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ホリーウイークの農場訪問第7日 昨夜は、ビアンカなど若者が、マヨン火山の展望台まで徒歩で登り、キリストの苦難を味わった。早朝帰宅したビアンカは昼まで熟睡していたが、まさに若者の特権だ。 私は、手持ちぶたさで一人で農場を回ったが、カシューナッツの実や、グアバノの花を発見。しかし、猿(モイモイ)が暑さのせいか、死んでいるのを発見、さびしい出来事だった。 KIANのたっての願いで外のサリサリストアにアイスクリームを買いに行った。KIANが徒歩で外に出るのは初めてなので、いろいろ厄介だったが、近所のサリサリで目当てのチョコレートアイスにめぐり合ってご機嫌のKIAN。テントの中で、目が覚めたビアンカも加わって、子供たちとアイスクリームパーティを催した。気前良くアイスを皆に振舞ったKIANだが、皆が勢い良くアイスを平らげ、残り少なくなってしまい、大粒の涙を流して、抗議していた。 マヨンは雲をかぶっていたが、庭には名も知れぬ鳥がやってきてバードウオッチングを楽しんだ。 ホリーウイークの目玉は、この日(金曜)のキリストの死を痛む行列だ。ジェーン夫妻をはじめ、大人は行列に参加して家を留守にしたが、KIANが恒例の足の痛みを訴えて、マッサージに翻弄された私は、行列の様子をカメラに収める機会を逸してしまった。しかし、両親が戻って来るころには痛みも収まって、KIANの笑顔が回復していて、ヨガの真似事をしていた。

ホリーウイークの農場訪問第7日 2015年4月25日


誕生会から一夜明けて、静かな朝を迎えた。庭に張ったテントは、KIANの要望で、休暇中はそのままにしておくことになった。 KIANは早朝から元気だ。Wifiの調子が悪くてやることがなくKIANと散歩に出かけた。バハイクボでテラピアと闘鶏にえさをあげ、ピガリーではカンコンを抜いて与える。えさやりは魚や家畜が寄ってくるのでKIANは大好きだ。この後、ゲートを向かった。黒豚にはアテ・キムが中に入ってKIANをせかす。さらに、キムはヤギ(カンビン)を捕まえると張り切っている。目的を果たして喜ぶキムにたいしてKIANはおよび腰だ。 チキンファームではえさ箱が底をついて、あまりやれなかった。去年の台風で大型の地鶏のカビアが全滅してしまったので、今は、アヒルと普通の地鶏(Native Chiken)が、20羽ほどしかいない。しかし、雛が10羽、卵が20個ほど抱卵されているので、ほどなく数も増えるだろう。しかし、このエリアはもともと黒豚を放牧しようとして建設したので、広すぎる。そこで、黒豚が増えたら、ここに移動しようというのが息子の思惑だ。 帰り際、キムは馬(カバヨ)のジンポに興味を示した。まさか、裸馬に乗ろうとしているのかと思ったが、遠くで眺めるだけだった。馬のブヒブヒという威嚇に、キムの背負われたKIANは本気で怖がっていた。さすがに自分より大きい家畜には恐怖を覚えるようだ。 午後は、パパカーネルの実家に向かったがKIANはせせこましい家が嫌いで行きたがらないのをだましだまし連れて行ったそうだ。しかし、農場に帰りたがって往生して、夜には戻ってきた。 夕方、陽が翳ってくるとエンジンの音がするので、外に出てみると、今日の仕上げの籾鋤をやっていた。今日の収穫は20袋程度だが、通路を防ぐ牛(バカ)はかなりの迫力。バハイクボの向こうにはマヨンの頭が見える。バハイクボではビアンカなど10代の女の子3人が嬌声をあげてはしゃいでいた。          

