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肺炎にかかって3週間が経過した。医者の完治宣言は出ていないものの、もう薬もやめて、ほぼ平常の生活にに戻っている。幸いだったことは6月21日(金)の罹病以来、臥せっていた初めの1週間はほとんど来客や用事がなかったことだ。2週間目の病み上がりには、毎日数時間程度の用事でゆっくりと休養がとれた。そして、ほぼ、体調が整った今週は、急に仕事が舞い込み始めて、多忙ともいえる一週間だった。  最初の数日の具合が悪いときは食事も喉を通らず、一方、栄養を取らないといけないので、栄養ドリンクやら果物やら、食べやすいものを食べた。口がまずくなって普段食べていた納豆ご飯中心の粗食は食べる気がしなかった。そうしたら、血糖値が200~300程度まで上がってしまい(正常値は、空腹時で 110、食後で150程度)、いかんともしがたい状況に陥った。長年、薬に頼らず食事の節制と運動で血糖値をコントロールして来たものが、肺炎でその辺の作戦がしっちゃかめっちゃかになってしまったのだ。  医師に相談すると、病気をすると体がその病気に対して臨戦態勢となるために血圧と共に血糖値も上昇する。しかし、血糖値が高すぎるということは血の巡りが悪くなるので、病気への抵抗力が低下する。したがってやはり血糖値のコントロールが必要なのだそうだ。この際、血糖値は薬でコントロールすることにして、栄養は十分とるようにして、安静にしているようにとの指示を受けた。最近、発売された薬で副作用がなくゆっくり血糖値を下げる10年に一度出るか出ないかという良薬というのを処方してもらった(Januvia 50mg 一日一回服用)。肺炎が完治した時点で、血糖値のことは考えることにして、当面、今まで控えてきた肉や揚げ物などおいしいものを遠慮しないで食べることにした。  そして、今、念頭にあるのが、崎谷医師の提唱するナチュラル・パレオという食事法で穀類(米、麦、豆、いもなど)の摂取をやめ、肉・魚、果実や野菜・海草などだけを摂取するというものだ。この食事法は血糖値のみならず、ダイエットにも効果があり、高血圧、癌、認知症などあらゆる生活習慣病を劇的に改善するというのだ。すでにかなり有名なものだが、かつては、こんな偏食が体にいいはずがないと、興味がもてなかった。しかし、最近、私に毎日送られてくる生理学者からのメールマガジンでこの食事法を推奨していたことに着目した。その理由は下記だ。 ①人類の700万年の歴史において、穀物中心の食生活になったのは、ほんの1万年前の話だ。それまで、人類は700万年のほとんどを、狩猟や採集で食料を得てきた。その間、食べていたものは肉や魚、果物や木の実、さらに山菜・きのこ・海草などだけだ。 ②農耕が始まって人類は安定して食料を得ることができるようになり、劇的に人口が増えた。そして主食は米、パン、麺、ジャガイモ、豆などの穀物類となった。 ③元来、人類の体は、穀物、すなわち炭水化物ないし糖質からカロリーをとって生きるようにできていない。穀物が主食になったときから、人類は高血糖となり、さらに癌、脳溢血などの病を抱え込むはめになった。現代では、飽食も加わってメタボリック症候群と呼ばれ人類最大の敵となっている。 ④従って、人類は、原始人の食事、すなわち、穀物を摂取しない食事法により、これらの病、メタボから逃れることができ、健康を維持して長生きができるのだ。  この話は、なんとも納得の行く、説得力のある話だ。今まで血糖値をコントロールするために、カロリーの高い肉類を避けご飯と納豆に味噌汁、そしてたまに外でちらし寿司や冷やし中華をとるという私の食生活は、どうや根拠の薄いものとなってしまったようだ。  さらに、かの生理学者は、野菜や穀物だけしか食べないベジタリアンは癌を促進するものとして否定している。かの有名なアップルのスティーブ・ジョブスや女優のオードリー・ヘップバーンもベジタリアンだったが癌で他界した。だから、肉や魚を食卓から排除してはいけない。狩猟や採集で集めたものを食する、すなわち原始人の食事が人体には理想的なのだそうだ。  かと言って、穀物を排除したら人類は、食糧不足となって生き延びていけない。しかし、飽食の中にいる我々は、穀物を最小限にして、肉や魚、そして野菜中心というのは、取り組みやすそうだ。言い方を換えれば、おかずばかり食べていればいいというなんとも贅沢な話だ。しかし、ラーメンやおにぎり、そしてサンドイッチやスパゲッティが食べられないのは辛いことかもしれない。  また、いくら穀物を控えたとしても、肉や魚を食べ過ぎてもいけない。カロリー制限は長寿の秘訣であることは、マウスの実験でも明らかにされているそうで、原始人食という限り、ある程度空腹・飢餓状態が必要で、それにより細胞が活性化されて、健康で長寿を満喫できるそうだ。  マックやジョルビーでハンバーガーを食べて、フレンチフライをつまんで、砂糖たっぷりのコーヒーやコーラを飲んで、さらに、おやつにポテトチップを食べていつもお腹一杯、なんて食事が最悪であることは言われなくてもわかる。穀物を植物油であげたジャンク・フードがフィリピンのコンビニにはあふれているが、これは、やがてフィリピンの子供達の健康と精神を破壊するに違いない。だから、KIANがジャンク・フォードの袋を抱えていると、周囲に私から檄が飛ばされ、家の中からジャンク・フードが追放されるのだ。 […]

