shiga


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おやつといえばフィリピンではポテトチップなどのジャンクフードが定番だ。コンビニにはジャンクフードがあふれ、巷ではジャンクフードの袋を抱えてうら若い女性がおいしそうに口に運んでいる。油であげた炭水化物は肥満の元凶と我が家では禁止しているはずなのだが、皆、私に隠れて食べている。 そこで欠かさずに我が家においてあるのが韓国製の味付け海苔だ。10枚入りのパックが3個入って一袋50ペソと少々割高だが、毎週、10袋ほど買い求めている。野菜も果物を全く食べないKIANにはせめてもと自由に食べさせているが、海草は海の野菜だから、多少の足しにはなるだろう。幸いKIANは海苔と納豆が好物なのだ。 KIANばかりか、皆、この焼き海苔が大好きで、おやつ代わりに四六時中食べるのであっという間になくなってしまう。週一回、あるいは2回、PRAの帰り道にある韓国食材店、ARAに寄って買い求めるのが私の日課だ。私も、負けずに毎晩食しているが、ナッツやかぼちゃの種を海苔に包んで食べると中々美味だ。海草とナッツの組み合わせならば、血糖値も上がらないのでワインを飲みながらおやつとして楽しんでいる。 そして、最近ハッチンで発見したのが、韓国海苔と同じようなパッケージの日本産(正確には日本の会社がシンガポールで生産されている)味付け海苔だ。家に買って帰ったら、この方が油っぽくないし、味わいがあると大評判。われもわれもけんか腰で取り合ってあっという間に、8箱入りのパッケージがなくなってしまった。ちなみに一袋190ペソだから、韓国海苔より25%ほど高めだ。

我が家の定番おやつ韓国味付け海苔 2015年4月12日


私が覚えている限り、10年以上、荒れ果てたまま放置され続けたプールがいよいよ復活した。ここ2~3年、反対や賛成の張り紙や張り出され、ごたごたしていたのだが、ようやく工事が始まったのが、昨年の10月だった。そして、半年がかりで完成し、いよいよ、このホリーウイークに開放された。ホリーウイークの一週間は無料だったそうだが、KIANは農場で過ごしていたので、4月5日の最終日だけ、その恩恵に預かることができた。 早速、子供用のプールの縁に立ったKIANは大胆にもプールの中央にジャンプした。頭まで沈んでしまい、あわてたが、立てる浅さなので、事なきを得たが、KIANは恐怖で青ざめた。農場の簡易プールの深さはせいぜい1フィート(30cm)なので、転んでも水に浸かる程度だったから、KIANにとっては想定外の事態だったようだ。 プールの改装と言っても、床から壁、すべてを作り直すもので、費用は200万ペソもかかったそうだ。建設の当初から見守っていたが、従来の深さ、4フィートから6フィートを踏襲しているので、KIANが泳げるのは子供用のプールに限られる(それでも3フィートくらいの深さgがある)。大人用としても3フィートから4フィートあれば十分だと思うのだが、私の思いは伝わらなかったようだ。最近は、水の事故を防ぐために背が立たないようなプールを新規に作ることはない。 KIANは、毎日のようにプール遊びをせがむが、一日、一人150ペソ、ビアンカと双子、全部で600ペソは痛い。それで、ちょっとかわいそうだが、ビアンカとKIANだけに絞って、300ペソをビアンカに渡して、いつでもKIANが望むときに遊べるようにした。ちなみにプールは、隣のコンドミニアムパームタワーに所属しており、そこの住人は50ペソだ。月ぎめで1000ペソ/人くらいなら賄えそうなので、交渉したが、管理組合の役員会で相談するという。 それが、一週間経った今日、親しくしている向かいの弁護士で組合長さんが、特別に50ペソで遊ばせてくれることになった。ジェーンの顔がものを言ったらしい。その話をビアンカが持ってきて、300ペソの予算で双子も遊べるとうれしそうにしている。一人50ペソなら4人で200ペソ。これではOKをするしかない。 先日、にの腕に取り付ける浮き袋を買ってやったのだが、KIANまで見せてくれ、大分水に慣れてきたようだ。ちなみに子供用のプールの深さはKIANの肩まであって、顔を出すのがやっとだったが、今日は胸の高さに下がっていた。確かに水位を下げて浅くするという手があった。いずれにせよ、プールのある家に住みたいというKIANの希望がかなったのだ。 水泳は、年をとってもほどほどの運動で、私にも最適なのだが、いずれ近いうちに、KIANの水泳を指導してやり、一石二鳥を狙おうと思う。今日は、午前中は空手の稽古だったのだが、帰るやいなやプールに飛び込んで暗くなるまで過ごしていた。そうすると、夜もぐっすり眠って、KIANの成長にすこぶる望ましい。家の中に閉じこもって、パスコンでゲームをしたり、テレビで漫画を見ているよりも、どれだけましか計り知れない。 空手にプール、公文に公園遊び、ピアノにKizooona、さらに家庭教師に英語の読み書きを習うという5歳になったKIANの多忙な日が続く。しかも、ジェーンは、さらにお絵かき教室に通わせたいとまで考えているのだ。