ホリーウイークの農場訪問 第6日 2015年4月25日



Wifi 先日、事務所のインターネットが3日ほど普通になったとき、急遽買い求めたスマート・ブロLTE 4Gの最新のポケットwifiが、期待通り農場で威力を発揮した。この日、遅れて農場を訪れたアティ・キムにセットしてもらったら、見事にインターネットの接続に成功したのだ。昨年、息子が買ったポケットwifiは遅すぎて役に立たなかったが、電波の状況がよくなったのかあるいは機器が優れているのか、実用に耐えるスピードで使えるようになったのだ。そのため、先週の土曜以来たまっていたメールに返答することができ、便秘したのが大量の便を出してすっきりしたような気分だった。 花 しばらく姿を消していたカディナ・デ・アモールという花が見事に咲いていた。あの「空に星があるように」というシンガーソングライターの走りの歌で一斉を風靡した歌手、荒木一郎の奥さんが農場にやってきたときに絶賛した花だ。 レチョン 私の提案でKIANの誕生会の目玉として実現した農場自前のレチョンの料理に立ち会うことができた。料理といっても子豚一匹丸焼きにするので、実に豪快で、お祭りとお祝い事には欠かせない料理だ。早朝、子豚をしめ、丁寧に毛を取ったあと、はらわたを出し、しばらく置いてから、竹の棒を口から尻に突き刺し、炭火でじっくり焼く。おなかの中にはレモングラスの束を入れて臭みを消し、皮の表面にはマーガリンを塗ってつやを出す。豚をたえず回転させながら2~3時間かけて皮はぱりぱりに仕上げるのがコツで、丸一日の作業となった。はらわたの大腸と胃袋以外は、きれいに洗って料理に使う。カーネルがジェネラルに出世したら、農場の牛一頭をつぶしてレチョンにすることになっている。牛一頭のレチョンを味わえるなどいうことは一生に一度あるかないかの出来事で、カーネルの夢だそうだ。            カンビン 農場にきたら、オスのヤギ(カンビン)一頭が買ってあった。オス一頭では、子供を増やすという農場ならでの楽しみが無いので、もう一頭、メスを買った。これで、子ヤギやヤギの乳にありつけるというものだ。ヤギの乳やチーズは牛乳と違って、体によく、美味だと評判だ。 誕生会 夕方、陽が陰るころ、いよいよKIANの5歳の誕生会が始まった。ちょっと手間がかかったのが、マニラから持ってきたテントの組み立てだ。親しくしている退職者の方からいただいたのだが、かなり本格的なキャンピング用で、テントなど使ったことがない地元の者には、出来上がりの想像ができないので難敵だ。1時間以上かけて、なんとか組みあがったが、子供たちは大喜びだ。 午前中ぱらぱら降っていた雨もすっかり止んで、KIANの誕生会を祝うようにマヨン火山は終始、雄姿を惜しみなく見せていた。庭で、リゾートの気分を味わうことができる、まさにガーデンレストランだ。 料理の方は、予想通り、甘いスパゲッティ、パンシットビーフン、チーズルンピア(春巻き)などだが、これにレチョンが加わって、十分な豪華なご馳走になった。招待客は、内輪の家族(約20名)、常用のダニーやウベットとその家族、それに、収穫を手伝ってくれている農夫など、合計40名程度。KIANが一歳のときの誕生会で招待した150人と比べるとかなりこじんまりとした誕生会だった。 誕生会の開始前におなかが空いてしまったKIANはパンシットを盛んに盗み食いをしている。 […]