肺炎にかかってしまいました(その2)2013年7月14日


6月20日(木)、GMAの取材があった翌朝、ベッドの中で悪寒が走った。見る見る熱が出て、節々が痛む、熱も38度あり、典型的な風邪の症状を示した。これはやばいと思ったが、一眠りして汗をびっしょりかいたら、症状は治まっていた。ほんの数時間の出来事だった。しかし、息を大きくすると右胸の肋骨あたりが痛む。ちょっと心配になって午後から日本人会クリニックに出かけて行った。  日本人医師に見てもらったが、単なる肋骨の痛みであろうということで帰っきたが、そのとき、強い雨が降っていて、それに当たってびしょ濡れになったのが良くなかった。そして、再び、具合が悪くなって、翌土曜、日曜ともがき苦しむことになった。  6月24日(月)の朝一、早速クリニックに行って、レントゲンと血液検査をすると、すでに肺炎が悪化しているということで、入院を勧められた。しかし、入院となると、日本のテレビもインターネットも無し、しかもKIANの顔も見れないし、まるで刑務所に入れられる気分だ。医師に相談して、入院するのはベターだが、とりあえず薬を処方して、2~3日、様子を見ることでOKとなった。ちなみに肺炎のことを英語でPheumonia(ニューモニア)ということも医師から教わった。これから皆に病状を説明するのに必須だ。  そして、6月26日(水)、2日後に診察してもらうと、劇的に回復していて、この調子なら1週間も静かにしていれば、良くなるだろういいうことだった。もちろん入院の必要ない。そして、さらに6月29日(土)に診察してもらったら、1週間後の7月5日(金)には全快宣言が出せるであろうとのことだった。  7月5日(金)は、友人と全快祝いにエア・フォース・ワン(フィリピンでナンバーワンといわれるナイト・クラブ)に繰り出そうかとを計画していた。しかし、まだレントゲンに影があり、肺炎が完治していないということで、もう1週間薬を処方され、全快祝いはお預けとなった。しかし、体調的にはほとんどよくなっており、半日程度の外出は可能で、徐々に仕事には復帰していった。ただ片肺で酸欠のせいか、2~3時間、机に向かったり、外出すると疲れを感じることはあった。  ここで問題が発生した。私の部屋のテレビがケーブル・テレビ局の不調で見れなくなってしまったのだ。安静にしていろといわれても、大分体調が回復しているので、そうは寝てもいられない。テレビでも見て、ベッドでゆっくりしていたいところだが、そのテレビが映らなくなってしまったのだ。後、1週間(7月 15日)の全快予定まで、どうやって時間を過ごすか悩ましいところだ。  私も今年から高齢者(65歳以上)の仲間入りをした。今まではちょっとした風邪で済んでいたものが、肺炎という、高齢者の死亡原因として良く聞く病気を簡単に患ってしまった。今までの様に休みもなしに仕事をして、毎晩ビールを4~5本飲んで、タバコも吸う、夜遊びもそこそこにこなすなんて生活からはおさらばしなければならないだろう。しかし、そうなったら、逆に男としての活力まで失われて、一気に老け込んでしまうのではないかと心配ではある。  ところで私は無保険だ。住民票を抜いているので、健康保険には加入していない。また、当地でも医療保険には加入していない。今まで、生命保険も含めて考えると2千万円近いお金を無駄にしてきたということへの反省で、保険は損をするという通念があるためだ。当地での医療保険は入院などの大病だけをカバーするなら、年間、十数万円(60歳程度の場合)で済む。今回は通院なのでカバーされないが、入院したとするとカバー範囲だ。しかし、それでも掛け損になるには目に見えているので、手を出していない。ちなみにこの医療保険は民間だから、年を取っていつも病気がちの状態になるころには、掛け金は幾何級数的に高くなる。  今回かかった費用は、クリニックの診療代が6回で15000ペソ程度、薬代が7000ペソ、合計で22000ペソ、約5万円だ。もし、入院していたとすると、最低でも15万円程度はかかったろう。これを日本と比べたらどうなるか定かではないが、健康保険に加入していたとしても自己負担で5万円以上にはなるのではないか。しかも肺炎となれば、必ず入院させれるから、医療費全体としては数十万円に達していただろう。  今回は、無保険という状況から、医師とも相談して、自宅療養とした。その結果、3分の一程度の治療費で済んだ。また、今後は病気にかかるまいと健康への注意も怠らないだろう。自助努力で医療費は数分の一にも減らせることができるはずだ。であれば、保険にかかるよりも安く済む。  日本では健康保険の制度が徹底しているから、病院の医療は神の領域で医師のいいなりの治療が行われる。患者の負担はさほどでないから、医師が勧める治療をNOと言う人はいないだろう。終末治療も同じで、いわば、垂れ流しの治療が行われる仕組みができている。それが国保、あるいは健保の破綻を促しているのだ。   日本の健康保険はすばらしい制度ではあると思うが、それだけに人々から医療費を節約しようというインセンティブを奪ってしまっている。生活保護も一緒で、働くよりも生活保護を受けたほうがいい生活ができるという矛盾が生じて、働ける人の働く意欲を削いでしまっている場合がある。年金についても、それがあるがゆえに核家族化が進んで、逆に高齢者を家族から追いやっている側面がある。その辺に日本の福祉というものを考え直す余地があるのではないだろうか。要は自己責任という世界だ。   療養中、いつも姉のキムと一緒に私の部屋に来て、お見舞いがてら遊んで行ったKIAN。これが唯一の慰めであり癒しだった。

