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 12月ともなると街はクリスマスの飾りで埋め尽くされる。すべての事務所、レストラン、ホテル、各家庭のロビーはクリスマスツリーが飾られる。 フィリピンで最高級ホテルの名をほしいままにしているシャングリラ・ホテルさぞかし豪勢であろうとわざわざ取材にでかけたが、案外平凡だった。 クリスマス・ツリーの他には、日本ではあまり見られないキリスト生誕の様子をモチーフにしたものが飾られる。そもそもクリスマスはイエス・キリストの生誕を祝うものだが、日本ではそんなことは気にかけないだろうが、クリスチャンの国フィリピンではちゃんと原則を守っている。 高級デパートで有名なルスタンのショーウインドーはクリスマスの装飾で飾られていた。さすがルスタンのやることはセンスがある。 さらに道路も装飾の対象だ。道路や広場に植えられたココナツの木などに電飾を施して、クリスマス気分を盛り上げている。 アンヘレスのゴーゴークラブ街もクリスマスを間近に控えて、お店の飾りつけが派手になってきている。しかし、客の入りは12月に入って減っているらしい。  アヤラアベニュー沿いにビル全体をクリスマス・ランタンに模した飾り付けを発見。ビルのオーナーのこだわりと伺える。 リトル東京の居酒屋ではウエイトレスにサンタの服を着せている。 

クリスマスの飾りつけあれこれ 2010年12月19日


先日ビザを取得してお帰りになったKさんは、タイのパタヤに5年在住のロングステイのベテランだ。Kさ んによると退職後のロングステイ先としてはフィリピンに軍配があがるとのうれしいコメントをいただいた。ちなみにフィリピン退職庁としては日本人のロング ステイ先としてマレーシア、タイそしてフィリピンと続くと認識している。そういう点でタイはフィリピンの競合相手なのだ。 Kさんの観察によると、  1. 物価:フィリピン:タイ=1.0:1.5 でフィリピンに軍配(1バーツ=1.5ペソだが、物価タイでは大体1バーツのものがフィリピンでは1ペソで買える)  2. ホテル:1.5:1.0 でタイに軍配  3. 日本食、日本食材:少なくともパタヤに関する限りはその豊富さと安さでフィリピンに軍配  4. 空気汚染:マニラとバンコックの比較ではタイに軍配  5. 治安:セキュリティガードがタイにはいないから、それだけタイが安全らしい  6.言語:タイには英語も日本語も話せる人があまりいないからフィリピンに軍配  7. 美人度:圧倒的にフィリピン軍配  そういう訳で4勝3敗でフィリピンの勝ち。このほか、永住ビザの取りやすさ、公用語が英語、日本に近い、など、フィリピンが勝っている点がまだまだあるから、結論的にフィリピン優位は揺らがないだろう。  土曜にアンヘレスに案内したさい、Kさんは2回感激した。その一つは和食レストランYUFUINの安さだ。特に刺身定食(280ペソ)の質と量にに、こんなことはタイではありえないと感激していた。 夜の部になってKさ んは再び感激した。それはクラブ・アトランティスの圧倒的な量と安さだ。ここは300人程度の女の子が働いているというが、その数は半端ではない。下の写 […]

