shiga


       保育園に通い始めて2ヶ月近いが、KIANは毎日の通園が楽しみで色々なことを学んできて、ママ・ジェーンは至極ご満悦だ。話す言葉も急速に進歩している。赤ちゃんというより、もはや子供だ。  KIANは保育園でいい子でいると先生から手に星のスタンプをもらい、帰ってきてから皆に得意げに披露する。たまに両手に星のスタンプをもらうと、ママ・ジェーンに両手を差し出して賞賛の声を期待する。 とてもいい子だと、星のスタンプ、そこそこだと顔の絵のスタンプをもらう。  そして最悪は悲しい顔のスタンプだ。これをもらうとKIANは手を隠して人に見せまいとする。保育園で態度が悪く、このスタンプを押されるとしゅんとして椅子に座って静かにしているそうだ。 やんちゃの権化のようなKIANは保育園でも年上の3~4歳児をいじめるまくる。いじめといっても日本のように陰湿なものではなく、教室で先生の前で、殴ったり、蹴飛ばしたり、やりたい放題で他の子供はKIANが大嫌いだ。他人のおやつも平気で奪って食べてしまうそうだ。 アイスクリームを顔一杯につけてご満悦のKIAN。ソフトドリンクとジャンクフードは我が家ではご法度だが、アイスクリームはいつも冷蔵庫の必需品だ。  先日父兄会があって、KIANの姉のKIM(16歳)が参加した。他の子供は「KIANがいじめるから保育園に行きたくない」と母親に訴える。しかし、母親は可愛らしいKIANを見て、この子がそんな乱暴をするなんて信じられない。子供に向かって「まだ赤ちゃんでしょ」となだめるが、子供は「KIAN は、赤ちゃんなんかじゃない」と切り返すが、母親は聞く耳を持たない。 私の机の下、足元にもぐりこむのが大好きなKIAN、散歩から戻ってきて事務所で執務している私を見つけると、すぐに私の足元にもぐりこむ。  赤ちゃんは、大人の心を捉える「魔物=天使」だ。やんちゃな一方、KIANの可愛さはますます磨きがかかる。初めて会う私の客へのあいさつ(相手の手をとって甲をおでこに当てる尊敬の念を示す挨拶)や見知らぬ子供とも一瞬で友となってしまう。 天天火鍋(台湾しゃぶしゃぶ料理)でお腹が一杯になると店頭の活きたエビやうなぎのところに遊びに行って、たちまち中国系の子供と仲良くなってしまったKIAN  先日近所に住む4歳の保育園仲間の誕生日に招待された。場所はファストフードのジョルビーだが、子供達はマスコットのハチのぬいぐるみのジョルビーに恐れをなして近づかなかった。KIANは大喜びでマスコットたちを独り占めにしてしまった。誕生ケーキのロウソクも自分で吹き消そうとする。そんなKIANに主役の子供の父親(日本人)は目をほそめる。日本人はやんちゃな子供が大好きだ。 姉のKIMと一緒に鏡に向かってパフォーマンスを繰り返すKIAN。鏡をテレビの画面とみなして鏡の自分に合わせて踊っているのだ。  気にいらないことがあると誰彼となく指でピストルを撃つ仕草をして「パーン」叫んでやっつける。そんなKIANに手を焼いてママ・ジェーンはつい、声を荒げてKIANに手を上げる。すぐさま、「そんなことを繰り返すとKIANが萎縮して、いいところを削いでしまう」と、私が反対する。だとすると、どうやってこの天真爛漫・奇想天外のKIANをコントロールしたらよいのか。ママ・ジェーンは保育園の他の子供の母親に対して恥ずかしくてたまらないと嘆く。 […]