肺炎にかかってしまいました 2013年7月7日



一昨日、客とPRAを訪問した際、PRAのGMより、GMA(フィリピン大手ローカルテレビ局)の取材に応じて欲しいと頼まれた。GMAがフィリピンに移住してくる外国人を取材して、ニュースにしたいというのだ。GMAの担当者と日程を調整し、翌々日の午後20日(木)の午後に取材陣が我が家を訪問した。 インタービュー中、皆は階段で声をひそめ興味深げに様子を伺っていた  前日、その話をジェーンやキムにすると、私もテレビに出ると興奮気味、そして、やおら、事務所の大掃除に取り掛かった。事務所の大掃除などめったにないのだが、見栄っ張りのフィリピーノには大いなる刺激となったようだ。この調子でいつも事務所の片づけをして欲しいと思う。  インタビューの後、GMAのスタッフと共に記念撮影(前列右端がレポーターのレア)、KIANは十分に状況を理解しているようで、声をひそめたままで盛んにカメラに向かって話をしていた。なぜ声をひそめるのかと聞くと「I don’t know why I’m speaking like that」となんとも無邪気でかわいらしい返事をしていた。  GMAの取材陣はレポーター、カメラマン、それにプロデューサーの3人だった。めずらしく、約束の1時半きっかりにやってきた。レポーターのLea(レア)については、テレビでよく見かける顔だと、ジェーンが話していた。 記念撮影は続く、KIANも興奮気味にはしゃいでいる  早速、インタビューの準備にかかるが、中庭の戸を開けてやったので、暑くてしょうがない。冷や汗もあったかも知れないが、インタービュー中には、しこたま汗をかき、たびたび、顔の汗をぬぐう様に指示されてしまった。 今度はマム・ジェーンのインタビューが始まった […]

GMAの取材 2013年6月20日


6月16日(日)は父の日、この日は幸いパパカーネルも休みで、一家全員で食事をすることになった。場所は、ママジェーンお好みの天天火鍋だ。ここで食事を取るのは数ヶ月ぶりのような気がする。なかなか皆で食事をする機会がなかった。久しぶりの一家全員でのお出かけでにはしゃぐKIAN。前回来たときは、まだ赤ちゃんだったような気がするが、ずいぶんと子供らしくなっている。 カーネル一家で記念撮影 食事が一段落すると、早速、居合わせた女の子にお近づきの挨拶をするKIAN   KIANは店の従業員へのおべっかも忘れない KIANも、ようやく、まともな写真が取れるようになってきた。これがKIANの目線なのだ 店の前での一枚。相変わらずハンサムなKIANだ この日は、プレゼントにT-シャツをプレゼントされたが、ちょっと照れくさい若者風のデザインだった。