フィリピンとタイとではどっちが住みやすい 2010年12月19日



先日、アンヘレスのクラークの入り口近くにある和食レストランYUFUINで、案内した退職者と食事を取ったところ、その安さにいたく感激していた。タ イのパタヤに長くお住まいのこの方はフィリピンでの物価は大体1バーツが1ペソだという。ちなみに1バーツは約3円、1.5ペソだから、タイの物価はフィ リピンの1.5倍ということになる。    アンヘレスを縦断するマッカーサー・ハイウエイからSMクラーク に向って入って100m位のところ、右側にYUFUINはある。大きな看板が出ていてすぐにわかるが新築のこぎれいなレストランだ。2階は焼き肉専門で、 もともとYUFUINは焼き肉が得意ということだが、定食類も豊富でしかも安い。おまけにウエイトレスもきれいだ。     種類はあまり無いが、ここのランチセットはたったの158ペソで、ファーストフード並みだ。しかし味は本格的で、私がいつも行っているMARUCHANの ランチセット(220ペソ)とそん色ない。相棒の有川さんがアンヘレスに整体出張したときは昼はランチセットから選んで、夕食はすき焼き定食(350ペ ソ)と決めているそうだ。  この日は刺身セット(280ペソ)、から揚げセット(260ペソ)、鮭はらみ塩焼き定食(250ペソ)、カキフライ定食(350ペソ)などを注文したが、 その充実した内容に皆びっくりしていた。また、全部紹介できないが、メニューも豊富だ。特に刺身定食の対費用効果は信じがたいとのコメントだった。  YUFUINの姉妹店として同じ道の少し手前にPink […]

アンヘレスの和食レストランYUFUIN(由布院) 2010年12月16日


恒例のPRAクリスマスパーティが15日、キャンプクラミ(フィリピン国家警察本部)で行なわれた。PRA副長官のゼネラル・リンガットや元PRA会長 のゼネラル・アグリパイが国家警察の出身ということでコネがあったのだろう。会場は広々とした体育館のような場所で、今までの狭苦しい会場と違って伸び伸 びと出来た。  本年度は赤い服がユニフォームでほとんどのPRAスタッフが、以前PRAから配布されたPRAのロゴ入りのポロを着ていた。不肖私も赤いポロで参加した。 会場の後ろでは、お祭りの屋台が出ていて、たくさんのPRAスタッフが楽しんでいたが、招待客の退職者はなじみが無いせいか、あまり参加していなかった。 しかし、今回は食事がたっぷり取れて満足できた。ここ数年のクリスマスパーティは参加人数の割りに食事の用意がお粗末で不評を買っていたが、今回は会場を 安く(只?)借りた分食事にまわすことが出来たのだろう。 300ペソ相当のクリスマスギフトを持参するよう依頼されており、舞台で交換会が行なわれた。輪になってギフトを順に手渡していって、最後に手元に残ったのを受け取るという単純なものだが、司会者が色々言っており、やたら時間がかかった。 最近赴任したGMの挨拶はよく聞こえなかったが、彼の積極的姿勢が伺えた。翌日開催されたマーケッター(代行業者)のクリスマスパーティでは、近々新ルールが適用されることをアナウンスして、退職ビジネス業界の発展を期待させた。 パーティの最後はハイスクールの学生による歌と踊りだったが、学芸会の出し物のようで、厳しい予算で開催していることをうかがわせた。マニラのほかにもセブ、ダバオ、アンヘレス、バギオなどでもパーティを開催しているのでなかなか予算のやりくりが大変なのだろう。 フィリピーノのパーティ好きは定評があり、この時期、毎日のようにパーティを楽しんでいる。また、パーティにはラッフル(くじ引き)やお土産ががつきもの で、抱えきれないようなたくさんの荷物を持って帰るのが楽しみなのだ。さらに社員の出しものも、いつのまにか準備したのだろうというくらい楽しませてくれ る。そういう意味では半数以上の参加者が外部の招待客ということで、少々地味なパーティだったといえる。  

