。ただこの日は珍しく、キアンのお父さんであるカーネル・ヤンの挨拶と、飛び入りでジェーンの姪や友達が歌を披露した。  食事が一段落すると、撮影会だ。キアンは各テーブルを回って、記念撮影をする。初めのうちは合わされてお愛想笑いをしていたものの、最後は「いい加減にして」といった感じで不機嫌になってしまった。普段は半日位寝ているのに、朝から大勢の人に囲まれてへとへとに疲れてしまったようだ。

キアンのバブティスマル 2010年10月15日