ファーザーズデイ(父の日)の食事会 2013年6月18日



カラバオはフィリピンの国の動物に指定されており、フィリピンの農村に欠かせない光景だ。実際、現在も、地方では水田耕作の主役である。水さえあれば、草だけを食べて、経費のかからない効率的な労働力で、糞は肥料にもなるから、究極のエコ・マシンだ。ちなみに一頭の子供が1万ペソくらいで買えるが、あとは一切の経費はかからない。おまけに、子供を生んで増えてくれるから、こんな重宝な家畜はいない。 農場の主だったカラバオ(水牛)。赤ちゃんを作ると期待されたが、意外と高齢だったようで、昨年死んでしまった  農場にも一頭のカラバオがいて、田んぼの耕作に従事していたが、昨年死んでしまった。それではフィリピンの農場らしくないと、今年、あらたに一頭の子供のカラバオを買い求めた。なんとか、子供を増やして、一頭から4頭にまで増えた牛のように農場の名物にしたいと思っている。カラバオは使役に使う有用な動物なので、カラバオの肉というものは市場には出回っていない。しかし、田舎で一度、カラバオの乳あるいはヨーグルトとというものを耳にして、なんとか試してみたいと思っていた。 カラバオは力持ちで、よく働く、農家には欠かせない存在だ   先日、マム・ジェーンがうれしそうな顔をしながら、明日はインドカレーを作ってご馳走すると、近くのインディアン食材店でカレーの材料を買ってきた。また、さらにカラバオ・ヨーグルトをカレーに混ぜると、おいしいと、5cmほどのカップ一つを25ペソで買ってきた。そして、ついにカラバオ・ヨーグルトを食する機会に恵まれたのだ。カレーの味も良かったが、カラバオ・ヨーグルトは、まさにあの、プレインヨーグルトの雄、明治ブルガリア・ヨーグルトそのものだったのだ。フィリピンのスーパーで売っているヨーグルトはすべて、何らかの味がついていて、しかもご多分にもれず甘くて大人が食することができる代物ではない。  最近購入したカラバオちゃん。大人のメスはおばあちゃんと区別がつかないから、子供なら間違いないというわけだ  大分前の話になるが、私がPRAで働いている当時、Uさんという目が不自由な申請者の面倒を見た。その方を農場に招待したのだが、Uさんはプレインヨーグルトに果物の刻んだのを混ぜて毎朝食べたいので、なんとかプレインヨウーグルトを手に入れるよう頼まれた。それでヨーグルと探しが始まったのだが、ようやく発見したのが、日本食材店のはっちんで、あの明治ブルガリアヨーグルトを発見したときは、感激ものだった。  はっちんのヨーグルトの棚、この日は、プレインヨーグルトは品切れだった  そのほかにも、我が家にしばらく逗留した山本のぶ子さんもプレインヨーグルトが安くて、効果的な美白剤としてつかえると強調していた。先日はっちんで買ったときは270ペソ。600円もしたので、そうは浪費するわけにはいかないし、品切れが多くて、常食には難しい。しかし、小さなカップ一つで25ペソならば、少しづつ買って毎朝の食卓に利用できる。 パソンタモとバグチカンの角から50mほど東に行ったところにインド食材店TAJがある  そういうわけで早速、試し買いにいったのだが、パソンタモとバグチカンの角から、東に向かって、50mくらい、我が家からは至近距離にTAJというインド食材店はあった。店は雑然としていて、スパイスの匂いが充満している、いかにもインドというたたずまいだった。 品物の並べ方は、日本の食材店に比べて、いかにも貧相だ  冷蔵庫にはナンの生地が並んでいたが、ヨーグルトらしきものはどうしても見当たらない。店の人にに聴いてみたら、冷蔵庫の中から鍋状のいれものを出してきて、そのなかに作りたてのカラバオ・ヨーグルトが入っていた。これをプラステックの容器に4杯分(100ペソ)を移し変えてもらったが、必ずしも安い食品ではない、というか、貴重品なのだからしかたがないかもしれない。 冷蔵庫も今一だ   ヨーグルトといえば長寿国として知られるコーカサスなど牧畜を営む地域のの主要な食物だったと思うが、日本の納豆や漬物など、これら発酵食品はすこぶる健康に良く、メタボに悩む現代人類の味方だ。糖尿病予備軍の私の食卓は、毎食、納豆と味噌汁と、ご飯が少々、おかずは適宜だ。毎食、これでは、少々寂しいので、2~3日に一回はサイカに行って、ちらし寿司を食べる。おかげで、体重は70Kgとコンスタントで、血糖値も120前後と正常だ。 […]

カラバオ・ヨーグルトと地鶏の卵 2013年6月11日


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昨夜、夕食をとっているとき、おかずに出た、スープの具の魚がぼそぼそであまりにまずいので、二度と買わないようヤヤに申し付けた。一緒に食事を取っていたジェーンとキムにも同意を求めたが、はっきりした返事がない。それでもしつこく、何故おいしくないか、マグロにしてはおかしい、など、同じ話をぐたぐたと続けた。そうするとジェーンが堪忍袋の尾が切れたように、食事中に食べ物への小言はやめろ、それは神への冒涜だと言うのである。食べられるだけでありがたいと思え、出された食事は黙って食べ、もしもどうしてもいやなら手をつけないで、「まずい」などと決して口に出してはいけない、特に子供の前では禁句だと、と叱りつけられた。 KIANの大好きなサイカでは、堅い焼きそばとエビフライ定食が、定番だ  それに対して、私の抗議は続く。フィリピン人同士としてはそれはそれはいいだろう。しかし、外国人に接するときは大いなる誤解を生じて、摩擦の原因になる。口ではおいしいと言いながら、本当はまずいから手をつけない、外国人にとって、それは嘘つきと映るのだと。  この日、たまたま、KIANと双子を連れて、あこがれのサイカに食事に連れて行った。いつもビーフ鉄板焼き定食では、物足りないだろうと気を利かせて、和風ハンバーグ定食を双子に注文してやった。これはアスパラ・ベーコン巻もついてフィリピン人に対しては定評のある料理だ。しかし、ハンバーグに乗っていた半熟の目玉焼きをフォークで突っついて、ちょっと味見をしただけで、二人とも決して手をつけなかった。おいしくないのかと何度聞いても、おいしいと答えるばかりで、KIANの堅い焼きそばのつゆをご飯につけて食べたりしている。いつものうれしそうな顔も全くないし、ヤヤもノーコメントで、当方としては手の打ちようがない。 この日は、私が注文した冷やし中華にも手を伸ばしていた。お酢の味がする冷やし中華はKIANの苦手だったはずなのだが、ちょっと嗜好がかわってきたようだ  夕飯の時のジェーンのコメントで、双子の態度が理解できた。双子は、口ではおいしいと言いながらも、本心は全く逆で、まずくて手が出なかったのである。他人がいくらおいしいと言っても、本人がまずいと感じて、手をつけないのだから、どうしようもない。いつもホットドックと目玉焼きを常食とし、チキンのからあげが最高のご馳走と思っているのだから、所詮、日本レストランでご馳走しても猫に小判なのは、わかっているつもりだ。私にとっての主賓はあくまでもKIAN王子なのだが、双子はKIANの家来だから連れて行かないわけにはいかない。  以前、よく通っていたレストランで、隣に座った店のマネージャーからおすそ分けをもらったことがある。おいしいかと聞かれて、正直にまずいと答えた。そうしたら店中が爆笑に包まれた。さらにもう一度おいしいかと聞かれ、また、まずいと答えたら、さらにまた爆笑の渦。これは私が、あまりに非常識な答えを返したので、まるで漫才のように映ったのだろう。特に他人から勧められたものを正直にまずいと答える非常識な人間はフィリピンにはいないのだろう。おいしいけど、後で、とかあいまいな返事で、ごまかすのフィリピン流なのだ。 お好みのビーフ鉄板焼きではなくて、和風ハンバーグ定食を注文され、それには全く手をつけず、ブスッとしながら食事をする双子  思っていることを、そのまま口に出さないのはフィリピン人の特性で、彼らの言動を、その態度から理解することが重要だ。そうでないと、フィリピン人の心情を理解できず、変にギクシャクしてしまう。それを、嘘つきめ、などと思っていたら、100年フィリピンに住んでいても友人はできないだろう。  大分前に、駐在員時代にフィリピンの文化社会人類学者の講義を受けたことがある。その中で、興味ある話題として、フィリピン人の「7つのYES」というのがあった。フィリピン人が例え「YES」と答えてもそれには7つの意味があって、それを的確にとらえないと、相手の真意は理解できないというのだ。 家ではホットドックがと目玉焼きが主食。よくまあと思うほど毎日食している ①本当のYES ②よくわからないが、多分、YES ③わからないから、とりあえず、YES ④あなたがそういうのであれば、YES […]