PRAクリスマスパーティ 2010年12月16日



商売がら多くの人と会うせいか、久しぶりに連絡があって、名前を聞いても誰だか見当がつかないことが多々ある。年のせいかとも思うが、10年以上前に社内の人に会いに行くとき、これから会う人の名前が思い出せず、あせったことがある。先日もカラオケで後ろの席に見覚えのある人が座っており、顔は間違いなく知っているが名前もなにもかも思い出せない。その人が声をかけてきて、「元...の...です」と聞いた途端、すべてを思い出した。  何故人は他人の名前を忘れるのか。私は名前がデジタル情報だからではないかと思う。一方顔や景色などの映像、声や匂い、触覚などはアナログ情報だ。ひと目見た顔は忘れない、などと豪語する人がいるように一旦入力されたアナログ情報はそう簡単には忘れない。しかも顔を認識するのに1秒の時間も不要で、一瞬の内に識別できる。さらに同じ人の顔でもうれしいのか、悲しいのか、怒っているのか、複雑な心の内まで識別できる。文字や数字そして名前はデジタル情報なので識別や理解に時間がかかる。これらのデジタル情報を処理するために人類は大脳を発達させたわけだが、未だにこの分野は頭脳にとって苦手のようだ。 (無垢としかいいようなのない赤ちゃんの頭の中は全くのアナログの世界だ。デジタル情報が入ってくるのは幼稚園くらいからだろうか)  動物と人間を比べたとき、アナログ情報を処理するという観点に立つと、そこには人間の優位性はない。例えば、犬の嗅覚は人の数千倍の感度を持ち、夜間の視覚も足元にも及ばない。それぞれの種は生き抜くために必要な能力を磨き、それは人間をはるかに凌ぐ。それぞれの個体に名前などは付け合っていないだろうが、相手あるいは敵を識別する能力に何の疑問を挟む余地はない。一方、人間が動物と差別化できるのはこのデジタル情報の処理能力以外にはないだろう。  しかし、人間にとって数千万年~数億年にわたって動物として培ってきたアナログ情報処理能力と、ここ数万年~数十万年、あるいは、ほんのここ数千年のあいだに氾濫し始めたデジタル情報の処理能力とのあいだには雲泥の差がある。人の脳がデジタル情報をコンピューター並みに処理できるようになるには、まだ、数百万年の月日と数万回の世代交代が必要だろう。そのころ人間は頭でっかちで体の小さい想像上の宇宙人みたいになっていることだろう。 (コンピューターにとっては怒っているのかあるいは悲しいのか、人にとってはいとも簡単なことを判断するのに複雑なプログラムを用意しなければならない。一方、人には生まれたときにすでに脳に組み込まれているのだ。) ところで言葉はアナログ情報なのかそれともデジタル情報なのだろうか。少なくとも文字はデジタル情報なので、文字で書かれた文章はデジタル情報だろう。一方、声で発音された言葉はアナログ情報ではなかろうか。だから、文章の理解と言葉の理解では使用する脳が違うのだろう。だから本に書かれた英語のフレーズ (デジタル情報)をいくら繰り返してみても会話は上達しないのだ。。色々な記憶術という本を読んでみても、要は、名前などのデジタル情報をアナログ情報に関連付けて人の膨大なアナログ情報処理プログラムに乗せて記憶しているだけなのだ。 (クリスマスになると街は花売りなどの少女が、クリスマスの資金集めに働きに出る。クリスマスの喜びを分けてくださいというわけだが、これらの少女の可愛さなど、コンピューターで判断することは到底できないだろう)   人は6歳になったら小学校、中学校、高校そして大学と16年間も長いデジタル情報の学習コースに乗せられる(フィリピンでは6、4、4ないし5の合計 14~15年)。しかし、人間の頭脳の大半を占めるアナログ情報処理は趣味やスポーツの世界、あるいは世間に出てからの丁稚奉公で学習するものだ。実際問題、教室で習うデジタル情報よりも遊びや趣味の世界で身につけた知識の方が世間で役に立ったというのは誰でも経験していることだ。だからデジタル情報だけに耽るお宅は、人間性というものを学ぶことが出来ず、秋葉原の無差別殺人事件のように時には人間社会の反逆児になりかねない。  (アナログ世界に住むキアンは何の憂いも悩みもなくすくすく育っている。おきている間中静かにしていることはなく、常に手や体を動かしている。この運動により、神経細胞が発達し、やがて器用に歩いたり、手を使えるようになるのだ。まるで赤ちゃんはリハビリテーションを楽しんでやっているようだ)  コンピューターの基本は、ONかOFFあるいは0か1の信号が素子に記録してあるだけで、この素子を8個、16個あるいは32個で一つの文字を表現する。そしてこれを百万個集めたのが1メガで、その千倍、10 億個が1ギガのメモリーだ。そして情報をプロセッサーで色々処理するだけだ。コンピューターはもともとデジタル情報を処理するために開発され発展してきたのだから、文字情報などの処理や記憶はすこぶる早い。しかしながら写真などのアナログ情報はデジタル情報すなわち、0と1の情報に変換して一つ一つの点ごとに記憶するというすこぶる稚拙な方法で記憶する。たかが写真1枚記憶するの数メガの記憶容量を必要とする一方、写真一枚をインターネットで送るのにも随分と時間がかかってしまう。   […]