コンドミニアムに待望のプールが復活 2015年4月12日



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生理学の教授から送られてくるメールマガジンのせいか、最近、とみに健康と食べ物に関心がある。教授によると、世の先生方は、何の根拠もないのに食べ物のことを、とやかく指導する。しかし、10年~20年も経つと、全く正反対のことを声高に主張して、人心を迷わす。 水の嘘 私が、子育て真っ盛りのころ、子供たちが食事中に水を飲むと妻がそれをたしなめた。水を飲むと胃液が薄まって消化によくないというのだ。さらに、子供のころ、走った後には、どんなにのどが渇いても水は飲んではいけないと先生に指導された。たぶん、その筋の専門家のアドバイスだったのだろうが、今は、マラソン選手は競技中に盛んに給水するし、少なくとも一日、2リットルの水を飲んでおしっこをたくさんしろと、医者は繰り返す。一昔前の「水を飲んではいけない」という指導はなんだったんだろう。 私が、クエートに駐在していた時、数年するうちに歯の根元がえぐれてしまった。物知りの友人に話したら、それは、クエートでは水道水は蒸留水でミネラルが含まれず、歯そして骨のカルシウムが不足してやせ細ってしまうのだと教えてくれた。だから、飲み水や料理の水は、すべてミネラルウオーターを使っているという。日本に帰ってから、えぐれたを歯に詰め物をしたが、歯医者にその話をしても、歯の磨き方が悪いのだととりあってくれない。しかし、日本に帰ったら、ぴたりと止まったので、歯医者でさえも知らぬことがあるのだろう。 フィリピンでは、ミネラルウオーターのコーナーにAbsoluteとかWilkinsonの銘柄の蒸留水が売っている。純粋だからいいのだと主張しているが、なぜ、売っている水がミネラルウオーターと称されているのか理解していないようだ。人が作り上げた純粋な水など百害あって一利無しなのにだ。 食事は人類にとって至福の時だ 塩の嘘 一昔前、天然塩がスーパーから姿を消し、専売公社はイオン製法の塩のみを市場に供給した。これは純粋な塩というか、NaCl(塩化ナトリウム)という科学物質でもはや食物ではない。イオン製法によって生産された塩、NaClの98%は工業原料として使用されているという。一方、海水から生産された天然塩は10倍近い価格で売られているが、これらは、その10%程度がマグネシウムなどのミネラルを含み、体にとって必須なものだ。 塩の取りすぎは、高血圧など諸悪の根源とされ、事細かに塩の摂取の制限が唱えられている。しかし、これらの説は全く科学的根拠はなく、塩、あるいはこれらのミネラルの不足の方が健康への悪影響は大きく、天然塩は積極的に摂取すべきなのだという。昔、上杉謙信が武田信玄に「敵に塩を送る」という言葉が残っている位、塩は人体にとって必須なもののはずなのだ。 こんな話を聞いて、フィリピンのマーケットを探したところ、スーパーにはイオン製法の塩しか置いていなかった。フィリピンではイオン製法の塩の方が健康に良いと言う嘘がまかり通っているようだ。先日、キアポに行ってみたら、あきらかに天然塩と思われる塩がイオン製法の塩と同じ値段で売られていた。ここぞとばかり5袋ほど買って、我が家では天然の塩を使うように言いつけた。 キアポで売っていた天然の塩と銘菓「柿の種」を食するKIAN 穀物の嘘 戦後、アメリカの支配を受けて、国民の健康を増進するためとパン食と肉食が盛んに奨励された。これは、アメリカ産の小麦や飼料を輸出するための国策だったということは歴史上の事実だ。一方、穀物や麺類をたくさん食べることがもてはやされ、ラーメンライスなどのメニューがあったくらいだ。これも、国策だったそうで、そうすることによって成人病が爆発的に増加し、医薬品業界と医療業界は大いに潤っているそうだ。 フィリピンでもその傾向は、いまだ強く、チキンのから揚げにライスというのがファーストフード界の雄、ジョルビーの定番メニュー、そしてパンシット広東(焼きそば)にライスなどが、国民的食事の典型だ。また、新興著しいファーストフードのINASALは、ご飯お代わり無料という仕組みで、脚光を浴びた。 しかし、長年の穀類/糖質(特に砂糖)の大量摂取が、すべての成人病(生活習慣病)の元凶であり、肥満の原因であるということは、すでに定説だ。糖質の摂取を制限して、肉、魚、野菜、果物、木の実など元来、人間が誕生以来数百万年の間、食べてきたものに回帰することが心臓病、脳溢血、糖尿病、認知症、癌など、現在、死因の上位を占める病気、成人病(生活習慣病)を回避する唯一の特効薬なのだ。ちなみに、穀物の摂取は農耕時代、せいぜい1万年の歴史で、人の体は、まだそれに順応していないのだそうだ。また、野生の動物は、決して生活習慣病にはかからないが、人間と同じ食生活をするペットは人間と同じ生活習慣病にかかり、アニマル・クリニックはメタボ犬やメタボ猫で一杯で、おおいに繁盛しているようだ。 […]