KIANのスタンプ効果 2012年9月23日


  日ごろ運動不足を痛感しているが、ジムに通ってベルトの上を歩いたり、ペダルをこぐのはいかにもむなしい。いずれ、引退してタバコ市の農場に引っ込んだら、毎日近所を自転車で走り回ろうと思っていたが、その日が来るのはまだまだ先のようだ。  最近フィリピンでもサイクリングブームのようで、タガイタイなどに出かけるといつもグループでツーリングを楽しむ人たちが目立つ。私も昔とった杵柄で、週末サイクリングを楽しもうと、しばらく前から、自転車屋さんを探していた。  探してみると意外と高級なマウンテンバイクを売る店が多数ある。特にカーティマ・マーケットには10軒近い自転車屋さんが軒を連ねている。値段的には1万ペソ程度から十数万ペソの高級車まで千差万別だ。詳しく聞いてみると、2万ペソ以上の自転車は油圧ブレーキやショックアブソーバーなど余計なものがついていてプロのバイカー用だ。そこそこ見栄えがして、実用的なものは1万5千ペソも出せば十分と感じた。  店の中には完成品のほか、フレームやリムが天井からぶら下がっているのは昔と同じだ。フレームはアメリカあるいはイタリアブランドだが、ほとんどが台湾製だ。中国製のものは数千ペソ程度の普及用だ。一方、ギアやハブなどの部品は日本のSHIMANOブランドが圧倒している。しかし、これらはマレーシア製だそうだ。私の学生時代はロードレースはイタリア製のカンパニョーロ、サイクリング車はフランスのユーレイなどがあこがれのブランドだったが、まったく影を潜めている。  予算1万5千ペソを告げると、目の前の自転車が丁度だという。カウンターにあったのは2万3千ペソで、何が違うのかと聞くと、フレームのブランド名が違うだけで、品質的には差がないという。ならばと1万5千ペソのに即決した。  家に持ち帰り、中庭においてみたら、中々の存在感だ。最近は雨が多いので試乗するのは先になるかも知れないが、ちょっと乗るのがもったいないような気もする。40数年前の学生時代、サイクリング車といえば、普及品が2万円~3万円で、高級なロードレスは10万円程度して、ため息が出るような美しさだった。値段的には現在も大差がないようだが、ブレーキはディスクブレーキで、ギアは前が3段、後ろが8段で24段ギアとかなりの進化だ(昔は2x5=10段が普通だった)。 サイクリングに必需品のヘルメットと鍵を同時に求めたが、派手派手なシャツは遠慮した。タガイタイはサイクリングのメッカ、適度な勾配があって、上り下りのツーリングが楽しめるので、いつも派手派手なスタイルのサイクリストに遭遇する。マホガニー・マーケットのトロトロ・レストランで腹ごしらえをして、再び自転車にまたがる人々。