人は何故他人の名前を忘れる 2010年12月11日


自分が子供のころ、「何か具合の悪いことが起きたら、他人を責めたり恨んだりしないで、自分の行動や言動を反省して同じ過ちを繰り返さないよう、心がけなさいと」教えられたものだ。そうでなければ未来への成長は無いと。しかし、世の中へ出ると、何かまずいことが起きるとすぐに他人を責め、犯人探しをする人が実に多いことに困惑し、自責ばかりでは世の中をうまく渡っていけないことを知った。私をそういう人を他責の人と呼んだ。  最近の国会でも法相が失言問題で辞任した。野党・自民党がが鬼の首を取ったように大騒ぎをして国会を混乱させようとしていたが、自民党もこんなことくらいしか出来ないのは実に情けない。政治家はまさに他責の人の代表選手で、あんなことを得意になってやっていて恥ずかしくないのだろうか。国民に選ばれた国会議員として日本の将来のために、国民のために何が出来るか考えて、与党の足を引っ張るばかりではなくて、前向きな行動をとって欲しいものだ。こんな政治家達に日本の未来はとても任せられない。 (無邪気な子供は皆、善悪の判断もつかず、他責の人だが、親に叱られて自責の念を憶えていく。だが、甘い親に育てられた子供や、親に面倒を見てもらえなかった子供は他責の人に育つ)  尖閣諸島の問題でも、中国政府は一般大衆によるデモまで画策し、日系の会社を焼き討ちし、日本を責め立てた。それに業を煮やした勇気ある人があえて映像を流出させたものと思うが、自分の非が明らかであるのに逆に相手を責め立てる、自責の念のかけらも無いのが中国政府だ。一方、北朝鮮が延坪島を砲撃した際も、朝鮮放送は韓国を断固として糾弾し、自らの正当性を高らかに主張していた。これらの発想はまさにやくざの発想だ。自分が都合が悪くなると、逆に大声で相手を脅して切り抜けるのがやくざなのだ。こういう輩を相手にビジネスの話はできない。ビジネスは契約に基づく取引だが、自分に都合が悪いあるいは損になるとしても契約をルールとして話し合い合意にいたるものだ。中国ではビジネスが実に難しいというが、そんな契約やルールは糞くらえの人たちとは何も話しても無駄で、関わりを持たないのが一番賢い。  (政治家は概して他責の人、一方神は無責の人だ)  先日、日本に行った折、生まれて初めて法廷なるものを傍聴する機会があった。他人と係争になったとき、判定を下すのが裁判所だが、ここでも恥も外聞も無い議論が展開される。誰が見ても白黒は明らかであるにもかかわらず、弁護士はああでもない、こうでもないと無意味で破廉恥な議論を展開する。ここで他責のみがまかり通って自責などという言葉は存在しない。そして時にはそんな訳のわからない理屈が通ってしまうそうだから呆れてしまう。法と正義を守るべき先生がたがこんなでは世の中真っ暗だ。特に弁護士は正義の味方ではなくて、お金を払う人の味方だから、彼らにとって黒を白というのもたやすいことなのだ。   (キアンと同じポーズで居眠りをするヤヤ(子守)。キアンが寝ているときだけがヤヤの休める時間だ)  さて、フィリピン人は自責の人なのか、あるいは他責の人なのだろうか。一般にフィリピン人は失敗や悪さをしても謝らない。ものを壊しても、「壊れてしまった」と表現して、「自分が壊した」とは決して言わない。だからあまり自責の念はなさそうだ。だからといって他人も責めることもない。自分は悪くない、かといって他人も悪くない、具合の悪いことが起きたのは、自然あるいは神の意思によってそうなる運命だったのだ。すなわち誰も悪くない無責の人達なのだ(無責人(任)というわけではないが、時にはそう映る時もある)。だからフィリピン人の社会は表向きとても平穏だ。表向きというのは、悪い人間はどこにもいるし、嫉妬や愛憎は人一倍激しいから、いつも平穏とばかりは言っていられないのが現実だ。一方、他人を責めることが出来ないから、自分に不都合なことが起きたら自分で責任を取らなければならない、自己責任の国だ。そういう意味では自責の国かもしれない。  これはフィリピン人がほとんど皆クリスチャンであるためなのだろう。日本人は仏教徒というより、ほとんどが無神論者だが、道徳・倫理の背景は儒教の教えだ。この自責の念も儒教から来ているものと思う。元来、人は他責の人で、子供は自分勝手で泣きわめいて我を通そうとする。だから儒教が人の道として自責を説いたのだろう。一方、キリスト教は無責を説く。この宗教的ギャップは、日本人にとってフィリピン人の行動を理解しにくいものにしている要因だ。しかし、赤ちゃんは万国共通で、自責も他責も無責もない、純粋無垢でまさに神の子というべき存在だ。   (おもちゃにしていた柿の種の袋を取り上げられて、悲しそうな顔をするキアン。こんな顔をされたら、周囲の大人は抵抗する術を失い、何でも言うことを聞いてやるしかない。泣いたり笑ったり、感情を目一杯表現することが周囲の大人をとりこにする赤ちゃんの最大の武器だ。)