食品の嘘と本当 2015年4月12日


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ダイアモンド社が主催する財オンラインへ私のブログを掲載してもらっている関係ででお世話になっている作家の橘昶さんのフィリピン取材の一環として、タバコの農場へ一泊で出かけた。 農場 子牛と子豚 黒豚が2世を迎えて11頭に増えていた。さらに2頭のメスが妊娠していて、いよいよ幾何級数的に増えるのではないかと予感する。さらに子牛の誕生、白豚の誕生など、農場は営みにあふれていた。ファームハウスの脇の水路のリップラップ(石積み)も完成した。この日は、ゲストを向かえたせいか、マヨン火山がその雄姿を惜しげなく見せてくれた。   スコーター/タバック しばらく農場を観察してから、タバコの町を見物に出かけた。ジェーンの実家は、フィリピン人の普通の暮らし振り見てもらい、そのすぐ脇にある川沿いのスコーター見物。スコーターといっても田舎のそれは、不潔感も少なくて、大量の子供たちで活気にあふれている。そこに、貧困の悲惨さと暗さは見えない。橘さんも、その雰囲気に好感をもっていた。 タバコ市の名前の由来は、煙草ではなくて、刃物を意味するタバックでこの付近は刃物の産地だ。このほか、タバコ市周辺はアバカ(マニラ麻)のバッグ、楢・籐家具などの名産地だ。 教会 タバコ市を北に向かうと地熱発電で有名なTwi市を経てハンギングロードと呼ばれる三陸海岸のような地形に出る(写真追加)。その先にあるのが、女性の願いをかなえるご利益で有名なホロアン教会だ。 ファームハウス 夜は、ジェーンの甥と姪が集まって、橘さんを迎えた。カラオケは定番で、アレインは得意の器械体操を披露した。 マヨン展望台、カグサワルーイン/お土産 翌日は、早めに農場を発って、マヨン火山の展望台経由でレガスピ空港に向かった。この日もよく晴れて、マヨンの絶景を見放題だった。 ビコール地方の象徴とも言えるカグサワの遺跡。この日は自転車レースのイベントが あったようで、その表彰式に出くわせた。周辺のお土産さんは駐車場のまわりに移動して、軒を並べていた。小さめのバッグ、3個100ペソを見つけて、女性 […]