フィリピーノは何故嘘をつくのか(7つのYesの謎) 2013年6月9日



昨夜、NHKで、爆笑問題の司会で、日本の性の多様性についての番組をやっていた。レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー(性倒錯者)、4つまとめてLGBTというらしい。レズは女同士、ゲイは男同士が愛し合うもので、最近、アメリカの一部の州では同性の結婚が認められるなど、世の中に認知されつつあるようだ。バイセクシュアルは両性を相手にするもの、光源氏などはこの手であったようだ。トランスジェンダーは体と精神が性的に一致しない、いわゆるオカマやオナベだ。これら、LGBTは20人に一人、国民の5%に達するというから、全国で600万人という大変な数にのぼる。そのメッカが新宿2丁目だそうで、そこには同じ性向の人々が相手を求めて多く集まるそうだ。  モール・オブ・エイシアの近くのシーサイド・マーケット・レストランの呼び込みはほとんどがバクラだ。声をかけられているのはビジネスパートナーのジェーン   レズビアンとゲイでは例え結婚しようとも子供を作ることはできないから、いずれ滅ぶべき資質のはずだ。さらに、そもそも性が存在すること自体が種の保存のためだから、同性同士の愛というもの自体が、自然あるいは神の教えに背き、排除されるべき存在だとフィリピンではみなされる。さらに、かのエイズは同性愛者の間で爆発的に流行し、人類を恐怖に陥れたが、これはまさに神の同性愛に対する警告あるいは処罰なのではないかとさえ考える。アメリカや日本などの先進国ではこの同性愛がはばをきかせているようだが、ここ敬虔なクリスチャンの国、フィリピンで話題になることもなく、存在しないか、深く静かに潜行している。この辺をジェーンに糾してみると、その存在さえも信じられないとの回答が戻ってくる。 同じくシーサイドマーケットレストランの呼込み嬢、カメラを向けると集まってきてポーズをとってくれた   トランスジェンダー、すなわちオカマやオナベは日本と同様に人口の5%を占めるとしても納得が行く。女装のオカマは少ないものの歩く姿を見れば、一目でそれとわかるし、まるで男の格好をして女の子と手をつないで歩いているオナベもいたるところで見かける。フィリピンではこれらのトランスジェンダーは市民権を得ているから、その本性を隠そうとしないのだ。その点、ちょっとかわった人々を社会から排除して差別する日本とは大いに異なっている。  彼女らは最大限女らしさを発揮しようとするが、傍目にはそれが奇妙でおかしい  そもそもトランスジェンダーは、人間が生まれてくるときに、肉体の性別に対して、精神のミスプログラミングで、食い違いが発生してしまったものだろう。しかし、それはそれで、人間社会にバラエティを与える余興のようなものだ。だからフィリピン人は彼らを受け入れ、自然な友人関係を築いている。どうしても女に見られたいバクラは化粧をしたり、整形をして、女らしく見せようとする。これは普通の女性が化粧をしたり、整形をしたり、ダイエットする思いと一緒ではないか。  ジェーンの兄のアランの実質妻(癌で他界)の兄のジョジョ。農場にしばらく暮らしていたので、私の息子の良き友となっている。お決まりのビューティッシャンだが、その性格はすこぶる良くて、人気者だ  オカマのことをフィリピンではバクラという。このバクラは、普通の事務所でもいるし、不動産の営業や、いたるところで普通に働いている。特に、ビューティパーラーやダンスインストラクターはほとんどがバクラだ。彼らあるいは彼女らはバクラであることを誇りにさえ思っているようだ。一方、バクラであることが就職には影響しないという、なんともおおらかな世の中だ。  農場のクリスマスパーティに女装で飛び入りで参加したジョジョの友達。彼らは女装することに大いなる喜びを感じるらしい。周囲の子供達は大騒ぎだ  オナベのことをトンボイというが、髪を短く切って少年のような格好をしているが、胸が膨らんでいて、独特な雰囲気をかもし出している。彼らはセキュリティ・ガードなどの男性的職業につくことが多い。かの花街の雄、ミスユニバーサルで出演していたローズ・アン・グループの女の子達のボーイフレンドは、ほとんどがトンボイだったそうだ。 近所のレストランで出会ったトンボイ。腕には刺青をして大いに勇ましい  現在、フィリピンでナンバー・ワンのコメディアンであるバイス・ガンダは。まさにバクラだ。本人もバクラであることを売りにして、舞台でも地で通す。それが大いに共感を呼び、圧倒的な人気を博している。知名度においては芸能界一番といっても過言ではない。ちなみにバイスは英語であり、「副」という意味で、ガンダはタガログ語で「美」という意味、日本語にしたらどうなるか、いい言葉が思い浮かばないが、まさにバクラの人気者にふさわしい名前だ。  前々回の統一選のマカティ市長候補の応援会場でパーフォーマンスを披露したバイス・ガンダ。聴衆は候補者よりもバイ・スガンダのショーに喝采を送った  いつも女の子に見られるKIANが、バクラではないかと、つい先日までママ・ジェーンは心配をしていた。フィリピンでは子供ができると、この性の不一致がないかどうか、親は心配する。赤ちゃんは男も女もないのでわからないが、物心つくころになると、ママは肉体的な性と精神的な性が同じかどうか目をこらして観察するのだ。KIANの場合は、最近のあまりにもスケベな行動に、ママ・ジェーンのそんな心配は吹き飛んでしまったようだが、今度は、セックス・マニャック(異常性欲者)ではないかと、心配は絶えない。  […]