ホリーウイークの農場訪問第5日 2015年4月25日


農場滞在4日目は、3月31日、いよいよKIANの誕生日だ。しかし、お父さんのカーネルの到着が明日になったので、誕生パーティは、延期された。ジョルビーでやるという話もあったが、50人くらい招待して優に1万ペソを超えるお金がかかるというので、やはり、ファームハウスでやることになった。そんな心配をよそに子供達相変わらずプール遊びにいそしんでいた。   料理は相変わら、甘いスパゲッティ、パンシット、鶏のから揚げ、チーズの春巻き、それにスイートなどなのだろうが、それではつまらんと、農場の子豚に犠牲になってもらって、レチョンを振舞うことにした。ジェーンは躊躇していたがマミーが大喜びするので決定した。お祝いにレチョンはつき物で、一歳の誕生日以来のご馳走だ。KIANの誕生日には恒例の「柱の傷...」をやった。さぞかし背が高くなっていると思いきや、今年の1月に計った時と同じだった。マヨンをバックに5歳の記念写真を撮ろうとしたら、やおや、くしゃみをいたと思ったら、KIANが視界から消えた。それはくしゃみと一緒に大きな鼻水が出てしまったからだった。             今日の朝飯はもぎたてのゆでとうもろこしだ。ほのかに黄色みを帯びた地産のもので、最近はやりのジャパニーズコーンではないので、期待しなかったが、これが意外とおいしかった。ほのかな甘みが、かえっておいしい、取立てはなんでもおいしいものなのだ。農場の一角にたくさんなっているので毎日賞味できそうだ。カカオ(チョコレート)の木も実をつけている。 今朝は、3日もインターネットを開けていないので、ジェーンの実家、長兄のダシンの家に行ってE-メールを見ようと出かけた。しかし、インターネットあるいはパソコンの調子が悪くて、うまくいかない。仕方がないので、ダシンの家にあるパソコンで開けてみたが、なんとか日本語も読めるが、日本語で返信ができない。そのため、とりあえず閲覧するだけで帰ってきた。 帰りにアイスクリームを買うように頼まれて、タバコ市の老舗デパート、LCCに寄ったが、どういうわけか、アイスクリームがほとんどない。お目当てのチョコレートもバニラもなくて、小さなコーンアイスしかない。別のスーパーでやっと見つけたが、KIANはお気に召さなくて、手をつけなかった。ジャックフルーツやアボカドがなったら、アイスクリームに混ぜて食べたらさぞかし、おいしいと期待される。           午後から、米の収穫の様子を見に行った。フィリピンでは刈り取ると直ちに籾にして、籾を天日に干して保管する。そのころ天気が良くないと、籾が発芽してしまい、台無しになるので、農家は空を眺めながら籾の天日干しに精を出す。水田では牛や水牛が刈り残した稲を腹いっぱい食べてご機嫌だ。 玄関の水槽には小さなグッピーがたくさん飼われていた。やはり熱帯魚はグッピーあたりが手ごろでやさしい。熱帯魚の王様、アロアナやディスカス、あるいは海水魚は手間がかかって手に余る。  

ホリーウイークの農場訪問第4日 2015年4月25日



農場滞在3日目は、2日目に続いてKIANは新装なったプールで一日中遊んでいた。壁の補強に杭をめぐらしたのだが、中々有効で、この休暇中は何とか持ちこたえそうだ。泳ぐといういうより水遊びのためのプールで、10歳以上の子供たちには、今一のようだ。ビアンカは、本物のプールがほしいと懇願していたが、小さめのものでも数十万ペソはかかるので、そう簡単にハイとは言えない。まあ、息子に子供ができて、そして私が隠退して、皆がここで暮らすようになったら、息子に作ってもらおうと思う。(CIMG9993をクリックすると動画が見れます)   CIMG9993 ダランダン(柑橘系のみかんのような果物)の木を農場に植えようと意気込んできたのだが、10年前にすでに植えた大きな木が4本あるという。たしかに数個の実をつけていたが、糞の役にも立たないと思っていた木が、今、注目のダランダンだったのだ(ダランダンにはついては別途報告する)。その他、カシューナッツやピリナッツも将来賞味できるようになるだろう。 KIANと黒豚のえさやりに行ったら、ヤギ(カンビン)がいた。ヤギの肉あるいはお乳は非常においしくて体にいいというので、いずれ飼おうと思っていたものだ。オス一頭ではどうしようもないので、3000ペソをダニーに渡して、もう一頭、メスを買うように指示をした。農場もだんだんにぎやかになってくる。さらに、2500ペソを渡して、2頭の子ヤギを予約した。 マヨン火山は相変わらず雄姿を惜しげもなく見せているが、今日は、ビアンカをモデルにして撮影した。  

ホリーウイークの農場訪問第3日 2015年4月25日


農場滞在二日目は、初日に続いてKIANはプールで一日中遊んでいたが、せっかくだからと農場の動物を視察に誘った。黒豚ファームでは子豚が2頭生まれていた。2頭のメス豚が妊娠していたのだが、まだ若すぎたのか、1頭は5頭の子豚を死産したそうで、もう1頭は無事に2頭の赤ちゃんを産んだ。さらに1頭が病気で死んでしまい、純増は一頭だけで、現在、合計12頭。一気に20頭の大台を期待したが、まだまだ程遠いようだ。 フィッシュ・ポンドでえさやりをした後、豚小屋へ向かったが、そこには大きな母豚がいたので、KIANは怖がっていかなかった。しかし、現在は5頭の子豚がいるだけで、そこから稲刈の様子を間近に見ることができた。     当農場のお米は、先日、めちゃくちゃおいしいと知り合いにほめられたもので、炊き方を工夫すると日本の銘柄米に引けを取らないと評された。しかし、ここで食べると、それほどのものでもない。その原因は、フィリピン風のたきかたは水を少なめにして、ごわごわに硬く炊くせいだ。ジェーンに話をしたら、明日からは日本人好みにやわらかく炊くから大丈夫とのことだった。農場には、かんこん、そしてカモテ(サツマイモ)などが常になっている。また、闘鶏も健在だ。   午後も、プールではしゃぐ子供たちだが、プールの壁がへたってきている。壁に体当たりしたり、足で踏んだりするせいで、プラステックに割れ目ができている。このままでは、明日まで持つまいと、何でも屋のダニーに修理を命じた。そんなことを考えながら様子を見ているとKIANがにわかにひしゃくで私に水をかけてきた。油断もすきもあったもんじゃない。 夜はしばし停電。最近、従来のこの地方の配電業者であるALECOがMERALCO(マニラの配電業者)に買収され民間会社のAPECとなったとのこと。そうしたら、月に1万ペソを超える請求が来たりして大混乱をしているそうだ。電力の供給も不安定になっている。  