橘昶さんの取材に協力(農場編) 2014年4月12日



3月14日は、KIANの卒園式に参加した。場所は、マカティ大学で、ボニファッシオを横切ったタギッグ市の近傍にある。KIANもいよいよ年中を卒園し、後一年で小学生になる。赤ちゃんと思っていたKIANもほどなく小学生になると思うと時の速さを痛感する。   記念のアルバムをもらって喜ぶKIAN この日は、幼児から年少、年中、年長の2歳から5歳までの園児がそれぞれ踊りを披露した。舞台の前では先生が見本の踊りを行って、舞台の園児がそれを真似て踊るのだが、KIANは周りを眺めながら必死にあわせている。いかにも稚拙な踊りだが、両親たちは、わが子を必死にカメラに収めようとしている。 舞台に並ぶ子供達と写真の撮影に夢中の父母 KIANはもともと2歳のころから独創的な踊りを見せて周囲を喜ばせたものだが、そこには独創的性はなくて、いかにも型にはめられた子供らしい稚拙な動きを見せるだけだった。音楽に合わせて好きに動くようにすれば、子供たちの豊かな感性が培われると思うのだが、ここでは園児らしいと思われる大人の感性を押し付けているだけのように見える。そのためか、KIANの踊りに対する興味をうせてしまったようだが、集団教育の限界なのだろうか。 押し付けのダンスを演技するKIANだが、腕白なKIANが子供らしさを演じることを強制され、不本意なKIANが見える 学校とは、子供の伸びようとする才能の枝を切り取ってしまって、子供を型にはめているだけにしか思えない。KIANは公文や英語の家庭教師、それに空手やピアノを習わせて、さらにKizooonaやサルセド公園で遊ばせているが、そっちのほうが面白いから幼稚園に行く必要はないという。これらは、個人レッスンなので、一律に型にはめるのではなくて、KIANにあわせたレッスンが行われ、さらにのびのびと遊べる。 控え室のKIANとアティ・キム 確かにKIANの言うとおりなのだが、現在、2年間の幼稚園は、義務教育なので、通わせないと小学校の入学資格がなくなってしまう。従って、KIANには消化試合のつもりで我慢してもらうしかないようだ。 爪が伸びてはがれそうなので、切ってやろうとすると指が切られんとばかりに嘆くKIAN(左)。いかにも読んでいるかのごとく本を眺めるKIAN(右) 最近、ママジェーンが、KIANは文字や数字を書くのが他の園児に比べて劣っていると心配する。一方、KIANの思考やおしゃべりは、とても4歳児とは信じられないほど、他の子供よりはるかにおませなのにと。それに対しては、私は、前のブログに書いたように五感による思考、それを言葉にする能力、そして最後に文字や数字となる。KIANの思考やおしゃべりが優れていることは、大いに誇るべきであり、4歳の子供が文字が今一など心配無用。自分が4歳のときに果たして文字や数字が書けたであろうか。ろくすっぽおしゃべりもできない3~4歳児が文字をすらすら書いたら、まるでサルが物まねで文字を書いているようで、気持ちが悪い。 最近人気のはつはな亭、畳の間で皆でランチ おやつの定番、アイスクリームを食べる子供達は至福のひと時だ  