自責の人、他責の人、無責の人 2010年12月4日



最近は30代~40代の若い方や単身女性の退職ビザ取得者が目立つが、退職後、若い連れ添いを求めてフィリピンにやってくる熟年退職者も相変わらず少なくない。これらの方は何らかの事情でフィリピンとは縁が深く、フィリピーナの魅力にはまっている人たちだ。すでに連れ添いを見つけて退職ビザを申請する方や、これから見つけようと張り切っている方など様々だ。  この春、退職ビザを取得したWさんも、現役時代に築き上げた財でフィリピンで充実した楽しい老後を過そうと期待に胸を膨らませてフィリピンにやってきた。ビザ申請中に色々リサーチを終え、半年後、本格的にフィリピンに住み始めたときはすでに連れ添いの候補者がいた。ご本人は独身なので結婚も視野に入れて彼女との将来を設計し、家族とも親しくなって、早くも1ヵ月後にはめでたく射落とすことが出来た。  ビザの申請段階から、これからのフィリピン暮らしについて色々アドバイスしていた関係で、Wさんからは何かにつけてアドバイスを求められた。 (アンヘレスのクラブ・アトランティスは相変わらずの盛況だ。そろそろクリスマスの飾り付けが始まっている)  彼女の仕事と家族の関係でアラバンに小さなコンドミニアムを買って、そこに一緒に暮らすことにしたいう話を聞いた。その時点では彼女とは深い関係にいたっておらず、会ったののもまだ数えるほどとのことだった。 1.アドバイス その1  男と女の関係ほど危うくて当てにならないものは無い。仮にアラバンに住んだとして、彼女との仲が思惑通りに進まなかったら、あるいはまた、例えいい仲になったとしても、いつ壊れるかもしれない。そうしたら、アラバンに一人で暮らすつもりですか、夜遊びが好きなあなたに、そこの暮らしが耐えられますか。それが出来ないとすると、そのコンドミニアムを彼女にくれてやるか売りとばすしかないでしょう。そうなるとすべてを失うか、あるいは半値くらいで売れればオンの字ですよ。  この話を聞いて、われに帰ったのか、Wさんは、即座に気が変って、マカティスクエア近辺のコンドミニアムを物色して住むことにした。彼女も納得し、めでたくLive In(同棲)生活が始まった。   (アトランティスのショーはなかなか見ごたえがある。ショータイムは9時なので、それにあわせて行くことにしているが、その直前は風船飛ばしで盛り上がる)  しばらくして、Wさんから会いたいとの話があって事務所で面会した。曰く、彼女と喧嘩をしてしまい、部屋に帰ってこない。喧嘩の原因は新居のHouse Warming Party(引っ越し祝い)をやることになり、彼女は妹を呼びたいと言い出した。そこでWさんは、以前、妹に会った時の印象が悪かったので、妹は呼びたくない、I am disgusted […]