ホリーウイークの農場訪問第2日 2015年4月25日



3月30日(月)から始まる一週間はホリーウイークで、恒例により休暇をとって農場で過ごすことにした。都会の人々は、キリストの苦難と復活を祝うために、故郷に帰って行列を行う。そのため、田舎の街は、倍以上に人口が増えて活気ずく一方、マニラは空っぽになる。 28日(土)、出発の日、7:40amという早朝の便に乗るため、5:30amに家を出た。カーネルはどうしても抜けられない用事があって、あとから行くことになったので、空港まで送ってもらった。アティ・キムもお父さんの面倒を見るために残った。KIANは私とママ・ジェーンさえ一緒なら、何の問題もないようだ。一週間ほど前、パパ・カーネルがアブダビに出張した際、空港に見送りに行くのを、てっきり農場に行くのだと勘違いして、空港だけだと知って大泣きをしてしまった。しかし、今日は、いよいよ本物の農場行きだ。今回も何度も農場に行くことを念を押していたが、一方、パパ・カーネルが一緒でないことは一向に気にしていないようだ。 飛行機の中では日清のカップヌードルを食べるのが恒例だ。ローカル製なのに100ペソもするが、フィリピンでは相変わらず日本製の日清カップヌードルがお土産の定番だが、それはシーフードヌードルでなければならない。 飛行機がレガスピに近づくと遠くにマヨンがくっきりと見えた。残念ながら窓際の席ではなかったが、なんとか、カメラに収めることができた。 レガスピ空港に到着すると、KIANは盛んにビコールに行こうと言う。ここがビコールだと言い聞かせてもなかなか納得しない。それを確かめるように空港の周囲をしきりに見回していた。 数年前から出始めたタクシーのおかげで、農場へ向かうのは簡単になった。携帯で連絡を取ってなじみのタクシーを待たせておいたが、20台くらいのタクシーが待っていたおり、すでにちょっと過剰気味のようだ。 農場はちょうどお米の収穫期を迎えていた。晴天に恵まれ、籾を干しているおなじみの光景があった。バナナやとうもろこしも収穫期で、今回は農場の実りを満喫できそうだ。かぼちゃの苗もしっかりと育っている。ファームハウスの脇の水路も完成した。2006年の台風レミンで破壊されたコンクリート塀の修理にも取り掛かっている。 KIANが水浴びを喜んでいる姿を見て、組み立てプールのことを思い出した。早速、組み立ててみると穴だらけで、マミーは使えないという。しかし、そんなことではあきらめない私は、パッキングテープを探させて修理し、水を入れた。KIANは昼寝をしていたが、寝ぼけ眼でプールに水が張ってあるのを見ると、躊躇せず、そのまま飛び込んでいった。それから、数時間、子供たちはわれを忘れて水遊びに興じていた。         夜になると、10人ほどのいとこたちが集まり、食事にカラオケを楽しんでいた。その夜、KIANは大満足で笑顔を浮かべながら寝入った。周囲には「I’m very happy」と感想を述べていたそうだ。