KIANの卒園式 2015年4月12日


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ここ数ヶ月、我が家の食卓を飾ったいたのがダランダンの生ジュースだ(旬は3月までだそうだ)。ダランダンとは柑橘系でカラマンシーを大きくしたようなみかんの原種といえるような果物で、フィリピンで採れる。房の皮が厚くてみかんと思って食べると、すっぱみが強くて、とても口にする気になれない。しかし、ジュースにして飲んでみたら、ほどよいすっぱみでとてもおいしい。ビタミンCが豊富な感じで、糖尿病や認知症にも効果がありそうだ。 しかし、実が小さいのでコップ一杯のジュースを作るのに、10個くらい絞らなければならず、手間がかかる。したがって、我が家の女の子たちが、毎日、ダランダンのジュース作りに励むことになった。       ダランダンはもっぱら近くの屋台で買うのだが、いっぺんに5kgくらい買うが、1kg、たったの30ペソと格安だ。一般の輸入オレンジやみかんは1kg 200ペソ位するので、はるかに安い。だから、私は、農薬で汚染された輸入果物(りんご、オレンジなどほとんど中国産)を買わないで、マンゴ、バナナ、パイナップル、パパイヤなどのフィリピン特産の果物を買えと主張する。 一方、ママ・ジェーンはスーパーで売っているバナナやパイナップルはミンダナオのDoleなどの銘柄物なので、何が含まれているかわからないから決して買わないと言う。ウエットマーケットや屋台で買うのが、見てくれは悪いが安くて安全で間違いない。バナナやパパイヤは、常に我が家においてあるが、野菜嫌いのフィリピン人にはこれらの果物が必須なのだ。 我が農場にはバナナやパパイヤはあるものの、パイナップルは気候のせいかなかなか成功しない。しかし、ダランダンなら行けそうと、大量の種を農場に送りつけた。今回、ホリーウイークの休暇で来てみたら、以前から葉っぱだけで実をつけていない役立たずの柑橘系の木がダランダンで、いくつか実をつけていた。まさに、農場で見放されていた木が、注目を浴び始めたのだ。

ダランダンの生ジュースは健康の元 2015年4月12日



今日は、色々回らないで、一箇所を集中的に見たいというので、チャイナタウン周辺を攻めるることにした。この方は70歳を越えるが、フィリピンの下町を歩いていると、昔、同じところにいたことがあるという錯覚(デジャブ)を覚えることが頻繁にあるという。なにか、ここで、戦後の日本を感じるのだという。 トンド トンド地区に入ると周囲のスコーターを見て、一分ごとに「すごい、すごい」を繰り返し、ここの住民の壮絶な暮らしぶりに、ため息を漏らしていた。こんなところで火事が起きたらひとたまりもないだろうと話をしていたら、この日、まさにスコーターで火事が発生し、数百人の人が焼きだされてしまった。 キアポ 庶民の信仰を集めるキアポ教会の門前町に並ぶ無数の屋台、衣料品、靴、雑貨、生鮮野菜、それに怪しげな薬草、ここは、マニラで一番物価が安いと有名で、各種野菜も一皿10ペソ前後で売っている庶民の町だ。ここでも、数回デジャブを経験したそうだ。この界隈興味深いものだろう。 キンタマーケット 1980年代に流行った「キンタの大冒険」を地で行くような「キンタマーケット(金玉蹴った)」という名前のウエットマーケットを訪問。魚は丸のまま、肉はカギでつるして売るという、昔ながらの売り方をしている。パックした肉や魚になれた日本人には異様な雰囲気だが、フィリピンでこれが普通の売り方なのだ。 チャイナタウン この日はチャイニーズニューイヤー、オンピン通りは人で埋まっていた。この日の目玉は、獅子と竜の踊りだ。通りの角には爆竹を並べ、威勢の良い音に合わせて獅子と竜が舞う。しかし、問題は、こんなときでも交通規制をしないので、人でいっぱいの本通りに車が入ってくることだ。こんなところに入り込んだら出ようがないと思うのだがなんとも理解しがたい。 さらに川岸の屋台で、格安の中華料理を堪能しようと思ったが、さすが正月、たくさんの人で席がない。そこで、すぐそばの普通の中華料理屋に入ったが、種類も少なくて、値段も高いので、誰も入っていない。そこで、食べていると、見覚えのあるフィリピン人を見かけた。そうしたら、向うから「Mr. Shiga?」と声をかけてきた。20年以上前、私が駐在員として運営をしていた会社のエンジニアーだったが、まだ、その会社に勤めているという。社員数は、1000人を超え、契約社員が600人、合計1600人の社員を抱える大会社に育っているそうだ。 この後、同行した息子さんの希望で、ゴーゴークラブやナイトクラブに足を運んだが、こんなご機嫌なお父さんを見るのは久しぶりとのことだそうで、案内の甲斐があったというものだ。