フィリピン流恋の手ほどき 2010年12月2日


退職者の方お二人を伴って、アンヘレス、スービックを旅した。バス、ジープニーそしてトライシクルを乗り継いで、安宿に泊まる金なし旅行だ。もちろん何の予約もアポもない行き当たりばったりの2泊3日の旅だが、無事に目的を果たして戻ってきた。アンヘレスはいつものパターンだったので割愛し、スービックで出会った新しい側面を紹介する。  スービックは海岸沿いに港、工業、商業などのインフラが整備され、山側に住宅が配置されている。そして30分ほど奥まったところに各種レジャー施設がある。ここだけで生活に必要なすべての施設があり、フリピンにいながらにして外国へ旅した気分を味わえる。この日は3連休の中日とあってどこも人で溢れていた、といってもマニラの混雑とは比較にもならないが。  スービックのちょっと奥まったところにKalayaan Heightsという地区があるが、かつて米軍の将校が住んでいた高級住宅街だ。下の写真のBinictican Heights(左)やForest Hills(右)とは格が違う住宅街で豪邸が立ち並ぶ。Binicticanには日本人の経営するTropical Paradiseがあって、日本人の要介護のお年寄りを受け入れることになってはいるが、実際は短期宿泊の方が中心だ。Forest Hillsは最近開発されたもと中間クラスの軍人が暮らした住宅街だが、現在ではほとんど韓国人の家族が暮らしているそうだ。両方ともゆうに数百軒の家が建ち並んでいる。  スービックの海沿いはまさに横浜や神戸の港だ。現在でも航空母艦がはいる桟橋もあるが、商業用の設備が新たに建設されている。病院も大きなものが2件開業ないし開業準備をしている。左の写真は最新鋭のコンテナヤード、右の写真は港の反対側に建設された韓国ハンジンの造船所だ。   おなじみのズービックはトラの放し飼いが売り物だが、入り口に当地の原住民であるアエタ族の人々を外に配置して特長を出している。こんな感じの人たちはマニラでもいることにはいるが、全員髪が縮れているのがアフリカやオーストラリアの原住民との共通性を感じさせる。きっと彼らにはフィリピーノ・タイムや報連相などとは無縁な生活をしていたのだろう。しかし、現代はきっとテレビや携帯を買ったり、電気代を払うために現金収入が必要なのだ。だからこんな客寄せの仕事をしている。 スービックのもう一つの目玉はオーシャン・アドベンチャーで、水族館やイルカショーをやっている。その隣にあるのが、スービックで一番にぎやかな海水浴場だ。最近そこにはホテルが建設され、外国人でにぎわっていた。一室100ドル近くして、必ずしも安くはなくて、我々金なし族には手が出ない。   今回初めて覗いてみたのがTree Top […]