フィリピンの性事情 2013年6月8日


3才と2ヶ月になり、KAINも赤ちゃんから幼児へと脱皮し始めている。相変わらず周囲から可愛い可愛いと愛でられているのだが、ママ・ジェーンは、 KIANが、ちょっと異常ではないかと悩んでいる。それは、最近、テレビや写真の半裸の女性に興味津々で、テレビでビキニ姿のダンサーや雑誌のヌードを見つけると、無邪気に喜んで、オチンチンを勃起させていじくっているのだ。 キム姉さんの友達と談笑するKIAN。KAINは初めてあった人ともすぐに仲良くなって愛嬌をふりまく、まさにエンジェルだ  さらに、キムやビアンカなどのお姉さんの太ももを抱え込んで、お尻をクイクイさせるのは、まさに犬がやるマウンティングだ。先日も、パパ・カーネルのマッサージにやってきたマッサージのおばさんに向かって、オチンチンを勃起させ、手でぶるぶるさせながら、彼女に迫っていったそうだ。マッサージのおばさんは思わず「スス・マリオセップ(オーマイゴッド)」と叫んで十字を切っていたそうだ。 セクシーなレイデイ・ガガのDVDを大喜びで見つめて、下から覗き込もうとするKIAN  果たして、KIANは、3才にしてすでに男のスケベ心を持ち合わせているだろうか、とママ・ジェーンは心配する。私自身、3~4才のころの記憶は全くないので、なんともコメントできないが、女性というものを意識したのは小学校高学年のころではないかと思う。一方、自分の子供について思い起こすと、4つになった長男が車の中でなにかこそこそしていたことがある。ダッシュボードにペントハウスやプレイボーイのアメリカ雑誌を隠しておいてので、心配になってのぞいてみると、息子は雑誌のヌードの写真を見ながら、恥ずかしそうに、「オチンチンが立っちゃった」と話ていた。KIAN は、早熟だから、3才になり立ててで、女の裸に興味を持ったとしても、何ら不思議ではない。まさに赤ちゃんから脱皮して、男子としての成長を開始したのだ。男と名のつく限り、スケベとは無縁ではいられない。 姉のキムの太ももを抱えて腰をクイクイさせるKIAN。無邪気なKIANの意外な行動に、皆大騒ぎだ  考えてみれば、犬などは、1才ともなれば立派な大人で、子供も作れる。人間が3才で、スケベ心を持ち始めたとしても何ら不思議なことはない。犬は、誰が見ていようとも、例のドッグ・スタイルで交尾をするが、KIANも、このような行為を人前で披露することは、人間としてはしたない事であり、場合によってセクハラとして罪になるということを、まだ知らないだけだ。しかし、これから羞恥心というものを学んでいかねば、世間から除外されてしまうが。  17才のお姉さん達は顔を赤らめて恥ずかしがっていたが、そもそも、このような性行為は、元来別に人目から隠すべき恥ずかしい行為ではなかったのではないか。何で、人間だけが人目を避けるのか、これは私にとって若いころからの疑問で、未だ、明快な回答を見つけることができないでいる。特に最近は、エスカレーターや電車のなかでのちょっとしたスケベ心を発揮して盗撮などしたことがとがめれ、一生を台無しにしてしまう人が多い。しかし、そんな些細なことで、一生を棒に振らなければならない世の中になってしまっていることに憂いを感じる。  そもそも性はすべての人間に備わった、自然の摂理で、なにも恥ずかしがる必要のないものであるはずなのだが、逆に、性犯罪として極刑にも値する罪を呼び起こしている。これは性を封印しようとするから、逆に犯罪を呼び起こすという悪循環に陥っているような気がする。  ところで、このマウンティングは犬が人に対してもよく行う行為で、必ずしも生殖行為と関係ない場合がある。犬のメスが別のメスにたいしてやる場合もあり、ウサギのメスがオスに対してやっていたのを見たことがある。学説によると、これは、自分が優位に立っているということを示す示威行為であって、生殖行為ではないのだ。KIANは、従妹や姉達に対して優越感を持っているから、それを行為で示したのではないかと思う。だから、私に対しては決して、このマウンティングを行わない。KIANは、別に若いメスを選んで、スケベごころを持って挑んでいるわけではないのだ。 従妹のイアの首を押さえて、完全に押さえ込んでしまったKIAN。KIANは三才にして家族のボスとして君臨している   ママ・ジェーンを初めとする周囲の大人たちは、KIANのヌードに対する興味とこのマウンティングを同じ動機ととらえて、なんとスケベな3才児と心配している。これはママ・ジェーンのお父さん(イシドロ・ゴメス、福建省から渡ってきた生粋の中国人で二十数人+アルファの子供を残し、ママ・ジェーンを作ったときは70才を超えていたという伝説の性の達人)の血による、運命的なものに違いないと納得、あるいはあきらめようとしている。そういえば、ママ・ジェーンの兄弟もすで4人の子を設けながら、新たなる生殖活動に関する情熱はなみなみものがある。一方、父方のパパ・カーネルのお父さんも生粋の中国人ではあるが、あっちのほうは、さほどではなかったそうだ。それでもカーネルは6人兄弟だそうだから、こっちのお父さんもまあまあのスケベではあったようだ。