チャイナタウンの旧正月2015年4月12日


2000年台後半、フィリピンにコンドミニアムブームが到来し2010年代前半から物件の完成・引渡しが始まった。多くは、転売ないし賃貸を目論んだ投資目的だから、今度は転売と賃貸のブームとなり、コンドミニアム市場は転換点を迎えている。 ボニファッシオ・グローバル・シティの裏手に開発中のコンドミニアム群はタギッグ市の低級住宅地と隣りあわせだ(左)。スカイウエイからのマカティのビル群の眺望は、相変わらず国際都市と呼ぶにふさわしい(右) とある退職者から、新築のコンドミニアムを完成後(新古コンドミニアム)、第一次購入者から転売・購入して、代金を支払い、物件の引渡しは終了したものの、一向に所有権移転の作業が進展しない、一体どうなっているのか、という質問が来た。詳しい話を聞いてみると、契約を行い、お金を支払い、鍵を預かったものの、仲介に当たったフィリピン人が、全くの素人で、何をすべきかもわからず、ほったらかしにされてしまっていたらしい。仲介手数料さえもらってしまえば、後の面倒な手続きにはそ知らぬ顔を決め込んだもののようだ。そこで、登記移転に当たっての必要書類、手順について下記の通りアドバイスを行った。 所有権の移転に必要な書類は下記となるが、下記のうち1.~4.は物件購入の際、売主に提示を求め、その存在を確認できない場合は、後日、登記移転に支障をきたすので、購入を控えたほうが無難だ。 1. 売主名義の権利書(CCT、Condominium Certificate of Title) 2. 売主が登記したときのCAR(Certificate Authorizing Registration)税務署の権利移転の許可証) 3. 売主名義の納税申告書(Tax Declaration)、および固定資産税(Real Property Tax)の支払い領収書(Official […]