金なしコネなしフィリピン旅行(その4スービック編) 2010年11月30日



フィリピーノは野菜をあまり食べないことはご存知だと思う。業界最大手のファースト・フード・チェーンのジョルビーではご飯とチキンのから揚げだけのメ ニューが一番人気だ。ハンバーガー専門のマクドナルドもそれにあやかってご飯とチキンのメニューを追加した。しかしここで話題にしようとしているのは野菜 のホウレン草ではなくて、報連相、すなわち報告、連絡、相談のことだ。1980年代の日本で「報連相で会社が強くなる」という本が話題になった。早速買っ て読んだがいたく共鳴したものだった。それ以来、報連相の重要性を常に痛感しているのだが、フィリピーノはその報連相に滅法弱いのだ。 フィリピーノを部下に持つと、「実に報告が無くて、こっちが聞くまで何も言ってこない」、「横の連絡が取れておらず、何もかも上のものが指示をしなければ ならない」、「わからないことがあっても聞き返さない、相談しない、ほったらかしておく」など、どうにもストレスが溜まる。そしてそれを責めると彼らは萎 縮してしまって、返って気まずくなり、最悪辞めてしまう。この辺のところを当地の心理学者にセミナーをやってもらい、教えを乞うた。答えは「長年、縦の指 示系統で動いてきたフィリピーノは横の連携が苦手。自ら上司に報告や提案することを求められず、上司が問いかけて初めて答える。できない、わからないと言 うことは自らの無能を申告することになるので、とても恥ずかしい。」のだそうだ。それでは自らが向上していくことはできないではないかと自問してもやまな い。  報連相を是とする日本のビジネス習慣とは隔たりが大きい。しかしフィリピーノを使う限り、こちらがそれにアジャストするしか方法は無い。しかし例外もある。1989年、マカティでクーデター騒ぎがあった時に採用したアカウンタントがそれだ。ただのおばさんに見えたが採用後、そのレスポンスの速さにくだをまいた。そのころはE-メールも普及していなかったので、色々な指示はメモを書いて渡していた。彼女にメモを書くと、5分以内に返事が戻ってきた。しかも 社内の色々なことについて実に良く報告、連絡あるいは相談があり、社内で起きていることが手に取るようにわかるようになった。専門外のミーティングに出席しても、ミーティングメモを作成させると、わかりやすい英語で完璧なメモをあっという間に出してきた。会計担当だった彼女は見る見るうちに出世して、4年 後にはアドミ部門(総務・人事・財務)のトップ、取締役本部長にまで上り詰め、給与は10倍以上に上昇した。  1994年ごろRCCという大型のジョブが舞い込んだ。日本の親会社がシンガポールで受注した大型石油設備のエンジニアリングを実施することになったのだ。社員に報連相を徹底するためにこんなスローガンを掲げた。「RCCプロジェクトをReporting、Communication and Consultationで成功させよう」。そして報連相の勉強会や講習会など各種イベントを開催した。効果のほどは定かでないが、会社の競争力を増すため報連相の徹底にエンドレスの努力が必要だったのだ。 […]