マウンテンバイク購入 2012年9月17日



2013年4月7日追記  無犯罪証明書の認証を厳しく運用し始めて大分日がたっているが、最近、過去の申請者においては、申請時に無犯罪証明書さえ提出してさえあれば、改めて無犯罪証明書を取得して、さらに認証して提出することを要求されることはなくなった。どうも入管のお咎めの沙汰もうやむやになっているようだ。しかし、今後再び復活することもありうるので、新規の申請においては無犯罪証明書を認証してくることは必須と心得ておいたほうが良い。もっとも、フィリピンでも認証できるようになったので、今後の申請者については問題はないが。  過去に無犯罪証明書の認証無しで、NBIクリアランスを提出している人は、ID更新に認証済み無犯罪証明書の提出が必要かどうか、事前にPRAに問い合わせて、必要なアクションを取って欲しい。 2013年1月24日追記  ついに、日本大使館で無犯罪証明書の認証をしてもらえることになった。代行申請も可能なので、日本で無犯罪証明書を取得して、フィリピンに郵送し、パスコが代行して、日本大使館で公認確認、さらにDFA(比外務省)で認証し、PRAに提出することが可能となった。フィリピン在住の方は日本大使館で無犯罪証明書を取得し(3ヶ月かかる)、その後、上記の手続きを踏めばよい。このためにだけに日本に帰国するという馬鹿馬鹿しい状況を回避することができる。  一方、これから申請する方は、最寄の県警で無犯罪証明書を取得した後、そのままフィリピンに持参すればよい。ただし、前述の手続きに2週間程度かかりそうので、早めに送付してもらえれば、申請までに準備しておくことができる。  このことにより、日本での準備は、預託金の送金、無犯罪証明書の取得のみとなり、申請者の手間は半減する。さらにフィリピン在住でも手続きが可能となり、今後の申請者の拡大に大いに寄与するものと考えられる。  余談だが、昨年の9月にこの問題が発生してい以来、日本大使館に認証の手続きをしてくれるように働きかけてきた。大使館としては、厳封となっているのものを提出先以外で開封するわけには行かないと拒否された。しかし、日本の外務省は現に開封して認証(公認確認)してもらっているものを、何故、日本大使館でできないのかと食い下がり、検討するという回答をいただいた。その後、状況の確認をすると、PRAあてに、本件を確認するレターを発行しているが返事がないという。そこでRPAに確認すると、そのレターが見つからない、という返答。そうこうしているうちに半年近い月日がたってしまったが、このほど、PRAからのレターも発行され、めでたく、念願がかなった。  すでにビザを取得された方で、ID更新をした際、PRAから認証済みの無犯罪証明書を要求された方、あるいはこれからビザの申請を行う方、ともにパスコで認証手続きの代行ができるので、問い合わせて欲しい。 9月23日追記    2008年4月以前は無犯罪証明書の提出は不要でNBIクリアランスのみの提出でビザが発行され、AFFIDAVITの提出も必要なかった。従って、2008年4月以前にNBIクリアランスだけで退職ビザを取得した人あるいはAFFIDAVITを提出していない人は、今回の問題の対象外だ。言い方を換えると2008年4月以降、無犯罪証明書をフィリピン大使館で認証してこないでNBIクリアランスと一緒に提出してビザを取得した人あるいはAFFIDAVITを提出している人が対象となる。 9月21日追記  一昨日PRAは、退職者がID更新を申請した際、フィリピン大使館認証済みの無犯罪証明書を提出していないから、ID更新はまかりならぬという暴挙(?)に出た。今日、PRAの担当とその話をしたが現状における結論はこうだ。 ①現在日本に在住あるいは日本に帰る予定がある退職者は新規に無犯罪証明を取得してフィリピン大使館で認証してきて欲しい。PRAへの提出は郵送でもOK。(無犯罪証明書の認証)先に取得した無犯罪証明書は期限切れかつ開封してしまってあるので、使用できない。 […]

無犯罪証明書の認証が必須となりました 2012年9月15日


  カロリー制限が健康で長生きの秘訣だということが通説となっているが、動物実験でも、好きなだけ食べさせたマウスとカロリーを半分程度に制限したマウスと比べて、明らかに後者が長生きをするそうだ。  ある生理学者は、カロリー制限により、細胞が活性化され、老化物質が減少し、健康で長寿が可能となると分析する。そのためには毎日、ある程度の空腹感を味わい、食後も食べ足らない程度にコントロールするのが良いという。そうすれば、いわゆるメタボとか成人病とも無縁だ。  そうなると、お腹がすいたらいつでもどこでもミリエンダ(間食)を口にして、一日に5回も6回も食事をとるフィリピン人は平均寿命が50歳代といっても無理はなかろう。しかも、甘いもの、脂っこいものが大好きときている。そういえば、街を歩くフィリピン女性の三人に二人はどう見ても必要以上に脂肪を体に溜め込んでいるようだ。 これらの写真はデバイン(マムジェーンの姪で元私のメイドでお世話になった)とKIAN、彼らはメタボの代表選手だ。  そもそも人類あるいは動物は飢餓との戦いの歴史だった。だから動物や人類の体は食料不足に対する対策は色々取ることができる。食料の豊富なときに体内に脂肪を蓄えたり、熊やリスなどの冬眠もそれだ。  ところが一方、食べ物が豊富で食べ過ぎに対処する策を全く身につけておらず、飽食はメタボと総称される種々の機能不全をよびおこしてしまう。食べ物が豊富にある限り、食いためるというのが動物の本能だからどうしようもないことだろうが。 飽食は体を蝕み、やがて肉体のいたる部分で機能不全を引き起こし死に至るわけだが、最近、このことは個々の人間ばかりではなく、人間社会にも当てはまるのではないかと思えてきた。  戦後日本は高度成長を遂げ、誰もが容易に住宅や車を手に入れて、多くの電化製品に囲まれ、贅沢とされてきた焼き肉やすき焼き、そして寿司や蒲焼も当たり前に食べるようになった。  このことは、核家族と称して、夫婦と子供1~2人程度で暮らすことを理想とし、人間社会が原点としてきた家族という仕組みの崩壊を促した。さらに人間関係が面倒くさいと、一人暮らしも増加した。要は、家族で助け合わなくて食っていけるので、人々は孤立化ないし無縁化していった。 その結果もたらされたものは、虐待やいじめ、老々介護やホームレス、家庭内暴力や閉じこもり、そして無差別殺人など弱者を排除して強いものだけが生き残る社会だ。 家族の一員として小さいころから助けあい、頼りあうという人間性を学ばないで育った人たちが大きくなって弱いものいじめをするという、なんとも情けない世の中になってしまったのだ。  さらに、生涯、結婚しない、すなわち家族を持たない人々は2030年には40%に達するという。65歳以上の老人も全人口の3分の一になると予測されている。さらに結婚しても子供を作らない夫婦も多い。そうなると子作り、子育てに励む、けなげな人々は少数派になってしまうから、少子化に歯止めがかからない。  たとえ、子作りに参加しなかったとしても、年を取れば、社会あるいは国家の負担となる。現在、生活保護を受ける人々が200万人を越え、一人当たり月々 10万円が支給されるとすると年間2兆円を超える国費が消費されている(フィリピンの国家予算をはるかに凌駕する金額だ)。しかし、少子高齢化で、社会を支える、要は税金を払う現役組/若者が減少していったら、どうやって社会/国家が成り立っていくのだろうか。 フィリピンは日本に比べたらはるかに貧しい。しかし、貧しいがゆえに強力な家族の絆に支えられて、人々は朗らかで幸せだ。虐待もいじめもない。おまけに介護施設も不要で老人問題なんてものは存在しない。日本では毎年3万人が自殺して、やはり3万人が無縁死するそうだが、フィリピンで自殺すると新聞記事になるくらいだ。 […]