新古コンドミニアム購入の留意点2015年4月7日



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先ごろ、シンガポールの建国の父といわれるリー・クァンユー元首相が死去した。享年91歳だった。私が、就職した年、初めての海外赴任がシンガポールだったので、懐かしい思いがした。新入社員にとってはじめての海外赴任、そしてさらに初めての海外渡航は胸躍るものがあった。その時、問題だったのが、英会話だ。高校時代は英語を点数稼ぎにするくらい得意だったのだが、いざとなると全く英語をしゃべることはできなかった。早速、英会話帳のようなものを手に入れて赴任前、毎日、首っ引きで眺めたが、何の効果もなかった。そして、いよいよ、某年、1月1日、先輩とシンガポール行きの飛行機に乗ったが、飛行機の中で、となりに座ったカンボジア人が英語でしつこく話しかけてくる。ろくすっぽ会話などできないので、うっとうしくて、「私は英語を話せません」と英語で辛うじて言ったら、「これからシンガポールに行くのに英語をしゃべれないでどうするのか」と、叱られてしまった。 シンガポールに到着してまもなく、 ホテルで電話を使いたくて、先輩に「電話を使いたい」をどのように言ったらいいかと聞いたら。「Can I use telephone」だと、教えてくれた。なんだ、こんなことかと思って使ってみたら、確かに通じた。読み書きにはある程度自信があったのだが、思ったことを即座に英語にすることができない。そこで、思いついたのが、毎晩のキャバレー通いだ。仕事が終わったら、夕食後、毎晩、夜が更けるまで、キャバレーで時間を過ごした。たしか、1時間、15シンガポールドルで、気に入った英語のうまい女の子を指名するのだが、1000円/時間足らずの出費で、英会話教師を雇うより安かったと記憶している。気楽な時間に気楽な場所で、ただ、ひたすら馬鹿話をするだけだが、相手もそれでお金がもらえるのだから、快く付き合ってくれた。まさに一石二鳥だ。そして、半年、なんとか思うことを英語で表現できるようになった。それ以来、私は、英会話は学ぶのではなく、慣れるもの、実践あるのみ、と説いている。        部屋においたゴミ箱にトウモロコシとバナナの食べかすを捨てたら、ほどなく小さなアリが列を成していた。彼らの情報伝達能力には驚くべきものがある そのころは、まさにシンガポールの勃興期で、私は、シンガポールに石油精製プラントを建設する一役を担っていたのだが、50歳過ぎのリークァンンユー首相が活躍しており、私にとっても会社人生の出発点でもあった。シンガポールは、多民族国家で、共通語は英語、そしてもともとの地元の言葉がマレー語、それから国民の大多数を占める中国語だ。しかし、この中国語が、出身地域により北京語、広東語、福建語、海南語などと多数の言語が使われる。さらにポルトガル語を話す人も若干いた。だから、シンガポールでは少なくとも、五ヶ国語を話さないとスムーズな会話ができないといわれていた。人が顔を合わすと、お互いの共通語を探し出し、もっとも話がしやすい言葉で会話をはじめる。3人寄れば3つの言葉が飛び交うと言われ、場合によっては、中国人同士がマレー語で会話することもしばしば起こる。 その時、あるシンガポール人に「ものを考えるときはどの言葉で考えるのか」と質問をした。そうしたら、しばらく考えて、「英語で話をしているときは英語、中国語で話をしているときは、中国語だ」と答えた。今になって考えてみると、それは間違いだと思う。人がものを考え、思い、あるいは感じるときは、言葉ではなくて、五感および感情などで構成される思考回路というものが別にあるのだと思う。その証拠に夢に出てくるのは映像や感情が主体で、言葉は出てくることは少ない。自分自身、英語で話しているときは、頭の中は英語で充満されている。しかし、思考そのものは、使用している言語に関係ない世界(脳)で行われ、単に、その思考を英語で表現するか、あるいは日本語で表現するかの違いだけなのだと思う。 黒豚の家族たちの行動もなかなか統率が取れており、そこにはお互いのコミュニケーションがあるように思える この五感などで構成された思考を言葉に表現して声に出すことが会話であり、さらに文字で書き表すことが文章だ。人間がいつから話をするようになったかは、わからないが、数百万年の歴史があるのだろう。一方、文字の文化は数千年に過ぎない。人類には数千の言語があるが、それらはすべて後天的なもので、生まれてから数年のうちに身につけ、種族を区別する根源となる。一方、文字は、主だったもでは、ローマ字、漢字、アラビックなど数えるほどしかないが、その習得には、十数年の歳月を要する。 五感においては、動物も人間も共通で、場合によっては動物のほうが優れている。しかし、言語を獲得した人類は思考を言葉により表現できるようになった。そして、さらに文字を使い文章にして情報交換するようになり、動物とは徹底的な差別化を行い地球を制覇した。一方、思考をつかさどる五感というものは、すべて動物が持っているものだから、数億年の歴史があるといえるだろう。 すでに高度な英会話能力を獲得しているKIANだが、文字を読んだり、書いたりすることは、まさにビギナーで、その差は驚くべきものがある。最近では、本人が、タガログ語もビコラノ語もわかると豪語しているが、文章に関しては、あきれるくらいにレベルが低い。このことが、まさに数百万年の言語の歴史と、数千年の文字の歴史の差だと思う。しかし、数億年の歴史を持っている五感は、赤ちゃんが生まれたときから高度に備わっているもので、場合によっては大人よりも優れていることが知られている。動物もしかりで、五感の能力は人をしのぐものがあり、赤ちゃんや動物の能力を馬鹿にしてはいけない。 鳥は、かなり勝手な行動をとって、さほどのコミュニケーションがあるようには思えない […]