フィリピーノはほうれん草が大きらい 2010年11月27日


フィリピーノ・タイムとは時間通りに来ない、いつ来るのか、はたまた来ないのか、当てにならないことを言う。フィリピーノは一般に時間に遅れることを恥じない、遅れても詫びない、また人が遅れても責めたりしない、平気でいつまでも待つ。役所でもたくさんの人が文句も言わず自分の順番をひたすら待つ。遅いとか、割り込んだとか、文句を言っているのは外国人だけだ。エアコンの取り付けや家具の配送など、約束した日に来ただけでもラッキーで、配送を待つために一日中家に待機しなければならない。  女の子をデートに誘ってもまともに来ることはありえない。夕方5時ごろ携帯で、6時に食事をすることを約束したとしても、やってくるのは6時半から7時だ。何とか彼女を射とおそうとする当方は、待つのも甲斐性とひたすら待つしかない。歩いても10分くらいのところを「On the way」とメールを送りながら、それから30分くらいかかる。一体何なんだと、怒ってはいけない。それは、有利に恋愛ゲームを進めるための彼女なりの作戦なのだ。 (先日、日本から帰ってきた折に飛行機から撮影した夜のマニラ。この日は快晴で夜景が美しかった)  以前、約束の時間に遅れそうなのでマニラ市内を車で飛ばしたことがあった。約束の相手はフィリピーノだが、一旦約束した時間は万全を尽くして守るのが日本男児だ。そこで隣に座っていた相棒のジェーンが切れた。いわく「少しくらい遅れてもフィリピーノは気分を害しない。こんなに飛ばしたら事故を起すかも知れない。命と約束をどっちが大事なの。少々遅れたからと言って死ぬわけじゃないでしょ!」。たしかにその通り、約束の時間に遅れたとしても命をとられるわけではない。交通事故の方がよほど怖い。しかし、約束の時間に遅れると思っただけでパニックになってしまうのだ。  もう大分前の話になるが、福知山線の脱線事故で100人近い死者を出した。この話を相棒のジェーンにしたら、「日本人は、本当に馬鹿だ。たった数分の遅れが出ないようにとスピードを出し過ぎて、おまけに脱線して百人もの人を死なすなんて。数分の遅れが何なんだ。人の命を一体何だと思っているんだ」まさに仰るとおりで返す言葉がなかった。それ以来ジェーンは「日本人は、親切で、頭が良くて、お金持ち」というフィリピンにはびこる信仰の「頭が良くて」という部分に疑問を持ったようだ。 (プレートナンバーの末尾の番号により、特定の曜日に走ることを禁じた法律を路線バスにも適用するということになり、バス会社は採算性を著しく阻害すると猛反対をした。そして新規則実施の当日、渋滞の緩和には何の役にも立ってないと批判の声が上がっている)  それにしてもフィリピーノの時間のルーズさは許せない。そもそもタイム・マネージメントが出来ていない。スケジュール・コントロールなんて言葉は死語のようだ。マイペースで仕事をして、終わった時が完了予定で、いついつまでに終わらせるためにはどうすればよいのか、などとは考えていないようだ。フィリピンにやってきた日本人は、このことをフィリピン人が劣っているのだと感じる。しかし、日ごろ優秀なフィリピン人に舌を巻くことが多い当方は、何故そうなのかと考え込む。  フィリピンを含む東南アジアには四季がない。1年中暖かく、バナナやココナッツは季節に関係なく、いつでも取れ、田植えも水さえあればいつでもできる。その時のお天気次第で、いついつまでにやらなければいけないということはない。そして寒い冬が無いから、特に冬支度というのがいらない。寝るところがなければ外で寝ても凍え死ぬことはない。一方、温帯に住む人間は冬の食料を蓄え、薪を積んで長い冬に備える。田植えの時期も稲刈りもタイミングよくやらないと冬の備えが出来ない。それが出来ないとそこには死が待っているだけだ。だから我々温帯人は「時間に遅れる」と思っただけでパニックに陥ってしまうのだ。   フィリピーノには、いついつまでにこれをやらなければ明日は無いというような悲壮感とは無縁だ。そんな生活を数十万年やってきて、急に現代になって「タイム・イズ・マネー「ビジネスはスピード」「ジャスト・オンタイム」などとせかしてみても、さほど真剣に受け取れないのはやむを得ないことかも知れない。約束した時間に行かなければならないなんて彼らにとって無視しうる些細なことなのだろう。 (11月14日に行なわれたボクシング世界タイトルマッチでフィリピンの英雄パクヤオ選手は勝利し、前人未到の快挙、8階級制覇を成し遂げた)  そもそも人類はアフリカの熱帯で発生し、赤道に沿って世界に広がった。北の寒い地域に向うのは随分と後のことだ。だから人間の体は元来熱帯向けに出来ていて、寒いところではリウマチなどいろいろな持病が出てくる。特にお年寄りにとって寒暖の差は辛い。熱帯の気候はとても体に優しく、人々はストレスなく伸び伸びと生きていられる。それは肉体だけではなく、精神的にも言えることで、果物や作物が1年中取れ、寒暖差の少ない熱帯こそが人類の故郷なのだ。  退職してゆったりと生きていくならば、ここフィリピンで彼らの生きかたを学ぶべきだ。そうすれば、きっと幸せな老後をすごすことが出来るだろう。先日ジェーンが日本に行った折、横浜駅で朝のラッシュに遭遇し、サラリーマンが皆走っているのをいたく興味を持って眺めていたのが思い起こされる。「日本人、そんなに急いでどこへ行く」と。 (マカティメディカルセンターのクリスマスの飾り。イエスキリストが天使となって宙を舞っている。我が家のクリスマスの飾りはキアンが喜ぶようにサンタが宙を舞っている) 

フィリピーノは何故時間を守らない 2010年11月25日