メタボ社会は国を滅ぼす 2012年9月10日



2ヶ月ぶりの農場訪問だが、KIANはしっかり覚えていて、つかの間の農場生活を満喫した。 義理の弟分、アンヘロと再会したKIANは不思議な面持ちだ。どうしてもマヨン火山をバックに写真を取らしてくれないKIANを抱っこしたままとった一枚。 アンヘロを無視しておどけるKIAN。ベビーベッドのオルゴールを懐かしそうに眺める。 最近はウンチを覚えてトイレで用を足す。鳥小屋をゆすって鳥をおどろかすKIAN。         トライシクルに乗ってママとお出かけだ。 歯磨きが苦手なKIAN。泣き叫ぶKAINを押さえつけて歯ブラシをする。もっとやり方があるだろうと、私は決して手助けをしない。 BiankaやYanaの通学につきそうKIAN。農場の道路を走る。マヨンを背景に堂々と道を行くKIAN。 デバインとビアンカに手を引かれてビアンカの通うサンアントニオスクールに向かう。デバインもビアンカも農場育ちだ。 街で食事をしての帰り、ダシン(マムジェーンのお兄さん)のトライシクルには大人子供総勢11人が乗り込んでお帰りだ。KIANがとった一枚。KIAN初の傑作写真だ。 翌日再び学校へ行く。この日は「先生の日」だそうで軍服姿の生徒が先生を迎えていた。残念ながらKIANは中には入れてもらえなかった。 お猿さんには興味を示すが近くに寄ると怖がるKIAN。猿はどういうわけか子供と女を威嚇する。マヨン火山をバックにママにチューをするKIAN。 どんなに機嫌が悪くても水遊びをさせると夢中になって時を忘れるKIAN。今日はお別れ、ママジェーンの実家でKIANをおろして空港に向かった。その後KIANは私を探して泣き続けたそうだ。 翌日、空港にKIANを迎えに行ったが、私を見つけてうれしそうに微笑むKIAN。私は彼からフィリピーノの本物の愛情というものを学んだ気がする。