動物は会話をするのか(思考、言葉、そして文字)2015年4月7日


当たり前のところには、自分たちで行くから、自分たちだけでは行けないようなところに案内して欲しいというちょっと変わった案内を頼まれた。すなわち、フィリピン人でも憚れるようなスコーター(スラム)、下町などにいたく興味があるというご夫婦だ。 そこで、ジェーンの兄、アランに案内を依頼して、彼の知り合いが住んでいるというパサイ市のマリバイ、トラモ地区のスコーターエリアに向かった。フィリピン人にとっても、つてなしでスコーターに入るのは危険きわまりない行為なのだ。 普 通の通りから一歩はいると、川沿いにスコーターは広がっていた。海岸や河岸は防災の関係で、一定の範囲は国有地となっている。そこを違法に占拠(スクワッ ト)しているのがスコーターだ。国有地は誰のものでもないから、危険な思いをしてあるいは非情に追い出しに躍起となる役人はいない。 スコーターだからと言って、皆が皆、悪い人ばかりとは思えないが、行くところがなくなってたどり着いた人も多いから、そこの住人以外にとっては、危険人物が多いのだ。特に、日本人がつてもなくて入り込んで行ったら、そのまま出てくるのは至難の技だろう。 中に入ってみると外見とは裏腹に部屋の中は意外とこぎれいにしている。また、洗濯物がやたらと干してあり、フィリピン人の清潔好きは、ここでも感じられる。同行した、奥さんは、慣れればここでも暮らして行けそうと感想を漏らしていた。皆、なつっこそうに、ものめずらしげに、こちらを眺めている。なかなかかわいらしい少女もいて、ジャパ行きさんの故郷を見る思いだった。 ジャパ行きさんと親しくなって、結婚の申し入れに実家を訪ねると、そこはスコーターでショックを覚え、別のところに二人の家を構えると、家族一同が移り住んできてしまった、などという話が現実味を帯びてくる。 消防車などは、中に入れるはずもないので、一旦、火事が発生したら、自然に鎮火するまで手の施しようがないと思う。特に、この辺は、上へ上へと積み木のように部屋が伸びているので、上階の人は逃げようがないだろう。どういうわけか、ここのところスコーターの火事が目立つ。 ちなみに、案内をしてくれたアランの知り合いは、本当の話かどうか知らないが、ヒットマン(殺し屋)で、警察でも一目を置いている悪だという。しかし、我々の足元を気にしたり、気のよさそうなおじさんだった。 バクララン スコーターはバクラランに近いので、その後、バクラランの商店街に向かった。ここは、南のカビテ県の玄関口で、人々でにぎわう。ここにあるのが南のあめや横丁の商店街だ。無数の一坪ショップが軒を並べ、衣料品、靴、バッグなどを売っている。入り口には、北のキアポ教会の向こうを張って多くの信者を集めるバクララン教会があり、奥手はLRT(高架鉄道)の終点だ。 トンド 次の向かったのが、東洋一といわれるスラム街のトンドだ。ここも無数のバラックが立ち並び、一種異様な雰囲気をかもし出している。もともとここは、港の荷物、あるいはマニラ首都圏のゴミ捨て場、スモーキーマウンテンがあったところで、そのゴミを糧に生きている人々がスラムを形成しているのだ。 キアポ […]

スコーター潜入 2015年4月7日