肺炎にかかってしまいました 2013年7月7日


620(木)、GMAの取材があった翌朝、ベッドの中で悪寒が走った。見る見る熱が出て、節々が痛む、熱も38度あり、典型的な風邪の症状を示した。これはやばいと思ったが、一眠りして汗をびっしょりかいたら、症状は治まっていた。ほんの数時間の出来事だった。しかし、息を大きくすると右胸の肋骨あたりが痛む。ちょっと心配になって午後から日本人会クリニックに出かけて行った。

 日本人医師に見てもらったが、単なる肋骨の痛みであろうということで帰っきたが、そのとき、強い雨が降っていて、それに当たってびしょ濡れになったのが良くなかった。そして、再び、具合が悪くなって、翌土曜、日曜ともがき苦しむことになった。

 624日(月)の朝一、早速クリニックに行って、レントゲンと血液検査をすると、すでに肺炎が悪化しているということで、入院を勧められた。しかし、入院となると、日本のテレビもインターネットも無し、しかもKIANの顔も見れないし、まるで刑務所に入れられる気分だ。医師に相談して、入院するのはベターだが、とりあえず薬を処方して、2~3日、様子を見ることでOKとなった。ちなみに肺炎のことを英語でPheumonia(ニューモニア)ということも医師から教わった。これから皆に病状を説明するのに必須だ。

 そして、626(水)、2日後に診察してもらうと、劇的に回復していて、この調子なら1週間も静かにしていれば、良くなるだろういいうことだった。もちろん入院の必要ない。そして、さらに629(土)に診察してもらったら、1週間後の75日(金)には全快宣言が出せるであろうとのことだった。

 75()は、友人と全快祝いにエア・フォース・ワン(フィリピンでナンバーワンといわれるナイト・クラブ)に繰り出そうかとを計画していた。しかし、まだレントゲンに影があり、肺炎が完治していないということで、もう1週間薬を処方され、全快祝いはお預けとなった。しかし、体調的にはほとんどよくなっており、半日程度の外出は可能で、徐々に仕事には復帰していった。ただ片肺で酸欠のせいか、23時間、机に向かったり、外出すると疲れを感じることはあった。

 ここで問題が発生した。私の部屋のテレビがケーブル・テレビ局の不調で見れなくなってしまったのだ。安静にしていろといわれても、大分体調が回復しているので、そうは寝てもいられない。テレビでも見て、ベッドでゆっくりしていたいところだが、そのテレビが映らなくなってしまったのだ。後、1週間(7 15日)の全快予定まで、どうやって時間を過ごすか悩ましいところだ。

 私も今年から高齢者(65歳以上)の仲間入りをした。今まではちょっとした風邪で済んでいたものが、肺炎という、高齢者の死亡原因として良く聞く病気を簡単に患ってしまった。今までの様に休みもなしに仕事をして、毎晩ビールを4~5本飲んで、タバコも吸う、夜遊びもそこそこにこなすなんて生活からはおさらばしなければならないだろう。しかし、そうなったら、逆に男としての活力まで失われて、一気に老け込んでしまうのではないかと心配ではある。

 ところで私は無保険だ。住民票を抜いているので、健康保険には加入していない。また、当地でも医療保険には加入していない。今まで、生命保険も含めて考えると2千万円近いお金を無駄にしてきたということへの反省で、保険は損をするという通念があるためだ。当地での医療保険は入院などの大病だけをカバーするなら、年間、十数万円(60歳程度の場合)で済む。今回は通院なのでカバーされないが、入院したとするとカバー範囲だ。しかし、それでも掛け損になるには目に見えているので、手を出していない。ちなみにこの医療保険は民間だから、年を取っていつも病気がちの状態になるころには、掛け金は幾何級数的に高くなる。

 今回かかった費用は、クリニックの診療代が6回で15000ペソ程度、薬代が7000ペソ、合計で22000ペソ、約5万円だ。もし、入院していたとすると、最低でも15万円程度はかかったろう。これを日本と比べたらどうなるか定かではないが、健康保険に加入していたとしても自己負担で5万円以上にはなるのではないか。しかも肺炎となれば、必ず入院させれるから、医療費全体としては数十万円に達していただろう。

 今回は、無保険という状況から、医師とも相談して、自宅療養とした。その結果、3分の一程度の治療費で済んだ。また、今後は病気にかかるまいと健康への注意も怠らないだろう。自助努力で医療費は数分の一にも減らせることができるはずだ。であれば、保険にかかるよりも安く済む。

 日本では健康保険の制度が徹底しているから、病院の医療は神の領域で医師のいいなりの治療が行われる。患者の負担はさほどでないから、医師が勧める治療NOと言う人はいないだろう。終末治療も同じで、いわば、垂れ流しの治療が行われる仕組みができている。それが国保、あるいは健保の破綻を促しているのだ。 

 日本の健康保険はすばらしい制度ではあると思うが、それだけに人々から医療費を節約しようというインセンティブを奪ってしまっている。生活保護も一緒で、働くよりも生活保護を受けたほうがいい生活ができるという矛盾が生じて、働ける人の働く意欲を削いでしまっている場合がある。年金についても、それがあるがゆえに核家族化が進んで、逆に高齢者を家族から追いやっている側面がある。その辺に日本の福祉というものを考え直す余地があるのではないだろうか。要は自己責任という世界だ。 

 療養中、いつも姉のキムと一緒に私の部屋に来て、お見舞いがてら遊んで行ったKIAN。これが唯一の慰めであり癒しだった。
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