KIANの学校訪問 2012年9月10日


   ゼスト・エアーという格安の航空会社がマニラとレガスピ間に就航したのは聞いていたが、今回、所要でタバコ市を訪問する折、初めて利用する機会があった。  ゼスト・エアーはターミナル4(従来ドメスティック・ターミナルと呼ばれていたもの)に発着するが、そこにはずらりとゼスト・エアーの飛行機が並んでいた。マニラーレガスピ間が往復で2767ペソと、大手格安空港のセブパシフィックが4000ペソ以上するのと比べて、かなり安い。  マム・ジェーンも一緒に行ったのだが、彼女はゼスト・エアーには絶対に乗らないと言い張って、翌日、セブパシフィックでタバコへ向かった。彼女いわく、ゼスト・エアーは他の航空会社の使い古した超中古機を買って運行しているので、いつ墜落しても不思議ではないと主張する。 そのせいか、内部はがらがらで、これで採算が取れるのかといぶかれるが、乗り心地はセブパシフィックとなんら遜色ない。窓から見えるニューポートシティや滑走路、マカティシティ、そしてグローバルシティもいつもと変わらない(当たり前だが)。  ロビンソンデパートの婦人服売り場には客がいない。いるのは売り子だけだ。これは昔、ここで試着をする若い女性客が消えていなくなる、といううわさが流れた。これはロビンソンのオーナーの息子が半身蛇で若い娘の生き血を吸っていきている、というなんともたわいもないデマによるものだ。 しかし、フィリピン人の多くはこれを信じてロビンソンには足を向けないそうだ。ゼスト・エアーにも同様の現象がおきているのかもしれない。 レガスピに近ずくと緑一面だ。この日は曇り空で、マヨンは厚い雲に覆われていた。レガスピ空港に予定通り降り立ったぜスト・エアーもなかなかの雄姿だ。      レガスピにも最近姿を見せたタクシー、レガスピータバコ間が700ペソの固定料金で、農場のあるサンアントニオは100ペソの割りましとなる。帰りも電話一本で迎えに来てくれるの大変重宝だ。今まで、タバコ市中心街まで、トライシクルで行って、そこからフィルキャブ、さらに空港の近くで再度トライシクルに乗り換えるというわずらわしさから開放された。 帰りも客が少なくて 、チェックインに並ぶ必要もなく、さらに30分も早く出発するという異例の事態だった。帰りも残念ながらマヨンの雄姿を拝むことはできなかったが、レガスピの街並みやボニファシオ・グローバルシティの全景を眺めることができた。 SLEX(南ルソン高速道路)の真上を通過して着陸。いつも地上から飛行機が高速道路のすぐ真上を通過する瞬間を撮影しようとしているのだが、未だに実現していない。 早くぬれ衣を晴らして、格安の飛行機を飛ばし続けて欲しいと思う。

フィリピンの格安航空ゼストエアーに初乗り 2012年9月9日



  8月31日の夜、妻から「あなた、大丈夫」という電話が入った。テレビでフィリピンで大地震が発生し、津波が押し寄せていると報道されていると言うのだ。そんなこととはつゆ知らず、あわててテレビをつけて情報の収集に努めた。 それによるとサマール島の沖合いでマグニチュード7.6の地震が発生し、津波警報が出ているというのだ。日本のテレビでも数時間後に50cm程度の津波が各地を襲うと、番組を中断して速報を継続して流していた。 それからはお見舞いの電話やE-メールが立て続けに入ってきた。当方は何の揺れも感じなかっただけに、少々照れくさい。いずれにせよマグニチュード7.6という数字は先の東北大震災のマグニチュード9に比べたら数千分の一のエネルギーで、交通事故に出会ったのと蚊に刺されたくらいの差がある。日本で番組を中断して速報を流し続けるほどのものでもない。中でもフィリピンに押し寄せた津波が3cmという報道には単位を間違えたのではないかと耳を疑った。そもそも3cmの津波などどうやって計測したのか想像もつかない。 メディアがちょっと過敏になりすぎて、人心をあおっているのではないかと感じられた。