3歳で性に目覚めるKIANは果たして異常なのか 2013年6月7日



先日、息子と部屋で話をしていたら、外でドスンと大きな音がした。轟きがないので雷や花火あるいは爆発ではなくて、何かが落下したような音だった。そのことはそれで忘れてしまったのだが、翌日、コンドミニアムの入り口の駐車場に止まっていた車が、ビルの外壁の落下で破壊されていたのを目撃した。もし、そこに誰かいたとしたら即死に間違いない。   片付けられた瓦礫を見ると、厚さが5cm程度あって、かなりの重量だ。鉄筋は入っていなくて、ビルの外壁の化粧モルタルのようだ。しかし、モルタルにしては異常に厚い。 上を見てみると6~7階あたりのべランダの化粧モルタルがはがれて、コンクリートがむき出しになっている。これが何かの拍子に落下したのだ。何のためにこんな分厚い化粧モルタルを施したのかわからないが、こんな余計な事が大きなリスクに結びついている。 他の部分を見てもひび割れが目立ち、地震でも来れば、ほとんどすべての化粧モルタルは剥がれて落下するだろう。そうするとビルの周辺にいた人々の多くが死傷するという大惨事になるのは間違いない。  駐車場にはロープらしきものが張られているが、そのまま駐車し続ける勇気ある人もいる。しかし、危険なのはここだけではなくて、ビルの全周だ。今、私が住んでいるプライムタワーコンドミニアムのタウンハウスは、この奥にあるので、これらのビルの傍を通過しなければならず、常にリスクがつきまとう。  自分のリスクで駐車せよと書いてあるが、まさかコンクリート片の落下を想定したものではなかろう。たまたま一緒にいた建築出身の方は、修復工事は不可能だろうとコメントしていた。ビルの管理組合、あるいはデベロッパーはどう対処するのかわからないが、とりあえず自分に身は自分で守るしかない。  フィリピンではビルの内壁や外壁の多くがブロックを積んで、モルタルで仕上げる構造となっている。だから、ほとんどのビルの外壁には、この化粧モルタルが施されていると考えたほうが良い。そうなると、地震がおきたらビルの中にいて、決して外に出ないことだ。フィリピンの地震はたかが知れているから、構造体そのものが破壊されるということは、ほとんどありえないが、ビルの外はモルタルの破片の雨が降るだろう。  1週間後くらいに、化粧モルタルの撤去作業が行われていた。状況はどの階も同じであろうに剥落した階だけのモルタルを撤去したとしても何の問題解決にはならないであろう、 だから、私は高層ビルが嫌いだ。平屋、あるいは3階ぐらいまでが自分でリスクをコントロールできる範囲で、それ以上になると、そこにいるだけで常にリスクと背中合わせになる。ちなみにこのプライムシティでコンドミニアムを買ったときは、1階は洪水のリスクがある、3階以上は火事で逃げ遅れるリスクがある、階段の傍は泥棒に狙われる、だから2階の真ん中を選んだ。ここなら、火事で逃げるとき窓から飛び降りても足を折るくらいが最大のリスクだろうと考えたのだ。ちなみに終の棲家と考えて建設した農場の家はもちろん平屋だ。