ホリーウイークの農場訪問初日 2015年4月25日


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ある退職者の方が、自宅のリース契約に関して相談に来た。非常に信頼して、娘とまで称して、長年面倒を見てきたフィリピン人の名義で土地を買い家を建設したが、最近、ほとんど顔も見せず、疎遠になっている。このままでは、退職者が亡くなったら、日本人の奥さんは、家から放り出されてしまうのではないかと心配だと。ちなみに契約者は退職者だけで、契約書に奥さんの名前は全く現れていない。 それでは、「退職者の目の黒いうちに契約書を作り直して、将来、何が起きても奥さんも安心していられるようにしましょう」ということで、新しい契約のドラフトを作成した。それを件のフィリピン人に見せたときから、戦いが始まった。その後、彼女は結婚しており、旦那は、退職者が死ねば、あの豪邸が手に入ると目論んでいたに違いない。それが、退職者が死んだら、「リース契約は妻および子供などの相続人に引き継がれる」という契約書の文言に目論見が外れて、元も子も無くなってしまうとびっくりしたに違いない。 その後、信頼していた娘からは、脅迫まがいの言葉を浴びせられるやら不安の日々が続いた。おまけに、住宅の一部が彼女の母親の土地にかかっているから住宅の一部を取り壊せだの、さらには弟を使って国外退去の訴えを入管に起こすなど(この訴えは幸い却下された)、嫌がらせは止まらなかった。これら一連の動きは、旦那の差し金であろうということは一目瞭然だが、退職者としてはあれほどまでに可愛がってきたのにと、裏切られたという思いで一杯だった。 売られた喧嘩は買うしかない。そのため、バランガイに脅迫と詐欺の訴えを起こしたが、相手は全く顔を見せない。こうなったら、裁判に訴えるしかないので、脅迫と詐欺の刑事告訴を行い、送検されるのを待っている。しかし起訴できたらできたで、裁判という長い戦いが待っており、行く先は容易ではない。 信頼関係がある間は、仮に契約書などなくとも土地と家の名義を借りて、そこに住むということは、全く問題ない。そして、人生を全うしたら、それを、お礼としてくれてやるということは誰しも考えることだ。しかし、長期にわたると、今回の事例のように第3者が介入して人間関係が壊れるてしまうことは容易におこりうる。特に、彼女などという関係は、ほとんど間違いなく破局がおとずれるだろう。あるいは、たとえ人間関係が壊れなかったとしても、名義人が不慮の死を遂げて、見知らぬ人間に相続されてしまうかも知れない。そうなると何の恩義もない相続人は、欲の皮を突っ張らせて、退職者の追い出しにかかるだろう。 これが、正式に結婚している配偶者であれば、その所有権、離婚後の財産の処理あるいは相続などが法律で定めれており、争いの余地は少ない。しかし、それが、他人である場合、ややこしいことになる。特に、彼女名義となった場合、相手も公然と別離の代償を求めるであろう。名義借りといっても法律上、相手の所有物になっているのだから、丸ごと持っていかれるのは火を見るより明らかだ。たとえ、はじめから仕組まれたものでも、あるいは、相手に落ち度があろうが、金を出したものの権利を守るには、文書化された契約書だけが争いの武器となる。それがないと、今回の事例のように長期の裁判という、残りの人生をかけた大仕事になってしまうのだ。 以前にも紹介したが、その文書とは下記のようなものだ。名義を借りて家を建てる段は、関係は蜜月で、相手も、家をとってやろうなどという目論みは無いから、二つ返事でサインをするだろう。もし、このときサインを拒んだら、下心ありあり なのだから、別の名義人を探せばよいだけのことだ。これだけの書類にサインをしたら、名義人も我が物にしようなどという気は起こさないし、所有意識も生まれてこない。踏み絵のようなものだと思っても良い。なけなしの虎の子をはたくのだから、この程度のことを面倒くさいなどと、決してほったらかしにしてはいけない。 1. ローン契約;家と土地の購入資金の提供には、賃借契約を結んでおく。担保は購入する住宅をあてる 2. リース契約;25年+25年の長期リース契約を結び使用権を確保する。一方、賃料とローン返済を相殺する 3. オプション契約;住宅の売却、登記移転、売却金の受け取りなどの権利を確保して、実質的に保有しているという状況に近い権利を確保する 4. […]