フィリピンでも大地震そして津波発生? 2012年9月9日


  所用があってめずらしく9月に農場を訪問した。あらたに子豚が生まれていたが、どういうわけがハエが多く、豚小屋には一度だけしか訪れなかった。どうも手を抜いて手入れが行き届いていないようだ。水田は、前回の訪問では田植えをしたばっかりだったが、そろそろ刈り入れの時期になっている。 オクラやインゲンが植えてあった。おくらは身の丈まだ50cmくらいから収穫ができて、これから2mくらいになるまで毎日収穫できる。それも一日に2回くらい収穫しないと実が育ちすぎて食べられなくなるから油断ができない。ここのインゲンは長さが1mくらいまで育つ。        今年の初めに200本植えたパイナップルの苗はそろそろ実をつけるものも出ている。1年後くらいには毎日パイナップルが楽しめそうだ。ビコール名物のピリナッツはもはや5年近くになるがそろそろ実をつけるころだ。  庭の周辺に植えてあるランカ(ジャックフルーツ、世界最大の果物)は大きな実を大量につけている。10年近く前に植えたランブータンも実をつけている。 キャッサバはニューギニアなどでは主食としている芋だが、どこにでもなる。実をすりつぶして水にさらして毒を抜いて、バナナの葉に包んで蒸して食べる。もち米のちまきのようでとてもおいしい。  刈り入れ後の米のわらを食する牛。マヨンをバックに絵になる風景だ。10年近くになるココナッツもたわわに実をつけている。        馬のジンポはもっぱら草を食べるだけの生活だ。幹に直接実をつける果物は多いが、このカミアスはとてもすっぱくてちょっと果物とはいいがたい。 サツマイモの原種、カモテはいざというときに頼りになる食料だ。とうもろこしの苗。最近はジャパニーズコーンと呼ばれるスイートコーンがフィリピンでも主流だ。  パパイヤは1年で数メートルに育つ手っ取り早いバナナ、パイナップル、マンゴと並ぶ熱帯果物の王様だ。        熱帯で育つ小鳥はとてもカラフルだ。アンパラや(苦瓜あるいはゴーヤ)はカンコンやペッチャイと並ぶフィリピン野菜の王様だ。 草を刈って、野菜畑を拡幅している。さらにオクラを植えるているが、収穫が始まったら、ご近所に売りに出すそうだ。この土地を買ったときに唯一生えていたのがこの椰子の木だ。 […]

9月の農場は野菜や果物がいっぱい 2012年9月9日



   8月27日(月)は英雄の日で祝日となり、先週に続いて連休となり、再びプエルトガレラを訪問した。先週、騙し取られた50ペソを取り返そうと意気込んでいたが、呼び込みの輩は姿を消して、乗船賃や港の使用料の支払いはスムーズに済んだ。  今は、オフシーズンのプエルトガレラは熱帯モンスーンの影響で風が強く、波が大きく、乗船に苦労する一方、船中では船酔いの人が続出した。  今回の目的地はホワイトビーチだが、ここは船着場がなくて、この時期、船がつきにくくてプエルトガレラ港で下船、小型のバスで、目的地のホワイトビーチに向かう。 プエルトガレラ港は、入り江の奥深くで波が全くなく、数多くのヨットが停泊している。  ホワイトビーチは名の通り、サバンに比べて広い砂浜が続く。宿泊は、前回と同じホワイトビーチロッジで一泊1500ペソ。サバンに比べて、高級なレストランはなくて、バーベキューが一皿ライス付で100ペソと安い。 500mほど内陸に歩くと普通の田舎町が続く。ここからプエルトガレラまではトライシクルで、往復400ペソ、サバンまでなら800ペソもとられる。しかし値切ればサバンまで往復500ペソだ。ちなみに乗り合いのジープはない。 今回は、ホワイトビーチの先にあるタリパナン・ビーチに足を延ばした。 一番奥まったところにあるのが、エル・カノネロ・リゾートで一泊1800ペソで、リーゾナブルだ。  プライベートビーチの雰囲気が良い。客はまばらだ。  帰りはプエルトガレラまで小型バスで行く、乗船賃275ペソのうち、45ペソがバス代になる。このバスに14人がぎゅうぎゅう詰めなって、役15分の道のりだ。 12時発の筈が、出発は1時近く、その間、のんびりと海を眺めて待つ。 近所に小さなレストランが数軒あり、そこにはコッテージや土地の売り物が張り出されている。価格的にはマニラの郊外の物件と大差ない。価格はどういうわけかドルやポンドで示されている。15000平米のビーチの土地がなんと89万ドルという売り物があった。  オフシーズンは便数が少なくて、かえって満員だ。帰りは波はあったものの追い風で比較的スムーズな船旅がエンジョイできた。 バタンガス港について空腹のため食べるところを探したが、ターミナルの中に入らないと何もない。何故乗船客には食べ物を提供しても下船する人間にはなにも食べるところがないとは、なんという矛盾か。おかげでバスに乗ったら、車中は食い物を売る人であふれていた。我々もハンバーグと卵を買い求めて一息ついた。