外壁コンクリート片が崩落して車を直撃 2013年5月27日


人類の死因の第一位を占める癌。考えようによっては戦争や災害あるいは原発よりも恐ろしい人類にとって最大の脅威であり敵である。しかし、癌は外部のウイルスや病原菌、あるいは毒物が入り込んで発症するのではなくて、人体の細胞の変異によって発症し、人体そのもののが敵となるために、なんとも対処が難しい存在だ。   最近やっていたNHKスペシャルで、癌の原因が、人間の進化、特に脳の発達と生殖活動に起因するという興味深い話をしていた。すなわち、脳の発達に必要な物質をFASという細胞が作り出し、それが同時にがん細胞の成長に必須の栄養素となるのだそうだ。また、精子の増殖は癌の増殖の仕組みと一緒で、ともに人間が人間たるゆえの特性で、そのために人間は、他の動物に比べてはるかに癌に罹病する確率が高いという。まさに癌は人類が進化したゆえに抱え込んだ体内爆弾=宿命なのだ。 カーネルの姪の結婚式に彼の姉妹や子供達がマニラにやってきた。多くの観客を迎えて踊りを披露して喝采を浴びるKIAN  脳の発達とがん細胞の成長の話は、さておいて、癌と生殖の因果関係は、興味のそそられる話だ。人類とチンパンジーは700万年前、共通の祖先から枝分かれして、独自の進化の道を歩んだ。そのため、人類とチンパンジーのDNAの違いはわずか1%だそうだが、その違いの中に癌をめぐる運命的な相違が隠されている。  チンパンジーのメスは、さかりがつくと、生殖器を膨らませて、オスにアピールする。オスは、それを見極めて、効率的に交尾をする。オスのプロポーズは、メスに食料を分け与えることで、お礼に交尾をさせてもらう。しかし、人間のメスは、したたかな策略を弄し、さかりがついた時に生殖器を膨らませてオスにアピールすることをやめた。そうなると、オスはいつ交尾をしたらよいかわからなくなり、のべつ幕無しにメスに交尾を迫らざるを得なくなった。そうしないと、自分の子孫を残すチャンスがなくなってしまうというわけで、結果的に年がら年中オスはメスに食料を分け与えるはめになったのだ。  農場から息子が4人の連れを伴って戻ってきた。今回は皆にはじめての飛行体験をさせるという豪華なご褒美付だ  それがメスの狙いだったが、メスにも事情があった。2足歩行を行うことにより飛躍的に脳が発達して、知恵を獲得した人類であるが、それがゆえに、産道が狭まって、赤ちゃんは未熟児状態で生まれ、数年間は母親の手厚い保護を受けなければ生き延びることができなくなった。その間、メスは自らが食料を確保することができないから、オスをたぶらかして、自分とそして赤ちゃんの食料を確保する作戦に出たのだ。  子孫を残すために、スケベという宿命を神から授けられたオスは、一日中狩をして、メスに食料を貢がなければんばらないという悲しい運命を背負ってしまった。これが、男女の関係の根源的な本質で、要は、メスが食糧確保のためにオスをスケベにして、そのスケベが癌の増殖の元になってしまったのだ。 息子の歓迎会はピザパーティ。お祝いはいつも自分のためと思っているKIANは大喜びのポーズをとる  ところで、スケベと癌と何の関係があるのだろうか。四六時中セックスをしなければならないオスは、メスを妊娠させるために精子の果てしない増殖に努めなければならなくなった。この果てしない無秩序な増殖こそががん細胞のそれだったのだ。だったら、オスだけが癌にかかるのか、という疑問が生じるが、オスとメスの違いは、それこそ、コンマ1パーセント以下のDNAの相違だから、癌になりやすい資質としてはメスもオスも一緒だ。メスの癌といえば乳がんや子宮ガンが圧倒しているが、これら生殖器に癌が集中するというのも合点がいくところだ。  人類が子孫を残そうとする資質が、癌にかかる確立を高めてきたということは、何か皮肉だが、ものごと、いいとこ取りばかりはできず、そのうらに隠されたリスクも抱え込まなければならないということを示唆している。まさに人類の繁栄は癌になりやすいという代償を持ってなしえたのだ。 ゲームとなるとKIANの出番だ。息子のタブレットに興味深げに挑戦するKIANだ  癌にかかるリスクを増大してまでも進化させてきた男のスケベと女の打算。これこそが恋愛の原動力であり、駆け引きであり、男と女のLove Gameなのだ。日本ではこの男女の関係にいろいろとややこしい人的要素が加わって私にとってすでに理解できないものになっているが、敬虔なクリスチャンであるフィリピン人は、神の教えに基づいて、男女の基本的関係を守り続けている。  婚姻を証明する書類のことをフィリピンでは婚姻契約(Marriage […]

フィリピン流恋の手ほどき(その4,癌とスケベと女の打算)2013年5月26日