ある退職者の災難(その6、土地の名義借りのリスク)2015年4月19日



City of Dreamsの一角にあるDream Playは、はじめて訪問していて以来、KIANの憧れだった。予定通り、3月末に開場したのだが、ようやく、実現した。KIANのためとは言え、他の子供達の憧れでもあるし、今回に限りということで、家にいる子供3人、そしてちょっと大きめの少女二人、それに新しいヤヤもつれて、総勢7人で出かけていった。 休日は相当込んでいて切符売り場に列をなしているというので、10時開園に対して、9時に出発すると、お触れを出した。9時になったので、一仕事終えて上に上がってみると、KIANは準備万端なのだが、他の子供達は、なんの支度もしないで、寝ぼけ眼をこすっている。遅れると、入場できないと発破をかけて、15分後、外に出てみるとヤヤが、駐車場の掃除をしている。せかせると、一体どこへ行くのかときょとんとしている。誰もヤヤには告げていなかったようだ。何のかんのと、やっと出発した時は、9時半を過ぎていた。                 運転役のボボイは、休みだから道は空いていると、気休めを言うが、道は、意外と混んでいた。それでも、10時に到着して、駐車場のエレベーターに乗ると、どうしてもDream PlayのあるUG(Upper Ground)に行かない。回りの人も道に迷ってしまったと、ボタンを押しまくっている。仕方無しに、一階に戻って、正面玄関から回って、なんと15分後にDream Playにたどり着いた。 さほどの人はいなかったが、切符売り場には20~30名の人が並んでいる。しかし、それが遅々と進まないのだ。原因は、入場者の名前、誕生日など余計な個人情報を一々パソコンに入力しているためで、腕にバンドを巻いてもらって入場できたのは10時半を回っていた。12時半に終わって、近くのレストランで食事、その後、KIANは2時にピアノ教室にいかなければならないので、丁度良い時間だ。            休日は2時間で子供(18歳未満)480ペソ、大人270ペソ、1m未満の子供は無料。今日は、大人4人、子供3人で2520ペソの大枚を支払った。ちなみに大人料金で入場した場合、付添が目的で、パソコンを使ったり、遊技場やアスレチックで遊ぶことはできない。 アテ・キムとビアンカはアスレチックに大いに興味を示していたが、子供料金で入場しなければならないこと、運動靴をはかなければならないことなどの制限により、次回こそと決意をしていた。また、遊び場に入る時は靴を脱いで、ソックスをはいていなければならないなどの規則があり、私のソックスをKIANにかしてやった。だから、次回は、運動靴にソックスといういでたちでやってくる必要がある。しかし、私のほうは、その都度、7人x480=3360ペソの出費では懐が痛いので、大いに躊躇されるところだ。            中は、Dream Worksの人気キャラが活躍する映画の舞台が再現され、子供達にとっては夢の世界だ。中は、3階分の吹き抜けで、上がってはすべり台で降りてくる仕掛けで、子供の運動を促す。また、パソコンゲームや3次元映画、などなど遊び道具が、Kidooonaなどを10倍規模にしたようなものだ。軽食を取るところもあって、一日中、いることも可能。ただし、その場合、入場料は2000ペソを超える。                             近々、BGC(Bonifacio […]

Dream Play 訪問 2015年4月19日


スコーター潜入 農場から戻ったその足で、パサイ市にあるスコーターに向かった。すでに、紹介済みのスコーターだが、橘さんには、初めての経験で、つぶさに内部を見学した。前回に比べて、対岸のかなり奥くまで足を踏み入れたが、川はごみで埋まり、いかにもスコーターらしさをかもし出していた。しかし、人々にカメラを向けると笑顔が返ってきた。橘さんによると、タバコ市のスコーターは、ここに比べたら、高級だと表現していた。   孤児院 以前、何度かたずねたことがある孤児院だが、子供たちは学校に行っており、あまり人影がなかった。10人足らずの幼児が勉強していたが、前にも思ったことだが、活気がなくて子供らしさがない。橘さんに言わせると、早く貰い手がつくように、よく調教されたペットのようだと。寄付金でまかなわれているのだろうが、子供たちのための金なのか、金のための子供たちなのか、疑問がわいてきた。 ボニファシオ フィリピンの最新鋭都市、ボニファシオ・グローバル・シティ(BGC)のハイストリートを歩いてみた。そこは、フィリピンらしさがひとかけらもない、まさにグローバル都市だ。企業の命令でフィリピンに赴任する日本人の妻たちは、ここを住まい探しに名指しするというが、たしかに、外国というイメージ通りのところで、好きでフィリピンにやってきたわけでもない人たちの住まいにはふさわしそうだ。 MOA モールオブエイシアは、相変わらずの賑わいだが、この日は、旧正月に直後ということで中国式の飾りでにぎわっていた。 City of Dreams やはりここも国際級でその規模に圧倒される。かなりの人でにぎわっていたが、Dream Playの会場も間近のようだ。 バクララン […]

橘昶の取材に同行(マニラ編) 2015年4月19日