プエルトガレラ・ホワイトビーチ、シーズンオフの訪問 2012年8月29日


   8月21日(火)はニノイアキノ記念日、20日(月)はブリッジ休みとなり、土日を含めて4連休となった。さらに先々週の8月7日(火)と8日(水)は洪水で官庁が休みで仕事にならなかった。さらに来週27日(月)は英雄の日で祝日となるので、ここのところ平均して週休3日という超先進国並みのゆとりある日々だ。しかし、日本のお盆を挟んで休暇をとり、限られた日数で退職ビザ取得を計画された退職者が多く、当方としてはやきもきする毎日だった。しかし、なんとかビザの発行をつつがなく終え、20日(月)と21日(火)は息子とプエルトガレラの海浜リゾートに遊びに出かけた。今回は特に息子の趣味の釣りに挑戦することにした。  今年は3度目のプエルトガレラ行きなので、慣れているつもりだったが、バタンガスの船乗り場で、船会社の社員と称する連中がしつこく付きまとい、つい言いなりに乗船賃(310ペソ)を支払うと、別の人間が環境税(一人50ペソ)を支払えという。しかも往復で一人100ペソだという。合計410ペソとられた。よく聞いてみると乗船賃が230ペソ、環境税が50ペソ(帰りの便には環境税は不要)、ターミナルフィーが30ペソ。全部で310ペソだ。最初の男に支払った310ペソですべて入っているはずだが、別の男に支払った環境税が二重払いだった。往復100ペソの嘘は見抜いて50ペソを取り返したものの、二重払いに気がつかず、50ペソを騙し取られる羽目になってしまった。たったの50ペソだが、金額の多寡にかかわらず騙されたということが癪にさわる。だから、この手の支払いは決して人任せにせず、窓口で自分で支払うべきだ。彼らはあの手この手で客を煙に巻いて小銭を騙し取ることに汲々としているのだ。きっとそれが彼らの生活の糧なのだろう。 今回はサバンに泊まった。ここはプエルトガレラの中でも最も繁華でゴーゴークラブさえも数軒ある。ただ、ビーチはそれだけ汚れた感じもする。リゾート客の多くは、ここを起点にボートで岬や島をめぐり、海水浴やダイビングをエンジョイする。 プエルトガレラはミンドロ島の北端の入り組んだ岬や島で、数百軒のコッテージがひしめく。今回泊まったのは海に面した部屋で1000ペソ/泊、3~5月のピークシーズンは5割り増し程度になるそう。プール付の立派なリゾートでも3000ペソ程度で泊まれるようだ。 浜の魚(そーだがつお?)の即売と浜で遊ぶ子供たち。 飾りを売る屋台が道端にある。みやげ物売り場はホワイトビーチの方が豊富だが、商品は似たようなものだ。 天気は雨は降ってはいなかったものの曇り空で、波も若干荒かった。 このような豪華なリゾートも、3~4千ペソ/泊で泊まれる。 浜に面したちょっとしゃれたレストラン、一品大体300~600ペソと、やや高めだが、チキンアドボを頼んだ息子はその量と味にいたく満足していた。 さすがマニラに一番近いダイビングのメッカとあって、ダイバー用のボートが並ぶ。 二日目、釣り船をチャーター、昼には帰らなければならないので、3時間、1500ペソを800ペソに値切って乗船。 途中、以前息子と一緒に泊まったビッグ・ラ・ラグナの端にあるリゾートを懐かしく眺める。息子といえば、船長の勧めでトローリングの道具を早速流して、大物を狙っている。 山の中腹にあるコッテージはとても洒落ている。 ここではボートが庶民の足だ。しかし、息子はトローリングの道具をスクリューに巻き込まれて無くなってしまい、浮きだけで3000円もしたのにとぼやくこと仕切り。 […]

プエルトガレラで釣りに挑戦 2012年8月25日